島 勝猛
『法人制度と天下り』13J110011 島勝猛
結論:コーポレートガバナンスを徹底せよ
概要
法人制度は、法人擬制説を基礎とした法人税課税が租税回避を行う多国籍企業によって限界に来ており、集団心理の観点からも個人の集合としてだけでなく、集団として行動しているから、明らかに、法人擬制説は限界に来ている。
天下りは、会計監査に疎く、そもそも経営実務に携わるインセンティブ(動機付け、報奨)がない高級官僚が出身省庁と深い利害関係にある民間企業・独立行政法人・公益法人、外郭団体に役員・社外取締役に就き、癒着・利権・税金を浪費する上、会計士や税理士、ましてや日商簿記さえ取得していない、行政官としては有能優秀でも、コーポレートガバナンス(企業統治)の専門家でもない素人且つ無能な天下り官僚がいることが問題である。
本課題では、法人制度の本質である法人擬制説・法人実在説の内、法人実在説の考え方を採り入れるとともに、コーポレートガバナンスの強化も射程に収める。
・赤字指定キーワード等の関係
法人の本質…法人実在説、法人擬制説、法人否認説、法技術説
政治献金…八幡製鉄事件、南九州税理士会事件、
法人の設立…準則主義、許可、
法人の種類…営利法人、公益法人、公共法人、
合憲限定解釈…全農林警職法事件、猿払事件
コーポレートガバナンス…内部統制・監査・ディスクロージャー、IFRS、コーポレートガバナンス・コード
・法人の本質は実在である(本課題「法人制度」の前提条件)…法人税、企業誘致、租税回避、集団心理
法人の本質は何か(法人格付与に対して、社団・財団の社会的活動をどう評価するか)という問いに対して、学説上、法人擬制説・法人実在説・法人否認説の三つの説があるが、更に、法技術の側面から法人を捉える考え方もある。法人実在説とは、「自然人と同様の実在であると考える説」。法人擬制説と法人否認説は、「法人の活動といっても結局はその背後にある個々の人間に帰せられるとする説」。上記の法人学説の三つは、社会集団(あるいは財産)を国家が法律で承認すべきか否かという政治思想でもある。対して、その政治思想に関係なく、「人間集団の外部関係・内部関係を簡易に処理する一つの法技術であるという側面から法人を捉えようとする考え方」がある
(便宜的に”法技術説”とする)。
我が国は、法人税(法人の所得に対する課税。コーポレーション・インカム・タックス。平成26年度予算に於いて、国税収入の内、2割を占める)の法人学説として法人擬制説を採る。これは、法人税は自然人の集合体を利益の為に擬制したという米国法の考え方でもあり、これに基づいて日本税制が法人擬制説を採るからでもある。従って、法人税の例から、我が国はどうやら法人擬制説の立場に立っているのではないか。
法人擬制説を検討する。法人は飽くまでも個人の集合に過ぎないという考え方は、強力な個人主義が根底にあるのではないか。確かに、会社であろうが地方公共団体であろうが国家であろうが軍隊であれ、必ずその構成員は人間であり、個々人の集合体であるというのは一理ある。実際、個人がいなければそもそも集団など成立のしようがないのだから、集団の構成要件・成立要件を追及していけば、個人のという一つの単位に行き着くだろう。
しかし、本当に法人は個人の集合に過ぎないのだろうか。法人が個人の集合であるというのは、上記の通り、成立要件及びその単位として理解できる。だが、集団というものは、個人の心理でなく、集団心理や群集心理、あるいは社会心理として行動するというのは、言わずもがなである。もし、集団心理がなければ、宗教はなかったかもしれない、戦争のプロパガンダにしても有効に働かないだろうし、選挙の演説なんて意味がないだろう。個人が、マス=コミュニケーションやソーシャルネットワーキングサービス(SNS)に繫がり、個人の判断力を感覚麻痺させ(”輿論”や”共感”)、常に”神話”が作り出されている現状、最早、この社会には個人だけでなく、一つの意
識・方向 性としての集団があるのだといい加減認めるべきである。
今度は、多国籍企業の租税回避の観点から、法人擬制説を検討する。法人は個人の集合であるという建前上、生じる問題が”二重課税”の問題である。法人の構成員である株主に課税をするのならば、その法人に課税するのは二重課税ではないかという争いである。国際的二重課税に関しては、国内法あるいは租税条約によって排除するのが普通であるが、法人税課税と配当に対する課税は二重課税なのだろうか。これに関して主張されているが、統合論である。統合論とは、法人税の統合ということで、「法人税と所得税との重複課税を排除すべく、両者は統合されなければならない」という考え方のことを指す。
しかしながら、法人税統合の方式として主張されている組合課税方式(法人を組合と見做す)と源泉徴収方式(法人税を所得税の源泉徴収と見做し、持ち株数に応じて、分配を問わず株主に帰属させ、所得税額より法人税相当額を控除する)は、あまりにも複雑な制度になる為、現状、法人税の部分的統合(先進諸国で配当部分に対する二重課税を排除する方式)に留まっている。
更に、有名な多国籍企業がそれら制度や租税回避地(タックスヘイブン)・租税回避集団(税務に精通する会計士・税理士・法律家で構成され、新種のタックス・シェルターを次々に作り出し、売買している)を利用し、租税回避スキームを活用することによって、当該国・当該地域に於いて利益を稼いでいるのにも関わらず、法人税を納めないという事例が知られている。二重課税という所得の不公平とインフラを利用しているにも関わらず、公共サービス費用としての税金を負担しない不公平は、どちらが許されないだろうか。企業活動の自由と競争力強化という観点から考えれば、二重課税を排した方が、企業誘致という利点があるだろう。一方、租税が利益説(公共サー
ビスの対 価。対価説)の立場を採れば、明らかに、サービスを受けているから、当然に負担すべきとなるだろう。では、翻って我が国はどうかというと、会費説が通説だが、会費であるならばどのみち負担すべきである。
現状、多国籍企業に限らず大企業は、その影響力に於いては、時に国家を凌駕するリヴァイアサンと化しているから、その点から言っても法人実在説を採るべきである。
・政治献金は認められる(但し、強制加入団体は任意加入団体に移行すべき)
問題点として、政治は公共事業であるから構成員の信条を潰しても献金できるから、八幡製鉄事件では献金を認め、南九州税理士会事件では献金を認めなかったのは矛盾するという主張があることだろう。確かに、政治は公共事業と言えるだろう。構成員に利益を配分する訳ではないから(いつだって、一部の人々に配分されるから)、妥当だと思われる。
しかし、八幡製鉄の様な企業であればいつでも気に食わなければ脱退すれば良いが、税理士会の様な強制加入団体は、加入団体の政治的主張が気に食わないからといって脱退するということは、即ち、職(食)を失うということである。税理士や行政書士の様な、業務独占資格である国家資格は、法定の士業団体に登録しなければそもそも資格を得られない、業務を開始できないのである。これは、不公平ではないか。
であれば、政治は公共事業であるから政治献金は認められるという主張には賛意を示すにしても、強制加入団体は任意加入団体に移行すべきである。
・合憲限定解釈は認めない
判例は、猿払事件に於いて合憲限定解釈を認め、全農林警職法事件で判例変更し、一律禁止を合憲とした。財政民主主義や人事院の代償措置を理由としたものであるが、当然と言える。はっきり言って、公務員の様な安定した且つ税金によって養われているのにも関わらず、政治行為や争議を行いたいというのならば、公務員を辞めてから主張行動に移せばよかろう。でなければ、おとなしく働いて、税金から給料を貰えば良い。
・法人設立は、原則として準則主義に
法人設立に於ける規制手段として、特許主義、許可主義、準則主義、自由設立主義が挙げられる。特許主義とは、「個々の法人の設立のためにそのつど特別の立法が必要である」とする考え方。許可主義は、「一般的な法律に基づいて主務官庁の許可を得て設立できるとする」考え方。準則主義は、「一般的な法律の定める条件を具備すれば当然に設立できるとする」考え方。自由設立主義は、「全く自由に設立できるとする」考え方である。
本課題では、法人の本質は法人実在説であるとする前提条件であるから、国家は社会集団が実在であるから法律で承認すべきであるという考え方を採る。従って、特許主義や許可主義の様な、飽くまでも国家によって擬制されるかの如くの主義主張は、馴染まないし認められない。法人実在説に沿うのは、条件具備で当然に設立できる準則主義とそもそも法律によってではなく完全に国家権力の手続・審査を踏むことなく設立できる自由設立主義の方が近いだろう。しかし、我が国では、自由設立主義は認められていない。恐らく、社会集団が実在するという現実の一方で、一々、それら集団を法人として承認するのはそれはそれで現実的ではないからだろう。加えて、我が国には、暴力団の様な反社会集団やオウム真理教の様なテロリズム・内乱予備集団があった以上、おいそれとは承認できない背景があるだろう。故に、自由設立主義は理想的ではあるが、国益及び公益の観点からその主義を認めるのは極めて難しいと言わざるを得ない。
では、準則主義はどうだろうか。我が国では、一般法人法と会社法に於いて、一般社団法人及び一般財団法人並びに会社の設立手続は、法人格取得の設立登記を行い、その際に登記官が準則に沿ったものかを形式的に審査するから、一般社団法人・一般財団法人・会社は準則主義によって設立された法人である。設立登記と形式審査という設立の自由を確保しつつも、法律上の要件を具備できるという点で素晴らしいと思う。
役所の公益認定の権限に関しては、天下りの項目で扱う。
・医療法人の株式会社化を全て認めるべき(法人の種類)
法人の種類には、公法人と私法人、社団法人と財団法人、営利法人と非営利法人、内国法人と外国法人、公共法人等が挙げられる。本項では、特に営利法人・公益法人・公共法人に触れる。営利法人とは、「営利というのは、法人自体が収益を上げるだけではなく、その構成員に利潤が配分されることを意味するので、構成員(社員)の存在を要素とする社団法人(だけが営利法人にとなることができる)」であり、準則主義の手続によって自由に設立できる。公益法人とは、「祭祀・宗教・慈善・学術・技能などの公益を目的とし、営利を目的としない法人」。公益法人の形態としては、社団法人(e.g.日本赤十字社)として設立することもできれば、財団法人(e.g.日本相撲協 会)として設立することできる。更に、法人税法上、低い税率に抑えられているなどの保護(特権以外の何ものでもないと思うが)がある(但し、収益事業から生じた所得は課税)。公共法人とは、「法人税法上の観念で、法人税を納める義務のない法人である」。公共法人に分類されるのは、学校法人・宗教法人・社会福祉法人、公庫・公共組合・事業団等が法人税法に列記されている。
しかし、医療法人は公共法人に含まれず、法人税法上、株式会社と同様に営利法人に分類される。何故なら、儲かるからである。即ち、表向き公益法人だとしながらも、法人税法は、医療法人を収益事業だと見做していると考えられる。税法の勉強をしていてつくづく思うことだが、「国家というものは、税金を取る(盗るとも書く)ときに本音が出る」ものなのだ。医療法人を営利法人に分類してまで税金が欲しいのならば、全て株式会社化を認めるべきである。でなければ、国家は医療法人を公共法人に分類して(法人税法を改正して)、指を咥えていれば良い。
・天下りは職業の自由(但し、公務員試験に会計学と監査論を必修化、幹部候補及び天下り対象者は税務大学校で研修を義務化)
天下りの問題点は、経営能力がない官僚である。他にも、癒着や利権、税金の無駄遣いが指摘されているが、一番の問題点は、そもそも天下り官僚自身に経営のインセンティブがなく、失敗してもサンクションがなく、何もしなくても役員任務懈怠責任を追及されることもなく、やり過ごすことこそが一番の問題点ではないか。
いくら癒着や利権、税金の無駄遣いを指摘し、対策を立てたところで、抜け道が用意されるのは目に見えている。民主党政権時代の行政改革だって、結局、蓋を開けてみれば骨抜きにされていたではないか。はっきり言って、意味がないのだ。
であれば、どうするか。他に方法はないのか。いや、ある。官僚の無責任体制を改めて、失敗したら責任を取らされるという極めて当たり前の制度にすることだ。いくら抜け道を作ろうが、常に責任を問われる緊張状態に置くべきである。抜け道は作りたければ、いくらでも作れば良い。どのみち、責任を追及するのだから。
では、具体的にどの様な制度が考えられるだろうか。例えば、公務員試験に会計学と監査論を必修科目とし、会計処理能力を養わせ、会計監査を事前に学ばせる。しかし、それでは現在の官僚には意味がないから、更に、幹部候補及び天下り対象者は税務大学校で、他の国税庁職員と共に研修することを義務付けるというのは如何だろう。経営のインセンティブとしては、業績連動型役員報酬を導入する。経営のサンクションとしては、経営失敗に対する役員損害賠償義務を負わせる。怠惰に対しては、会社のみならず、全ての法人役員に対して任務懈怠責任を拡大・追及すべきであろう。
ここまでしても、抜け道はあるだろうか。あると言わざるをえない。上記の天下り先ポストは、飽くまでも法人役員を前提にしているから、役員ではないが、幹部として高額の報酬をもらうという場合も考えられる(例えば、「執行役員」「相談役」「顧問」という役職・肩書き)。しかし、そこまでを対象適用範囲とするのは、さすがに範囲が広すぎて法律としてなかなか難しいだろう。
