窪田直樹
男女関係と法
13j110014 窪田直樹
私は今の法は現状に不適格だと思う
そもそも法とは社会規範の一種(※1)である。ならば社会全体で守っていかなければならないモノであるが、厳しくし過ぎればもはやそれは単なる拘束である。だが法が無ければ問題が起きた時に対処することも仲裁することも出来なければ、誰からも保護されなくなってしまう。それは今の社会ではまず考えられない事だろう。だからこそ難しいかもしれないが男女関係というデリケートな問題であっても法は介入しなればならない。だからこそ法律がどこまで介入するかが問題になる。
ではどうして男女関係に法が介入するのは難しいのだろうか。それには法という物差しでは測り切れない感情の部分が関わっているからだ。そもそもこれが黒、これが白と簡単にいえるのであれば問題にはならない。
では法で測りきることのできないものの一つ、恋愛感情を見ていきたい。
誰かのことを好きになる。それは誰にでもあることだ。好きな人間と結ばれたと考えるのは普通であるが、やはり年齢というのは大きな壁になる。法を知る前の私であるならばそんなのどうでも良いと、本人たちの自由だろうと言っていただろう。だが未成年である青少年は知識に乏しく、正しい判断が出来ないものとされており、保護の対象である。代表的なのが青少年保護育成条例の中にある青少年(既婚者を除く18歳未満の男女)との「淫行」「みだらな性行為」「わいせつな行為」「みだらな性交」また「前項の行為(=「淫行」など)を教え・見せる行為」などを規制する条文(淫行処罰規定)の通称(※2)淫行条例だ。だが法で男女の交際を律するのは正しいのだろうか。こればかりは個々のケースによるだろう。純愛であっても有罪であるケースもあるし、不倫でも無罪となるケースもある。元々淫行条例の解釈の幅が広いためどちらとも取れてしまうのが問題なのだろう。だがこのようなケースだとある程度解釈の幅が無いと事件に対処できないからこのような形になっているのだろう。本当はしっかりとした解釈が必要だと私は考えるがこれがこの法の限界であり、適正な距離なのだろう。少なくてもこれ以上踏み込むべきではない。恋や愛といったものははっきりとした線引きなど出来るはずもないのだから。
では次に男女間に法が介入し、それでいて適正だと思われるものについてみていきたい。
この事件は民法の代表的な判例で、男が女給に対して独立資金400万円を渡すと言ったが渡してもらえず裁判になったというものだ。最終判決では今回の債務は自然債務とされ、裁判所が介入しないとされた。
そもそもこの事件は女性の歓心を買うためにお金を渡すと言っており、その先にある目的は情交である。そんな目的が交わされた契約は公序良俗に反するものだ。もし、これを保護するようなことがあれば、賭博をして負けたら金を払うなんていう契約が成立してしまう。このような契約は不法原因給付に当たり無効であり、法が保護する理由などない。
夫婦契約取消権とは「夫婦間でした契約は、婚姻中、いつでも、夫婦の一方からこれを取り消す事ができる。ただし、第三者の権利を害する事ができない。」(民法754条から抜粋)といったものだ。これが作られた理由は二つあり、第一は、婚姻中は、お互いに愛におぼれるとか、威圧されるとかして、自由意思に基づかないで、契約が締結されやすいこと。第二は、夫婦間の契約を絶対的にして、裁判上、その履行を強制するなら、かえって家庭の平和を、損なうことになるからだ(※3)
これら二つのことからこの法が適用されるのは円満な夫婦関係である時のみとされている。
例えばA夫とB妻の婚姻は破綻していて、離婚を前提にBに不動産を贈与した。だが離婚直前に不動産の贈与契約を取り消したいと意思表示を行った。
結果は夫側の負けであり、契約は取り消せないとした。
そもそも夫婦関係が破綻した状態では婚姻中とは言えないし、このようなことが許されてしまうと夫婦間で契約などできない。
今上げた二つのように法が適切に機能を果たしていれば問題はない。だが、そうではない場合がある。次はそのようなケースを見ていきたい。
平成12年8月にストーカー規制法が制定されたが三鷹女子高校生ストーカー殺人事件のような悲惨な事件が後を絶たない。このような事件が起きると警察の対応が悪いとか防ぐ手立てが無かったのかと言われるが法律を作るのは警察ではなく立法機関であり、手続きや手立てがないのは法整備がなされていないからだ。警察が全て悪いわけではない。つまりこの規制法は今の社会状況に対応するのは限界が来ているという事である。その理由は以下の通りだ。
まず一つ目だが、警察に訴えてもすぐには逮捕してくれない。規制法の中には逮捕できる内容も盛り込まれているが、まずは警告から始まる。だがここで疑問なのは、そもそもストーカー行為をしている犯人が警告ぐらいで引き下がるだろうか?
むしろ行為がエスカレートする可能性が高いと思う。
先ほど上で上げた事件もそうだが、警察に警告された犯人がエスカレートして強硬手段にでた、という話もある。
警察を頼る場合、渓谷により相手を逆なでするパターンもあることを、頭に入れておく必要がある。
2つ目はストーカーという定義の甘さだ。
ストーカーの定義を簡単にまとめると
1.
付きまといや待ち伏せ
2.
行動を監視していることを告げる
3.
交際や面会の要求
4.
