猪股俊介
1. 結論
リバースモーゲージ (reverse mortgage) の考え方をもとに、日本の中古住宅市場の見直しを図る術はあると思われる。しかし、今の日本の現状を見るに、余程の踏切がないことには変わっていくことは出来ないであろう。
1. 日本法における相続・登記
本章では各国の法律の中から代表し、アメリカ法とドイツ法を取り上げて比較してみるべく、まずは日本法における相続法とはどういったものなのかを見ていく。
日本民法は大きく総則・物権・債権・親族・相続 (親族法と相続法をまとめて家族法とする) の5つのパートに分かれており、相続はその中の最後の項として存在している。相続は被相続人の死亡によって開始する (882条) とし、相続開始の場所は被相続人の住所である (883条) と定められている。日本の相続のプロセスを簡略的に説明するならば、@被相続人の死亡、A遺産分割協議の実施、B分割の実行、C各相続人で分配 (登記を要する物に対する登記はここで行われる)、D遺産分割協議並びに相続の完了というようになる。その他相続に関する基本事項はその後の条文の通りなのだが、相続の中でもこと
「遡及」 という文言に関係がある条文といえば以下の二つがある。
909条 [ 遺産分割の効力 ]
遺産の分割は、相続開始の時にさかのぼってその効力を生ずる。
ただし、第三者の権利を害することはできない。
939条 [ 相続の放棄の効力 ]
相続の放棄をした者は、その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなす。
それぞれの条文を説明するべく、ひとつの判例を挙げてみよう。あるところに二人の息子の父親であるAという人がおり、その妻は既に他界しているとする。ある日、そのAが急に死亡することにより、Aの財産は息子であるB (兄) とC (弟) に分割されることになるのだが、この弟Cは借金持ちであり債権者であるDという人を抱えていた。債権者DはCの父親であるAが死亡したのをいいことに、了解もなく相続財産である不動産甲の登記を自分のところへと移してしまった。遺産分割協議では兄であるBが不動産甲の相続権を全て持っていた。この時、相続財産であった甲の所有権を取得するのは誰かという問題である。
この問題を考えるときに重要になってくるのは、債権者Dが遺産分割協議の前後どちらのタイミングで登記を自分のもとに移したのかということが一つ。相続財産は合有的に見られるべきか共有的に見られるべきかがもう一つである。遺産を合有的に見て、遺産分割協議前にDが登記を移した場合、909条より遺産分割の効力は相続の開始まで遡ることから、本来権利者保護 (当事者間の問題) の影響、並びに遺産は分割できないことから不動産甲は全てBが受け取ることが出来る。合有的に見て、遺産分割協議後にDが登記を移した場合は、協議が終了しているにもかかわらず登記の移転を済ませなかったことにBの怠慢があるとして対抗問題扱いとし、先に登記の移転を済ませたDが不動産甲を全て受け取ることが出来るとしている。次に、遺産を共有的に見た場合、遺産分割協議後の結論は遺産を合有的に見た場合と同じになるのだが、遺産分割協議前の結論は
「遺産を分割して見ることが可能」 とする共有的な考え方により結論が変わってくる。この時、遺産分割協議前にDが登記を移した場合、本来権利者保護の影響が働きBにも相続権が認められるというところまでは同じであるが、Bが取得できる権利は法定相続分のみ (ここではBC2者間なので権利は半分)
であり、残り半分は債権者Dが取得できるとしている。このように、遺産そのものをどのように見るのかで結論は変わってくる訳だが、判例では遺産を共有的に見る方法を採用している。また、本件についてCが相続を放棄した場合はどうだろうか。もしCが遺産の相続を放棄した場合、その効力は相続開始の初めから及ぶことになり、Dがこの遺産相続に介入することは不可能となる。これは、Cが遺産分割後に債権者が登記を済ませた後に放棄した場合も同様の効力を持つ (つまり、遺産は全てBのものになる)。