公益認定の権限に関しては、第三者委員会を作ろうが人選で介入され意味がないだろう。故に、公益法人も営利法人と同様に準則主義にしてしまえば良いのだ。更に、公共法人の分類を廃し、必ず法人税を払わせるべきである。
・コーポレートガバナンスを徹底せよ
本課題では、法人の本質や法人税、官僚の経営能力について論じてきた。さて、それら課題を貫くキーワードは何だろうか。私は、コーポレートガバナンスではないかと思う。何れの論点にしろ、その背後には企業統治の問題があったのではないか。
コーポレートガバナンス(企業統治)とは、「企業経営の適法性や効率性を確保」するためのもので、具体的には内部統制と監査を指すが、更に、コーポレートガバナンス・コードとして、コーポレートガバナンスに必要な体制を定めた基本原則を日本でも導入する動きがあり、単なる企業内部に留まらず、企業のステークホルダー(利害関係者)の利益を考慮した原則でもあり、上場企業が順守しない場合は、コンプライ・オア・エクスプレイン(遵守しない場合は、その理由を開示)が求められる等、現在、金商法の世界でも改革が進んでいる(しかし、IFRSの強制導入は遅れているが)。
私は、これらの企業統治(原則)の考え方を、他の法人にも適用することで、法人制度にしろ天下りにしろ、諸問題を改善の方向に持って行けるのではないかと期待している。
・結論のまとめ
法人の本質は、集団心理と租税回避の観点から法人実在説である。
政治献金は、公共事業に包摂されるから、認められる。但し、職業の自由を考慮し、強制加入団体は任意加入団体に移行すべき。
法人設立は、原則として準則主義に。
合憲限定解釈は、認めない。
天下りは、職業の自由だが、対策として公務員試験に会計学と監査論を必修化、幹部候補及び天下り対象者は税務大学校での研修を義務化。経営に参画させる為にインセンティブ(報奨)とサンクション(制裁)を与える。例えば、役員の任務懈怠責任を追及しやすくする。業績連動型役員報酬を導入する等。公益法人は準則主義にして、公益認定権限を官僚から剥奪。更に、公共法人の分類を廃し、法人税を払わせる。
総括として、コーポレートガバナンスを徹底する為に、一般法人法・会社法・金融商品取引法を改正し、内部統制、ディスクロージャー、監査制度を強化、IFRS(国際会計基準)とコーポレートガバナンス・コードを強制導入すべきである。
・参考文献※引用は「」、引用中の省略は「…」で表す。
『法律学小辞典(第4版補訂版)』編集代表:金子宏・新堂幸司・平井宜雄(有斐閣)
『デイリー六法(平成27年版)』
『税法T』講義資料
『金融商品取引法入門(第6版)』著:黒沼悦郎(日経文庫)
文字数:6914(スペースを含めない)
齋藤未佳
13J108015 齋藤 未佳
法律学演習T テーマ 法人制度と天下り
0. 結論
現在の法人制度は天下りにより正常に機能することを害されていると言える。
1. 天下りのメカニズム〜天下りの必要性と批判〜
まず、どうして天下りが必要なのか。キャリア官僚の人事制度とは、国家公務員試験一種に合格して各省に就職するキャリア官僚は、課長ポストまでは、同期がほぼ一斉に昇進する。そこから先は、一人、二人と、肩たたきを受けて、早ければ四十代で退職していく。局長ポストまで上り詰めるのはせいぜい二人であり、そのうちのどちらかが事務次官に昇進すると、もう一人の同期は役所を退職する。事務次官は役所のトップであるが、そのトップと同期かあるいは上の年代の官僚が部下にいると、事務次官は仕事がやりにくくなる。事務次官が入省年次でも一番古ければ、文字通りのトップとして、業務の指揮がとりやすくなる。そこで、同期を少しずつ「間引いて」いって、最終的にはただ一人を残すシステムだ。しかしこのシステムを守る為には、まだ定年にはずっと間のある局次長や審議官、それに局長が役所を退職しなければならない。まだ若いのに、途中でやめてしまっては生活ができないため、そこでどこかに天下りをする。つまり、現行のキャリア官僚の人事制度を維持する上で、天下りが必要になっているのだ。このため、各省の大臣官房には、退職する幹部の再就職斡旋担当者がいて、関係団体や企業に声をかけている。自分の省の人事システムを維持する為に、天下り先の確保が大切になるのである。
では、なぜ天下りは批判されるのか。天下り官僚に支払われる給与、退職金の原資はすべて税金だ。多くの天下り先が税金で運営される各省庁管轄の独立行政法人で、そこに多額の税金が垂れ流しされ、その天下った役人の食い扶持となっている。すべての独立行政法人に使われている金額は百兆円規模とされており、これだけの税金(保険料も含む)が垂れ流され、一部の独立行政法人では、かなり貯め込んでいる例などもあるため、批判されるのだ。日本的慣行の年功序列制が人事を硬直化させている影響もあると思う。しかし、最も問題なのはキャリア官僚と民間との間での出世競争での扱いだ。キャリア官僚は同期との出世競争に敗れれば、天下り先に肩たたきされるが、待遇は維持される。民間は同期の中で部長になっているものもいれば、課長のままの人間もいる。待遇も同期間で差が出る。本来であれば、出世も待遇も同期間で差を付ければ問題はないが、キャリア官僚は待遇だけは維持しようとするから、経費が増大するのだ。GDP500兆円に対し、累積債務は1040兆円にまで膨れ上がっている現状の問題に、天下りが影響していないとは言えないだろう。
2.法人制度〜天下り先と鉄のトライアングル〜
次に、天下り先にはどのようなものがあるか。まず、法人を設立するにあたって、主に大きく分けて4つの設立方法がある。国家の干渉度が厳しい順に挙げていくと、特許主義、許可主義、認可主義、準則主義となる。特許主義による設立は特別法が必要で、裁量の幅は大きい。日本年金機構などの独立行政法人がこれにあたる。許可主義による設立は役所の許可が必要で、裁量の幅は特許主義より大きくはない。税理士会などの公益法人がこれにあたる。認可主義は既定条件が整っていれば必ず受理され、裁量の幅は小さい。労働組合などの中間法人がこれにあたる。準則主義は既定条件を具備した上での手続きにより当然に設立でき、裁量はない。株式会社などの営利法人がこれにあたる。もっとも天下りしやすい法人は特許主義で、次に許可主義、認可主義、そしてもっとも天下りしにくいのは準則主義となる。
なぜこのような順序になるのか、ポイントとなるのはいわゆる「政官財の鉄のトライアングル」という仕組みだ。財界等の業界団体が政治献金で族議員に代表されるような政治家を輩出し、財界に影響力のある官僚を天下りで懐柔する。官僚は所轄業界をまとめ、その利益代表として動き、政治家・財界を許認可権限・公共事業・補助金振り分けで影響力を持つ。政治家は官僚・財界の通したい法案成否について影響力を行使し、財界から政治献金を集め、官僚への限定的指揮権を持つ。このような仕組みになっているため、批判がある「官」から「財」の関係にあたる天下りだけをなくす、というのは大変難しい。
「財」から「政」への政治献金について判例をみてみる。「八幡製鉄事件」と「南九州税理士会事件」を比較してみると、判決は八幡製鉄事件では、会社も納税者であり自然人と同じく政治的行為の自由が認められる(献金もその一環)ため目的の範囲内の行為として有効であるとした。一方、南九州税理士会事件では、公益法人である税理士会については、税理士に実質的に脱退の自由が保障されていない強制加入団体であること、憲法19条の思想良心の自由の侵害行為にあたること等から税理士法改正のためであっても、税理士会が政治献金をすることは目的の範囲外の行為であり無効であるとした。
「政」と「官」の関係についてもみてみる。官僚の将来が確保されている理由の中には、公務員の労働基本権の制限がある。この制限の代償として身分、任免、給与等の周到詳密な法律の規定及び人事院勧告制度という十分な代替措置があるのだ。労働基本権の保障については、過去に判例変更があった。第二次世界大戦後の日本の無条件降伏を受けて昭和20年、連合軍総司令部GHQは公務員にも民間労働者と同様に労働基本権を保障したが、労働運動は激化を極め、約2年後には、一切の公務員について団体交渉権・争議行為を禁止した。その後、昭和41年の「全逓東京中郵事件」で、憲法第28条の労働基本権の保障については公務員にも基本的には及ぶものとし、労働基本権を制約する法規定は一定の考慮がなされてはじめて合憲であるとする合憲限定解釈をとり、立場を変更した。さらに、昭和48年の「全農林警職法事件」で再び解釈を変更し、争議行為を一律に禁止した。昭和49年の「猿払事件」では公務員による政治活動は全面禁止としている。これらの歴史と事件から、公務員労働基本権の制限には、政治的背景があると言えるだろう。
このように、政官財の結びつきは大変強いものと思われる。
政官財の結びつきが強い結果、特に天下りの結果、発生してしまった事件もある。例えば、「薬害エイズ事件」だ。この事件は、1980年代に主に血友病患者に対し、加熱などでウイルスを不活性化しなかった血液凝固因子製剤(非加熱製剤・クリオ製剤)を治療に使用したことにより、多数のHIV感染者およびエイズ患者を生み出した事件である。事件の真相は、製薬会社の社長は元厚生労働省の官僚であった。つまり天下りだ。そして、日本で使用可能な薬を認証するのは厚生労働省だ。現厚労省は、薬価差益で利益を得るために薬を使い切りたいという元厚労省の意向を無視出来なかったのだ。天下りによって法人に影響があり、国民の健康が守られなかった。
3.公益法人制度改革〜一般法人法〜
2000年から2008年にかけて公益法人制度改革が行われた。1896年制定の民法に基づく旧公益法人制度は、2008年12月に、一般法人法として抜本改正され、110年以上続いてきた(旧)民法による公益法人制度は、終わりを告げた。それにより「一般法人」が創設された。一般法人は、行政庁における認定機関による公益認定を受けることにより(ここの、公益認定は役所の権限である)、新・公益法人となり、税制上の優遇措置等が受けられるといった制度に大きく変わった。また、一般法人法によると「役所による監督はなく自由がある」ということになる。監督されないということは、内部統制がきちんと行われなければならないということだ。これまでの財団・社団法人については、日本相撲協会や漢字能力検定協会の例のようにさまざまな問題点があり、また天下りの温床になっているとの批判もあった。こうした不都合を解決し、民による公益を増進することは国民にとって大きな利益であると考えられる。
4.改善案と対策〜内部統制〜
上記1、2より、天下りを廃止することは難しいと思う。そこで、行政内においても内部統制をすべきだと考える。内部統制はマネジメントのツールである。行政に導入することで以下のような効果が期待できるだろう。
まず、内部統制とは、組織の活動において不可避的に発生するリスクを認識し、そのリスクに対して適切な対応を用意しようというものだ。すなわち、「現実をありのままに見る」ということが内部統制という概念の大前提となっている。このような内部統制を行政に導入することで、行政組織内部の「認知の歪み」を是正することが可能である。組織内部に「リスク」の存在を認めること、これ自体がこれまでの行政ではほとんど考えられていなかったのではないか。内部統制は公務員に新たな認識の地平を開きうる、優れた「認識の道具」であると私は考える。
さらに、これまでの行政においては、不祥事の発生に対しては組織内規制を強化するのみで、その規制が実際に機能しているかどうかについてはほとんど関心が払われていなかった。このような規制についてモニタリングしなければならないとするのが内部統制であり、これもまた、これまでの行政では考えられなかったことではないか。「規制に対するチェック」がうまく働けば、不合理で複雑に入り組む規制の重荷に苦しむ公務現場にとって、内部統制は巨大な福音となりうる。内部統制は、規制が必要かどうかを合理的に評価する仕組みであり、公務員の負担を軽くするのみならず、公務の効率の大きな増進が可能となるだろうと考える。
このように、内部統制は、行き詰まった現在の行政のあり方を劇的に改善できる道具であると私は考える。国の行政に内部統制を制度として導入する場合、まずこれらの機関に統一的に適用する内部統制の概念的な枠組みを規定した基準を作成することが不可欠である。この場合、内部統制の世界標準であるCOSO報告書や金融庁基準の「内部統制の基本的枠組み」が参考になると考えられるが、両者とも、公共部門の性格やの本の国政府固有の諸制度を反映していない。したがって、COSO報告書をベースに、公共部門の性格や我が国政府固有の諸制度を反映したものを新たに作成する必要がある。
こうして、行政に内部統制を取り入れることにより、薬害エイズのような事件は回避できるのではないかと思う。また、もし天下りに代わる制度を新設したならば、新設したところで、とても頭のいい官僚たちは抜け道を作るだろう。しかし、内部統制を実施していれば、そのような新たに発生しそうな問題も回避できるのではないかと私は考える。
参考文献・出典
中江章浩『社会保障のイノベーション』信山社
池上彰『いまの日本 よくわからないまま社会人している人へ』海竜社
Wikipedia(薬害エイズ事件)
http://www.kohokyo.or.jp/sector/sec_system.html
http://www.jbaudit.go.jp/effort/study/mag/pdf/j41d10.pdf
中江ゼミ授業ノート
猪股俊介
『法人制度と天下り』
1. 現在の天下りに関する私的見解
世間的には天下り制度のデメリットばかりが語られることが多いが、必ずしも悪いことばかりではなくメリットといえる点も持っているものである。よって、天下りを正面から全面否定するのではなく、部分的には認めるべきであると私は考える。