乱暴な言動を吐く
5.
無言や連続ファックス 現在ではメールが中心
6.
汚物、動物の死体などの送付
7.
名誉を害する事項を告げる
8.
性的羞恥心を害する行為(※4)
となる。
だが法律の曖昧なニュアンスが含まれており、そこには第三者が目に見て分かる状態であることとしている。
だが普通に考えて、ストーカー行為をするような犯人が第三者に見せるだろうか。するとは考えづらい。ここにも問題がある。
三つ目は元交際相手などであった場合、かなり微妙になってくることだ。
他人ではなく、元恋人などでは、喧嘩をしているだけと認識されることもあり、警察が動いてくれない場合がある。現にニュースで取り上げられている事件の多くが元恋人によるストーカーであることが多い。
以上の事から私はこの法の早期見直しと改正が必要だと考える。だが国や法に全部任せればもらえば良いという問題でもない。このような悲惨な結果を招かないために自分を守るということをしっかりと意識すべきことである。だが個人でやれることはそれほど多くはない。だからこそさらに踏み込んだ法を作るべきだと私は考える。
今年の6月に児童ポルノ規制法の改正案が可決された。改正の狙いは、児童ポルノの規制を強化して性的搾取や性的虐待から児童を守ること(※5)だ。今まで起きている事件を鑑みるに規制が強くなるのは当然だと思う。子供たちを性的暴力から守るのは当然のことだ。だが、今回の改正には問題点がいくつかある。
まず一つ目がその範囲が広く、定義が曖昧な点だ。現在の児童ポルノの定義は以下の三つである。
1児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
2他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの
3衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの(※6)
となっているが3の「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」という定義は酷く曖昧どのようにも解釈できてしまう。極端な話、水着姿の写真でさえ、この定義に引っかかる可能性がある。
二つ目は単純所持についてだ。この文言は今回の法改正により、新しく加えられたものだが、これにも問題がある。それは処罰の対象が「自己の性的好奇心を満たす目的で、児童ポルノを所持した者(※7)」としていることだ。そもそも性的好奇心を満たす目的とはどのようなことをいうのだろうか。残念ながらこれに関しては明確な事は書かれていない。これでは「自分はこれが児童ポルノに当たるとは思わなかった」という錯誤だって起きてしまう。そして警察が恣意的にこの法律を使い、逮捕または拘束することが出来てしまう。そしてこれは冤罪を生み出すことにもつながりかねない。それに所持しているものによって個人の嗜好にまで踏み込むことなる。それは許される事だろうか。私にはそうは思えない。
このほかにもアニメや漫画に対する規制もあったが今回は見送られた。だがそもそもこの規制は表現の自由にも関わる問題でもあり、空想のモノに対して規制をするというのも変な話だ。
今まで上げてきたようにこの法律には様々な問題がある。それにこれでは本来の目的である児童の性的虐待や性的搾取から守ることから離れてしまっている。この問題点をしっかりと議論をして修正をしなければならない。
上で述べたように現在の法は男女関係において不適格な部分が多く存在する。もちろん今すぐ全てを改善しろというのは不可能だ。そもそも議論を深めず、何が原因であるかを見極めずに、目先の被害ばかりを見てしまったからこのような結果に引き起こしたのだ。だが司法や立法が悪いわけではない。この現状を招いたのは私たち自身なのだ。何かあれば規制をしろ、逮捕してくれと我々はすぐに国家権力に頼り、また事件が起きれば防ぐ手立てが無かったのかとコメンテーターたちは言う。このように言われてしまえば政治家の方々は世論を気にして速さ重視の議論になるとは仕方がないだろう。本当はそのような事を言われてもしっかりと腰を据えて議論をすべきなのだが、私たちはそれを怠慢だとか議論が進んでいないなどと言ってしまう。もちろん野次ばかりで空転している議会もあるにはあるが。
だからこそ国と私たちは何が問題であるかをしっかりと考えなければならない。でなければ男女関係という難しい問題に対して適当な法が作れない。ただ法が出来て、それを守ればいいということではないのだ。このような難しい問題だからこそ、私たち一人一人が向き合わなければならないのだ。
キーワード:淫行 ストーカー 児童ポルノ 錯誤 性的暴力 不法原因給付 公序良俗
自然債務 カフェー丸玉女給事件 夫婦契約取消権
参考文献:ストーカー被害から身を守る!ネット・集団ストーカー対策など ストーカー規制法について
MSN産経ニュース政治 児童ポルノ単純所持も「1年以下の懲役」 改正法成立、7月施行 摘発急増で規制強化より
出典・引用
※1:法律学小辞典P1114の法より
※2:ウィキペディア、淫行条例より
※3美馬克康司法書士・行政書士事務所 解説・夫婦間の契約取消権より
※4ストーカー被害から身を守る!ネット・集団ストーカー対策など ストーカー規制法について
※5:THE PAGE(ザ・ページ) 政治 解説 児童ポルノ禁止法改正案、何が問題になっているの?より
※6児童ポルノ規制法第二条三項より
※7衆議院 児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部を改正する法律案より
