竹内信行

<問題提起1>

日本では少子化が問題となっているが、現状では特に対策はないと考えている。

だが手を加えるならば、今の日本人の気質そのものを変える政策をするべきだ。

その1つはすなわち、年功序列の完全廃止だ。

 

 

<法律婚の国>

 日本は法律婚の国である。市役所へ行き、婚姻届を提出することで結婚ができる。

アメリカのMarriage Certificateと似ている。しかし両国ではその意味が違う。

 アメリカをはじめキリスト教原理主義の国では、婚姻は三位一体の神との契約だ。

したがって離婚は原則不可である。Marriage Certificateも認可された人間しか作れないようになっている。

同じ書面でも、アメリカの方がより厳格なのだ。

対して日本はあくまで人と人との契約である。仏教の目的は煩悩を捨てることにあるため、

不幸な結婚(煩悩)を捨てる手段として離婚がある、という具合である。

 

 効果としてはやはり、不倫防止と身分証明だろう。

不倫防止は言うまでもないが、相続権を主張する時や、離婚の際の慰謝料請求などではほぼ絶対的な力を有する。

デメリットとしては、手続きに手間がかかることだが、結婚という人生で重要な事を成すならば、

対価としては十分だと考える。

しかしこれが少子化の原因になっているのではないかという意見がある。

 

 

 

<事実婚の国>

 スウェーデンのSamboとは、簡単に言えば結婚お試し制度である。

これは同棲が社会的に認められていることを示すが、あくまでも結婚とは別である。

Sambo(事実婚)のとき、相互扶助義務は発生しない。どんな実態だったとしてもあくまで

結婚していない二者となる。よって申請なしでは父親になれず、片方が死ぬ時、

あるいは離婚する時に財産移転でトラブルの種になりやすい。

この対策としてSamboavtalという遺言書のような契約書があるが、そこまでして事実婚にこだわる理由があるだろうか。

 フランスではPact Civil De SolidalitePACS)という民事連帯契約がある。

こちらはSamboavtalを法律化したものだが、やることはやはり契約書の作成と裁判所への提出であり、あまり違いはない。

こちらの制度が作られた背景もやはり、事実婚での相続問題である。

 

 やはり事実婚にも相応のデメリットは存在するため、導入することに対して慎重な姿勢をとることは当然である。

また、事実婚が発展した原因は、キリスト教原理主義に基づく離婚、堕胎厳禁である。

これを回避する目的もあり、これらの制度が作られたのならば、

離婚も堕胎も禁止されていない日本がわざわざ取り入れるべき制度とは言い難い。

メリットが少ないからだ。

少子化解消を目指すことは良いことではあるが、国の歴史も宗教も完全に無視した制度を導入し、

一方で社会問題を一つ増やしていては本末転倒であり、将来瓦解する可能性が比較的高い。

事実婚が少子化の決定的打開策であると証明されない限り、これに関して日本は現状維持すべきだ。

 

 

<本当の少子化対策とは>

 しかし上記の国をはじめ、いくつかの国は実際に出生率を持ち直している。私はこの事から、

少子化の対策は別にあるのではないかと考えている。その一つが子育ての環境整備だ。

 まずSamboのあるスウェーデンだが、育児休暇制度が整っているため、休業中でも八割の所得が保障されている。

実際に出産した女性の七割が一年以上の育児休暇をとっている。また残業も少ないため、働きながら子育てができる。

またSambo制度により、結婚していなくても法的には同様に扱われる。

フランスではPACSが存在することもあって、事実婚カップルやシングルマザーであっても

夫婦と同レベルの社会福祉を受けることができる。さらに育児と勤労を両立がしやすい。

また、子供が多いほど課税が安くなることも魅力である。

ちなみにイギリスではフレックス制度の奨励、公教育の立て直し、外国人の出産無料など政府主導で動いている。

また全体的に支出が増加している面はあるが、低コスト化したり、投資と割り切ったりと国により様々である。

 

 上記3国で共通しているのは三点。一つは政府が積極的に行動していること。もう一つは、夫婦が子供を生み育てる際、

デメリットが発生していない、あるいは発生しにくくなっている点。最後は、これら諸国は1900年年代には

既に少子化対策に取り組んでいた点である。もはや言うまでもないが、日本は政策実施が遅いばかりでなく、質そのものが

低い。高齢者ばかりを優遇し、未来の担い手である若者を蔑ろにしている。これが原因である、と本来なら考えるのだが、

ここで私は少し考えを深め、本質的な原因の一つは日本がアレンジした儒教由来の年功序列が

少子高齢化に拍車をかけている事と予想する。なぜならば、日本は現在少子「高齢化」社会だからだ。

この二つに関連性がないとは言い切れないはずである。

この原因を具体的に言えば、年功序列による一律的な年長者の社会的地位と収入の高さが該当するだろう。

よって方向性としては、若者にもっとチャンスを与える国にすることが目標である。

現在では実力主義の企業が現れるようになっているが、まだ足りない。

将来を見据えた政策をするならば、この年功序列を排除するように立ちまわるべきではないだろうか。

 

 

 

<広い配慮>

日本ではあまり目立たないが、同性愛者の存在も忘れてはならない。

アメリカではCivil Unionと言い、同性愛者などの婚姻を認める制度もある。

またfood stampという補助的栄養支援プログラムもある。

ようするに金券の一種なのだが、この国民に対する広い配慮も

日本には欠けているように思える。

また出生地主義Due Process of Lawなど汎用性が高い。

 

 

 

<問題提起2>

次は出産の点から少子化の原因を探る。

私は代理母制度も人口妊娠中絶も基本的に賛成だが、実際に両方が完全に合法化するとは考えにくい。

そして少子化の解決策の一つとなりえるが、更なる問題も引き起こすので現状維持に徹するべきだ。

 

 

<宗教の違い>

争点はどちらも同じで、ヒトがヒトを殺しても良いかどうかという点であるが、

宗教的に見れば、やはり神の有無は大きな要因である。

キリスト教では、生きとし生けるもの全てを創造した三位一体の唯一神が有名であるが、仏教には神がいない。

厳密に言うと、仏教での神は超常の力を持った存在という解釈である。

キリスト教は教義書「ディダケー」にあるように、神からの贈りものである胎児を殺すことは罪であるとする。

一方仏教はこれを悪いことと認識しているが、場合によってはアリというスタンスである。

基本的にどちらも中絶と代理母は禁止だ。

 

 

<日本の中絶>

日本での人工妊娠中絶は国内では条件次第で合法となっているが、

キリスト教文化圏からすれば、攻撃目標としか見られていない。

国際化が進めば自然とそれらの国と関わる機会が増えるだろう。

だがそのとき、彼らが友好な態度で接してくるとは限らない。

つまり更なる問題とは、この宗教的摩擦のことだ。

規制緩和などと軽はずみな行動をとると後から大きな痛手となるだろう。

 

 

<代理母の実例>

向井亜紀さんという方はアメリカにて代理出産をした人物だ。

こちらはどうしても「遺伝子を継いた子供」を産みたくて代理母という選択をしたケースで、

2人の子宝に恵まれた。

バッシングもかなりあったようだが、それほどまでに遺伝子にこだわるのはもはや賞賛に値する。

しかし成功したから良いものの、危険な道のりであったことは明らかだ。

現制度では、わざわざ外国まで行くところから、コーディネーター、代理母、出産、戸籍取得などと

トラブルのオンパレードである。

したがって、これだけでは代理母容認へ世論が動くことはないだろう。

これをどう受け止めるかは個人次第だが、私は必ずしも良い話とは思えない。

 

 

 

<代理母制度への反論>

そもそも代理母(Surrogate Mother)はなぜ批判の的なのだろうか。とても多いのでいくつかピックアップする。

まずは契約違反である。

契約を無視し生まれた子供の親が卵の提供者か代理母なのかという点でしばしば揉め事が起きるのだ。

実際に有名な事件ではベビーM事件というものがあった。

こちらは最高裁にて、代理母契約を無効とし、実際に産んだ代理母が母親と認定された。

また、場合によっては入出国に影響を及ぼす。

次は宗教、文化的批判である。

代理母自体が人間に許されている行為なのかどうかという点で疑問があるからだ。

命を軽々しく扱いすぎている部分はたしかにある。

2006年には母が娘の代理として懐胎、出産したケースが存在する。

生命を弄んでいると言われても反論は難しいだろう。

 