ここまで判例をもって相続と登記の関連性についても触れてきた訳だが、日本における登記とはどのような意味を有しているのだろうか。登記に関しては民法177条に記載されているのだが、日本における登記は 「対抗要件」
としての効力を持つ。単に対抗要件といっても、その意味合いは国によって変わってきてしまうため、こちらも二重譲渡を例に説明する。日本における登記の対抗要件というのは、文字通りの持っていることによって自己の所有を主張できるというものである。しかし、その仕組みは完璧に二分されている訳ではなく、背信的悪意者のみは保護しないとしている。つまりAという人物がBに不動産を売り渡し、Bがいつまでも登記を自分の元から動かさないのをいいことに、Cという第三者との間でも同不動産の売買を行い、Cが自分の元に登記を移転した場合について考えると、この不動産の正式な所有者はCということになる (もちろん、BにはAに対する不当利得返還請求権等は発生すると思われる)。このように、Aのもとに登記があるにもかかわらず実際に対象不動産に住んでいるのはBであったりと、登記簿に記載されている内容は事実と異なることも多々あることから、日本では登記に公信力は認められていない。このように、登記そのものは公に公開されているということは公示の原則に則って行われていることであり、その公示内容に信憑性があるか否かを判別するものが公信力 (公信の原則) なのである。
3. アメリカ法と登記
日本の登記の例と似たような例にアメリカの登記制度がある。とはいえ、アメリカの登記には日本と同様に登記簿にすべてが記載されている訳ではなく、deedという名義移転登記書類 (譲渡証書) を役所に届けることで所有者の管理を行っている。これは、日本と異なり土地が広大であることが一因であり、国がその土地の全てを管理するというのは困難であるが故に生まれた管理方法である。この譲渡証書の効力は日本と同様に対抗要件であり、公信力もない。しかし、アメリカでは登記の所有に関して保護する対象は、あくまでも善意で登記を有するものに限るという仕組みをとっている。これを現地風に説明するならば、アメリカの登記制度はrace type (競争主義的・早い者勝ちの原理) とnotice type (外観を信じたものを保護する原理) の中間的立ち位置 (両者の交わる部分に属する人=不動産を善意取得した者のみ) を守る形をとっていると言える。これらの日本やアメリカのような考え方を意思主義といい、これらの国の登記制度はフランス法系のものである。
そんなアメリカで採用されている相続システムは相続自由の原則のもとに行われているが、そもそもイングランド法を継受しているために、人の財産関係はキリスト教精神との関係から一代で完全に消滅するとの建前が採られている。よって、遺産管理の主たる目的は死者のもつ債務の履行であるとされ、その法理は当然に死者の債務も債権も相続人に移転するとの態度をとらない。しかし、遺言の制度は存在し、これにはイングランド相続法の人格代表者制度を採用している。これは、死者の意思たる遺言により、遺産の受託者的な遺言執行者は死者の意思たる遺言を執行するものであるとするシステムであり、これらの建前は相続人を包括継承人とし
て扱い、当然に遺産の財産権が相続人に移転するとするものである。よって、遺産の相続がなされる場合は日本とほぼ同等の形となっていることが確認できるので、相続における遡及効の考えも似たようなものではないかと推測される。
4. ドイツ法と登記
ここまで日本、アメリカとフランス法系の2カ国の登記制度を紹介してきたが、次に紹介するドイツ法系の登記制度はそれらとはやや違った体系をとっている。ドイツ法における登記の効力は対抗要件ではなく効力(発生)要件であり、登記を持っていなければそもそも権利が発生しないという形のものである。これはドイツ法が形式主義をとっているからであり、不動産の売買において登記が譲渡されないということは、まずありえないのである。よって、ドイツでは登記簿にて完璧な所有者の管理が出来ていることから、権利の外観に公信力があり、取引の安全性が保証されていると見ることが出来る。このように、ドイツ法系の登記制度の特徴はは公信力を認めることが出来るという点にある。
