岩佐 楽
物権変動とは何か
物権変動とは、人が所得を得たり失ったりすることである。
動産と不動産
動産は宝石など容易に動かせたりするもの、不動産はそう簡単には動かせない土地や家などである。もちろんそれぞれ対象となるものも違ってくる。
民法の条文でも民法177条では、不動産に関する物権の対抗要件、民法192条では、即時取得と条文の意味合いがちがっている。民法177条では公示の原則といい民法192条では公信の原則といわれていて、ここでは、公信の原則は外見法理で信じた事を保護するつまり、善意の者を守るそれに対して公示の原則は対抗問題つまり早い者勝ちなどと相対する関係にある条文といえます。公信の原則についてはそこからの新たな権利が生まれるため原子取得、公示の原則については前者の権利を引き継いで移転する承継取得があると考えられる。ここでの意見としては原子取得については善意取得で保護をしてもらう権利があり自分の物になったからこその新たな権利、承継取得については他人がもっていた権利を対抗要件をそろえて前者から権利を引き継いで自分の物として扱えるということでうまくまとめられた言葉に感じるところがある。さらに公信の原則と公示の原則に関しては、私はメリットやデメリットがあると考えている。
公信の原則で言えば、信じたものは正義であり、自分は信じていたのだから責任はないので法律で保護されると考えられるので守られて当然だと思いますが、例えばA君が六法全書を友達のB君に売ったとします。しかしその六法全書はA君のゼミの知り合いのC君の物でそれを借りてB君に売りました。ここでの立場から言うと普通はA君がC君から六法全書を借りたのだから当然C君がB君に対抗できて当然だと考えます。
しかし、この民法192条では他人から見た外観のへの信頼を保護するためのものなので、
B君からしたらもちろん六法全書を持っているA君が持ち主だと思い信じて買います。
その結果この公信の原則により即時取得がでてCよりもBが保護されるわけだが、それはおかしいと思います。善意・無過失というのが対抗要件であり善意取得が適用されます。善意・無過失であれば事実は違くてもB君が所有権をとれるのは本来の民法のましてや法律のあるべき姿ではないのでは?と感じてしまう。ここでいうメリットはたしかに信じたものは救われるべきであり、逆に善意・無過失のB君が六法全書の購入をとてもこころまちにしておりA君からとても安く売ってもらえることを保障されていたのにそこで急に実はC君の物でしたと言われてC君に戻るのもB君からしたら知りようがない事実なわけでB君が保護されるのも相当と考えられる公信の原則という考え方ではありますが、あまり善意のB君ばかり保護することを考えていたら本来の所有者のC君の立場上自分の物なのにその物が返してもらえないというのはとても変な話であり、この条文には使い方によっては賛同できない部分があります。
登記最強説?
ここ先ほどの公信の原則ともう一つの考え方公示の原則つまり対抗要件が不動産の場合は登記であるのでこの要件を備える必要がある。そしてこの制度は早い者勝ちが正義で早く登記をしたものが報われるとされています。そもそも登記は周りに対して示す必要があり、つまり他人に対しての証明にもなります。例えばAさんが家を譲るということでBさんという人に話をしました、しかしそのあとCさんという人にも家を譲ると話をして家を明け渡しました。このような二重譲渡の例でもCさんが登記をBさんより先にしてしまえばそれは先にAさんと家の明け渡しを約束されたBさんではなく、登記をしたCさんに権利が行くのでBさんは対抗できません。ここでの僕の意見としては公示の原則では、登記をしてしまえばたとえ悪意があったとしてもその人が勝つという登記最強説にはあまり納得できない部分もあります。AさんとCさんがもともと組んでいたとしてここで悪意があり、先ほどの公信の原則のように善意なのに保護がされないというのは少し気になる部分ではあります。確かに、約束をしてすぐに対抗要件のための登記をしなかったBさんにも過失はあります。しかし、悪意の人が権利を取得してしまう点においてはあまり賛同できるところではありません。これだは悪意の人を保護するのと同じ感覚を覚えます。
しかし賛成できる部分としては、不動産には動産とは違い即時取得つまり民法192条の公信の原則があてはまらないところにおいてはとても優れた条文だと感じました。Aさんが自分の家だといい本来Bさんの家なのに勝手に第三者に家の購入を持ちかけた場合この条文がなければ、善意取得している第三者が家の購入する権利を得てしまうのです。
このような生活に支障を及ぼさないためにもこの条文は必要だと感じ取れます。
ここで192条の適用についてふれていくポイントがある。
AがBとの取引で脅迫があり物が渡りそれが善意の第三者のCに渡りさらにその物が
善意のDに渡ったとする。このときCには192条の適用がない。なぜなら制限行為能力者制度、脅迫による取消制度の意味合がなくなってしまうからだ。なにでこの場合はDに192条の適用があるのである。
取消そして動産と不動産の違いとは?