 

<キリスト教の『誕生』>

 ここで奇妙な話をする。キリスト教徒内の代理出産容認派の話だ。

キリスト教では、ヒトの誕生は胚(受精卵)からとされている。だとすれば、これを凍結、破壊することは

すなわち殺人である。そのためバチカンのあるイタリアでは未受精卵の研究ばかりが進んでいるほどだ。

しかしキリスト教徒の中の代理出産容認派は、この事実を理解していないという話がある。

これはクリスチャンなら無視できないはずだ。

凍結されている胚は10万。これは彼らからすればどういうことなのだろうか。

 

 

<結局>

つまり生命に関しての価値観が世界共通ではないため、少子化はおろか制度そのものが

成立し難い状況にある。加えてリスクが大きい。需要がゼロではないにしても、

世界の大多数の人々がそれを認めようとしないだろう。

しかし子を産めない女性たちには気の毒な話であることも事実である。

彼女らには罪はないのだ。救える者がいるとしたら、それは社会そのものしかないだろう。

現状維持とは言ったものの、妥協策などを一考することもあるいは必要なのかもしれない。

 

 

 

 

猪股俊介

『 少子化と法 』

 

 

Chapter.0 〜 現行法と少子化問題の関連性に対する私的見解 〜

 

 

アメリカを含む諸外国の制度と日本の制度の比較から、見習わなければならない点はできる限り早期の取り入れを目指すべきであろう。社会制度の安定が家庭並びに子の育つ環境に与える影響はとても大きく、もしそこに少子化問題が存在した場合、それを解決に向かわせるだけの莫大なエネルギーを秘めていると見ても良い。

 

 

Chapter.1 〜 法の基本理念 〜

 

 

さて、様々な話に入る前に法の支配(法治主義)におけるひとつの法の理念について触れておきたい。それが 「due process of law」 であり、法に基づく適正手続きを意味している。刑罰を受ける際にその手続きが法律に則ったものでなければならないということ。また、その法の実体も適正であることも要求されるということの意味がある。刑事における罪刑法定主義と並ぶ刑事法の原則である。アメリカでは、アメリカ合衆国憲法修正5条および14条がこれを定めており、日本と異なり両条文の効力が及ぶ範囲は刑事事件のみならず民事事件にも及ぶ。すなわち、修正5条は(連邦政府に対し)適正手続なしに個人の財産等を奪ってはならない旨定め、修正14条は州政府に対し同様の適正手続の保障を要求する。これは民事訴訟手続において訴訟当事者が適正に訴状の送達を受け、手続において適正に自己の主張を述べる機会を与えられ、公平な裁判官による判決を受ける権利を有することを意味している。さらに、修正14条は州の対人管轄を限界づける機能をも有している。日本における憲法学の学説では、「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」とする日本国憲法第31条がデュー・プロセス・オブ・ローの原則を示したものである。これについての代表的判例として、第三者所有物没収事件(最高裁判所昭和371128日大法廷判決)がある。最高裁判所は、「第三者の所有物を没収する場合、告知・弁解・防御の機会が必要である」との見解を出し、これを欠く関税法の規定は憲法31条に違反すると判示した。なお、この手続きは刑事手続について定めたものであるが、行政手続にも該当するという学説が有力である。なお、根拠は日本国憲法第13条を根拠とする説、同31条を根拠とする説、31条を類推適用・準用する説に分かれている。

 

 

Chapter.2 〜 婚姻のあり方・離婚 〜

 

 

社会現象としての婚姻は、もちろん民法ができる以前から存在しており、名称としては婚姻よりも「結婚」という表現を用いることが多い。また、婚姻そのものをどう捉えるかということも様々であり、離婚を含めて各国の文化・宗教等の要素が色濃く反映されている。一見すると結婚式や披露宴といった慣習の儀式が多く絡んでいるため、婚姻と法律の関係性と言われてもピンとこないことも多いが、それは我が国が法律婚主義を採用しているところの影響が大きい。婚姻という契約プロセスを経て生じた効力(権利義務関係)や財産の扱いについて、法律の中で事細かに規定が置かれているのだ。では、婚姻とは「婚姻届」という書類を通じてする法律婚主義が全てなのだろうか。それは外国の婚姻のあり方に目を向ければ一目瞭然であり、この問に対する答えは「否」である。外国での婚姻において重要なのは先に挙げた「結婚式」という慣習儀式であり、法的な手続きではない(ここで発行されるMarriage Certificateこと結婚証明書が生活において重要な役割を果たす)。まして、アメリカを例に挙げるならば、アメリカは出生地主義なので戸籍制度もない。このような婚姻のあり方を法律婚主義に対して事実婚主義という。また、先に述べた通り日本では法律婚主義が採用されているのだが、事実婚的なあり方が存在しないのかというとそうでもない。基本的に法的には認められてこそいないものの、数としてはそれなりにあり、事実婚ではなく内縁と呼ばれている。

 

次に離婚についてである。日本での婚姻の解消原因としてあげられるのが「夫婦の一方の死亡」・「夫婦の一方が失踪宣言を受けた場合 (31条→法律上の死亡)」・「離婚」の3つである。とはいえ、実際上で見れば事実婚(内縁は事実婚”状態”であって事実婚そのものではない)であっても、婚姻の状態が崩れることを離婚と定義するならば解消原因もほぼ同様であろう。離婚に対する考え方は、文化の影響というのもあるが日本と欧米では全くと言っていいほど違い、婚姻に対する考え方の大きな違いでもあるので、その歴史は是非取り上げておきたい。まず始めに、欧米では古来(古代ローマ時代)離婚が認められていた。しかし、その後のキリスト教の影響により、ヨーロッパでは離婚を認めないという伝統が長く続くことになる。「神が結び合わせたものを、人が離してはいけない(マタイ福音書19章より)」という思想である。つまり婚姻とは人と神との間に交わされた契約という認識なのである。この後、英国国教会の離婚法を含め1970年代前後から離婚に対する考え方がやや変わり、裁判離婚ではあるが認める方針をとるようになる。しかし、元々が認めずにやってきたということもあり、西欧には未だ離婚に対する制限的な発想が残っているという点には注意したい。それに対し、日本の離婚法の特色は、古来離婚に対する宗教的な拘束がなかったというところにある。婚姻の契約に対する考え方も人と人の間に交わされたものという認識であり、比較的取り消すという行為に抵抗があるということもなかったのである。よって、西欧に比べ離婚制度の導入もかなり早く、その形式も協議離婚が中心という簡易なものであった。歴史的な例としては大宝律令(701)の七去や東慶寺の千姫にまつわる話(江戸時代)、三行半の離縁状などが有名である。

 

 

Chapter.3 〜 日本の事実婚(内縁)・外国の事実婚 〜

 

 

チャプター1をふまえて 「では、夫婦とはなにか?」 という問いを投げかけられると、それは 「好き合った者同士が、互いに寄り添って暮らす様」以外にほかならない。だが、内縁の実情が多いにもかかわらず、日本は法律婚の形式を頑として崩さない。あり方を変える必要性はないのだろうか。私はこの問の答えとして 「変える必要性はない」と考えており、その理由は以下のとおりである。

 

