吉野孝則

夫婦別氏と婚姻意思

民法第750条 夫婦は、婚姻の際に定めるに従い、夫又は妻の氏を称する。

結論

私は夫婦別氏婚に賛成です

 

夫婦別氏の問題点について

夫婦別氏には多くの問題が含まれています。

婚姻とは何か?

事実婚主義か法律婚主義か?

婚姻意思とは何か?実質的意思説、形式的意思説

婚姻における性別は?同性婚は許されるのか?

個人主義か家主義か?

婚姻に関する義務と権利は?

子供はどうするのか?養子や試験管ベイビーは違うのか?

資本主義、共産主義、社会主義

少子化、女性の社会進出

先進国、発展途上国

生物学、社会学、人とは?動物とは?

幸福とは何か?

社会保障、税金、財源、学費、待機児童

民法、憲法、歴史

これらだけではありませんが、多くの問題が何重にも重なっています。

イメージとしてはルービックキューブのようなパズルです。どこかを動かすと違う場所も動いてしまうような。または集合で表すならば何重もの円が重なる場所が答えになります。

これだけ変数が多いと妥当な答えを導くのは困難なので、極力分解して一つ一つの定義を確認しながら考えることが有用と考えます。

分解=分けると解る←引用 出典 若山昇

はじめに

最初、「夫婦別氏婚に婚姻意思があるのか?」と聞かれた時の自分の答えは「婚姻意思はない」よって「夫婦別氏婚には反対」でした。

民法にも氏は同じでなくてはいけないと書かれている以上、別氏を保護する必要はないし、私自身が家父長制ではない家制度の名残がある現在の日本、つまりの家族の最小単位をファミリーとみる日本の制度が好きで、婚姻は個人同士の繋がりだけでなく家同士の繋がりでもあると考えていたからです。

そして、それが地域社会を作り、倫理や文化を伝えていくと思うからです。

さらに、夫婦が違う名前だと家族の繋がりが弱くなり、家族を念頭においた民法の制度自体が崩壊すると感じていたからです。

 

最近、非嫡出子に関しての最高裁の判断がありましたが、その際も子供に責任はないので結論には賛成だが民法が想定する家族制度は崩壊するのではないか?!

婚姻の必要性がなくなるのではないか!?と疑問に思っていました。

 

そんな自分が何故に夫婦別氏に賛成になったのかを説明していきます。

 

現状の整理

現在、夫婦別氏は民法750条で認められていません。

そこで事実婚の夫婦らが国に対して「夫婦同姓制」は「個人の尊厳」を保障した憲法に反するとして訴訟を起こしていますが(たぶん国賠ではなく行政訴訟、こっちの方が勝ちやすいという噂あり)、一審、二審ともに合憲としています。

そして最高裁まで上がったわけですが、どんな判断が下るかは不明で今年中には判断が出るとされています。

本来、原審を維持するなら棄却にすれば良いのでわざわざ最高裁が受け入れたことに何かしらの意味があるのでは!?と言われています。

 

ということで別氏婚のためには制度を変えなくてはいけません。

 

婚姻とは何か?

戦前は戸主だけに権利を認め、女性は家では権利無能力者になるという家父長制でした。

戦後、新しい憲法に合わせて改正されて現在の制度に。

民法ボアソナードが中心になっていたこともありフランス法の影響が強い。

そのため明治以降はキリスト教の考える婚姻の影響が強い。そこから一夫一婦制になったと考えられる。

ここで江戸時代以前を考えてみると、「家」と「血」を重視していたためか本妻と側室がいたことが思い出される。きっと今の制度だと江戸幕府も長く続かなかったのではないか!?と思われるw

余談ですが、「血」はなぜ男中心だったのでしょうかね?男と女が交われば「血」が受け継がれるわけだから外から入る「血」が男でも女でも良い気がしますけどね….。天皇が男系というのも現代にはマッチしない気もしますが、男系が伝統だと言われてしまえば仕方ありません。

男の方が優れているという偏った思想はアホらしいですね。

 

話を元に戻して、現在の日本は法律婚主義である。

男と女が出会って結婚することにより義務と(生活保持義務同居義務、貞操義務、夫婦同氏)権利(嫡出推定、相続権、成年擬制、夫婦契約の取消権)が発生する。

今の制度が最小単位としての家族を保護することを考えれば、嫡出子と非嫡出子の相続分に差を付けることは家族制度を守り法律婚を守る上で合理性があったと考えられる。

しかし、外国の影響、時代の流れとともに子供の福祉の観点から非嫡出子の相続分を違憲としたことにも妥当性がある。

 

民法は婚姻の成立要件として、婚姻障害(民法731~736)がないこと、婚姻意思と届出意思(民法742)があることとしている。

 

婚姻意思については次で述べるとして、届出意思に関しては現状が良いと思われる。

というのも、婚姻が届出なしで成立する諾成契約だとすると、言った言わないの話になり色々と不便だと考えるからである。

さらに法的保護を受ける際にある程度の公示機能は必要だと考えられる。

仮に事実婚を認めたとしても二人が同棲しているという事実のみで保護を与えるのは無理があるので届出は必要。

ということで、婚姻意思と届出意思は両方必要と考えます。(しかし臨終婚のようにある程度の柔軟性は必要)

 

婚姻意思とは何か?

通説は、婚姻意思を精神的・肉体的結合を発生せしめようとする実質的な意思を意味し(実質的意思説)、ただ単に届出に向けられた意思(形式的意思説)をいうものではないと解されている。←引用、出典 民法 親族・相続 松川正毅

 

しかしながら、婚姻意思とは何か?を考えるにあって講義でも扱ったが面白い判例が出ている。

生活保護のための離婚、前日に翻意した離婚、嫡出子の地位を得させるための婚姻、臨終婚である。

前日に翻意した離婚、嫡出子の地位を得させるための婚姻は無効となり通説通りの判断と思われる。

しかしながら、臨終婚は届出の時には死亡しており通説通りなら届出意思を欠いており、かつ、今後の生活が出来ない以上婚姻は無効のはずであるところ、本人が生きていても翻意しないであろうということで有効に扱った結果に関しては支持出来る。

私の解釈は判例が実質的意思説の立場に立ちながら例外として扱ったと考えている。

 

次に生活保護のための離婚が無効だったことには結果の妥当性はあるものの信義則を使っての理論は負けというのが講義での中江先生の意見でした。

確かに嫡出子の地位を得させるための婚姻が無効なら生活保護のための離婚も無効にしなくてはいけないのに有効と扱ったところには論理の矛盾は確かにあります。

しかし嫡出子婚が昭和44年、生活保護離婚は昭和57年で13年の開きがあります。

その間に考え方が変わってガチガチの実質的意思説を通すのは正義に適わない時もあると考えたと私は考えています。(ある意味進化)

学説の中には離婚と婚姻を別と解する意見が有力ですが、離婚したらどうなるか分かっていたことから有効として扱うという件で離婚と婚姻を別と解するには無理がある気がします。婚姻だって結婚したらどうなるか分かりますからね〜w

 

確かに理論としては負けですが、実質的意思を原則として、こぼれ落ちるものを例外として一般条項で拾っても良いのではないか?と自分は考えます。

 

以上のことから私は婚姻意思を緩く解しても良いと考えます。

つまり実質的意思を基準にそれ以外にも何かしらの婚姻の法的効果を受けようとする意思があるならそれは婚姻意思ありと考えます。(内田説に賛成)

すると、前述の判例ではすべて意思ありということになります。別氏婚も、さらに推し進めれば国籍取得のための偽装結婚もすべて婚姻意思ありとなります。(あくまで意思に関してだけです。ほかの何かに抵触するかは別の問題)

(ここから夫婦別氏に賛成というわけではないので詳しくは後述します。)

 

動機の錯誤について

婚姻において錯誤が生じたらどうするのか?

民法では意思を尊重しており、取引の保護とのバランスを考えて、意思と表示の食い違いがあった場合に第93条から第96条まで規定を置いている。

取引の安全という概念のない身分行為においてこの意思をどう考えるかが重要である。

講義では彼女が妊娠したので結婚したが勘違いだったという話を題材にすすめた。

財産法では動機の錯誤による無効主張は認められておらず、婚姻に関しても認められていないが、「動機の錯誤だからというよりいったん婚姻関係に入った以上、遡及的に婚姻の効力を喪失させるのではなく、将来をにらんで、離婚を認めるべきかどうかの判断がなされることが望ましいからだ」とされている。←引用 出典 民法W 親族・相続 内田貴

 

しかしながら、財産法では取引の安全を考慮しなければならないから動機の錯誤無効の主張が出来ない、例えば本の購入にあたり、持ってないと思って購入したところ実は同じものを持っていて勘違いだったから無効にしてくれと言われたら本屋としては堪ったものではない。こういったケースを想定して動機の錯誤無効主張は出来ないのである。

では婚姻関係ではどうか?

取引の安全とういう概念がない以上禁止にする必要がないと考えられる。

しかし、もしも錯誤無効が可能ならば、結婚してみて気に入らなかったから錯誤無効にしようという輩が増えることが容易に想定される。

理論的には認めても差し支えないように思われるが実務の段階での問題は多い。

 

そこで無効だと誰からでもいつでも請求されるので、条件を厳しくする条件付き無効、例えば瑕疵担保責任のように早期の法律関係の安定のために一年の除籍期間を設けて、主張権者を当事者、利害関係人のみとするのはどうであろうか。

その意味では無効というより無効的取消しと言える。(当然に善意・無過失を要求)

 

先の彼女が妊娠婚では騙されているわけだから第747条でいっても良い例だと考えられる。

 

 

 

以上が制度についての前提でした。

次は夫婦別氏の必要性を考える上での前提を考えます。

 

少子化について

総務省統計局の調べでは(http://www.stat.go.jp/data/sekai/0116.htm)世界の人口は増加傾向にあるのに日本の人口は減少傾向にあります。

人口を考える際に出生率という数字があり、女性一人当たりが子供を産む人数の統計です。

世界的に増加傾向にある人口ですが、先進国ではこの出生率は下がっています。(多いのはアフリカ)

日本は1くらい、欧米では2くらいの数字となっており、人口を維持しようとすると2くらいは必要だと言われていますので、このままだと日本人は居なくなってしまう危険性があります。

文化を持つ先進国では軒並み出生率が下がる傾向にあり、外国ではCivil UnionPacte Civil de SolidariteMarriage CertificateConsiderlation(約因)といった制度の導入や社会構造へのアプローチにより一度減少した出生率を2くらいまで回復することに成功しています。

 

出生率は講義内でも扱いましたが、内容としては

先進国

出生率

女性社会進出

北米・西欧・北欧

1.8~2.1

事実婚主義

(プロテスタント)

Civil Union  

パックス

東アジア・南欧

1.1~1.5

法律婚主義

(儒教・カトリック)

 

 

というマトリックスにより説明されましたが、この表現自体が出生率と女性の社会進出に関係があるのだと思わせるような、ある意味レトリック的だと私は感じました。

このマトリックスから女性の社会進出と出生率に関係があると勘違いする人も中にはいるでしょうねw 中江先生は分かっているから敢えてこのマトリックスを書いたのでしょう。だからこそこの二つに関係があるとは一言も言わなかったw

では、日本で女性の社会進出を増やせば出生率は上がるのでしょうか??

 

そこで出生率と女性の社会進出の関係について考えてみます。

もしも女性の社会進出を増やせば出生率が上がるというならばここに因果関係が必要だと考えられます。

因果関係の定義は

時間、相関関係、第三因子の不存在です。以下検討します。

 

時間は常に過去から未来に向かって一方向でなくてはなりません。

では出生と社会進出の関係はどうでしょう?

社会進出が進んで出生率が増えた可能性もありますが、子供が生まれたから働かなければならなくなったという逆の可能性も大いに考えられますし、そもそも社会主義の色合いが濃い国が多いので最初から女性の社会進出の割合は多かったことが考えられます。

つまり、時間については✖です。

 

相関関係は数字的にはあるのでしょう。ただそんな数字はいくらでもあります。英語を話す国では出生率が高い、パンを主食とする国では出生率が高い、いくらでも考えられます。

(パンを食べて出生率が上がれば儲けものですがw)

とはいえ、数字上は相関があったとしてギリギリ〇にしておきます。

 

第三因子の存在に関して考えると、国が子供に対する補助金を増やすとともに、女性の働く場所を提供したとすれば両方の数字が伸びることは考えられます。

つまり第三因子の不存在も✖です。

 

以上のことより出生率と女性の社会進出には因果関係はないということになり、女性の社会進出を上げても出生率は回復しません。

寧ろ悪くなるかもしれませんw

ただし、中江先生が言ったように女性が社会進出し自分だけで子供を養いたいという需要があるのも確かでしょう。

ただ、労働において男女差は確実にあり、男性よりも出世したいと思えば、男性の1.5倍は

働かなくてはならず、結果時間がなくなり子供を作りづらいというのが現状でしょう。

 

参考文献 誰でもわかるクリティカルシンキング 若山昇先生

 

少子化の原因

少子化は多くの原因が密接に絡んで起きると私は考えます。

 

産業革命により資本主義経済がより強くなり人は労働力に変わった。

社会が発展して産業が高度になればそれだけ高いスキルが要求される。すると高いスキル得るために時間と金が必要になる。当然子育ての際に高いスキルを得させるためにお金がかかり(子供を大学卒業させるまで一人当たり1400万からと言われている。仮に人口を維持するために子供を二人持つ家庭を考えると20年で2800万、一年あたり140万、そこに家賃は家を買っても賃貸でも最低10万は掛かるから年間120万、この時点で260万、子供を作る世代は20代後半と考えても平均収入400万だとして、残り130万。これを12で割れば一ヵ月あたり10万ということになる。妻が専業主婦だと生活費10万は厳しすぎる。その結果、妻は働かざるを得ないのが現状でしょう。。。)、社会人として仕事に順応するために時間が必要になる。

さらに近年の男女平等という思想から女性の社会進出が進み、女性の晩婚化が起きる。

そして仕事は都市部に集中し地価が上がり、個人主義(法律にいう個人主義ではなく自分中心という意味合い)が進むことにより核家族が増えて子供を育てられない環境が出来る。

(以前は祖父母が孫の面倒をみる、地域での助け合いがあった)

そのうえ、不況と資本主義による価値観の変化が大きいと考えられる。

本来の資本主義ならばお金さえあれば這い上がることが出来るという自由を強調する考えであったが、労働力となってしまい、且つ、教育レベルが低い階層にとっての資本主義は自由ではなく、金こそが全てという金至上主義へと変わると考えられる。

そのために自分のキャリアの中で金がかかる結婚や出産がリスクであり、敢えて選択しないという価値観の人の増加がある。(教育レベルの低い人達の方が比較的に若い時代に多くの子供を持つ傾向にあるという側面もある。しかし全体としてみると子供を選択的に持たない人が増えている。(私自身もそう考えており、結婚・出産に前向きになれないw)

しかし金銭面では共働きの方が有利な面もある。出産の選択にあたり重要なのはやはり金銭面であり、共働きの方が余裕があるため子供を作る傾向にある。

 

近年価値観の多様化なんてものが叫ばれていますが、現実には何をするにも金が必要で金至上主義と言わざるを得ない。。。

実際かなり多くの大学生が安定と収入だけを求めて公務員を志望しており大学が公務員予備校と化している。(志のない人には公務員なって欲しくないというのが本音である)

江戸時代なども商人の台頭は目立ったが、武士道のように、学問に生きるように、金ではない生き方が残っていた気がしますね。

自由はなくとも価値観は今より多かったのではないか?士農工商だけだった昔に比べれば現在の方が「生き方」は多くなったが価値観の多くは失われたのではないかと考えています。

 

余談ですが、資本主義経済って皆が本当に求めているのでしょうかね?

金を求めて、金で成功している人って一握りなのではないでしょうか。私にはその一握りの価値観に他の人間が付き合わされているようにしか見えない瞬間があります。。。

 

話を戻して、ライフワークバランスを取るのがやっとだった世の中に情報革命が起こり、インターネットの普及により膨大な量の情報が社会に流入した。

確かに世界との距離は縮まり便利になったことは間違いない。

しかしながら、人間が処理できる情報量を超えているとも言われており(脳が限界)、情報処理だけでいっぱいいっぱいになり、結婚・出産、さらには他人との付き合いまでも阻害していると考えられる。(情報と多忙は性欲を抑制するのか?w)

 

それに加え医療の進歩により子供の死亡リスクが減ったというのも出生率の下降に影響しているのでしょう。

途上国での子供の死亡リスクが高いとはいえ、文化の水準が低い国の方が出生率が高いというのは皮肉なものだ。

産業革命による資本主義経済と情報革命の中では子供を選択的に作らないということでしょう。

このことから生物学的に考えたときに、ホモサピエンスが火を知り文化を、科学を持ったからこそ繁栄し、そして衰退していくということを認めざるを得ないでしょうね。

 

では人間にとっての幸福とはなんなのでしょうか??

 

幸福とは何か?

ベンサムが「最大多数の最大幸福」と言っていますが、では現在の日本のように多くの人間が出産を望まない状態でも幸福なのでしょうか?

人権や自由がない封建社会の中では幸福=人権だったのでしょう。そして人権も多くの人が望むものこそが幸福だったのでしょうね。そりゃ、支配する人間の数と支配される人間の数を比べれば支配される側が圧倒的に多いわけですから、社会を動かすためには多数決の原理は都合が良かったのでしょう。

しかし、人権の上ではベンサムは功利主義的過ぎて、人権だけを考えればベッカリーアの方が今の時代を作ったと言えるでしょう。

 

とはいえ、ベンサムやベッカリーアの思想は確実に社会学的な幸福をもたらせました。

しかし、現在のように人権や自由を強調し過ぎると、どこまで人権や自由を認めるのか?人権相互の干渉といった問題が発生する。(行き過ぎた人権保護と自由は利己的な人間という意味での個人主義をまねきます)

それが産業革命、情報革命と混ざり合い日本人の人口の減少を招いていると考えられます。

 

人口の減少を生物学的に見たとき、中国の一人っ子政策のように食糧や資源を考えての選択による減少ならあり得るでしょう。(中国人を一つの種としたとき)

しかし、日本のように一つの種として選択したわけではなく減少してしまうのは、減少だけなら良いですが滅亡は良くないと考えます。

日本人が選択的に子供を持たないなら選択の結果ではないか?という議論はもちろんあります。

その場合は自然淘汰なのかもしれません。

仮に自然淘汰だったとしても種が絶滅してしまうのは良くない!(感情的にですけど。。。)

独断と偏見によりますが、人類(人種)にとっては絶滅しないことが生物学的幸せとしますw

 

ということで、これからの人類は社会学的な幸福と生物学的幸福が必要です。

 

生物学的幸福なし

生物学的幸福あり

社会学的幸福なし

封建社会

動物の社会(猿、鳥など)

社会学的幸福あり

現在

理想の未来 ☆彡

 

理想の未来がどんな未来なのかは分かりませんが、少子化問題のうえで人権と自由を無尽蔵に認めることは出来ない。ある程度の制約を受ける必要があると考える。

例えば、ライオンやサルだって無尽蔵に自由を主張・享受しているとは思えない。ある程度の制約(動物の場合は自然かも)の中での自由の方が生物学的には幸福なのかもしれません。

(問題点 生む自由、産まない自由、結婚しない自由、絶滅する自由??)

 

では日本人にとっての幸福とはなんなのでしょうか?

 

日本人国民性

前述しましたが、日本人が自ら選択した結果人口が減少するならば、それは自然淘汰なのかもしれません。自然淘汰ならば生物として仕方ないのかもしれない。。。

しかし考えてみると、日本人を減少に追いやった人権革命、産業革命、情報革命、どれ一つとして日本人の手によるものがないのです!!

人類全体で見て自然淘汰だったとしても、全て白人が作ったもので絶滅に追いやられるのは日本人として我慢できない!(感情的に)

 

ふと大陸の人種を考えてみると、大陸は陸続きだからお隣に攻め込まれる・支配されるリスクが昔から高いのでしょうね〜。これが原因かは分かりませんが、日本より危機感が強いような気がしますね。

だから色々と発明できるのはないでしょうか。

一方、日本時は0から作るのが苦手と言われています。

危機感からかは分かりませんが、日本人に危機感がないのは海に囲まれているとか農耕民族だからとか単一民族だからとか障子で囲われた生活で鍵がないからだとか色々な説がありますが、たぶん大陸の人と違うのでしょうね。

同じ人間だけど人種として違う気がします。(個人的偏見かも。。。)(差別ではなく区別です)

 

何が言いたいかというと、人種、能力、文化、バックボーンが違う人達が違う場所で考え出した文化が必ずしも日本人に合うわけではないのではないか?と私は考えます。

または合っていた時代もあったのかもしれない(戦後は経済大国と言われた)。

でも現在は合わないのかもしれない。

 

ただ、ここでもふと思うのです。

石器時代に稲作が伝われば稲を作り、漢字が伝われば漢字を使い、鉄砲が伝われば鉄砲を使い、平等が伝われば平等を訴え、産業が伝われば産業を行い、インターネットが伝わればインターネットを行う。。。。

パクリの人種ですねw

ま〜悪く言えばパクリですが、どの時代でも違う文化を吸収してオリジナルなものを開発しているわけで、よく言えば柔軟なのでしょう。

 

 

では日本人には何が合うのでしょうか?そして日本人の幸福とはなんなのでしょうか?

 

 

日本人の幸福を考える

今までの前提を基に日本人の幸福を考えるわけですが、私は前述したように現在の我儘を許す風潮にある個人主義が嫌いです。

敗戦後に外国から輸入された個人中心の考え方が歪んだ形で定着したものだと考えています。その意味でこれを「歪んだ個人主義」と呼んでいます。

 

その反面家族制度は大好きです。歪んだ個人主義ではなく、家族のことを考え、世代を越えた考え方を学べる。そうやって自分一人の考えではなく社会の平均的な考え方を学ぶことが重要なのです。

武士道や奥ゆかしさ、わびさびといった日本独自の文化はこの家族制度を中心に伝わっていたはずなのに、産業が都市部に集中して核家族化が進み、情報社会になり、いつの日か機能しなくなってしまいました。

そのうえ、人権保護のため、妥当だと考えますが非嫡出子の相続分が平等になり、婚姻と家族制度自体が危ぶまれる中、とても夫婦別氏婚には賛成できませんでした。

 

もしも別氏婚を認めたら、潜在的な需要により少しは結婚・出産は増えるでしょうが、歪んだ個人主義が進み、婚姻制度・家族制度の崩壊に繋がる。

そして歪んだ個人主義は最終的には「結婚したくない」「子供を持ちたくない」という人を増やして(我儘ですから)、やはり人口の減少に繋がると考えていました。

 

つまり私にとって別氏婚は、少子化対策のために制度や伝統を曲げるのか!?というテーマだったのです。

 

そこで少子化と制度を天秤に掛けることになったのですが、そりゃ〜国民が居なくなっては制度も伝統もありません。

少子化対策をするしかないですよ。

で、前述したように少子化の原因は色々あれど一番は金銭面でしょう。そして金のために社会構造や女性の社会進出が二次的に必要となる。

最初に考えたのは子供の学費の無料化です。保育園(現在は応能負担)、小学校、中学校、高校、大学(これは成績優秀者のみ)。

子供を持つ若い世代にとって、手のかかる小さいうちが、体力的にも時間的にも最も辛いと考えられます。現在は不況もあって共働きが要求され、少子化にも関わらず待機児童が増える傾向にあります。

保育園無料化と規制緩和により預かって貰える場所を増やすしかありません。

高校も全入時代になっているので無料化しましょう。

大学は成績優秀者は無料にしましょう。その代わり国で働いてもらいましょう。

 

なんてことを考えていると財源はどうする??という問題に気が付きます。

一千三百兆円を超える借金と、破綻寸前の社会保障(年金・健康保険・生活保護など)、おまけにお隣がミサイルを構えている状態で国防費は増える一方、普天間の移転や、TPPで関税が撤廃されたらどうなるのでしょうか?!

そんな中で財源??

無理(笑)

やはり税負担率を上げるしかありません。

では現在40%くらいですが、何%にすると賄えるのでしょうか?

(独身の私としては、自分の税金がどこぞのガキに配分され、医療費は無料で、馬鹿な母ちゃんが「タダだから病院行く」なんて言っている状態が非常に腹立たしいのですがw)

 

何%かは分からないが、とりあえず上げるしかない。

なんてことを考えていると税負担率が上がったら、社会主義じゃね!?みたいな気持ちになりました。

学費、医療費が無料ならそれは限りなく社会主義ですよね。

 

ということで日本人の社会主義への適応を考えます。

 

日本人の社会主義への考察

そもそも現在の日本は社会主義の色がある国ですが、自由主義経済と個人の財産をうまく両立出来ている社会主義だと考えられています。(大きな政府?)

それをもっと色濃くして北欧のような「揺り籠から墓場まで」型にしてしまうか!?