成田沙織
13J110016 成 田沙織
基礎教養演習レポート テーマ 男女関係と法
結論
法は男女関係にもっと踏み込むべきである。
法律の現状
現在男女関係における犯罪や 事件が後を絶たない。最近の事件だと倉敷女児誘拐監禁事件や三鷹ストーカー殺 人事件など凶悪な事件が起きている。しかしながら未然に防げる犯罪もたくさんあるにも関わらず、いまだに犯罪が減らない事実は見過ごして おけない問題であり、法律を見直すことや危機意識をしっかり持つことが今後重要になると考えられる。
法律の必要性
男と女の間に恋愛感情が生ま れることはごく普通のことであり、なにもおかしなことではない。恋をすることは、人間が子孫を残し、繁栄していくために必要な生理的な現 象である。しかし恋愛関係において、相手の気持ちをほったらかしにして、皆自分の感情に素直に行動を取ってしまえば、客観視できない問題 や当事者同士ではどうしても解決できないような争いやさまざまな問題が浮かび上がってくる。そこでその問題を迅速に合理的に解決するため に法律がある。
男女の間の問題のひとつに性暴力がある。性暴力と は、電車の中での痴漢、夫婦や恋人などのパートナーシップ間での性暴力(マリタ ル・レイプなど)、知らない人からのレイプ、知人からのレイプ、上司からのセク シャルハラスメント、性的ないじめ、盗撮、裸の写真を脅しに使ったり、インターネットなど公衆の場にさらす行為、児童ポルノ、成人ポルノ、人身取引など多くのことをまとめて言う。人は誰でも性 的自己決定権を持ち、自分の体を誰に見せるか、触れさせるかといったことを決める権利として持っている。その決定権を発揮できなかった瞬 間に性暴力は起きている。世間では、「Aさんが本当にNOと言ったのか?」「本 当にいやだったら抵抗したのでは?」とAさんの態度や行為によって性暴力が おきたかどうかを測ろうとする。しかし実際には、NOとはっきり言って拒否したり抵抗すること自体が不可能である 場合があり、性暴力を受けながら性暴力と認められずに二次被害を受けるAさんが後を絶たない。Aさんの態度や行為によって測るのではなく、Aさんが「性的自己決定権を発揮できたか?」を基準として測る 必要がある。そして、このような弱者を保護するための法律があるにも関わらず、次々と犯罪は起きており、心に傷を負った多くの被害者がい るのである。そのためにも規制を厳しくするなり、何らかの処置を取らねばならないのではないか。
青少年育成条例
恋愛において年齢は関係の無 いものである。保育園に通う小さい子供も恋をするし、中学生も高校生も大学生も社会人もお年寄りも恋をする。好きになる対象は自由だが、 未成年と恋愛について言うとすこし複雑な問題が発生する。20歳を超えた大人と13歳未満の子供が恋に落ちて恋愛関係となり、性行為をした場 合、どのような関係であったとしても淫行とみなし刑法によって処罰され ることが各都道府県が制定する青少年育成条例(都道府県によって名称が異なる)で規定されている。一方、淫行に 該当しない青少年(13歳以上)と の性行為は婚約中の青少年またはこれに準ずる真摯な交際関係にある青少年との間で行われる性行為など、社会通念上およそ処罰の対象として 考え難いものと解されている。しかし真剣な恋なら許されるというが、どの未成年の人もみな将来を見据えて真剣に交際をするとは限らないし 本心なのかどうかも確認できない事であるため、処罰対象となるかどうか曖昧なところである。
ところで、この未成年との恋が発生しやすい関係は学校の先生 と生徒である。学校の先生と先生の恋愛関係は基本的に認められない。社会的にみれば、心身の未成熟に乗じた不当な手段、立場を利用した不 当な手段と判断される可能性が高い。多くは保護者からの相談・通報で逮捕されている。「婚約中またはこれに準ずる真摯な交際関係」はそれ なりに厳格なものと考えられる。少なくとも保護者がその関係を認める必要がある。当時は真剣に交際していたとしても、その後、何らかのト ラブルによって、訴えられれば、条例違反となる。18歳未満(当 時)は心身未成熟であることは揺らがない事実である。
では、15歳の女子が18歳だと年齢を詐称して成人と付き合い性行為をした場合はどう なるのか?このような場合、年齢確認を過失なくしたといえない限り、原則として処罰される。年齢を詐称するという錯誤があった場合でも、未成年ならば淫行とみなされるのである。
自然債務とその役割
男女間のいざこざは恋愛だけ ではない。カフェー丸玉女給事件は女給、現代で言うホステスと客の男性 の間で起きた金銭トラブルである。本判決は、いわゆる自然債務のうち訴 求しない特約の債務の存在を認めたものである。本判決、債権の保有力、いわゆる債務の履行としてなされた給付を受け取ることができる効力 のみを認めて、訴えによって履行の請求をなす効力(掴取力)を否定した。
自然債務は不法原因給付に 基づく債務と言える。不法原因給付とは公序良俗に違反する事項を目的として引き渡した財産については、その返還を求め ることができないということである。公序良俗に違反する行為は民法では 具体的に示されていないが、一般的には、「社会性妥当」のないもの、あるいは「社会的相当性」のないものと解釈される。たとえば、法律の 違反行為、法律の明文に違反していなくとも、その行為が社会的妥当性をもたないもの、一般常識から判断して好ましくない事柄が該当する。
過去の判例の傾向によると、公序良俗違反は、大きく分けて以下のように分類される。
1.人倫に反する行為(例:既婚者との婚約)