2. 現在ある法人の種類と政治との関わり
はじめに、法人といっても種類が複数あるので、そちらの説明から始めたい。まず、会社の設立にあたり大きな区分となるのが営利か非営利の違いがあるもの、そしてその他である。営利目的に設立されるタイプには株式会社、合同会社の二種類がある。そして、非営利目的に設立されるタイプには、NPO法人、一般社団法人、社会福祉法人の三種類がある。これらがどういった区分で分けられているのかについては、事業目的や設立手続き、所轄庁、資本金等々十を超える内容によって特徴付けられており、今回ここで一つ一つを説明するには長くなりすぎることから割愛する。
最後に、その他に区分される法人の例として挙げられるものに独立行政法人、公益法人、中間法人がある。独立行政法人とは、法人の中でも独立行政法人通則法第二条第一項に規定される
「国民生活及び社会経済の安定等の公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務及び事業であって、国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち、民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの又は一の主体に独占して行わせることが必要であるものを効率的かつ効果的に行わせることを目的として、この法律及び個別法の定めるところにより設立される法人」
を指す。簡単に言えば、日本の行政機関である省庁から独立した法人組織であり、かつ行政の一端を担い、公共の見地から事務や国家の事業を実施し、国民の生活の安定と社会および経済の健全な発展に役立つものを言う。ただし、省庁から独立しているとはいっても、主務官庁が独立行政法人の中長期計画策定や業務運営チェックに携わっている。例に挙げられるのは、日本年金機構や国民生活センター、造幣局などが挙げられる。
公益法人とは、公益 (社会一般の利益) を目的とする事業を行う法人である。そして、一般財団、財団法人法により設立された一般社団法人または一般財団法人のうち、さらに公益法人認定法により公益認定を受け、それぞれ公益社団法人または公益財団法人となった法人の両者をまとめて言うものである。例としては学校法人や医療法人、税理士会などが挙げられる。
中間法人とは、上までに出てきたもののどちらにも属さない法人である。言い換えると、営利を目的とすることはなく、公益を目的とすることもない法人である。
さて、ここまで法人の種類について簡単に触れてきたが法人と政治との関係はどうなっているのだろうか。法人が政治と関わっていく際に手っ取り早い手段の一つとして挙げられるのが政治献金である。つまり、自分の所属する会社等が思っていることを政治に反映させるために、献金という形を持って政治家や政党に貢献することをいう。これに関しては、過去に法人の政治献金に関する重要な判例が二つあったため、ここで紹介しておきたい。
まず一つ目に八幡製鉄事件と呼ばれるものである。これは、八幡製鉄 (現在の新日本製鉄) の代表取締役が、自民党に対して政治資金350万円を寄付したことを受け、同社の株主がこの代表取締役の行為が同社定款に定めるところの所定事業目的の範囲外の行為であるとし、その他商法違反を含めての会社が被った損害に対する責任追及のために訴えを起こしたことに始まるものである。
本件の争点は (1)政治資金の寄付行為は、定款所定の事業目的内の行為か、(2)本件寄付行為は、取締役の忠実義務に違反するのか、(3)会社は自然人同様に憲法の保障する人権を享受するのかの三点である。そして、特に重要とされたのが三つ目の争点であり、これは判決にも大きく関わることとなる。判決は以下の通りであり、本判決は初めて法人の人権享有主体性を認めたものとなった。根拠としては、現代社会において法人が欠くことのできない重要な存在になっていうことが一つ。社会的実態として非常に重要な活動を行っている法人の人権を認めることは、社会的実益は十分にあると考えられるとするのが一つである。しかし、人権の基本的主体はあくまで自然人であることから、法人は自然人とは違うというのもあり一定の制約を受けることになるというのがある。それを
「性質上可能な限り」 という文言に込め、法人の人権享有主体性を認めたのである。
※八幡製鉄事件 判旨要約
憲法第3章に定める国民の権利及び義務の各条項は、性質上可能な限り、内国の法人適用されるものと解すべきであるから、会社は自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。会社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するわけであるが、目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、その目的を遂行するに直接または間接に必要な行為であれば、すべてこれに包含されるものと解するのを相当・・・。これを自然人たる国民による寄付と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない。
こうして見ると、会社から政治に関与するにあたり政治献金は全面的に認められているように見えるがそうではない。それを説明したのが二つ目に当たる南九州税理士会事件である。本件の起こりは、強制加入の公益法人
「南九州税理士会」 が、税理士法改正が業界に有利に動くように、南九州各県税理士政治連盟への政治工作資金として特別会費5000円を徴収する旨を決定したことに始まる。そして、この決議に反対した税理士が会費の納入を拒否したところ、税理士会側は当税理士に、会則で定められた会員滞納者に対する役員の選挙権及び被選挙権停止条項を行使。結果、税理士が会費納入義務の不存在確認及び損害賠償を求めるとして訴訟を起こした。
この事件の争点は、一つ目の八幡製鉄事件同様に政治団体への政治献金は、強制加入である税理士会の目的の範囲外の行為かどうかである。さて、ここにきてから説明するのはやや遅い気がしないでもないが、ここに言う
「目的の範囲内」 とは一体なんなのだろうか。この目的の範囲内とは、民法34条 (法人の能力の項) にいうところの 「法人は、法令の規定に従い、定款その他の基本約款で定められた目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う」
を指したものである。法人というものは、法律によって民法上の権利能力、行為能力というものが認められているが、その法人の行為や権利は、当該法人の定款や寄付行為(定款に統一)に定められている目的の範囲内においてのみ、法人としての行為が認められる訳である。よって、この裁判の争点である
「目的の範囲外」 というのが、南九州税理士会という公益法人の行為 (つまり、本献金が民法34条に言うところの範囲内にあたる行為) なのか否かがポイントである。目的の範囲外の行為であれば民法違反=無効になるので、当該会員税理士が税理士会側から受けたペナルティーはそもそもありえないことであり、不法行為ということになるのだ。
では、本件の判決がどうだったのかというと、税理士側の勝訴である。では、なぜ似たような判例である八幡製鉄事件の判例と真逆の結果となったのだろうか。これを説明する上で重要なのが、税理士会は強制加入団体であるということである。つまり、税理士として生計を立てていくためには税理士会への加入が義務であり、脱退するということ=税理士としての仕事ができないということである。そういった強制性のある団体である以上、各会員に課す競技義務が、場合によっては人権侵害に当たることがあるのである。そういう意味では、八幡製鉄は普通の民間企業であるため問題にならないのである。ただ、これは公益法人の場合であり、例えば、会社のような営利法人などの目的の範囲はもっと広く解釈するべきとも判旨している点には注意が必要である。
3. 公務員と政治の関わり
ここまではある意味普通の会社やそれに近いものと政治の関係について触れてきたが、ここから先は公務員が政治と同関わっているのかについて触れていきたい。まず、有名判例等に入る前に、公務員というと政治的な活動は禁止されているというイメージがあるが、具体的にはどのようなものであるかについて触れていきたい。
はじめに、先のイメージに関して触れておくと、公務員にも政治活動の自由が当然に保証されている。具体的には15条や21条の表現の自由によって保証されているのである。では、先のイメージが異なっているかというとそういう訳でもなく、公務員という特別な法律関係に入ったものは一般国民とは異なった制約を受けることになっている。日本国憲法下では特別権力関係理論を否定している以上、公務員の人件制約には法律が必要だが、既に法律によって制約を受けることが規定されている (国家公務員法102条1項)。この条文によると、「職員は、政治又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らかの方法を以てするのかを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない」
とされている。では、どんな目的が政治的目的と言えるのか、またどんな行為が政治的行為と言えるのだろうか。これに関しては、人事院規則14−7にて定義されている (長いので省略)。このように、公務員は政治活動について特定の制約を受ける訳だが、この国家公務員法と人事院規則の合憲性、正当性はどうなっているのだろうか。これに関して重要な判例が三つあるが、時系列順に挙げていこうと思う。
土台になるのが全逓東京中郵事件と呼ばれるものである。ことの起こりは昭和33年の春闘の際、被告人8名が全逓信労働組合の役員として、東京中央郵便局の従業員を勤務時間に食い込む職場集会に参加するよう要請・説得し、38名の従業員に対して職場を離脱させたというものであり、この行為が郵便法79条1項の郵便物不取り扱い罪の教唆罪に当たるとして起訴された。本件の争点は、言うまでもなく郵便局職員の争議行為禁止規定の合憲性である。この事件の判決では、裁判所は4つの条件を公務員の労働基本権を制限する場合に求めるとして
(合憲限定解釈)、公務員の労働基本権はある程度認められるようになった。ただ、この最高裁判決を受けて一番驚いたのは日本国政府であった。というのも、政府の意に反した判決といってもいいような内容であったからである。よって、この流れは数年間続くことにはなるのだが、後に起こった全農林警職法事件では労働基本権が、猿払事件では政治活動が否定され、ついには全面禁止となったのである。
4. 天下りの善し悪しと仕組み
さて、ここまで民間・公務員と政治の関係について判例を用いて触れてきたが、本レポートのテーマである天下り制度とはどのように関わってくるのであろうか。まず、天下りのメリットと言える部分から見ていきたい。一つ目に挙げられるメリットとして
「官僚組織の若返り」 がある。官僚という組織は年功序列であり、年次ごとに階級が上がっていく仕組みであるが、当然に上に行けば行くほどそのポストは少なくなってくる。言い換えればあぶれる人が出てくるのである。そこで、官僚組織では出世できなかった官僚たちに早期退職をお願いし、出世できなかった完了は民間に天下るという訳だ。結果、官僚組織の新陳代謝がなされることで、官僚組織が若返るのである。二つ目に、能力を有効活用するということが挙げられる。実際の話、官僚になるほどの人には優秀な人も多く、官僚時代に培った経験や知識を民間で活かすことで成功する人もいる。こういう選択肢を狭めてしまうのはややもったいないような気持ちにもなる。
では、逆にデメリットとなるのはなんだろうか。一つ目に挙げられるのが汚職や癒着といった最も懸念される内容である。天下った官僚が、恣意的に天下った民間企業などに対し仕事をあっせんしたりするのだ。先輩官僚が後輩にお願いなどしたら、後輩もむげに断るわけにはいきませんから、汚職・癒着がおこりやすいのである。二つ目に、無駄なポストができるということである。省庁では、元々天下る場所を作るために特殊法人・独立行政法人などを作ったりしていました。特殊法人や独立行政法人は、民間に任せていたら行われないけれども社会的には必要なことをする団体であり、つまりは省庁の影響が強い団体なのだ。こうなったとき、なん
らかの仕事をする際に直接業者に依頼すればいいのに特殊法人などが間に入ってしまっては無駄も多くなってしまう。
現状、「天下りしやすさ」 という点に着目するならば特許主義をとる独立行政法人、時点に許可主義をとる公益法人や中間法人、最後に準則主義をとる営利法人となってはいるが、結局営利法人に至るまで天下りがある以上、天下りの悪い点の根本を直さないことには法人の種類や制度とは無関係に、単に天下り自体が悪いものと化してしまう。