不動産と動産ではそれぞれの取消される理由もちがってきます。例えばAという人がBという人に家を売る、そしてBという人がCという人に家を売ったそしてCという人が登記をした。このAとBとの間に詐欺、脅迫、制限行為能力、無権代理などの条件が働いていたとします。この時も登記最強説は通用するのか?という問題です。まず裁判所の考え方では、詐欺は民法177条によりCの勝ち、脅迫は取消前にCが買ったらAの勝ち、取消後にCが買ったらCの勝ち、そして無権代理と制限行為能力に関しては両方ともAの勝ちとされています。ここでの私の意見としてAさんがBさんにだまされて善意の第三者のCさんに渡ってしまったケースでは、やはり登記が強いんのだと感じました。詐欺があったとしても善意の第三者に渡ってしまうというのは登記をしていなかったAさんに責任があるというしかないのでしょうか?はたしてこのような詐欺によるケースでも登記最強説が通用してしまってよいのだろうかと疑問が浮かびました。脅迫に関してはAさんがBさんに脅迫されて家を明け渡すことになってしまったという場合でAさんには過失はもちろんありません。なのでここでの登記最強説が崩されます。ここでの問題は取消前か取消後かというのが問題となり、取消前にCが家を買ったらAが勝つという面では何の過失もないAさんなので裁判所も考えもいい決断だと思います。取消に関してはもうCの物という考えは納得できました。さらに、無権代理や、制限行為能力ではもちろんこれらの人々には権利がないわけなのでAが買って当然の結果だと感じます。しかしやはり不動産と動産では考え方が少し異なり、先ほどの取引の物が宝石だとしたら、まず詐欺においてはこちらもCが勝つのですが、その考え方が民法96条の三項にある、前二項の規定による詐欺による意思表示の取消は、善意の第三者に対抗できないとされています。ここで疑問にかんじるところは96条の1項詐欺または脅迫による意思表示は取消することができるとしめされているとうり、脅迫と詐欺は取消の対象になるのになぜ3項は詐欺のみが善意の第三者に対抗できないのかというところがすごく疑問に思っています。これでは不動産の時と同様ですが騙されてしまったAには報われない内容になる。はたして善意であるから信じたものは救われるという公信の原則が発生してしまってよいのかと疑問に感じます。法律により報われるものと報われないものがいるのだと感じる条文または考えだと思いました。
脅迫に関してはAが勝つという事でここでやっとAが報われる考えがきたと思いますがしかし今度はそれが脅迫で自分のところに権利が回ってきたCが報われない考えとなっています。詐欺の場合では信じたものが報われるという公信の原則が通用したがこの脅迫では通用しないのはC側からしたらなぜ?の疑問が浮かぶでしょう。無権代理や制限行為能力での勝者はAなのですが、これに関してはCがBの年齢や本当にAからの権利があるのか?などを確認しておけば済んだことなのでここでの裁判所の考え方も納得できる。そもそも未成年や制限行為能力者にはそのような効力がないのだから。脅迫の内容では過失ありと裁判所では考えられているが、この脅迫に関してCの過失はどこにあるのか?もし過失があったとしてもそれなら詐欺は知ることができなかったCに過失はないのか?など様々な疑問が浮かび上がりました。条文でしめされているからと言ってしまえばそれまでですがこの辺の内容があまり納得できない部分ではあります。そして私がこの動産と不動産の区分で自動車が車の種類によって動産や不動産に分けられるという裁判所の考え方にも疑問をもちました。普通自動車のカローラなどを不動産の対象にして軽自動車のワゴンRなどを動産の対象にしている点で例えば自動車を運転していて人をひいて死亡させてしまう事故をおこしたら軽自動車も普通自動車も同じ罪になるのになぜここに違いがあるのかとても疑問に感じました。燃費や道路にかけている負担などもあると思いますがこの自動車が動産になるか不動産になるかは自動車の所有者からしたらとても大きな問題に直面するのでこの問題に関してはもう少し考えていただきたいと思います。
時効と意思表示
意思表示には民法93条心裡留保、民法94条虚偽表示、民法95条錯誤、民法96条詐欺、脅迫があり、裁判所は内心を重視する意思表示と外面を重視する表示主義に区分けをした。
ここでの問題としてあげられる虚偽表示ですが、これは民法94条2項で前項の規定による意思表示の無効は善意の第3者に対抗することができないとされている。この94条2項の類推適用がなされるとAとBがつるんでいて真実でない登記の外観を作出してもそれを信じたCは救済されるという内容が成立するのだ。ここでの意味合いとしてはCが悪意であればAが勝ち、Cが善意であればCが勝つという善意取得が絡んでくるのだ。そして取消と登記の177条とは異なることが分かる。もう一つの問題で先ほども述べた脅迫と詐欺問題。AがBにだまされCに物を売った、96条の3項はAが騙されたのが悪いAにも落ち度があり不注意だったとされているが、例えば老人は頭が若い人よりは少しは回らずにいることがあります、しかしこの老人に対しても騙されたのが悪いとあらわしてしまってよいのだろうか?詐欺が善意の第三者を保護ばかりしていてはこの先も老人はだまされつづけて保護の対象にされないというのは酷に感じる部分ではありました。最後に時効については裁判所の考えでいまいち納得の苦しむところがありました。10年で時効が完成するがAが9年家を完全に占有したときはAが勝ち、Aが11年家を占有したときはCが勝つというのは理解に苦しみます。普通時効が完成している11年がたとえCに登記されてもAが勝てる要素なのにそれが時効完成前の9年の時に勝てるというのが一番の疑問に感じる考え方であった。