2.正義の観念に反する行為(例:賭博行為)
3.個人の自由を極度に制限する行為(例:芸娼妓契約)
4.暴利行為(例:過度の違約金)
ただ、これらの内容は、時代の変化に応じて刻々と変わっていく。中には、本文にもとづいた判例が立法化された
ものなどがある。
これにより先ほどの判例の判決では、お金を渡すといった贈与契約をするに至った動機は、そのホステスの歓心
を買うためであるので、贈与契約が成立したとは断じがたいとした。
契約の成立
自然債務は契約の1つであるが、契約とはどこまで強制力があるのか。まず契約を 定義しておく。契約とは、お互いまたは2つ以上の意思表示が合致することにより成立する法律行為のことである。契約を結ぶと、お互いに権利と義務
が発生する。契約を守れない場合は、損害賠償責任を負うといった法的拘束力がある。契約を結んだ以上、どちらか一方だけの都合で解約
することは原則として不可能であり、お互いの合意が必要となる。相手が同意すれば解約は可能であるけれども、ほとんどの場合、違約金
や損害賠償を支払うことになるケースが多い。
次に、契約の構成 要件は3つある。
1.意思表示の合致
2.当事者の存在
3.契約の目的物の存在
特に1.意思表示の合致が重要であり、意思表示の合致は、「申込」と 「承諾」から構成される。申込とは、契約を成立させる最初の意思表示であり、承諾とは、申込に対応する意思表示である。ここで注意す べき点は、契約書を作成しなくても、口約束だけで契約は成立することである。契約書というのは、契約内容を明らかにし、トラブルを避 けるために作成するためのもので、契約の成立要件ではない。
夫婦間における契約
婚姻成立後、恋人関係から夫婦関係に代わるとともにそれに伴って関係する法律も異なってくる。その中に夫婦契約取消権がある。たとえば、夫が結婚記念日にダイヤモンドの指輪をプ レゼントすると妻に約束し、その約束を書面で交わした場合であっても、夫婦契約取 消権によって、夫は「やっぱりやめた」とプレゼントする約束を無かったことにできるということである。
仮に夫婦契約取消権がなかった場合、 どのような結果になるのだろうか。夫と妻がした契約は、民法の贈与という契約の一種にあたる。民法550条は書面によらない贈与は、各当事者が撤回することができると規定している。贈与という一方当事者だけが
負担を負う契約は慎重であるべきで、基本的には贈与は撤回できるとし、書面まで作り上げ慎重な手続きを踏んだような贈与は撤回できな
いようにしたのがこの規定の趣旨である。本件では夫と妻の間の贈与は書面を作ってまで契約したのだから、民法550条によっては契約を撤回できないというのが、夫婦契約 取消権がない場合の結論となる。
この規定の趣旨は、妻は夫に威圧されて十分な意思を述べる事が出来ない、夫は妻の愛におぼれて意志の自
由を奪われる、夫婦間の問題を裁判所の力を借りて解決するのは夫婦の円満を害する。といった3つがあげられる。しかしながら現代においてこの趣旨はあまり適切ではないのではないかとの意見が出てお
り、疑問視されている。
この規定が適用されるのは、夫婦が円満な状態であったこと、また解消時も同様であったことが条件となっ
ており、別居しているなどの夫婦関係が破綻している状態にある場合には適用されない。
夫婦はお互いに信 用しているからこそ夫婦になったのだと考えられるので、夫婦間の問題はなるべく当事者だけで解決させるのは当然だと思われるが、夫婦
といっても元は赤の他人の男女であった訳であるし夫婦間で起きた問題の大きさによっては適用させる法を変えていく必要があると考えら
れる。
帰結
普段生活しているこの瞬間にも各地でさまざまな犯罪が発生しているであろう。男女間における犯罪は根絶
することは無いと思うが減らすことはできるのではないかと考える。男女間の問題はとても複雑であり、お互いをよく理解できるとは思え
ない。未成年との恋愛の場合も、性暴力においても、もっと厳しく規制していくべきだ。そして、今後犯罪を減らすためにわたしたちがす
るべきことは、法律を理解し、どこまで違法でないのか、どこからが違法なのかをよく判断できるようになることではないかと考える。
参考文献
SAFER http://www.safer-jp.org/about/sa-definition
櫻井法務行政書士オフィス http://www.sakurai-h.jp/article/8648556.html
民法 親族・相続 第2版 松川正毅
基礎教養演習授業ノート
私は男女と法について法整備が現代の実情に追いついていないと考える。
(1)ストーカー規制法の背景と疑問
近年、ストーカーによる犯罪や事件が多くみられる。その多くは、交際している時のトラブルから始まり、破局した後は一方が未練を持ったまま一方的に連絡を取ったり、相手方の家に押しかけたりして恐怖を感じさせ、最悪の場合事件になり、死傷したりするケースがある。このような事柄の防止策として、ストーカー規制法というのが2000年11月24日に施行された。この法律施行の背景には、1999年10月26日に発生した「桶川ストーカー殺人事件」がある。簡単に事件の内容をまとめると、被害者の女子大生が親と上尾警察署に相談しに行ったが、なかなか受け入れてもらうことができないまま時間がたち、事件が起きてしまった、というものだ。
それを防止する為の法律がストーカー規制法である。
