田村瑞貴
帝京大学 法学部法律学科 14J110015 田村瑞貴
今後、天下りがなくなることは、十中八九ないだろう。
1 法人
法人とは、自然人以外の法律上の権利義務の主体となることができるものである。しかし、法人と一口に言っても多種多様であり、その一つ一つにまた違った役割があるのだから、意味を理解しただけで法人を分かった気になるのは早計と呼ぶべきだろう。
列挙するだけならば容易く、「公法人と私法人,社団法人と財団法人,営利法人と公益法人と中間法人,外国法人と内国法人」となるが、これではやはりその正体を掴み損ねてしまう。
そこで私は、事件を例に挙げながら、法人の種類について紐解いていこうと思う。先に言っておけば、前述した全てを取り上げるわけでなく、今回は、「営利法人」「公益法人」について考えていこうと思う。
(a)八幡製鉄所事件
法人の分類は、ただの称号ではなくそこには歴然とした意味がある。やること一つにしても、法人が違うだけで判決は変わってくるのだ。
八幡製鉄所事件は、会社による政治献金が適法であるかについて争われた事件である。
八幡製鉄所は、法人でいうところの「営利法人」にあたる。
この事件は、法人の人権がどこまで認められるのか、と注目を集めたものである。そこで争点となったのは、民法34条の目的は範囲内であるか否かという点だ。
「第34条(法人の能力) 法人は、法令の規定に従い、定款その他の基本約款で定められた目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う。」
最終的には営利法人の政治活動、その一環としての会社による政治献金が認められた。すなわち、目的の範囲内であった、ということである。
しかしながら、この判決のように、すべての法人が自由な政治活動を認められる、わけではないことは押さえておかなければならない。
以上を踏まえたうえで、次の事件を考えていこうと思う。
(b)南九州税理士会事件
南九州税理士会事件は、南九州税理士会に所属していた税理士が、政治献金に使用する「特別会費」を納入しなかったことを理由として、役員の選挙権を与えられなかったという事件である。
南九州税理士会は、法人でいうところの「公益法人」にあたる。
この事件は先の八幡製鉄所事件と同じく政治献金を巡る争いである。だが、最高裁の下した結論は八幡製鉄所事件とは異なり「目的の範囲外」として、認められないとした。
双方の事件は同じでありながら、結論は大きく分かれている。そして、その二つにある違いは「任意加入の団体」であったか「強制加入の団体」であったかという点だ。
八幡製鉄事件の株式会社の構成員株主は、会社の方針が気に入らなければ株式を譲渡して自由に脱退できる任意加入の団体であるが、代わって税理士会の税理士は、税理士会から脱退すると税理士業務ができない強制加入の団体なのである。
だからこそ、強制加入団体については、個々の構成員の権利・自由をより尊重したため、団体による同じ政治献金行為なのに結論が別れることとなったのだ。
この判決に私は、頷くことができる。その理由も、例えば義務教育である中学校のある教室で、強豪として全国に名の知れ渡るサッカー部に、クラスメイト全員で援助費、すなわちお金を出し合おうなどといった提案を教師がしたのならば、果たして満場一致となるだろうか。中には、サッカー部に一銭も払いたくないといったことを考える人もいるかもしれない。銘々が満足のいく回答を出せるかといったらそうではないが、しかし、義務教育で通っている学校で強制的に嫌々ながらお金を出さなければならないのは、首を傾げる。勿論、資金援助を拒否すれば雰囲気次第で村八分にされるかもしれないが、論点がずれないよう、今回はそこには目を瞑る。
以上のことから鑑みて、私はこの判決に得心がいった。
しかし、強制加入団体でありながら、金銭徴収することを認めた事例もある。
(c)群馬司法書士会事件
群馬司法書士会事件は、阪神大震災によって被災した、司法書士および司法書士会の復興を支援するために、復興支援拠出金を、阪神大震災救援司法書士対策本部に拠出するということで金銭徴収を行った事件である。
群馬司法書士会は、法人でいうところの「公益法人」にあたる。
この事件は、八幡製鉄所事件や南九州整理士会事件とは異なって、「政治献金」ではなく「災害援助」である。結論は、拠出金の寄付は司法書士会の目的の範囲内といえる、として認められた。
だが、私はこの判例を見て疑問がふと脳裏によぎった。
「政治献金」は認められず「災害援助」は認められる。両者は目的が違うにしろ、接収なのではないか。確かに、政治献金より災害援助の方が聞こえがいい。募金に似た響きを持っていると思う。けれど、今回は自主的なものではなく、強制的なものなのだ。考えても見てほしい。
コンビニのレジ横に置いてある募金箱。そこには、「勉強のできない子に学校を」と書いてあり、透明な募金箱の真ん中あたりまで小銭が入っている。本来、買い物を済ましお財布を出しているついでに小銭を投入する、または端数で出たお釣りをそのまま中に入れることが定石だろう。だが、その募金箱のサイズがゴミ箱ほどで、「お釣りは全てこの中へ」と書いてあり、溢れんばかりの小銭が入っていたらどうだろうか。なぜだろう。ひどく嫌なものを見てしまった気分になる。
些か大仰な例えであるが、心持的にはこのようなものだ。定かではないが、訴訟を起こした人たちもこのような考えを持っていたかもしれない。
しかし、今回の災害援助は、あくまで「拠出金」なのである。
辞書によれば「拠出、醵出とは相互扶助のために金銭や物品を互いに出し合うこと」なのだ。重要なのは「相互扶助」だと考える。これが意味することは実に偉大だ。募金と決定的な差異がこれによって生まれた。
募金は一方的な援助である。けれども拠出金は、お互いに助け合うものだ。
そして、最高裁第1小法廷では、控訴審の判断を受け入れ、本件の拠出金を、個人的・物理的被害に対する直接的な金銭補填または見舞金という趣旨ではなく、司法書士の公的機能の回復を目的と判断し、また金額についても、阪神大震災の被害の大きさや、早急な支援の必要性などを判断して、本件決議の効力を認めた。
しかしながら、司法書士制度の目的を達成するための拠出金であったとしても、やはり自主的なものにすべきだったのではないか、という考えは拭えない。判例は確かに筋が通っているように感じる。しかし、しつこいようだが「災害援助」こそ募金のように募るものなのではないかと考える。
2 公務員
公務員といえば、将来の安定した職業だろう。
しかし、そんな公務員だからこそ、政治的行為や労働基本権の制限などの事件が存在する。そこで、私はその事件の判例から公務員のあり方を検討する。
(a)猿払事件
猿払事件とは、北海道宗谷郡猿払村の郵便局に勤務する郵政事務官が、1967年(昭和42年)の衆議院議員総選挙に際し、日本社会党を支持するポスターを掲示し又は配布したという事実で起訴された事件である。最高裁は、有罪とした。
国家公務員法102条1項に違反するとして起訴された事案であり、条文には、
「国家公務員法102条1項【政治的行為の制限】職員は、政治又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らかの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。」
とある。けれども、公務員のポスター配りがそこまで大きな影響を与えるようには到底思うことができない。まして、業務時間外でのこういった政治行為すら規制されてしまうのは非常にもどかしい。これではまるで公務員であることは、自由を奪われていることにも感じてしまう。だからこそ、私は業務時間外においては、公務員にも政治活動を認めるべきであると考える。
(b)全農林警職事件
全農林警職事件とは、昭和33年に警察官職務執行法改正案が衆議院に上程された際、これに反対するとして、所属長の承認なしに正午出勤するなど労働争議のあおり行為を行なり、当時の国家公務員法第98条5項違反として、組合幹部が刑事責任を問われたものである。一審はあおり行為を合憲限定解釈して全員無罪としたが、二審は逆転して全員有罪となり、最高裁判所大法廷は、被告人の上告を棄却した。その理由は、労働基本権の保障は公務員にも及ぶが、それを制限する国家公務員法の争議行為の一律禁止規定は、憲法18条・28条に違反しないというものである。
この事件は先の猿払事件と同じように公務員であることによって「制限」されている。
しかしながら、猿払事件とは違い、こちらは業務を放棄しているのだ。