あえて詳しくは紹介しないものの、ここにイギリスやオーストラリア等で採用されているtorrens system (トレンズ・システム。登記は権限の登記であり、登記をしなければ完全な権限は存在しないとする、終局的かつ最も高いレベルでの証明) を合わせた3つが世界の主な登記体系である。
5. 日本の不動産のこれから
さて、ここまで遺産の相続と登記の関係を見てきたのだが、不動産が相続財産であるというケースは日本だけで見てもかなり多い。しかし、日本の不動産事情を鑑みるに、遺産として不動産が残っていても、それをそのまま相続しないというケースもまた多い (ここで言うのは土地不動産こそ相続するものの、その土地に建つ建築物にはほとんど価値がなく、取り壊して新しく家を建てるか土地自体を売却するといった形のことである)。これを利用したシステムに、不動産は所有しているものの、自己の介護資金を捻出することが困難であるお年寄りが、住んでいる住居を担保にお金を借りるreverse mortgageというシステムがある。
これは逆抵当的な意味合いが強いシステムであるが、要は自分が死ぬと同時に家(又は土地)を担保にして借りたお金を返済するというものであり、一般的な借金の返済のシステムの改良版といったものである。契約の満期を超えて長生きしたり、返済時に担保物権の売却価値が借入残高を下回るといったリスクこそあるものの、それは相続人に帰属することになるので、相続人の了解さえあれば有効な手段として利用できる可能性は十分にあるだろう。しかし、現時点で日本の中古住宅市場は活発でなく、減価償却等も絡んで上モノは無価値とする傾向や、担保価値が土地のみとされる傾向が強く見られること。また、バブル期には担保割れするケースが多く発生したことや、新規販売を停止したり高額不動産所有者に対象を限定しているケースもあり、普及は限定的であり今後の市場成長も
期待されないと見られている。
では、なぜ日本の中古住宅市場は活発にならないのだろうか。それは上記にも挙げた上モノは無価値とする考え方以外にも複数の要因があると考えられる。一つ目が、海外の中古住宅市場とのあり方の違いである。日本における中古販売の考え方には様々あると思われるが、販売時の家屋のあり方に注目すると、なぜ中古住宅が売れにくいのかが見えてくる。私自身一人暮らしをしている者であり、住居を選ぶ際は賃貸において一戸建てからアパートまで幅広く見て回った。結果、当時感じたことが
「掃除こそされているものの、ただ住めれば良いという箱と思しき部屋や住宅に多く出会った」 ということだ。現に、広く見て回ったものの中から現在居住する住居を選ぶ際にそういった物件は除外された訳だが、これと似たようなことが中古住宅の中で起こっていたならば、まず購入したいとは思わないだろう。将来的に高くつく場合でも、維持費等を念頭に入れて考えた結果アパートを選択する人も多くなるのではないだろうか。海外の中古住宅市場との差異はまさにこの点にあり、海外の中古住宅は
「住める」 というだけ以外にも、定期的なリフォームにより価値を保ち続けているというのが大きいと聞く。そして、元来中古住宅の存在が当然のものとして受け入れられてきたからこそ、長く同じ家を使い続けることが出来るのだ。これを日本の住宅で行おうとした場合、「リフォームを行うのは誰なのか」・「リフォームを行うことにより、格安で提供できたはずの物件の価値が上がり、安物件を目当てとした購入者の需要に答えられなくなるのではないか」
といった疑問が出てきてしまう。前後者ともに、リフォームを行った者に 「売れるかどうかも分からないものをリフォームすること」 により生じた金銭的リスクがあり、余程でない限り手をつけたいと思えないのも当然だと思われる。二つ目に、日本という国は土地が少ない国であり、国民の気風もあって新築の方が需要が高いということである。現在も進行系で人口が増えていると言われている (あえて触れるならこれからは減ると言われている) 日本だが、その土地の数には限りがあり、古いものを受け継ぐ人がいなければ壊す他に手段がないというのがある。無論、一点目が受け入れられなくての二点目となるので、受け入れればいいという結論にはなり難いのが現状だろう。また、これは一点目にも絡んでくるが、新しいものに住みたいと思うのはほぼ人として普通の認識であると私は感じており、単に新しいだけでなく、建築技術の発展に伴う建物の実用性の強化にも注目したいところである。これがまさにリフォームによって最新式に改善されたならば中古住宅市場も大きく変わってくるのではなかろうか。