ストーカー規制法の内容は定義の2条、警告の4条の2つが主な内容だと私は考える。規制法2条の中に含まれる行為がストーカーにつながる。しかし、この行為がなされればストーカーだとみなされ、逮捕に踏み切れる。というものではない。4条にもあるように、警告すなわち、相手が分かった段階で逮捕するのではなく、注意をするというところから始まる。つまり、相手を逆なでする可能性が高く、規制する目的が逆に被害者を傷つけるパターンに発展しやすい。その具体例として、2013年10月8日に起きた「三鷹ストーカー殺人事件」がある。この事件が大きく動いたのは、前からの状況に不安を感じた被害者が事件当日の午前中に警察に相談をしに行き、警察が被疑者に連絡し、留守電を残したその後に事件が起きている。これでは、桶川ストーカー事件の時の後に教訓からできた規制法が全く意味のないことになる。被害者を助けようとして施行された法律が、被疑者に対してストーカー行為をさらにやりやすくしていると言っても過言ではない。
もうひとつ疑問が出てくる。罪を犯した人を警察が逮捕するときにわざわざ電話をかけて、「今から逮捕しに行きます」などと言ってから捕まえに行くだろうか。
この点においては女性の保護をもう少し厚くすべきであると考える。しかし、どうやって手を打っていくかということも問題である。なぜなら、ストーカーという物の脅威から女性を守ろうとする為には、それこそ、24時間と言っていいほど女性に警官をはりつけておかなければならない。しかしさすがに我が国においてそこまでの金銭的、ないし人的余裕はないのが現状である。故に、予防策や現状対処を個人に任せるしかないてんは情状を斟酌すべきであろう。
(2)性暴力と淫行、児童ポルノの問題
現在、日本で犯罪を取り締まる法律である刑法(制定明治41年)には、「性暴力被害」および「性暴力被害者」の明確な定義はない。「強制わいせつ罪」と「強姦罪」があるのみである。強姦罪は男性から女性へ性器の挿入を伴う暴力行為を定義したものであり、男児や少年が受ける性暴力は含まれない。性器の挿入が行われたことを証明しなければ犯罪の立証は難しく、親告罪であることなどから、発生件数などの正確な把握も調査もできていないのが現状である。
そして、淫行わいせつには法上の区別はなく、淫行とは刑法上で言い換えるとわいせつといいかえることが出来るが、私は少し異なると考える。
淫行は「性行為」をすることであり、わいせつは性的な欲望で体を触るだけで成立するという考え方である。そして性暴力は淫行を無理矢理達成してしまうことであるとかんがえられる。
つまり、わいせつ<淫行<性暴力であるのだ。
そして先も述べたように性暴力、および性暴力被害者の定義は存在しない。
わいせつと姦淫(強姦)については「女性の貞操を守る」「社会規範を守る」という観点からの規定になっており、「被害に遭った人間がどういう状況になったら性暴力被害か」という観点が抜けているところが課題である。これらのことは、時代が進み、多文化を取り込み国民の寿命が伸び、人口が増え、多様な価値観を持つ集団が形成された現代日本において、あまりにおざなりなのではないだろうかと考える。
昨今同性愛者の同性婚が様々な国で認められつつあるというのに、日本に規定をおかないということは異なことである。
でなければ、性暴力を受けている男児、子供というものへの保護が弱すぎる。
同性愛者はまだマイナーなものであり、日本でも同性婚を認めていないことから発生件数自体が目立たないから立法されていないようにしか一法学性として見えない。
民主主義とは数の暴力ではないのであるから、このことに関しては早急に対策を講じるべきであると考える。
そういった物とは反対に児童買春、児童ポルノに関わる行為等の処罰および児童の保護等に関する法律という物はちゃんと規定されている。
同法は児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ、あわせて児童の権利の擁護に関する国際的動向を踏まえ、児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利を擁護することを目的とする。なお、この法律においては「児童」とは18歳に満たない者をいう。18歳未満としたのは児童福祉法や児童の権利に関する条約との整合性を考慮したためである。 1999年(平成11年)5月26日に公布、同年11月1日に施行された。なお、2004年(平成16年)、附則6条に基づき、改正案が成立している。2008年に単純所持規制と創作物規制の検討を盛り込んだ与党改正案が提出され、2009年に児童ポルノの定義の変更および取得罪を盛り込んだ民主党案が提出されたが、いずれも衆議院解散に伴い廃案になった。
1996年にストックホルムで開催された「第1回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」で日本人によるアジアでの児童買春やヨーロッパ諸国で流通している児童ポルノの8割が日本製と指摘され厳しい批判にあったこと、および日本においては援助交際が社会問題化していたことから、1998年当時、与党であった自民・社民・さきがけ3党の議員立法によって成立した。
この法律によって検挙された人員は2000年では777人だったが、2003年には1374人となり増加傾向にある。
2014年6月に単純所持禁止を盛り込んだ改正案が衆議院で可決・成立した。
ここまで、児童ポルノに関する法律は明確に規定されているのに、なぜ我が国では性暴力についての規定をおかないのかがはだはだ疑問である。
つまり、日本は海外から非難にあったり、問題になってから立法するといった姿勢にしかどうも見えないのだ。
(3)カフェー丸玉女給事件は不法原因給付に基づく自然債務か?