私の考えでは、勤務時間であれば公務員は公務員としての業務を全うしなければならないと思う。勤務時間外であれば、銘々の趣味嗜好にあてることは一向に構わないと思うが、しかし、勤務時間となるとその間の仕事を放棄することなり公務員としての責務を果たしていない。そうなると、やはり最高裁の判決は正しかったのではないかと考える。
3 まとめ
天下りがなくならない理由は、内部統制にある。裁量が大きければそれだけ、天下りは起こりやすく、それは法人設立の難易と反比例している。
例えば八幡製鉄所は準則主義であり、登記・届出をするだけでよく、裁量はない。南九州税理士会は、許可主義にあたり役所の許可が必要で、裁量も伴ってくる。
さらに、同期が事務次官に出世すると、他の同期は天下りして身を引くのが長年の慣習である。
こういったメカニズムがあるからこそ天下りは起こるのだ。
天下りを根絶するのに最も単純な方法の一つは、公務員の再就職を一律に禁止することであるが、単純に再就職を禁止することは個人の就業の自由および職業選択の自由を不当に制限し、憲法に違反するもので問題があるという点と、民間企業・特殊法人等からも「官庁を退職した優秀な人材を雇用したい」「官庁に対する必要な情報を得たり、人脈を作りたい」などのニーズがあるので実施は難しい、のだという。
こうした天下りの背景を知ると、天下りの根を深く、一筋縄ではいかないことが分かる。
やはり、今後天下りがなくなることは、十中八九ないだろうと私は考える。
出典
猿払事件「https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E6%89%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6」
法人とは―法律用語「http://www.weblio.jp/content/%E6%B3%95%E4%BA%BA」
群馬司法書士会事件「http://ameblo.jp/ut-liberi-esse-possimus/entry-10235766251.html」
志賀えりか
今回法人と天下りのレポートを書くにあたり、天下りはあっても良いのではないか、という結論に至った。
授業の補足としてインターネットによる天下りに対する賛否の記事をいくつか見たが、多くの意見が反対の一点張りだった。しかし、一方賛成派の中で「天下りそのものは否定する必要はない、その周りにある仕組みが余計なのだ」と記載されていた。以下、天下りの必要性と批判点について法人に触れつつ述べていく。
1.天下りの有無は法人の種類にあり
そもそも天下りとはなにか、私自身よく分かっていなかった為、辞書で調べると、「退職した高級官僚などが外郭団体や関連の深い民間企業の相当の地位に就任すること」とあった。つまりある職を全うしていた人がそこに関連した職に再就職できる制度と私は捉えた。
では、どの職が天下りしやすいのだろうか。法人は公法人と私法人に分かれ、さらに公法人は特殊法人(特許主義)と認可法人(認可主義)、私法人は公益法人(許可主義)と営利法人(準則主義)に分けられる。そして自身の意見で取りさばき処置をする裁量の大きさ、また法人設立時の特色によって天下りのしやすさは変わってくる。裁量もなく届出・登記をするだけで容易に法人設立する営利法人(準則主義)は天下りになりにくい。この法人には株式会社が含まれている。逆に特殊法人の一種である独立行政法人(特許主義)や公益法人(許可主義)といわれるものは特別法による縛り、役所の許可など制約が厳しい。こういった法人では天下りしやすいとされている。
2.法人の違いによる判決
前項で法人に触れたため、ある二つの判例を比べ、より法人の差別化を図りたいと思う。
法人関連で重要視される判例は昭和45年6月24日最高裁判決の「八幡製鉄所政治献金事件」と平成8年3月19日最高裁判決の「南九州税理士会政治献金事件」である。事件の名前を見れば分かるが、政治献金を認めるか認めないかが争点となっている。八幡製鉄所の場合、法人の人権享有主体性を認めた初めての判決とされているのだ。最高裁の根拠は根拠としては、現代社会にとって法人は欠くことのできない重要な存在であり、その法人に人権を認めることは社会的実益が十分にあるとする。しかし人権の基本主体は自然人であり、法人は一定の制約を受けざるを得ない。その意味から「性質上可能な限り」、法人の人権享有体性を認めることになる。営利法人であった八幡製鉄所は法人の権利能力内と解され、政治献金が認められた(つまり控訴人勝訴)。
一方南九州税理士会事件の場合、政治献金は認められなかった(つまり原告勝訴)。この二つの事件は判決が異なっている、なぜか。決定的な違いは税理士会が強制加入団体ということだ。つまり、税理士として生計を立てていくには、税理士会の加入が義務であり、脱退することは税理士としての仕事が出来ないということである。税理士会という団体には各会員に課す協力義務には場合によっては、人権侵害にあたることがあるとしている。八幡製鉄所は民間企業のため、強制加入団体ではない。日本では特定政党や政治団体への政治献金行為は、各人の思想などにおいて各人で自主的に決定する類のものであり、選挙権における投票の自由を侵害しうるものであると判断している、よって寄付目的で会員から会費を徴収する旨の決議は無効と判断し、政治献金は目的の範囲外としたのだ。
この二つの判例を見た時に、私は八幡製鉄所の判決には少し無理があるように感じた。民法第34条「法人は、法令の規定に従い、定款その他の基本約款で定められた目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う。」とあるにも関わらず、営利(お金儲けのための)法人と公益(国民のための)法人という違いだけで目的の範囲が変わってしまってよいのだろうか。
確かに法人は自然人の集まりであり、法人に人権を与えることによって、間接的にはその法人の構成員に帰属するとも考えられる。法人の人権を認める、ということは間接的に構成員の人権を保障していると言え、法人にも人権はあった方が良いものとされている。しかし法人に当てはまらない人権(選挙権など)があるため、法人に馴染みそうな人権を可能な限り認めていくことにしているのが、最高裁の考えである。日本国憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」にもあるように、構成員が全員同じ政治団体を応援しているとは限らないのに、その自由を蔑ろにしているとしか思えない。判例から読み取るに、容易に法人設立した会社にもとから強制加入の義務がないのだから、臨時の時くらい協力しろ、そうすることでこの会社は安泰するのだ、と解釈できた。八幡製鉄所の方も上記二つの条文をベースに進めれば政治献金は認めない、という判決に傾いていたのではないかと思った。
また、上記の法人という概念からは逸れてしまうが、昭和49年11月6日最高裁判決の「猿払事件」と昭和48年4月25日最高裁判決の「全農林警職法事件」の判例にも触れておきたい。こちらはどちらも公務員の行った業務に対する判例であり、前半にあった「人権」について様々な角度から判決を行った。
猿払事件で問題となったのは、国家公務員法102条1項が「人事院規則で定める政治的行為をしてはならない」と規定するだけの包括的委任であったにも関わらず、本件は最高裁判決で特定委任とされ公務員の政治活動を禁止している国家公務員法及び人事院規則が憲法21条の表現の自由に合憲である、と判決した。
この判決には正直納得がいかない。政治活動の自由は重要な人権であり、ここを制限されてしまうと民主政の過程に大きな傷がつく。しかも「公営掲示板」に「勤務時間外」による活動だったにも関わらずそれすらも合憲限定解釈されてしまったのは残念で他ならない。調べると、この頃は公務員に対しての風当たりが今以上に強かった為、無理やりにでも合憲にしてやろう、という考えだったようだ。中立立場である裁判所が世論の風潮にあらがえなかった結果がこの判決なのだろう。
この判例と関係しているのが全農林警職法事件である。全逓東京中郵事件以降公務員の労働基本権は緩めの規制となった。社会に関するに足らぬストライキは罰しないとした部分禁止は合憲限定解釈とされる。しかし本件では抽象的な概念をもとに大きな枠で公務員の争議行為の処罰を合憲としている。