まず一つ目に 「婚姻に対する考え方の変化とその対応」 についてである。ここでいう婚姻に対する考え方とは、愛情の形の多様化に伴う「同性婚」 について主に取り扱う。海外では既に認められているケースも多い同性婚だが、これを認めないということは果たして個人に認められる権利に反するのか。現に2014年6月に青森県の女性カップルが青森市役所に婚姻届を提出したところ、同市は憲法を根拠に受理しなかったという例があった。私はこの事例に対し当然のことだとの見解を示すが、なにも私が同性愛者に対して厳しく当たっているかということではない。この事例に登場する憲法とは、おそらく第24条第1項の 「両性の合意」 というところである。民法上で 「親族」 というように親がいれば子もおり、それについて規定しているのが親族・相続法だ。なにも、結婚した者同士の間には子がいなければならないという規定はないが、もし子に関する規定を除いて見てみると、ほぼ当事者間の問題として事実婚関係でも処理できる事柄のほうが多い。つまりは、敢えて法的に認めるということで得られるメリットというのがない (ひどく言えば「自己満足」でしかない)。誰も(特定の団体等は除く)彼らの愛情を妨げる者はいないし、ともに住んだり性行為に及ぶことを批難しようとは思わない。同性愛者の結婚式が法的に禁止されているわけでもない。これは愛の形の変容への国民理解の問題であり、わざわざ法が関与する問題ではないのである。まして、法とは何かという問題にまで遡ると、マイノリティよりはマジョリティを優先して作られているものだというのは当たり前である。また、法である以上意味を持たせなければならない。そう考えると、マイノリティへ向けた特別法の作成には特段の事情が必要なのである。よって、無理に外国に合わせる必要もなければ、遅れているという考え方すらどこかおかしいように私は感じる。ところで、この件の考え方を使うと「夫婦別姓」 の問題も簡単に考えることができる。無論こちらの問題では同性婚のみならず異性婚も絡んでくるのだが、子を成さない場合にのみ限り認めればよいのだ。「子を成さない場合にのみ限る」としたのは、言わずもがな社会的な混乱を避ける必要性からである。(これは後に述べる子に関する章でも関係する)

 

二つ目に、法律婚の関係では内縁の財産分与が認められることはないのだが、法律婚という形を取らない以上は財産分与も比較的自由であるという裏道があるのではないか。相続等においても遺言がその役割をすることで機能させることができるだろう。事実婚的なあり方も上で述べた通り、夫婦の形の変容への国民理解の問題なのである。だだし、この項で述べた事実婚・内縁の関係とは不誠実でないことを前提とするべきだ。既に結婚している者が他の者と内縁関係を結ぶなどもっての外であり、そのような場合に保護されるべきは実婚の家族である。基本実婚の方が、財産的面では内縁よりも有利な部分は多い。しかし、法によって婚姻ということに意味を持たせている以上、どんなに生活を支えていた度合いが内縁の家族の方が上の場合でさえ、貫くべき正義はそこに存在するものだと私は思う(それほど神経質にならなければならないものなのである)。よって、そのような場合は内縁家族と実婚家族との間で、財産に関する協議を持って決めるのが妥当であろう。また、内助の功がある内縁者を置き去りに他者と結婚しようとした相手方がいた場合(つまりは両者結婚以前)は、内縁の妻に優先を置く特例があるべきである。

 

最後に少子化問題との向きあいである。同性愛が大多数を占めるという事態を現状から想像するというのはなかなかに難しい。しかし、子供ができないカップルの増加というのは少子化問題へと直結しないのだろうか。私の中ではその結論として、両性愛者(バイ)でもない限りは単に独身であり、子供が生まれる可能性というのはほぼないので、同性婚を認めるか否かは直接的な関係ではないという考えに至った。とはいえ、同性愛者は養子をとれというのもおかしな話であり、そこで事実上国内の子供の数が増えたということにはならない。だが、最近は科学技術・医療技術の発展により、もしかすると同性愛者間の実子もありえるのではないかという話題も耳にする。それについては後の章の中で触れていきたいと思う。

 

さて、ここまで 「日本の婚姻のあり方が外国に染まる必要性はない」 という視点で国内の内縁問題に関して触れてきたのだが、その外国の事実婚制度にはどのようなものがあるのだろうか。まず、英米法的な例を挙げるとシビル・ユニオン(英語: civil unionまたはシビル・パートナーシップ(英語: civil partnership)と呼ばれるものがある。これは、結婚に似た「法的に承認されたパートナーシップ関係」を指す言葉である。同性間カップルに対しても異性間の結婚と同様の法的地位を求める社会運動の高まりを受けて、1989年にデンマークで始まり、その後先進国の多くで同名もしくは似た名称での法整備が進んでいる。ブラジルやニュージーランド、ウルグアイ、フランス、アメリカ合衆国のハワイ州、イリノイ州などでは、異性間カップルに対しても同制度の適用が認められている。イギリスの例をはじめ、シビル・ユニオン制度のある国では、他国で採用されている同様の制度を自国の制度と等しく扱うことが多い。

 

別の例を挙げるならば、フランスの民事連帯契約 (通称 Pacte Civil de Solidarité よりPACS パックスと呼ばれる)というものがある。民事連帯契約(通称PACS)とは、共同生活を営むカップル (内縁者) を対象とし、同性カップル、異性カップルを問わず、法的婚姻関係になるカップルと同等の権利を認め公証する制度である。当事者自身が相互の権利と義務の関係を決め契約内容にした契約書を自由に作成し、それを裁判所に提出して公証してもらう。すると、契約破棄(離婚に相当)は、両者の同意は不要で一方からの通告のみでよいことになっている。もともとフランスでは、婚姻や離婚に関する法律的な条件が日本などに比較すると厳しい(例えば、日本なら可能な協議離婚ができない。よって、相続法の関係で事実婚は内縁関係でなく「事業契約」と同等と見なされるため、パートナーの一方が死亡した場合、残された相手の生活に必要な財産が保護されない等)。そこで、このような制度が要請されたと思われる。そのため、同性愛者のカップルだけでなく、同棲はしていても何らかの理由で結婚できない・したくない異性愛のカップルが、同性カップルと同様、PACSを利用する。近年では、同性カップルよりも異性カップルのPACS締結数の方が格段に多くなっている。

 

 

Chapter.4 〜 日本の福祉・アメリカの福祉 〜

 

 

さて、前章では日本と外国との間の事実婚制度の違いについて見てきたが、福祉制度並びに法体系の違いとしてはどのようなものが挙げられるのだろうか。日本における社会福祉で代表的なものには生活保護法があり、その中で生活扶助や住宅扶助、医療扶助に母子手当といった事柄について事細かに決められている。それはwelfare(大きな政府)の哲学の下、統一法的な法体系をとってきたことによるものである。対して、アメリカの福祉法は日本の生活保護法のような統一法による対処ではなく個別法の形をとっている。その例としてはSSI (補足的生活保障)TANF (貧困家庭一時扶助)SNAP (補助栄養支援プログラム=俗称Food stamp)などがある。これはworkfare(小さな政府)の哲学の下、個別法的な法体系をとってきたことによるものである。

 

 

Chapter.5 〜 出産への考え方の違い 〜

 

 

親族法のレポートでも取り上げたが、アメリカでは既に借り腹・代理母(surrogate mother)に対する理解が広まっておりビジネス化も進んでいる。実用的なものはどんどん取り入れていこうという実にアメリカらしいスタイルではあるが、先進的であればあるほど、他国よりも先にその問題やそこから生じる事件に会う確率というのも高い。その一例として、ベビーM事件という借り腹の親が赤ん坊をつれて逃走するという事件も起こった。新しいからこそ見えない落とし穴を塞ぐ作業というのは必ず要求されることになるのだが、画期的な制度であることには違いない。判例法主義の国ではあるが、今後その落とし穴をしっかりと塞ぐ政策がなされることに期待したいものである。

 

さて、いかに出産に対する認識が進んでいても、文化的には受け入れられない制度というものもある。それが人工妊娠中絶である。日本では年間の中絶件数を全て正規出生率に当てられたならば、少子化が解決してしまうだろうというほどの件数の人工妊娠中絶が行われていることは親族法のレポートにて紹介した。しかし、キリスト教が信仰されている国では、この人工妊娠中絶に対する評価は極めて低い(禁止)。この裏にあるものがキリスト教原理主義である。

 

 

Chapter.6 〜 少子化と法、見習いたい点 〜

 

 