このように一歩間違えれば多くの問題を含んでしまう制度ではあるが、有効活用できたならこの上なく活きる制度であるのも事実なのである。現状批判が多く集まっているのは悪い部分が大きく見えているからであり、一般の人にも天下りと聞くだけでガンガンに批判する人というのも多い (どういったものか内容をちゃんと知っているかどうかはともかくとして)。ならば、有効に活かせるように悪いイメージを払拭していくのが当然に求められていることであり、税金の無駄食いになっているポストは排除するなりしていかなければならない。私個人としては、例えばA省の仕事をA省の天下り先であるBになどという七面倒なことをしたりせずに、A省内で消化できる仕組みを作ってしまうのが最も良いと考える。なぜなら、変に天下り先を作るから批判されるのであって、自然昇給の形をやめて優秀な人材のみがクラスを上げるように仕組みを変えれば何ら問題なく機能すると思うからである。間に必要な人がいないのであれば直接的に行けばよしであるが、必要な仕事を分業的に分けているというのであれば話は全く別の角度から見なくてはならないものとなる。よって天下りを有効に機能させること、必要がない部分においては排除すること、つまりは一般の会社のように、たるみのない内部統制のとれた官僚制度を作るべきというのが私の意見である。
5. まとめ
このように、私個人としての見方で法人と天下りの関係を見てきたが、世間一般になされる天下りないしは公務員批判には二つの種類があることには留意しておきたい。一つは、先の4章でのデメリットを踏まえたうえで、悪いところをなくすべきだとして批判するもの。二つ目は単なる公務員批判という形をとった僻み、中傷のようなものである。日本という国では職業選択の自由は当然に認められていることから、門戸の機会均等は図られているものと見ることが出来るだろう。よって、後者のような場合は自身も公務員になればよかっただけの話であり、それ以上でもそれ以下でもないのである。本制度も法律が絡む事柄である以上、上辺だけを見
ての印象からあれよこれよと述べても良い問題ではなく、しっかりと善し悪しを見極めた上で今後どうすべきなのかを検討していかなければならないことである。門戸の機会均等という点に触れたが、無論、ここには努力によって這い上がった者も入ってきて問題はないだろうし、もとより優秀な層がより責任を持って臨んだとすれば (ノブレス・オブリージュ的な発想) より良いものになると私は考える (自然昇給ではないため、自ずと競争が生まれる)。よって、今後あるべき形になった天下りの制度が、いい意味で日本を動かすことを期待して本レポートの締めとする。
以上
< 目次 >
1. 現在の天下りに関する私的見解
2. 現在ある法人の種類と政治との関わり
3. 公務員と政治の関わり
4. 天下りの善し悪しと仕組み
5. まとめ
< 参考・引用に用いた書籍、又はサイト >
授業ノート
六法全書
社会保証のイノベーション 信山者-中江章浩 著
Wiki項目 各ワード
日本国憲法の基礎知識
http://kenpou-jp.norio-de.com/
人事院規則一四―七
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24F04514007.html
小俣和生事務所ページ→会社を設立
http://www7a.biglobe.ne.jp/~su-jin/1/kaigyou/0syurui.htm
わかるニュース→天下りは悪なのか?メリットとデメリットのまとめ
http://wakaru-news.com/parachute/4072/
横山一馬
中江ゼミ 期末レポート
12J109001 横山一馬
法人制度と天下り
1法人と政治
政治献金ときくと、とっても悪いことに聞こえます。しかし、この政治献金という行為は現在の日本では「合憲」となっています。
判例を見てみましょう。今回は2つの判例に沿って合憲性を考えていきます。
@八幡製鉄事件
この事件は、八幡製鉄所の代表取締役2名が、同社の名において自民党に対し350万円の政治献金を行った事件です。同社は「鉄鋼の製造及び販売ならびにこれに付帯する事業」をその目的とすると定款に定めていましたが、これに対し株主である老弁護士は「政治献金は定款の目的を逸脱するものであり、その行為は定款違反の行為として当時の商法266条1項5号(現・会社法120条1項及び847条1項)の責任に違反するものである」として同社の株主が損害賠償を求める株主代表訴訟(代位訴訟)を提起しました。
この事件は最高裁まで争われ、最終的に最高裁はこれを「合憲」と判断しました。なぜでしょうか?
最高裁はこう考えました。
政党は国民の政治意思を形成するもっとも有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならない。したがって、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様として政治資金の寄付についても例外ではないのである。」
「要するに、会社による政治資金の寄附は、客観的・抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げないのである。
つまり、政治献金は法人の政治活動の自由であり、法的に認められた権利であり、法人であることを理由に特別の制限はないとしました。
次の判例に移ります。
A南九州税理士会事件
この事件は南九州税理士会に所属していた税理士が、政治献金に使用する「特別会費」を納入しなかったことを理由として、役員の選挙権を与えられなかったという事件です。
この事件も最高裁判決まで持ち越され、最高裁はこう判断しました。
税理士会が政党など政治資金規正法上の政治団体に金員の寄付をすることは、税理士法49条2項で定められた税理士会の目的の範囲外の行為であり、右寄付をするために会員から特別会費を徴収する旨の決議は無効である。
すなわち、税理士会の政治献金は、税理士会の持つ政治信条とは異なる政治信条を持つ会員の政治信条を害するものであって許されないとしたのです。
南九州税理士会の場合、会員は現実的に脱退することが不可能です。それに対して八幡製鉄事件の場合、法人(株式会社)のすることが気に入らなければ、株を譲渡するなりして株主を辞めれば良いではないか、という考えから、こういった違いが生じたのです。
ここで重要なのは、政治献金は法人の自由な政治活動であるという点です。現代の日本では、政治献金は法人の権利として認められています。
政治家は献金をしてくれる法人には手厚い対応をします。こういった偏った政治が生まれてしまうのも事実です。大きな社会問題になっています。
2公務員と政治
先ほどは法人を取り上げましたが、今度ここで取り上げるのは「公務員」です。
公務員は「公務」つまり国家のお仕事をするお役人ですが、彼らには本来であれば国民誰もが持つ人権が規制されています。というのも、国家の元で働くお役人がストライキなんてやったら困ります。もし郵便局がストライキをすれば、お手紙を出したい人はどうすればいいでしょう?
公務員には、そういった一定の政治活動を禁止する国家公務員法が設けられています。
また今回も判例を挙げてみていきましょう。
@猿払事件
この事件は北海道の猿払村の郵便局に勤務する人が昭和42年の衆議員選挙に日本社会党の候補者の選挙用ポスターを公営掲示場に掲示したりした事件です。ただそれだけ。
それが国家公務員法102条第1項(政治的行為の禁止)人事院規則14-7(特定の政党を支持する政治的目的を有する文書の掲示又は配布の禁止)に違反するとして起訴されました。
一審と二審は合憲。しかし最高裁でこの判決は覆ります。
最高裁はこれについて有罪判決を出したのです。すなわち違憲ということ。
理由は大きく分けて3つありました。
1、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼の確保という規制目的は正当である。
2、その目的のために政治的行為を禁止することは目的との間に合理的関連性がある。
3、禁止によって得られる利益と失われる利益との均衡が取れている。
先ず最初の「規制目的の正当」
憲法15条2項の規定で「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」とされています。
そのためには個々の公務員が政治的中立の立場を守り、その職務の遂行にあたることが必要です。
したがつて、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保するため、その中立性を損うおそれのある政治的行為を禁止するのは、公務員を含む国民全体の共同利益を擁護するための措置で、その目的は正当としました。
次に「合理的関連性」
そうした弊害の発生を防止するために政治的行為を禁止するのは禁止目的との間に合理的な関連性がある、たとえその禁止が、公務員の職種・職務権限などに限定されていなくとも、その合理的な関連性は失われない、としました。
最後に「利益の均衡」
公務員の政治的な行動を禁止する不利益と行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保する国民全体の利益を総合的に考えるとその禁止は利益の均衡が取れているとしました。
この判決には反対意見も多くありますが、最高裁は公務員の政治活動の権利につき一定の規制を設けることを合憲としたのです。
次の判例に進みましょう
A全農林警職法事件
この事件は全農林警職法事件では、公務員の争議行為を一律に全面禁止とした事件です。
事の発端は昭和33年に岸信介首相の提出した「警職法改正法案」でした。この法案は労働争議を取り締まりやすくするものでしたが、これに対し全農林組合が断固反対し運動を開始。全国ストまで発展します。この行為が当時の国家公務員法第98条5項違反として、組合幹部が刑事責任を問われました。
この事件も最高栽まで持ち越され、最高裁はこう判断しました。
労働基本権の保障は公務員にも及ぶが、それを制限する国家公務員法の争議行為の一律禁止規定は、憲法18条・28条に違反しないというものである。
すなわち、公務員の争議を一律で禁止したのです。この全農林警職法事件で示された公務員の争議行為を一律に全面禁止とする考え方が、現在の考えの主流となっています。
しかしこういった一律禁止に反を唱える解釈があります。それが「合憲限定解釈」です。
全農林事件はこの合憲限定解釈を否定したものですが、これが肯定された事件がありました。都教組事件です。
ここでは内容は省きますが、この事件では合憲限定解釈により争議を起こした公務員に無罪判決が下っています。
解りやすくたとえましょう。「出された食べ物は残さず食べなくてはいけない」という親がいたとします。
これが「出された食べ物は残さず食べなくてはいけない」という法律があるという状態です。
しかし、出された食べ物の中に明らかに腐ったものが入っていたときはどうすべきでしょう。
子どもは、腐ったものだけよけて、その他の部分は全部食べました。
これをとがめるのはいかがなものでしょうか。
都教組事件では、文字通り「全部食べろ」という法律であると解釈するならば、それは親の間違いだから、親の命令を全体として誤りであると判断せざるを得ません。
しかし、元の法律の意味は「出された食べ物のうち、食べたらお腹を壊すことがだれが見ても明白な腐ったもの以外は、残さずに食べなくてはいけない」という意味であると解釈すれば、親の命令自体は、若干舌足らずではあったが全体の趣旨としては有効です。
だから、元の命令は、そのように「合憲限定解釈」をした上で適用すべきなのです。
そうしないと、元の命令全体が違憲無効ということになり、食べたくないものは食べなくてよい状態になってしまうと判断したのです。
3天下りと政治
ついにやってまいりました。天下り。当然悪いことだ、と思う方がおおいこの行為、実のところ「合憲」なのです。
ところで、「天下り」とはそもそも何のことを言うのでしょうか。
天下り(アマクダリ)とは、もともとは神道の用語でした。神様が天から地上に降りてくることを、天から下る、あまくだる、といったのです。
現代では、高級官僚を神様になぞらえて、退職した官僚が民間企業や法人の上位ポストに斡旋して治まることを批判的に皮肉っていうときに用いります。
ところで、法人というものは、非常に簡単に成立してしまいます。
一般的に、法人は準則主義という方式で設立されます。これは法律上の要件を満たしている限り,主務官庁の関与を経ることなく、当然に設立を認めるという方式で、行政機関が法人格を与えてしまえばあっという間に法人の出来上がりです。
準則、ときたら次は許可でしょう。許可主義というものも存在します。許可主義は,設立に主務官庁の個別的な許可を必要とする方式で、主務官庁には許可をするかどうかに関する裁量が認められています。
「許可」とは、一般的な禁止を前提にして、これを個別の許可によって解除するというものです。設立後の規制も厳しく敷かれるのが通常です。一般社団法人、一般財団法人の設立で許可主義が採られていましたが、法改正により準則主義に変更されたため、現在では許可主義に基づく法人の設立は行われなくなっています。
そして官僚はこの法人に天下るわけです。
官僚の天下り先の多くは法人ですが、公務員と違い、法人は内部統制が不透明な部分が多く、官民の癒着、利権の温床化や、公社・公団の退職・再就職者に対する退職金の重複支払い、天下りポストを確保することが目的になり、そのことによる税金の無駄遣いの拡大等の非社会的な行為が目立ちます。
また、一般社団法人または一般財団法人のうち、さらに公益法人認定法により公益性の認定を受けそれぞれ公益社団法人または公益財団法人となることができます。ここに、認可の見返りの天下りによって、公益法人となった法人が、公益性を損なうこともしばしばあります。
法人と天下りの癒着問題は非常に根深く深い闇を抱えていますが、現代ではこれを裁くことはできません。
ここまでわかりやすい癒着をマスコミは見て見ぬふりをし、世論の大半が疑問に抱いている問題は闇に葬り去られます。
官僚とはなんなのでしょう。法人とは?利益ばかりを考える利己的な人間ばかりがいわゆる「勝ち組」となってよいのでしょうか?