という考察です。(もっと大きな政府)

 

社会主義というと個人の財産がなく不自由だと考えられますが、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器ともてはやされた高度経済成長期の日本を考えたとき、自由主義経済の下に殆どの国民の収入が同じくらいで結果の平等を求める思想がありました。

その思想は潜在的に社会主義を求めていたのではないか?と考えられなくもありません。

 

前述した日本の性質を合わせて考えてみると、単一民族で、平等思想があり、島国により隔離されていて、パクリ好きで新しい文化に柔軟。

これらから、日本に北欧型の社会主義を輸入してもきっと上手くマッチすると考えられます。

 

しかし、北欧で社会主義が成立するのは大した産業がなく農業国で人口が少ないからだとも言われています。

そして、現在の日本の累進課税でも不公平感が拭えないのにもっと課税を進めた場合の国民のやる気はどうなってしまうのでしょうか。

間違いなく生産性は下がると考えられます。

生産性が落ちると資源のない日本ではやっぱり子供を作らないのではないか?!という疑問が湧きます。貧乏で時間があるほうが出産は多くなる傾向にあるのは間違いないのですが、全体として生産性が下がって経済が小さくなってしまうと、借金や社会保障をどう賄うのかといった問題は何も解決されない。

 

社会主義が精神的にマッチしても財政の問題は少しも進まない気がします。

全てを捨てて、首都中心型の産業形態を辞めて、休耕田なども辞めて農業国として再出発するのであれば出来なくもない気がするのですが、あまりに社会構造を変えすぎて現実的ではないのが現状でしょうね。

 

そこで「財源をどうしよう」と行き詰っていたところにアイデアが舞い降りました☆

 

自分の夫婦別氏へのポイントは家族制度と個人主義をどう考えるかでした。考えてみるとどちらかを取らなければならないという二分法ではないことに気が付きます!

つまり家族制度と個人主義を両立させる制度があれば良いということに気が付いたのです。

社会保障の財源の問題はアメリカのように個人主義が進めば所得再配分で国が払う形になってしまう。これをもっと進めれば結果的には社会主義に近づいてしまう。

ならば、子供も老人も生活保護も面倒を見てくれる人がいれば問題解決です!!

つまり家族です。核家族化が問題なのです。家族の枠を広げてあげれば良いのです!

 

日本の現在の家族意識は、キリスト教由来の婚姻に日本独自の「血」の文化が混ざったものから構成されていると考えられます。

そしてそれは「名」の文化でもありました。

その頭があるから自分も夫婦別氏に反対したわけですが、このままだと少子化で日本人が絶滅してしまうなら文化や制度自体を変えるしかありません。

 

そこで現代人の結婚観を考えてみると、義務や権利に縛られるキリスト教由来の古い婚姻概念は個人の自由を声高に叫ぶ現代人とは合わないのでしょう。

少なからずフランスでは合わなくなったから事実婚主義になってしまった。日本のように紙切れ一枚で離婚できる制度があればこうならなかったでは?!という議論はありますが、個人の権利を尊重すれば財産を奪われる婚姻にメリットは少なく、いずれはこうなったものとも考えられます。

日本の場合は子供さえ作らないわけですからより悪いのですが。。。

 

つまり、男と女で血を繋げていくという結婚観は既に現代人には合わなくなってきているとういことです。

 

ではどうするのか?

 

男と女という婚姻をもっと広げて「この現代を誰と生きるのか」という制度にしてしまえば良いのです。パックスやシビルユニオンのように契約で結ばれても良いし、婚姻概念を広げても良いです。

 

そうすることにより「名」も「性別」も関係なく「家族」を作れるのです。そして家族で祖父母の面倒をみて、祖父母が子供の面倒をみる、家族相互の助け合いが実現する。中身は違えど日本に古くからある家族主義です。

これはいわゆる、婚姻の規制緩和であり婚姻意思も緩和して良いと考えられます。

この場合の婚姻意思は前述したように、「婚姻による何かしらの法的効果を受ける意思」と緩く解します。

 

すると今までの問題であった「時間」と「金銭面」の問題がかなり前進します。

そして家族で賄えない部分を税金にすればぐっと負担が軽くなります。

 

私の考える家族制度への余談ですが、講義で戸籍法を扱いました。

夫の浮気で出来た子供で愛人の母の戸籍にいる子供の戸籍を夫の家族の戸籍に入れたいという内容でした。

講義内では子供をどっちの戸籍に入れるのが子供の幸せか?というテーマでしたが、私からするとどちらも幸せではありません!というのが結論です。

非嫡出子の相続分が平等に反して違憲ならば、この戸籍法も違憲と考えるからです。

どういうことかというと、現在の戸籍法では法律婚から生まれた子供か法律的な関係がある養子しか夫の戸籍に入れません。それはつまり法律婚しか保護していないということだと考えられます。

 

すると不倫で生まれた子と、正妻から生まれた子が不平等に扱われているし、愛人からすれば子共を夫の戸籍に入れてしまうと自分の戸籍から子供が抜けてしまう。自分の子供なのにです。

それは愛人の「子供と同じ戸籍にいたい」という幸福追求権を侵害していると考えるからです。

よって戸籍法は違憲と考えます。

 

そこで下の図のような講義で使う家族の関係図をそのまま戸籍に書き込んでしまえば良いのです。

(もしも表示されていなかったら申し訳ありません)(毎回講義で書く関係図です)

 

倫理的には当然問題がありますが、生物的にはこれが真実なのです。

勘違いしないで貰いたいのは不倫を奨励しているわけではなく、「不倫をするな」という道徳と「不倫から生まれた子をどうするか?」という問題は別問題だと考えるからです。

今の戸籍法や以前の嫡出子の概念だと、婚外子は許されないことになってしまい、その考え方が非嫡出子の相続分や戸籍法に繁栄しているのです。父の戸籍からは生まれていないことになってしまう。

 

ここで前述した江戸時代以前を思い出して貰いたいのですが、江戸時代以前は正妻がいて側室がいたわけです。そしてその中から戸主を選んだ。

それはまさに上の図と同じですよね。

 

そこから私の考える家族制度は正妻、愛人、全てひっくるめて「家族」としちゃいます!!

内縁も家族としてカバーします!(当然保護の差はあり相続権とか損害賠償請求権などがないなど)

 

戸籍に関して、現在はマイナンバー制度が導入されようとしています。これを戸籍として使うというのも一つの案ですが私としては反対です。

マイナンバー制度はどこまでの社会保障を受けられるかの制度であり、戸籍とは別物と考えているからです。

もしもマイナンバーが戸籍として扱われるようになったら、自分の戸籍には生まれた瞬間に独りぼっちの戸籍が作られ、それは個人主義を促進させると思われます。

さらには情報を丸ごと奪われないように別々の場所に分散させてきた今までの考え方にも反するでしょう。

 

 

さらに余談ですが、扶養に関しても講義内で扱いました。扶養に関しては生活保持義務と生活扶助義務があるという話でした。

これに関して内田説に物申す!!

中川博士が扶養の人的範囲(どこまでの人が責任を負うのか)を生活保持義務と生活扶助義務に分けたのには合理性があり賛成できるが、責任の程度までも同じ生活保持義務と生活扶助義務という言葉でカバーするのは非常に分かりづらい。

 

マトリックスにすると

 

 

生活保持義務(一杯の茶碗を分ける)

生活扶助義務(余裕があれば)

生活保持義務(第877条)

子共

老人

生活扶助義務

 

 

 

このように範囲と程度を同じ言葉でカバーすると訳が分からなくなるので、程度に関しては別の言葉を使う方が解りやすいと考えます。

 

言葉の問題もあるのですが、私が考える一番の問題は「程度」です。

上のマトリックスは端的に言えば、子供の面倒は見なければならないが、じいちゃんばぁちゃんの面倒は余裕がなければ見なくても良いということですよね。

それが年金問題を産むわけですよね。

そもそも子供と老人の扶養に程度の差を設けることは意味が解りません。

確かに生まれたばかりの子供と老人を比較した場合に子供は自分で何も出来ませんから子供の方が要扶養性は高くなるのは分かります。

しかしこれが子供15歳、老人90歳になったらどうでしょうか?

子供は生命力に溢れ仕事を得る機会も増えるでしょう。一方老人は体力・知力は衰え、新しく仕事を得る機会もなく、痴呆などにより自分の面倒すら見られなくなることが考えられます。

するとこのケースでは老人の方が要扶養性が高いのです。

さらには民法が後見制度で制限行為能力者を手厚く保護していることとの整合性が取れないと考えられます。

 

以上のことより、扶養において子供と老人に差を設けるのはおかしいと考えます。

 

 

私の考える家族制度にこの二つの余談を混ぜ合わせて、ある程度の直系尊属、傍系尊属までを一つの戸籍でカバーして家族にしてしまえば良いと考えます!

すると、妻と夫の負担が増えるという問題があります。

そういう要扶養者が多い家庭は年金の負担額を下げてあげたり、税金の控除を増やしたり、子供手当を付けてあげることにより対処すれば良いと考えます。

 

 

年金に関する余談ですが賦課制度は限界です。子供の方が多かった時代ならまだしも、少子化で絶滅の危機がある現在は無理です。年金を確保するために若い世代が苦しくなって子供を作らなければ賦課制度自体が本末転倒ですね。

政府にはどっかで「ごめんなさい」してもらいましょう。

そもそも、生きてさえいれば掛け金が増えて返ってくるということが詐欺っぽいですよね。

で皆さんが一生懸命働いて医療が発展して皆が長生きになったから破綻するんですよね〜。

制度として欠陥があるとしか言えませんね。

とはいえ、全部なしというのも厳しい話なので払い込んだ分までは、またはちょっと少ないくらいまでは何とか払いますという形で早めに離脱することを望みます。

 

ここまでで家族と財源に関しては形になってきたと思うのですが、個人主義が進むということは結婚しないで子供を持ちたいという人の意見も保護しなくてはなりません。

そこで問題になるのが養子や試験管ベイビーでしょう。

 

嫡出子、養子、試験管ベイビーは違うのか?

現在は試験管ベイビーは倫理上、法律上の問題で認められていませんが、少子化と個人主義の下では認めるしかないと考えています。

 

例えば猫や犬のようなペットは家族ではないのでしょうか?

法律的には物ですが飼い主からすれば家族なのではないでしょうか。

それと同じに扱うのはおかしいかもしれませんが、血が繋がっていない養子だって家族になれるし、そもそも配偶者には血が繋がっていないのに家族です。

 

仮に試験管ベイビーと暮らしたら家族にはならないのでしょうか?

そんなことはないでしょう。

血が繋がっていようがいまいが、一緒に暮らす意思、家族になる意思があればきっと家族になれるはずです。

確かに今の倫理観では許されませんが、前述したように日本人は柔軟です。

女性だけで、または男性だけで子供を持てる時代が来ても良い気がします。

そこにはきっと新しい家族像があると考えられます。

 

 

さらに個人主義によるシングルマザー、共働きを支援するために女性の社会進出と出産できる環境づくりが必要になってきます。

 

女性の出産と社会進出

女性の社会進出は少しずつ進んでいますが出産には決して優しくありません。

そこで出産後三年間は会社が給料を保障して子供を育て、三年後に会社に復帰できるような社会を実現しなくてなりません。

私の考える家族制度の実現により待機児童の減少が予想されますが、保育園の確保も必要でしょう。

 

 

さらにグローバリゼーションの中で日本がどんな国になるのか?というのも少子化とは切っても切れない関係にあります。

 

日本とグローバリゼーション

前述しましたが、農業革命、産業革命、情報革命は全て外国人によるものです。

現在、グローバリゼーションの下に追い付け追い越せ、右に倣えという思想で日本は進んでいますが、その結果が不況と少子化ならば辞めてしまえば良いと思うのです。

何も世界の全てが同じ考えや文化になるのがグローバリゼーションではないと思うのです。

世界の中で日本が独自の道を進み「日本とはこういう国だ」と胸を張って言えるような色を出すグローバリズムもあると思うのです。

その結果、ガラパゴス化したって良いじゃないですか!!

白人のマネをすることはないと思うのです。

 

私の考える理想の日本像は、もっと地方分権を進め、農業を拡大して食料自給率を上げることが必要です。

グローバリズムの下で、コストが掛かる生産より安い国から買った方が合理的なのは分かります

しかしその結果、農業が廃れて海外に依存しないと生きていけないというのは合理的なのでしょうか?

確かに開国は不合理な生き方を美徳と考えていた日本に合理主義を齎しました。

しかし合理主義と資本主義による金こそが幸せという、その価値観を変えなくてはいけません!

不合理でも非生産的でもそれが幸福への道なら良いじゃないですか!

農業への規制緩和と新規参入を認めれば、雇用の拡大、地方の過疎化、首都圏の地価の上昇が緩和されます!

 

自動車や機械も作りましょう!

日本には綺麗な水があるから、きっと精密機器は作り易いはずです。

 

日本の国土の全部を使って、国内だけでも回していける社会にしましょう。

その上で海外から買うものは買えば良いし、売れるものは売れば良い!!

きっと日本の食物や文化は高く売れますよ!!

 

 

それだけでなく

今まで構造や産業の話をしてきましたが、人間が動物である以上、男と女が出会って子供を作ることが幸福だと感じられる世の中にしなくてはなりません。

 

私も良い歳なので仲間内で子供の話になりますが、最初に出るのは金の話です。現在の給料で何人持てるか?タイミングはいつなのか?

持ちたくても持てない人も沢山います。実際三人兄弟は殆どいません。

子供を持つのにいつから考えなくてはいけなくなったのでしょうか。

資本主義経済、自由主義経済の限界でしょうね。

 

金至上主義からの脱却と価値観の再生が必要です!!

 

 

まとめ

家族制度と個人主義を両立させつつ少子化対策のために

@    婚姻の規制緩和 婚姻意思の緩和

A    学費の無料化

B    戸籍法の改正

C    老人の扶養義務の拡張

D    試験管ベイビーの緩和

E    年金の構造改革

F    女性の社会進出の後押し

G    産業構造の変更

 

というのが大綱なんですが、私の案が優れていると思う点は@からFまで全部やると大変なのですが、前述した社会主義の導入より明らかにやることが少ない点に挙げられます。

家族になる意思があれば誰とでも家族になれて、それが少子化と扶養、年金に寄与するわけですから、実際変えなくてはいけないのは民法750条と婚姻意思の解釈だけなのです。

財源の問題は厳しいけれど、これだけを変えるだけで新しい家族が支える社会がやってくると思うのです。

私自身がガチガチの保守思考の持ち主なので、ゲイカップル、レズカップル、試験管ベイビー、養子の家族が当たり前の世の中は今の自分の倫理観ではとても理解出来ませんが、別氏婚ですら反対だった自分がこういった案を出せたところに、自分も柔軟な日本人なんだということを再確認します。

ここでも勘違いしないで頂きたいのは、動物である以上、自分の考える家族制度の基本は男女です。あくまで多くのニーズに応えるために新しい家族制度が必要だというに過ぎません。

とはいえ、きっと、未来の日本人なら個人主義の中でも、家族を作り幸福になれると信じています。

 

因みに別氏婚の導入が同性婚の足掛かりになることは間違いないと思われます。

そして同性婚の導入にあたり憲法24条に反しないかという問題ですが、憲法24条で中心となる男女の法律婚を保護して、それとは別の制度でそれこそパックスやシビルユニオンのように保護することは違憲にはならないと考えられているそうです。←参考 金澤 誠先生

 

 

以上のことより、私は夫婦別氏に賛成です。

 

参考文献

民法W 内田貴

民法 親族・相続 松川正毅

民法概論D 川井健

誰でもわかるクリティカルシンキング 若山昇

 

出典 自分の頭

 

 

 

 

上総柚香

夫婦別氏と婚姻意思  上総柚香

 

私は夫婦別氏に賛成である。

 

@  はじめに

日本法は制定法主義で理論重視である。全ての判例は根拠条文や要件に基づき説明されることが望ましい。夫婦別氏を認めるにあたってもそれは同じである。一方で判例により法解釈や法適用の実態等、制定法の幅を埋めてきた。制定法の上に、時代の流れに合わせた法解釈、法改正が必要不可欠である。そこで、「実質的婚姻意思説(実質説)@ 両当事者において社会生活上(社会通念上)夫婦と認められる関係を形成しようとする意志の合致があり、A それが婚姻の届出という形式に表現されることによって、婚姻が有効に成立するという説」「形式的婚姻意思説(形式説)婚姻が在留・就労資格の取得、国籍の取得、遺産の相続権を与えるなどの目的を達成するための便法であって、実質的な夫婦共同生活を予定しないものであったとしても(=実質的意思説の@の要件が欠けていても)婚姻にともなって派生する法的効果をわかった上であえて届出をするのであれば、婚姻は有効に成立するという説」「準婚理論(内縁届出を欠いてはいるが婚姻と同様の実態を有する婚姻に準ずる関係であるという説(最判昭33411日民集125789頁)」をふまえ、婚姻の定義を明らかにし、夫婦別氏が認められるべきか否か検討していきたい。

 

A   夫婦別氏の現状 大法廷出されたのなら違憲判決を下すことに意味があるのではないか

現在日本では民法第750条により強制的な夫婦同姓制度をとっており、夫婦それぞれが姓を変えたくないといった場合は婚姻できない。これは「婚姻の自由」「個人の幸福の自由」を妨げているといっても過言ではない。同条は「夫又は妻の氏を称する」とあり男女同権であるかのようだが、社会との実態を比べてみると日本の場合、97%の女性が夫の氏を名乗っている。戦前からの家制度や跡継ぎ問題等の意識が根付いている結果と言えよう。これまで何度か同条が違憲であると持ち上がってきたが、今に至るまで最高裁は合憲であると結論を出してきた。既に1996年に法務省が法律改正案を作っており、その中の一つとして選択的夫婦別姓制度(夫婦別姓でいたい夫婦は夫婦別姓でも可)と題し姓に対する新たな選択肢として、法案を作っていた。しかし保守的な議員が多く国会には提出されていない。夫婦別氏を望む年齢層が若者に集まっているというのも一つの理由であろう。

今年、女性の再婚禁止期間と夫婦別氏の規定が初めて最高裁大法廷に持ち上がり、年内にも判断を示す見通しだ。大法廷に出されたのなら、違憲判決を出さないと意味がないと私は思う。またそのために世論を動かす取り組みや認知度をあげる活動も重要だ。

 

B   法改正に影響を及ぼすだろう諸外国の動き 夫婦別姓を認めている国がある。

違憲判決が下され、夫婦別氏が認められるということは、国際社会の大きな動きが最高裁にも影響を与えていると言えよう。特に、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスがどのように法整備されているか参考にされる。

ドイツでは、1900年の民法典制定時には夫婦共同体の統一を示すために夫の姓を名乗ることを強制していたが、1976年に同姓どちらか一つの姓に決める権利を、2005年に夫婦間で一つの姓を決めることが出来な場合には別姓を認めることができるとした。他、かつて夫婦同氏を強制してきたトルコ、インド、タイでも夫婦別氏が選択できるように移行している。また、事実婚主義的傾向があり出生率が高いフランスやスェーデンでも別姓は認められている。夫婦別氏を認めている国々の背景には、文化による影響も強く一概に日本と比べられないが、現在、夫婦同氏を強制する国家は日本のみである。

 

C    婚姻の自由 夫婦同氏が婚姻の自由を妨げ、事実婚にとどまる夫婦がいる

憲法第24条によると、婚姻とは両性の本質的な平等に立脚して、制定されなければならないとある。しかし現実的には姓を変えた方に初期の負担がかかり、技術職の場合資格証明書の名義変更から始まり、運転免許証、銀行口座等の生活関連手続きも大変である。学会で名をあげた人や仕事上旧姓を使用したほうが都合の良い人は「通称使用」の手段をとり生活している人もいる。通称の氏はあらゆる場面で認められているわけではなく、例えば、不在時の郵便物を受け取るにあたっても、公的証明書がなければ迅速に受けとりができず、毎度通称の氏を名乗っている理由から始まり本人であることを説明するのに時間がかかるという。果たして、同姓にすることは両性の本質的な平等に値するのか?

こういったことが理由の一つとなり、事実婚にとどまっている夫婦がいる。事実婚を証明し内縁関係と認められなければならない扶養等の手続きにおいては、戸籍上の夫や妻ではないため、住民票の続柄欄に(未届)と入れることで、内縁関係の証明する方法がある。ただ、事実婚は民法739条によって生じる婚姻の効果と同じとは言えず、相続問題や確定申告での医療費控除の扱い等にも法律婚に比べ不都合が生じたりもする。もし夫婦別氏が認められれば、事実婚を選択していた夫婦が法律婚を取ることができる。そのことによって、本来の婚姻がもたらす効果を受けることが出来るのである。手続きが億劫で夫婦別氏にしたいのなら手続きを夫婦間で分担し、進めれば良い。しかし様々な理由で夫婦別氏を望み、事実婚を選択している夫婦がいることは事実である。もはや「夫婦別姓の選択」を認めないことは、生きる上での自由を奪っているかのように私は感じる。夫婦別氏を認めないのであれば、せめて婚姻意思の範囲を狭くし婚姻効果を認めて欲し いところである。

 

D  夫婦別氏の制定を待つカップルに婚姻意思はあるのか。私はあると考える。

近年時代が進むにつれていろいろな婚姻の形が見受けられる。先日アメリカでは同性婚法案が可決された。婚姻とはどういった形が望ましいのか。例外としてどのような婚姻関係を判例は受け入れているのか、第742条の婚姻の無効を適用しているのかを検討した上で、婚姻意思を明らかにし、夫婦別氏を待つカップルに婚姻意思があるかどうかを判断したい。

婚姻契約という法律行為は@婚姻届を出すこと(民法第742条では第739条に則った届けを出すことができなければ無効としている。ただし、第739条二項に定める方式でない届け出のみが欠けている場合、婚姻は認められる。)A婚姻意思があること(第742条)B婚姻障害事由がない、婚姻能力またはそれに変わる同意があること(第737条)によってなされる。このことから、日本の民法は戸籍届出による法律婚主義をとっているといえるが、判例により、@の婚姻届を出していないがため民法上の婚姻と認められない事実婚や内縁関係を保護している。また婚姻届を出していても男女双方にAの婚姻する意思がなければ、法律上、夫婦と認められない場合(形式的意思説)もある。

婚姻の効力は、子の出生(第722条 嫡出推定)子の養育、生活保持義務、相続、同居義務(第752条、第760条)、貞操義務(第77011号)、夫婦同氏、成年促制、夫婦契約取消権が上げられる。これらの権利を得るために婚姻を利用することもあるのだ。そこでやはり婚姻意思の有無やカップルの社会的承認が重要となる。

無効確認請求

@    できちゃった婚

        相手が妊娠し責任を感じて結婚したが、自分の子供ではなかった場合動機の錯誤による婚姻

 結婚相手の性格や病気,生殖能力などに関する錯誤があっても、通常は婚姻の無効をもたらさないと解されている。その理由は、「動機の錯誤だから」というより、いったん婚姻関係に入った以上遡及的に婚姻の効力を喪失させるのではなく、将来をにらんで、離婚を認めるべきかどうかの判断がなされることが望ましいからである。(内田 民法)

742条では人違いその他の当事者間に婚姻をする意思がないときに無効としており、結婚相手がどんな人であるかは認識しているため、人違いには該当していないと言えるであろう。しかし、婚姻を決意するに当たっては大きな意味を持つ要素に関する錯誤なので無効と解しても良いと私は考える。

A    臨終婚将来に向けた実質的な夫婦共同生活を設定しようとする効果意思に欠け、法的有効性が問題となる場合がある)

1      何年間か内縁関係にあった人と亡くなったその日に婚姻届を提出。→「たとえ婚姻の届出自体について当事者間に意思の合致があり、ひいては当事者間に、一応、所論法律上の夫婦という身分関係を設定する意思はあったと認められる場合であっても、それが、単に他の目的を達するための便法として仮託されたものにすぎないものであって、前述のように真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がなかった場合には婚姻はその効力を生じないものと解すべきである」(最判昭441031日)

判例は実質意思説をとり、婚姻を認めない、無効とした。

2      10数年来の事実上の内縁関係があった人と死期を悟った男性が婚姻届けを提出。→「死期を悟った男性の婚姻の届出を有効とする」(最判昭4443日)

3    将来婚姻することを予定して継続的な性交渉があったが事実上の夫婦共同生活はなく、婚姻の届書が受理された当時本人が意識を失っていた場合と婚姻の届出の効力→「その受理前に翻意したなど特段の事情のないかぎり、右届書の受理により婚姻は有効に成立する」(最判昭45421日)

      以上のように臨終婚において、実際に夫婦共同生活を営もうとする「効果意志、BedTable」までも要求するものではなく、婚姻にともなう(当事者が望む)法的効果を発生させても実際上の問題がない事例では、便法としての婚姻も有効としていると解釈できる。婚姻とはお互いがより思い遣ることのできる契約であると私は考える。確かに臨終婚において、婚姻が効力を発生させる便法となっていると考えられるが、お互いが納得しているのならばそれも一つの愛の形であり、23の判示は妥当であると思う。

B    嫡出子の地位を与える為の婚姻

子に嫡出性の付与を目的とした仮装婚姻→「「当事者間に婚姻をする意思がないとき」とは、当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思を有しない場合を指し、たとえ婚姻の届出自体については当事者間に意思の合致があつたとしても、それが単に他の目的を達するための便法として仮託されたものにすぎないとき、婚姻は効力を生じない」(昭441031日)

  この判例は実質的意思説の立場を明確にしたものと言えよう。一方、臨終婚の例で「効果意思、BedTable」を重視せず反対立場をとっている判示があり、食い違ってしまっている。婚姻の有効においての判断基準は裁判官に委ねられているのが現状だ。強いて違いを上げるのであれば、理論重視とは言えないが、やはり婚姻関係を結ぶ当事者が総括的に納得した婚姻でないという違いであろうか…。

C    生活保護受領の為の離婚届

   いわゆる方便としてされた協議離婚が有効とされた事例→「夫婦が事実上の婚姻関係を継続しつつ、単に生活扶助を受けるための方便として協議離婚の届出をした場合でも、右届出が真に法律上の婚姻関係を解消する意思の合致に基づいてされたものであるときは、右協議離婚は無効とはいえない(57年326)