さて、ここまで日本と外国の婚姻や福祉、事実婚に対する考え方、出産に対する考え方の違いを見てきたが、私が日本法と少子化を照らして思うこととして関連性は薄いということである (親族レポートより)。しかし、福祉の面で見習わなければならないと思ったのはフードスタンプ制などの弱者救済政策である。日本の生活保護は、現状弱者の無限救済の状態である。しかしながら、年々増える生活保護に対して当てられる国家予算は増えるばかりで、このままでは税金を上げたところで日本という国家は破綻してしまうのは目に見えている。そこで目をつけたのがworkfareの考え方であり、期間を設けての弱者救済をするというあり方である。同様に、国内における生活保護での現物支給への論争はやまないものの、決して目的外使用が不可能なフードスタンプ制は是非取り入れるべきものである。今、アメリカを含めた国々でTPP等の問題が持ちきりであるが、何もかもを西欧に倣う必要性こそないものの、政策面でのいいとこ取りということができないのかというと決してそうではないと私は考える。よって、他国からなにを吸収するべきなのか、それを見抜く目が日本(の役人)には求められているのである。対外関係としてはなかなかに忙しい今の日本であるが、今後更なる国家の成長があることを祈り本レポートの締めとする。

 

以上

 

 

 

 

 

< 目次 >

 

. 現行法と少子化問題の関連性に対する私的見解

. 法の基本理念

. 婚姻のあり方・離婚

. 日本の事実婚(内縁)・外国の事実婚

. 日本の福祉・アメリカの福祉

. 出産への考え方の違い

. 少子化と法、見習いたい点

 

 

 

< 参考・引用に用いた書籍、又はサイト >

 

授業ノート

 

Wikipedia 項目 (デュー・プロセス・オブ・ロー / 民事連帯契約 / シビル・ユニオン / キリスト教原理主義)

 

 

 

 

渡邉 将

英米法レポート 

 

 少子化対策は海外の国に学ぶべきだ

 

はじめに

高齢社会の問題の根源は高齢者の数の増加であるが、わが国では同時に起こっている少子化、すなわち若者の減少が一層深刻な問題である。老人の頑張りにはいくら定年を延長しても限界があるので、若者の減少は国力がどんどん落ちていくことを意味している。世界のために大きな貢献をする力を持っている筈の日本が若者の数を減らしていくのは、自国にとっても世界にとっても好ましいことではない。少子化の原因である出生率の低下は、1970 年以降に大抵の先進諸国に見られるようになったが、日本では特に少子化の速度が際立って大きく、地球上で最も早く社会問題化している。この困難な問題を乗り切って、将来の日本を健全に維持してゆくためにも、また遅かれ早かれこれに取り組む必要が出てくるアジア諸国をはじめとする他の国々に模範を示すためにも、日本はこの問題に真剣に取り組まねばならない。少子化問題の解決は、日本が自国のため、また世界のために果たさねばならない極めて重要な課題の一つである。

 

 

日本の少子化原因は何か

 

  働く女性が増えたことによる晩婚化

  仕事をしながら子育てをするというのには現在十分な環境が整っているとはいえない状態ですね。そのような状況下で女性の晩婚化が進み、少子化の原因となっているとも言われています。ちなみに最近のデータでは、初婚の平均年齢は夫30.8歳。妻29.2歳。初産の平均年齢は30.3歳と過去最高を更新し続けている。

 

  核家族化による少子化

  昔は、ひとつ屋根の下におじいちゃん、おばぁちゃんもいっしょに住んでいた家庭が多かったわけですが、現在では核家族化、つまりおじいちゃん、おばぁちゃんと離れて暮らす家庭が増えています。すると、3人、4人の子供を育てることが難しくなる。

 

  子育てに対する金銭的負担増

  最近のデータでは、幼稚園から大学までの教育費は約1400万円〜2000万円ほどかかるといわれます。単純計算でふたりいれば、その倍ですから子育てにかかる経済的負担が大きすぎる問題。アメリカではFood stamp制度がある。低所者があれば男性でも受給できる。配給食品の指定もありません。受給資格年収の上限は低く、かなりの低所得者でなければ受給できません。

 だが、この政策は、少子化対策に働くはずだ。

 

  価値観の変化

  結婚をして子供を持つということを夢描いている人も多い一方、自由や気軽さを望む傾向の強い人も増えてきています。人それぞれの考え方なので否定はできませんが、少子化問題の観点からのみ見れば、これも少子化の一要因といえます。

 

 

 

日本とアメリカの人口妊娠中絶

 

 人口妊娠中絶

日本特有の問題。日本の人工妊娠中絶は、そのほとんどが「経済的理由」ということで行なわれているために、健康保険によってカヴァーされていない。中絶費用も五万円から一五万円と施設によってかなりの差があって、公正な費用はいくらなのかが不明であるばかりでなく、高額なので大きな負担となっている。これまで一般に「経済的理由」といわれてきているが、優生保護法は、「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれがあるもの」と規定している。理由は「身体的」か「経済的」であっても、結果として母体の健康を著しく害する場合に人口妊娠中絶が受けられることになっていて、あくまでも健康の問題としているのである。さらに「女子差別撤廃条約」は、女性の生殖に関 する自己決定権を実質的に保障することを求めていて、すべての人工妊娠中絶費用を健康保険でカヴァーすべきであるという方向を提示している。この点に関しては、早急に現状を是正していく必要がある。また、アメリカにおいて出生し、またはこれに帰化し、その管轄権に服するすべての者は、アメリカおよびその居住する州の市民である。いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定あるいは施行してはならない。またいかなる州も、正当な法の手続きによらないで、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒んではならない。 このDue Process of low(適正手続)とEqual Protection(法の下の平等)というところから様々な権利が導かれてきている。アメリカのキリスト原理主義の者は神、キリストの教えを忠実に守っている。ポルノは姦淫の罪を犯すことになります。中絶は、神が生命を与えてくださったのだから、それを人間が拒絶することは、神の御心に反すると考えるわけです。しかしこの考えは、レイプされて妊娠した場合でも中絶できないことになり、人権無視の発想であるという強い批判があります。

  

 

日本と外国の制度、考えの違い

 

出生による国籍取得は血統主義(日本)出生地主義(アメリカ)に大別されます。血統主義は国家が自国国民から生まれた子に国籍を認めるもので、国家の構成員たる資格は親から子へ伝承されるべきものであるという考えに立っています。出生地主義は国家が自国内で生まれた子に国籍の取得を認めるもので地縁関係によって国家の構成員の資格を与えるものです。出生に伴う出生地との地縁関係の発生は、出生地における地域社会の構成員である住民の資格の取得を意味する、したがって自国内で生まれて住民としてその文化に同化した者を自国民とすることには合理性が認められるとするのが出生地主義の根拠である。

 

 200311月、マサチューセッツ州最高裁判所は「州憲法では"結婚"を男性と

女性の間のものとは限定しておらず、同性結婚を認めていない行政の対応は違憲

である」との画期的な判断を下した。この判決の6ヶ月後の2004517日から州

 政府は同性結婚を申請するカップルに対しても「結婚証明書」marriage certificateを発行しなければならなくなった。それに反発したのが現在の州知事を中心とする共和党(保守派)の勢力である。「結婚なんて、わざわざ定義しなくても当然、男性と女性

の間のものに決まっているじゃないか」というのが彼らの主張であり、それなら

州憲法修正を2月の議会にかけた。リベラル派の民主党勢力との度重なる議論の末、州議会は「結婚は男性と女性の間のものと定義する。同性のカップルに対しては(「結婚」とは呼ばず)"civil union"とし、結婚と同等の権利を認める」という修正案を僅差で可決した。実際にこの修正案が施行されるためには200611月に住民投票を行い可決されなければならないが、州政府は差し止めを求めている(20044月現在)。つまり、"civil union"という別の名詞(定義)をつくって、「結婚」の「純潔」を守っている。

 私の率直な感想は、「"結婚"の定義ってそんなに曖昧だったのか」という驚き

 である。日本に暮らしていると「同性結婚」なんてものがあるというのは全く想

 像できない。しかし、アメリカは、男性、女性に限らず同性の

 カップルが街で手をつないで歩いているということはテレビや、インターネット等で知っていた。彼らは互いに愛を誓い、一緒に生活をし、ときには養子を引き取って二人で子供を育ててもいるのだ。"Sex and the city""Will & Grace"といった人気テレビドラマにはそうした同性カップルのキャラクターがレギュラーで出てくるし、とくに若い年代のア