これら二点から導き出すに、中古住宅を変えていくためには各価格層に対するニーズの把握、並びにリフォームに踏切るための投資能力を持った人物が必要ということである。だが、日本の現在は近年アベノミクス等を通して景気が回復しつつあるとしても、まだまだ不景気の只中にあるというのが正直なところである。また、資産の保有率を見ても若い世代よりもお年寄りが一層多く資産を持っていることから、困っているお年寄りがいる中で、別段困っていないお年寄りも多く、資産を持たない若者はそもそも家を購入出来ないといった悪い傾向が出ている。そうなると、リフォームの料金を出すのもお年寄りで、リフォームされる家を持っていたの
もお年寄りという訳の分からぬサイクルが起こってしまう (ただし、リフォーム後の家屋を売買した代金は相続財産として遺族に受け継がれるというのを考えると、お金が回る可能性は多分にあると考えることも出来る)。また、家を購入して改築し再度売り出すという一大事業に、年をとってから乗り出すという人も大分少ないと思われる。よって、アメリカ・中国に次ぐ世界第3位の木材消費国であるという負の側面はあるものの、その解決が実現するとなると相当先の未来になるのではないかというのが私の考察である。
以上
< 目次 >
1. 結論
2. 日本法における相続・登記
3. アメリカ法と登記
4. ドイツ法と登記
5. 日本の不動産のこれから
<参考・引用に用いた書籍、又はサイト >
授業ノート
六法全書
民法T・W [ 内田貴 著 / 東京大学出版会 ]
Wikipedia 次の各項目(URL省略)
アメリカ法 / ドイツ法 / 民法典(ドイツ) / リバースモーゲージ
ドイツ・相続法の改革 (PDFファイル)
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/legis/pdf/02420206.pdf
相続税法と遡及効 (PDFファイル)
http://www.sllr.j.u-tokyo.ac.jp/07/papers/v07part04(nagato).pdf
不動産登記研究プロジェクト報告 (PDFファイル)
http://www.moj.go.jp/content/000010291.pdf
一般財団法人 全国木材組合連合会 (世界の木材生産量及び消費量)
http://www.zenmoku.jp/ippan/faq/faq/faq1/209.html
横山一馬
【結論】
私が思うに、日本法とアメリカ法を見比べたとき、物権変動におけるアメリカ法の特徴として、『善意者保護』の採用が多いように思える。日本法の考える物権変動は、常に登記簿に従った善、悪を意識しない物的編成を主軸としている。
この違いは、私にとっては非常に大きなものである。別に日本法を批判するわけではないが、アメリカ法の『信じた者が救われる』という考え方こそ、本来あるべき姿ではないか。
T権利の移転と登記、日本とアメリカ
例えば、AからBへ権利が移転したしたのちに、BからCへと同様に権利の変動があったとする。今回の場合は、不動産を例にとって考える。
Aは、Bに不動産を売却cしたのちに、実はBが詐欺を働いていたことを知る。AはあわててBから不動産を取り戻そうと、Bとの契約を取り消した。しかし、Bは、不動産を自分のものと偽り、Cへと売却し、Cはそれに登記を備えてしまった。さらに、CはBがAに対し詐欺を働いていたことを知っていたとする。(悪意)
この件を例にして、二つのパターンを検証する。
@取消し前にCが登場した場合