法人の常ポストに元官僚がいれば、それはほぼ確実に天下ってきた官僚といわれます。ここまで腐敗した法人制度と天下りを、これからの日本は見て見ぬふりをするのでしょうか。
日本の夜明けはいまだに遠いようです。
以上
参考
OKWave、憲法をわかりやすく、コトバンク、Weblio辞書
安樂浩一
法人制度と天下り
12J121008 安樂浩一朗
1、結論
天下りを行うなら、そのメリットを最大化するためのシステムが必要だ。
2、目次
@ 『法人』、その権利・能力とは?判例と共に詳しく考察
A 法人の要件と種類、法人制度改革とは?
B 官僚制〜天下り
C 天下りのメリットとは??
D まとめ
* 参考文献
@『法人』とは?その権利・能力とは?判例と共に詳しく考察
『法人』は、自然人以外で法律によって「人」とされているものをいう。
「人」とは、法律的には権利義務の主体たる資格(権利能力)を認められた存在をいう。つまり『法人』は、自然人以外で、権利能力を認められた存在ということになる。
法人の権利能力について争った判例を2つみて考察していこう。
l
最大判昭和45年6月24日−八幡製鉄事件
・事案(抜粋)
八幡製鉄株式会社の代表取締役は、同社を代表して政党に資金を寄付する、所謂政治献金をおこなった。これに対し株主は、この寄付は定款に定められた事業目的の範囲外の行為であり、かつ旧商法254条の2(現行会社法355条)の定める取締役の定款忠実義務に違反しているから取締役の会社に対する賠償責任を発生させるとして株主代表訴訟を提起した。
・判旨(抜粋)
(@)営利法人が政治献金をする権利能力を有するか?
会社は、定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有する。これは、目的遂行のために直接又は間接的に必要な行為であればすべてこれに包含される。そして必要性については、当該行為が目的遂行上現実に必要であったかどうかをもってこれを決すべきではなく、行為の客観的な性質に即し、抽象的に判断されなければならない。また、会社は社会的実在として、必要な社会的作用を負担するための権利能力は有するものと言わなくてはならない。会社が、その社会的役割を果たすために相当な程度のかかる出費をすることは、社会通念上、会社としてむしろ当然のことに属する。相当な程度の出費には、災害救済資金の寄付や地域社会への奉仕のみならず、政党への寄付も含まれる。何故なら、政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素であり、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様として政治資金の寄附についても例外ではないといえるからである。要するに、会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げないのである。このように株式会社である八幡製鉄所は政治献金を行っても良いと判示された。株式会社は営利法人であり準則主義を採用している(後述)。民法34条では、『法人は法令の規定に従い、定款その他の基本約款で定められた目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う』と定めている。目的の範囲内のことなら何でも行っていいのだろうか?判例をもう一つ見て考察していこう。
l 最判平成8年3月19日−南九州税理士会事件
・事案(抜粋)
南九州税理士会(以下税理士会)は熊本国税局の管轄する4県の税理士を構成員として税理士法49条1項に基づき設立された法人である。税理士会は税理士法改正運動のための特別資金として各会員から特別会費を徴収、4県税理士連盟に配布するとの総会決議をした。原告は税理士連盟への金員の寄付が税理士会の目的の範囲外の行為であるとし本件決議は無効であると特別会費の納入義務を負わないことの確認等を求めて提起した。
・判旨(抜粋)
税理士会は、営利法人とは法的性格を異にする公益法人であり、目的の範囲も会社のように広範なものと解すると、かえって、法の要請する公的な目的の達成を阻害する。税理士会が強制加入である以上、会員には、様々な思想・信条及び主義・主張を有する者が存在するから、会員に要請できる協力義務には、おのずと限界がある。特に政党等の団体に金員を寄附するか否かは、選挙における投票の自由と表裏一体をなし、会員個人が自己の政治的信条等に基づいて、自主的に判断すべき事柄であるから、税理士会が、政党等の団体に金員を寄附することは、たとえ、税理士会に係る法令の制定改廃に関する要求を実現するためであっても、税理士会の目的の範囲外の行為といわざるを得ない。従って、右寄附をするために会員から特別会費を徴収する旨の決議は無効であると判示した。
このように、営利法人である会社と、公益法人である税理士会とでは何が違うのだろうか。次は、法人の違いについて詳しく見ていこう。
A法人の要件と種類、法人制度改革とは?
法人の設立要件は、法人の種類によって細かく分かれているが、これは、国家がどの程度法人を監督するか、という法政策の問題である。すなわち、国家による監督が必要な活動であれば特許主義や許可主義を採用することになる(法人の活動が不適切な場合には法律を改廃したり主務官庁が許可を取り消したりする)。逆に,国家が法人の設立にまったく干渉する必要はないと考えれば、自由設立主義を採用することになる(日本においてこれは認められていない)。日本においての法人の設立には、国家による監視という名目で特許・許可を必要としているわけだ。法人について、国家の干渉度が強い順に並べると特許主義→許可主義→認可主義→認証主義→準則主義という順になる。それぞれ採用している主義ごとに詳しく見ていく。
Ø
特許主義
特許とは、行政法において国が特定の個人また法人に対し、本来、私人が有しない権利を新たに付与し、または包括的な法律関係を設定する行政行為である。例えば、無線局の免許(電波法4条)、鉱業権の設定許可(鉱業法21条)、公務員の任命などである。特許主義の法人では設立に特別法が必要になる。法人の例として特殊法人や、独立行政法人・国立大学法人がある。
Ø
許可主義
許可とは、行政法学上、法令に基づき一般的に禁止されている行為について、特定の場合又は相手方に限ってその禁止を解除するという法律効果を有する行政行為をいう。例えば、自動車又は原動機付自転車の運転免許(道路交通法64条、84条1項参照)、医師の免許、飲食店営業許可などである。許可主義を採る法人の設立には都道府県庁の許可が必要になる。法人の例は一般社団法人,一般財団法人の設立で許可主義が採られていたが,法改正により後述の準則主義に変更されたため,改正法の施行期日である2008年12月1日以降,許可主義に基づく法人の設立は行われていない。
Ø
認可主義
認可とは、行政法学において行政行為のうち私人の契約、合同行為を補充して法律行為の効力要件とするものをいう。例えば、農地の権利移転の許可(農地法3条)、運賃の認可(道路運送法6条)などがある。認可主義の法人として公益法人の社会福祉法人や学校法人がある。
Ø
認証主義
認証は、ある行為または文書が正当な手続・方式でなされたことを公の機関が証明することをいう。認証法人の設立には所轄庁の認証を要する。認可法人よりも容易である。例としては、特定非営利活動法人(NPO法人)や、宗教法人がある。
Ø
準則主義
準則主義とは、法人の設立にあたり、法律などに則り、それを根拠とするか、準じているならば行政機関が採る主義として法人格を付与する原則的な方針のことである。設立要件には普通、登記・登録が必要になりそれさえすれば容易に法人となる。一般社団法人、一般財団法人、株式会社、労働組合、税理士会、弁護士会、マンション管理組合法人に準則主義が採用されている。
前述にもあるが、2006(平成18)年の公益法人制度改革により一般社団法人、一般財団法人などに準則主義が採用されたがこれは、法人制度の不備があったためである。従来の民商法の規定は、営利法人と公益法人だけをカバーしておりその中間にある団体は特別法がなければ法人になることがなかった。また、公益法人に関しては前述のとおり許可制が採用されており所管官庁の裁量的な審査を通らないと公益法人を設立できずしかも、何が公益かの判断基準が明確ではなかった。言い換えれば、何が公益かの判断基準を国が独占していたということである。何が公益か特定の官庁が裁量権を持つのはおかしいと批判された。以上の不備は、時代の変化、考え方の変化により民間の非営利活動を促進するべきだという考え方(官から民への思想)が高まるにつれ批判が強まっていった。
公益法人制度の運用上の問題もあった。@活動していない休眠法人の多さ、それらは公益法人という公的なお墨付きのため税制上優遇されており「買収」により役員に就任したものによる目的外事業の実施や、税法上の特典を利用した収益事業の実施など悪用される恐れがあった。また、A公益とはいえない営利活動をしている公益法人の多さ。さらに、B公益法人の中には、官庁から制度的に事務や事業の委託を受けるなど、行政を代行する機能を果たしているもの(行政委託型法人)がある。これらの法人については、役人の天下りや公的な補助金が不正に使用されたり、あるいは役員に高額な報酬が支払われるなどの問題が指摘されるなどしている。以上、3点が運用上の問題点である。次は、天下りを生む官僚制度を中心に判例も含めて詳しく見ていく。
B官僚制〜天下り
官僚制についての本格的な研究は、ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーに始まる。ウェーバーは、近代社会における特徴的な合理的支配システムとしての近代官僚制に着目し、その特質を詳細に分析した。日本では、大日本帝国体制の時代、官僚・公務員は天皇の官史とされる身分的官僚制であった。時は流れ戦後の日本国憲法体制では、官僚・公務員は職業となっていた。そこで政府は一般職公務員に適用される、能力等級制を中心とする人事行政制度を導入し、その実施のための専門的総合調整機関として人事院の組織・権限・運営規定を定めるほか、一般職の義務・権利等についての大まかな内容が規定された国家公務員法(以下国公法)を公布、1948年(昭和23年)7月1日に施行された。公務員の権利能力について争った判例を見てみよう。
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最大判昭和48年4月25日−全農林警職法事件
・事案(抜粋)
全農林は、国家公務員で組織される労働組合である。全農林は、昭和33年に警察官職務執行法改正案が衆議院に上程された際、これに反対するとして、所属長の承認なしに正午出勤するなど労働争議のあおり(煽動)行為(時限ストライキ)を行なった。これが当時の国公法第98条5項違反として、組合幹部が刑事責任を問われたものである。一審(東京地判昭和38年4月19日)はあおり行為を合憲限定解釈して全員無罪としたが二審(東京高判昭和43年9月30日)は逆転して全員有罪。被告人が上告した。
・判旨(抜粋)
憲法28条の労働基本権の保障は公務員に対しても及ぶが、この労働基本権は、勤労者を含めた国民全体の共同利益の見地からする制約を免れない。公務員の労働基本権に対し必要やむを得ない限度の制限を加えることは、十分合理的な理由がある。公務員は、公共の利益のために勤務するものであり、その担当する職務内容の別なくその職責を果たすことが不可欠であって、公務員が争議行為に及ぶことは、その地位の特殊性及び職務の公共性と相容れないばかりでなく停滞をもたらし、その停滞は勤労者を含めた国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、またはそのおそれがある。
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最大判昭和49年11月6日−猿払事件
・事案(抜粋)
国公法102条1項は、一般職国家公務員に関し、「職員は、政党または政治目的のために、寄付金その他の利益を求め、若しくは受領し、またはなんらかの方法を似てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない」と規定、この委任に基づき人事院規則14-7が禁止される「政治的行為」の具体的内容を定めている。被告は、北海道猿払村の郵便局に勤める公務員であった。昭和42年の衆議院議員選挙に際し、同協議会の決定に従い政党を支持する意志を持ち選挙用ポスターを公営掲示場に掲示、また他に依頼し配布。これが人事院規則5項3号、6項13号に当たるとして起訴された。
・判旨(抜粋)
(@)一律に違法と評価して禁止する合理性
政治行為は行動としての面の外に、政治的意志表明としての面も有する。その限りにおいて憲法21条による保障を受ける。また、公務員の政治的中立性を損なう恐れのある公務員の政治的行為を禁止することはそれが合理的で必要やむをえない限度にとどまる限り憲法の許容するところである。
(A)合理的で必要やむをえない限度にとどまるものか
この判断は、@禁止の目的、Aこの目的と禁止される政治行為との関連性、B政治行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡の以上3点から検討することが必要。また、公務員の政治的中立性を損なう恐れのある政治行為を禁止することは、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼を確保し憲法の要請に応えるため公務員を含む国民全体の共同利益を擁護するための措置に他ならないのであってその目的は正当であるといえる。
最後に、天下りのメリットをみてまとめに移る。
C天下りのメリットとは??