 メリカ人にとって同性カップルは列記とした一つの愛の形として認められている

 ようである。 では何が問題なのか?面白いことに、賛成派、反対派にしろ、彼らが主と

 してこだわっているのは「結婚」という言葉の定義なのである。「結婚」は異性

の間だけのものか、同性の間でも言うことができるのか。マサチューセッツ州議

 会は「結婚は異性間のみ」とする州憲法修正案を可決したが、反対も多い。しか

 も、今後、住民投票をへて可決されるまで、まだ道は長い。その間に、まだまだ

世論は変っていくだろう。

 

 日本の代理母出産surrogate motherについては、生殖補助医療の進展を受けて日本産科婦人科学会が198310月に決定した会告により、自主規制が行われているため、国内では原則として実施されていない。しかし、代理母出産そのものを規制する法制度は現在まで未整備となっている。代理母surrogate motherが認められているアメリカの代理出産の歴史において忘れてはならない出来事に、ベビーM事件がある。それは、1985年にスターン夫婦と代理出産契約を結んだメアリーベス・ホワイトヘッドが、人工授精[*1]によって子どもを妊娠、出産するも、出産後子どもの引き渡しを拒否して逃亡し、依頼人夫婦に訴えられた事件である。州最高裁判所が代理母契約を無効とする判決を下し、子の父親はスターン、母親はホワイトヘッドであると認められた。判決だけをみると代理母の勝利のようにも思われるが、実際には経済的に裕福な父親に養育権が与えられたため、ホワイトヘッドは子どもと暮らすことは出来ず、訪問権が認められただけとなった(大野2009)。

現在では、代理出産のほとんどは体外受精型となっている。ベビーM事件は、代理出産が広まりつつあった80年代後半のアメリカにおいて、本当の親はいったい誰なのか、という問題を改めて突き付けて高い社会的関心を喚起し、その後の各国の法整備に与えた影響は大きいと考える。

 

 

日本の少子化の対策

 

ここでフランスに見られ、日本にはない家族形態について述べたい。フランスでは婚姻によらない非嫡出子が新生児の半分を占めている。これを可能にするのが民事連帯契約、パックス(PACSPacte civil de solidaritéである。 パックスは19991115日法に基づき、結婚しないカップルにも法的な権利を認める制度であり、いわば結婚と同棲の中間に位置する(図2参照) 。パックスによるカップルは、戸籍を書き換えないままで、課税や社会保障の受給において結婚している場合と変わらない法の保護を受けることがで

きる。このことは家族形態の自由度が高く、結婚しないまま子を産んでも結婚する場合と比べて損にならないと言い換えることができる。このように、フランスの家族政策は結婚を前提とした日本の家族政策と相違があることには注意が必要であるが、フランスの制度から学ぶべきことは多いように思われる。これまで日本はおおむね単一民族で移民を受け入れず、一億総中流、あるいは婚姻による夫婦とその嫡出子2名という標準世帯の概念にあったように、家族形態には一定のモデルがあり、これに基づき政策が決められてきた。しかし貧富の格差が顕著になり、社会階層の多様化が始まっている現在、子育て支援政策は社会の変化に即応できているとはいえないのではないだろうか。1980年代には出生率が日本とフランスで並んだ時期があったが、その後は大きく引き離されている。同じ先進国でありながら、フランスが出生率の回復において成功を収めているのはなぜだろうか。

 フランスでは保育学校に3歳からほぼ全児童が通うという。保育料が無料であり、子育てを社会全体の問題と捉え、誰もが平等に就学前から教育保育を受けることが可能である。このことは、日本とフランスとの育児の負担の違いの大きさを感じる。フランスは自国の将来を守るため、その将来を担う子どもたちの発達を総合的に保障しようという姿勢が、無償、3歳児以上の受け入れ保障、給食と延長、課外保育システムといった点に現れ、

先進諸国の中でも高い出生率を維持できている理由であるといえる。日本においても幼保一体化の議論を進めるにあたり、社会全体で子どもを育て、誰もが安心して子育てできるように、3歳以上児の保育料の負担軽減を図ることの検討は必要と考える。財源の問

題もあり保育料を無料にすることは難しいが、就学前の教育保育が低料金で受けることができれば、保護者の経済的負担の軽減から安心して育児ができることで、出生率の上昇に繋がるのではないだろうか。

 

 

 

 

出典

 

英米法と日本法 田中英夫

 

英米法入門 植田 淳

 

 

 

 

 

根岸俊暢

「英米法」(水・3限)レポート 法学部法津学科4年 根岸俊暢(11J107021)

 

授業におきましては、日頃からお世話になっております。

今期は教育実習があり、あまり授業に参加出来なかったこともあり、今まで以上に図書館やインターネットを使用し、調査・研究を深めました。

以下にレポートを提出させて頂きますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

 

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1.結論

私はさまざまな価値観を尊重し、従来の家族の形以外の家族も受け入れられる社会にする為に柔軟な法解釈及び法改正が必要であると考える。

 

 

2.日本とアメリカの国籍取得について

日本では、血統主義を採用しており、日本国籍の取得は国籍法第二条によって定められている。@出生の時に父又は母が日本国民である場合。A出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民である場合日本で生まれの場合。B父又は母が不明の時の場合。帰化を除く、通常の手続きの場合にはこの三つの場合のみで日本国籍を取得することが出来る。

日本の年間の出生数は、第1次ベビーブーム期には約270人、第2次ベビーブーム期には約200万人であった。

しかし、1984年には150万人を割り込み、1991年以降は増加と減少を繰り返しながら、現在は緩やかな減少傾向となっている。

アメリカでは出生地主義を採用しており、アメリカ合衆国憲法の市民権条項によって定められている。アメリカ領土内で出生した子、合衆国市民の父及び母の下に生まれた子がアメリカ合衆国市民となる。

アメリカでは1960年に約1億8000万人、1980年に約1億2600万人と増加し、現在も人口が増加している。

 

 

3.日本や諸外国での家族・夫婦・親子関係の有り方について

日本では父・母・子どもという伝統的な家族構成が重んじられており、結婚に関しても同性カップルは役所に婚姻届を提出しても受理されない。

アメリカにおいて夫婦の有り方を問う裁判として、連邦裁判所で2013年から同性婚を禁じるカリフォルニアの州法「提案8号」の妥当性を問う審理が始まっており、結婚は男女間だけのものであるとする連邦法「結婚防衛法」が憲法違反であるかを問うこととなっている。

この裁判では「何人も、大陪審による告発または正式起訴によるのでなければ、死刑を科しうる罪その他の破廉恥罪につき公訴を提起されることは無い。但し、陸海軍内で発生した事件、または、戦争もしくは公共の危機に際し現に軍務に従事する民兵団の中で発生した事件については、この限りでない。何人も、同一の犯罪に ついて、重ねて生命または身体の危険にさらされることはない。何人も、刑事事件において、自己に不利な証人となることを強制されない。何人も、法の適正な過程によらずに、生命、自由または財産を奪わ れることはない。何人も、正当な補償なしに、私有財産を公共の用のために収用されることはない。」と定められているアメリカ合衆国憲法本文第5章のDue Process of Lawに反するものであると原告は主張しています。

また、アメリカ以外の国においても、Civil Unionという運動が1989年にデンマークで始まった。Civil Unionとは法律上の婚姻ではないが一定の関係にある異性あるいは同性同士で一定の手続きの上、法律婚と同様あるいは類似する法的権利を認められているカップルのことである。

この運動により、先進国では多くで同名もしくは似た名称での法整備が進んでいる。アメリカではバーモント州にて2000年に初めて成立し、ニューハンプシャー州、カリフォルニア州、コロンビア特別区、ワシントン州、オレゴン州で成立をしている。この制度に関しては現実的な選択として、これまで同性間カップルに認められていなかった法的権利(例えば、病院における家族としての面会権や財産分与など)の解消へ向けて前進したとして好意的な意見がある一方で結婚と異なる別の地位を生み出すなどと批判をしている専門家もおり賛否両論があるのが現状である。