取消前にCが登場した場合、この時には、本来権利者保護で処理をする。ただし、Cが善意であった場合には96条3項によって、Cの勝ちとなる。また、強迫による取消の時にはすべてAの勝ちとなる。これはAを当事者として契約の枠組みの中に残したものである。本来権利者であるAの保護を目的としている。
A取消し後にCが登場した場合
この場合、すなわち「Aの取消後、CがBから買った場合」は民法第177条(不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成16年法律第123号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。)によって対抗問題として処理する。つまり、先に登記したほうが勝つ、ということである。ここでは、Cが登記をしているので、たとえCが悪意であったとしても登記があるのでCが権利を得ることとなるのである。
日本では、上の例題でも取り上げているように土地台帳に権利者を記載する『登記制度』をとっている。この登記は、対抗要件となるものである。これは公示の原則(race tipe)の根底にあるもので、日本の不動産売買はこの『登記制度』が支えている。
では一方、アメリカではどうなのか。アメリカは日本と違い、まだ歴史の浅い国であることに加え、土地が広大であることから台帳での管理が難しい。そこでアメリカでは、証書(Deed)を登録する『Deed制度』をとっている。これは日本の登記制度とは大きく異なる様式であり、いわゆる契約の有効性を証明する証書である。日本と相違する特徴は、『悪意の者は保護されない』という点である。
日本では善悪の境界線がなのに対し、アメリカでは善意取得のみ保護する規定が設けられている。
U意思主義、形式主義、登記とDeed
相続における遺産分割後の権利の争いは、日本法の場合、常に登記が早かった方が権利を手に入れる。外国でこのような事柄を扱った時、法源の重要視と主義により異なる。元の法源から文書の形で制定した成文法を最も重視する『成文法主義』(ドイツ・フランス)の考え方と、判例を最も重視する『判例法主義』の二つに分かれる。
その中で、ドイツは物権変動そのものは原因行為(売買契約等)から独立した物権行為すなわち物権的合意及び登記によって生じるとする『形式主義』、フランスは物権変動は原因行為(売買契約等)とともに発生するのを原則とし物権変動のために一定の形式を備えることを要しないとする『意思主義』を採用している。日本はフランス法の影響を強く受けており、意思主義を採択している。
ドイツ法では、物権変動の考えにおいて常に形式主義であり、登記が移転しない限り所有権は移転しない。対するフランス法は、意思主義であり、当事者の意思の合致のみで所有権が移転する。
日本では、フランス法同様に意思主義を採択しているが、不動産取引においては登記制度に拘束され、常に『早い者勝ち』の原則に縛られる。
最後に、アメリカではどうであろうか。アメリカはフランス法と同様の意思主義を採用している。しかし、日本法と異なるDeed制度によって、『善意者が勝利する』という単純かつ明快な悪意排除の原則で善意取得者を保護する。すなわち、不動産取引に、公信の原則(notice
type)に類似する『公信力』を認めているのである。非常に魅力的ではないか。日本法のガラパゴス化がもたらした法の矛盾を、英米法は見事なまでに単純な法制度で論破している。
V抵当、アメリカの抵当の考え、中古住宅と日本の住宅事情
アメリカと日本では、『住宅の価値』が異なる。アメリカは国家としての歴史が浅いにせよ、国内には多くの歴史的建造物が残るうえ、『100年物』の住宅や、曾祖父からの住宅、中古で買った住宅、など、とにかく住宅に対してもつ価値観が何異世代にもまたがっている。
対して日本では、『中古』や『昔』などといった『使用済み』の物については、大げさなほどに拒絶反応を見せる。そのため、住宅に関しても、中古住宅や古い住宅に対する価値観は底辺であり、新築住宅への依存性が非常に強い。そのため、たった20年という短期間で住宅を立て直し、中古の住宅は買主が見当たらずに空き家と化してしまってる。