文献リスト、文献サイト
・民法1 総則・物権総論 第4版 著 内田貴
・ポケット六法 平成25年版
・法の世界へ 第5版 著 池田真朗 犬飼由子 野川忍 大塚英明 長谷部由超子
・マンガでわかる民法入門 監修 伊藤真
・日本一やさしい法律の教科書 著 品川皓亮 監修 佐久間毅
・コトバンク
・wikipedia
・法律手帳
中野浩嗣
基礎教養演習U 物権変動とは何か
私の結論 第三者には対抗できないは不可能である。
<はじめ>
物権変動とは何か、一言で言えば自分が持っている所有権を相手方に所有権を移転させる契約(ここでは意思の共有によるもの)である言われる。とはいえ相手方とは誰のことを指すのか、二者の関係であるならばお互いの意思表示確認は容易であるが新たに第三者が介入し自分との意思の疎通が出来るかわからない。加えて第三者ということは自分とは関係のない他人である。そこで物権法では物権法定主義を有しておりあらかじめ条文に規定されており当事者が勝手に創設することができない。言い換えれば物権は第三者主義ともいえると思う。その目的は物権変動によって生じる不平等をなくし公正な取引を確保することによる取引上を安全を守る為であるとされる。ここでは取引の安全とは何を意味するのか、結論で述べた第三者対抗できないとする限界とその根拠について判例を中心に私なりに意見を述べていきたい。
私はそもそも信頼できる関係を相手方と構築した段階で契約するものであってしかるべきだと思う。これにたって、物権変動取引において取引の安全をいかに図るかが大きな課題となる。そこで民法では外観に対する信頼をを保護すれば良いとされている。これを動的安全の保護と呼ばれる。だが、外観法理では善意か悪意か判断できない場合には真の所有者も保護されるべきであると考えられている静的安全の保護も確立されている。私は後者の静的安全の保護の考え方を中心に判例を分析したい。
<民法177条に対抗できるか>
始めに不動産による物権変動について事例を挙げて説明したい。
Xは今で持っていた家を取り壊してその土地を以前から親交のあったYに土地を売り渡した。だが、すでにYは新しい土地を所有した後であった。そこで、Yは友人ZにXから得た土地をさらに売り渡したその後XはYに対し土地の返還を要求したがすでにZに引き渡した後で登記も終えた後であった。XはZから土地を取り戻せるか。
民法177条「不動産に関する物権の得喪及び変更は(不動産登記法その他の登記に関する法律の定めるところに従い)その登記をしなければ第三者に対抗できない」と規定がある。条文に照らし見ると登記を有したZが対抗要件により勝利することになる。事実判例もこれを認めている。しかし私はこの事例の解釈に他の考え方もありこの事例では177条は適用すべきではないと思う。理由はXは所有していた土地を一度Yに引渡しYはXから土地所有の権利引き継いだことによる承継取得と見るべきである。Xの取引は問題なく行われているためXとYの間に瑕疵は存在しない。むしろXとZ間に瑕疵ができてしまったわけである。ならばXとZとが対抗問題になりXが負ける。確かにXは無権利者でありZは善意の第三者である。しかし話を戻すとXはYとの関係ですでにYが新しい土地を手に入れたことを知らなかった場合どうなるか。177条では善意、悪意関係なく第三者には対抗できないとある。裁判所はおそらくXがYに確認を怠ったことに対して過失ありで判断したのだろう。96条2項第三者が詐欺を行った場合においてその意思表示は取り消せる。しかし、この場合では第三者は善意であるために適用できない。確かに第三者が善意であれば177条による早いモン勝ちとなりZが勝利する。ところがXはYの虚偽の表示を信じて土地を譲ったわけであり外観法理を信頼したことによる公信の原則である。正直ものがバカを見たものでこれを過失とされるのはXからすれば許せないだろうと思う。そこで自らの意思に基づいて占有を失ったか否かという限度で考慮にとどまるとされる。この時点でYにはXに対して悪意があったとみるべきである。94条2項類推適用における虚偽表示に相当すると考えるまた事実を知らなかったことによりXの帰責ような物は存在しない。ここで私は知らなかった第三者と騙されたもともとの所有者では本来対抗要件に含むべきではない。私は知らない第三者の問題としてあえて177条の第三者とは切り離して当事者問題として考えた。
<二重譲渡と公示の原則>
ただし私は二重譲渡の問題では177条の適用すべきであると思う。先の意見とは異なると指摘があるだろうがここにも理由がある。先の事例とはX本来の所有者と異なる相手方の判断で勝手に所有者は始めから自分であるように装いZに売却したこのとき本来の所有者に知らせずまた、Xから必要もないの購入したこの時点詐欺成立すると私は考え94条2項の類推適用に第三者の存在を知らないものまで対抗できないのはおかしいと考え意見を書いた。そこで二重譲渡に話を戻すとどうなるのか事例から見ていこう。