  通説として実質的意思説をとっているのであれば、「効果意思、BadTable」と婚姻届提出意思があるBの判例の離婚は無効と言えるであろう。この判例の判決は、理論で説明できていない。やはりお互いが納得し、現法に沿う婚姻の形であっても、道徳に反していると解されてしまえば信義則違反と片付けられてしまう。法を下に生活している私たちは形式に則りできると解釈したにもかかわらず、実際はできないと判断されたということだ。こういった矛盾を埋めるべく、細分化した法や、法を掻い潜って生活することのないよう更なる法整備が必要だ。

  そのひとつが、夫婦別氏であると私は思う。

  

夫婦別氏法案をあてにして婚姻届けを出さないカップルは準婚理論によれば婚姻意思があると言える。Cのように夫婦別氏を望み、事実婚を選択している夫婦、カップルがいるからである。2年以上BedTableを共にしているのならば尚更である。また夫婦別氏が認められれば婚姻届けを暫時出すのであろうから、実質的意思説、形式的意思説の「婚姻届を提出する、戸籍上の婚姻状態とするという意思」はあると言える。そこにはできるのであればすぐにでも実質意思説の婚姻状態となりたいが、強制的な夫婦同氏という壁に阻まれているといっても過言ではないだろう。

 

E  おわりに 私は夫婦別氏を切に望む。

法制度の問題を自分の立場に置き換えで話すことは好きではないが、私自身、選択的夫婦別氏を望むひとりである。

【跡継ぎ問題】 婿養子に来てもらえない場合

私は家の跡継ぎであり一人娘だ。小さい頃から家族や親戚に婿養子をもらうよう言われてきた。実際母方の祖母は婿養子をもらっているし、お互いが跡継の場合は事実婚をとり、末っ子が上の兄弟とは異なる方の家を継ぐといったような例も身近にいる。 

それぞれの家を絶やすことなく繁栄していくには臨機応変に嫁ぐことが普通であると認識していた。しかし、年を重ねて結婚を意識するようになると、相手の家族構成や、ゆくゆくのことを考えるととても気が重い。というのも、同世代にはなかなか婿養子や事実婚に馴染みがないと感じるからだ。親戚は、私に「売れ残ったら困るから家のことは気にしなくて良い」というが、墓掃除から始まり昔から跡取りというだけで贔屓され、教育の中で刷り込まれてきた家や血筋に対する意識があり、今更そんなこと言われても…と感じるわけである。ご先祖様のお陰で今の私がいるのであって、ご先祖様が守ってきたものを私も守りたいと思うことができる一方で、今の時代 に婿養子をもらい、跡継ぎを2人以上産むことは私には少し重い使命となっている。

そこで、私は、相手の事情によりどうしても婿養子に来てもらえない場合、真剣に事実婚を考えている。きっと相手方のご両親も私の母も、事実婚より社会的立場が安定している法律婚をとって欲しいと考え反対するであろう。しかし、婿にはいけない、嫁にもいけない、となると、どちらかが姓を捨て入籍するか、事実婚をとるかである。

【入籍後、夫婦別氏をとった場合の子供の姓】

@   出来ちゃった婚の後、子供を出産し、すぐ旧姓の家に養子として出した場合

 出来ちゃった婚で入籍したとする。子供を自分の実家に養子として出すと、子供は両親と名前が変わってしまう。その時にもし、両親が夫婦別氏であり、片方が子と同じ姓ならば、成長していく上で子供はまだ精神的負担が少ないと考える。家族間の中で祖父母の姓が違うことを理解し受け入れているように、選択的夫婦別氏が認められ、家族のカタチは苗字だけではないということが当たり前になると道が開けるのではないかと思う。

A   入籍後、夫婦別氏を選択 子供に選択の余地を与える場合

生まれてすぐの子供を自分の旧姓の家に養子として出すのは、子供の意思を無視している上、跡継ぎを強制させており親のエゴであるという意見もある。(長男長女は跡取りという定めを背負って生まれることが多いため、私は特に強制的であるとは感じないが)そこで、生まれた順番関係なく、子供それぞれに、旧姓の家に跡継ぎが必要なこと、家柄、土地、守るべきものの価値を教育し、20歳になってどちらの姓をとり、養子にでるか選択させるとき、まだ夫婦別氏であると子にとって新しく選択する姓は馴染みあるものになるのではないかと思う。

  子供が生まれさえすれば教育により家、血筋、氏への愛情や跡継に対する意識は培えられるだろう。しかし、やはり成長の中に名前は常に存在し、アイデンティティであると私は感じている。反対意見に姓がバラバラだと家族が崩壊するという声もあるが、姓が一緒でもうまくいかない家庭もあり、家族の団結力を姓とするのにはあまりにも勝手であると感じる。また、入籍時に自分がこれまで一緒に歩んできた名前を、線で消されるのではなく、これからも名乗っていけることができればなんと幸せだろうか。

 選択的夫婦別氏が認められれば手続法や戸籍システムの見直し、変更、子供の姓の選択等、選択的夫婦別氏を成し得るために様々なところに影響が出てくるであろう。それは腰を据えて緻密に構成していかなければいけない。女性の社会化がうたわれ、少子化が進む中で、この夫婦別氏が、姓の変更を理由に事実婚を強いられている夫婦の希望の光となり、即時的ではないとしても出生率が高くなる理由の一つとして、日本の社会に良い風を吹かせてくれることを願う。そして、そのために私自身、選択的夫婦別氏の認知や批判的意見を変えられるよう世論に働きかけていきたい。                 以上

 

参考

内田貴「民法IV 補訂版 親族・相続」(東京大学出版会、2004

泉久雄『家族法の研究』(有斐閣、1999

能見善久、加藤新太郎編『論点体系判例民法 9 親族』〔高橋子〕(第一法規株式会社、2009

本田純一、棚村政行『基本判例 4 家族法』(法学書院、第 2 版、2005

吉田恒雄、岩志和一郎『親族法・相続法』(尚学社、2006

大江忠『図解要件事実 親族・相続』(第一法規株式会社、2007

佐藤義彦ほか『民法X親族・相続』(有斐閣、第 3 版、2008

北星論集(経) 第49巻 第2号(通巻第57号)

ousar.lib.okayama-u.ac.jp/file/15049/027_041_058.pdf

http://minami-jimusyo.jp/news/office/20140319/2774/

http://ameblo.jp/nanatan1005/entry-11224411814.html

http://www.moj.go.jp/MINJI/minji36.html

http://www.matsuoka.law.kyoto-u.ac.jp/Lecture2000/FamilyLaw/02Marrige1.htm

 

 

 

海老原和輝

夫婦別氏と婚姻意思

法学部法律学科 14J120012 海老原和輝 中江章造先生担当親族法より

初めに

結論)私は親族法のレポートを書くにあたり、今回のテーマである夫婦別氏について賛成の立場をとりたいと思う その理由については、日本の夫婦別氏制度の現状やメリット・デメリット 他国との比較などを挙げながら自分の考えを論じた上で説明し、最後にまとめたいと思う また婚姻意思については、具体的な例題を挙げながら婚姻意思があるのかどうか検討し、補足を入れながら自分の意見を述べたいと思う(文字数のみ計算189文字)

 

夫婦別氏について

A)日本の夫婦別氏制度の現状

日本では現在、民法750条に「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と規定されているように、結婚の際に男性又は女性のいずれか一方が、必ず氏を改めなければならないとされている 

元々日本では女性の社会進出の伴い、選択的夫婦別氏制度の導入を求める意見が相次いだ そのため法務省において、平成8年及び平成22年にそれぞれ民法改正法案を提案したが、国会議員の反対や家族内で離婚が増えるなど様々な意見があったことから導入は中断し、現在も民法改正の見通しは立っていない また、平成24年に実施した「家族の法制に関する世論調査」の結果では、20代で選択的夫婦別氏制度を導入してもかまわないと答えた者の割合は47.1%であるのに対し、60代では33.9%という結果が出ている 

これらのことから、婚姻制度や家族の在り方を決める重要な問題であるにも関わらず、日本国民の間では夫婦別氏に対してあまり問題視されていないと判断することが出来る 特に民法改正案を提案した際、反対意見が多かったことから当時では、「男は仕事 女性は家事・育児」という性別役割分業の一般化(1950年から1970年の高度経済成長期に入り、核家族のイメージが広く浸透したのが原因)が根強く残っていたのではないかと私は考える546文字)

 

B)メリット・デメリット

夫婦別氏にすることのメリットは、@昔のままなので、パスポートや運転免許証といった社会的手続きを再度する必要がないことA男女不平等がないこと(氏をどうするか自分で好きに決められるから)B今まで築き上げた仕事・社会上の関係を引き続き保つことが出来ることC自己喪失感がないこと(今まで通りのため、氏を変えることによって自分自身を失った感覚に見舞われない)等である

一方夫婦別氏にすることのデメリットは、@先ほどとは逆に、社会的手続きを必要とすることA仕事・社会上の関係で多くの人に名前を覚えてもらったのに、それが1からやり直しになることB家族の関係や絆が薄れるor壊れる可能性があることC家族構成が複雑になることD子供にはどちらかの氏をつけなければならないので、両親同士で争いになったり、氏をもらった子供自身が不満を抱いたりする可能性があること等である(384文字)

 

C)日本と他国との比較

日本では原則法律婚主義を採用 夫婦同氏が基本であり、戸籍は家単位 同性婚も認められている また夫婦同氏が基本である理由は、日本古来の伝統といわれている神道の教えや家父長制度が深く関わっている なお法律婚主義とは、法律上の手続によって初めて成立が認められる立法上の考え方 同性婚とは、男性同士もしくは女性同士で結婚すること言う 

アメリカでは原則事実婚主義を採用 州によって法律は変わるが、夫婦同氏が基本であり、戸籍は個人単位 夫婦別氏・同性婚も認められている これはキリスト教やイスラム教では、夫婦は半分半分同士で結婚して一体になるという概念があるため、夫婦同氏は当たり前であるという考えに基づいている なお事実婚主義とは、婚姻届けを出さずに一緒に暮らす手段をとっていることをいう

中国では、1950年の婚姻法において男女平等の観点から「自己の姓名を使用する権利」が認められ、夫婦双方が自分の姓名を使用することが出来るようになった しかし漢民族の伝統により、ほとんどの場合は父の姓が使われることが多い

韓国では、女性はよそ者、血族の一員として認められないという儒教の教えに基づき、夫婦別氏が原則である また、男女問わず婚姻後もそれぞれの父系名を名乗る父系制も存在していた しかし、 2005年改正により母の姓でも名乗れるようになった

これらのことから日本と他国を比べると、国の宗教や歴史的伝統・価値観によって姓に対する法律を定めていることが分かる また各国それぞれが、自分の国の伝統を考慮しつつ法律を作成し、時代の流れに沿って変更も加えていると判断することが出来る(669字)

 

まとめ

以上の検討を元に自分の考えを論ずるならば、私はいくら世界各国の多くが夫婦別氏を採用しているからと言って、日本も同じように夫婦別氏を採用するかどうか学者同士で議論を交わしたりするよりも、むしろ自分達の自由な意思に基づいて夫婦の名前を別氏にするかどうか選択できれば一番良いのではないだろうかと考える なぜなら、一つ一つの国自身は自分たちが昔から信仰してきた文化や伝統を元に法律を作り、また時代の流れに沿って法律を変更しているからだ 

日本でも例外ではなく、明治時代には家父長制度が存在し、結婚後は男の姓を選ぶのが普通であった しかし近年、女子差別撤廃条約の批准や男女共同参画社会基本法の採用により女性が社会に進出 それに伴い法務省は、結婚後は男の姓を選ぶことが多かった女性が社会で不利益を受けないようにするため、選択的夫婦別氏制度を導入しようと様々な取り組みを行ってきた つまり日本でも、自分たちの伝統を元に法律を作り、そして時代の流れに沿って独自に法律を変更しているのだ そのため、無理に世界各国に合わせて夫婦別氏を法律化する必要はないと考える 

しかし、自由に選択できるからと言って夫婦同氏賛成派の人が夫婦別氏賛成派を非難する可能性もある その場合、自分たちの価値観や考えを押し付けて、相手側の意見に耳を傾けないことに固執せず、お互いの主張をしっかり聞いてそこから事実を踏まえることが重要と言える また、日本が今もなお採用している戸籍制度についても一度検討を加えるべきである なぜなら、これも夫婦の氏に関連している重要事項だからである そしてこれらのことから、個人の意思を尊重しつつ日本古来の伝統に沿って、少しずつ国独自の夫婦別氏に対する法律を作っていけば良いのではないだろうか 

もしくは別の案として、アメリカのように事実婚主義を採用し、日本古来の伝統に縛られず夫婦別氏を認めれば、学者及び国民同士の賛成・反対争いや非難を減らすだけでなく、出生率がアップし少子化対策にも繋がるのではないだろうか なお、事実婚主義によって出生率アップすると考えた要因は、事実婚主義を認めているため婚外子が認められる➡シングルマザーでも大丈夫と考える多数の女が出産を積極化➡出生率が向上するという考えと出典・引用に基づく(939文字)(ここまでで合計2727文字)

 

婚姻意思について

A)夫婦別氏の場合

例:選択的夫婦別氏法案をあてにして、夫婦別氏のために婚姻届けを出さない既婚カップルに婚姻意思はあるのか?

・この例題について私は、婚姻意思があると考える 確かに、婚姻届けを出さないということはアメリカが採用している事実婚主義に当たる上、婚姻意思がないとも考えられるかもしれない さらに、例題に出てきたカップルは内縁状態になると判断することも出来るため、日本では法律婚主義を採用していることから、これを認めてしまうと主義違反になってしまうと言えるだろう  

しかしそれでも婚姻意思があると私が考えた理由は、選択的夫婦別氏法案をあてにして婚姻届けを出さないからと言って、必ずしも婚姻意思がないとは言えないからだ また、内縁自体は近年準婚理論として考え出されていることから、法律上の婚姻と同様に保護されるようになってきている さらに、元々選択的夫婦別氏法案は「結婚後も夫婦が望む場合どちらかの名前に統一しなくても、夫は夫 妻は妻で別々の姓を称することが出来ることをいう」とされている つまり、二人とも姓は異なってしまうが既に結婚しているカップルということからお互いを愛し合っており、婚姻意思があるのではないだろうかと考えることも出来るのだ これらのことから私は、婚姻意思があると考える 

なお、内縁とは夫婦同様の生活をしているが、婚姻届けを出していないため法律上は夫婦と認められていないことをいう(600文字)

 

B臨終婚の場合

例:病人Aはもうすぐ寿命を迎える そこで、今まで介護をしてくれた看護師Aに遺産をあげるため、婚姻届けを提出した 婚姻意思はあるのか?

この例題について私は、婚姻意思がないと考える その理由は、結婚後は同居義務という権利・義務が生じるのにも関わらず、二人の間には具体的な夫婦共同生活がないからである また、婚姻届けを提出したということは形式的要件(婚姻届けがなされていること)に該当するが、婚姻意思がないことから婚姻自体が無効ともいえる さらに、ただ単に介護をしてくれたという理由で遺産をあげることは、看護師からしてみればお金目当てになってしまうため、婚姻意思がないに等しいということも出来るのだ これらのことから私は、婚姻意思がないと考える

なお、臨終婚とは夫婦になる者が亡くなる直前に結婚すること 同居義務とは、夫婦がお互いに同居して協力し、扶助し合わなければならないこと 形式的要件とは、原則婚姻届けがなされた際に成立するが、婚姻意思がない場合には婚姻が無効 婚姻障害事由がある場合には、取消しをすることもできること 無効とは、初めから何の効果も生じなかったことをいう(483文字)

 

C動機の錯誤の場合

例;男Ⓐは彼女Ⓑが妊娠したので結婚した しかし実際生まれたのは、彼女の元彼Ⓒの子供だった 婚姻意思はあるのか?

この例題について私は、婚姻意思がないが男Ⓐは家族として二人を養うべきだと考える

その理由は、男Ⓐは自分の子供だと思って結婚をしたが、実際は他人の子供だった つまり、前者の時点では子供が出来たという理由から責任を感じ婚姻意思はあったが、後者の時点では他人だったため責任はなくなり、同時に婚姻意思が無くなったといえるからである また、結婚をした以上生活保持義務が生じることから、妻はもちろん 生まれた子供は責任すらないので、二人とも養っていく義務がある さらに、例え動機の錯誤であったとしても嫡出推定という考えから、家族として迎え入れることが子供の利益や将来のことにも繋がるのではないだろうか これらのことから私は、婚姻意思がないが男Ⓐは家族として二人を養うべきだと考える

なお、動機の錯誤とは意思と表示は一致しているが、動機で勘違いしていること 生活保持義務とは、夫婦相互及び未成熟子に対する扶養義務のこと 嫡出推定とは、父親を早期に決めることによって親子関係を安定させ、子の利益につなげるという考えから、結婚をした妻が出産した子供は父親の子と推定することをいう(535文字)(ここまでで合計1618文字)

 

以上で、夫婦別氏と婚姻意思についてのレポートを終わりにする(上記合計4345文字)

 

引用・参考文献➡・親族法講義プリント412131415より「夫婦別氏関連内容」

・法務省HP「選択的夫婦別氏制度について」 

・コトバンク「同性婚、臨終婚、動機の錯誤、事実婚主義、同居義務、生活保持義務、内縁、嫡出推定について」

Wikipedia「同性婚、臨終婚、動機の錯誤、事実婚主義、同居義務、生活保持義務、内縁、嫡出推定について」

・夫婦別氏の問題点

Think outside the box「事実婚主義の出生率」

・臨終婚の可否(2)―実質上の夫婦共同生活のない男女

・婚姻(13)・・・婚姻の無効 櫻井法務行政書士オフィス

錯誤 (要素の錯誤、動機の錯誤)|宅建試験のポイント

・夫婦別姓って何だろう

micoの超個人的勉強記録

・中部法律事務所 春日井事務所

・夫婦別姓 各国の状況は?

 

キーワード同性婚臨終婚動機の錯誤少子化事実婚主義同居義務生活保持義務内縁嫡出推定無効

 

※最後に文字数が表記されていないものは、字数としてカウントしていません

 

 

 

 

 

千葉怜奈

<結論>

私は、夫婦別姓に賛成である。

 

 

1.日本法とアメリカ法の比較

 日本では、民法7391項において「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。」と規定されており、法律婚主義を採用している。

婚姻意思とは、社会通念上婚姻生活を設定しようとする意思、または婚姻の届け出をしようとする意思である。日本における婚姻意思には、BedTableを共にする意思が必要だとする実質的婚姻意思説、届出意思だけあればよいとする形式的婚姻意思説の二つがある。法律婚主義に伴い民法750条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」を基に、夫婦同姓を定めている。さらに、民法752条は「夫婦は同居し、互いに協力し扶養しなければならない。」とし、夫婦の同居義務生活保持義務を定めている。生活保持義務とは、扶養義務者に経済的な余力がない場合であっても、被扶養者に対して自分の生活と同質で同程度の生活を保持させる義務を意味し、未成熟子や配偶者に対する義務のことである。また、日本法は、同じ性別の者同士の婚姻である同性婚を禁止し、生殖医療も抑制している。

これに対し、アメリカでは事実婚主義を採用している。事実婚とは、事実上夫婦と変わりない生活を送っているが、一方が他方の姓を名乗って入籍するという現行法に従う形を取らず、婚姻届を出さないでいることをいい、内縁の同義語・類義語としても用いられる。これは、女性の社会進出が進むにつれて、姓を変えることのデメリットが意識されてきたことや、女性の経済力向上により、男と女の関係を対等で私的なものと捉えようとする傾向が強くなったことが理由といわれている。このようにアメリカでは事実婚主義に伴い、婚姻時に夫婦の姓を統一しなくてもよいとする選択的夫婦別姓を認めている。また、同性婚についても容認しており、生殖医療も推進している。

 

 

 

2.少子化と非嫡出子

 前述したように、日本法とアメリカ法は対照的な法であるが、法律婚主義と事実婚主義は婚姻の形式や夫婦の在り方だけではなく、出生率や夫婦の間に生まれた子供にも問題が及ぶ。

 日本では、法律婚主義を採用し、内縁の関係を婚姻の形として認めていないが、その一方で事実婚が当たり前の選択肢として存在する国もある。フランスやスウェーデン、オランダでは事実婚を選ぶ人が多く、家族制度として法律で守られている。そうした国では女性の社会進出が活発であり、それに伴って出生率が若干上向きになっていることがわかっており、事実婚による少子化への貢献が認められている。また、フランスではユニオンリーブルという事実婚のスタイルがある。さらに制度として、連帯市民協約PACSができ、事実婚のカップルは男女の組み合わせを問わず夫婦として法律で守られる制度になっている。法律婚の夫婦とほぼ同様な税制優遇が受けられ、離婚手続きも簡単ということで、ユニオンリーブルと法律婚の中間のようなところにある。初めは同性愛者やフェミニスト運動の機運で始まったPACSだが、今では一般の利用者が多く、「お試し婚」という感覚で使っている若い世代も多く、お試し婚の後は法律婚に移動するカップルやそのまま事実婚を選ぶカップルもいる。これらのことから私は、日本でも内縁という婚姻形式である事実婚主義を採用し、夫婦別姓を認めるべきだと考える。なぜなら、日本では、私たちが老後を迎える頃には年金がもらえないのではないかと言われるほど少子高齢化が年々深刻化していて、それに一刻も早く歯止めをかける必要があるし、結婚先進国と比べるとまだまだ劣っている女性の社会進出を高めるためのよいきっかけになると考えるからだ。結婚しない女性が増えている原因として、今まで自分が築き上げてきた地位や名誉が、苗字の変更や結婚して出産することによって崩れてしまうと考える人も少なくないと思う。現に、本名で活動する芸能人などは、結婚してもほとんどの人が仕事の時は旧姓のままで活動している。また、子どもができたら結婚しなければいけないという考えが出生率の低下に少なからず関与していると思うし、夫婦の間で一番大切なのは、法律婚という法で定められた婚姻ではなく、お互いが納得したうえで一緒に生きていくことを決意した愛情であると考えるので、どんな形であっても夫婦と認めるべきだと思う。同棲という形があるのなら内縁も認められていいと思うし、事実婚主義や夫婦別姓を認めることでもっと多くの女性が社会進出して、それが日本の少子化問題の解決にもつながっていくことが期待されるので、私は賛成だ。

 女性が社会進出しやすく、出生率がアップするというメリットがある一方、事実婚には問題点もある。それは、子どもの戸籍の問題だ。愛情ある夫婦から生まれた子であっても、父親が認知する必要があるなど、様々な場面で法律の壁にぶつかることになる。事実婚のカップルの間に生まれた子どもは非嫡出子となり、嫡出子に比べて立場が弱くなるので、相続トラブルが想定されるため周囲を説得する必要が生じる。実の子であるので相続の権利は持っているが、もし嫡出子がほかにいた場合は権利が半分になるという法律も存在する。夫婦の間では了承されていても、ほかの親族への説得が障壁になるケースがあり、特に財産の多い家では、骨肉の争いに発展しやすく、周囲の理解や遺言による遺産配分の明記などの防衛策が必要になってくる。事実婚で子を産み育てる決心をした夫婦はリスク面も把握したうえで周囲を説得し、面倒な手続きも一つずつクリアしていかなければならない。また、将来的に子どもへの説明責任もある。自分たちのスタイルを貫くことを理解してもらえるかどうか、話をするタイミングも配慮する必要がある。

 こういった事実婚の問題について、嫡出推定の判例を挙げてみる。彼女が妊娠したので結婚したが、実はその子は彼女の元カレの子であったという場合である。民法7721項は「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。」と規定しており、この嫡出推定が破られるのは、民法774条により夫によって「嫡出否認の訴え」が、夫が子の出生を知った時から一年以内に提起された場合に限られている。これに対し、元カレは親子関係不存在確認の訴を起こすことで、自分の子であることを主張することができる。この判例で最高裁は、血の繋がった元カレを父親として認めるべきだとした。私は、この最高裁の判決に賛成だ。なぜなら、彼女が妊娠したので結婚するというのは婚姻の意思決定に動機の錯誤があると思うし、やはり親子関係は実父が自分の子として認知することを望んでいる以上血縁を重視するべきだと考えるからだ。また、子どもが大きくなった時に例えば、血液型の問題で実父でないことが判明したりすると子どもも動揺してショックを受けたりすると思うので、子どもにも実父の存在をしっかりと伝えたうえで子育てをしていくべきだと考える。だが、もし父親に犯罪歴があったり、精神異常者で子どもに暴力を振るったりする危険がある場合には、例外として元カレの子として認めるべきだとも考える。

 

 

3.婚姻意思の有無

 婚姻意思の有無や、それによって婚姻や離婚が成立するかどうかについては、学会上でも取り上げられている非常に重要な問題である。このことについて、判例を挙げながら検討していく。

 まず、生活保護を受給することを目的として離婚したが、その後夫が死亡したため、妻がこの離婚は無効だとして遺産の相続を主張した事例である。この場合、実質説をとっても形式説をとっても婚姻意思はあるとした。なぜなら、結婚の実体があるからだ。最高裁は、この離婚を有効であるとし、遺産の相続を認めなかった。しかし、結婚の実体があるから本来は無効となるべきである。だが最高裁は、信義則を持ち出し、結果の妥当性だけで判決を下している。