この問題は『抵当』という要素にも大きく絡む現象である。
Mortgage(モーゲージ)、要するに抵当であるが、抵当とは、簡単に言えば不動産を担保にした貸付のことである。金銭を借り入れた際に、その保証として不動産を担保の目的物にするのである。通常、借り入れた金額を返済することで、債務を弁済し、それによって抵当を付従的に消滅させるのが一般的であるが、これに例外的な抵当として、Reverse Mortgage(リヴァースモーゲージ)という制度が存在する。これは自宅を担保にして銀行などの金融機関から借金をし、その借金を毎月の年金という形で受け取る制度である。年月と共に借入残高が増えていき、残高に対する利息も未払いのまま残高に複利的に加算される。契約満期または契約者死亡時のどちらか早い時期に一括返済しなければならない。現金で返済できない場合は、金融機関は抵当権を行使して担保物件を競売にかけて返済に充当する。契約者死亡の場合の返済義務は保証人または契約者の相続人が承継する。通常のモーゲージ(=抵当・担保)ローンでは年月と共に借入残高が減っていくが、この制度では増えていくのでリヴァース(逆)モーゲージと呼ばれる。
日本でもこの制度は導入されて入るものの、先に述べたように、日本では中古住宅市場が活発ではない。というのも、やはり先に述べたが、日本では中古住宅への価値観がアメリカと異なりほとんどないのである。そのため、住宅の価値は年々下がっていくため、担保割れするケースを危惧し、導入は限定的である。今後の市場発展は望めないといってもいい。これは日本の住宅事情を考えるうえでは非常に憂うべき問題である。
W終わりに、アメリカとこれからの日本
これまで見てきた日本とアメリカの違いを考えたとき、不動産取引しかり、中古住宅しかり、アメリカの制度や考えはは非常に魅力的である。法の矛盾は本来あってはならないものである。日本は、江戸から明治へ、大きく変動の時代を経験した。これからの日本はどうあるべきか、それを考えるべきは今である。法の世界に変動期が訪れているとすれば、それは日本の歴史が文明開化へと歩を進めたように、法も開花への階段を上るべきではないか。
参考
中江ゼミ優秀答案、Yahoo知恵袋、ウィキペディア、ポケット六法、ハテナキーワード、コトバンク、不動産コラム
竹内信行
私は現在の日本法全体に何か手を加えるべきだと考えている。
なぜならば、今の英米法や大陸法が混ざった状態はとても不自然かつ将来性がないからであり、個別に修正しているのでは間に合わないし、なにより完成までに途方も無い時間が必要だろう。英米法と大陸法を見ながら説明していく。
<英米法の特徴>
英米法においては契約が有効である条件として、まずconsideration(以下約因)が必要だとされており、全てはここから始まる。これがなければそもそも契約が行われたことすら主張できず、裁判でも敗訴する原因としては十分という位置付けである。英米法の大きな特徴の一つだろう。米国にはreverse mortgageという、自宅を抵当として融資してもらう制度がある。通常ならば危険な契約ではあるが、ここでも約因があれば契約を行うことはもちろん、約因がないことを証明して契約を正しくなかったことにすることも可能だろう。では約因がある、つまり契約が存在したとすれば、次に決めなければいけないのが保護対象である。望ましいのは、当事者同士が満足する契約であるが、取引においてトラブルが発生することは完全に予防しきれないだろう。そのために保護対象をあらかじめ決めておくのだが、ここでそれぞれの国での違いが顕著になってくる。当てはめる枠は、notice typeとrace typeとその中間、英米法不動産取引証書登録法で言えば、Notice Recording Statute(善意者保護)、Race Recording Statute(先順位者保護)、Race-Notice
Recording Statute(善意登録者保護)である。notice typeは善意者保護、race