天下りのデメリットは前述したようにずさんな法人制度のために、無駄な税金を使ってしまうことや、公益というお題目を悪用するなど解説したが果たして天下りは悪いことばかりのものなのだろうか?
詳しく見ていく。
天下りとは、退職した高級官僚が、出身官庁が所管する外郭団体、関連する民間企業や独立行政法人・国立大学法人・特殊法人・公社・公団・団体などに就職斡旋する事を指して批判的に用いられる。民間企業の上位幹部が子会社の要職に就く際にも使われる場合がある。メリットとしては、役所のOBに来てもらい政策や先端技術を教われる。無名な企業や外郭団体には、社員を公募しても優秀な人が来てくれないが、役所のOBなら安い給料でも我慢して来てくれる。役所で課長にまでなった方なら能力も人柄も期待できる。雇用の流動化の流れに沿っている。官民交流を促進。定年後にも働いてもらったほうが国民経済的にはよい。などあげられるが一番メリットは官僚組織の若返りである。官僚という組織は、年功序列で、年次ごと階級が上がっていく仕組み。しかし、上に行けばいくほど、そのポストは少なくなっていく。つまり、あぶれる人たちがでてくることになる。そうした人たちが、官僚組織にとどまってしまえば、優秀な若い官僚にポストが回らなくなってしまう。そこで、官僚組織では、出世できなかった官僚たちに早期退職をお願いするのである。そして、出世できなかった官僚は、民間企業に天下る。こうして、官僚組織の新陳代謝がなされることで、官僚組織が若返るというわけである。このように天下りが国民に悪い影響ばかりを与えているわけでないことが分かった。
では、結論で主張した天下りのメリットを最大化するためにはどうすべきか最後にまとめる。
Dまとめ
不祥事の温床ともいわれてきた公益法人。国は2006年に制度の抜本改革に着手しており今までのようにらくして定年まで仕事ができるような状態ではなくなってきているがまだ完全ではないと考える。制度改革で登記をするだけで簡単に法人格を取得できるようになった、準則主義を採用する非営利法人の活動に対する内部的コントロール(内部統治)の仕組みを営利法人並みにするとされているがこれでは活動の実態についての透明性の確保が不十分であると考える。福祉国家としてあまりにも膨張しすぎた日本でエージェント化が必要なことは認識できるが、内々で仕事を回し天下りを依頼する制度のままでは国の財政は一向に安定しない。有識者の委員会で実際に公益的活動をしていると評価されたものだけ公益法人として扱う制度は良いと思うが問題はその後である。その法人を日常的に監視するわけではないがアフターケアを怠りがちなのが政府の姿であると思う。しかし、そこまでしっかり面倒を見るほど国も暇ではない。
ではどうするか。私は急速に発展を続けるインターネットを利用した国民自身が監視や監査を行えるシステムを構築すべきであると考える。これにより国と法人とのかかわりを最低限に抑えられ不正も容易には行えないはずである。注意すべきは全く関わったことのない分野にケチをつけるのではなく自分の持っている専門分野についての目的事業や法人についてしっかり見守ることである。これにより国民の要望が直に法人に届きニーズにあった事業が円滑に進むことが期待できる。法人のインターネットでの情報開示は新たな雇用の機会をも増やすことであろう。官僚を天下らせなくとも優秀な人材を確保できれば日本から天下りがなくなる日が来るかもしれない。さて、ここまで外部からの統制を見てきたが、内部統制は現状のままで良いだろうか?私は、法人が実行に移した目的事業の責任を追及する団体を新たに法人内の組織として独立させて設けるべきだと考える。組織の構成はボランティアで国民から募るでもいいし法人のOBでもかまわないと考える。しかし重要なことは全員法人内部の人間で占めないことである。健全な内部統制を確保するにはこの方法が1番合理的であると考える。
*参考文献
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憲法判例百選T[第6版]p20〜21:法人の人権享有主体性−八幡製鉄事件(京都大学教授 毛利透):別冊ジュリスト218号・有斐閣
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民法判例百選T総則・物権[第7版]p16〜17:法人の目的と団体の性質−南九州税理士会事件(関西大学教授 後藤元伸):別冊ジュリスト223号・有斐閣
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憲法判例百選U[第6版]p312〜313:国家公務員の労働基本権−全農林警職法事件(名古屋大学教授 大河内美紀):別冊ジュリスト218号・有斐閣
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憲法判例百選T[第6版]p30〜31:公務員の「政治的行為」と刑罰−猿払事件(学習院大学教授 青井未帆):別冊ジュリスト218号・有斐閣
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民法T[第4版]総則・物権:内田貴(著)・有斐閣
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法人:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BA%BA
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天下り:http://wakaru-news.com/parachute/4072/
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公益法人改革:http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3503_all.html
ü 合憲限定解釈:http://blog.goo.ne.jp/cc600px0716/e/34cbe37d0906ba86cd3a079fc45931f9
益元佑輔
法人制度と天下り
法人は天下りや無駄遣いの政治献金の温床となっている
<法人制度>
法人とは、自然人以外で、法律によって「人」とされているものをいう。「人」とは、法律的には、権利義務の主体たる資格(権利能力)を認められた存在をいう。つまり法人は、自然人以外で、権利能力を認められた存在ということになる。日本においては、法人は、一般社団・財団法人法や会社法などの法律の規定によらなければ成立しない(法人法定主義、民法33条)。
法人を設立するための要件は、法人の種類によって細かく分かれているが、これは、国家がどの程度法人を監督するか、という法政策の問題である。すなわち、国家による監督が必要な活動であれば特許主義や許可主義を採用することになる(法人の活動が不適切な場合には法律を改廃したり、主務官庁が許可を取り消したりする)。日本法により設立される法人について、国家の干渉度が強い順に並べると、次のようになる。特許主義・許可主義・認可主義・認証主義・準則主義となる
<法人の法的主体性>
法人の人権享有主体性
日本国憲法には、法人が人権の享有主体になるかどうかの規定がない。この問題について、最高裁判所は、八幡製鉄事件において、憲法第3章の保障する権利は性質上可能な限り内国の法人に保障されると判示した(最大判昭和45年6月24日民集24巻6号625頁)。
法人の権利能力
法人には権利能力が認められる。これこそが、法人が法人たる所以である。もっとも、その範囲が問題となる。日本の民法は、法人の権利能力に対しては極めて謙抑的な態度をとり、民法第34条において「法人は、法令の規定に従い、定款その他の基本約款で定められた目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う」と規定している。これは、英米法におけるUltra Viresの法理によるものである。判例は、同条のいう「目的の範囲」を柔軟に解釈している。 八幡製鉄事件の判決では、定款に定めた目的の範囲内で権利能力があるが、目的の範囲内とは、明示されたものだけではなく、定款の目的を遂行するのに必要ならすべての行為が含まれるとした。
法人の行為能力
法人が単独で法律行為を行うことができるかどうかを法人の行為能力という。これは、法人擬制説と法人実在説で結論が異なる。法人擬制説では、法人とは法が特に擬制した権利義務の帰属点に過ぎないから、行為能力を認める必要はなく、代理人たる理事の行為の効果が法人に帰属するという構成をとる。対して、法人実在説では、法人は自ら意思を持ち、それに従い行為するのであり、法人の行為能力が認められるということになる。
<法人の政治参加事件>
八幡製鉄事件(会社、準則主義)
八幡製鉄事件は会社による政治献金が適法であるかについて争われた訴訟で、最高裁判所が初めて判断を下した事件である。八幡製鐵株式會社の株主であった老弁護士が会社による政治献金の是非を世に問うため提起した。
最高裁は「会社の政治献金は参政権違反ではない 。会社は自然人同様、納税者たる立場において政治的意見を表明することを禁止する理由はない。憲法第三章「国民の権利及び義務」は性質上可能な限り内国の法人にも適用すべきであり、政治的行為の自由もまた同様である。」とした
<南九州税理士会事件>(特許主義)
南九州税理士会事件(みなみきゅうしゅうぜいりしかいじけん)は、南九州税理士会に所属していた税理士が、政治献金に使用する「特別会費」を納入しなかったことを理由として、役員の選挙権を与えられなかったという事件。
最高裁判所は「税理士会が政党など規正法上の政治団体に金員の寄付をすることは、たとい税理士に係る法令の制定改廃に関する政治的要求を実現するためのものであっても、法四九条二項で定められた税理士会の目的の範囲外の行為であり、右寄付をするために会員から特別会費を徴収する旨の決議は無効であると解すべきである。」と判示し、原判決を破棄し、慰謝料の算定を審理するために福岡高等裁判所へ差し戻した。
<猿払事件>(労働組合 準則主義)
被告人は、北海道宗谷郡猿払村の鬼志別郵便局に勤務する郵政事務官で、A労働組合協議会事務局長を務めていた。被告人は、1967年1月8日告示の第31回衆議院議員総選挙に際し、A労働組合協議会の決定にしたがい、B党を支持する目的をもって、同日同党公認候補者の選挙用ポスター6枚を自ら公営掲示場に掲示したほか、その頃4回にわたり、右ポスター合計約184枚の掲示方を他に依頼して配布した。国家公務員法102条1項は、一般職の国家公務員に関し、「職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」と規定し、この委任に基づき人事院規則14―7(政治的行為)は、右条項の禁止する「政治的行為」の具体的内容を定めており、右の禁止に違反した者に対しては、国家公務員法110条1項19号が3年以下の懲役又は10万円以下の罰金を科する旨を規定している。被告人の前記行為は、人事院規則14-7・5項3号、同6項13号の特定の政党を支持することを目的とする文書すなわち政治的目的を有する文書の掲示又は配布という政治的行為にあたるものであるから、国家公務員法110条1項19号の罰則が適用されるべきであるとして、起訴された。
最高裁では、行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼の確保という規制目的は正当である。その目的のために政治的行為を禁止することは目的との間に合理的関連性がある。また禁止によって得られる利益と失われる利益との均衡が取れている。とのことから原判決及び第一審判決を破棄するとした。
第一審判決では合憲限定解釈が不可能な場合に、違憲的に適用されようとする法令を、そのように解釈・適用される限りにおいて違憲とした。
<全農林警職法事件>