 同じように、婚姻意思の定義と結論が最高裁の主張と矛盾している判例として、臨終婚が挙げられる。これは、老齢の資産家が自分を献身的に介護して尽くしてくれた看護師に財産を与えて報いたいと考え、死の間際に婚姻届けを提出した事例である。この場合、老人には婚姻届を出す意思があるため形式説はあるとされたが、臨終が近い老人には看護師と生活を共にする意思はないとして実質説は否定された。これを実質的婚姻意思説で解した場合、BedTableを共にする意思がないから、婚姻は無効となるはずである。しかし、最高裁は臨終婚を婚姻意思ありとして有効としている。私は、この最高裁判決に反対である。なぜなら、生活を共にする意思がなく、財産を与えるためだけの婚姻なら、遺書を書いて看護師に財産を与えると記すなど、婚姻以外の形で財産を与えることもできたのではないかと考えるからだ。また、残された看護師も同意の上で婚姻届を提出しているが、生活を共にした期間がなくても結婚歴があるということがこの先障壁になる可能性や、老人の親族とトラブルを引き起こす可能性もあるので、看護師を保護するという意味でも認めるべきではなかったと思う。

 臨終婚と同じように、形式説では婚姻意思があるが、実質説では婚姻意思なしと考えられたのが、嫡出子の地位を与えるための婚姻である。これは、長年付き合った彼女との結婚を諦めてほかの女性と結婚する意思を固めたが、彼女との間にできた子どもに嫡出子の地位を得させるために一旦彼女との婚姻届を提出した判例である。最高裁は、この婚姻を無効であるとした。なぜなら、事実的な婚姻意思がないからだ。私は、この最高裁判決に賛成である。なぜなら、これが認められてしまったら、婚姻を便法として用いることを認めることになるから、モラルに反する行動をする人が増えることが考えられるし、婚姻意思の定義があやふやになり、崩れてしまう可能性も考えられるからだ。

 

 

 

4.これからの日本

 日本では法律婚主義に伴う婚姻意思の問題など改善していかなければいけないことがたくさんあるが、改善策としてどのようなことがあるか考えてみる。

 まず、婚姻については、事実婚主義を採用し、内縁や夫婦別姓を認めることで、女性の社会進出が活発化し、少子化に歯止めをかけることができると考える。また、同性婚を認め、夫婦の同居義務をなくすことで新しい夫婦の在り方が確立していき、今よりも自由に伸び伸びと生活することができると考える。

 次に、婚姻意思については、婚姻意思の範囲を狭くすることで事実婚主義に近づくことができ、出生率アップに繋がるのではないかと考える。

 このように、これから日本が益々発展していくための、より住みやすい自由で豊かな環境が作られるためには、民法を改正して国全体で取り組む必要があると私は考える。

 

 

 

 

 

 

参考文献・引用文献

http://tamutamu2011.kuronowish.com/konin.htm   (婚姻について)

 

http://www.bengo4.com/c_3/c_1150/c_1156/d_1069 (生活保持義務について)

 

http://m.huffpost.com/jp/entry/5497969      (事実婚について)

 

https://kotobank.jp/word/%E5%86%85%E7%B8%81-107262 (内縁について)

 

http://amazonia.bakufu.org/report120801.htm   (過去の優秀レポート)

 

http://amazonia.bakufu.org/report140801.htm   (    〃    )

 

 

 

 

田中翔伍

親族法レポート テーマ 夫婦別氏と婚姻意思

 

14J106013 田中 翔伍

 

結論

わたしは選択的夫婦別姓制度に反対する。

 

 以下、その根拠を示す。

第一章 はじめに

20015月に実施された内閣府・夫婦別姓に関する世論調査では、賛成する人(42.1%)が反対する人(29.9%)を初めて上回り、各メディアは「夫婦別姓への支持が広がっている」と報じた。

とは言うものの、別姓にすると「家族の一体感が弱まる」と答えた人は41.6%(「影響が無い」は52%)、「別姓だと子供に好ましくない影響がある」と考える人は66%(「影響がない」は26.8%)と、依然として、「別姓が家族や子供に良くない影響を与えるのではないか?」と危惧している人は少なくない。

そこで、わたしは、現在の夫婦の氏に関する現行制度の概観として、憲法・民法・戸籍法等をあげ、そして、夫婦の氏に関する反対派、賛成派それぞれの意見を述べた上でわたしの考えを述べていきたい。

 

第二章 夫婦の氏に関する現行制度概観

・一節 憲法

憲法はその第13条で「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」を、第14条で「法の下の平等」を定めている。また第24条では、第1314条の内容の繰り返しになるにもかかわらず、特に「家族生活における個人の尊重と両性の平等」を別項目で定めている。この第24条が旧制度下の「家制度」「家父長制」を否定したものであることは周知のとおりである。

これらの条文が夫婦別氏を論ずるにあたっての根拠となるのだが、これらには夫婦の「氏」に関することは勿論、人の氏名に関する権利についてすら直接には何等、規定していない。それと同時に、これらの条文からは夫婦別氏を積極的に否とする根拠が導き出し得ないことも確かである。むしろ、第13条の「個人の尊重、幸福追求権」、第14条、第24条の「両性の平等」といった憲法の基本的な原則に照らすと、それらを侵害する恐れなしと出来ない夫婦同氏を強制する民法の規定に疑念を抱くほうが論理的には自然であるとも考えられる。

憲法第141項は憲法の基本原則である「法の下の平等」の原則を定め、第24条は第14条の平等原則に加え、更に婚姻について1項で「夫婦が同等の権利を有すること」を確認し、2項で法律の制定において「家族生活における両性の平等」に立脚すべきことを規定している。

「平等」とは、常に相対的平等を指す。相対的平等とは、人間がさまざまに異なる属

性をもつことを認めて、等しいものを等しく、異なっているものを、その異なる程度

に応じて異なって扱うことであり、全ての人間の絶対的な平等などというものはあり得ない。したがって、恣意的でなく、その差別が社会通念上、合理的であると認められる場合には、その差別は平等原則違反ではないものと解される。また、平等には、人の現実のさまざまな差異を一切捨象して原則的に一律平等に取り扱うこと、すなわち基本的に機会平等を意味する「形式的平等」と、人の現実の差異に着目してその格差是正を行うこと、すなわち配分ないし結果の均等を意味する「実質的平等」というふたつの側面が存在する。    このふたつは相関はするものの、同一次元では両立しない。

「法の下の」という文言は、法律の内容に平等を求めること(立法者拘束説)を意味し、内容の如何にかかわらず、法律の適用さえ平等であればよいとすること(適用平等説)ではない。

列挙したものであるとする説、列挙事由と司法審査基準を関係付けようとする説などが考えられる。最高裁は第141項をその前段は立法者を拘束し、後段は単なる例示に過ぎず、合理的差別は許容されると判断している。

憲法第241項は、その前段で「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」と規定している。条文中に「婚姻の自由」という文言はないが、この第24条が婚姻の自由を保障したものであることに争いはない。ここでは婚姻の自由の意義とその制限について考察し、夫婦同氏の原則が婚姻の自由に及ぼす影響について論ずる。

旧家制度の下では、婚姻に際して、戸主の同意権(旧民法第750条)や、男子30才以下・女子25才以下の婚姻に対する父母の同意権(旧民法第772条)が認められ、当事者意思は著しく制限(あるいは無視)されており、形式上は婚姻において、自由などというものは存在しなかったに等しい。こういった制度が戸主が支配権を握る家制度をより安定的なものとするのに役立っていた。新憲法は、そういった、人身をその意とは無関係に拘束する「家制度」を打破せんがため、「婚姻の自由」を打ち出したのである。

そうかといって、婚姻の自由が保障された現行憲法による制度下において婚姻の自由の制限がないわけではない。未成年の子の婚姻に際する父母の一方の同意の必要(民法第737条)、男子18才・女子16才未満の婚姻の禁止(同第731条)、届け出の必要(同第739条)、重婚の禁止(同第732条)、女性の再婚禁止期間(同第733条)、近親婚の制限(同第734735736条)がそれである。これらの制限は、一夫一婦制や、女性の生理学的根拠、優生学的根拠から発したものと考えられるので、婚姻には「合意」以外のいかなる要件も不要である、という解釈は当を得ない。ただ、中には不平等で合理性を欠くという点で違憲の疑いが濃いものもある。

 夫婦の氏の問題に関係する制限は「届け出の必要」であるが、この届け出婚主義(法律婚主義)自体は、憲法第24条自身がその第2項で法律婚を前提としていることや、

その届け出が夫婦の自由な意思のみによってなされること、また婚姻という制度の法的効果などを勘案すると、合理性は認められるべきであろう。

戸籍法の規定により、婚姻の届け出において婚氏の決定がなされていない婚姻届は受理されず、従って、届け出婚主義に則り、婚姻は成立しない。しかし第24条は、婚姻の成立要件を「両性の合意のみ」としている。届け出婚主義自体は違憲でないとしても、さらにその届け出に、単なる手続上の制限ではない、具体的な権利・利益の取捨の絡む成立要件を加重することは、婚姻の自由の侵害になると考えることも出来る。互いに氏名保持権を主張する男女が婚姻をしようとする場合、夫婦同氏原則の下では双方の氏名権を婚姻後にも同時に実現することは不可能である。双方が自己の氏名権を守ろうとすると、婚姻を断念するか、事実婚に踏み切るかの選択、つまり「人格権」と「婚姻の自由」という二つの人権の二者択一を迫られるのである。社会慣習上において婚姻とみられる事実関係があれば法律上の婚姻として認める法制を事実婚主義というが、婚姻の成立には社会による承認としての公示(儀式等)が要求されることが一般的である。こういった二者択一が憲法上の権利間での選択を迫る場合には、選択を強制することについての強い正当化事由が示されねばならないはずである。よって、夫婦同氏を強制するには、婚姻において、人格権としての氏名権を制限するだけの十分な合理的理由が必要なはずであるのだが、一般に夫婦同氏の原則の存立根拠とされる「社会通念」といった極めて抽象的かつ不可確定的なものからは、それを見いだし得ない。この点からも、夫婦同氏の強制が婚姻の自由の侵害になり得ることが分かる。

「事実婚」は「夫婦同様の共同生活を送りつつも婚姻届を提出していない事実上の夫婦」をいう。「内縁」という呼び方もする。

内縁」は、婚姻届を出しているかどうかに違いがあるだけで、実質は夫婦同様。なので、法律上も、「内縁関係」が認められれば、夫婦と同じような扱いをすることになる。

例えば、内縁が破棄された場合には、「離婚」の場合と同様に、慰謝料請求や財産分与が認められたり、年金分割が認められることもあるのだ。

ただし、いくら内縁関係にあっても身分や戸籍が関わってくる、「相続権」などはさすがに発生ない。

このように、「内縁」が認められると、法律上の扱いが変わってくる。長期間交際した挙句に別れた男女の間では、「内縁が成立しているか」を巡って裁判で泥沼争いになることも少なくはないのである。

 

・二節 民法

民法はその第7391項で「戸籍による婚姻の届出」を規定することによって「法律婚主義」を明確に採用している。そして第750条で「夫婦同氏原則」を規定している。夫婦は、協議によって夫又は妻のいずれの氏を称するか決め、決めたらその氏を共通に称さなければならず、夫婦が各別に固有の氏を称したり、共同の新設の氏(第三の氏・婚姻氏)を称したりすることは許されない。また、夫婦の氏に関する意思表示がない場合に備えた規定はないので、当事者が氏の決定をしないときは、婚姻することが出来ないことから、   この「夫婦同氏の原則」は民法の構成の中では「婚姻の効力」となっているが、事実上は法律上の婚姻の成立要件となっているのである。

そして、第752条は、夫婦の同居義務、協力義務、扶助義務についての規定である。同居義務違反があった場合、同居請求がなしうる。請求の具体的な内容は夫婦間の協議、又は審判により定められる。夫婦間の合意がある場合は別居も許され、また、一方の暴力行為があるなど別居に正当な理由が認められる場合もある。同居義務違反が「悪意の遺棄」とみなされた場合は離婚原因を構成する。

本条から夫婦の各当事者は、同居請求権を有するが、同居を命ずる審判があっても、直接強制も間接強制もなしえない。

協力義務と扶助義務については、両者を峻別して理解するのではなく、夫婦間であらゆる面において相互に連携して行う夫婦間の協力扶助義務と一括してとらえるのが普通である。この夫婦間の協力扶助義務は、一方向的な扶養義務とは異なり常に双方向的であることが特徴であるが、扶養義務と全く同様に自己と同程度の生活を対象者に保障することを要求する義務でもある。扶養義務の内容は、生活保持義務と生活扶助義務の2つに分かれているとされていて、一方の生活保持義務とは扶養義務者に経済的な余力がない場合であっても、被扶養者に対して自分の生活と同質で同程度の生活を保持させる義務を意味するものである。未成熟子や配偶者に対する義務がこれに当たる。現在では、両者の差は程度問題であるという批判がある。離婚等で発生した養育費等の具体的な金額についても上記の分類のみで決まるものではないとされている。

また、第7672項では「離婚後の婚氏続称」を認めている。この制度の善し悪しは別として、これは、氏について同じ婚姻関係上の効果であるにもかかわらず、その起点である婚姻は氏の選択は二者択一であるのに対し、終点である離婚の際には選択肢が広いという矛盾を生じさせている。

 

・三節 戸籍法等

戸籍について論ずるにあたり、まず、戸籍制度の比較法的な特殊性を確認しておくべきであろう。戸籍とは社会生活において、婚姻や縁組をするに際してその要件を備えているかどうか確かめたり、遺産分割や相続財産の取引に際して相続人を確認するなど、個人の家族関係や家族にかかわる事実を登録し、公証する制度である。氏の異同や家族関係の変動に基礎においた身分登録制度は国際的には特殊なもので、日本・韓国・台湾の三国にしか存在しない。しかも、韓国・台湾の戸籍制度はいずれも日本による植民地支配の名残であるとされている。その他の国々では、おおむね、個人の出生、婚姻、死亡などを個別的に登録する「事件別登録制度」を採っている。

戸籍法は実体法である民法第750条の下位法として、夫婦同氏の原則を受け、婚姻の手続きの中でその原則を具体化している。

戸籍法はその第6条に「夫婦・親子同氏同一戸籍の原則」を規定している。これは同一の戸籍に記載されるのは、氏の同一の者に限られ、氏の異なる者は同籍しえないということであり、制度上、氏が戸籍編成の基準となっていることが分かる。氏にこのような身分としての性質が認められることは、旧民法下の「家籍」の概念を思い起こさせると批判されるところである。

また、第9条で「戸籍筆頭者」、第141項で「戸籍の記載順序」、第16条で「婚姻による新戸籍の編纂・非改氏配偶者が既に戸籍筆頭者である場合の新戸籍編纂不必要」を定め、戸籍筆頭者を事実上、戸籍編纂の基準としている。戸籍筆頭者とは、旧民法下での「家」の中心的存在であった統率者・支配者たる「戸主」とは違い、実体法上は何らの意味をもたず、戸籍を検索するためのインデックスとして利用される役目をもっているにすぎないのだが、民法上対等であるべき夫婦について、形式的にではあるがいずれが筆頭者になるかということが問題となる。戸籍筆頭者についての世間一般の理解は、観念的ではあるが形式以上の何ものか(権威的なもの)を意識しているのが実情なのである。本来は戸籍筆頭者とは、あくまで法制度内の概念であるのだから、戸籍筆頭者 という法概念の存在自体が、そういった実情を作り出しているであろうことは想像に難くない。

そして戸籍法は、第6節「婚姻」第74条において、婚姻の届書に記載する事項として、「夫婦が称する氏」と規定しており、同性婚は想定されていないと解釈できる。そのため、日本において同性婚を認めるためには、この文言を改める必要があると考える。

そしてわたしは、この同性婚が「少子化解消につながるのではなかろうか?」と思っている。

まず「同性婚少子化が加速する」という意見があるのだが、これについては「データ的な裏付けがない」というのが現時点での常識的な反論になるのだと思う。

 海外では同性婚を正式に認めている国や地域が複数あるけど、それによって少子化が加速したというデータはない様子。むしろ同性婚を認めた地域で、出生率が上がったり、出生率の低下がゆるやかになっているというデータもあるようだ。(ただしそれが、同性婚を認めたことによる結果なのかどうかはわからない。)

データのことはともあれ、「同性婚少子化が加速する」と主張する人たちの頭のなかには、次のような発想があるのだろう。

1.同性婚では子供を生むことができない。

2.同性婚が増えれば子供を生むカップルが減る。

3.世の中が同性婚ばかりになれば子供は生まれなくなる。

ただしこれは最初の「1.」から間違いで、同性婚でも少なくともレズビアンのカップルは人工授精などの手段で妊娠出産が可能だ。海外では実際に、第三者からの精子提供を受けて子供を生むレズビアンカップルが少なくないという。ゲイのカップルには妊娠出産ができないが、これも海外ではゲイカップルであっても養子縁組をすることが法的に可能なところがあり、子供が「ふたりのパパ」に囲まれてすくすくと育っている例は多いのだ。

2番目や3番目については「同性婚を認めることで同性愛者の数が飛躍的に増える」ということがなければあり得ない。同性婚の制度ができたとしても、それを利用するのは同性愛者だけ。制度ができたからといって、これまで異性愛者だった人が「せっかくだからオレも同性愛者になってみようか」とは思わないだろう。

つまり同性婚の制度ができたとしても、それによって「子供を産まないカップルが増える」とは考えにくい。むしろレズビアンカップルなどを「結婚」の枠組みに入れることで、人工授精などで子供をうもうとする人たちが増えるかもしれないが。

では逆に、同性婚を認めることでむしろ少子化が解消するのではないかというわたしの意見について簡単に述べておこうと思う。

少子化問題について考えたり調べたりしたことがある人は誰でも知っていることだと思うが、日本で少子化が進んでいる最大の理由は「晩婚化」と「未婚化」にある。じつは結婚しているカップルが生む子供の数は、昔も今もそれほど変わらない。しかし日本は今、結婚する人の数が減っているわけであるのだ。

 あと晩婚化によって、やはりどうしても子供の数が減ってしまうことは避けられない。女性が20代前半で結婚していれば10年かけて30代前半までに3人の子供を生むことは可能だろうが、女性の初婚年齢の平均が30歳に届こうとしている今では、やはり3人生むのは結構厳しいわけである。

ではなぜ若い人たちは結婚しなくなってしまったのか?それは結婚に対して日本社会が持つさまざまな「思い込み」や「決めつけ」が、若い人たちを結婚から遠ざけてしまっているからだと思う。「結婚とはこういうものである」「結婚したらこうしなければならないのだ」「夫はこうすべきである」「妻はこうあるべきである」という、伝統的な「家族観」や「家庭観」に縛り付けられているとも思うのだ。

 男は結婚したら家族を養わなければならない。妻は結婚したら家事と育児をしなければならない。だから結婚前に男性には年収◯◯万円は必要だし、女性には家事を一通りこなすだけのスキルが必要だ……とか、そういうことが「結婚」という言葉を聞いた途端にパッと頭に浮かぶわけだ。

 しかしそういう「世の中で広く認められているスタンダードな結婚生活」が出来る人たちは、今の日本ではどんどん少数派になっているのである。

 でも同性婚の存在は、そうした「結婚とはかくあらねばならない」という前提を根っこから吹き飛ばしてしまう。結婚とは夫が妻や子を養うことでも、妻が夫や子供の世話をすることでもない。愛しあう者同士が一緒に生活するならそれが結婚で構わないじゃないか!という、ごく素朴でプリミティブな原点に引き戻されるわけであるのだ。

 結婚しない理由やできない理由を考え始めると、そんなものは際限なく山ほど出てくるものだ。でも結婚する気があれば、どんな人だって結婚できるし結婚していいんだという世の中になるべきだとわたしは思う。男同士でも、女同士でも、愛し合っていれば結婚できるのであれば、いわんや男と女の間で結婚できない理由をあれこれ数え上げるのはナンセンスであろう。

 同性婚は日本社会の中にはびこる「結婚」についての思い込みや固定観念を、きれいに解きほぐしてくれると思う。それはいま出ている「同性婚に反対する理由」を見れば明らかでしょう。「同性婚は◯◯だからダメだ」という人たちは、結局普通の結婚にその「◯◯」を求めているに他ならない。例えば「同性婚は子供ができないからダメだ」という人は、子供ができない結婚はダメだと思っているのです。「同性婚は日本の伝統的な家庭や家族の姿を壊してしまう」という人たちは、結婚を「伝統的な家庭や家族の姿」に押し込めようとしているのです。これがどれだけ、日本の「結婚」を狭苦しくて息苦しい物にしていることか、ということだ。

 同性婚によって若い世代の「結婚」に対するハードルは下がりこそすれ上がることはない。結婚に対するハードルが下がれば、結婚する人が増えて、結果として子供の数も増えるかもしれない。僕はそんな風に考えている。

 

 

 

・四節 臨終婚

臨終婚とは夫婦となる者の、一方又は双方が無くなる直前にする婚姻のことを言う。

後に婚姻生活を実施する意思はないことになるため、婚姻意思が欠け、有効な婚姻と認められないのではないか、が問題となる。つまり、臨終婚については、婚姻の効果が発生するのか否かが争われることがあるということだ。判例は、婚姻意思には実質的に婚姻関係を発生させる意思が必要であると考えるものの、一方で、一部の効果のみを目的として婚姻届が出された場合でも、結果として婚姻効果を全面的に生じさせても当事者間に問題を生じない場合には、有効な婚姻と認める、というような運用をしている。

 

例えば、臨終婚の夫婦間に子供がいない場合、臨終婚が認められると、配偶者が親(または兄弟)と共に相続権を有することになる。配偶者の法定相続分は、親と共同相続の場合は2/3、兄弟と共同相続の場合は3/4です。臨終婚が認められるか否かで親(又は兄弟)の相続分が大きく変わってくる。

真に婚姻意思を有していたのか、あるいは遺産目当ての婚姻なのか・・・。

ここでわたしは、婚姻の無効・取消しに関して、臨終婚と近親婚の事例を対比して考えてみるよう問いかけてみたいと思う。

対比して紹介する近親婚の事例とは、約40年間続いた近親婚(伯父と姪の婚姻届が伯父の画策により受理されたもので婚姻の取消し事由に該当する)が、伯父の死亡後に取り消されたという事例だ。

この臨終婚と、近親婚の事例は、いずれも共同相続人の相続争いから訴訟に発展したものであり、婚姻の問題と相続の問題の調整を考えなければならない事例なのだ。

個人的には、このような争いを減らすためにも相続権の規定を変更することが必要ではないかと思う。現行法が変わるまでは、遺言で予防することになるだろうと思っている。

・しかし、非嫡出子(婚外子)の法定相続分規定の違憲判決が出て以来、巷では「父の死後、突然見たことも聞いたこともない隠し子が出てきて相続を要求されたら困る」という意見をよく聞くようになった。また、相続人は、被相続人の隠し子である非嫡出子の存在を確かめようがないのではないか、という主張も聞かれる。

だが、わたしが思うに、最高裁判決以前であっても、非嫡出子は、少なくとも嫡出子の半分の相続分があったので、隠し子が相続を要求できること自体には以前から変わりがない。ただ、要求できる額が増えたというだけだ。嫡出子とは、法律上の婚姻関係にある男女の間に生まれた子どものことをいう。そして、隠し子の存在を確かめることは可能で、戸籍を見ることで確認できる。

父の隠し子の場合、認知していなければ、戸籍に何ら記載はないが、この場合そもそも相続権がないので認知していれば、いわゆる非嫡出子として相続権がありことになる。そして、非嫡出子は、父の戸籍の身分事項欄に、認知した旨が記載されているので、ここを見れば父の隠し子たる非嫡出子の存在を確かめることができる。ただし気をつける必要があるのは、父が認知した後、自分の戸籍を移動していた場合(婚姻、本籍の移動など)、認知したことがある事項は、新しい戸籍に移記されません。したがって、この場合には、遡ってすべての戸籍を確かめる必要があるということだ。

母の隠し子の場合は、通常、非嫡出子は出生時の母の戸籍に入るので、戸籍を見ればわかるはずである。

 

第五節 婚姻の無効

動機の錯誤による婚姻

〈事例〉

A男は交際していたB女から妊娠していたと聞かされ、責任を取るという意識で結婚した。

ところが、婚姻後に生まれた子Cは、AとBの子でないことが血液型から判明した。

Aは錯誤による婚姻の無効を主張できるか。

 

このような錯誤に対しての婚姻の無効についてはわたしは、結婚相手の性格や病気,生殖能力などに錯誤があっても、通常は婚姻の無効をもたらさない、と考える。

その理由は、「動機の錯誤」だからというより、いったん婚姻生活に入った以上、遡及的に無効にするのではなく、将来的に離婚を考えるかどうかの判断に任せるほうが望ましいと考えられるからだ。

設例の事例では、婚姻を決意するに当たっては大きな意味を持つ要素に関する錯誤なので無効を認めてもよい、という考え方も確かに有る。

しかし、原則として無効ではなく離婚の問題として処理すべきとわたしは考える。

 

・夫婦同氏の原則が婚姻の成立要件であることはすでに述べたが、それに従い、戸籍事務の窓口では婚氏決定の要件を欠いた婚姻届は、記載事項不備として受理されない。よって、婚氏が決しない場合、法律上の婚姻は無効となる。また、婚氏の決定不能を救済する裁判制度も存在しない。つまり、婚姻をしようとしている男女のどちらかが自分の氏を捨てない限り法律婚は出来ないことを意味する。 婚氏決定の要件を欠いた婚姻届の不受理に関しては、その不受理処分の取り消しを求めた裁判(審判)が実際に行われた。裁判所は、夫婦同氏原則について、夫婦の一体感を高めるのに有効であることと、婚姻の対第三者公示力を根拠に、合理性と有するものとし、婚姻届の不受理という戸籍事務の取り扱いを認めている。