Xは土地をYに売却をする契約を交わした。ところがXがその後Yに無断で第三者Zに売却してしまいZはすでに登記も終えた後であった。この時はどちらが勝利するか。判例では対抗問題として登記を先に終えたZが勝利した。私はこの裁判の判例を支持する。理由は簡単言えば本来の所有者Xは土地を売る為にYとZに話を持ちかけたわけで購入さえ可能ならばどちらでもよいのだ。更に言えば契約を交わしたのみで登記もしなかったYの過失となり先に登記をしたZが自分のものであると主張することに問題はなく177条の対抗要件をそのまま適用しただけのことである。このようにもともとの所有者ではないものは自由競争で決めるべきことである。
2つの事例を比較してまとめると1つ目は本来の所有者の範囲内での取引にたとえ善意の第三者であっても相手方との当事者間での不作為については強迫のみならず詐欺も要件に加えて処理すべきである。2つ目の事案は第三者をめぐる自由競争として先に外に公示したものを優位にする公示の原則として177条適用で十分である。すなわち本来の所有者の内と外の範囲によって判断すべきである私は考える。
<取得時効と登記の意義>
土地の所有者Aが持つ土地を現在Bが取得している。つまり登記はAが持っていることになる。まもなく時効によってBが所有すべき土地に第三者CがAから購入し登記をした場合Bはどうなるのか。更に時効成立前後によって発生する法律効果について比較し検証したい。
事例と同じBの時効完成前から結論を述べるとBが勝利しその土地を所有する権利が認められる。私はこの結論を支持したい。判例ではCとBの関係を当事者と同視できるとされているがどういうことか。つまり時効前に登場したC通常の売買の売主と同視することにより第三者としては処理されないといわれる。そもそも最初のBの占有開始時点ではAの所有物である。その後AがCに売りわたした時点で一時的にCのものとなるがこの後Bが取得するとすでに占有していたBが登記の効力も受けずBが土地を所有できる。時効前占有しているBが優位になるのは常識的に見ても正しくCはBを脅かす簒奪者のように写り不利になるだろうと感じる。
次に時効完成後はどうなるのか結論から言えば判例は二重譲渡と理論を構成し177条対抗要件で決まりCが勝利する。私は時効完成後はCの所有を認めてもよい考えている。理由は二重譲渡による自由競争に委ねるべきである。確かに時効の成立後は現在の所有者Bの勝利を支持したいが時効前に登記を取れば所有できるのにそれをしなかった。自らの手で所有権を取消したのはB個人の過失であり、善意の第三者に対抗するには根拠が失われていると私は思う。但し裁判所が無理やり二重譲渡に置き換えた可能性も否定はできない。例えばBが土地の所有権を取得したことを譲渡したわけではないが時効成立によりBの所有権がAに移転しその所有権をCに売却したものである。判旨には理解できるが譲渡していないのになぜ占有が移転するのか、詳しく分からず177条に当てはめたもので置き換え判例であるのは事実に思える。
<動産は誰のものか>
これからは動産について述べていくことにする。そもそも動産という言葉は余り聞きなれない単語だが何か。一言で言えば物=商品のことである。不動産との違いは無限に存在するということ。そのため動産には登記はない。ここからは動産
の物権変動と所有権の関連を事例から説明していくことにする。
民法178条「動産に関する物権の譲渡はその動産の引渡しがなければ第三者に対抗することができない」と規定されており引渡しを対抗要件にしている点は不動産とは異なる。つまり登記を引渡しに置き換えてだけのこと。
AがBにカメラを預けた、ところがBがそれを自分のものとしてCに売却してしまった。Cが善意、無過失なら善意取得できるこのとき所有権を失ったAはどうなるのか、そしてカメラは誰のものか。
民法192条「取引によって平穏かつ、公然と動産の占有を始めた者は善意であり、かつ過失がないときは即時にその動産について行使する権利を取得する」と規定がありカメラは善意の第三者であるCの所有物となる。ここではBの過失は認められずAは所有権を失う一見すると全く理解できないものではある。だが、分かりやすくよくできた条文であり私は支持できる。理由はAはカメラをCに売買したBに対して債務不履行として損害賠償を請求できる。言い換えればAはBから救済され当事者問題となる。なぜか、動産は無限に存在し経済価値も多様である。このところからも192条は第三者が取得した時点で相手方に落ち度が認められない場合は直ちに所有権を決めることは、経済活動を円滑にする上でも合理的である。
ただし動産でも登記制度を有する自動車の場合は即時取得として認められるか。私は認めてもよい考えています。理由は確かに自動車は個人で所有するものだが不動産とは異なり商品価値は動産であり引渡しでも可能である。現実にレンタカーは引渡しで契約は成立すると私は考える。
<まとめ>
最初に結論に第三者に対抗できないは不可能であると述べた。確かに条文では対抗要件としてあるのは事実である。しかし善意ならばともかく悪意で行った行為まで第三者が勝利するのは問題が残る。私は第三者が勝利するのは競争原理から言っても分かりやすいが当事者の認識範囲外での行為まで司法が認めることには異議がある。例えば第三者の存在を当事者が認識していた場合はその後当事者が取引に瑕疵があると主張しても無効にするなど認識のなき過失を争点にしてはどうかと思う。現在のような強迫行為は96条で保護されるが詐欺は保護されないのは道義的におかしいと感じる。いくら当事者の信頼関係にたても嘘も方便では済まされないと感じる。日本では騙すも騙されるほうも悪いとされており余り問題にはならなかった背景も存在するのではないか。だが詐欺にあった人がいてただ過失と断定するのは現実的に乱暴である。対抗問題は完全説は不可能だと考えられる。