カフェー丸玉女給事件とは
昭和8年頃、大阪のカフェー「丸玉」の女給に熱を上げた客が、女給に独立資金として400円渡すという約束をした。
男にはそんな金もなく、ウソであったが、そのことを真に受けた女給が、いつまでも400円くれないことにしびれをきらし、訴えた。簡単に言うと、お互いの意思表示の錯誤が生じたために事件につながったというものだ。1審、2審は、男の敗訴。つまり今風に言えば、キャバクラに数ヶ月通った男が、おれはIT企業の社長で金持ちだとか吹聴した揚げ句、キャバ嬢に「おれが400万円だすから店辞めて、おれとつきあわないか?」と持ちかけ、真に受けたキャバ嬢は男と肉体関係を持ち、店を辞めたものの、いつまでたっても400万円が男から支払われないので怒り心頭に達し、訴訟を起こした、とういようなものである。
この事件の問題点は、債務の性質である。独立資金400円を渡すという黙示による債務が成立するのであれば、その債務の性質が債務が自然債務であるのか、特殊な債務であるのかと言うことである。
自然債務とは債務者が任意に履行する分には債権者は受領することが出来るが、債務者が任意に履行しない場合に債権者が裁判所に訴えを提起して請求することが出来ない物である。例として妾契約の契約金、裏口入学の謝礼、賭け麻雀の賞金などである。
大して特殊な債務とは責任を負わなくてもすむという責任なき債務と債務はないが責任はあるという債務なき責任とに分類される。
前者の例は当事者間で強制執行はしない旨の特約がある場合の債務であり後者は物上保証人の場合の債務である。
ここで問題なのは繰り返すが債務が、自然債務であるか否かである。
自然債務であれば先述した通り、支払いを請求する権利はないが、自然債務以外の債務であればまた事情が異なっている。
この件について当時の大審院は
「浅い馴染みの客が、女給に多額の金銭を与える約束をしても、その履行を強制されない特殊の債務関係が生じるに過ぎない」
と、男の勝訴判決を下した(民法414条、大判昭10.4.25)つまり、大審院(旧法の組織。現在の最高裁に相当)は「飲み屋での客の戯れ言を真に受けなさんな」という、常識的な判断を下したということになる。
これは至極真っ当なことであり、飲み屋での戯れ言を受け取ってしまった女の方が常識に欠ける物である。
もし、かような債権、債務関係が成立するのであれば、口約束ですら滅多に出来ないではない。古代ローマでの契約であるところの「pacta sunt servanda(パクタ・スント・セルヴァンダ)(合意は拘束する)という契約様式さへ、一定の様式を要した。人は誰でも建前と本音というある種の心理留保に近い精神形態を持って生きている。己が心うちを全てあかせるならば、戦争など起こりえないであろう。故に、その建前でさえ合意と見なされるのであれば、軽々しく発言することは出来ない。そうなれば極論、人々の間にコミュニケーションは成立し得ないであろう。
ちなみに先述した不法原因給付とは、文字通り不法な原因によって行われた給付のことである。麻雀などで賭けをし、負けたら金銭の支払いがでるルールを設定し、負けた時に払うのがこれにあたる。このような行為はとても良い行為ではない。当然のことながら公序良俗に違反し、効果は無効となるはずなので、払った金銭を返してもらう請求ができると思われる。しかし、民法708条で定められているように、このような行為での給付は返還の請求ができないとしている。
(4)夫婦契約取消権とはどのようなものなのか
民法754条で定められているように、夫婦間でした契約は婚姻中にいつでも、夫婦の一方から取り消しをできるというものだ。これが夫婦契約取消権というものである。例外として、なんでもかんでも取り消しできるのではなく、第三者の権利を害するようなことはしてはならないという条件がある。また、婚姻関係にあっても、実質的に関係が破綻しているようなとき(別居中など)は夫婦間であっても、取り消しは認められない。と、いうものだ。
しかし、これには様々な批判もある。対等な夫婦関係を前提にした現行法とは相いれないことや、夫婦はお互いに信頼しあって共存生活をしているのだから法律で規制することはかえって害がある、といったものである。私も同じ考えだ。
また、この取消権も現在の夫婦関係の状況に合致しているかと聞かれたらそうではないと私は考える。なぜなら、事実婚の場合はどのような対処をとるのだろうか、という面だ。近年はこの事実婚の割合も徐々に増えてきている。ここでいう夫婦の定義は、届出主義によって認められたものであるから、この取消権に事実婚の男女を適合させることは難しい。届出主義で認められた夫婦、事実婚の夫婦どちらのパターンにもあった法律や権利を作ることが今後の課題だと思う。
以上のことから、私は男女と法について法整備が現代の実情に追いついていないと考える
私たちの生きている時代は常に水のごとく流動していて、重要なのは従来の価値観にすがることではなく、新しい考え、文化を取り入れ柔軟に時代に法律を対応させていくことではないのだろうか。そも、民法の立法目的自体が「私人間の紛争を両者の納得いく形で解決する物」であり、刑法の立法目的は「誰もが安心して暮らせる社会を作る」為の物ではないだろうか。
確かに伝統は大切であるが、その伝統を重視するが故に泣いている少数の人間を無視しては行けないと思う。
故に、私たちに出来ることは、小さいことからでも、この時代をよくしていこうと一人一人が考え、どれだけ小さくてもかまわないからアクションを起こすことであるとこの授業を通じて考えさせられた。
以上
参考文献
ネットWikipedia
知恵袋
離婚専門弁護士ブログ
債権総論 露木美幸 プリント