このCivil Unionと似たような政策がフランスのPacte Civil de Solidaritéであり、1999年に成立したのである。

フランス民法の第515−1条の「同性または異性の成人2名による、共同生活を結ぶために締結される契約」を指しており、同性愛者間のエイズ流行が問題となり、死別した同性カップルの残された側には住居等に関する法定権利がない事態への対処策として検討され、同性愛者の生活を保護し、保証制度を制定するよう求めたことがこの法律の始まりである。

この法律は同性・異性を問わず成人年齢に達した者同士が安定した共同生活を営めるようするために法的婚姻関係を結ぶカップルと同等の権利を認め公証するものである。現在(2014年)の契約件数は総計10万件を超え、そのうちの9割以上が異性カップルによる契約で占められている。

また、カナダにおいては同性婚が認められていて、カナダ非居住者にもMarriage Certificateを発行してくれるという制度がある。19歳以上であること(16〜19歳未満は、両親の同意が必要)、2名以上の結婚の証人が必要などの制約があり、カナダ国内のみ有効ではあるものの、ゲイやレズビアンなどの同性カップルがカナダで結婚式を挙げて、Marriage Certificateを取得するケースもある。

カナダのように同性愛カップルの結婚を認めている国はオランダ、ベルギー、デンマーク、ポルトガル、スペイン、ノルウェー 、スウェーデン、アイスランド、フランス、アメリカの一部の州(マサチューセッツ・アイオワ・ワシントン・ニューヨークなど)が合法であり、イギリス(イングランド、ウェールズのみ)も今年、同性結婚法を施行の予定である。

日本では、同性結婚を明示的に禁止する法律はないものの、民法や戸籍法の上では同性結婚が認められていない。そのため、同性同士の結婚が認められていない為に、比較的簡単に出来る養子縁組を代替手段として用いることが多い。

近年は欧米などでの同性婚合法化の波を受け、日本国内においても同性婚の実現を求める声も上がり始めている。日本国憲法第24条1項に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と、そして2項では「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」とあり、「結婚は夫と婦(妻)、両性のものだ」と明記されている。

同性婚の禁止あるいは同性愛者の差別や排除を意図したものではないが、憲法上の結婚を「結婚は夫と婦、両性のもの」と定義してしまったため、「憲法を改正しなければ、同性婚は法的に成立しない」という意見が法律の専門家では一般的な解釈である。

現在、国会などで同性結婚に関する討論は行なわれていないものの、政策に盛り込む政党はある。2012年の総選挙において、社会民主党は、「フランスのPACSをモデルとした新制度の創設を目指す」としたほか、日本共産党は「欧米各国を参考に、現在の結婚に代わるパートナー制度の導入を目指す」とした。 みんなの党や連立与党の公明党は同性婚やパートナー制度には言及していないものの、「性的マイノリティーの権利擁護を目指す」とする公約を発表している。

同性愛者いわゆるゲイのタレント(マツコデラックス、IKKOなど)がその言動などから支持を集めている中、以前より、同性愛者そのものが社会から受け入れられているように感じる。

周囲から色眼鏡で見られることが少なくなってきた今だからこそ、家族・夫婦・子どもの有り方を政治家・専門家だけではなく、日本の社会全体が考える時が来ている。

同性カップルだけでなく、友人同士でも使えるようなパートナーシップ法が出来れば、みんなが支えあっていく社会が出来て、孤独死などの社会問題も解決へのきっかけとなるはずだ。

世の中がさまざまな価値観を受け入れられつつあり、そのようなさまざまな価値観を本当の意味で社会が受け入れるためには柔軟な法解釈や法整備が必要不可欠である。

現代社会において、全ての家族が夫・妻・子どもである必要がなく、男性同士の夫婦や女性同士の夫婦がいたりすることがあっても良いはずだ。

また、子どもを欲しくても世の中では病気を持っていて産めない夫婦も存在する。分娩しただけの人が親といえるわけではないので、このような子どもを希望する夫婦に代理出産を行えるように法改正や社会が受け入れることも必要である。

そして、同性カップルであっても子どもが欲しい人もいるはずだ。そのような人のために代理母を可能とするように法整備をすべきである。

さまざまな価値観の人間がいて、多様化しているこの世の中において、1つの考えが正しいということはなく、さまざまな考えを排除せずに考えるべきである。

大切であるのは愛情であり子どもが必要としているのは、「安全で安心、かつ愛のある家庭」である。家にいるのが2人のお母さんでも、2人のお父さんでも、1人のお母さんでも、1人のお父さんでも、そんなことは関係ないと胸を張って言えるような社会を日本は目指すべきである。

 

 

4.親子とは

日本国内ではSurrogate Motherは日本産科婦人科学会が1983年10月に決定した会告により、自主規制が行われているため、原則として実施されていない。

Surrogate Motherが議論になるのは、法律の解釈上の問題があり、そもそも日本には代理出産に関する法律がないのである。法律上、代理出産は禁止も許可もされていないのである。現行の民法ができたのは100年以上前であり、当時は高度な生殖補助医療もDAN鑑定もなかったので想定されていないのである。

そのため最高裁は1962年、母と子の関係は「分娩の事実により発生」、つまり出産という事実によって成立するとの判断を示しています。民法は生殖補助医療を使った出産を想定していなく、ずっと子どもを妊娠・出産した女性を「母」とすることが前提となっていたのです。従って2007年に最高裁は、代理出産による子どもを実子とする届け出を認めない判決を出した。

アメリカにおいては、アメリカ国内で代理出産が始まったのは、1970年代後半であり、現在に至るまでに3万5千件以上の代理出産が行なわれてきたとされている。

1990年後半までは人工授精型のトラディショナル・サロガシーが大半を占めいていましたが、医学の発展した今日では、体外受精型のジェステイショナル・サロガシーと呼ばれる代理出産の方式が主流となっている。

アメリカでも、1985年に研究者の夫と小児科医の妻のスターン夫妻が、無職の女性ホワイトヘッドさんと人工授精による代理母契約を結び、スターン氏の精子によってホワイトヘッドさんが人工授精をうけ、健康な子どもを分娩すれば成功報酬として1万ドルを受け取るという契約があった。

しかし、分娩後にホワイトヘッドさんが子ども(仮名で「ベビーM」と呼ばれていた)をスターン夫妻に引き渡すことを拒否したために、契約通りの子どもの引き渡しを求めるスターン夫妻との裁判となった。いったんは州の高裁で、代理母契約を認め、代理母ではなくスターン夫妻に親権を認める判決が下された。だが、その後の1988年の最高裁判決は、代理母契約を無効としたうえで、母親をホワイトヘッドさんと認めたが、スターン氏に親としての適格性があるとして、母親に訪問権は認めたものの、親権はスターン氏に認めた判決である。これがベビーM事件である。

 

 

5.宗教観・倫理観と妊娠・出産

人工妊娠中絶に臨む姿勢は宗教観に左右される。

キリスト教でもさまざまな宗派があり、宗派によっても考え方が異なっており、カトリック教会は、胎児は受胎の瞬間から生命であり、その生存する権利を侵すことはできないとする立場をとっています。また、教会法には人工妊娠中絶を行う医療従事者の破門処分が明記されています。

プロテスタント教会は、人工妊娠中絶を殺人罪とみなす保守的な会派(キリスト教原理主義等)と、中絶を容認する会派(自由主義神学、フェミニスト神学等)とに分かれています。キリスト教の中でも最も右派に位置する伝統的な家族の価値擁護を唱えるキリスト教原理主義は中絶は殺人とみなし、人工妊娠中絶した医者は地獄に落ちると考えており、同宗教の信者が堕胎を行う産婦人科医が殺害される事件も発生している。

ユダヤ教では、胎児は頭部形成の時点で人間となるとの解釈から、妊娠初期の中絶については女性の選択肢として容認されている。

イスラム教では、人間の過剰増加は神の意思に反するとの解釈もあり、母体の生命を救うための処置としては容認されている。

仏教では、人工妊娠中絶も殺生とみなされますが、動機に問題がなければ容認されます。仏教の考えでは、生命は輪廻の中の位置づけであり、やむを得ず中絶された生命も輪廻に組み込まれるという意味でこの世に生を受けた生命と同じであると考えているからである。