<参考文献>
内田 貴 「民法T第4版 総則・物権総論」
小野寺智子
物権変動とは、「誰のものか」を明らかにする、私たちが生活するにおいて欠かすことのできない権利の動きである。
誰のものか=所有権が誰に存在するかであるが、所有権はどのように与えられ、つかむことができるのだろうか。考え方としては2つ存在し、他人の権利を引き継ぐ承継取得と自分のところで新しく権利を発生させる原始取得がある。承継取得は「買う・もらう」、原始取得は「つかみ続ける」に値するものだ。これらの取得に関して、問題が発生しなければいいのだが、さまざまな場合を想定し考えていくと「誰のものか」が大きく変わってくる。ここで重要となる条文がある。民法177条『不動産に関する物権の変動の対抗要件』、通称『公示の原則』、民法192条『即時取得』、通称『公信の原則』だ。177条は「不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成16年法律第123号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。」、192条は「取引行為によって、平穏に、かつ、公然と動産の占有を始めた者は、善意であり、かつ、過失がないときは、即時にその動産について行使する権利を取得する。」と定めている。公示の原則は不動産、公信の原則は動産に対して効力を発揮する。以下、さまざまな想定をして考えていきたい。
まずは不動産について。不動産とは、例として家や普通自動車などがある。公示の原則、つまり対抗問題(早い者勝ち)であると述べたが、その適用の要件は「悪いでもよい/登記が必要」というものだ。登記とは、法に定められた一定の事柄を帳簿や台帳に記載することをいう。不動産に対する登記の効力・判例については、このように述べてある。「不動産に関する物権の得喪変更(物権変動)を第三者に対抗するためには、不動産登記(権利に関する登記)をする必要がある(民法177条)。例えば、不動産を購入した者は、売買契約によって所有権を取得する(民法176条。意思主義)が、その登記を怠ると、第三者に所有権を主張できないという不利益を受ける(場合によっては所有権を失うこともある)。これは、登記を信頼して取引に入った第三者を保護するとともに、このような不利益を受けないために権利者が登記を具備するよう促すことによって、実際の権利関係と登記が一致する状態を維持するためである。これによって、登記を信頼して取引関係に入ることが可能になり、取引の安全が担保されるのである。ただし、以上とは逆に、実際には無権利者であるのに、権利者であるかのような登記がされていたとしても、これを信頼して無権利者から買い受けた者は保護されない(不動産登記には公信力がない)。もっとも、真の権利者が虚偽の登記の作出に自ら関与していたり、虚偽の登記を知りながら放置していたりして、真の権利者に帰責性がある場合には、民法94条2項(虚偽表示)を類推適用し、登記名義人から善意で取得した第三者は、権利を取得するとする判例がある。これは、一定の場合に限って公信力を認めたのと同様の効果を生むこととなる。」
今あげた登記は、取消・時効・相続の前後で「誰のもの」になるかが変わってくる。少しだけ、この3つと登記との関係性をみてみたい。まずは取消。取消登記については第3者の存在が非常に深く影響していく。簡単に言うと、不動産などが復数人の手に渡って自分の所に来たとき、どのような関係が成り立つかはっきりさせることになる。取消前の場合については、ある人から土地を紹介してもらって買ったとする。しかしその土地には詐欺的な要素が含まれていて、自分に売ってきた人は詐欺を利用してその土地を購入し、現状自分が所有していることになる。このときに自分が詐欺的なことを知っているか知っていないかが大きな問題になってくる。知らなかった場合、詐欺にあった人からの影響は受けないが、もし知っていた場合は詐欺にあった人からの影響を強く受けることになる。また、この場合登記の有無は影響してこない。取消後の場合、上記の場合で詐欺にあっていることがわかり、詐欺にあった人は詐欺をして購入しようとした人、つまり自分に土地を売ろうとした人との売買の契約を破棄したとする。しかし土地自体は自分に売られたことになる。このようなとき、土地の所有者とは登記をより早くした人のものとなる。自分が詐欺にあった人よりも早くすれば土地は自分のものとなる。
次に時効。最初に取得時効完成時に、その不動産などの所有者になっている人は、完全にその不動産の所有権を有することができることになる。この時登記は原則必要ない。また所得時効によって所有権が移っているときに、第三者が所有権登記をしたとしてもこれは効果を持たないとされている。取得時効が成立している段階で、第三者の対抗に登記は必要とされない。この取得時効による所有権の登記を行う場合は、所有権の移転登記という扱いを受ける。