 ・「家」意識の残存

「家破れて氏あり」と言ったのは憲法学の大家、故宮沢俊義教授である。宮沢教授は戦後間もなくの新憲法施行にあたって、氏に関する民法改正に注目し、「『家』がなくなる以上、『家』の名である『氏』がなくなるのは当然だともいえる」と考え、氏を残すことを認めつつも、民法改正のなりゆきを見て、「なくなるはずの『家』を『氏』という形で少しでも温存しようなどという気持ちは賛成しない。」と意見を述べている。また、「『家』がないのに『戸』籍というのはおかしい」とも言っている。宮沢教授は悪しき旧制度の中核たる「家」的制度の復活を憂慮していたものと思われる。しかし、制度上も氏の異同と基調とした家制度的な側面を持つ法律も現に存在するし、また、「氏」即ち「家 名」という発想は好むと好まざるとにかかわらず国民に浸透していた。新憲法の精神によっても、法律がどう変わろうと、国民の家意識は払拭し切れなかったようである。

最も国民に浸透している残存する家意識は、嫁入り婚的発想であろう。一般に男女が婚姻するとき、その関係者は、婚姻し改氏をする女性については「嫁に行く」「嫁をもらう」などということを言うが、改氏をしない男性については「婿に行く」「婿をもらう」とはまず言うことはない。また逆に、男性が改氏をする婚姻の場合、「婿養子になる」などと言われる。周知のとおり、嫁入り婚や婿養子は旧民法下の家制度の中では重要な役割を負っていたものであるが、制度としては現行法制下には存在しない。しかしそれらの言葉と発想が、今もなお根強く国民の間に残っていることは否めない。

同様に大きなものが、「戸籍筆頭者即ち家長」という誤解である。前述のとおり、戸籍筆頭者とは建前上は単なる見出しに過ぎないものであるのだが、改氏をしなかった配偶者が戸籍筆頭者になるという制度から、戸籍筆頭者という語が、同籍者の代表者、つまり家長のようなものを示す語として理解されていることが少なくない。

また、「家を継ぐ」という発想も根強い。これは核家族化、少子化の波の中での親子関係への不安の現れではないかと考えられるが、家といっても必ずしも旧家制度にみる概念的な「家(氏)」の継承ばかりではなく、物質的な「家」つまり家屋敷その他財産の相続をも同時に示している傾向が強いようではある。いずれにしろ、婚姻しようとする本人の意思を外的に規制しようとする点では大差はない。以上の考えつくままに三点を挙げたが、これだけ見ても、家意識が新憲法施行から半世紀を経た現在に至っても、老若男女を問わず国民の中に息づいていることが分かる。こういった意識が、夫婦が氏を異にするということへの理解を妨げ、夫婦別氏を制度として導入することへの障害の一つとなって いるようである。

 

第三章 夫婦の氏に関する両意見

・一節 夫婦別姓反対派

夫婦別姓は伝統的な社会秩序を破壊するとして反対の声も根強い。おもな反対派の意見は、

@ 姓は古来から血縁集団の表象ないし血縁関係の表示であり、夫婦別姓は、家族制度や婚姻制度などの社会秩序を破壊する。

A 姓は家族という社会で最小単位の団体の名称で、夫婦同姓は夫婦をつなぎとめる意識のきずなである。

B 姓はファミリーネームなのだから、同じ家族の中で氏が違うのはおかしい。

C 職場での旧姓使用と夫婦別姓は、別の問題である。職場で旧姓使用に不利な状況があるなら、通称使用を制度化して、その不便・不利益を解消すればよい。

D 「ライフスタイルについての自己決定権」は、「個人」の「自由」と引き換えに社会に無規範と無秩序をもたらす発想である。

これら5つの意見のなかでも、夫婦別姓でいつも問題となるのは子どもの姓である。内閣府の調査でも、夫婦の名字(姓)が違うと,夫婦の間の子どもに何か影響が出てくると思うか聞いたところ,「子どもにとって好ましくない影響があると思う」と答えた者の割合が66.0%,「子どもに影響はないと思う」と答えた者の割合が26.8%となっている。

 親子で姓が違うと、姓が異なる家族は不正常で、なにか特別な事情のある親子だという社会通念や、子どもが有形無形の差別やイジメの対象になるのはかわいそうだという気持ちがあるため、夫婦別姓に強く反対しているのである。

 

・二節 夫婦別姓賛成派

氏には、「個人の同一性判別のための呼称ないし記号」という側面があると同時に、長期間の使用によって社会に対する自己の表現としての働きが生じるので、「人格的利益・財産的利益・社会的利益」としての側面があると考えられるが、改氏を強制する制度によって改氏配偶者にあっては、何らかの利益が侵害される可能性があり、よって、不便を強いられることになり得るのである。婚姻による改氏の不利益を要約すると、6つ挙げることができる。

@自分が自分でなくなったような自己喪失感・違和感が生じる。

A女性側がほとんど改姓している現状では、夫と妻のあいだの不平等感がつきまとう。

Bその人としての社会的実績・信用の断絶。

C改姓にともなう手続きの煩雑さ。(主に、運転免許・旅券・印鑑証明などの公文書、また、日常生活・職業活動にかかわる身分証明や契約上の書類など諸々の私文書の氏名の変更)。

D結婚・離婚・再婚などのプライバシーの公表を否応なく強制される。

E夫の「家」に吸収される感じがする。

などが挙げられる。@ADEは人格的利益の侵害であると理解出来る。これらは一見、感覚的で、そもそも利益などとは言えないようなものに対する不満に過ぎないようにも受け取れるが、それぞれ、自己の人格的発展・幸福追求に不可欠な部分を侵害されていると感じ取った結果の主張であることから、むしろ、より重大な人権問題として論じられるのが筋であろうと考える。また、Bは氏の財産的利益の侵害と見ることが出来る。様々な職業において、氏名が信用の表象であることは論ずるまでもあるまい。

このような不利益が改氏することにより、起こる可能性がでてくるのである。そこで賛成派のおもな意見は、

@ 結婚によりどちらかが改正するのは、夫または妻のどちらかが、譲歩するわけで、男女平等に反する。

A どちらかが改正するのは、氏名権の侵害である。

B 改正は個人のアイデンティティ(自己同一性)の一つの証を放棄することになり、自己喪失感をもたらす。

C 改姓すると仕事に支障が生じたり、社会的信用や学問的実績が断絶される。

D 結婚して夫の姓になると嫁扱いされるなど、「家制度」を温存することになる。

E 自分の生き方についての基本的な問題は、自己の決定にまかすべきである。(ライフスタイルについての自己決定権)

F 多様な結婚のあり方を認め、希望する夫婦には別姓という選択の幅を広げるべきである。

です。

内閣府調査の仕事と婚姻による名字(姓)の変更を見ても、現在の法律では,婚姻によって,夫婦のどちらかが必ず名字(姓)を変えなければならないことになっているが,婚姻前から仕事をしていた人が,婚姻によって名字(姓)を変えると,仕事の上で何らかの不便を生ずることがあると思うか聞いたところでは、「何らかの不便を生ずることがあると思う」と答えた者の割合が41.9%,「何らの不便も生じないと思う」と答えた者の割合が52.9%となっている。しかし、性別に見ると,「何らかの不便を生ずることがあると思う」と答えた者の割合は女性で高く、性・年齢別に見ると,「何らかの不便を生ずることがあると思う」と答えた者の割合は女性の20歳代から40歳代の働きざかりで高くなっていることがわかる。

 次に、「何らかの不便を生ずることがあると思う」と答えた者(1,454人)に、婚姻前から仕事をしていた人が,婚姻によって名字(姓)を変えると,仕事の上で何らかの不便が生ずることがあるとして,そのことについて,どのように思うか聞いたところ,「婚姻をする以上,仕事の上で何らかの不便が生ずるのは仕方がない」と答えた者の割合が25.7%,「婚姻をしても,仕事の上で不便を生じないようにした方がよい」と答えた者の割合が56.7%,「どちらともいえない」と答えた者の割合が16.9%となっている。このように夫婦別姓にすることを強く望む声が多いのは、女性たちの高い水準での進学率・就労率の向上や、一人っ子同士の結婚が増えてきたことから母方の姓が絶えるとか、墓の継承が問題となるなどの、現代社会の問題からも生じてきているのである。

 

 第四章 まとめ

最後にこれまで書いてきたことから、なぜわたしが選択的夫婦別姓制度に反対するのかを まとめてみる。

(1) 現行の制度にはきちんとした意味があって現在の形になっている

(2) どうしても選択制度にしなければならない理由について、納得のいく説明が されない

(3) したがって選択制度は「特に必要性のない制度」と判断せざるを得ない

(4) もし現在の制度よりも優れた制度があるなら賛成するのにやぶさかではないが、 検証してみると選択制度は利点よりも欠点や問題点のほうが多いと思われる

(5) 以上のことより、選択的夫婦別姓制度には賛成できない

ということになる。

もっとも厳密にいうと(4)は不要で、(1)(3)まででもじゅうぶん反対する理由にはなると 思う。

ただ、反対という立場を表明するだけで「現行制度に固執する」と誤解されることが あまりにも多いため、あえて「中立的立場から検証した結果、反対せざるを得ない」という ことを説明するために言及している。

そして、ここに書いたようなことを丁寧にきちんと説明しても、やはり推進派の人たちは ここですでに反論されていることを繰り返すだけ、という現状を見ていて、もはや 別姓運動というのはニーズに立脚した運動ではなくなっていて、何らかのイデオロギーに 取り込まれてしまったのかな、と感じている。

もちろん、イデオロギー的背景から反対している人たちもいるから、どのみちこの論争 じたいがイデオロギー対立の中に取り込まれつつあるというのも事実だが。

 

いま、男性と女性が、これまで以上によりよく力を合わせて社会を築いていこうという時代の流れになっている。そうした時に、現在の強制的な夫婦同姓が重い足かせになる場合があるのは事実だ。だが、法は、できるだけ不公平感を取り除くよう変えられるべきである。そして、何事もタブー視せず、まず国会という開かれた場で議論し世論にこたえていくのが、政治の使命ではないのか。

 

 

参考文献

 

1 『資料 政・経 2003』(東京学習出版社、2003)

2 東京新聞 2000年12月11日 朝刊

3 朝日新聞 2005年3月31日 朝刊

4 内閣府夫婦別姓に関する世論調査 2001年5

 

 

 

田代涼夏

法学部 法律学科 14J109016 田代涼夏

水曜4限 親族法 期末レポート「夫婦別氏と婚姻意思」

 

 女性の社会進出に伴い、晩婚化や事実婚主義が増加しているために少子化問題が加速している。近年の婚姻に対する考えの変化や、それに対応しきれていない婚姻制度がこのような結果をもたらしているのではないかと考える。このようなことから日本の婚姻制度や、婚姻意思についての問題を検討する。

 

▼夫婦別姓について

 婚姻の際に互いの名字(以下「氏」と表記する。)を統一せずに、夫婦双方が婚姻前の氏を何らかの形で保持する婚姻及び家族形態、又はその制度のことを、法学的に夫婦別氏という。

 近年の女性の社会進出に伴い、仕事をする上で氏が変わると不都合が生じるために、婚姻前の氏のまま、つまり男女別氏を考える者が増えてきた。

 しかし、現在の民法のもとでは婚姻の際、必ず男性又は女性が氏を改めなくてはならない。この選択的夫婦別氏制度というのは、あくまでも民法改正案として存在しているだけであって、現時点で日本の法制度では認められていないのである。よって、現在夫婦別氏を望む者は、戸籍上は夫婦どちらかの氏に統一し、会社等ではそれぞれの氏を名乗り続けるか、事実上夫婦と変わりない生活を送りつつも婚姻をしない、「内縁」または、「事実婚主義」という形をとらざるを得ないのだ。この場合、内縁というと意味の違いが出てきてしまうため、事実婚主義という表現の方が正しいであろう。内縁関係とは、婚姻の意思をもって共同生活をし、周りから夫婦として認められているが婚姻届を提出していないために法律上は夫婦でない状態のことである。あまり夫婦別氏の際に用いられる表現ではなく、妻に先立たれてしまったときなどの後妻に対しての表現などで用いられる。

 事実上夫婦と同じ生活をしているが、婚姻をしていない状態のことを事実婚主義というが、これは戸籍上の氏と通称を使い分ける必要がないことや、別れた時に戸籍に残らないというメリットもあるが、社会的信用が低く、子どもが非嫡出子になるなどのデメリットも大きい。結婚前に子どもが生まれてしまうと子どもが嫡出子とならず、不利な状況下におかれてしまう。しかし、生まれる前に婚姻届を出せばいいという問題でもないのである。

 通常子どもは、懐胎から生まれるまでに約10か月かかる。結婚していない期間に懐胎しているということが確実であるため、生まれた子どもはその両親の子であるのか不明である、という問題が出てくる。

 前述の状態のとき、嫡出推定という考えが出てくる。これは、婚姻成立の日から200日以降、または動機の錯誤などによる婚姻の解消若しくは取り消し、無効から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する(民法7722項)というものである。これにより、この期間に出生した子は夫の嫡出子とされる。

 現在の日本では、事実婚の状況で子どもを授かった場合、一時的に婚姻届を提出しなければならない。実際に夫婦別氏を実行していて、事実婚主義という形態をとっている人たちはこういったやり方をしている場合が多い。しかしそれでは、戸籍上に、結婚、離婚がすべて残ってしまう。更に、第二子、第三子と妊娠した時、その都度結婚、離婚を繰り返すのだろうか。法律上、親権は母方か父方か、どちらが持つのだろうか。それによって子どもの氏も変わってくる。もちろん両家とも自分の家の氏を継いでほしい、という考えを持っている家も少なくはなく、孫の取り合いという本来ならしなくていい争いや問題が出てくるのである。だからといって、事実婚主義の考えを持つ人が増えている現在の日本で、なにかと問題が面倒であるからと子どもを授かるのを諦めることは、日本の少子化問題を加速させる要因となるのではないだろうか。

 上記のことを全て踏まえた上で、事実婚を国が認め法的保護をすることによって出生率を上昇させ、更に女性の社会進出も促進されるのではないかと私は考える。

 

 

▼婚姻意思

 日本でいう一般的な婚姻とは、16歳以上の女性と18歳以上の男性との間でかわすことのできるものであり、それによって社会的に承認された夫婦になることができる。

 婚姻意思があっても今の日本では結婚できない場合がある。それは同性婚だ。日本では、同性カップルの結婚は認められていないが、近年同性婚を法制化する動きは欧米を中心に広がりつつある。1989年には、デンマークが世界で初めて同性婚を認めた。それによって、同性パートナーに婚姻に準じた法的地位を認める「パートナーシップ制度」が広がり、近年では20116月にアメリカのニューヨーク州で同性同士の婚姻を合法とする法案が可決された。

 私は、同性婚は少子化問題のいくつかの要因の中の一つであると考えていた。同性同士である以上、女性同士である場合は第三者の力を借りて人工的に子どもを授かることができるが、男性同士である場合生物学的に子どもを授かることはできないからである。しかし、海外では正式に同性婚を認めている国や地域が複数あるが、それによって少子化が加速したという結果はいまだ出ていないのである。女性同士である場合は、前述の通り人工授精などによって新たな命を授かることができる。さらに男性同士の場合であれば、養子縁組をすることは法的に可能であり、海外でも二人の父親の元で、しっかりと育てられている子どもたちは少なくないのである。

 日本でも同性婚が法制化され、一般的になり、施設の子供たちが養子縁組されることによって、充実した環境でしっかりとした教育を受けることのできる子どもが増えるのではないだろうかと私は考える。

 少子化の要因としては、臨終婚である。臨終婚とは夫婦となる者の、一方または双方が亡くなる直前にする婚姻のことである。この場合、婚姻生活を実施することはないため、当然子どもを授かることはない。内縁関係から、亡くなる直前に婚姻届を出す場合も少なくないのである。高齢者同士であり、子どもは必要ないと考える人や、若くても子どもを作ることのできない状況にいることが多いのである。

 臨終婚の場合、婚姻が法律上有効なものとなるためには6つの要件がある。実質的要件として、@双方に婚姻の意思があること、A婚姻適齢に達していること、B重婚でないこと、C近親婚でないこと、D婚姻障害事由が存在しないこと(A〜D民法731737)最後に形式的要件として、E婚姻の届け出があること(739条)があること、である。

 臨終婚の場合、夫婦は一緒に住まなければならないという同居義務のほかに、生活保持義務を遂行することができない。これは、配偶者や未成熟子の間に存在する義務であり、被扶養者に対して自分の生活と同質かつ同程度の生活を保持する義務である。

後に、婚姻生活を実施する意思がないと考えられるため動機の錯誤の可能性もあり、有効な婚姻ではないのではないか、というところで議論になることも多い。遺産相続や、保険金が目的である場合である。実際に相続権を与えるために臨終婚をすることもある。

 例えば、余命わずかなAは自分を献身的に介護してくれていた住み込みの家政婦Bと愛し合うに至り、相続権を与える目的で、Bとの婚姻届けを提出し、その数か月後に、Aは死亡した。

前述の場合、実質的には婚姻意思を欠くため、婚姻は無効(民法742条1項)となるのではないかという問題が考えられるが、判例は婚姻意思の内容を問題とせずに有効と解している。この場合、こうすることによって、今までAに対して何もしていなかった相続人Cが遺産を持っていくという事態を避けることができるのである。

 

▼改善策と総合意見

 近年の日本では、男女平等の進歩による女性の社会進出に、様々な法制度と世間の認識が追い付いていないように感じる。夫婦別氏を望む女性も、社会が女性の働くことに対して確立していたら氏が変わることなどなんの不都合も生じないのではないだろうか。ただただずっと使っていた氏を変えることに抵抗があるひともいるのであろうが、氏を変えることに抵抗を持っている人は大体社会に出て、男性と同等に働く女性であるのではないかと私は考える。

 職場での風当りや産休や育児休暇をとって見てもそうだ。私はアパレルでアルバイトをしている。社員の9割近くが女性であり、私が働いているお店の副店長さんの妊娠が分かったのは、丁度年末年始のアパレルの中で一番の繁忙期であり、誰一人休めない状況だった。店長を含めエリアマネージャーや、他店舗の社員さんまでもが、喜び祝うよりも先に、「人手不足なのに時期を考えてほしい」とため息をついていた。その時、日本の少子化はこういうところからきているのだなと私は理解した。前述の通り、会社の9割近くが女性であり、年末年始の繁忙期を終えれば半年もしないうちに1年のうち2番目に忙しい夏がくる状況下で、社員たちの言う「時期」を考えていたらいつまでも子どもを産むことなどできないのである。お腹が大きくなり、予定日の1か月前まで産休はとれない。産後は、以前と同じ条件で会社に戻れるか分からない、こういった中途半端な男女平等や女性の社会進出が、晩婚化、不妊症に繋がり、結果として少子化になっているのだと私は考える。

 女性の身体は、30歳になるともう妊娠しない、と判断しどんどん妊娠が難しくなる。すなわち、もともと不妊症でなかった人も、まだ早いと言っているうちに妊娠し難い身体になっていき、不妊症となるのである。自分自身の身体の仕組みもよく理解しないまま、まだ仕事がしたい、まだ2人の時間がほしい、経済的にもう少しゆとりを持ってから、などと子どもを作る時期をコントロールしている気になっている女性も増えてきているのだ。

 女性自身も自分の身体についてきちんと知るべきであり、他人事として聞き流すのではなく、少子化に対する意識と自覚をしっかりともつべきであり、少子化対策のために女性しかできない仕事をすることは決して男女差別ではないと私は考える。これを、男女差別だと感じる人が多いのは、女性の社会進出が一般的になっていく上で、徹底した国の補助や、法制度が確立しないことが要因であり、さらに妊娠した女性に対する企業の上に立つ人々の意識も変えていかなければ、いつまで経ってもこの問題は解決しないと考える。

 

以上

 

 

参考文献

minami-jimusyo.jp

isansouzoku-navi.com

井上健「民法概論@(民法総則)第4版」有斐閣20083月、p272275

 

 

 

 

青木 美結花

夫婦別氏と婚姻意思について          

                                                      

 14J121001  青木 美結花。

 

 

 

  私は、夫婦別氏での婚姻において、そこに婚姻意思は無いものと考える。

 

<日本における結婚とは、法律婚である>

  日本に限った話ではないだろうが、現代、結婚には様々な形が存在する。

大きく分けると、二つ。法律婚と事実婚である。

法律婚とは、多くの人が想像する一般的な結婚の形だろう。

男女が役所に婚姻届を提出し、受理してもらって、晴れて二人は夫婦となる。

言ってしまえば、毎日仲良くしていようが、していなかろうが、

通い婚だろうが、週末婚だろうが、双方が納得している限り婚姻届は受理

されているのだから二人は国に認められた夫婦なのである。

一方事実婚とは、婚姻届は提出しないが恋人同士ではなく一般的な夫婦同然の生活を送ることである。

当事者間の主体的・意図的な選択によって婚姻届を提出しないことと、届出を

出せない事情のある、いわゆる内縁の関係というものとがある。

これにはあまり良いイメージを抱かない人も少なくはない。

その理由の一つがまさに、日本は法律婚の国だからである。

友人に話を聞いてみたが、「事実婚でいるなら結婚すれば良い」との

ことだった。

事実婚を選ぶ理由や事情、それに対する考え方は人それぞれであろうが、

世間や国には結婚しているとは認められない。

私もそうだと思うし、事実婚よりは法的に認められた結婚をしたいと思う。

 

<他国では多様化していく結婚、日本は「遅れている」?>

  上で事実婚は結婚とは認められないと書いたが、海外では必ずしもそうではない。

現代のアメリカ、ロシア、欧州諸国(特にフランス・北欧地域)は事実婚カップルに対してかなり寛容であるといえる。

事実婚カップルの生活の維持や、別れることになってしまった場合の財産分与

などに関する法整備がなされ、当人たちはオープンに事実婚生活を楽しんで

いるし、周りも当たり前にそれを受け入れている。

その結果、出生率が向上し少子化の解消につながったということだ。

また事実婚だけでなく、今話題の同性婚を法的に認める国も増えてきている。

同性婚とは、字の通り同性同士での婚姻のことであるが、単なる差別的、また

宗教的、倫理的、経済的にと様々な側面から日本でも外国でも議論されてきた

ものである。

そして、日本でもそれらを受けいれない日本は遅れている、早く導入すべきだと

いう声が上がっているとニュースで流れていたのを聞いた。

私は遅れているとは思わないし、何でもかんでもアメリカや欧州諸国に

合わせていくべきだとも思わない。

だからと言って、事実婚や同性婚を全否定するつもりもない。

東京都渋谷区が、同性カップルに対して結婚に相当する権利を与える

「証明書」を発行するという「パートナーシップ条例」という条例を全国で

初めて成立させたことは記憶に新しい。

私はこのような形には、おおむね賛成である。

結婚している夫婦と同等に扱うのは少々やりすぎなのではないかとは思うが、

その理由はもう少し後に述べるとして、憲法の定める結婚とは別の形で

性的少数者の家族を受け入れていくのであればそれは素晴らしいことなのでは

ないだろうか。

家族の幸せを感じることのできる人が増えるのではないだろうか。

「遅れている」の一言で片付けてしまうのでは、あまりに短絡的すぎる。

 

<日本における、事実婚の法的扱い>

日本における、意図的な事実婚の法的扱いには、学説における争いが

存在する。

典型的には、ライフスタイル論と婚姻保護論の対立である。

ライフスタイル論とは、日本国憲法第13条(幸福追求権)を根拠として、

個人が婚姻という形態をとるか事実婚という形態をとるか選択するのは自由で

あり、国はこの自由を保障すべきであるとの考えから、経済上の不利益や道徳的な問題が残るとするならばこのような生活形態の選択は事実上不可能に

なるとし、通常の内縁と同様に生活保障を図っていく必要があるとみる

学説である。

このような見解に対しては、当事者双方が法的拘束力にとらわれない関係を選択しようとしている場合に、同居という事実をもって内縁保護の対象として法的拘束力が及ぶことになってしまい、当事者の本来の意図に反することになり問題であるとみる考え方もある。

また、この論理を徹底していくと婚姻の法的保護に届出を要件とすべきでない

事実婚主義をとるべき)ということに帰着するのではないかとの疑問を

生ずるとする見解もある。

一方の婚姻保護論とは、婚姻の法制度上の効果を望んでいない当事者に

婚姻類似の効果を認めるべきでないとする学説である。

婚姻による法的効果を望むか否かは当事者間の自由な意思の下に選択すれば

よく、当事者がその意思で婚姻を望まず選択しなかった場合に婚姻制度上の

定型的な保護を享受しえないのは当然であるとみる学説である。

私の考えは後者の婚姻保護論に近く、事実婚のみならず同性婚においても

それはあくまで本人の選択した道なのではないだろうか。

だとすれば、婚姻制度上の保護も要らないと言っているに等しいだろう。

 

<婚姻制度のなかで、家族になるということと婚姻意思>

 先程婚姻制度についてふれたので、ここで臨終婚動機の錯誤、婚姻の無効

ついて述べておくことにする。

まずは、臨終婚について。

臨終婚とは、一方が亡くなる直前にする婚姻のことである。

その目的としては、相手に遺産の相続権を与えるためであったり、

相手の想いに報いたいからであったり、2人の思い出としてであったりと

様々である。

この時、余命いくばくもない=結婚生活はまず送ることができないのに、

そこに婚姻意思はあるといえるのか?