本件も猿払事件同様、公務員の政治に対する自由を公務員という枠組みのせいで、抗議を政治ストライキとしているあたりが如何なものかと思う。確かに公務員は国や地方の代表として国民の模範とならなければいかないかもしれないが、一国民として政治に関わる立場である以上、政治の自由は平等にあるはずである。公務員だからとあれこれ規制するような法律こそが違憲なのではないだろうか。
3.天下りの本来あるべき構造
判例からも分かるように、法人による扱いが異なることが分かった。
では天下り自体は実際のところ残すべき制度なのか、それとも廃止すべき制度なのか。以下は天下りのメリット、デメリットを箇条書きにまとめたものである。
天下りのメリット
・出世できない官僚に早期退職してもらい、若い人材に入れ替える。
・官僚時代につちかった経験や知識を、民間企業で活かす。
天下りのデメリット
・汚職・癒着が起こる。
・天下り先のポストをつくり、何をするにもそこで一度足踏みするため、仕事が進まない。
天下りは以前の職を全うした人が民間企業でも業績を上げることができると期待されている。もちろんこれらの法人は国関係の機関のため、その機関から来た人を受け入れ良いポストに就けることでその企業は国からのバックアップが狙いやすいこともあるだろう。組織の若返りや官僚の能力の有効活用という面は官僚、民間双方で必要な手段だと思う。せっかく官僚に入ったのに能力が開花しないまま去ってしまうような宝の持ち腐れや、何も分からず右往左往して儲けられない民間企業がたくさんあってはいけないだろう。
こういったメリットがあるにも関わらず、「天下りは悪」とする意見が多いのには理由がある。次にその理由を見ていく。
天下りの問題点、批判点は大きく二つが挙げられる。一つ目はデメリットにもあった汚職・癒着である。二つ目に複数の企業を渡る人にとっては、退職金が重複して支払われ、退職金が無駄遣いされていることと、天下りポストを確保するということそのものが目的化されることにより、そのことによる税金の無駄遣いが指摘されている点がある。
こういった悪い面ばかりが目立ってしまい、天下りは人や金について、資源の無駄遣いをしている、だから天下りは廃止すべき制度なのだ、という意見が駆け巡っているのだ。ならば簡単に廃止にすることができるかといわれると、そうはいかない。公務員の再就職を止めた場合、憲法22条にある職業選択の自由に引っかかるし、かといって定年までいられるようなポストは官庁では用意することが難しいとされている。政務次官レースに敗れた人にとってモチベーションを下げることなく、どういうキャリアパスを構築していくのかを考えなければいけなく、天下りはずるずると流れてきてしまっているのだ。
何も天下りを無くすことはないと私は考える。国民が一番迷惑しているのは金の問題である。ならば、どうしてそこを中心的に直そうとしていかないのだろうか。
天下りによる汚職・癒着を止められるのは、内部統制という仕組みなのではないだろうか。
ここで内部統制について簡単に記述すると、会社が私利私欲に走らないために、健全な会社経営をしていくための仕組み・手法のことである。権限を委譲し、役割分担を決め、事故を予防するために、会社内に様々なルールが必要となる。この「ルール」こそが、内部統制である。外部の人間に管理してもらうのではなく、会社内部で、きちんと統制が取れる状態を維持することが内部統制の意義なのだ。
これが無いと業務の非効率化、不祥事の温床、不明瞭な財務データが主としてあげられる。つまり内部統制は天下りによる多重退職金の管理などもできるはずである。健全な会社をつくっていくための統制にも関わらず、天下りによる金の問題が露骨に表れていては、天下り自体が悪くなるのも当たり前である。内部統制することは金の管理や事業を円滑にするためすべて正確に行うのは難しいかもしれない。だが、まずは問題となっているところを潰してからでないと、新しい改革をしようにもうまくいかないだろう。
天下りのすべてを悪と見なさず、周りを見渡すことで新たな改善策が見つかるのではないだろうか。国民が自分の就いた職業に誇りを持てるような社会になってほしいものだ。
了
【引用・参考文献】(閲覧日すべて2015年7月29日現在)
・「わかるニュース 天下りは悪なのか?メリットとデメリット」
http://wakaru-news.com/parachute/4072/
・「日本国憲法の基礎知識」
→八幡製鉄所政治献金事件:http://kenpou-jp.norio-de.com/yahataseitetu-jiken/
→南九州税理士会政治献金事件:http://kenpou-jp.norio-de.com/zeirisikai-jiken/
→猿払事件:http://kenpou-jp.norio-de.com/sarufutu-jiken/
→全農林警職法事件:http://kenpou-jp.norio-de.com/zennourin-jiken/
→全逓東京中郵事件:http://kenpou-jp.norio-de.com/zenteitokyocyuyu-jiken/
→法人の人権享有主体性:http://kenpou-jp.norio-de.com/houjin-kyoyu-syutai/
・「公務員の歴史 天下り規制の動き」
http://www.government-worker-history.com/history-civil-servants/parachute-regulations/
・「内部統制って一体何だ?」http://naibu.mayunet.com/
澤井佑斗
基礎教養演習T
期末レポート テーマ:法人制度と天下り
帝京大学 法学部 法律学科
2年10組 澤井佑斗(14J110023)
私は、法人の種類によって最高裁の判決が異なることに疑問を感じた。最高裁が異なった判決を下したことについて、私は、法人設立の要件が関係しているのではないかと考えた。さらに、公務員という保障された身分にどのようなものが関わるのか考えた。
法人の種類によって異なる最高裁判決
レポートのテーマにもなっている八幡製鉄、南九州税理士会はともに法人として設立されている。前者は営利法人、後者は公益法人である。また、これらの法人の事件は政治献金が問題とされた。しかし、この二つの事件での最高裁の判決は対照的なものであった。まず、八幡製鉄事件では、八幡製鉄(現在の新日本製鉄)の代表取締役が自民党に対して、政治資金を寄付した際、同社の株主が、この政治資金寄付行為は同社の定める所定事業目的の範囲外の行為であるとして、商法違反として会社が被った損害に対する取締役としての責任追及のための訴えを起こすよう求めたが、会社は訴えを起こさなかったので、自ら会社に代位して寄付行為をした取締役に対して、寄付金分の資金と遅延損害金を会社に支払う提起をしたというものであった。ここで争点となるのは、会社は自然人同様、憲法の保障する人権を享受するかということである。一審は原告の請求を容認したが、二審では一審判決を取り消し、控訴人の主張を認めた。最高裁の判決は、政治献金を法人の行為能力内とし、政治献金を認めた。しかし、最高裁は南九州税理士会事件の際は、異なる判決を下した。南九州税理士会事件では、強制加入の公益法人「南九州税理士会」が、税理士法改正が業界に有利に働くように、南九州各県税理士政治連盟への政治資金として、特別会費を徴収する旨を決定したが、この決議に反対した税理士が会費納入を拒み、当該税理士会は、当該税理士を会則で定められた会員滞納者に対する役員の選挙権および被選挙権の停止を行使したことにより、当該会員税理士は、会費納入義務の不存在および損害賠償請求訴訟を提起した事案である。ここでの争点となるのは、政治団体への政治資金は、強制加入である税理士会の目的範囲外の行為かどうかというものである。現民法34条に記載されている法人の能力に、法人の行為能力は定款(社団法人の場合)または、寄付行為(財団法人の場合)に定められている目的の範囲内において、その権利義務があると規定されている。法人というものは、法律によって民法上の権利能力、行為能力というものは認められているが、その法人の行為や権利は、当該法人の定款や寄付行為に定められている範囲内においてのみ、法人としての行為が認められている。この南九州税理士会事件の裁判で争点となっている、「目的の範囲外」というのは、南九州税理士会という公益法人の行為、つまり、政治団体への政治献金は、民法34条でいうところの「目的の範囲」内の行為なのか、それとも、「目的の範囲」外の行為なのかということである。目的の範囲外の行為であれば、民法違反、無効となるので、当該会員税理士が南九州税理士会から受けた会員滞納者に対する役員の選挙権および被選挙権の停止の罰則は、違法行為ということになる。第一審は南九州税理士会の政治献金行為は目的の範囲外と認定するも、第二審では、目的の範囲内と認定された。ここで、ほとんど同じ事例として、先ほど述べた八幡製鉄事件がある。二つの事案の結果、認定ともに異なるのはなぜか。この南九州税理士会事件の判旨のポイントは税理士会が強制加入団体であるということである。税理士会は、そういった性質の団体であるので、各会員に課す協力義務には人権侵害に当たる場合があるとしている。しかし、八幡製鉄は、一般の民間企業であるので、強制加入団体ではない。特に、特定政党や政治団体への政治献金行為は、各人の思想など、各人で自主的に決定する類のものであるので、選挙権における投票の自由を侵害しうるものであると判断している。そして、南九州税理士会事件の最高裁判決は、寄付のために会員から特別会費を徴収する旨の決議は無効と判断され、政治献金は目的の範囲外に当たるという判決を下した。
