臼井一馬
テーマ「アメリカ法における物権変動」
10J115004 臼井一馬
0.はじめに
私は、アメリカ法における物権変動の考え方こそこれからの世界において参考にされるべきものだと考える。
今回は、いくつかの例題を通して、日本と各国それぞれの考え方の相違点、特徴について触れていきたいと思う。
1. 取消と登記
Case.1:愛人関係にあるAとBがいた。ある時、Bの援助によってAが家を買った。その後2人の関係が悪化。BがAの印鑑を持ち出して自分に保存登記をしたが、Aはそれを黙認していた。後にABの関係は持ち直し結婚。しかしそれも長くは続かずにABは離婚してしまった。さらにその後、BがCに家を売ってしまった。この時、
(1)家はA・Cどちらの物か?
(2)Cが悪意の場合はどうか?
ここでは、Cの出現がどのタイミングであったかが重要なポイントになってくる。この違いによる結果の違いを明確にするため、別な例題を考えてみたいと思う。
例題1:Xは、所有している家をYに売ったが、後にYは詐欺によってXの家を手に入れたことが発覚した。これを知ったXは取消を行ったが、Yは第三者のZに家を売却してしまい、Zはすでに登記をしてしまっていた。
この場合、すなわち「Xの取消後、ZがYから買った場合」は民法第177条(不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成16年法律第123号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。)によって対抗問題として処理する。つまり、先に登記したほうが勝つ、ということである。
ここでは、Zが登記をしているので、たとえZが悪意であったとしても登記があるのでZの勝ちとなるのである。
では、「Xの取消『前』にZがYから買った場合」にはどうなるのか。この時には、本来権利者保護で処理をする。ただし、Zが善意であった場合には96条3項によって、Zの勝ちとなる。また、強迫による取消の時にはすべてXの勝ちとなる。
これらを踏まえ、改めて(1)について考えてみよう。今回の場合、判例では「BがAの印鑑を持ち出して自分に保存登記をしたが、Aはそれを黙認していた」という点がポイントにされた。ここでは、AはBの登記を黙認して放っておいたことからAとBは通謀虚偽表示の関係にあるとされ、94条2項によって善意のCの勝ちとされた。
ここで、日本とアメリカの違いをみていこう。日本では、上の例題でも取り上げているように土地台帳に権利者を記載する「登記制度」をとっている。この登記は、対抗要件となるものである。
では一方、アメリカではどうなのか。アメリカは日本と違いまだ歴史の浅い国であることに加え、土地が広大であることから台帳での管理が難しい。そこでアメリカでは、証書(Deed)を登録する「Deed制度」をとっている。
2.時効と登記
不動産の場合、善意取得は10年、悪意取得は20年で時効が完成する。時効完成後は適正な取得と同じ取り扱いになり、その後本来の所有者が対抗策をとることは出来ない。
なお、時効完成前であれば、権利確定の訴えを提起するなどの方法で権利回復をすることが出来る。「善意取得」とは、その占有者が自分のものだと信じて占有している場合をいい、「悪意取得」とは、自分のものでないことを知りながら占有していることをいう。どちらも登記とは直接の関係はない。但し、所有者自身がその事実を知っているような使用貸借、賃貸借等の場合は別である。また、時効の完成後は対抗問題となり、占有期間が長い方が負ける、ということになることがある。
さらにここから、対抗問題と関わりのある2つの原則について掘り下げていこうと思う。
公示の原則について。これは、例えば同一の不動産がAとBとに二重譲渡された場合に、Aとの取引が先であってもAは登記がなければBに所有権取得を対抗できないとするもので、すなわち「早い者勝ち」の制度ということになる。
続いて、公信の原則について。本来の権利状態とは異なる公示が存在するという場合、公示を信頼して取引関係になった者を保護する。つまり、「信じたことを保護」する制度である。例えば、Aから動産を預かっているBが勝手にそれを第三者であるCに売却した場合、善意のCが当該動産を譲り受けた場合にはこのCの所有権取得を認める。すなわち、外観を信頼した第三者を保護するために、無を有にしてしまうという制度だといえる。