婚姻届が受理されたときに一方が意識不明であった場合、それは有効に

なるのか?という疑問が出てくる。

最高裁の判例は、「婚姻は成立する」であった。

将来婚姻することを目的に恋人として交際し、その意思に基づいて婚姻届を

作成したときは、仮に受理されたときに一方が意識を失っていたとしても

特段の事情がない限り婚姻は有効に成立する、というものである。

私は判例がごもっともだと思う。

が、しかし、どのように婚姻の意思の有無や交際の事実、その内容を証明

すればよいのだろう?という疑問は残っている。

何とも生々しい言葉や物の行き交う裁判になってしまうのだろうか。

次に、動機の錯誤無効について。

この二つは、関連させて述べていこうと思う。

民法742条において、婚姻の無効は次に該当する場合である。

1.人違いその他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき。

2.当事者が婚姻の届出をしないとき。

ただし、その届出が第739条第2項に定める方式を欠くだけであるときは、

婚姻は、そのためにその効力を妨げられない。

動機の錯誤が起こるのは、1の「その他の事由」だろうか。

婚姻には両性の合意が必要となるが、錯誤があったことによりこれが

なくなってしまうこともあるのだろう。

しかし私は錯誤は民法742条の規定通り、婚姻を含む身分行為には適用

されないと考える。

もし、適用されたとしたら、「こんな性格じゃなかった」や「資産家だと

思っていた」など、このような動機の錯誤はつねに起こりうるのだから、

これをいちいち無効にしてあげていたら大変である。

取消であれば大いにあるし、実際に例もあるだろうが、無効にはならない

と考える。

 

<夫婦別氏には婚姻意思がないと考えるのも、民法による>

 話が最初に戻るが、夫婦別氏に婚姻意思がないと考えるのは今までに

述べてきたものがあるからである。

婚姻の成立には民法731条〜749条を満たしている場合に限り、さらに

婚姻には民法750条〜754条に記された効力が発生する。

その中には、夫婦の氏(750条)についても明記されている。

そして、それ以外に何かそれを免れるような記述はない。

同居、協力及び扶助の義務(752条)、つまり貞操義務につながる同居義務生活保持義務と同様に守るべきもなのである(同居義務に関しては双方の

合意がある場合や、一方的な暴力行為があるなど正当な理由がある場合には

別居が認められたりもする)。

それらを受け入れられないのであれば、それは婚姻意思がないということに

なるのではないだろうか。

逆に、それらを受け入れるから婚姻することを決めるのではないだろうか。

そのうえ、通称として旧姓を使うことまでは禁止されていないのだからそれで

十分ではないか。

皆が自分たちに都合のいいものばかり欲しがっては、社会はいずれ壊れて

いってしまうに違いない。

これが、私の夫婦別氏に対する意見であり、最初の結論を導いた理由である。

 

<私が守ってほしい、婚姻のかたちは法律婚>

 最後に、婚姻や家族に関しての私の意見を述べようと思う。

要約見出しにも書いたが、私は家族制度を守るためにも、多少時代に合わせて変容させながら法律婚主義を貫くべきだと考えている。

事実婚のメリットを当人に尋ねると、「手続きはないし、別れる時が楽」だと

よく聞く。

確かにそうなのだろうが、それが良いこととはどうしても思えないのである。

もちろん、やむを得ない事情から事実婚を選び、心の中だけで家族になった

カップルもたくさんいるのだろう。

それを否定したくはないが、そこに婚姻と同様の法的保護を求めてくるなら

話は別になってくる。

簡単にくっついたり別れたりできていては、「家族」の概念も変わって

しまうだろう。

私は、そうなるのが何よりも怖いことだと考えている。

嫡出推定という子供の父親を法的に判断するものがある。

嫡出推定とは、婚姻中に妻が妊娠した子どもは夫の子供であると推定し、

一年以内に嫡出否認がなければ血縁に関係なく父子関係が認められるという

ものである。

家族がないならこれもなくなり、父親のいない子供もどんどん増えるのでは

ないだろうか。

そして、平成26年7月の最高裁判決もあって、婚外子の誕生に親があまり

躊躇わなくなり、その結果不倫などを助長して貞操義務という観念が崩壊して

しまう人が増えてしまうのではないかと考える。

親は自分の勝手で子供を簡単に振り回すことができるのだということを、

もう一度よく考えねばならない。

おわりに、これは私のとても個人的な意見にはなるが、婚姻届という紙は

なんだかとても夢のあるものに感じる。

結婚生活など、事実婚でも全くできないわけではない。

それぞれの生活が大切なら、永遠に恋人でも法的に咎められたりはしない。

それでも、多くのカップルは結婚を決意し、その紙を書く。

それを提出し、受理してもらい、国にわざわざ認めてもらうのだ。

その帰り道はきっと、いつもより少し背筋がピンと伸びていることだろう。

新しい二人の形に微笑みあいながら眠りにつくことだろう。

それってなんだか、とてもロマンチックではないか。

そう感じるのは、私だけなのだろうか。

1人の女性として、そんな結婚に、その為の紙に、夢を見ていたいのである。

 

出典

 

Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E5%AE%9F%E5%A9%9A

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%9A%E5%A7%BB%E3%81%AE%E7%84%A1%E5%8A%B9

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B0%91%E6%B3%95%E7%AC%AC742%E6%9D%A

 

 

 

真子敏

私は夫婦別氏のままでの婚姻を認めても良いと考える。

 

1 夫婦同氏のメリット

やはり最大のメリットはそのわかりやすさだろう。違う家族が同じ氏を持っている場合も当然あるが、家族が同じ氏というのはわかりやすい。これは日常生活に限った話ではなく、例えば戸籍についても同じことがいえる。戸籍法6条によって戸籍は夫婦及び同じ氏を持つ子ごとに編製されており、これは夫婦同氏だからこそできることである。仮に日本で夫婦別氏が認められた場合、何よりもまず最初に問題になるのはこの戸籍の扱い方と考えて間違いないと思われる。また一つの考え方に過ぎないが、同じ氏を持つことが夫婦間の絆を強めるなどといった意見もある。

 

2 夫婦同氏のデメリット

まず授業中にあげられていたように互いに「自分の氏を変更したくない」と思っている夫婦にとっては、夫婦同氏という制度の存在そのものがデメリットとなる。また、民法第750条において、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」と定められており、基本的に法律上は戸籍法第16条の規定に従い称する氏が夫のものなら夫、妻のものなら妻を筆頭として新たに戸籍を編製するのだが、現実においては夫の氏を称するなら夫の「家」、妻の氏を称するなら妻の「家」に入るといった認識をされることは少なくない。「嫁入り」・「婿入り」といった言葉がごく普通に使われていることからも、社会一般において配偶者の氏に変えるということがどう認識されてきたかは想像に難くない。結果として夫一家、あるいは妻一家との間に何らかの、たいていの場合好ましくない力関係が生じてしまうといったことが少なからず存在する。他に、前段落で夫婦間の絆について述べたが、配偶者のみならず当然にその家族とも同じ氏を称することになるため、本質的には他人であることを忘れがちであり、家族だからこそ許されていた無神経さなどからトラブルに発展するケースもある。また民法第752条にて規定されている夫婦の同居義務及び生活保持義務について、配偶者のみならずその家族にも適応されると勘違いされる場合があるが、これには配偶者家族とも同じ氏であることが少なからず影響を及ぼしていると考えて問題ないだろう。

 

3 夫婦別氏のメリット

まず一つは、言うまでもなく氏を変える手間がかからないことである。先ほど引用した通り、現在の制度では婚姻した場合新たに戸籍を編製する必要があり、また日常生活においても夫婦ともに婚姻前の氏を使い続けることができるため、例えば会社員ならば社員証などに記載された婚姻前の名前を逐一訂正して回る必要がなくなる。他にも、氏が変わることで望む望まざるに関わらず結婚したと知られることを防ぐこともできる。また、些細なことかもしれないが、結婚後どちらの氏を名乗るのかという理由で争うことも減ると考えられる。

 

4 夫婦別氏のデメリット

夫婦同氏のメリットの段落でも述べたが、夫婦別氏を認めた場合、今までと同じシステムの戸籍を使い続けることが困難となり、制度の改革などに大きな手間と資金が必要になると思われる。ただし、これについては平成27年10月実施予定のマイナンバー制度がある程度は問題の解決に貢献するだろうと考えられる。また夫婦同氏のデメリットの段落で配偶者家族との確執の可能性について述べたが、当然同じ氏になることによって実の家族のように素晴らしい人間関係が築かれることもあり、夫婦で異なる氏を名乗り続けることでそういった新たな絆が築かれる可能性を潰してしまうということも考えられる。その他に、子供が生まれた場合に、どちらの氏を与えるべきか、という問題も発生する可能性が考えられる。

 

5 実質的婚姻意思と形式的婚姻意思

簡単に言うならば、前者は「結婚生活を共にする」という意思であり、後者は「婚姻という制度の持つ法律効果を利用したい」という意思だと言える。前者の例としてはごく普通の男女間の婚姻の他、内縁同性婚のような婚姻意思はあるが婚姻という制度を利用する意思のないもの、あるいは現在の法律では婚姻と認められておらず、民法第740条の規定から婚姻届けが受理されないものなども含まれると言える。一方後者の例としては結婚相手に遺産を相続させるための臨終婚や、子供に嫡出子の地位を与えるための一時的な婚姻などがあげられる。

 

6 夫婦別氏と婚姻意思

現在日本では民法750条で夫婦同氏が定められているため、夫婦別氏での結婚は基本的に前段落における「結婚生活を共にする意思はあるが、現在の法律では認められておらず、法律上の婚姻は不可能」というパターンに該当すると言える。より踏み込んで言うならば、実質的婚姻意思はあるが、形式的婚姻意思は無いということになる。すなわち「夫婦別氏を認めるべきか否か」という問題は、より広い視点で見れば「結婚生活を共にするという実質的婚姻意思と、法律の規定に従って婚姻の届出をするという形式的婚姻意思のどちらがより優先されるべきか」という問題であると考えられ、言い換えると「現行の法律に従っていなければ、それは婚姻意思として認められないのか」という問題であると言える。なぜならば、判例の多くは実質的意思に重点をおいているからである。

 

7 形式的婚姻意思と婚姻の無効

授業中に何度も扱われた最判昭44.10.31の判例だが、この判例の一件では婚姻の届出がなされ受理されているため、少なくとも形式的婚姻意思はあると考えられる。一方実質的婚姻意思については、「子供に嫡出子の地位を与えたら離婚」などという取決めをしていたことから、その後態度を変えた妻側はともかく夫側には無かったと考えるのが妥当である。最高裁はこの件について婚姻は「無効」としているが、民法第742条の規定により、「人違いその他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき」又は「当事者が婚姻の届け出をしないとき」以外は婚姻を無効にすることはできず、また当事者の二人は婚姻の届出はしているため、すなわちこの判決は要約すれば、「形式的婚姻意思は婚姻意思ではない」と言っていることになる。しかし、明らかに「結婚生活を共にする意思」が無いにも関わらず、婚姻が有効とされた事例もある。

 

8 臨終婚と婚姻意思

授業中にも取り上げられた、臨終婚の判例がこれにあたる。臨終婚とは文字通り夫か妻のいずれかの死の間際に行われる婚姻であり、その性質上「結婚生活を共にする意思」のもと行われることはあり得ないと言っていい。加えてこの一件に関しては、「献身的に尽くしてくれた看護婦に相続権を与えたい」という老人男性の意思から行われており、むしろこれ以上ないほどに形式的婚姻意思に基づいてなされた婚姻であると言っても過言ではない。しかしながら最高裁はこの婚姻を有効とする判決を下しており、一見すると前段落の内容と矛盾しているようにも思える。これについては二つの考え方があると思われる。一つは形式的婚姻意思でも婚姻意思と認められる場合があるという考え方、もう一つは「結婚生活を共にする意思」がなくとも実質的婚姻意思と認められる場合があるという考え方である。ただし、この二つは法律的根拠の違いはあれど、「法律の条文をそのまま適用すると不都合が生じるため、それを回避するために用いられる解釈」という点で本質的に同じと言っていいだろう。

 

9 実質的婚姻意思の範囲

そもそも「結婚生活を共にする意思」の基準はどのようなものなのだろうか。例えば相手方が資産家であると誤認し、それを動機として婚姻した場合、事前にその誤認の内容を相手方に伝えていたとしても、動機の錯誤を理由として無効を主張できないとなっている。これは先ほども引用した民法第742を根拠とした判決であるが、この場合相手方が資産家でないことが明らかになった時点で婚姻の無効を主張したということは、見方によっては相手方との結婚生活については考慮しておらず、はじめから婚姻を資産家である相手方と法律上夫婦関係になる手段としかみなしていなかったとも考えられる。その場合、まさに前述の最判昭44.10.31で言うところの「単に他の目的を達するための便法」であり、そうならばこの婚姻は無効とされてもおかしくないはずである。しかしながら、実際には前述のとおりこの婚姻は有効とされており、むしろ「結婚生活を共にしないという明確な意思」が存在しない限り、実質的婚姻意思は存在するものと考えられているとも言える。

 

10 家族法の特殊性

このように婚姻に関する法律は、一件同じような事例でも解釈の違いによって全く異なる判決となっている場合がある。これは家族法というものが、結婚や養子縁組と言った理屈だけではなく、個人の感情や意思がことさら大きく関わってくる法律であり、それゆえに他の法律と比べて、より当事者の意思を尊重するものとして作られているからだと考えられる。つまり、裁判とは基本的に当事者同士の意思の対立であり、通常の法律ならば多くの場合条文に従い機械的に判決が下されることになるが、それが家族法ならば可能な限り当事者の意見に沿うようにされ、そして同じ当事者の意思ならば、当然より正しい、あるいは合理的な意思・主張に沿うような判決が下されることとなり、その結果として「判決の理由は少々納得しがたいが、結論自体は実に合理的」という判決が下されるのだと考えられる。

 

11 婚姻意思と婚姻の制度

長くなったが、ここまでのことからわかる通り、家族法は本来厳格な法律の世界において、特別柔軟な法であると言える。しかし、あくまでそれは法の範囲からはみ出ないギリギリのラインで解釈しているにすぎず、今回のテーマである夫婦別氏のように、どう解釈しても法に反することについては依然として許されないままである。しかし重婚の禁止などはともかくとして、夫婦同氏については夫婦別氏と比べてどちらが良いかは一概には言えない問題である。これまでは戸籍制度の問題から、夫婦別氏を取り入れるためには相当大規模な制度改革が必要であり、それが夫婦別氏を導入しない大きな理由になっていたと思われるが、夫婦別氏のデメリットの段落であげたマイナンバー制度はその性質上十分に戸籍制度の代わりを務めうるものであり、これにより夫婦別氏の導入は十分に可能なものとなったと考えられる。

 

12 新たな氏の制度の提案

また少々本筋からは逸れるが、仮に夫婦別氏を認めるならば、これまでと同じ夫婦同氏、新たに導入された夫婦別氏から選択できるような制度にしたうえで、全く新しい「夫婦が新たに自分たちの氏を定められる制度」を加えたらどうかと考える。これは、「夫婦の一方が氏を変える」、「夫婦の一方の氏を子供が称する」といった、既存の制度ではどうしても解消しきれない不平等を完全に解消する手段として有効なのではないだろうか。人はみな子が生まれれば名前を付けるものであり、名前を考えられるのならば氏を考えることも可能だろう。現に歴史上においても自分で完全に新しい氏を名乗るようになった人物は存在する。制度としても、国民をマイナンバーで管理するのならば、特別不都合は生じないはずである。おそらく国民に受け入れられるには時間がかかると思われるが、試してみなければ新しい制度というものは生まれないのである。

 

13 法制度を利用しない結婚生活

また、法律がどうしても自分たちの意思にそぐわないのならば、法制度を利用せずに結婚生活を送るという方法もある。一般に事実婚または内縁と呼ばれるものである。メリットとしては、当然婚姻する上での法律上の一切の条件を無視できること、デメリットとしては例えば配偶者控除など、夫婦のための国の制度を利用できないことにある。他に、現在の制度上は嫡出推定が働かず、子が生まれた場合自動的に母の氏になってしまうという点も問題となりうる。また、国家の立場から見た場合事実婚主義を導入することで婚姻制度そのものを変えずに事実上夫婦別氏などの問題を解決する方法もあるが、事実婚主義自体決して簡単な制度ではなく、また「実質的婚姻意思」はあるが、「形式的婚姻意思」はない、つまりあえて国の婚姻制度を利用しない、という人の意思を無視することになりかねないため、私個人としてはあくまで婚姻は法制度の定めるものとしたうえで、その制度をもう少し柔軟にするべきだと考える。

 

14 少子化と婚姻の関係

現在日本は少子化に悩まされている。よくその原因として言われるのは、子供を安心して育てられる環境でなくなってきているということだが、やはりその前段階として婚姻という法律行為の敷居の高さがあるのではないかと考えられる。妊娠をきっかけとして結婚する、俗にいう「でき婚」というものがある。近年では決して珍しい話ではなくなってきているものの、やはりあまり良い印象を持たれないことが多い。これは一般人の多くが子供というものは夫婦で作るものという認識を持っているからと考えられ、結婚前に妊娠、つまり性交渉をしながら婚姻に踏み切っていなかった男女が、妊娠によって結婚を決めるのも、やはり同様の認識によるものと思われる。つまり、現在でも多くの日本人が結婚、その後妊娠、出産という流れが自然と考えていると言える。仮にそうだとすれば、当然最初の段階である結婚をためらうものが増えれば、必然的にその後の妊娠・出産もためらわれるようになると考えられる。現代日本においては、女性の社会進出やいわゆる草食系男子の出現など、結婚をためらわせる要因は増えているが、一方婚姻の制度はあまり変わっておらず、結果として未婚の割合が増え、それが少子化の一つの要因となっていると考えられる。

 

15 総括

実際には、夫婦になると同じ氏を名乗らなければならない、という理由で結婚を見送るカップルはごく少数であろう。ゆえに仮に夫婦別氏を認めたからと言って劇的に婚姻が増えるということはないと思われる。しかし、これまでの夫婦のあり方を考えると、夫婦別氏というのは比較的強いインパクトを持つと考えられ、加えて劇的な変化が起こりづらいとすれば、それは逆に旧態依然とした婚姻制度を改革する第一歩としてふさわしいのではないだろうか。以上の理由から、私は夫婦別氏での婚姻を認めても良いのではないかと考える。

 

出典

有斐閣 ポケット六法 平成26年版

岩波 判例セレクト六法 平成25年版

家族法の講義における板書

 

 

 

 

望月紘樹

夫婦別氏と婚姻意思

 

私は夫婦別氏について賛成である。

 

1、夫婦別氏とは

 夫婦別氏とは、その名の通り夫婦がそれぞれ別々の姓を名乗ることです。現在の日本において、民法第750条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」とあるので、これに従い夫又は妻の氏を称しなければなりません。

 

2、夫婦別氏のメリット・デメリット

 夫婦別姓は、現在わが国の民法において採用されていません。民法で、婚姻の際必ず夫婦同姓を義務付けられているのです。現在、改正配偶者は97%以上が女性です。改姓することによって強いられる不便不利益は少なくありません。だからこそ夫婦別姓を望む意見が多くなっているのです。それでは、具体的に不便や不利益とはどのようなことがあるのでしょうか。まず、精神的な問題として、それまでの自分の名前を失うことによる喪失感や違和感があります。また、改姓比率が圧倒的に女性の方が多いということによる男女不平等感などです。実質的なものとしては、それまで培ってきたキャリアや信用を一時失ってしまうことがあります。これはどういうことかといいますと、名前が変わってしまえば、取引先などに改姓前と同一人物であるということを知ってもらわなければならず、職種によっては多大な疲労を費やします。また、免許証・資格 証明、銀行口座や電話、光熱費等の公共料金の手続きなどがあります。別氏にすればこれらの手間は大幅に少なくすることができるでしょう。

 しかし、デメリットもあります。両親が別々の姓であると子をどちらの姓にするか問題になります。さらに、家族の絆の薄弱化や家名が途絶えてしまう(一人っ子同士の結婚の場合)などあります。また、現在の日本では夫婦別氏は認められていないので、別氏を実践するのであれば一度法律婚をして通称として旧姓を使うか、法律婚をせずに事実婚主義を選択し、内縁関係として生活をしていくしかありません。そのような場合制度として確立されているわけではないので限界があります。例えば、事実婚の状態で子供を産んだ場合嫡出子の地位を得られず、嫡出推定を用いて親子関係の安定を図るということもできません。また、通称を使用した場合においては、勤務先が通称の使用を認めない。公的書類以外にも署名や記名をする際に、通称の使用が規制されがちになったりします。事実婚主義を選択した場合においては、相続時に法定相続人になれない。遺言によって財産を取得できるが、相続税が法律婚に比べて割増しになります。 

このように、メリット・デメリット双方ありますが、現在のデメリットは無視できるものではないと思います。なので、早急に現行法の改正が必要であると私は考えます。

 

3、世界における別氏の現状

 現在、日本を除くほぼすべての国で夫婦別氏が認められています。これは、宗教との関係が大きくあるといえます。日本の夫婦同姓の根底には、神道の教えが深く関わっています。同じアジア圏でも、韓国の夫婦は別姓です。夫婦別姓制を採り入れているというより、原則となっています。これは、女性はよそ者、血族の一員として認められないという儒教の教えに基づいています。ですので、今現在日本が求める夫婦別姓の「男女平等、個人主義のため」という動機やあり方とは大きく趣を異にします。また、生まれた子どもは父親の姓を名乗ることになっています。隣の中国も韓国と同じく夫婦別姓が基本です。その理由もほとんど同じ考えからきています。ただし、現在では夫婦同姓も認められ、その 際の子どもの姓は選択性となっています。また、スペイン、サウジアラビア、オランダ、スウェーデンが夫婦別姓を基本にしています。反対にアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、インドは日本と同じく夫婦同姓が原則です。キリスト教やイスラム教では、夫婦は半分半分同士で、結婚して一体になるという概念があるため、夫婦同姓は当然のことだと捉えられています。また、最近では、ドイツの夫婦の姓のあり方に夫婦別姓が認められるようになっています。特殊なケース(何をもって特殊というのかは難しいところですが)としては、 イタリアでは、妻が夫の姓を結合します。つまり、日本名を使って例えると、「山田花子さん」が「鈴木くん」と結婚した場合、山田鈴木花子となります。子は父親の姓を名乗ります。また、スペインでは夫婦は別姓が基本ですが、二人の間の子は夫婦の結合姓になります。

 

4、選択的夫婦別氏

 現在考えられている選択的夫婦別氏とは、婚姻の際に夫婦同氏にしても良いし、夫婦各自が婚姻前の氏にしても良いという制度です。夫婦同氏・夫婦別氏を選択できる制度ですから、別氏を望まない人には強要しないというのが特徴です。この制度を法的に根拠づけする考え方があります。それは人格権という考え方で、最高裁が採用したものです。「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人から見れば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきである。」というものです(最高裁昭六三・二・一六判決、民集四二巻二号二七ページ)

 氏は単に個人の呼称というだけでなく、名と結合することによって社会的に自己を認識させるものであり、自己の人格と切り離して考えることができません。氏名には一人ひとりの思い、生き方、自分史が込められています。これらの思いを大切にする論理が人格権なのです。人格にかかわることだから、何よりも本人の意思を尊重しなければなりません。したがって、婚姻に際して氏の変更を望まない人に氏の変更を強要する制度は人格権の侵害として許されないこととなるでしょう。

 また、国際結婚をした人達には、日本でも夫婦別氏が認められています。国際結婚の場合、氏が変わらないのが原作です。しかし、婚姻の日から六か月以内に限り、届出により外国人配偶者が称している氏に変更することができます。(戸籍法一〇七条二項)また外国人と婚姻した女性が自己の氏について、複合氏への変更を申し立てた事案で、家庭裁判所は、国際結婚では、複合氏の必要性が高い場合もあるとして、変更を認めました。(東京家裁平二・六・一〇審判、家裁月報四二巻一二号五六ページ)。

 こうして国際結婚では、夫婦同氏は強制されず、夫婦別氏、同氏、複合氏、お選択できるのです。同じ日本人の婚姻でありながら、日本人同士の場合には同氏が強制されることについて、合理的な理由づけは困難でしょう。

 

5、婚姻意思

 婚姻が法律上有効なものとなるための要件には、実質的要件として @ 両当事者に婚姻意思があり A婚姻適齢に達していること、重婚でないこと、近親婚でないことなど、婚姻障害事由が存在しないこと(民法731〜737条) があり、形式的要件(成立要件)として、婚姻の届出があること(739条) があります。実質的要件としての「婚姻意思」とは何を意味するのかをめぐっては、「実質的意思説」と「形式的意思説」の対立があります。

実質的意思説とは、両当事者において社会生活上(社会通念上)夫婦と認められる関係を形成しようとする意志の合致があり、同居義務生活保持義務を果たす気があり、それが婚姻の届出という形式に表現されることによって、婚姻が有効に成立するという考え方です。

形式的意思説とは、婚姻が在留・就労資格の取得、国籍の取得、遺産の相続権を与えるなどの目的を達成するための便法であって、実質的な夫婦共同生活を予定しないものであったとしても(=実質的意思説の@の要件が欠けていても)、婚姻にともなって派生する法的効果をわかった上であえて届出をするのであれば、婚姻は有効に成立するという考え方です。

亡くなった俳優の宇津井健さん(享年82)が、亡くなった当日に、それまでの何年間か内縁関係にあった女性(80)と入籍されていたということです。このような臨終に臨んだ者(多くは老人になるでしょう)の婚姻の届出であって、明らかに、将来に向けた実質的な夫婦共同生活を設定しようとする効果意思に欠ける場合を「臨終婚」といい、その婚姻としての法的有効性が問題になることがあります。判例は婚姻について「実質的意思説」をとったものとされています。