最後に相続。相続登記は、基本的に期限が設けられておらず、いつでも行うことができる。また、登記をする義務もない。だからといってこの登記をしないでおくと後に多くの手続きが必要になったり、問題に発展したりすることもあるので、手続きはしておくべきである。登記簿に載っている所有権を持っている人が亡くなっているので、相続をしただけではその不動産を自由に扱うことはできないことになる。また不動産をそのままにしておき、登記などの変更をしておかないと、それは事実上相続人を大量に作ることになる。
では、もう一方の動産について見ていきたい。動産は、不動産以外のもので、例えば宝石や軽自動車・未登録車などがある。ここで軽自動車・未登録車としたのには理由があり、自動車は動産と不動産に分けられ、普通乗用車は不動産に分類されるからだ。動産に対する所有権などの物権の設定・移転も意思表示のみによって行うことができるが、通常、不動産のような登記制度はない。そのかわり、動産の場合には引渡し(占有)が対抗要件とされている。つまり、その動産の占有を取得すれば、その動産の所有者であると主張することができるとしたのである。しかし、占有改定が認められているため、実際にある動産を直接占有している人がその動産の所有者とは限らない。よって引渡しでは登記制度ほど明確に権利関係を公示できるわけではない。そこで、相手方の占有を信頼して取引した者を保護するために、動産の占有には公信力が与えられている。つまり、取引の相手方がある動産を適法に所持していると信じ、かつそう信じたことについて過失がなければ、たとえ泥棒などの無権限者から動産を購入した場合でも有効に所有権を取得できるという即時取得=善意取得が認められている。要件は、「善意無過失」であることだ。善意無過失とは、注意していて、かつ知らなかったことを指す。
動産にしても不動産にしても詐欺、脅迫、未成年者、無権代理、取消・時効・相続の前後など状況によってどちらに所有権が渡るかが決まる。不動産をA→B→C(第三者)間で見ていくと、取消の場合は、取消前ならばA、取消後ならCに所有権がいく。これは、当事者問題と対抗問題として考えている。時効の場合(取得時効の成立前後)は、時効成立前ならばA、時効成立後ならばCに所有権がいく。これは前記述と民法162条『@20年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得する。A10年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その占有の開始の時に、善意であり、かつ、過失がなかったときは、その所有権を取得する。』に基づくものである。相続の場合は、相続前は遺産分割協議に結果次第でAにもCにもなりうるが、相続後はCのものになる。同じように動産も見ていくと、詐欺(=意思表示の瑕疵)の場合はC、脅迫の場合はA、未成年の場合もAにそれぞれ所有権がいくようになっている。詐欺の場合がCである理由は、詐欺自体に引っかかったAのも落ち度がある、という見解があるからである。脅迫も未成年者もA自身に落ち度があるというわけではないので、上記のような結果になる。また、A→B→C(善意無過失)→Dの場合、Dには即時取得=善意取得の適用があるが、Cにはない。なぜかというと、もしあるとするならば、制限行為能力者制度と脅迫による取消制度の意味がなくなってしまうからだ。
現行の民法上では、以上が判例・通説である。これに対して私は以下の2つに少し疑問を抱いた。1つ目は対抗問題についてである。法律という根拠になっている以上は仕方がないと思う反面、「早い者勝ち」で果たしていいのだろうか、と思う。決して反対なわけではないが、なぜか腑に落ちない部分があるのは正直なところである。だが、私が思う「双方の話し合いで解決する」という中途半端な折衷案のような法律ができるわけではないし、できたとしても法律的というよりは道徳的な話になってしまうので、はっきり定められている方がまだいいのかもしれない。2つ目は、時効と登記についてである。9年なのか、11年なのかによって、所有権が誰にあるのかが天地をひっくり返したように変わってしまうのには大変驚きがある。仮に私がこのような状況に置かれた場合、きっと納得がいかないだろう。時効前でも時効後でもどちらにしても1年くらい良いのではないかと思ってしまう。でもそこは、法律があってこそ私たちの生活や社会全体が成り立っていると解さねばならない。私は、上記のことに真っ向から反論するわけでは全くなく、概ね判例・通説に納得がいっている。対抗問題と時効と登記の関係性にも多少疑問を抱いていても絶対に現在の民法に規定されていることが間違っている、変えたほうがいいとは思わない。むしろ、この現行の民法の中で私たちがどれだけやってくことができるか、どれだけ物権変動に関心を持てるのかが重要だ。そして最終的には自分に利益が得られるように考えていくべきである。
【参考文献】
ウィキペディア「物権変動」「動産」http://ja.wikipedia.org/wiki/
民法を学ぶ・基本編2−8 http://sky.geocities.jp/gomanobenkyo/mpb/mpb25.htm
不動産を取得しただけじゃまだあなたのモノじゃない!? http://www.theulsterscots.com/
石坂直人
物権変動とは社会的強者を有利とする極めて資本主義的な物の取引の総称である。