全農林労働組合(全農林)は、昭和33年に警察官職務執行法改正案が衆議院に上程された際、これに反対するとして、所属長の承認なしに正午出勤するなど労働争議のあおり(煽動)行為(時限ストライキ)を行なった。これが当時の国家公務員法第98条5項違反として、組合幹部が刑事責任を問われたものである。
最高裁判所大法廷は、被告人の上告を棄却した。その理由は、労働基本権の保障は公務員にも及ぶが、それを制限する国家公務員法の争議行為の一律禁止規定は、憲法18条・28条に違反しないというものである。
公務員の労働基本権を尊重して公務員法を合憲限定解釈せざるをえなかった。合憲限定解釈は構成要件の保障機能を失わせ31条違反のおそれがある、とし合憲限定解釈に否定的な見解を示した。全農林警職法事件などによる判例変更後は,公務員の労働基本権を軽視することで公務員法の争議行為の一律禁止を合憲とし,合憲限定解釈の必要が無くなった。
<法人と天下り>
特殊法人だけでなく、認可法人、公益法人というものは、もわが国の金食い虫になっている。すべて国から資金が出ており、官僚の天下り先になっている。国の監視はほとんどなく内部統制ができていないため税金を使い放題にしている。全国に無数にあり、公益法人には、補助金等の名目で多額の国民の資金(税金、財投資金、国債)が投入されている。
現在、約26、000もの公益法人が存在する。そのため、公益法人は格好の天下り先となっているのが現状である。官僚は天下り先の公益法人で特殊法人の事務を補助・補完すると共に、特殊法人から、莫大な補助金を受け取る等の方法で私腹を肥やしていく。その結果、補助金を交付する側の特殊法人は赤字であるのに、交付される側の公益法人は黒字であるという現象が生じている。官僚は、いわば特殊法人や認可法人をバイパスとして、「公益」の名のもとに、公益法人から国民の財産を吸い上げているのである。
また各省庁から、役人が各省庁関係の公益法人に天下りをし、各省庁で通してもらいたい政策などあれば政治家にお願いをする形で政治献金する流れとなっている。
<天下りとは>
一般的に天下りとは、国家公務員総合職(旧一種)試験に合格した幹部職員が定年前に早期退職し、民間企業や公益法人や独立行政法人に役員として再就職するケースを指す。官僚は定年まで省庁に勤務し続けることはまずない。早期勧奨退職慣行といわれる慣習が存在し、一定以上の勤続年数に達すると官僚は官庁組織から「肩たたき」をされ事実上の勧奨退職がなされるからだ。早期勧奨退職慣行により天下りが行われるのには、真渕勝の5つの天下りのメリット(@賃金補償説、A能力活用説、Bネットワーク説、C官庁活性化説、D影響力均等化説)がその動機付けの説明となるだろう。「肩たたき」をされた場合退職後の再就職先は勤務先省庁により決定され、勤務時に関わっていた事業系統へ天下りをする傾向があるが自身による主体的な選択をすることはない。官僚は勤続10年程度まではポストに差はつかず横並びで昇進していくが、課長級以上になるとポストの数が限定されてくる。日本の官僚は早期勧奨退職慣行をベースに、アップオアアウト方式によって競争に敗れた者が天下りをし、競争に勝利した者は昇進していくという限られたポストをめぐる昇進競争を行う。事務方トップの事務次官は1名しか選出されず、事務次官を輩出した時点でその同僚の年代は全員天下りする。このように天下りにより民間企業や公益法人や独立行政法人の天下り先組織に人材資源が配分される。
<まとめ>
まず政治資金規正法では、企業および業界団体が、特定の政治家個人へ献金をおこなう行為を禁止しているが、政治家の所属する政党や政治資金団体へ献金することについては認めている。迂回献金ではこの点を利用して企業や業界団体が政党や政治資金団体へ資金供与をおこない、政治家がそこから資金を受け取ることで間接的に政治家個人への献金がおこなわれている状態になる。迂回献金は(間接的であれ)最終的には企業・団体から政治家個人へ資金供与がおこなわれている形になるため違法性を指摘されているが、現行法においても禁止規定が存在しないことや、発覚した場合でも摘発・立件が見送られてきた経緯などから、企業や業界団体が特定の政治家個人へ資金供与をおこなう際の抜け道(脱法行為)として常態化している。
また天下りの為の法人なども作られている。その法人に税金からお金が行き政治献金として政治家の懐に入る。よくできた仕組みになっている。
このようになっているのを変えていかなくてはならない。しかし変えられるのは政治家のみというところが問題である。
考えがうまくまとまらなかったです・・・・・・
参考
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314461218
http://www.takagai.jp/catchaser/hanreikenpou.html
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/b7b402c23f2dbf998ec031a960c098e3
http://heibay.exblog.jp/12006836/
など・・・・
木原海斗
13j110001 木原 海斗
法人制度と天下りについてのレポート
まず私の意見は完全に天下りを無くすべきだとは思わない。
1・天下りと法人制度についての私の意見
先人の知恵が役に立つときは多々あるだろう、今まで培ってきたものにはやはりとても価値があり天下り先で役に立つこともあるだろう。だが天下りさせてもやる気のない人やその人の能力を発揮できないだろうと思われるまったく違う職種などまったく役に立たないだろという人材を天下りさせたりするのは反対だ。コストばかり無駄にかかり新しい人材を育てる事が難しくなる。だから天下りに関しては就職試験のようにしっかりとした審査などをして天下りをする人材をもっと厳しく厳選するべきではないだろうか?と私は考えている。
官僚が1度仕事を辞めたときにもらえる退職金はだいたい数億円だという。この退職金をもらい天下りして天下り先で高い給料をもらいまた数年後何億円の退職金をもらって老後の生活になっていく官僚達。これほどの額のお金を貰うのならそれに見合うだけの働きをしてもらいたいがいったいどれほどの人達がこれに見合う仕事をしてくれているのだろうか??絶対にほとんどの人がこの無駄なお金をもらっていると思う。
天下りする人材を厳選してまたこの退職金の制度も退職金を貰えるのも一度だけにする等退職金の額をもう少し下げる等すればもっと他の所にお金を使えるのではないかと考えている。
2・曖昧なルール
初めて猿払事件と全農林警職法事件この二つの判例を見て私はとても憲法の曖昧さを感じた。
猿払事件の判例を見て私は猿払事件での下っ端の郵便局員だし公私混同といえない行為だが刑罰を行使するのはやりすぎだという考えで無罪にした一審よりも郵便局の下っ端で勤務外だとしてもそれらが積み重なり行政サービスに支障をきたすから一律禁止でも合理性があると判断した上告審の考えだと私は上告審の考えに賛成だ。
郵便局自体な確かに政治とは無関係かもしれないが国民全体が受ける公共のサービスであることに間違えない。
ここに政治的な争いを持ち込んだら確かに本来の業務に支障をきたす恐れがあるかもしれないだから一律禁止が妥当だと考えた上告審の考えには賛成だ。
少し厳しすぎるかもしれないが公務員はその他に色々な地位など保証されているものがあるので一般人とは少なからず区別される必要があると私は考えている
全農林警職法事件
は昭和33年10月に国会に提出された警察官職務執行法改正案に反対した、「全農林」という労働組合があり、全農林は農林省の公務員で組織されています。
同年11月5日、その反対運動のためストライキを断行。組合員、約2,500人に「ストライキに参加しよう!」とあおってしまった。この行為が国家公務員法に違反するとして、組合の役員5人が起訴された。そもそも公務員であっても労働者であり、基本的人権である労働基本権は保障されています。したがって、それを制約するには、厳しい条件が付されるべきだというのが、それまでの最高裁の判例でした。
第一審は無罪、第二審は逆転有罪となりました。この意見には私も同じ事を思ったので賛成だ。
先ほども述べましたが公務員は民間人に比べたら身分が特殊で、なおかつ、その仕事は民間企業に比べて公共性があるから、労働基本権が制約されてもやむを得ない、というものだ。
「人事院」という、内閣から独立した機関が給料の水準を勧告する仕組みがあったり、身分が保障(むやみにクビにならない)されていたりと、労働基本権を制限する代わりに、きめこまやかな保障(代償措置)を受けている。ですから、公務員の権利を制限する国家公務員法の規定は、憲法に違反しているとはいえない、として上告を棄却。組合役員の5人の有罪が確定したのも納得できる。
決まりは決まりだからみたいなことをいう人がよくいるけれど、その決まりのほんとうの意味は何かということを考え、具体的に妥当な結論を出すということは、社会でも必要なことだと私は考えている。あいまいな「決まり」があるならその「決まり」そのものを改めるなどして明確化することは大切ですが、そう簡単にいくことではないだろう憲法一つ変えるのにはとても時間がかかり過ぎる。いま目の前で起きている問題に直面している裁判所としては、国会が「決まり」を変えるのを待ってはいられないだろう。だから多少無理な解釈でも、元の決まりを「合理的に解釈して」、具体的事案を適切に解決するための方策の一つの、「合憲限定解釈」はとても合理的で賛成だができることなら時代に合わせもう少しだけ憲法を明確にしてもいいと私は考えている。
3.法人の政治献金
八幡製鉄事件では最高裁は憲法に定める国民の権利及び義務に関する各条項は性質上可能な限り、法人にも適用されるものと解するべきだとしている。会社は自然人たる国民と同様に国や政党の特定の政策を支持、推進または、反対するなどの政治的行為をなす自由を有するとしており政治資金の寄附もまさにその一環で、自然人による寄附と異なる扱いをすべき憲法上の要請があるものではないと判断した。判決は法人の人権を享有する主体性を肯定し、営利法人にも政治的活動の自由が保障されるものとしました。つまり法人にもある程度の人権が認められましたが私はこれに反対です。
会社と言っても中身は個人な訳でその1人1人の自由を尊重するべきだと思う。八幡製鉄事件の判決だともしどうしても嫌なら株主を破棄するか会社を辞めればいいだろうと言っているようにすら聞こえるからだ。こんな多数決みたいな決め方にはいささか納得できない部分がある。
みんな応援したくもない党に政治献金等したくはないだろう。また本当はしたくないのに言い出せずにいる人も中にはいると思う。だから法人による政治献金は公益法人だろうが営利法人だろうが一律に禁止すべきであると私は考えている
同じような事件だか南九州税理士会政治献金事件では強制加入の公益法人「南九州税理士会」が、税理士法改正が業界に
有利に動くように、南九州各県税理士政治連盟への政治工作資金として
特別会費5千円を徴収する旨を決定しました。
しかし、この決議に反対した税理士が、会費納入を拒否。
そこで、当該税理士会は、当該会員税理士を、会則で定められた
会員滞納者に対する役員の選挙権及び被選挙権停止条項を行使し
当該会員税理士は、会費納入義務の不存在確認及び損害賠償請求訴訟を提起した。
税理士会が強制加入団体であったため政治献金をしたくない税理士は仕事を失ってしまうから税理士法の改正が目的だとしても、政治献金は税理士会の目的の範囲外であり、政治献金するかどうかは会員が自主的に判断するべきことだとされた。この意見に私は賛成で強制加入団体でなくても一律に社員が自主的に判断できるようにするべきだと考えている
4・増える会社と増える不正
ここ最近やたら企業という言葉を耳に聞く
今の日本は準則主義であるから法律上の要件を満たしている限り,主務官庁の関与を経ることなく,当然に設立を認めるという方式だ規制が最も緩い方式で簡単に許可が下りるだからいろんな会社が増えてきている。私はこの制度に賛成だ。会社が増えたことにより会社同士が切磋琢磨してよりよい社会になるかもしれない
だがそれと同時に怪しい会社や会社内の不正も増えてきているのではないだろうか?