最判S44.10.31「たとえ婚姻の届出自体について当事者間に意思の合致があり、ひいては当事者間に、一応、所論法律上の夫婦という身分関係を設定する意思はあったと認められる場合であっても、それが、単に他の目的を達するための便法として仮託さていたものにすぎないものであって、前述のように真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がなかった場合には婚姻はその効力を生じないものと解すべきである」

ただ、別件の臨終婚の事件では、10数年来の事実上の夫婦共同生活(内縁関係)があったことを前提事実として、死期を悟った男性の婚姻の届出を有効とし(最判S44.4.3)、将来婚姻することを予定して継続的な性交渉があったが事実上の夫婦共同生活はなかった事件でも、同様に婚姻の届出を有効と判示しています(最判S45.4.21)。

そのため、これら判例の事例における最高裁の考え方については、社会観念上夫婦と認められる関係の設定を欲して実際に夫婦共同生活を営もうとする「効果意志」までも要求するものではなく、婚姻にともなう(当事者が望む)法的効果を発生させても実際上の問題がない事例では、便法としての婚姻も無効としなかったものと理解されているようです。

では、実質的意思説をとるのであれば同性婚の場合はどうでしょうか。現在の日本では同性婚は認められていませんが、相思相愛ならば婚姻意思といった観点から見れば意思ありと考えられ、動機の錯誤などにより無効にならない限り認められるべきであり、今後法改正を行うべきでしょう。

 

6、まとめ

 以上のように、夫婦別氏には大きな利点もあれば大きな欠点もありますが、私は夫婦別氏について賛成です。結婚するにあたり、夫婦同氏であることにより氏を変える方の負担が大きく、結婚のハードルが大きく上がり、晩婚化につながり、それが少子化の原因にもなります。これを別氏にすることにより、少しでも少子化が抑えられることを期待したいです。しかし、必ずしもすべての人が別氏を望んでいるわけではないのも事実です。そこで、上で説明した選択的夫婦別氏を導入すべきだと思います。夫婦別氏にしたいカップルは別氏に、今まで通り夫婦同氏にしたいカップルは同氏にして両者のバランスを取るべきなのではないでしょうか。

 

7、引用文献・サイト

・民法改正を考える会『よくわかる民法改正〜選択的夫婦別姓&婚外子差別撤廃を求めて〜』2010

・松川正毅『民法 親族・相続』第32012

http://www.sakurai-h.jp/article/8779459.html

http://minami-jimusyo.jp/news/office/20140319/2774/

http://www.bessei.com/what.htm

 

 

 

 

田村瑞貴

帝京大学 法学部法律学科 14J110015 田村瑞貴

 

 

私は、夫婦同姓に反対である。

 

1 夫婦

 結婚と言えば、聞こえはいいものの、それが孕んでいる幾重もの法的束縛を認識して、果たして結婚しているのだろうか。結婚とは、夫婦関係を築くため、自ら進んで自己に法を課すことだと考えても別段問題ないように考える。

例えば、民法第752条に「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。」というものがある。これは同居義務を示唆しており、同居義務違反があれば、同居請求をなしうる。したがって、法律の下に夫婦関係が築かれているのである。

 

私は、以下において、結婚について考え、夫婦のあるべき姿を検討する。

 

(a)夫婦別氏と事実婚主義

 夫婦別氏、すなわち夫婦別姓とは、婚姻時に両者の名字(氏)を統一せずに、夫婦双方が婚姻前の名字(氏)をなんらかの形で保持する婚姻及び家族形態、またはその制度のことである。しかし、日本の現行法制の下では認められていない。

これは、過去日本がいち早く欧米化し得たものが、現在では後れを取ってしまっている事案であり、民法改正案の一つとして語られているものでもある。

 周知の通り日本は少子化が進み、四人で一人の高齢者を支えていた時代から二人で一人を支える時代へと変遷している。このまま時代が流れていけば凄惨な状況になることは明白であり、私たちはそれを打破すべく策を講じなければならない。それに必要なのは、無論子供が生まれること、そして、結婚し、愛を深めることが必要になってくると考える。

 けれども、それに水を差すように結婚という夫婦間の契りに待ったをかける事案が存在している。それが、日本法の夫婦同姓である。(2015年7月現在、民法で定める夫婦別姓を認めない規定と、離婚後に女性の再婚を6カ月禁止する規定(180日規定)について、それぞれの違憲性が争われている)

 今日、夫婦別姓が認められていないがために、事実婚主義という内縁形態をとる夫婦がいる。それは、日本の法律が夫婦間の障害になっているべきとみて相違ない。

 海外では既に夫婦同姓から、夫婦別姓や選択的夫婦別姓へと法改正を行っており、日本は前述したとおり、やや遅れている印象がある。

 しかしながら、日本が頑なに夫婦同姓であることにこだわる理由も分からなくない。夫婦同姓とは、伝統的な日本のあり方で、今それを変えてしまうというのは確かに気が進まない。それに、子供の苗字をどうすべきか、などの疑問がある。

 しかし、考えてみてもほしい。

 蓋し、子供のことを考えるのならば、苗字の統一は重要な論点であろう。ならば、結婚していないことは子供にとってはどうなのだろうか。事実婚主義をとるにしても、夫婦として国から認められている方が、子供にとっても良い話ではないのか。いや、問題があるのは、夫婦ではなく、夫婦を雁字搦めにする頑迷固陋な法にあると私は考える。

 

(b)婚姻意思

 臨終婚とは、夫婦となる者の、一方又は双方が無くなる直前にする婚姻のことである。

後に婚姻生活を実施する意思はないことになるため、婚姻意思が欠け、有効な婚姻と認められないのではないか、が問題となりうるが、判例は、婚姻意思には実質的に婚姻関係を発生させる意思が必要であると考えるものの、一方で、一部の効果のみを目的として婚姻届が出された場合でも、結果として婚姻効果を全面的に生じさせても当事者間に問題を生じない場合には、有効な婚姻と認める、というような運用をしている。

例として三つほど判例を挙げよう。

@    献身的に介護してくれた看護婦に財産を与えて報いたいと考えたボケ老人が死の間際に看護婦と結婚したという判例がある。この判例では、bettable(生活を共にする意思)は介在しないが、双方に婚姻の意思があり、有効である。

A    嫡出子の地位を与えるための婚姻をし、その後離婚するというもので、婚姻届自体について当事者間に意思の合致があり、ひいて当事者間に、一応の所論法律上の夫婦という身分関係を設定する意思はあったと認めるが、その場合であっても、真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がないので無効となった。

B    自分の子だと思い婚姻届を出したのだが、実は自分の子ではなく別の男の子供であり、結婚を無効にする、というものでは、蓋し、婚姻意思はあったものの、それは子供が自分の子であることを前提としている。畢竟、自分の子でない場合、婚姻意思はないので、動機の錯誤が生じている。

@とAの判例には同じくbettableの意思はない。Bにも子が自分の子でないと認知した段階からその意思はない。しかしながら、婚姻するにあたって表面上の婚姻意思だけを尊重するのであれば、Aの判例でも婚姻が認められるべきである。だが、前述の結果から、求められているのは表面上のモノではなく、もっと内面的な「お互いの成立した求めあう意思」が必要であると私には受け取れた。

 橋梁も、片方の袂が崩れ去ってしまえば、対岸に渡ることはできない。やはり、お互いの意思がカギを握っているのは、言うまでもないことなのだろう。

 と、綺麗に纏めてみたは良いものの、そうだとするならば一つ問題がある。

 お互いの成立した求めあう意思を重要視するならば、同性婚も認められるべきなのではないだろうか。

 

(c)同性婚

 同性婚は、今日の日本では認められていない。日本国憲法第24条1項に「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」、2項は「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」とされている。

この条文は「戸籍において夫を家族の長とし、婚姻においても親の許可が必要であった」あるいは「本人の意思に関わりなく親により行われることもあった」明治憲法下の状態を改めるため、夫婦間の平等と自由結婚の権利を確定するために書かれたもので、同性婚の禁止を意図したものではないとする説がある。ただ、婚姻は「両性の合意にのみ基づいて成立」と規定してあることから、婚姻は「両性」、つまり「男性」と「女性」の両方が合意する場合のみに成立する、と文言上は解釈できる。そのため、憲法を改正しなければ、同性婚は法的に成立しないという意見がある。

それでは、なぜ同性婚は認められないのか。道徳に反するからか? 奇矯であるからか? どれもこれも偏見である。なにも、同性愛は人間特有のものではない。動物、その他種でも確認されていることである。根本的に同性愛を否定することを考えたのは、人間だ。

 前述してきた判例から鑑みるに、正当かつ真っ当な婚姻意思をもった人々を認めないのは、どう考えてもおかしな話だ。

 私は早急に同性婚を認めるべく、法改正をすべきだと考える。

これは、私なりに人々の幸せを考えた上での結論だ。

 

2 子供

 子供は、つがいにとって唯一無二の存在である。

かけがえなく、夫婦を繋ぐ絆を体現した存在だ。

 では。その子供が必要としているものは、一体何なのか。

 私は、以下において、子供について考え、夫婦のあるべき姿を検討する。

 

(a)嫡出推定

 嫡出推定とは、民法第772条

1 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。

2 婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。

と定めた民法の規定である。父親を早期に決めて親子関係を安定させることが子の利益につながる、との考えにもとづいている。1898(明治31)年に定められたもので、DNA型鑑定などは想定していない。ただし、子の出生を知ってから1年以内に限り、夫は父子関係の取り消しを求められるとしている。

 判例でも、父がその妻の生んだ子と親子関係はないとしたが、婚姻成立から200日を経過した後に妻が生んだ子であり、出生から2年6か月経過し、9か月の別居があったが、婚姻の実態が存しないとは言い難く、子は嫡出推定に当たる、となっている。

 この結論通り、嫡出推定は子の利益を守る上で非常に必要な条文である。

 嫡出推定がなければ、親が判然としないまま生活を送ることとなり、子にとっての利益がないように思える。だからこそ、判例どおりの結果が最良であったのではないかと私は考える。

 しかし、判例のような嫡出推定で決まった子を扶養義務によって育てる場合、果たして育てられる子供は幸せなのだろうか。

 

(b)扶養義務

 扶養義務については、一般的に次の2種類がある、とされている。生活保持義務、これは、夫婦間の協力・扶助義務(民法第752条)や、未成熟子を親が監護・教育(同第820条)するときの扶養義務であり、夫婦や親子に必要不可欠な扶養であり、自己と同等の生活を保障するものである。いわゆる「一椀の飯も分け合う」程度の強い扶養の形態と考えられている。そして、生活扶助義務、これは、前述の夫婦間や未成熟子と親との扶養と異なり、一般の親族間の扶養、具体的には、老いた親の扶養や兄弟姉妹間の扶養の問題であり、自活能力がない親族を自分の生計を維持する限りで援助しようとするものである。

 私は、子が独り立ちするために必要なのは、教養と時間と金銭であると考える。

 教養によって常識を身に着け、時間をかけて年齢を重ね、それらを補助するために金銭が必要となる。仮に扶養義務がなければ、それこそ親であって親でない。そのような不当な関係が築かれてしまいかねない。 

 だとすれば、やはり扶養義務があることによって子には確かな利点があると断ずることができるだろう。

 

3 まとめ

 法とは、一体誰のためにあって、誰を幸福にするべきなのかを再確認すべきである。一方を取れば、一方が廃れる。シーソーのような関係にあるのが、この世界の秩序だ。

夫婦同姓を取れば、夫婦別姓を求める人々に不満が溜まる。夫婦別姓を取れば、夫婦同姓に不満が溜まる。だが、相克しているだけでは、それこそ法律の本質を見失ってしまうのではないか。

例え、巌を水面に投じ、波濤が迫ってこようとも人々の幸せを願うのならば法を改正すべきであると私は考えている。

そして、考えるべきは夫婦間に平穏をもたらすと同時に、子供を第一に考えることのできる思考である。少子化であるこのご時世、子供に対する意識を再び見直すことで、正しい法改正ができるのではないだろうか。

だからこそ私は、夫婦同姓に反対であり、選択的夫婦別姓を推奨すべきだと考える。

 

 

出典

弁護士法人中部法律事務所 春日井事務所「http://www.kasugai-law.jp/glossary/3011

日本における同性結婚 Wikipedia

有斐閣『家族法判例百選 第七版』水野紀子・大村敦司・窪田充見

御器谷法律事務所ホームページ「http://www.mikiya.gr.jp/Duty_support.html

 

 

 

 

関田一真

夫婦別姓と婚姻意思

法学部 法律学科 ⒕J111012 関田一真

 

 1 婚姻

 まず、婚姻について述べていくことにする。婚姻とは社会的に承認された男女の結合のことである。(*注1)日本法においては、夫婦同姓で戸籍は家単位。三親等以内の婚姻(近親婚)は禁止とされ、婚姻は男性が18歳以上、女性が16歳以上で認められている。夫婦は夫婦生活を維持し保っていく義務(生活保持義務)がある。また、この日本法においては婚姻の成立において法律上の手続きが必要とされる法律婚主義を採用している。この法律婚主義の逆の考え方として事実婚主義という考え方がある。この考え方は、社会慣習上において婚姻とみられる関係の事である。この事実婚のメリットとしては以下のようなことが挙げられる。

1.    改姓しなくていいこと

 これは、最近夫婦別姓でいきたいと考える夫婦が増えてきていることで目立ってきたメリットである。事実婚は役所などに婚姻届を出さなくていいので結婚したということとして認められない。つまり、日本法の婚姻したカップルは同姓にしなければならないという条文は事実婚カップルには適用されない。そのためこの改姓しなくてもよいというメリットに惹かれ事実婚を選択するカップルが増えてきている。

2.    離婚したとしても戸籍には☓がつかない

 上記でも述べたように事実婚は役所などに届を出さなくてもいい。つまり、戸籍上では婚姻関係を結んでいないということになる。そのため、たとえ二人の関係にひびが入り結果的に離婚したとしても戸籍上では離婚したという扱いにはならない。

上記の2つが事実婚のメリットである。では次に事実婚のデメリットについて考えていくことにする。

1.    社会的信用を得にくい

 婚姻をした人は周りから信用を得たり、社会に出て働いている人だと結婚して働いているんだという感心を周りから得られる。しかし、事実婚の人だと周りから本当に結婚しているのかなど思われ社会的信用を得にくい。

2.    税金の配偶者控除を受けられない(*注2

 納税者に所得税法上の控除対象配偶者がいる場合には、一定の金額の所得控除が受けられる。これを配偶者控除という。しかし、この配偶者控除は夫婦同様の生活を送りつつも届を出していない事実上の夫婦の事である内縁関係の人は該当しない。

3.    子どもが非嫡出子になる

 事実婚の夫婦の場合、出生届を出しただけでは、母親を筆頭者とする新戸籍が編成され、その子供は父親の欄が空欄のまま、母親の戸籍に入ることになる。

しかし、別途「認知届」を行えば父親の欄に夫が記入される。認知の届出は、子が胎児の間でも、出生届出と同時でも、出生届出後しばらくしてからでも問題ない。そのため、子どもができた夫婦はその後婚姻届を提出するケースが多い。

4.    夫婦間で相続権がない

 どんなに長年連れ添っていたとしても、夫の法定相続人にはならない。そのため、内縁の妻に不動産などの財産を引き継がせるためには、遺言書を作成しておくことが必須。遺言による贈与(遺贈)をすることによって、法定相続人でない人に遺産を残すことができる。

以上に挙げたことが、事実婚のメリットとデメリットである。

 2 婚姻の形式

 婚姻の形式はいくつか存在しているが、その中でもここでは、二つの形式について述べていく。

1.    同性婚 (*注3)

同性婚とは、性別が同じもの同士が夫婦のように振る舞い、社会的にも経済的にもパートナーシップを築き、継続させることである。この同性婚を認める法律が世界で初めて採用されたのはオランダである。(200012月)

その他でもベルギーやスペイン、ポルトガルといった国でも採用されている。

日本では同性婚について法律では認められていないが、同性カップルに対して何らかの形において法的な保証を与えている地区がある。それが東京都の渋谷区である。

渋谷区では2015年に同性パートナー条例を制定した。(正式名称;渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例)(*注4)

現在、日本には同性婚を禁止する法律はない。しかし、同性婚に関しては憲法第24条に照らし合わせると禁止されうる可能性がある。

憲法第24条では、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」としており同性婚は両性ではなく同性のためこの24条に照らし合わせると同性婚は禁止されうる。

しかし、この同性婚を認めうる条文も憲法の中には組み込まれている。

憲法第24条2項には、「婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。」としている。この242項を取ると個人の尊厳という文言が入っているので同性婚も個人の尊厳により認められるのではないかと思われる。また、憲法第⒕条1項には「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」としている。これをとっても性別などによって差別してはならないとしているので同性婚については認められてもいいのではないかと考える。それに加え、憲法第13条の幸福追求権をとってみても認められるべきだと考える。

上記でも述べたように私はこの同性婚について賛成である。

個人の幸福追求権をきちんと認めるべきだし、この同性婚は恐らくこの先増えていく家族の新しい形だと思うのできちんと法律で保護していくべきだと考える。

しかし、この同性婚がこれからますます進んでいくと少子化が進展していく可能性がある。同性同士では子どもは作れないため、今後この婚姻形式が増えていくと少子化が進み少子高齢化社会を招く危険性がある。

1.    臨終婚

 この臨終婚は将来に向け実質的な夫婦共同生活を送ろうと効果意思に欠ける婚姻の形である。

この臨終婚に関しては有名な事例が一つある。2014年に亡くなった俳優の宇津井健さんの事例がある。これは宇津井さんが亡くなった当日にそれまで何年間か内縁関係にあった女性と婚姻届を提出していたというもの。宇津井さんの事例ではないが、この臨終婚に関して有名な判例があるので以下で述べていく。(*注5)

【判例・概要】                                                                              

 A男とY20年近くにわたって内縁関係にあった。Aは病気で入院中にYとの婚姻届を作成して提出するように友人Bに依頼した。これを受けてBYと協議の上で婚姻届を作成して提出した。ところが、婚姻届の提出時にはAは昏睡状態に陥っており、その後も意識が回復しないまま死亡した。

【争点】

 当事者が合意の上で婚姻届を作成した後、届出時に一方が意識喪失の状態にあった場合この婚姻は有効に成立したといえるか。

【判旨】

 破棄差し戻し。

【学説】

 届出を婚姻の成立要件と解すから届作成の時点はもとより、届出の時点で婚姻意思があることを必要とする。その結果当事者が合意の上で作成した後、届出までに一方が婚姻意思を失った場合は、婚姻は無効となる。こうした考えを貫くと届出の時点で当事者の一方が意思無能力の状態であるときも婚姻は無効とせざるを得なくなる。

【私の見解】

 私はこの臨終婚に関して賛成の立場をとる。確かに将来に向け具体的な夫婦生活を送ろうとする意志はこの臨終婚には存在し得ない。しかし、憲法第13条の幸福追求権や24条2項の個人の尊厳の規定からそれらを鑑みると、たとえ将来がない夫婦関係だとしても意識不明になる前にお互いが合意し、婚姻意思があると確認できれば、許されるべき婚姻だと私は考える。

 3 婚姻意思

 まず、婚姻意思とはカップルが結婚するにあたり必要になってくる意思表示である。

この婚姻意思については、この行為について必要な届出をなす意志である形式説と、届出を出す意志がある+社会通念上、夫婦として認められる生活を作ろうとする意志である実質説の2つの説がある。しかし、この婚姻意思が欠けている場合(婚姻意思の欠缺)には、その婚姻は無効となる。

婚姻には婚姻意思の合致が必要       ⇒憲法第24

夫婦は婚姻の際、夫か妻の姓を称するということが民法第750条に規定されている。日本では夫婦同姓が一般的ではあるが、イギリスやアメリカの英米法では選択的夫婦別姓であり、東アジアなどで採用されている東アジア法では夫婦別姓を採用している。

 夫婦は同居し、生活を共に送り互いに協力していくことが求められている。(民法752条)これを生活保持義務という。これは扶養義務者に経済的な余力がない場合であっても、被扶養者に対して自分の生活と同質で同程度の生活を保持させる義務を意味する。未成熟子や配偶者に対する義務がこれに当たる。生活保持義務は、扶養義務の内容の一つと捉える理論からくる概念である。

 民法第752条によると夫婦は同居義務を持ち、互いに協力し扶助しなければならないとしている。このことから、正当な理由のない同居・協力・扶助の不履行は離婚原因となりうる。

 婚姻意思の存在が問われる婚姻の事例として、子どもに嫡出子の地位を与えるための婚姻というものがある。そもそも嫡出子とは、法律上の婚姻関係にある男女を父母として生まれた子のことである。またこれに絡むものとして嫡出推定がある。これは民法第772条に規定されており。妻が婚姻中に懐胎した子は夫の子と推定されるというものである。ここで話を戻すことにする。事実婚の夫婦の間にできた子に嫡出子の地位を与えるための婚姻は形式説をとると有効な婚姻だが、実質説をとると無効である。これは子に嫡出子の地位を与えることが目的であり、この夫婦が社会通念上、夫婦として認められる生活を送ろうとする意志がないものとして捉えられるのでこの婚姻は無効という考えになるのだと私は考える。

 またこの婚姻意思の絡みでしばしば話に上がってくるのが動機の錯誤による婚姻意思の有無である。動機の錯誤とは、たとえば彼女が妊娠し自分の子だと思い結婚したがその子は実は彼女と彼女の元カレとの子だったというものである。この場合、彼女が妊娠し婚姻を結んだのでこの子は上記で述べた嫡出推定から考えて今の彼氏の子であると推定はされる。しかし、実際は元カレとの子であるので動機の錯誤による婚姻だといえる。この場合の私の考えは、この婚姻は無効になると考える。理由としては、自分の子だともって婚姻関係を結んだのにも関わらず実際は違う男との子であったので語弊があるかもしれないが、彼女に騙されたといっても過言ではない。それにより彼氏が錯誤状態に陥ったため本来の婚姻意思とは異なっているのでこの婚姻は無効と考える。

 4 結論

 上記で様々なことについて考えてきたが、夫婦別姓による婚姻意思は存在しうると考える。女性の社会進出が増えている中、結婚して姓が変わると何かと不都合な点が出てくるのではないかと考える。そのような不都合な点を避けるため事実婚状態にし、あえて姓を変えないカップルが増えているのではないのかと考えた。しかし、法律などで夫婦別姓を認めればあえて届を出さないカップルは今よりは減ると考えるので法整備が必要だと考える。そのため夫婦別姓による婚姻意思はあると結論付けてレポートとすることにする。

以上

 

 

参考文献

(*注1)Wikipedia 婚姻・結婚 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%A9%9A

 

 

(*注2)国税庁ホームページ https://www.nta.go.jp/

 

(*注3Wikipedia 同性結婚 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%80%A7%E7%B5%90%E5%A9%9A

 

 

(*注4)東京都渋谷区役所ホームページ https://www.city.shibuya.tokyo.jp/kusei/jorei/jorei/lgbt.html

 

(*注5)新判例マニュアル民法X 親族・相続 川井健ほか編 三省堂 P,3233

 

 

 

 

阿部一樹

親族法期末レポート

テーマ「夫婦別氏と婚姻意思」

 

 私は夫婦別氏での婚姻意思はないと考える。なぜなら、結婚後の生活についてあまり考えていないと思うからだ。結婚したからには民法752条の同居義務(夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。)があると思うし、結婚には市役所に住民登録するし、もし子供が学校に通いだしたときに母親と父親の姓が違うと子供が嫌な思いをするかもしれないからだ。現在の日本では約96%の家族が夫婦同姓にしていることからやはり生活をしていく上では夫婦別氏は不自由ということではないだろうか。

 

「婚姻とは」

婚姻が有効に成立するためには,婚姻意思が必要である。民法は婚姻意思を,明文をもって積極的に要件としてあげているわけではないが,婚姻意思がないときには婚姻は無効である(742条一号)として間接的に婚姻意思を要求している。婚姻が両性の合意に基づいて成立する(憲法24条「個人の尊厳と本質的平等」)以上,それは当然である。婚姻の実質的要件は,(1)婚姻合意,(2)婚姻適齢,(3)重婚の禁止,(4)近親婚の禁止,(5)再婚期限(待婚期間)(6)父母の同意の六つである。(1)婚姻意思は社会通念にしたがって夫婦生活に入るという意思であるから,肉体関係を絶対に結ばないという意思(約束)でなされた婚姻には婚姻意思があったとはいえないし,2年間だけ夫婦生活をするというように期間を区切って婚姻生活に入ることも許されない。子を生まないという約束をしてもその合意は無効である。                         (世界大百科事典)

(6)に関係して判例で19歳カップルが親に内緒で婚姻届を出してしまいこれが受理されてしまうと親がどうあがいてもこの結婚は取り消せないというのは授業で議論した。またこの19歳カップルは民法753条の婚姻による成年擬制により、成年に達しているとみなされる。結婚詐欺など婚姻意思のない場合の婚姻は無効となる。有効とするのは例えば臨終婚の事案では届出の受理前に翻意したなど特段の事情のない限り、婚姻は有効とすると

 では動機の錯誤による結婚はどうだろうか。これは婚姻時に婚姻意思があったため無効とはならないが当然離婚の原因となるだろう。

 