日本の民法では、不動産には公信の原則は採用されておらず、例外的に通謀虚偽表示(94条2項)やそれに類する場面で例外的に救済されるに過ぎない(同類推適用)。一方、取引が頻繁で第三者保護の必要性の高い動産取引においては公信の原則がとられている(192条参照。また、この民法192条「取引行為によって、平穏に、かつ、公然と動産の占有を始めた者は、善意であり、かつ、過失がないときは、即時にその動産について行使する権利を取得する」においては善意取得(または「即時取得」)が規定されている)。
さらに、ここで触れた「善意取得」について掘り下げていきたいと思う。
例題2:Aは、Bさんからパソコンを借りていた。その後、Aは金がなくなったのでそのパソコンを売ってしまうことを思いつき、そのパソコンをCに売ってしまいCに引き渡した。その時、CはそのパソコンがAのものであると善意・無過失で信頼していた。この場合、パソコンは誰のものになるか。
もちろん、真の所有者はBであり、Aは借りているだけであるので、パソコンを勝手に売ってしまう権利などない。結論をいうと、パソコンはCさんのものになる。これを善意取得という。なぜかというと、まず、パソコンの真の所有者はBである。Aは借りているだけで、パソコンの所有権はない。もちろん、勝手に売ることなどできない。つまり、Aはパソコンに関しては単なる無権利者だ。とすると、その無権利者からパソコンを買ったCも所有権を取得できないのが原則ということになる。ですが、Cから見ると、そのパソコンがAのものだと信じて買ったのに、パソコンが自分のものにならず、Cさんは報われないことになる。もしもこんなことばかりが起きるようだと、誰も相
手を信頼して取引をすることができなくなってしまう。そこで、取引の安全を守るために無権利者と取引した人でも保護する、というのがこの即時取得の規定なのです。ただ、もう一点考えるべきポイントが、真の所有者であるBのことである。Cが即時取得してしまうと、Bは自分の知らないところで、自分の物だったはずのパソコンの所有権を失ってしまうことになる。なので、民法192条は、簡単には即時取得を認めずに、相手方が善意・無過失でその物を買った場合にのみ即時取得を認めているのである。即時取得の成立に、厳しい要件を課すことによって、真の所有者であるBと相手方を信頼して取引に入ったCのバランスを保っているのです。あまりに簡単に即時取得を認めてしまうと真の所有者であ
るBが報われず、即時取得が全く認められないのでは、今度は、取引をしたCが報われない。その両者の調和を図っているのが、この民法192条の即時取得なのである。
3.自動車の場合
今までは家、すなわち不動産について取り上げてきたが次は自動車について取り上げていく。
Case.2:AはBに車を売ったが、Bから渡された小切手が不渡りだったため、AB間の売買を取り消した。しかしBは、この間の事情を知らないCにこの車を売っていた。車は誰の物か?
ここでは、車の種類によって扱いが変わる。「普通自動車」の場合と「軽自動車」の場合である。まずは普通自動車。例えばトヨタ、日産、ホンダなどの車は税金は高く車検も必要である。そして、登録が必要であるため不動産扱いになる。一方、軽自動車の場合。排気量が660cc以下の車で、スズキやダイハツから多く発売されているこれらの車は税金が普通自動車に比べ低く車検も必要ない。そして、登録も必要ないので「動産扱い」となる。つまり、即時取得があり、ということになる。ちなみに、未登録車の場合も同じ扱いとなる。
最後に、物権変動の考え方について触れていこうと思う。この考え方については大きく分けて2種類あり、「形式主義」と「意思主義」とに分けられる。意思主義とは物権変動は当事者間の合意のみによって生ずるとする立法上の立場をいう。これに対し形式主義とは当事者の合意のほかに何らかの形式を要求するとする立法上の立場をいう。日本の民法176条は「物権の設定及び移転は、当事者の意思表示のみによって、その効力を生ずる」と意思主義を採用した。なお、意思主義の下でも例外的に所有権移転等の物権変動が契約成立時に生じない場合(当事者間に特約がある場合、不特定物売買で特定がなされていない場合、他人物売買の場合など)がある点に注意を要する。有名なところでは、ドイツ法が形式主義にあたりフランス法、アメリカ法は意思主義にあたる。
この3国は登記の意味もそれぞれ違った解釈を持っている。形式主義のドイツ法では効力要件(公信力あり)とされている。一方、意思主義の2国はそれぞれ別の考えを持っており、フランス法では対抗要件としているのに対し、アメリカ法では上記で触れてきたようにDeed制度をとっている。