typeは対抗要件、つまり早い者勝ちのことで、代表はdeedである。これは捺印証書のことで、登記とは少し異なり不動産取引毎の証書であって、不動産毎ではない。しかし最終的な目的は同じである。これらにも、どれを裁判で勝たせるべきかという議論があるが、この結論はアメリカでは州ごとに異なる。不満があれば、引っ越せば良いだけなので日本とは違い、3つの考え方が存在しても大きな問題にはなりにくいだろう。仮に日本がそれを真似ようとしても、領地が狭い日本ではかえって混乱を招くので無理である。
<複数の議論点>
では何のどの部分が議論されているのかだが、これはいくつもある。たとえば公信の原則と公示の原則だ。不動産所有権移転時、公示力、つまり登記があるかないかは重要なファクターであるが、この登記の位置付けには国ごとに違いがある。たとえばドイツでは、登記制度が完璧なので、登記を移さないと所有権は移転しない。対して日本では意思の合致で移転する。登記が成立要件か対抗要件かに違いがあるのだ。しかし、この対抗要件という点が様々なトラブルを引き起こす。
また、善意取得できるかどうかも議論される。契約とは基本的に善意者が権利を主張しやすい立場にある。なぜなら悪意者が知っている事実とは、例外はあるが大抵自己のためや、相手に損害を与えるためのものであり、自然と保護対象から外されてしまう。 しかし解除する場合や一部の判例では、権利主張の際善意悪意は関係ないとされている部分もある。この善意者を保護する理由、あるいは悪意者も保護する理由に関して矛盾が存在する。ここでさらに問題となるのが形式主義と意思主義である。違いは、物権変動の際、一定の形式を備える必要があるかどうかである。前者はドイツ法で採用されており、意思主義を採用しているのはフランスである。日本にも、民法176条で意思主義に立っていると解されている。これらは原因行為(売買契約等)と物権変動がともに発生するか、あるいは独立しているかという点で考えが異なっている。だからドイツで不動産の所有権移転を行う場合は登記が「必須」なのである。
現日本法はこのような価値観の食い違い、また議論点を多く抱えている。したがってこのような体制において、1つの価値観に沿った法律を作ることはおよそ不可能である。
ではこれほど多くの議論点が存在するのはなぜだろうか。
まず現在施行中の法律にこれほど議論する余地が存在していることには違和感を覚えるべきだ。なぜなら議論点が多ければ多いほど国内が混乱する可能性が高く常日頃からリスクを抱えることになるからだ。またそのような法律は上等とは呼び難い。私は、法律の歴史に問題があるのではと考えている。
<英米法と大陸法の歴史>
そもそも英米法は、ゲルマン法の一支流であるアングロ・サクソン法を背景として成立した法である。ゲルマン法とはローマ帝国崩壊後に出現したゲルマン諸国家の法であるが、元々これは万民法的側面がない慣習法である。だからそれを受け継いた英米法は判例を第一次的法源としているのであって、決して現代の人々の気質を反映したわけではない。また
一方大陸法は、ローマ法、カノン法を全面的に承継して成立した法である。ローマ法はその名の通りローマ帝国の法であり、1000年以上の歴史がある。ただし、ゲルマン法の影響を受けたため消えかけた事もある。教会法などと合体し独自の発展を遂げることで生き延び、最終的に大陸法系の生みの親となった。
英米法と大陸法は互いに歩んできた歴史が違う。また、お互いに影響し合い、大昔から現在までの超長期間生き延びてきた。だからこそ、そのルーツをしっかりと捉えなければ英米法と大陸法の区別を付けることはまず不可能である。同時にルーツを掴んでいることが普通と言えるだろう。
法律とは一つ一つに存在理由がある。ただし、作られた当時と現代において存在意義や保護対象が妥当ではなくなっていることは大いにありえるはずだ。その法律の歴史が長いならばなおさらである。そのズレを解消する、すなわち現代社会に適応させることはいつの時代も欠かせず行うべきだ。
<日本法の歴史と問題点>