ヒンズー教は、インドの人口爆発問題が背景にある可能性があり、中絶を容認している。

アジア諸国に多くみられる民間信仰では、胎児期・乳幼児期は人間界と神の住む世界との中間に漂う存在とされ、胎児や乳幼児の死そのものに寛容である場合が多い。

 

 

6.日本とアメリカの少子化対策

日本の少子化対策は、手をつけたのが遅ければ、使っているお金もわずかでと言える。

2009年に「子ども手当」や「高等学校無償化」を民主党政権が政権交代の政策の要として、一応は実現をした。

しかし、子ども手当に関しては東日本大震災の影響により、以前からあった自民党政権下での「児童手当」とほぼ同額となってしまった。

最近の社会保障給付(2010年)の内訳は、それぞれ高齢者対策予算が68%、子育て支援予算が3%となっていて少子化対策予算化非常に少ないのが現状である。

早くから少子化に着目していたヨーロッパ各国では、制度を色々と整備して子育てしやすい環境作りに腐心し、少子化の進行を食い止める事に成功している。

しかし、出生率の低下が止まったいるが、予算を減らすと、出生率が再び低下してしまうのである。ヨーロッパ各国はお金の力で少子化を何とかしているだけであり、根本的な部分においては何も解決してはいないのである。

アメリカも、第二次世界大戦後のベビーブームが終わると、出生率が2人を割り込んでしまったのであるが、その後に持ち直して1990年以降は2人をキープしている。

アメリカ政府は少子化対策には熱心ではなく、使われている予算もそんなに多くはなかったのである。

アメリカの場合は、政府があまり子育て環境整備に関与しない代わりに、民間企業が非常に熱心になって仕事と子育てを両立出来る環境作りに取り組んだのである。

優秀な女性を、子育てのために離職させるのはもったいないから、いい人材を確保するためには子育てしやすい職場環境を整備するのは必須だと考えたのである。

企業により、社内に託児所を設ける所もあれば、フレックスタイム制を推進して両親が勤務時間をずらす事によって子供の面倒を見れる様にすることや、在宅勤務を推進して子守りしながら仕事する環境を作ったりもしたのである。

また、主に貧困層に対する少子化対策という観点からFood Stamp(正式名称:補助的栄養支援プログラム)と呼ばれる公的扶助の一環で、低所得者向けに行われ、食料品の購入に使える金券を配布する食料費補助対策を行った。

しかし、あまり少子化対策には効果がなく、今後5年間の連邦農業支出の大枠を定める新農業法案をを今年1月に下院が採択し、今後10年でFoodStampの支出を160億ドル削減すると推定される。

日本も生活保護などセーフティネットではアメリカより優れているが、少子化の進行状況は断然劣っている。

待機児童問題などの解決のために、「親が働いている・いない」にかかわらず利用できる施設である、小学校未就学児を対象とした、幼稚園と保育所を一体化させた「認定子ども園」などの設置を推進したり、小学生を対象とした放課後児童クラブの充実を図り、女性の社会進出と子育ての両立を推進してきた。

地方自治体レベルにおいても独自に子育て支援を充実しているところがあり、東京都世田谷区では放課後学童クラブを国の政策以上に充実されており、放課後の遊び場所を提供するBOP(Base Of Playing)事業と放課後児童クラブの機能とを統合した新BOP事業を展開している。

国の政策においても、平成25年に内閣府特命担当大臣(少子化対策)の下で、「少子化危機突破タスクフォース」が実施され、これまで少子化対策として取り組んできた「子育て支援」及び「働き方改革」をより一層強化するとともに、「結婚・妊娠・出産支援」を新たな対策の柱として打ち出すことにより、これらを「3本の矢」として推進することを決定した。

この方針決定は「結婚をする人が増えなければ、必然的に子どもは増えない」当たり前のことがやっと政府がわかったという結果であるが、伝統的な家族構成が重んじるほど日本の少子化は進行するはずであり、さまざまな価値観に溢れている現代社会において家族の有り方、子どもの有り方の正解は存在しない。

さまざまな価値観を尊重し、その人にあった方法を選択出来るような個人が柔軟な考え方が導き出し、それにあった柔軟な法整備を政府が進めることが必要不可欠である。

 

 

<参考文献>

 

(インターネット)

・アバウト ザ USA

  http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-constitution-amendment.html   (2014/7/23アクセス)

・AFP BB NEWS

  http://www.afpbb.com/articles/-/2387881?pid=                               2014/7/23アクセス)

・力戦戦法

  http://blog.goo.ne.jp/kimkimlr/e/6f997602541ba03928e7e79f1171d0a3            2014/7/23アクセス)

allabout

  http://allabout.co.jp/gm/gc/223549/                                         2014/7/24アクセス)

・不妊治療の道草

  http://torimama.exblog.jp/4542632                                             2014/7/24アクセス)

・WEBBLION辞書

http://www.weblio.jp/                                                        2014/7/25アクセス)

・新BOP−東京都世田谷区

http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/103/131/499/d00007374.html           (2014/7/25アクセス)

・内閣府 平成26年版少子化社会対策白書

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2014/26pdfgaiyoh/26gaiyoh.html

                    2014/7/26アクセス)

 

(書籍)

・ローレンス・コトリコフ   (2005年)  「破産する未来 少子高齢化と米国経済」  日本経済新聞社

・松田 茂樹        (2013年)  「少子化論」                     勁草書房

・井上 正仁        (2012年)  「有斐閣判例六法 平成25年版」         有斐閣

 

 

 

 

下青木 純

少子化と法

結論 

事実婚を形式婚と同じ法的地位を認めれば、少子化をとめられると私は考える。

1.中絶・少子化と代理母の心情

 日本は現在少子化に悩まされている。人口構成が変わらずに、総人口が減るだけなら、大きな問題は無いと思われるが、子供が減り続けていき、高齢者が増えるのであれば、働く人の割合が低下。
そうすると、働く人が減ると同時に、ひとり当たりの面倒をみないといけない人の割合が多くなり、年金等の社会保障制度の負担が大きくなり、働く人が減ることにより経済成長が鈍化するなど様々のデメリットが生まれる。門題の中の一つとして、未婚化・非婚化の進行、結婚しない人、できない人が増えている。

2010年の国勢調査によると、25〜39歳の未婚率は、男女ともに引き続き上昇しており、男性では、25〜29歳で71.8%、30〜34歳で47.3%、35〜39歳で35.6%、女性では、25〜29歳で60.3%、30〜34歳で34.5%、35〜39歳で23.1%となっている。

このような問題があるにもかかわらず、人工妊娠中絶という言葉を聞かない日はない。日本における中絶件数は、年間約290,000件で、年々減少傾向にある。しかし、全体的な少子化傾向にあることを考えると、人口との比率ではあまり減少しているとは言い難い。
世界的に見ると中絶件数は年間4500万件を超えていて、そのうちの約2000万件は安全でない方法で中絶が行われているとされる。
中絶の一般的なイメージとしては、10代・20代の経済的にまだ十分でない世代が行うというものが強いが、実際には30代・40代の女性の中絶も多く、妊娠の可能性がある女性すべてに関連する事だと言える。
10代の頃は特に、経済的や精神的な余裕から出産にいたるよりも中絶を選ぶ事が多く、妊娠したうちの半数以上の65%ほどは中絶を選んでいる。

子供が欲しいと考えていても、子宮がんで子宮を全摘した場合など生むことのできない人も数多くいる。そこで、Surrogate Mother(代理母)のお腹をかりて妊娠・出産をする代理出産という制度もとられている。

問題点も多々あり、原則的には国内では実施されていない。特別養子制度を使うことで、日本でも代理母出産をすることができる。しかし、倫理上の観点から、医師会はこの方法を基本的には容認していない。アメリカなど、この方法が数多く実施されている国に行くしかないと考えてもよいであろう。代理母が出産をして解決するということは、あまりなく、代理母が子供に情を持ってしまうケースも珍しくはない。アメリカでは、この問題が深刻化しており、確かに自分自身のお腹で育てた子にそういった感情を持つことは仕方ないことであると思う。