「事実婚について」

 日本では法律的に夫婦別氏は認められていない(法律婚主義)。むしろ事実婚主義をとっている国はほぼないし、どこかの民族か江戸時代より前ぐらいだとおもう。だが日本は憲法13条の幸福追求権により個人が婚姻の形態をとるか、事実婚の形態をとるかを選択するのは自由である。日本の民法は婚姻時に夫または妻のいずれかの氏を選択する「夫婦同氏原則」(民法750条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」)を規定している。これにより夫婦の一方の改氏による夫婦同氏は届出の際に必須の形式的要件となり(民法750条、戸籍法741項「婚姻をしようとする者は、左の事項を届書に記載して、その旨を届け出なければならない。 夫婦が称する氏」)、また婚姻期間中は公文書において夫婦が異なる氏となることはない(効果となる)。なお、これらの規定は夫婦ともに日本国籍を有する場合に適用され、国際結婚の場合は所定の手続きを経ない限り改氏されない。そのため、夫婦がともに婚姻前の氏を継続使用しようとする場合、婚姻届を提出せず改氏を回避する「事実婚」や婚姻届を提出した上で片方が旧姓を使う「通称使用」などの手段をとることがある。しかし、前者については、民法739条による婚姻関係と必ずしも扱いが同一というわけではなく、例えば配偶者の遺産相続などの場合に不都合が生じる可能性がある。また、後者については、通称の氏(旧姓)の使用が公的に認められる場合もあるものの、あらゆる場面で認められているわけではないため、現状では法律的な(内縁、事実婚ではない)夫婦と別氏は同時には成立しがたい側面がある。そういった状況の中で、婚姻時の改氏に不都合を訴え、夫婦同氏の原則の緩和を求める声もあり、選択的夫婦別氏制度の導入など民法750条の改正が提案されている。ただし、その一方で、現状制度の維持を望む人も存在するため、民法750条改正の是非を争点とする論争が続いている。                 (ウィキペディアより)

 ではアメリカではどうだろうか。アメリカでは州によって制度が異なる。同姓、複合姓、別姓が可能。法律上は氏の変更はせず、事実上、夫婦同姓を名乗ることが多いとされる。仕事上の都合などにより女性が特定の場所では婚姻前の姓をそのまま名乗っていたり、元々の姓をミドルネームのように加え名乗る場合もあれば、家庭関係では同姓の場合もある。また、同性同士の結婚においては互いの姓のままであることが多い。このことからアメリカ方では夫婦別氏は認められており、同姓婚も認められている。日本ではどちらも認められていないが合法になる日もそう遠くはないのではないか。

 

「事実婚のメリット・デメリット」

 こうした中であえて夫婦別氏をとっているいわゆる事実婚の夫婦のメリット、デメリットを調べてみた。まずはメリットから、

・どちらかが改姓しなくてよい

・相手の家族や親戚との付き合いを自分でコントロールできる

・結婚届に左右されないためパートナーシップを築きやすい

・別れても戸籍に傷がつかない

となった。私が考えるに2、4番目がかなり大きいと思う。結婚生活で苦労する相手の家族、親戚との交流が苦手な人が多いと思うのでこれは魅力的だ。そして別れても戸籍に傷がつかないという声もあるがこれは個人的な意見だが「いつ離婚しても大丈夫」と言っているようにしか聞こえない。

 次にデメリットの声だが非常に多かった。

・相手と自分の家族や親戚の理解を得るのが大変

・社会的信用を得にくい

・いちいち説明するのが面倒くさい

・税金の配偶者控除を受ける事ができない

・子供が非摘出子になる(事実婚の継続が難しくなるという事に繋がります)

・相続権がない(しかしこれは遺言で相続できるが、相続税がかかります)

・生命保険の受取人に指定するのに手間がかかる。

・「結婚届」という紙1枚の拘束がない分、気持ちだけで繋がっているという不安定さがある。                            (女性の美学より)

メリットの二倍のデメリットがあった。やはり婚姻届を出していないので社会的にもお互いにも信用を得にくいみたいだ。そして一番大きいのは子供が非嫡出子になることだ。法律関係がない以上、子供を嫡出子とすることはできず婚外子となる。非嫡出子は親に認知されれば相続権があるが嫡出子の半分になってしまう。またできちゃった婚で生まれてしまった子は民法772条「1.妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。2.婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。」により嫡出推定では推定されない。ただしこれが夫の子ではない場合もあるため夫は民法774条「夫は、子が嫡出であることを否認することができる」、775条「前条の規定による否認権は、子又は親権を行う母に対する嫡出否認の訴えによって行う。親権を行う母がないときは、家庭裁判所は、特別代理人を選任しなければならない」により嫡出否定の訴えを裁判で起こすことも可能である。

 「生活保持義務と生活扶養義務について」

民法では、「夫婦間扶養義務(未成熟子扶養義務を含む)は親族間扶養義務とは明確に区別される」「夫婦間扶養義務・未成熟子扶養義務は、夫婦関係・親子関係の存立・維持に不可欠なものである」と解釈している。つまり、「生活を構成する最低限の構成単位」ということで、扶養にあたっては、夫婦間扶養義務・未成熟子扶養義務として前述の「最低限の生活構成単位」を守ることを「生活保持義務」と概念付けている。必然的に生じるもの、と考えても良いかもしれない。これに対して、一般的な親族間扶養義務は「生活構成単位が異なる親族が、補完的に他の親族の生活構成単位の面倒を見る」といったイメージになり、こちらを「生活扶助義務」と概念付けている。偶発的・一時的に生じるもの、と考えても良い。

事実婚によって少子化が進んでいるとは考えられないだろうか。事実婚では法律上結婚をしていないので別れても戸籍に傷がつかない。これによって別れやすいため子供を産んでしまうと別れたときにシングルマザーかシングルファザーになってしまうため子供を産むことをとまどってしまう。むしろ子供ができてしまったから別れるなどという無責任かつ傲慢な親もこの世には存在するのだ。だから事実婚というのは民法上では認められていないが内縁関係とは同棲とほぼ一緒なのではないだろうか。

内縁と同棲の違いは内縁では法律上の夫婦とほぼ同様の権利を有す。したがって、婚姻費や養育費を請求できる。同棲とはただの男女の共同生活にすぎないので何の権利も持たない。よって内縁と同棲はまったく持って別物であった。だがシングルマザーになってしまった場合にはどうすればいいのか。生活保護を受けるべきである。

 生活保護を受けるには大きく4つの条件がある。1.援助してくれる身内がいないこと 2.資産を持っていないこと 3.何かしらの都合で働けないこと 4.1〜3を満たしかつ月の収入が最低生活費を下回っていることである。母子家庭の場合や収入が低い人も基本的に受けられる。ただし、被保護者は生活を制限されてしまう。生活保護には生活保護法という法律があり規則が決まっている。

 

「まとめ」

 やはり夫婦別氏での婚姻意思はないと考えるのが妥当である。婚姻意思は実質的意思説と形式的意思説がある。実質的意思説とは夫婦となる意思があるものにだけのみ効力を認める説で、形式的意思説とは夫婦となる意思がないものにも効力も認めるものであるが、これで考えると実質的意思説をとるべきだと思う。形式的意思説では効力を認める範囲がどうしても広くなってしまう。また上記で記したようにメリットとデメリットを比べてデメリットが多すぎるため事実婚はやめておいたほうがよいのではないか。だが人にはいろいろな問題を抱えている人がおり一概に事実婚を否定することもできないだろう。つまり一部は黙認してもかまわないという考えにいたった。

 

 

 

 

田所祐樹

結論

夫婦別氏について今現在、法の下では認められていません。私も、婚姻意思があるのならば夫と妻の氏は統一すべきだと思います。

◎婚姻成立後、夫婦間にはどのような人的法律関係が生じるのか?

 ・夫婦の同氏

 ・同居義務、協力扶助義務

 ・貞操義務

 ・夫婦間の契約取消権

◎夫婦別氏の現状

 現段階では、婚姻届けを出すには必ず両名がどちらか一方の姓を名乗らなくてはいけません。つまり、夫婦別姓では結婚できないことになります。夫婦別姓を目指す先達は、三つのタイプがあるといわれていますがまず一つ目は

(1)事実婚主義

婚姻届は出さずに一緒に暮らすという手段をとっている場合。

別の見方をすれば、内縁関係、長期同棲ともいえます。

  (2)一時的に結婚届タイプ

  必要な時一瞬だけ婚姻届けを出して、再度(手続き上)離婚するという方。

  「必要なとき」とは子供が生まれる直前や、生命保険に加入するときなどでしょう。

  (3)通称タイプ(婚姻届は提出)

 夫婦別氏では、このパターンが一番多いと私は思います。しかしこれでは、運転免許、健康保険書、役所からの通知など公の書類では一切、      夫婦別姓は実現しません。また、嫡出推定無効になり子供の氏も全員、夫婦どちらか一方のものとなってしまいます。

そもそも夫婦別氏はそれぞれのアイデンティティが主な問題だと私は思います。

 

◎夫婦別姓にとってのメリット、デメリット

 メリット

1 さまざまな社会的手続きを必要としない

2 女性の仕事の障害にならない

3 気を使わずに自分の親も大切にできる

4 改正による自己喪失感を味あわなくて済む

5 「嫁」と言わなくて済む

6 男性の姓を強制されずに済む

7 悪しき家長制度の名残なのですべて消すべき

8 「婿」と呼ばれなくて済む

9 嫁姑問題が軽減する

10 娘を奪われるような感覚にならないで済む

11 個性が失われない

12 所詮は他人

13 いい意味でも悪い意味でも結婚前とは変わらない

デメリット

1 子と片方の親の姓が異なってしまい、家族一体感を損ねる

2 夫婦関係を証明するために、いちいち書類が必要になる

3 家族構成がわかりにくい

4 離婚時の子供の姓でもめる

5 戸籍が判らなくなるので、誰が、誰だか判らない事態になる

6 兄弟、姉妹によって姓が異なってしまう

7 名前が変わるのって案外スムーズで特に支障がない

8 両方の両親の間での孫の取り合いが起こる

9 子供が混乱する

10 いつまでも他人のよう

11 誰の奥さんで、誰の子供かわからなくなる

12 お墓を守れなくなる、先祖も判らなくなる

◎扶養義務違反

 親子などの直系親族間および兄弟姉妹間には,扶養義務があります。扶養義務には,「生活保持義務」と「生活扶助義務」があります。

生活保持義務」は,自分の生活を保持するのと同程度の生活を被扶養者にも保持させる義務であり,たとえば,お茶碗一杯分のご飯しかないときでも,半分を分け与えなければならないような義務です。夫婦間の扶養義務および親の子どもに対する扶養義務は,「生活保持義務」とされています。他方で,「生活扶助義務」は,自分の生活を犠牲にしない限度で被扶養者の最低限度の生活扶助を行う義務です。

 

◎夫婦別氏において自分の考え

 文頭にも記した通りやはり私は夫婦の氏は統一するべきだと思います。夫婦二人の考えもありますがやはりそこは子供優先に考えるべきではないのかと思います。

子供が成長して父親が法律上赤の他人なんて言われたら事実上父親だとしても納得がいかないと思うし、中途半端だと少なくとも私は感じてしまうから反対です。

 

◎夫婦別姓の老後

 夫婦別姓と言えど、やはり年を重ねます。老後の心配といえば年金です。

もし自身が認知症になってしまった場合、充分な年金をもらっているにもかかわらずその銀行口座から、公共料金の引き落としをしている口座にお金の移し変えが出来ない、その結果料金が引き落とされず電機や、ガスを止められてしまうことがあります。

当人は認知症にかかってしまっているので、お金の判断がつきません。或は老人ホームに入居して費用の引き落とし銀行口座を決めればホームで安心して生活できるでも、その手続きが出来ない、通常このような場合は配偶者や子供、孫が手続きをおこないます。

では夫婦別氏の夫婦に子供がいて、成人に達しているならばその子供が財産管理をできてしまうかもしれません。子供がいなかったら内縁の配偶者は手続き出来るのか?

これは、出来てしまうかもしれませんし出来ないかもしれません。そこで登場するのが「青年後見制度」です。

本人が財産管理できず、ほかに管理してくれる人を必要とする場合に、後見人を選任し、後見人が本人に代わって財産管理を行う制度です。

財産管理人を立てるといえばイメージしやすいかもしれません。裁判所が関与しますので、銀行が口座の手続きなどを拒否することは出来ず、財産の管理がスムーズに行えるでしょう。本人が事前に後見人になって欲しい人を選んでおくのが、任意後見。特に選んでいなかった場合に、それでも財産管理人が必要となり、(事後的に)裁判所に選んでもらうのが法定後見です。法定後見でも問題がないように見えますが、
法定後見ではいざ裁判所に後見の開始を申し立てるときに、
内縁の配偶者は申立人になれません。4親等以内の親族等に申立をお願いする必要があります。内縁の配偶者が後見人に選ばれる可能性はありますが、
そのスタートボタンが押せないわけです。任意後見では、内縁関係であっても後見人予定者として裁判所に手続きを行うことが出来ます。
但し、任意後見は事前に公正証書を作成しておかなくてはなりません。夫婦別姓の夫婦が互いを将来の財産管理人(後見人)にしたい場合は、公正証書で任意後見契約を締結しておく必要があります。

 

◎婚姻意思 判例

Yは、Xと結婚を誓う関係であったが、Xの両親の反対で結婚できないまま、Yは3度妊娠中絶をした。その後XYは同棲し、子Aを出産した。しかしXはBと結婚することになり、せめてAには嫡出子の地位を与えたい(準正)とのYの希望で、XはいったんYとの婚姻届を出してAを認知し、のちに離婚の手続をとることにして、Bと挙式し夫婦生活に入った。
判例は、婚姻には婚姻意思として「社会観念上夫婦と認められる関係を形成しようとする意思」が必要であるとします(実質的意思説)。この事例を見ると分かるように、社会通念から見て明らかに夫婦としての生活(同居など)をするつもりが全くないのに夫婦の共同生活には関係のない法律効果を欲して婚姻をしようとしても婚姻意思があるとはいえないとしているのです。

 

◎自分の考え

上記の判例について、あきらかに婚姻の意思がないと考えます。動機の錯誤で結婚したことにするのはやはり私もおかしいと思いますし妻からしてみても何か納得いかないのかなと思ってしまいます。

 

臨終婚の効力

婚姻が法律上有効なものとなるための要件には、実質的要件として @ 両当事者に婚姻意思があり A婚姻適齢に達していること、重婚でないこと、近親婚でないことなど、婚姻障害事由が存在しないこと(民法731〜737条) があり、形式的要件(成立要件)として、婚姻の届出があること(739条) があります。

実質的要件としての「婚姻意思」とは何を意味するのかをめぐっては、「実質的意思説」と「形式的意思説」の対立があります。

 

・実質的意思説とは、@ 両当事者において社会生活上(社会通念上)夫婦と認められる関係を形成しようとする意志の合致があり、A それが婚姻の届出という形式に表現されることによって、婚姻が有効に成立する  という考え方です。

 

・形式的意思説とは、婚姻が 在留・就労資格の取得、国籍の取得、遺産の相続権を与える などの目的を達成するための便法であって、実質的な夫婦共同生活を予定しないものであったとしても(=実質的意思説の@の要件が欠けていても)、婚姻にともなって派生する法的効果をわかった上であえて届出をするのであれば、婚姻は有効に成立するという考え方です。

 

◎判例

この3月14日に亡くなった俳優の宇津井健さん(享年82)が、亡くなった当日に、それまでの何年間か内縁関係にあった女性(80)と入籍されていたということです。

このような臨終に臨んだ者(多くは老人になるでしょう)の婚姻の届出であって、明らかに、将来に向けた実質的な夫婦共同生活を設定しようとする効果意思に欠ける場合を「臨終婚」といい、その婚姻としての法的有効性が問題になることがあります。

判例は婚姻について「実質的意思説」をとったものとされています。最判S44.10.31 「たとえ婚姻の届出自体について当事者間に意思の合致があり、ひいては当事者間に、一応、所論法律上の夫婦という身分関係を設定する意思はあったと認められる場合であっても、それが、単に他の目的を達するための便法として仮託さていたものにすぎないものであって、前述のように真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がなかった場合には婚姻はその効力を生じないものと解すべきである」

 

同性婚についての自分の意見

今現在、日本では同性結婚というものは認められていませんが同性結婚をしたいという人が少数います。最近では、アメリカが同性結婚を法律で認められましたが私はそのことに関して反対の意見をもっています。

その理由は、少子化が進んでしまうのではないかと思うからです。やはりどうしても男同士あるいは女同士だと子供ができません。代理出産というものも一つの方法としてありますが、やはり子供の立場から考えるとよくないと私は思います。海外で同性婚が認められている国が多数あるということに驚いました。

同性者を愛してしまうということは心理学的に人間である以上仕方ないことだとおもいますが、やはり結婚までは認めてしまうと二人の問題ではなく第三者(二人の子供)までの問題になってしまうから同性婚は法律で認めてはいけないと思います。

 

参考文書

ポケット六法、法学の基礎、家族

 

 

 

 

根本一紀

テーマ「夫婦別氏と婚姻意思」

夫婦別氏による婚姻意思はないものとする。

.婚姻意思

1.婚姻の成立

婚姻の成立要件は実質的要件と形式的要件に分けられ、実質的要件とは意思が中心で、民法ではそのほかにいくつかの消極的な要件である婚姻障害事由を規定している。形式的要件とは届出である。これらの要件のうち、実質的要件を欠いても、当然に婚姻が無効となるわけではなく、むしろ無効の原因は狭く限定されている。

2.当事者の合意

両当事者の意思の合意によって婚姻が成立するという意味で、当事者の意思は最も基本的な婚姻の成立要件である。これの明確な規定はないが、条文上の手がかりを求めるとすれば、民法7421号と、憲法241号が該当する。

3.判例と自分の意見

判例は一般的には実質的意思説の立場をとっているとされる。すなわち、社会通念という法的な評価とは切り離されたものを前提に婚姻意思を語るものである。最判昭和441031日は、嫡出推定に関するものであり、民法7421号から、「法律上の夫婦という身分関係を設定する意思はあったと認めうる場合であっても、それが、単に他の目的を達するための便法として仮託されたものにすぎないものであって、・・・・・真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がなかった場合には、婚姻はその効力を生じない」として、婚姻の効力を否定した。このような判例は、実質的意思説の立場を鮮明にしたといえる。もっとも最判昭和45421日のような臨終婚の例では、特に婚姻意思を問題とせずにその有効性を承認している。これは形式的意思説の立場をとったものであり、これに対しては、個人的には疑問を抱いている。なぜなら、両当事者の間に共同生活も夫婦としての性的関係の可能性もないのだとすれば、相続という法的効果をもたらす便法にすぎず実質的な婚姻関係などは成立していないと思うからである。

4.動機の錯誤による婚姻

錯誤の中でも人違いについては、民法7421号に規定されているが、この人違いの意味は明瞭ではない。それ以外の錯誤はどうなるのか。民法95条の適用があるとし、同条についての現在の判例の立場などを踏まえると、「そうではなかった」というのは、基本的には、動機の錯誤であり、それが表示されて、法律行為の要素」となっていると評価される場合に、錯誤無効が認められるということになりそうである。もっとも、そのように動機が表示されている場合であっても、民法95条の適用を認めることに対して、大方の見方は否定的である。錯誤の重大性に照らして判断するという考え方もあるが、民法95条を適用するとした上で、そのような重大性の判断をすることには困難が伴う。これらは、婚姻の解消の問題として処理するのが適切であろう。

.夫婦別氏

  1.内縁

内縁とは、婚姻の社会的実体はあるが婚姻届の出されていない男女の関係であり、事実婚主義と言い換えることもできる。定義すれば、「婚姻の実体を有する男女間の関係であり、婚姻の届け出を欠くために、法律上の婚姻が成立していないもの」となる。民法に則するならば、内縁は婚姻ではないという点を強調できるが、制定法のレベルでは、内縁について婚姻ではないという側面のみが強調されているわけではない。多くの特別法は、遺族給付に関する規定の中で、「配偶者(婚姻の届け出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)」が受給権者になるということが定められている(健保371号など)。つまり、その局面に限れば、いわば配偶者の概念が拡張され、「婚姻の届け出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」も、配偶者に準じて扱われているのである。これは、内縁が、単なる法律以外の概念として扱えば足りるものではないということを一方で示している。しかし、同時に、これらの特別法の規定が、もっぱら遺族給付に向けられたものであるという点も確認しておかなければならない。事故等が生じた場合に、一定の補償をしなければならないという局面において、婚姻の届け出の欠如という形式的要件のみで切断しないというルールなのである。このことは、補償が実態としての当事者間の関係を前提とするものであろうということから正当化されると考えることができる。その点では、そもそも婚姻法の問題ではなく、補償法の問題だと考えることもできる。したがって、例えば、「健康保険法」や「石綿による健康被害の救済に関する法律」の中で、「配偶者」という規定があるからといって、「配偶者=婚姻関係にある当事者並びに婚姻の届け出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」と一般的に定義することにはつながらないであろう。

2.準婚理論

婚姻予約を媒体とする解決が、内縁についてのアプローチとして適切なのかという問題が出てきた。このような観点から、内縁を婚姻に準ずる関係(準婚関係)として理解して保護するという考え方(準婚理論)が提唱され、それが、通説的な地位を占めていくようになった。特に、内縁配偶者の損害賠償請求をめぐる問題や婚姻費用の分担に相当する問題など、不当破棄に解消されない類型で、判例が一定の保護を図る方向を示してきたことは、こうした問題を顕在化させ、判例自体が常に婚姻予約という法律構成によっているわけではないということを再確認させることになった。こうした流れの中で、最判昭和33411日は、内縁の不当破棄の事案についても、従前の婚約予約不履行の理論による処理を認めた判例を踏襲することを確認した上で、「いわゆる内縁は、婚姻の届け出を欠くがゆえに、法律上の婚姻ということはできないが、男女が相協力して夫婦としての生活を営む結合であるという点においては、婚姻関係と異るものではなく、これを婚姻に準ずる関係というを妨げない」として、婚姻不履行を理由とする損害賠償をできるとしたのである。

3.婚姻ができない当事者(同性婚

婚姻障害として規定されているわけではないが、現在の一般的な理解によれば、同性間での婚姻関係は認められていない。妻と夫という概念を用い、子の出産を前提とする民法の規定。さらには、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するとする憲法241項が、その法的根拠として挙げることができる。近時の比較法的な動きとしては、それを肯定するという法秩序も登場している。ここでは、1.同性の婚姻を認める、2.同性について婚姻は認めないが、婚姻に準ずるようなパートナー関係を法制度として用意する、といったものに分かれている。この問題の基本的な視角は、婚姻に準じて扱うのか(準婚理論)、あくまで契約の問題として解決するのかという、いずれの方向で考えるとしても、現在の婚姻法秩序が、こうした同性間の関係を排除しているものなのかという点が、重要になってくる。現行民法が、異性間の関係のみを前提としているということから、直ちに答えが導けるわけではない。これは、単に、現行の法秩序が、異性間の関係としての婚姻という制度を用意しているということにすぎず、問題は、現行法に用意されていない、そうした同性間の関係をどのように位置づけて、法的に扱うか、ということである。私個人の意見としては、地方自治体レベルでの婚姻制度の変更を進めていくのがいいと考える。民法を変えることには時間がかかるのだから、まずは地方から行うべきだ、と思う。婚姻には、夫婦は相互に生活保持義務を負担する、民法752条の「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」という同居義務があり、夫婦の概念を少し広げれば、同性婚は十分成立させることが可能だと考えている。社会秩序という観点から、異性間の婚姻以外のこうした関係を認めないとする考え方もありうるだろう。もっとも、キリスト教において、ソドミーの禁止の対象として扱われ、かつては刑罰をもって禁止されていた西欧諸国に対して、歴史的に見れば、日本では同性愛に対する社会的禁忌は必ずしも強くなかったとする見方もある。

4.夫婦同氏の原則

民法750条は、「夫婦は婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と規定している。これを夫婦同氏の原則と呼ぶ。この原則をめぐっては、圧倒的多数が婚姻の際に夫の氏を称することを選択しているという現実の中で、婚姻により氏を変更しない自由を認めるべきだとの要望が高まった。そこで、法制審議会が平成82月に採択した婚姻法改正要綱の中で、選択的夫婦別姓を導入するとの提案を行った。しかし、これに対しては多くの異論が出され、いまだ法改正には至っていない。戸籍には、戸籍の同一姓を示すものとしての筆頭者がいるが、これはその氏を称することとなった配偶者がなる。

.自分の意見

  婚姻意思があるのに夫婦別氏を希望する場合、現行民法の規定では婚姻を認めることはできない。それについては同意見である。そもそも夫婦で同じ氏を名乗ることによって、社会的に夫婦と認められるのであり、別氏では認められない。アメリカのように互いの名字を融合させて新しい名字にするということは、戸籍がないからこそのものであり、戸籍制度がある日本においてそんなことをしたら混乱を招くことは想像に難くない。そのため、別氏を希望する夫婦は内縁の関係になるしかない。日本では婚姻をしていない内縁関係の夫婦は、社会保障の恩恵を受けることが難しく、それが、今日の少子化に関係がないとは思えない。フランスのように事実婚カップルにも、既婚者と同じ待遇になる制度を作ればいいのだが、法律婚主義を前提に作られている現行民法において、現行制度において、それを望むことは難しいことではないが、制度の変更は、法律の根幹を変更しなくてはならないためほぼ不可能に近い。特に現在の国会に求めることは愚の骨頂である。安保法制や集団的自衛権のような、外交関係に力を注ぐのではなく、婚姻制度の見直しや社会保障制度の抜本的見直しをしないことには、この国は滅んでしまう。現行民法で内縁や夫婦別氏が認められないことは古すぎる考えによる弊害であると私は考える。

 

出典

民法W[補訂版]親族・相続 内田貴 東京大学出版会

家族法 民法を学ぶ 第2版 窪田充見 有斐閣

家族法判例百選[7] 水野紀子・大村敦志・窪田充見 編  有斐閣