取引は全世界の社会を作りあげている。
この世の中に生き続ける限り人間は常に「物」を取得している。何も取得していなければ服すらも着ることができないのである。では物を取得するためにはどのような行為をすればいいのだろうか。まず最初に挙げられるのがその物と同等の対価を払って他人から所有する権利を譲ってもらう事。これは誰もが行っている売買契約である。その物に設定された値段という価値に見合うお金を払う、払った時点から物を取得することができている。また他人と物を交換するという場合も存在する。このような取引は数十円といった小さな取引から土地や物件といった何億といった取引まで様々である。この様々な取引があるからこそ資本主義の社会は成り立っているのである。この世にある動産と不動産この二つの変動で世界は動いているということになる。このようなとても大きな行為の根幹を担う法令であるのだからさぞ完璧にこの世の中で暮らす人の全ての取引を保証しているのかと思うとそうでもない側面が見えてくるのである。
物を取引する場合における基本的なルールと強者
この世に一番多く行われている行為が取引行為であるということは言わずもがなである。皆が真面目に働きそれで得たお金を使い物品交換の取引を行う。これだけでこの世が回れば万々歳なのであるが実際はそうはいかないのである。この取引行為を知り尽くしお金を儲けようとする人が少なからずいるのである。これが世に言う詐欺であったり脅迫などの行為である。このような被害にあってしまったとき取引の根幹である物権変動はどのように対応をするのか。これを知るためには二つの原則を知る必要がある。まず一つ目は公信の原則である。これは主に動産の取引の原則を定めていて民法192条に明記されている。そしてもう一つが公示の原則である。これは不動産の取引の原則を定めており民法177条に明記されている。わざわざ二種類に分けているということは物の種類によって根幹の考え方が変わるということである。ここで難しいのが自動車の定義付けである。車は動くのだから動産ではないのかと考えるのが普通であるがそれは違い、660cc以下の軽自動車を動産としそれ以上を不動産とするのである。これは知らなければ制度上とても不利になることであり、無知である弱者を遠ざけているような印象をうける。そしてこの二つの原則をただ文字だけ見てみると片方は「信」もう片方は「示」という差がある。字から推測出来る事は信じた者を保護するというものと明確に何かの権利を示す事が出来る者を保護するというものである。この二つの原則が保護している人物は全くの真逆であることがわかる。これは何を表しているのだろうか、これをさらに追求していくことで物権変動のさらに根幹まで理解することができるのではないだろうか。
善意と効力を持つ権利
この世の中は明確な証拠があって初めてその行為が認められる、だからその例に漏れず取引行為にも同じことが言える。一番身近なものといえばレシートである、ここには何を買っていくら払ったかが明確に明記されていて簡単に取引行為を確認することができる。これは動産や料理などの取引に使われる証明書であるが不動産はどうだろうか。これは登記がそれに当たるであろう。実際に民法177条には「不動産に関する物権の得喪及び変更は、・・・その他登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。」と明記されているのである。法令の一つの条文に二度もその単語が出てきているということは登記がいかに不動産取引にとって重要な役割を持っているのかを表している。なぜここまで重要であるのか、それは登記が取引に対して持っている効力があまりにも大きいからである。先程も書いたようにこの世は証拠がなければ何も主張することができません。登記は不動産における証拠となるのである、これを対抗要件という。基本的に取引は二人の間で起こるものであるがごく稀に二人以上の人数を伴って取引行為が行われることがある、この時に焦点となるのが登記と善意である。実際の例を挙げてみるとXYZという三人がおりYが詐欺を行いXから建物と登記を貰いさらにXが何も知らず善意であったZにその建物を取引して渡した。このYZ間の取引が終了した後にXが詐欺にあった事に気づきXY間の取引を取り消そうとした場合、その建物はXとZどちらの物になるだろうか。結論から言うとこの場合はZが善意であるので民法96条3項の「善意の第三者に対抗できない」という条文からZの物となるのである。ではZが善意ではなく元からYがXから騙して物件を得ていた事を知っていた場合はどうなるのか。今度は結果が真逆になり民法96条1項の「相手方がその事実を知っていたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。」という条文によってXの物となるのである。この例からわかるように取引を行いそれに問題が発生したとき対抗要件を取得しているのは大前提であり、さらには取引したときに善意であって何も知らなかったかどうかという事もとても重要になってくるのである。
取得方法の種類