法人の違いと内部統制の役割
ここでの営利法人と公益法人の違いは何か。営利法人は営利を目的として設立される法人であり、公益法人は営利を目的とせずに公益事業を行う、国に認められた法人である。さらに、この両者には設立する際に準則主義と許可主義という考え方がある。前者は、行政機関の裁量や許認可によらず、法律の規定に則っていれば法人格が付与されるというもので、許可主義というものは、反対に行政機関の許認可が法人設立に必要であるという考え方である。今回の事案の八幡製鉄の設立は、準則主義によるもので、公証人役場などで認証を受け、法務局に持ち込めば法人設立が可能となる。しかし、南九州税理士会は許可主義の対象となるため、法人設立の際、認可が下りるまでに時間がかかる。このように、各法人の設立要件が異なるというのもここでの大きな違いである。法人の種類によって違憲か合憲異なる判決が下されるのは、公平性を保っているとは考えにくい。これには、天下りにも大きく関与している。法人の種類には、大きく公法人と私法人に分けられる。特殊法人と認可法人が公法人に分類され、公益法人と営利法人が私法人に分類される。また、法人設立時にかかる裁量の大きい順に、特許主義、許可主義、認可守備、準則主義に分けることができる。特に、裁量の大きい特許主義、許可主義においては、天下りが頻繁に行われている。さらに、法人の内部統制というものも重要となる。内部統制とは、会社の事業活動を行うために、必要不可欠なものであり、会社が私利私欲に走らないために、健全な会社経営をしていくための仕組みであり、手法である。会社の規模が小さいうちは、経営者が従業員の行動を把握することは難しくないが、従業員が増えていくと、経営者との間でコミュニケーションが取りにくいという問題が起こってくる。小さい会社では、経営者が全ての判断を行い、従業員を管理できるが、大会社はそうはいかない。そこで、権限を委譲し、役割分担を決め、事故を予防するために、会社内に様々なルールが必要になる。それが、内部統制であり、外部の人間に管理してもらうのではなく、会社内部で統制がとれる状態を維持するというものである。法人の内部統制では、政治献金や震災支援によるものは、公益事業としておこなわれている。
猿払事件と全農林警職法事件が合憲とされた理由
ここで、授業内で取り扱った、公務員による事案の猿払事件と全農林警職法事件について述べていきたい。前者、後者ともに最高裁の判決は処罰に合憲としている。私は、公務員という身分における身分保障が関与しているのではないかと考える。まず、猿払事件の事案は、被告人である北海道猿払村にある郵便局に勤務する郵便局事務官が、同地区の労働組合協議会事務局長をしている昭和42年の衆議院選挙の際、日本社民党を支持する目的をもって、同党公認候補者の選挙用ポスターを勤務時間外に公営掲示板に掲示し、そのポスター184枚を他者に依頼し配布した行為が、国家公務員法に違反するとして、稚内簡易裁判所より罰金の略式命令を受け、正式裁判を要求したものである。ここで争点となったのは、政治的行為の制限、つまり、公務員の政治活動を禁止している国家公務員法および人事院規制が憲法の表現の自由に違反していないかどうかというものである。第一審では、憲法21条、31条に違反するとして無罪となり、控訴審の札幌高裁も第一審を支持する形となった。争点となっている政治活動の自由とは、非常に重要な人権であり、不当に制限されると自己回復が困難になる。そうしたことから、政治活動に対する制約は必要最小限であることが必要である。最高裁の判決は、この罰金の略式命令の処罰を合憲とする判決を下している。次に、全農林警職法事件について述べていきたい。この事案は、昭和33年10月、当時の内閣が警職法改正案を衆議院に提出した際、その内容が警察官の職権濫用を招き、労働者団体運動を抑圧する危険が大きいとして、各種労働者団体が全国規模で反対運動されていたことにより、全農林労組も反対運動に参加することになり、被告人ら同労組幹部が職場大会の実施について、正午出勤の行動に入れの命令を出し、農林省職員の職場大会への参加を慫慂するなどしたこれらの行為が、国家公務員法に違反するとして、起訴されたものである。ここでの、直接的な争点は、公務員の労働基本権の制限、禁止法制の合憲性問題である。第一審は、被告人らの行為が強度の違法性を帯びない限り当該国公法違反とはならず無罪であるしつつも、第二審では、本件争議行為を「政治ストライキ」と解し、被告人を有罪判決であるとした。被告人は上告しつつも、最高裁はこれを棄却した。本件の特徴として、憲法28条の労働基本権は公務員に対しても保障が及ぶとしつつも、「公務員の地位の特殊性と職務の公共性」という見地よりも、公務員の論争行為の全面一律禁止を「勤労者を含めた国民全体の共同利益」によって正当化した点にある。こうした事案の中には、合憲限定解釈に基づくものがある。合憲限定解釈とは、違憲判断回避の方法の一つで、法律適用の前者となる法律解釈が一義的に決定できない場合、かつ、当該法律が違憲となる解釈が存在するような時は、合憲的に解釈する解釈方法のことを指す。萎縮効果の強い表現の自由については、法文そのものが複数の解釈を許すような表現になっている為、そのことが憲法的価値に違反すると考えられている。ここで述べた猿払事件の最高裁の判決が該当すると考えられる。
私は今回取り上げた法人の種類により異なった判決が下されたことについて、法人間の設立に関わる裁量が大きく関与していると考える。今回、政治献金問題により違憲となった南九州税理士会事件では、個人の思想・良心の自由が争点となった。税理士会への強制加入の場合、個人の思想や良心は関わることはない。税理士は生活するうえで、税理士会への加入を余儀なくされるのである。裏を返せば、税理士会への加入なしでは生活することさえ難しいということになる。また、公務員という身分が保障された事案の猿払事件と全農警職法事件においては、合憲限定解釈が大きく関わったことにより、処罰の合意に至ったと考えられる。
参考文献
日本国憲法の基礎知識
http://kenpou-jp.norio-de.com/
八幡製鉄事件 最高裁判決
http://kenpou-jp.norio-de.com/yahataseitetu-jiken/
南九州税理士会事件 最高裁判決
http://kenpou-jp.norio-de.com/zeirisikai-jiken/
準則主義と許可主義http://www.officenms.co.jp/photo_news/popup.php?id=20130514223141
内部統制とは
http://naibu.mayunet.com/001/ent95.html
猿払事件 最高裁判決
http://kenpou-jp.norio-de.com/sarufutu-jiken/
全農林警職法事件 最高裁判決
http://kenpou-jp.norio-de.com/zennourin-jiken/
望月紘樹
法人制度と天下り
私は現在の法人制度について賛成したいと思います。
1、法人とは
法人とは、自然人以外で、法律によって「人」とされているものをいいます。「人」とは、法律的には、権利義務の主体たる資格(権利能力)を認められた存在をいいます。つまり法人は、自然人以外で、権利能力を認められた存在ということになります。日本においては、法人は、一般社団・財団法人法や会社法などの法律の規定によらなければ成立しません(法人法定主義、民法33条)。