ここで代理母の問題となった起源でもある事例を述べたいと思う。

社会的に注目をされた「ベビーM事件」である。1985年、研究者の夫と小児科医の妻のスターン夫妻が、無職の女性ホワイトヘッドさんと人工授精による代理母契約を結んだというのがその発端である。スターン氏の精子によってホワイトヘッドさんが人工授精をうけ、健康な子どもを分娩すれば成功報酬として1万ドルを受け取るという内容のものだった。

 つまり、いわゆる「借り腹」というわけではなく、ホワイトヘッドさんの卵子を用いた体外授精で、遺伝子的にはスターン氏とホワイトヘッドさんの子どもということになる。

 分娩後に、ホワイトヘッドさんが子ども(仮名で「ベビーM」と呼ばれた)をスターン夫妻に引き渡すことを拒否したために、契約通りの子どもの引き渡しを求めるスターン夫妻との裁判となったわけだ。

 いったんは州の高裁で、代理母契約を認め、代理母ではなくスターン夫妻に親権を認める判決が下された。だが、その後の最高裁判決(1988年)では、代理母契約を無効としたうえで、母親をホワイトヘッドさんと認めたが、スターン氏に親としての適格性があるとして親権を認めた(母親は訪問権のみ)。これは、離婚後の親権に関する裁判での判断と似通った内容だ。

私は事件に関して、権利や義務で白黒つける必要性があるとはいえ、出産に関する問題には、どの母親にも義務とか権利とかいう言葉ではうまく表現できない感情が横たわっているだけだと思う。

 ただ、それも理解した上で、代理出産や体外受精は認めるべきだ。

ただし、最終手段といった風潮は崩してはいけないと思うし、今まで代理出産で起きた問題や批判を代理出産にのぞむ人はしっかり考えるべきだ。一番大切であると考えるのは、親になるという自覚を持つことであると私は思う。

またこの事件があったアメリカ合衆国では国民の80パーセントがキリスト教を信じている。キリスト教原理主義では「中絶の禁止」が訴えられている。先ほど述べた日本の少子化問題を考えると複雑になる。日本には宗教というものに馴染みがないから、こういう制度も可能にすることはできない。ただ、中絶を禁止にすれば日本も少子化対策になり、よりよい環境ができるとも思えない。「生まれた子供がどんな一生を送るか」という考えをもつと中絶禁止ということを徹底するのも難しいであろう。

 

2.海外の現状

 日本では結婚率が年々減少してきている生涯未婚率(50歳時の未婚率)は上昇を続けており、2010年には、男性で20.1%、女性でも10.6%に達している。男2割、女1割が結婚しない社会となってきているのである。少子化の要因としても近年は未婚率の上昇が注目されている。これまで、20代後半〜30代後半がおおむね未婚率上昇のピークであったのが、200510年になって、ピークが男女とも40歳代前半となっている。晩婚化の側面が消え、未婚化の側面だけが目立つようになってきている。

 また日本での結婚率が減少している理由として出生地主義に関する問題もあげられるであろう。出生地主義とは、国籍取得において出生地した国の国籍が付与されると言う方式のことである。現在、アメリカ合衆国、カナダ等で採用されている。近年、国籍を1つのブランドであると考えて、アメリカで出産をしてアメリカの国籍を得るという事例があるが、いかがなものかと思う。血統主義より、その国で生まれた事を重視する事で、移民の多い国を「一つの国」としてまとめていくことがメリットと言えるであろう。日本はもともと血統主義をとっているから、日本で子供を産むべきである。

 結婚率が下がっているというなか、アメリカなどではCivil Unionという結婚似た、同性間カップルに対しても異性間の結婚と同様の法的地位を認めるものもある。私は同性愛者の方がいることに対しては責められないと思うが、それを法という形で合法化するのはどうかと思った。子孫を残すという形を考えると、真っ向から対立していると思うし、間接的に子孫を残さない法律を作っている気がした。Civil Unionに心から賛成はできないが、賛成も反対もそういう形を置いていない、日本はある意味恵まれていると思う。さらにPacte Civil de Solidarité(民事連帯契約)という同性または異性の成人2名による、共同生活を結ぶために締結される契約もある。これはフランスの民法改正に伴って認められ、これが原因で結婚率は減少しているのではないかと私は考えた。だがフランスは出生率も高く、法律上の結婚以外の契約で事実婚が増え、その結果、婚外子が増えたからだろう、という意見があるが誤解である。PACSがあることで法律上の結婚をしなくなった人の割合が増加し、婚外子の割合が増えた(1994年:37.2%→2011年:55.8%)が、増えたのは、婚外子の「割合」であり、「出生数に占める婚外子の比率の年次推移を見ると、婚外子の比率はPACSが法制化された1999年以前からほぼ規則的に上昇しており、PACSの法制化の前後で大きな統計上の変化が見られないことから、PACSの影響で婚外子が増えたとは言い切れない」のである。PACSは、法律上の婚姻と比べて、協議離婚が容易であると思うし、相続が可能(事実婚では認められない)、といった利点によって選択される傾向にあり、婚姻の「形」に関するものであって、「子どもをつくろうかどうしようか」ということとは直接的な因果関係は見い出すことはできないと私は思った。

 

3.海外の制度から

 今まで少子化という点に触れてきたが、結婚という形までいき子供を産まないというのはなぜであろうか。夫婦間の問題、もちろん子供を産めない人と色々ある。日本ではあまり馴染みがないが、Marriage Certificateという婚姻を証明できるものもある。アメリカなどにあり、この書類があって夫婦間を認められるというものだ。提出をしない場合であると、子供が生まれた際も非嫡出子の扱いになるということから、とても必要な書類であって離婚率を減らすための物であると私は思った。日本にもっと広めることで、結婚詐欺も減少するし、少しでも少子化対策等に繋がれば良いと思う。

子供を作る前提として、一番考えなければいけないことは金銭面についてであると私は考える。日本でも手厚い生活保護等色々ある。アメリカと比較するとアメリカの社会保障制度は意外に手厚い面もあり,生活保護にあたるシステムも段階的に用意されている。そこにFood Stampというものがある。Food Stampはそのような貧困層への支援制度の一つで,食料品を購入することができる電子マネーカードが支給される。多くのスーパーマーケットや食料品店で使用可能であり,お酒など嗜好性の高いものを除いた食料品のみを購入できる。Food Stampだけでは日本の生活保護並みの手厚さにはならないと思うが,段階的に支援するという発想が良いと感じた。
日本ではワーキングプアと呼ばれ、働いているのに生活保護よりも低い生活水準を強いられる人が増えてきている。
働いた方が損をするというおかしな社会だと始めは考えた。生活保護制度の改革も将来的には必要であろうが,まずFood Stampのような制度を低所得者向けに作り,労働者を支援する。

このような点をふまえて、国民の自由又は財産を侵害する行為は、適正手続きでなければならない(due process of law)ことを重点に置くことが必要であろう。
この合衆国憲法第14条は、「いかなる州も、正当な法の手続き (due process of law) によらないで、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない」と定めている。日本では、これを受けて憲法第31条に同様な規定がおかれているが、アメリカのものとは若干内容が異なる。
そして,このような支給方式が社会的にも認知されれば,生活保護の方もそのような制度に移行しやすくなるであろう。
子供手当のような支援制度も既にあるが,子供を持つことすらできない低所得労働者の支援を確立する方が,少子化対策にもつながると私は信じている。事実婚という面だけではなく、海外のような形式婚等ふまえて、これからの日本の少子化も変わっていくであろう。

 

<出典>

産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/world/news/131118/amr13111822130008-n1.htm

婚姻証明書の書き方

http://www011.upp.so-net.ne.jp/g-certificates/index-2-0461.html

不妊治療まるわかり

http://sterility-improvement.com/surrogacy.html

代理母問題の起源

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/v/20/index1.html