そして、二重譲渡の勝負に関しても違いがはっきりと出ているのである。まずドイツ法。ここでは、登記が移転しないと売買が完成しないのでそもそも二重譲渡が起こり得ないのである。続いてフランス法。ここでは、早い者勝ち(race type)の考えがとられている。これは日本でいうと177条の考え方に近いものである。そしてアメリカ法。ここでは、「信ずる者は救われる」善意者勝利(notice type)の考え方がとられている。日本でいえば、99条2項の類推に近い考え方である。
4.おわりに
初めに述べたとおりに、私はアメリカ法における物権変動の考え方こそこれからの世界において参考にされるべきものだと考える。
なぜなら、善意の第三者が知らず知らずのうちにトラブルに巻き込まれたうえ、何の救済もされないのではあんまりだと思うからです。
そうなってしまわないためにも、「信ずる者は救われる」べきであると、私は考えます。
【出典】
■Kenビジネススクール(www.ken-bs.co.jp/index.html)
■毎日3分!条文+豆知識で民法完全制覇!(www.mainiti3-back.com)
鴨下淳
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木住野大介
アメリカ法における物権変動 -法という正義は世界共通- 11J107026
木住野大介 まずはじめに、私が英米法を学んだ1年間を通して得た英米法・日本法に関する結論は「国ごとの細かな違いはあれど、法律自体に大きな差はない」ということである。法律とは弱者を守るためのものであり、その意味ではどの国の法律にも通ずるものがある、というのが私が行き着いた結論だ。このレポートでは、なぜこのような結論に至ったのかについて、10個のキーワードに関する私の考えを元に解説していきたいと思う。
公示の原則と公信の原則 -過失なく失われる真実の物権- 物件取引には二つの大きな原則がある。まずは公示の原則についてだが、これは物件取引の安全性を図るために存在する原則のひとつである。権利の変動それ自体は目に見えないのだから、第三者にその存在を知らせるためには外部から認識することができる形式をともなわなければならない。もし、権利の変動を外部から認識できなければ、権利を喪失した者を依然として権利者であると信じて取引をする第三者が現れるおそれがあるだろう。とりわけ物権は排他的効力を有するので、第三者に不測の損害を与えるおそれが大きい。物権の変動を外部から認識できる状態に置くことを、物権変動の公示といい、公示のために用いる手段を公示方法という。物権には排他性があることから、物権の変動には公示が要求され、公示のない物権変動の効力は多かれ少なかれ
否定される。これを公示の原則という。公示の方法として最も一般的なのが登記であり、不動産や船舶などのを法務局の登記簿に記載することで、物権の所有を公示することができる。 次に公信の原則について説明したいと思う。先ほど公示の原則でも挙がった物権変動の公示は、必ずしも真実の権利関係を正しく反映しているとは限らない。公示によって権利を有するとされている者が、実際には権利者でない場合も存在しうるだろう。そのような場合に、公示を信頼して取引をした者が相手方が実は無権利者であるから権利を取得できないとなると、取引の安全を著しく害することになる。そこで近代法は、物権変動の公示を信頼して取引した者はたとえ公示が真実の権利関係と一致しなくても、公示どおりの権利を取得することを基本原則とした。これを公信の原則という。なお、公示のこのような効力を公信力と呼ぶ。公信の原則を認めれば、たしかに物権取引の安全を図ることができるが、一方で真
実の権利者の利益を犠牲にすることになる。だからこそ、公信の原則の適用範囲については議論の余地があると私は考えている。 さて、ここで説明をひと段落させて、この二つの原則に対しての私の意見を述べたいと思う。まず公示の原則だが、これは確かに大切なことだろう。権利というのは目に見えないが確かに存在し、人から人へと売買、もしくは譲渡されるものである。その権利が確かに明け渡されたということを、公示しなければ、それは権利を明け渡していないのとなんら違いはないのではないだろうか。であるならば、公示の原則というのは最もシンプルに、その必要性を満たしているといえるだろう。次に公信の原則についてだが、こちらについてはいろいろと反対意見がある。まず、先ほども少し述べたように、公信の原則を突き詰めるのであれば、真実の権利所有者の利益を害することとなる。確かに我が国には
善意所得という、民法や有価証券法において善意で動産や有価証券を取得した者の取引の安全を保護するための制度が存在するが、それでは真実の権利所有者に対してあまりにも不公平だといえないだろうか。取引の安全性と真実の権利所有者の利益を天秤にかけて、取引の安全性を優先してもいいという理由はまずないのではないかというのが、私の考えである。