法人を設立するための要件は、法人の種類によって細かく分かれていますが、これは、国家がどの程度法人を監督するか、という法政策の問題です。すなわち、国家による監督が必要な活動であれば特許主義や許可主義を採用することになります(法人の活動が不適切な場合には法律を改廃したり、主務官庁が許可を取り消したりする)。逆に,国家が法人の設立にまったく干渉する必要はないと考えれば、自由設立主義を採用することになります(日本においてこれは認められていない)。日本法により設立される法人について、国家の干渉度が強い順に並べると、特許主義(特殊銀行・都市基盤整備公団・国民生活金融公庫などの公社・公団・公庫、独立行政法人等)、許可主義(設立は、主務官庁の裁量による。民法が規定していた旧公益法人{社団法人・財団法人})、認可主義(設立は、法定要件を備えての、主務官庁の認可による。主務官庁は、法人格付与に裁量権を持たない。学校法人・医療法人・社会福祉法人・生活協同組合・農業協同組合・健康保険組合・中小企業等協同組合・地縁による団体)、認証主義(設立は、所轄庁の認証による。認可主義より簡易である。特定非営利活動法人{NPO法人}・宗教法人)、準則主義(要件を具備すれば当然に法人となる。普通、登記・登録が必要である。一般社団法人、一般財団法人、会社、労働組合、弁護士会、マンション管理組合法人)となります。
2、法人の分類
法人は、大きく社団法人(広義)と財団法人(広義)の二つに分類される。伝統的な説明によれば、人の集合体(社団)に法人格が与えられたものが社団法人であり、財産の集合体(財団)に法人格が与えられたものが財団法人であります。
法人化によって人の集合体自体の権利能力が認められれば、その集合体の財産や取引を、個々の構成員の財産や取引から法的に分離することができます。社団法人は、こうしたことを可能にするための法技術です。通常、社団というためには一定の組織性が要求されるが、現実の社団法人の中には、一人会社(株主が一人だけの会社)のように社団性がないものも存在しています。
また「人」とは、権利義務の主体であると同時に、「物」ではありません。つまり所有権をはじめとする物権の客体ではない存在でもあるから、物を含む財産が法人になれば、他者の権利に属さなくなります。財団法人は、こうしたことを可能にするための法技術であり、その財産は誰かの自由意思によっては処分されず、ただ固定的な規定(設立者の設立時の意思)に従って運用されるものとなります(もっとも、これは本来の制度の理念であり、2008年施行の一般社団・財団法人法は、一般財団法人の定款を評議員会の決議で変更できると定めた)。法人のうち、
(1)営利を目的とするものを営利法人と呼び、(2)そうでないものを非営利法人と呼びます。ここでいう営利とは、法人が外部的経済活動によって得た利益をその構成員(社員)へ分配することを意味しています。
(1)営利法人は、構成員への利益分配を予定しているため、常に社団です。財団については、そもそも利益の分配先である構成員が存在しない以上、利益の分配ということはありえず、利益の分配されない営利目的の財団の存在を認める実益がないからです。営利法人といっても、実際に利益を分配する義務まではなく、利益を社員(株主)に配当していない会社も少なくありません。営利社団法人のことを会社といい、会社法は株式会社、合名会社、合資会社、合同会社を定めていません。なお、会社法における会社の営利性については論争があります。
(2)非営利法人は、一般法である一般社団・財団法人法により設立される一般社団法人・一般財団法人と、特別法(特定非営利活動促進法など)により設立される社団法人(特定非営利活動法人、労働組合、農業協同組合など多種)・財団法人(共済組合など)があります。一般社団法人・一般財団法人のうち、公益法人認定法により公益性の認定を受けた法人を公益法人(公益社団法人・公益財団法人)といいます。
3、法人・公務員による政治参加
政治献金とは政治家や政党に資金を提供することですが、法人による政治献金の是非について裁判になりました。1つが八幡製鉄事件、もう1つが南九州税理士会事件です。
八幡製鉄事件とは、八幡製鉄所の代表取締役2名が昭和35年3月14日、同社の名において自民党へ350万円の政治献金をした。同社は「鉄鋼の製造及び販売ならびにこれに付帯する事業」をその目的とすると定款に定めていたが、これに対し株主である老弁護士は「政治献金は定款所定の目的を逸脱するものであり、その行為は定款違反の行為として商法266条1項5号(現・会社法120条1項及び847条1項)の責任に違反するものである」として同社の株主が損害賠償を求める株主代表訴訟(代位訴訟)を提起したものです。この事件について最高裁判所は原告の上告を棄却し、会社による政治献金を認めました(最高裁判所大法廷判決昭和45年6月24日 民集24巻6号625頁/判時596号3頁)。最高裁での争点は大きく3つあります。1.政治献金が会社の定款所定の目的(権利能力)の範囲内か、2.参政権との関連で憲法違反を構成するか、3.取締役の忠実義務に反するか、です。これらについて最高裁は、以下のように示しました。
1.政治献金は会社の権利能力の範囲内である。会社は定款所定の目的の範囲内において権利能力を有する、との前提に立ち、目的の範囲内の行為とは定款に明示された目的に限らず、その目的遂行のために直接または間接に必要な行為すべてを含む。会社も自然人同様、社会の構成単位であり、社会的作用を負担せざるを得ない。その負担は企業の円滑な発展に効果があり、間接的ではあるが、(定款所定の)目的遂行上必要といえる。政治献金も同様で、政党政治の健全な発展に協力することは社会的実在たる会社にとっては当然の行為として期待される。
2.会社の政治献金は参政権違反ではない。会社は自然人同様、納税者たる立場において政治的意見を表明することを禁止する理由はない。
憲法第三章「国民の権利及び義務」は性質上可能な限り内国の法人にも適用すべきであり、政治的行為の自由もまた同様である。
3.取締役の忠実義務に違反しない。忠実義務は善管注意義務を敷衍し、かつ一層明確にしたにとどまるのであって、それとは別個の高度な義務を規定したものではない。合理的範囲内を超え、会社規模などからいって不相応な額の政治献金でもない限り、忠実義務違反とはならない。
もう1つの南九州税理士会事件とは、税理士の強制加入団体の一である南九州税理士会の会員である原告が、政治献金として使用される特別会費5,000円の納入を拒否したため、被告(南九州税理士会)は、役員選挙における原告の選挙権、被選挙権を抹消し、原告抜きにして役員選挙を行ないました。そこで、原告は特別会費の納入の義務を負わないこと、及び不法行為に伴う慰謝料を請求し、裁判所に出訴しました。裁判では「特定の政治団体に寄付する行為が民法43条(現34条)で定める法人の『目的の範囲内』であるかどうか」が争われています。一審の熊本地方裁判所では原告が勝訴したが、二審の福岡高等裁判所では原判決を取消し、原告の請求を棄却したため、原告が上告しました。最高裁判所は「税理士会が政党など規正法上の政治団体に金員の寄付をすることは、たとい税理士に係る法令の制定改廃に関する政治的要求を実現するためのものであっても、法四九条二項で定められた税理士会の目的の範囲外の行為であり、右寄付をするために会員から特別会費を徴収する旨の決議は無効であると解すべきである。」と判示し、原判決を破棄し、慰謝料の算定を審理するために福岡高等裁判所へ差し戻しました。
これらの判例からわかることは、法人にも政治献金などによる政治参加は認められており、八幡製鉄所のような営利法人の場合については法人の権利能力として認められる。しかし、南九州税理士会のような公益法人においては、会への参加が強制されているため、会員への献金の強制は個人の思想両親の自由に反するとして認めませんでした。
法人については以上の通りですが、公務員の政治参加についても主に2つ判例があります。1つが猿払事件、もう1つが全農林警職法事件です。
猿払事件では、公務員による政治的行為は時間外でも認められませんでした。また、全農林警職法事件では法改正反対のストライキは認められませんでした。これらの判例は以前の判例と異なってきています。全逓中郵事件以前においては合憲限定解釈を用いて、部分禁止されていました。しかし、上記2つの判例においては、全面禁止と判例が変更されました。
4、法人制度と天下り