ジュリスト 民法判例集
内田隆 民法総論
高橋則夫 刑法各論
高橋則夫 刑法総論
六法
奥山恭子 家族の法
田中健貴
男女関13J110019 田中健貴
「男女関係と法」
男女関係と法はもっと深く関わるべきである。
1.はじめに
係と法は私たちが思っている以上に複雑な関係だと思う。性暴力、ストーカー、セクハラ、売春、買春など様々な問題がある。これから男女関係と法について実際の事件などを交えて法的論点と自分の考えを述べていきたいと思う。
2.ストーカーについて
最近よくニュースでやっている「三鷹ストーカー殺人事件」が話題になっているが、ストーカー問題も永遠のテーマだろう。これもまたストーカー規制法で定められているが明確に書いてあるようにみえて曖昧な規定になっているのが現状だ。例を挙げると、本法律の規制対象となる「つきまとい等」とは、目的を「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する」ことにおく行為であって、また、その行為の相手方は、「当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者」であることも要する。と記載されているが、「怨恨の感情」や「恋愛感情」などはストーカーをしている本人にしかわからないことで、そんな気持ちはありませんと言われてしまえば対象外になってしまう。また、「社会生活において密接な関係」に関していえば、どこからが密接の関係になるのかの基準も不明確だ。ほんの一部をみただけでこれだけの曖昧さが出てくる。これではストーカー被害が後を絶たないのが目に見えて分かる。被害者からすれば精神的ダメージも大きく、常に恐怖と隣り合わせの心境だと思うが、今の法律では被害届を出しても警察側は国家公安委員会規則で定めるところにより忠告をする程度しかできないのが現状だ。確かにストーカー規制法で、ストーカー行為は親告罪で、罰則は6か月以下の懲役、または50万円以下の罰金である。また、警察は警告書による警告ができ、この警告に従わない場合、都道府県公安委員会が禁止命令を出すことができる。命令に従わない場合には1年以下の懲役または100万円以下の罰金となる。また、告訴する以外に、被害者の申し出により警察が弁護士の紹介や防犯アラームの貸し出しなど、国家公安委員会規則に基づく援助を定める。と定められているがなぜ被害が収まらないのか?なぜ食い止めることが出来ずに殺人事件にまで発展してしまうのか?原因は大きく分けて2つあると思う。1つは被害者が何らかの理由でその制度を利用しないパターンだ。2つ目は制度を利用したがそれでも相手が止めないパターンだ。一つ目について詳しく書くと、制度を利用しない理由として、そもそもその制度を知らないことが挙げられると思う。今回の三鷹のストーカー殺人事件の被害者も高校生だが、多くの被害者は若い子が被害者になることが多い。中学生、高校生がこの法律を知っているとはまず考えにくい。私自身もこのレポートを書くにあたって調べて初めて知ったのが現状だ。きっとこの対処制度を知っていればたとえ公訴棄却されるかもしれないが告訴する人は増えると思う。きっとこれを知っていたら防げた犯罪もあったと思う。その他の理由として、もし告訴したとしても公訴棄却されてしまうかもしれない、もしかしたら告訴したのが原因で被害が拡大するかもしれないという不安感があるので利用しない。などがあると思う。二つ目の制度を利用しても相手が止めないパターンだが、きっと裁量が軽いのが原因だろう。この件に関しても国、司法の課題の一つだ。
私の考えでは学校の授業に積極的に取り入れるべきだと思う。又は国が認定した相談所をもっと作るべきだ。確かに全国の警察が2013年に把握したストーカー被害は2万1089件と前年度に比べると5.9%増との結果が出ている。関心が高まり被害者が積極的に相談するようになったためであるともいえるが。実際は警察の手が行き届かず、被害が後を絶たないのが現状だ。今ネットで調べると、「ストーカー被害にあったらご相談を」のようなサイトが出てくるが結局はそれをビジネスでやっているのがほとんどだ。ましてや、中高生が利用できるサイトとは思えない。それならば、学校の授業で取り入れるべきだと思う。知識があって損をすることなんかない。また、授業で学べばストーカー加害者も減るだろう。後から対処をするのも確かに大事だが、そもそもの根本を根絶する動きのほうが大事だと私は考える。
3.カフェ丸玉女給事件
自然債務の代表的な例としてカフェ丸玉女給事件がある。この事件はカフェの女給(今で言うとキャバレーのホステスさん)に対して、そのお客さん(A)が歓心を買うため、将来の独立資金を援助しようという約束をしたため、その女給さん(X)が、その約束の履行を求めて裁判を起こしたというも。この件は、契約の強制力があるのかが論点になってくる。そもそも契約とは「申し込み」と「承諾」の意思の合致で成立する。この件に関して民法上でいえば契約は成立するはずだが、実際は大審院判決で裁判所は、自発的にお金を支払うのはいいけれど、支払を強制することはできない性質の約束だといった。給付保持力(自然債務)はあるが、執行力はおろか、訴求力さえない債権を認めたことになる。というのが裁判所の言い分だ。しかし相手方の保護や取引の安全の為には、表意者を保護する必要はなく、民法では、相手方が善意・無過失なら、「有効」としています。この件に関していえばAに過失が無いと捉えることもでき、無過失責任が生じ損害賠償が求められると思う。
4. Aに妻がいた場合