詐欺による取消と対抗要件
-過失があっても守られる物権- 次に、物権法に関するいくつかの私の疑問を述べたいと思う。まず一つ目の疑問は取消と登記に関するものである。例えば「AがBによる詐欺によって不動産をBへ売買したとする。その上でBが善意の第三者であるCに対してその不動産を売買した」とする。このような場合、先ほど述べた善意所得という制度によって善意の第三者であるCの取引の安全性は守られるべきであると言えるだろう。しかし、Cが登記を済ませていない状況でAが詐欺による売買であることを理由に取引の取消を申請した場合はその限りではない。そもそも取消とは、ある行為についてそのなされた過程に問題があることを理由としてそれを遡及的に無効とする旨の意思表示をいう。遡及効があるということは、つまりAがBに対して不動産を売買したということがなかったことになるのだ。そうなれば、Bは無権者でありそのBによる行動は法的な拘束力を持たない。そこで私の疑問だが、善意所得によって守られるべき善意の第三者であるCが、詐欺とはいえ売買に承諾したAに対して対抗要件を持たないとは思えないのである。先ほど公信の原則の場面で善意所得に異議を唱えたのは、真実の権利所持者に落ち度がないにもかかわらず、善意の第三者に対抗できないというのが不公平であったためであり、このようにAに落ち度がある場合であれば、当然にCが法的に守られるべきなのではないかというのが私の意見である。 時効による物権変動 -権利の上に眠る者- 我が国における物権変動については、時効について紹介し、私の意見を述べることで締めくくり、アメリカ法における物権変動に移りたいと思う。そもそも時効とは、ある出来事から一定の期間が経過したことを主な法律要件として、現在の事実状態が法律上の根拠を有するものか否かを問わず、その事実状態に適合する権利または法律関係が存在すると扱う制度、あるいはそのように権利または法律関係が変動したと扱う制度をいう。物権法においては所得時効というものにより、例えば「AがBの土地に勝手に家を建てて20年間公然と住み続けた場合、AはBに時効が完成したことを主張して、本来はBのものであった土地の所有権を取得することができる」というように、時効の成立によって物権変動が生じることもある。私の意見としては、この制度はとてもいい制度だと考えている。なぜなら「権利の上に眠る者」ともよく言うように、権利所持者であることに胡坐をかき、自己の権利について主張もしない者に要保護性はないというのが私の考えだからである。もし今回の例でBがAに対して不動産の返還請求をしていれば、時効は中断され、Bは権利を失うことはなかったのだ。それをできたにもかかわらずしなかったBに、もはや守るべき価値はない。これまで挙げてきた二つのケースとは明らかに違い、完全にBに落ち度があるのだから、この場合においては特に異論はないといえるのではないだろうか。 アメリカ法における物権変動の流れ
-日本と酷似した仕組み- さて、ここからはアメリカ法における物権変動についての説明と意見に移りたいと思う。アメリカ法では、日本とは違う概念がいくつか存在するが、まずはトレンスシステムという概念について紹介したいと思う。トレンスシステムという言葉は、私たち日本人にとってあまりなじみはないかもしれない。これは英米法における土地登記制度であり、登記上の権利者が真正な権利者であることを国が保障する制度である。英米法国における旧来の制度では、権利者が最初の権利者からの途切れない権利移転の連鎖を証明しなければならない。トレンスシステムは、これによって生じる不確実性、複雑性、費用を解決するために考案されたものである。コモン・ローにおいて、土地所有者は、その土地について
国王から最初に与えられた所有権にさかのぼって、自らの権利を証明する必要がある。土地取引に関する文書は集合的に「deed」または「権利の鎖」と呼ばれている。対して権原証書(deed)を登記する権原証書登記制度は、登記された証書に「優先権」を与えようとするものである。すなわち、後に登記された証書による譲渡は先に登録された証書による譲受人に対して主張することができず、登記を備えない証書による譲渡も同様である。権原証書登記制度とトレンスシステムの基本的な差異は、前者は証書を登記するのに対し、後者は権利を登記するという点である。ここからが私の考えなのだが、この「deed」を用いた権原証書登記制度は、日本法における登記ととても酷似しているように思える。先に登記されたものに優先権を持たせるというのも、日本における取引の安全性を重視した制度とさして違いはないのではないだろうか。英米法においても、日本法においても、基本的な正義は「弱者のための法」であることに違いはなく、そういった意味では大きな差が出ることはそもそもありえないのかもしれない。