退職した高級官僚が、出身官庁が所管する外郭団体、関連する民間企業や独立行政法人・国立大学法人・特殊法人・公社・公団・団体などに就職斡旋する事を指して天下りといいます。主に原因の一つとして指摘されているのがキャリア官僚を中心に行われている早期勧奨退職慣行である。これは官僚制の歴史の中で形成された慣習で平安時代の摂関政治が起源とされ、事実上、法定の制度に組み入れられている。国家I種試験を経て幹部候補生として採用されたキャリア官僚は、程度の差こそあれ、同期入省者はほぼ横並びに昇進していく。その過程で上位ポストに就くことができなかった者は職が与えられず、退職する以外に選択肢は無くなってしまう。事務方のトップである事務次官は1名であるから、同期入省者か後年入省者から事務次官(または次官級ポスト)が出るまでに、その他の同期キャリア官僚は総て退職することになる。1985年の60歳定年制の導入前後でこの実態に変化はない。この退職者たちは、省庁による斡旋を受け、それぞれ退職時の地位に応じた地位・待遇のポストに再就職する。一般にこの早期勧奨退職慣行が「天下り」と呼ばれている。
単に退職者が所管団体や関連企業等に再就職する点に問題はないが、官民の癒着、利権の温床化。人材の仲介・斡旋について、中央省庁の権限の恣意的な使用。公社・公団の退職・再就職者に対する退職金の重複支払い。幹部になりづらくなることによる生抜き職員のモチベーションの低下。天下りポストを確保することが目的になり、そのことによる税金の無駄遣いの拡大。公益法人の場合、認可の見返りの天下りによって、公益性を損なう。といった問題が指摘されています。
2004年8月31日の閣議決定によれば、中央省庁の斡旋や仲介で民間企業に再就職した国家公務員は2003年までの5年間で3,027人にのぼっています。省庁別では、国土交通省の911人をトップに法務省629人、総務省313人、文部科学省261人、財務省251人、農林水産省245人、警察庁127人、防衛庁85人、会計検査院64人、経済産業省46人、人事院29人、公正取引委員会23人、厚生労働省19人、宮内庁17人、内閣府3人、外務省2人、内閣官房・金融庁0人でした。2004年12月27日、政府は、2003年8月から一年間に退職した中央省庁の課長・企画官以上の国家公務員1268人のうち552人が独立法人・特殊法人・認可法人・公益法人に再就職したと発表しました。天下りの温床と批判されることの多いこれらの団体に再就職した比率は43.5%にのぼっていることになります。天下り構造の解消は国家財政の再建と公正な行政の実現の要になると、国民の関心も高いです。天下りを根絶するのに最も単純な方法の一つは、公務員の再就職を一律に禁止することであるが、単純に再就職を禁止することは個人の就業の自由および職業選択の自由を不当に制限し、憲法に違反するもので問題があるという点と、民間企業・特殊法人等からも「官庁を退職した優秀な人材を雇用したい」「官庁に対する必要な情報を得たり、人脈を作りたい」などのニーズがあるので実施は難しいのです。そのため、特殊法人改革や再就職禁止規定の厳格化、政府機関などの内部統制、ひいては公務員制度全般の改革など各種政策が検討・実施しているが、名目を変えながら実質的に天下りは存続しているとも指摘されており、また独立行政法人から民間企業へ役員ポストを渡した上で、民間企業へ省庁退職者を受け入れさせるという「天下り隠し」も指摘されています。
5、まとめ
現在の法人制度には天下りなどの問題がたくさんありますが、すべての天下りが悪いこととは思いません。例えば、中江先生のような方が帝京大学で授業をしていただいているのは現在の制度のおかげです。また、現在の制度の下に日本が繁栄してきたのだから、根本的に覆すのではなく、部分的な改正で悪い部分だけを除去していけばよいのではないでしょうか。私は、現在の法人制度に賛成です。
参考・引用サイトURL
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E3%82%8A
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E8%A3%BD%E9%89%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E6%89%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BA%BA
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%8C%AE%E9%87%91
新井啓太
14j110007
新井啓太
法人制度と天下り
1法人制度
法人の設立には、民法第33条1項「法人は、この法律その他の法律の規定によらなければ、成立しない」、2項「学術、技能、慈善、祭祀、宗教その他の公益を目的とする法人、営利事業を営むことを目的とする法人 その他の法人の設立、組織、運営及び管理については、この法律その他の法律の定められるところによる」と規定されている。また、登記も必要と規定されている(民法第36条「法人及び外国法人は、この法律その他の法令の定めるところにより、登記を要する」)。分かりやすく言うと、法人の種類は公益法人と営利法人の他にも様々な種類があり、登記によりその効力が生ずるということである。もう少し詳しく言うと、公益法人は。許可主義であり、本来できることであるが、ある目的のために禁止していることを行政の裁量により許可することで設立できる。営利法人は、準則主義である。準則主義とは法律の要件が備わっていれば、法人格を与える主義である。
2八幡製鉄事件
私は、判例に賛成である。この事件は、八幡製鉄(現在の新日本製鉄)の代表取締役は、同社名にて昭和35年3月14日 、自民党に対して、政治献金350万円寄付しました。そこで、同社の株主が、この代表取締役の政治資金寄付行為は、同社定款に定める所定事業目的の範囲「外」の行為であり、その他商法違反として会社が被った損害に対する取締役としての責任追及のための訴え起こすよう、会社に求めました。しかし、会社は訴えを起こさなかったため、自ら会社に代位して、 寄付行為をした取締役に対して寄付金分の350万円と遅延損害金を会社に支払うよう、訴えを提起しました。判例は、憲法第3章に定める国民の権利及び義務の各条項は、性質上可能な限り、内国の法人適用されるものと解すべきであるから、会社は自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。会社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するわけであるが、目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、その目的を遂行するに直接または間接に必要な行為であれば、すべてこれに包含されるものと解するに相当する。これを自然人たる国民による寄付と別異に扱うべき
憲法上の要請があるものではないとした。私は、法人の構成員に対する内部統制の力は、財産に関するものは多数決で決めてもよく。生命・信条に関するものは全員一致ではなくてはいけないので、判例に賛成である。
3南九州税理士会事件
私はこの判例に賛成である。この事件は強制加入の公益法人「南九州税理士会」が、税理士法改正が業界に有利に動くように、南九州各県税理士政治連盟への政治献金資金として特別会費5千円を徴収する旨を決定した。しかし、この決議に反対した税理士が、会費納入を拒否したため。そこで、当該税理士会は、当該会員税理士を、会則で定められた会員滞納者に対する役員の選挙権及び被選挙権停止条項を行使したので当該会員税理士は、会費納入義務の不存在確認及び損害賠償請求訴訟を提起しました。判例は税理士会の目的の範囲外の行為であり、寄付をするために会員から特別会費を徴収する旨の決議は無効であると解すべきであるとした。また、税理士にその設立を義務付け、その結果設立された強制加入団体であって、その会員には、実質的には脱退の自由が保障されていない。寄付をするかしないかは、個人的な政治的思想、見解、判断等に基づ
いて自主的に決定すべきであるとした。私は、強制加入団体という部分が大きく影響しているのではと思う。他の組合ならば政治工作金の寄付を拒否するために脱退などの行為によって拒否することもできるが、南九州税理士会は強制加入団体であり、憲法第19条にも反するために判例に賛成である。
4猿払事件