はたしてしっかり内部統制がとれてる会社はどれくらいあるのだろうか?毎年数十億の会社の金などが不正に使われていたり何億の損失を隠してより大きな損失を招いたり銀行と暴力団との関係の発覚、食品関係だと異物混入や食品の偽装工作なんて事をよくニュースで見る。
なぜ近年このような企業の不祥事が多く起きているのか?それは以前より内部告発が多くなり、 それらの多くがインターネットでの掲示板への書き込みやマスコミへのリークだろう。不祥事が発生した場合、社内での隠蔽ができなくなってきている。これは良い傾向だろう。今までは、「臭いものにはフタをしろ」的な考え方がまかり通っていたのが、 情報のオープン化によって明らかにされてきているのがまず一つだろう。もう一つは長い不景気になり業績は回復傾向にあるとはいうものの、従業員としてはその実感があまりなく、人員削減などのあおりを食って、 より厳しい労働条件を強いられています。また、業績一辺倒の考え方や、終身雇用の崩壊が手伝って、会社に対する忠誠心が薄れたり、品質についての考え方が甘くなっています。 こうした背景から、売上第一主義の弊害として、品質管理の甘さが出てくるだろう。そしてコストを下げて利益を出そうとする考え方が行き過ぎ、品質への配慮が欠けている場面も、よくあり、また、業務上の不手際が部門や個人の業績に直結するので、現場ではミスを隠そうとしたり、 マイナス情報をトップへ上げようとしないケースもある。不祥事が発覚して、初めて会社の上層部が問題を知ることになるのは、そのせいだと考えられます。このような不正が起こるのは内部統制がしっかりしていないからではないかと私は考えている。2006年5月に、新会社法が施行されましたが、その会社法で内部統制に関しての記述があります。 その中には、内部統制整備義務があります。
これは、端的に言えば経営者が法令や定款、株主総会の決議を遵守し、会社のためにその職務を遂行する義務を負う、ということです。従業員が不祥事を働いた場合、「従業員がやったこと」では済まされないのです。経営者には、従業員に法令を遵守させる義務があり、社内の管理体制を構築していないことに対して責任を負う必要があるのです。なのでまず各企業の経営者がしっかりと内部統制について学ぶ事が大事だ。
今回のテーマを学び
今回このレポートのテーマ内容を学び
社会について自分がどれほど知らないのかを思い知った。 いや今までこの国に住んでいたがこの国について考えた事がなかった。
戦争をしない国日本の法律は世界に誇れるものだと思っていたがまだまだ法律は未完成で細かい整備が必要だと思った
ほんの一部分だかこの国について社会について少しだけ見えてきた気がした
各企業の不祥事や天下り問題合憲限定解釈もたまに乱暴な考え方だと思う時もある。
変えなくてはならない事がこの国にはまだまだ多いようだ
今の私には何も変えられる力などないだろうがこれからは社会の流れに目を通して少しでも考えて見ようと思う。
そうすることでいつか力になる時が来るかもしれない
出典
「新判例ハンドブック」日本評論社 「はじめての憲法学」三省堂 編者中村陸男
参考URL
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/内部統制 http://www.officenms.co.jp/photo_news/popup.php?id=20130514223141
http://consti.web.fc2.com/5shou4.html
佐藤大輔
法人制度と天下り
天下りは必ずしも悪いことではないので、きちんとした仕組みさえつくればしてもいいと思います。
天下りのメリット・デメリット
そもそもなぜ天下りが問題となっているのか、それは、汚職・癒着です。天下った官僚が、恣意的に天下った民間企業などに対し仕事をあっせんしたりするのです。先輩官僚が後輩にお願いなどしたら、後輩もむげに断るわけにはいかないので、汚職・癒着がおこりやすいということです。また、無駄なポストができるということも問題です。
しかし、天下りにはメリットもあります。それは、官僚組織の若返りです。官僚という組織は、年功序列で、年次ごと階級が上がっていく仕組みです。しかし、上に行けばいくほど、そのポストは少なくなっていきます。つまり、あぶれる人たちがでてきます。そうした人たちが、官僚組織にとどまってしまえば、優秀な若い官僚にポストが回らなくなってしまいます。そこで、官僚組織では、出世できなかった官僚たちに早期退職をお願いするのです。そして、出世できなかった官僚は、民間企業に天下るというわけです。こうして、官僚組織の新陳代謝がなされることで、官僚組織が若返るというわけです。
また、官僚になる人には優秀な人も多いです。さらに官僚時代につちかった経験や知識を、民間企業で活かして成功する人もいます。加えて、比較的小さい企業に天下る例も多々あり、そういった場合、省庁と強いパイプを持ち、大企業などと渡り合えるようになるといったことがあります。
公務員の権利
公務員の権利について争われた判例を2つあげます。猿払事件と全農林警職法事件についてです。まず猿払事件とは公務員の政治活動についての是非を問うた裁判です。概要は、北海道猿払村にある郵便局に勤務する郵便事務官が同地区の労働組合協議会事務局長をしており、昭和42年の衆議院選挙の際、日本社会党を支持する目的を持って、同党公認候補者の選挙用ポスター6枚を勤務時間外に公営掲示場に掲示し、そのポスター184枚を他者に依頼し配布し太という行為が国家公務員法102条及び人事院規則14-7 6項13号に違反するとして、国家公務員法110条1項19号に基づいて稚内簡易裁判所より罰金5千円の略式命令を受け、正式裁判を請求したというものです。この裁判での争点は、公務員の政治活動を禁止することは許されるかというものです。判決は、公務員の政治活動の禁止によって、行政の中立的運営が確保され、これに対する国民の信頼が維持されることは、憲法の要請にかなうものであり、公務員の政治的中立性が維持されることは、国民全体の利益に他ならない。したがって公務員の政治的中立性を損なうおそれのある公務員の政治活動を禁止することは、それが合理的でやむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところであるとしました。
猿払判決は既に政治的行為について合憲限定解釈の余地をそこに打ち出していると見ることができます、猿払事件において「公務員の政治的中立性を損なうおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、それが合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところである」と述べているように、公務員の政治的中立性を損なうおそれがあるという限定が付されたうえで制約を認めているため、そもそも政治的中立性を害しない行為について猿払事件は射程とせず、国公法も処罰対象としないとしうることが示唆されています。この暗示を踏まえたのが本判決で猿払判決の示唆通り明示的に合憲限定解釈を行い、国公法の処罰対象から外す判示をしたといえます。
次に、全農林警職法事件についてです。この判例は、公務員は労働基本権が保障されるのかを問うた裁判です。概要は、昭和33年10月、当時の内閣は警職法(警察官職務執行法)改正案を衆議院に提出しましたが、その内容が警察官の職権濫用を招き、ひいては労働者の団体運動を抑圧する危険が大きいとして、各種労働団体はもちろんのこと、全国規模で反対運動が展開されていました。全農林労組も総評(日本労働組合総評議会)の第四次統一行動に参加することになり、被告人ら同労組幹部が同年11月5日の職場大会の実施について、正午出勤の行動に入れと指令を出し、また同日午前10時頃から11時40分ごろまでの間、農林省職員の職場大会において約3千名の職員に対して職場大会への参加をすすめるなどしました。これらの行為が国家公務員法98条5項(改正前)に違反するとして、同100条1項17号にて起訴されたというものです。この判決は、公務員の労働基本権は制限付きで保障される。憲法28条の労働基本権の保障は公務員に対しても及ぶものと解すべきである。
この労働基本権は、勤労者を含めた国民全体の共同利益の見地から制約を免れない。公務員の労働基本権の制限は合憲である。公務員の地位の特殊性と職務の公共性を根拠として、その労働基本権に対し必要やむをえない限度の制限を加えることには、十分合理的な理由がある。公務員が争議行為に及ぶことは、その地位の特殊性および職務の公共性と相容れないばかりでなく、多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、その停廃は勤労者を含めた国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすおそれがあるからである。つまりこれは、公務員の労働基本権を軽視することで公務員法の争議行為の一律禁止を合憲とし,合憲限定解釈の必要が無くなったということになります。
法人の人権・制度
人権には普遍性があり、どんな人にも保障されます。では、法人に対してはどうでしょうか。法人とは個人ではなく人の集まりのことです。例えば会社、労働組合、宗教団体、等のことです。結論から言うと法人にも性質上可能なかぎり人権が保障されます。判例・通説も認めています。しかし自然人と違って特別の規制に服します。法人は自然人と違って大きな経済力を持っていたり、社会的な実力を持っていたりします。したがって自然人よりも広い範囲の積極的規制をすることが許されるのです。
法人の人権が規制されるか否か、が争われた判例があります。南九州税理士会政治献金事件と八幡製鉄事件です。まずは南九州税理士会政治献金事件から説明します。南九州税理士会政治献金事件では、税理士会が税理士法を業界で有利な方向に導くための法改正の政治資金として、特別会費を徴収する決議をしました。特別会費を強制的に徴収することに反対した税理士会員がおこした裁判です。論点としては、強制加入の団体かつ、法律に基づいて設置される税理士会が政治献金をすることは法人の目的の範囲内と言えるのかということと、強制加入の団体で政治献金をするためのお金を強制的に徴収することは、憲法に定められた思想の自由を侵害するのではないかということです。結論としては、例え税理士法の改正が目的だとしても、政治献金は税理士会の目的の範囲外であり、政治献金するかどうかは会員が自主的に判断するべきことだとされました。
次に、八幡製鉄事件についてです。この裁判は、八幡製鉄の代表取締役が同社名にて昭和35年3月14日、自民党に対して、政治資金350万円寄付した。そこで、同社の株主が、この代表取締役の政治資金寄付行為は、同社定款に定める所定事業目的の範囲「外」の行為であり、その他商法違反として会社が被った損害に対する取締役としての責任追及のための訴え起こすよう、会社に求めたが、会社が訴えを起こさなかったため、自ら会社に代位して、寄付行為をした取締役に対して寄付金分の350万円と遅延損害金を会社に支払うよう、訴えを提起したというものです。最高裁での論点は、1、政治献金が会社の定款所定の目的(権利能力)の範囲内か 2.参政権との関連で憲法違反を構成するか 3、取締役の忠実義務に反するかというものでしたが、最高裁は次のように答えています。1、政治献金は会社の権利能力の範囲内である。2、会社の政治献金は参政権違反ではない3、取締役の忠実義務に違反しないというものでした。本判決は、法人の人権享有主体性を認めた初めての判決です。根拠としては、現代社会にとって法人とは、欠くことのできない重要な存在となっています。社会的実体として非常に重要な活動を行っている法人の人権を認めることは、社会的実益は十分にあると考えていきます。しかしながら、人権の基本的主体はあくまで自然人です。法人は、言うまでもなく自然人とは違うわけですから、その点において自然人とは違う、一定の制約を受けることになります。その意味で「性質上可能な限り」、法人の人権享有主体性を認めるということになります
次に、法人の制度についてです。非営利法人の設立方法としては、「許可主義」、「認可主義」、「認証主義」、「準則主義」の4つの異なる方法があります。許可主義とは、法律の定める要件を備えても、設立させるかどうかは、主務官庁の裁量に委ねられる。というもので許可主義とは法律の定める要件を備え、所轄庁に申請すれば、所轄庁は設立を認めなければならない。というもので、認証主義とは、法律に定める要件を備えていれば、所轄庁は設立を認めなければならない。というもので、準則主義とは、行政に対する申請を要せず、あらかじめ法律の定める要件を備え、一定の手続き(定款の公証人認証と法人登記による設立)を行えば設立が認められるものです。許可主義は自由裁量行為である点で弊害が大きく天下りや汚職の原因になることがあり問題もある。また天下りの温床となっているものもあります。それは公益法人です。公益法人とは、文化・福祉・スポーツ等の分野でその名の通り公益を目的とする事業を行う法人であり、様々な税制上の優遇措置や補助金の交付を受けていました。しかし、この公益法人は官僚の天下りの受け皿となり、天下り利権の温床として散々批判されてきました。運営費を丸ごと補助金に依存したり、仕事を他の法人や民間企業に丸投げして、天下り官僚の役員報酬だけ中抜きする酷い法人も数多く存在しました。このような問題を解決するため新公益法人制度ができ、法人の設立が容易な1階部分(一般公益法人)と、厳格な認定を経て税制優遇措置の対象となる2階部分の公益法人が設けられました。こうした改革の結果、公益法人は9000法人にまで減り、残りは一般法人へと移行しました。改革の結果、一万以上の法人が一般法人に移行したわけですが、この一般法人が新たな利権の温床になっている実態があります。一般法人は簡単に設立できるため、脱税に悪用されていると言うのです。本来、土地や株などを相続するとそれぞれの世代で相続税がかかり、資産が目減りしますが、一般社団法人を設立して資産を移し、子や孫が法人の役員を務めれば、資産を実質的に保有しながら相続には当たらないため、税を払わずに済みます。
また、一般社団法人と言えば、名前の信用力が高いため、投資詐欺の舞台となっている実態もあります。
まとめ
天下りの内容も、それへの不満も様々であるしメリットもあるので天下りのすべてを一律で禁止することは問題です。ただ、職業選択の自由も絶対無制約ではありませんから、多額の国民の税金が無駄に使われていることや法人設立を認可するかしないかといったところで不正がおき公益性が保たれていないということもあることを考えると一定の要件のもとで、制約することにも合理性があると思います。それは全農林警職法事件で合憲限定解釈
をしないで公務員法の争議行為の一律禁止を合憲としたことからも言えなくはないと思います。
天下りしてくる人たちは、難しい試験を受けてそれに合格してきた人なわけだから優秀な人たちが多いはずです。そういった人たちに天下りという形で退職した後にもほかの場所で働いてもらえる。これ自体としてはいいことです。問題なのは天下りが原因で、汚職や不正が起こってしまっていることです。そういったことが起こらないように内部統制の仕組みを作ることが重要です。経営者が従業員に対して、法令遵守を徹底させ、ミスや不具合を監視できる体制作りを行うことが、 企業の不祥事を未然に防ぎます。そして、情報公開をすることも重要です。企業の情報が不透明だと不正を起こしやすい環境になってしまうので情報公開を義務化して不正をしにくくなるようにする必要があります。
また、天下りするとき、その場所にあった人を選ぶようにする機関や天下りではなく自分で独立できるようにサポートする機関を作るものいいと思います。
こういったことをして天下りによる不正を減らしていきメリットを大きくしていくことでより日本が豊かになっていくことにもつながっていくのではないかと思います。
参考文献
http://wakaru-news.com/parachute/4072/
http://consti.web.fc2.com/5shou4.html
http://kenpou-jp.norio-de.com/yahataseitetu-jiken/
http://hanrei.seesaa.net/category/2845612-1.html
http://ameblo.jp/tatbestand2011/entry-11473247143.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kohou5382/12366477.html
http://naibu.mayunet.com/001/ent99.html