問題点が多い日本法だが、歴史を辿れば概ね納得できる現状である。そもそも日本は弥生時代、現在のような法律は存在せず呪術的な風習や裁判が行われていた。そして聖徳太子が十七条憲法を定めたのが604年。これに対してローマ法の十二表法誕生は紀元前449年。明らかに遅れている。国家の歴史では我が国日本は長い部類だが、法律の歴史でははっきり言ってベテランではないと私は考えている。元々は風習などを重んじた慣習法であったにも関わらず、唐突に性能の高い法を求めたために順応が遅れたのかもしれない。だがやはりこの出遅れは他国と比べて手痛いだろう。そして607年に遣隋使が派遣され、唐の律令法を継受した後、701年に大宝律令が完成した。
おそらくここから既に歯車は狂い始めていたのかもしれない。法が必要になったからといって、自作ではなく他国の法を参考にしてしまったのだ。たしかにより良いものから学び、自身の手で新たにモノを作ることは良いことである。しかし最初期の法を作る時点でこのような事をしたために、国で一度しかないであろう、ゼロから法を作るという、経験値を最も多く得る絶好の機会を失ったとも言える。たしかに当時のヤマト朝廷の事情を考えると即効性を優先させたためにそのような手法をとったのかもしれない。しかし長いスパンで考えるとやはりこれは痛手である。
しかしその後の法の発展は評価すべきだと考えている。歴史の長い国だけあって、時間をかけつつも少しずつ改善を行い、現代に適応させてきた姿勢は良い。問題は現時点で限界が来ていることだ。具体的に言えば、大陸法と英米法が同時に存在しているような状況を指す。
私はこれを、仏教国である日本だからこそ受け入れきってしまったからだと推測している。上記の通り、この2つは違う歴史を歩んできた法律である。これらは影響を及ぼし合うことはあっても、価値観が違いすぎるため同時に存在することは難しい。ではなぜそのような事態になったのか。仏教では、あまり厳格なルールはない。それは全て自らが考えて決め、行動するという考えのため、外部からの概念や情報に対しては比較的オープンである。これが不幸なことに原因となったのではないだろうか。もちろん第二次世界大戦にて日本が負けたことも理由に挙げられるが、その意見は物事の本質を捉えきれていないと考えている。
<日本の道>
ではどうすれば良いか。私の考えでは2つのプランがある。1つは大陸法か英米法かどちらかのみ選び採用する事だ。これにより社会ルールの根本を1つに集約し、それに沿った法律を作っていく。もう1つは大陸法も英米法も捨て、新しい、かつ日本人に合った社会規範を作る事だ。こちらは現実味も実現の目処もほとんどないが、1つの選択肢として存在していても良いと考えている。なぜなら現在の法制度はくたびれた服同然であるからだ。限界に達したとは、もはや手を加えられない状態を言っており、このような状況で全て一新することが率直に愚策だとは私は思わない。また未来数十年のスケールで見れば、確かに費用対効果はないだろう。だが数百年のスケールで見れば、今のうちに先手をとることはいたって合理的である。これのどこがおかしいだろうか。
<例:ドイツ法の歴史>
過去ドイツでも、ローマ法を継受するか、ゲルマン法を取り入れるかの論争があった。それぞれロマニステン、ゲルマニステンという派閥が存在し、ロマニステンは当時の歴史上唯一のドイツ統一国家であった神聖ローマ帝国の法こそ継受すべきとし、ゲルマニステンはドイツ民族固有の法はゲルマン法であって、ローマ法はその法制度を破壊した元凶と主張した。これらはウィーン体制による不満が加わったことでエスカレートし、段々とゲルマニステン支持の動きが高まった。しかしゲルマン法は慣習法であるため、ローマ法のローマ法大全のような法典・文献・研究がなかったため、時代遅れとなっていた。このときロマニステンの努力もあり、こちらはパンデクテン法学として実社会に適応し有力になったのである。しかしそれでもドイツ民法はゲルマニステンの影響をわずかながら受けている。したがってドイツは一部ゲルマン法、残り全てはローマ・カノン法を取り入れたものとも言えるだろう。
<最後に>
国の法の在り方を、もっと長いスパンで考えることも必要だと私は考える。トラブルが起きてからでは遅いのだ。法の本質が「未然に防ぐこと」であることを決して忘れてはいけない。目先の事ばかり見ていてはより良い法は生まれない。生まれるはずがない。