もし、AとBが愛人契約を結んだとして、AがXに金銭を渡したが妻に激怒され愛人契約は無効だからと返還請求した場合はどうなるか。この場合民法703条の法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。とされているが、果たしてAに損失が及んだのか?確かに金銭的な損失は結果として起きたが、全体を見たときにそもそもの契約は愛人になることであって、現に愛人になったわけであるからお互いの契約は成立していることになる。その時点でお互いに損失があるわけではないので703条には該当しない。そして民法703条以下によりA,B間の契約に基づき、AがBに金銭を給付したが、その契約が無効であったときには、AはBに対して、不当利得としてその返還を請求することができる。とされているが、708条の不法原因給付に該当するため、権利性はあるが執行性がないため返還請求をすることはできない。
5.児童ポルノ
児童ポルノの定義について、国際連合が採択した児童の売買、児童買春及び児童ポルノに関する児童の権利に関する条約の選択議定書[1](略称: 児童の売買等に関する児童の権利条約選択議定書)第2条において、「現実の若しくは疑似の(real or simulated)あからさまな性的な行為を行う児童のあらゆる表現(手段のいかんを問わない)又は主として性的な目的のための児童の身体の性的な部位のあらゆる表現」としている。
日本国の法律では、児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(略称: 児童買春・児童ポルノ処罰法)の2条3項に定義があり、特に次のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものである。
(1).児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態。
(2).他人が児童の性器等(性器、肛門又は乳首)を触る行為又は児童が他人の性器等(性器、肛門又は乳首)を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの。
(3).衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの。
これらの提供・製造・頒布・公然な陳列・輸入・輸出は、同法第7条で禁止されている。と規定されている。
もし、Bが児童ポルノをもっているだけで逮捕され、「これは児童ポルノではなく、発育不良の女性の漫画である」と主張した場合。この場合の論点は児童買春・児童ポルノ規制法に該当するのか、または表現の自由を主張できるのかの争いになる。表現の自由を主張する場合は憲法21条によって一切の表現の自由は、これを保障すると掲げてあるので何を見たって自由だと主張できる。しかしこれは国民が国民の表現行為を制約しても、憲法違反とはならないが、あくまで国家が守るルールが憲法だ。憲法違反ではなくても例外的に国民の「表現の自由」が国家によって制限されることがある。この場合刑法175条2項に該当する。所持しているものが児童ポルノである場合は児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の第2条3項にも該当するが、この場合に関していえば、Bは前文で言ったように「これは児童ポルノではなく、発育不良の女性の漫画である」と主張しているため、事実の錯誤が生じているように一見みえる、これでは該当しない。だがしかし、発育不良の女性の漫画であると言っているものの具体的な年齢を挙げていない。これは法律の錯誤である。よって第9条の「児童を使用するものは、児童の年齢を知らないことを理由として、第5条から前項までの規定による処罰を免れることはできない。ただし、過失がないときは、この限りではない。」に該当する。それにこれが原因で弱者である児童への淫行、性暴力に繋がる可能性だってありうるし、社会的にみても公序良俗に反する行為だと思う。
以上のことより、刑法175条2項、児童買春・児童ポルノ規制法のどちらにも当てはまる。
6.夫婦契約取消権
男女関係の問題として夫婦間の問題も多くある。
(a)男(X)が女(Y)と婚約中に「父から相続した山林を贈与するから、お前の老後の生活保障にしろ」と、山林を贈与する旨の意思表示をし、Yも承諾した。YはXが気まぐれなので、「ねんのため、文書にしておこう」と思い立ち、X・Y間で贈与契約証書を作成した。
(b)その後、Xは、胃潰瘍で入院生活となった。 入院中に、Xは、看護師(Z)と恋仲となった。 退院してからも、XとZの不倫関係は続く。Yは「女の勘」で、それを看破し、遂に離婚騒動となった。 離婚訴訟中にXは、「Yに、山林を贈与したが、贈与契約を取り消す」との意思表示をした。Yは、「あの山林は、私がもらったものだ」と、反論する。しかし、Xは夫婦間の契約取消しを主張した。
この場合の法的論点は夫婦契約取消権が採用できるのかが問題だ。夫婦契約取消権とは民法第754条の、「夫婦間でした契約は、婚姻中、いつでも、夫婦の一方からこれを取り消すことができる」と規定されている。この場合、婚姻中とは形式的にも実質的にも婚姻が継続していることをいう。そもそもこの場合、婚姻が実質的に破綻しているから夫婦間の贈与契約を取り消すことはできないので山林はYのものになるというのが妥当だろう。
法律は社会的弱者を守るべきものだと思っている。社会的弱者を攻撃する可能性が少なからずあるなら厳しく取り締まるべきだと考える。
出典 六法全書、中江章浩担当科目レポート試験提出要領(過去のレポート)
Yahoo知恵袋、wikipedia 授業内ノート