私は、この判例に賛成である。この事件は、北海道猿払村にある郵便局に勤務する郵便事務官で、同地区の労働組合協議会事務局長をしており、昭和42年の衆議院選挙の際日本社会党を支持する目的を持って、 同党公認候補者の選挙用ポスター6枚を勤務時間外に公営掲示場に掲示し、そのポスター184枚を他者に依頼し配布した。この行為が、 国家公務員法102条及び人事院規則14−7 6項13号に違反するとして、国家公務員法110条1項19号に基づいて稚内簡易裁判所より罰金5千円の略式命令を受け、正式裁判を請求しました。判例は、行政の中立的運営が確保され、これに対する国民の信頼が維持されることは、憲法の要請にかなうものであり、公務員の政治的中立性が維持されることは、国民全体の重要な利益に他ならない・・・公務員の政治的中立性を損なうおそれのある政治的行為を禁止することは、それが合理的で必要やむを得ない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところである。また、罰則制定の要否及び法的刑についての立法機関の決定がその裁量の範囲を著しく逸脱しているものであるとは認めら
れずとした。私は、憲法第15条2項「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とあるように、一部の個人や団体に有利になるような行為はしてはいけないだろうし、政治的にも高い中立性が求められる。また罰金5千円も妥当だろうから判例に賛成である。
5全農林警職法事件
私は、この判例に賛成である。この事件は、昭和33年10月、当時の内閣は警職法(警察官職務執行法)改正案を衆議院に提出しましたが、その内容が警察官の職権濫用を招き、ひいては労働者の団体運動を抑圧する危険が大きいとして、各種労働団体はもちろんのこと、全国規模で反対運動が展開されていました。全農林労組も総評(日本労働組合総評議会)の第四次統一行動に参加することになり、被告人ら同労組幹部が同年11月5日の職場大会の実施について、正午出勤の行動に入れの指令を出し、また同日午前10時頃から11時40分ごろまでの間、農林省職員の職場大会において約3千名の職員に対して職場大会への参加を慫慂(しょうよう=しきりに勧めること)するなどしました。こ
れらの行為が国家公務員法98条5項(改正前)に違反するとして、同100条1項17号にて起訴されました。判例は憲法28条の労働基本権の保障は公務員に対しても及ぶが、この労働基本権は、勤労者を含めた国民全体の共同利益の見地からする制約を免れない。公務員の労働基本権に対し必要やむを得ない限度の制限を加えることは、十分合理的な理由がある。 公務員は、公共の利益のために勤務するものであり、その担当する職務内容の別なく、その職責を果たすことが不可欠であって、公務員が争議行為に及ぶことは、その地位の特殊性及び職務の公共性と相容れないばかりでなく、停滞をもたらし、その停滞は勤労者を含めた国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、またはそのおそれがある。公務員の勤務条件は原則として国民の代表者により構成される国会の制定した法律、予算によって定められることとなっており、これら公務員の勤務条件の決定に関し、政府が国会から適法な委任を受けていない事項について、公務員が政府に対し争議行為を行うことは的外れである。使用者としての政府によっては解決出来ない立法問題に逢着せざるを得ない
ことになり、ひいては民主的に行われるべき公務員の勤務条件決定手続過程を歪曲することともなって、憲法の基本原則である議会制民主主義に背馳市、国会の議決権を侵す虞れすらなしとしない。労働者の過大な要求は企業そのものの存立を危殆ならしめ、労働者自身の失業を招くことともなるから、労働者の要求はおのずから制約を受けるし、また、いわゆる市場抑制力が働くが、公務員の場合にはそのような制約はない。労働基本権を制限するにあたっては、これに代わる相応の措置が講じられなければならないが、現行法による措置・・・十分なものといえる一般に政治ストは許されず、公務員はその上合憲である法律によって争議行為が禁止されている・・・二重の意味で許されず、それをあおる等の行為
は、 憲法21条の保障する言論の自由の限界を逸脱するものである。合憲限定解釈は、かえって犯罪構成要件の保障的機能を失わせることになり、憲法31条に違反する疑いすらある。よって、(地位の特殊性及び職務の公共性の他、勤務条件法定主義(議会制民主主義)、市場抑制力論、代償措置論より)公務員の争議行為を一切禁止した国家公務員法98条5項、及び、同法110条1項17号は合憲であるとした。私は、公務員の争議行為を認めてしまうと、警察、消防などが争議行為で機能しなくなった場合、社会が受ける損害は大きなものになることが予想できるので判例に、賛成である。
6天下り
天下りとは、同期で採用されたエリート組の官僚たちの地位が上がっていくうちに、ポストの数はどんどん減っていくために間引く必要がある。そして間引かれた官僚たちの官庁と関連の深い民間企業への高い地位に再就職をあっせんするのが天下りである。また、間引かれずに高級官僚になり退職後の再就職をあっせんする場合もある。天下りがしやすい法人は、設立の難しい法人ほど天下りがしやすい。なので、一番天下りが多いのは、公益法人と独立行政法人である。私は、天下りに対して反対である。高級官僚が再就職で民間企業に就職することには、問題はないと思う。しかし、今まで経験のない仕事に就職するのならば、研修などを受ける必要があるだろう。また、妥当な範囲を超えた地位への再就職は、おかしいと思う。官庁と関係の深い法人は断ることはできるのかどうか分からないが、それが今まで慣習として行われきている。今後天下りがなくなるとは思えないが、私は反対である。
出典URL
http://www.weblio.jp/content/%E6%BA%96%E5%89%87%E4%B8%BB%E7%BE%A9
http://www.weblio.jp/content/%E6%B3%95%E4%BA%BA
http://www.weblio.jp/content/%E8%A8%B1%E5%8F%AF%E4%B8%BB%E7%BE%A9
http://kenpou-jp.norio-de.com/yahataseitetu-jiken/
http://kenpou-jp.norio-de.com/zeirisikai-jiken/
http://kenpou-jp.norio-de.com/zennourin-jiken/
http://kenpou-jp.norio-de.com/sarufutu-jiken/
吉川弘悟
<法人制度と天下り>
・結論
現在の法人制度は見直されるべきである。
・現在の法人制度とその問題点
法人には大きく分けて公法人と私法人の二種類が存在します。日本においては、法人は、一般社団・財団法人法や会社法などの法律の規定によらなければ成立しません。法人を設立するための要件は、法人の種類によって細かく分かれており、これは国家がどの程度法人を監督するか、という法政策の問題である。法人の設立については難しい順に、特許主義、許可主義、認可主義、準則主義が存在する。特許主義は設立に特別法が必要で特殊銀行などの独立行政法人などが該当します。許可主義は設立に役所の許可が必要で税理士会などの公益法人が該当します。認可主義は設定条件が整っていれば必ず認可しなければならないもので労働組合などの中間法人が該当します。準則主義は届出、登記があれば設立が可能で、株式会社などの営利法人が該当します。
一口に法人制度の問題点と言っても多くの法人があり、法人の数だけ問題点があります。
たとえば八幡製鉄事件、これは八幡製鉄所政治献金事件ともいわれた事件で、会社による政治献金が適法であるかについて争われた訴訟です。これは八幡製鐵株式會社(現・新日鐵住金)の株主であった老弁護士が会社による政治献金の是非を世に問うために起こした事件です。この事件は最高裁まで争われ、最終的に営利法人の政治活動、その一環としての会社による政治献金が認められました。この事件は会社やそのほかの団体による政治献金の問題が起きた時、必ず言及されるリーディングケースとなりました。またこの事件は法人の権利がどこまで認められるかという点でも注目され多くの学者たちのあいだで議論されました。