取引をしているということは物を渡す人と貰う人がいるということであるこの取得の方法によっても法律によって多くの種類にわけることができる。このためには当事者と第三者の存在を理解しておかなくてはならないまず当事者同士における売買取引によって取得されるのが承継取得である。ほとんどの契約はこの継承取得で行われており例えば売買や贈与さらには権利者の死亡による相続なども「売った前者に権利があることを前提としてその物を使う権利をそのまま引き継ぐ。」といったくくりになる。よって権利状態をそのまま引き継ぐというのは、前者が有した権利に付随する状態も引き継ぐということである。例えば、土地(所有権)の売買の際に、対象の土地に地上権や抵当権が設定されている場合には、その地上権や抵当権がついたまま所有権が移転するということである。この継承取得に第三者が介入をするとこれ以外にも取引が行われる事によってさらに難しい問題となってくる。例えば取消の例で出したBが詐欺などでAを騙して得た権利を第三者にその権利を引き継いだ場合は継承取得ではなく善意取得となる。これは即時取得とも言い換えられ善意の第三者を保護するべきであるという内面重視の意思主義の側面を持っていてきちんとした権利だと信じて他人と取引をして平穏かつ公然に動産占有を得た者がその動産の所有権や質権をもつという権利である。そのため第三者が悪意を持っていたりもしくはBがAを騙して権利を勝手に取得していることを知りながら売買を行なった場合は取引契約は破棄される。この善意取得は善意を信じて売買契約を行う情報的弱者の権利を保護するとても良い法令であると自分は思う。しかしこのような権利を行使し権利を得たということは剥奪された人もいるのである。このような争いは人間が生きている限り続くのであろう。
物権変動において争われやすい例と矛盾
物は人間が生きていくためにはなくてはならないものである。あるがゆえに人と人の間で取得権をめぐって争いが起きるのである。ここではよく扱われる三種類の要件について考えてみたいと思う。まず一つめが相続である。これも例を挙げて説明すると父であるAが死亡して遺書を残したここには一家の財産である家の相続について書かれていた。これによると兄であるBにこの家を相続すると書かれている。しかしこの時に弟であるCには借金がありその債務者であるDに登記を渡してしまったのである。この時に家は誰の物になるのだろうか。ここではAの物であるかCの物であるかが焦点となる。法定相続であるならAの物となり、遺産分割協議の結果Cの相続分となった場合はCの物となる。この時無関係な債権者Dには即時取得の適用がありCが勝った場合は自動的にDの物となるがCにはこの即時取得は認められない。なぜならば制限行為能力者制度や脅迫による取消制度の意見の根幹を崩してしまいかねないからである。これが遺産をめぐる相続の物権変動である。二つ目が取消の物権変動である。これは前項に書いた事例があたる。詐欺や脅迫さらに制限行為能力者による勝手な取引が行われた場合にこの取消が焦点となる。もう一つが時効の物権変動である。これは民法162条に所有権の所得事項として明記されている。ここでは物権の時効について考えたい。この民法162条1項には二十年間所有の意思を持ち平穏かつ公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得する。と書かれており2項では十年間・・・その占有を開始の時に、善意であり、かつ、過失がなかった時は、その所有権を取得する。と明記されている。この規定から分かる事は所有権を取得し名言するためのボーダーラインは十年であり二十年を超えると完全に自分の物となるということである。今回の時効の問題はこの十年というラインを超えているか超えていないかが焦点となる。例、女Eと男Fがおりこの二人は愛人契約を結んでいた。この時愛人契約を結ぶ代わりとしてFがEに家を買い与えた。この時購入にあたり登記はFが持っている事になった。それから数年後EとFの仲は険悪となり愛人関係は破棄それに伴いFはEの住んでいた家を第三者のGに売却した。この場合家の所得者はEとGのどちらになるだろうか。まずEの完全な占有期間がGによる侵害無しで九年だった場合(時効不成立)は当事者問題となりEの物となり逆にEの完全な占有期間が十年であった場合(時効成立)は対抗問題によりGの物となる。これは前にやった取消と同じであり至極真っ当に思われる。しかしよく考えてみると物権変動の大きすぎる矛盾と穴に気がつく。これを認めてしまうと不動産の時効取得の意味が無くなってしまうのである。取得前の九年間占有でEの勝ちで取得後の十年占有でGの勝ちここから導かれる答えは形にこだわり過ぎる日本の法律の難点である。
よりよき世界を作り上げるには
強者を保護し弱者を放置する。聞こえはとても悪いが社会もしくは国が成長するには一番簡単な方法である。しかしこのような方法でのし上がってきた国に人は集まるのだろうか。戦争等の争いは一人の人が始めるわけではない、国全体が争うという結論を出して初めて戦争が始まるのである。これはとてもさみしいことである。日本はとても豊かで平和な国である。これは先人たちが努力し築き上げてくれたものである、それならば我々がその築き上げてきたものをさらによりよくしていくべきではないか。そのために今自分は物権変動の一つの型にはめようとする形式を批判する。言論思想の自由が保証されている今だからこそ今ある法律をもう一度見直し本当に保護すべき助けを求めている人に日の 目をあてるべきなのではないだろうか。
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