アメリカ法における物権変動の流れ
-日本とは異なる仕組み- アメリカ法における物権変動については、最後に「notice
type」について書いて終わりにしたいと思う。まずnoticeというのは「通知」のことであり、相手への通知に関する概念である。例を挙げるならば「AがBに対して、1週間後に木材を100本ほど売ってほしい」という約束をしたとする。この場合Aは約束者、Bは受約者となり、日本法によればこの約束が交わされた時点で物権変動が起こりますが、アメリカ法における概念では「BがAのために木材を100本用意できたことを通知する」ことで始めて物権変動がなされる。アメリカ法において、約束が単なる約束ではなく契約として認められるには「捺印契約が締結されるか、申し込みをしたものに法律上の権利が発生するか、承諾した者に法律上の義務が発生する」必要がある。これに対して私は、とても合理的かつ単純明快な概念であると考えている。なぜなら、このような特殊な債権の変動において「相手方のために物を別に用意して初めて、相手方に対しての準備ができたと言える」からである。何か商品の予約や発注の経験があるものなら一度は経験しているだろうが「単なる口約束だけであったために、実際に発注した商品が手元にそろうまでに予定していた約束の期日よりもかかった」ということは
ないだろうか。それは「相手方のための商品の準備ができていなかったために起こったこと」に他ならない。ネットで物を購入した際などに「在庫が確認できました」という通知があるのは、ある意味でこのアメリカ法におけるnotice
typeの概念と同一であるといえるのではないだろうか。 動産の物権変動 -登記が必要な動産- 最後に、これまで土地などの不動産を例に挙げてきたが、今度は自動車などの動産を例に挙げて説明し、私の意見で締めたいと思う。本来であれば、動産に関する物権の譲渡は、その動産の引渡しがなければ、第三者に対抗することができない。その中でも自動車や船舶、航空機などの登記・登録制度が定められているものについては、登記・登録が所有権移転の対抗要件となる。動産物権の譲渡は引渡しによって公示されるが、しかしその公示性は十分なものとは言いがたいものであり、また頻繁に行われる動産の物権変動につき取引に際して一々詳細な調査を求めたり、真の権利者からの追奪の危険を負わせることは適当なことではないと考えられる。そこで民法では、占有という外形に対する信頼を保護し取引の安全を図るため「取引行為によって平穏に、かつ公然と動産の占有を始めた者は善意であり、かつ過失がないときは即時にその動産について行使する権利を取得する」と、即時所得の制度を定めている。しかし先ほど例に挙げた自動車のよ
うに、登記・登録の制度が定められているものについては、登記・登録が行われている場合にはそれが公示となるために即時取得の対象とはならない。そこで私が考えたのがは、動産の中でも自動車などはある意味で不動産と同じような扱いをされているのではないだろうか、ということだ。例えば土地であれば登記が必要になるし、自動車ならば登録制度がある。これは単に名前が異なるだけで、物権変動の流れとしては大まかに同じなのではないだろうか。例えば、それがコンビニなどで購入した飴などであれば、登録などせず手元に収めた時点で売買契約は成立し、即時取得となるだろう。しかし土地ながら購入した後に登記しなければ対抗要件を失うし、自動車にしてもそうだ。であれば、自動車は動産であ
りながら、ある意味で不動産のような側面を持っているといえるのではないだろうか。 アメリカ法と日本法の違いについてのまとめ
-正義という共通点- さて、アメリカ法と日本法における物権変動について大まかにおさらいし、意見を述べてきたわけだが、最後にまとめとして私が考えるのは冒頭で述べた通り、言葉や仕組みの細かなところは違えど、法律自体が大きく変わっているということはないということである。それは日本とアメリカが近しい国であり、共に先進国であるからという理由も確かにあるだろうが、実際のところ法律という一種の「正義」が、どのような国においても一貫しているということに他ならないのではないだろうか。だからこそ、国際法というものがまかり通り、世界的に輸出輸入といった物権変動が起こっているのだと、私は考える。 参考文献 物権法(山野目
章夫
2005/3) 英米法(田中 英夫 1980/3) BASIC英米法辞典(1993/9) |