ではほかの事件はどうでしょう。似たような事件に南九州税理士会事件という事件があります。こちらも八幡製鉄事件と同じく政治献金に関する問題です。これは南九州税理士会に所属していた税理士が、政治献金に使用する特別会費を納入しなかったことを理由に、役職の選挙権を与えられなかったという事件です。この事件に対して最高裁は税理士会が税理士であれば強制的に加入される組織であることを理由として、税理士会による政治献金を会の目的の範囲外としました。この二つの事件はどちらも法人による政治献金に関する事件です。ではなぜ八幡製鉄事件の政治献金は良くて、南九州税理士会はダメだったのか。
まず前者は営利法人で、後者は公益法人です。八幡製鉄所による政治献金は会社の活動の一環であり、法人の権利能力の一部であったからと言われています。南九州税理士会による政治献金は税理士会が強制加入であり、政党への政治献金は権利能力の範囲外であるといわれたからです。私はこの二つの事件に関して八幡製鉄事件の最高裁の判決は違うと思います。まず、私は法人の種類にかかわらずそういった組織が政治献金を行うことは企業献金といわれるもので禁止されています。会社や財団などの法人が特定の政党に政治献金を送ることはわいろと変わらないのです。わいろに使うお金を社員や会の一員から徴収するのは法人の権利を逸脱した行為だと考えます。だけど、私は法人の政治献金自体が違法だとは考えていません。法律によって政治献金の上限は決まっているし、その範囲内であれば問題はないでしょう。しかし、法人が会費として徴収する場合それは企業献金でしょう。先にいったように、企業献金は禁止されており、これは違法だと私は考えました。
また法人の権利にかかわる事件では猿払事件や全農林警職法事件などがあります。
猿払事件は公務員の政治的行為と刑罰に関して争われた刑事事件です。これは北海道宗谷郡猿払村の郵便局に勤務する局員が昭和42年に衆議院選挙日本社会党の候補者の選挙用ポスターを公営掲示板に掲示したということでした最初、この事件は一審、二審の判決は無罪でした。しかし、最高裁はこの事件に関して処罰は合憲であると判断し、有罪を宣告しました。国家公務員法に規定されているように公務員の政治的行為が禁止されており、それは合理的かつ、必要やむおえない限度にとどまる限り、憲法の許容するところであると判断されたからです。この判決は公務員の政治的行為の一切を禁止するということであり、判決に批判的な人も少なくありません。
全農林警職法事件は公務員の労働基本権の制限が問題となった事件です。これは昭和33年に警察官職務執行法改正案が衆議院に上程された際、これを反対するとして、所属長の承認なしに正午出勤するなど労働争議のあおり行為を行った。これが当時の国家公務員法に違反したとして、組合幹部が刑事責任を問われたものです。いっしではあおり行為を合憲限定解釈して全員無罪としたが二審では逆転して全員有罪となりました。これは労働基本権の保証は公務員にも及ぶが、それを制限する国家公務員法の争議行為の一律禁止は憲法に違反しないしないと最高裁が判断したからです。こちらの判決も批判的の意見があります。
全逓東京中郵事件以前は、公共の福祉論、全体の奉仕者論などに基づき、公務員の労働基本権の制約を広く認めるのが判例の動きだったが、全逓東京中郵事件の判決以後は、公務員の労働基本権を認め、基本権の制限規定を限定解除しようとした。しかし、本判決は公務員の労働基本権が認められることとなり、規制に関しては部分的に禁止されていたものが、全逓東京中郵事件以前の、広く労働基本権の制限を正当とされることとなり、部分禁止であったものが全面禁止とされた。これはどちらも公務員の権利に関する問題でした。またどちらも判決に批判的な意見も多く議論されている判例です。私は中立である必要のある公務員が政治的行為を行うことが問題ある、ということは理解できます。しかし、公務員であっても人間である以上は思想を持つことはあたりまえです。また、彼らは公務員ではあるが、同時に労働者でもあるのだから、ある程度は同じように保証されるべきだということも、当たり前のことだと思います。だが、猿払事件、全農林警職法事件、どちらも最高裁の判決は正しかったと考えます。まず猿払事件、これは最初、局員が末端のものであったことや、政治的行為を行ったのが勤務時間外であったことなどから、影響はないとされていました。しかし公務員の中立性を損なうおそれがあるとされました。私はたとえ影響力が少なくとも、全ての公務員が守らねばならない国家公務員に違反したことは確かであるし、例外を認めるわけにはいかないどろう。なにより、公務員が中立性を損なうということは、それだけ問題があることなのだと思います。どんな役職であれ、公務員として勤務している以上は私人ではなく法人として扱われるということなのだと考え、最高裁の判決は合憲であり、憲法には違反していないと考えました。そして全農林警職法事件、彼らが行った行為は広くみれば国の運営を妨げる行為であると考えました。彼らが行ったストライキなどの争議行為は憲法で認められています。しかし彼らは公務員です。彼らの行為を認めることにより、他の公務員が同じようなこと行う可能性があったから有罪にしたのではと考えました。猿払事件と全農林警職法事件、どちらも当時の状況を考えてみても判決は合憲であると考えられる。しかし近年では、ILO(国際労働機関)の勧告により公務員の労働基本権の改善が求められている。現在のところはまだ目立った動きはないが、今後もしかしたら判決が違憲となるかもしれない。私も公務員の労働基本権の規制を緩くすることは悪くないと考えますが、二つの事件の判決に関してはやはり合憲であったと思います。
・日本の天下り問題
天下りは日本の官僚制度と密接に関わっているといってもいいものです。では、天下りとは何が問題なのか。天下りが問題だといわれている理由に、官僚の癒着、温床化、汚職が起きること。天下り先をつくるため無駄なポストができるなどがあります。天下りは一体なにが原因で起こってしまうのか。今の日本の制度が理由とし考えらえます。まず、日本の官僚制度は年功序列制で一律で昇進していきます。その過程で上位ポストにつけなくなった人たちが天下りします。天下りは正直なところ日本の制度における問題点であると考えます。自分たちの払った税金が天下りした人の退職金になるといのは納得できることではありません。また、経験もない人がいきなり上司になり、自分より多くの給料をもらっていては下の人のモチベーションも下がってしまうでしょう。では天下りをなくすためにはどうすればよいのだろう。たとえば公務員の再就職を一律禁止にするという方法。これは天下りを最も簡単に根絶する方法だといわれています。しかし単純に再就職を禁止することは個人の就業の自由および職業選択の自由を不当に制限し憲法に違反するという問題があります。また民間企業や特殊法人等から「官庁を退職した優秀な人材を雇用したい」「官庁に対する必要な情報を得ることや、人脈を作りたい」などのニーズがあり実施が難しいといわれています。このことからこの方法はあまり現実的ではありません。ならどういった方法が良いのだろう。現在法律によって公務員が退職後すぐ再就職することを禁止する、天下りの廃止を唱えるなど行っていますが、完全になくすことは出来ません。天下りは日本国内でも悪いイメージしかついていないにも関わらず、なくならないというのは考えるべきことでしょう。天下りをなくすためには、日本の制度を大きく内部統制するなど大幅な改革が必要だと考えます。
・まとめ
日本の制度には様々な問題があり、改善していかなければならない所は多々あります。私が列挙した以外にも問題はあり、そのすべてを解決できるとは思っていません。天下りはなど今の官僚組織とつながりある限りは簡単にはなくならないし、隠れて天下りする人もでてくるでしょう。しかし、だからといって規制を厳しくしすぎてしまえば、憲法に違反してしまう可能性もあるし、なにより労働者の権利が損なわれてしまうかもしれません。これらのことを考えて上手く改革をしていかなければなりません。今私たちの世代にはそういったしわ寄せがきており、この問題点を改善していくために多くの人々がより知識をつけ、問題を理解する必要があると考えます。
・参考文献
日本国憲法の基礎知識
http://kenpou-jp.norio-de.com/yahataseitetu-jiken/
http://kenpou-jp.norio-de.com/zeirisikai-jiken/
http://kenpou-jp.norio-de.com/zennourin-jiken/
法律アプリ開発室
わかるニュース
http://wakaru-news.com/parachute/4072/
内部統制って一体何だ?