佐伯健泰

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相続と債権者     

キーワード
債権者代位権
遺留分
deed

登記
意思主義、
公示の原則、
民法942
notice type
race type
reverse mortgage

 

@増える空家
2013
年の日本の空家は820万戸にものぼり、大きな社会問題となっています。
そして、この空家問題は現代の問題だけではありません。
今現在も世帯数の増加を超える勢いで新築の住宅が建築されていますので、空家の数は増え続け、2033年には2000万戸を超えるもの(総務省 住宅・土地統計調査を参照)と予想されています。
わずか、20年で2.5倍に増加することを顧みると、空家問題はむしろ未来に於いて深刻な問題となってくるでしょう。
問題の対策として、空き家対策特別措置法が昨年11月に成立し、本年度の5月に施行されました。
行政側からこうしたアプローチがある時点で表面化した問題なのでしょう。
reverse mortgageといった新しい資産運用などと併せて、空家問題の解決が期待されます。

 

なぜ空家が増えていくかというと、これは様々な問題があります。
空家の問題は、ひいていうならば、相続、家族の形、人間の人生設計、経済の問題と様々な問題を内包したものである以上どこに支点をおいて語っても万全のものになりません。
そんな中で、本稿では空家を発生させる主な仕組みである、相続についてひいては諸外国と日本の物権変動について考えていきたいと思います。


A登記と諸外国
相続も一つの物権変動の形である以上、根本的なルールというものは他のものと共通していると考えることは必然でしょう。
まずは物権変動の基礎になる登記について日本と諸外国の違いを捉えていきたいと思います。

 

物権変動には「意思主義」と「形式主義」という2つのパータンがあり、前者は物権変動は当事者の意思表示によって効果を発揮するというもので、対して後者は形式的な手続きを済ませれば物権変動が発生するというものです。
176
条にて日本は意思主義を反映しています。
また物権変動にはなんらかの公示が必要とする公示の原則もあります。この公示は占有や登記といったものになります。
日本で不動産の売買を行おうとするならば、登記しますがあくまでこれは対抗要件にしかなりません。

 

分かりやすい例が二重譲渡であり、AがBとCの双方に土地を売った場合、登記を備えたのが早いほうが勝早い者勝ちの論理が成り立ちます。
アメリカは登記制度の代わりにdeedと呼ばれる、証書の登録制度を採用しており、これ自身もあくまで対抗要件の一つです。
その為日本と同じように、早いもの勝ちの理論が成り立ち、race typeと言われます。
形式主義の代表的なのはドイツの登記制度であり、登記が物権変動の成立条件になっています。
即ち登記があるかがすべての物権変動の判断基準になります。

 


B外観を信じたものの保護
形式主義では登記があるかないかがすべてですが、日本やアメリカの例の場合においてすべからく早いもの勝ちの理論が成り立つのでしょうか。
相手方の登記といった公示を信じたものは保護されないのでしょうか。

 

日本の民法では動産は即時取得(192)があり引き渡しがあった時点で物権変動が成立します。
こと不動産に関して登記はあくまで、対抗要件であり、このような扱いはできませんが、942の通謀虚偽表示による無効は善意の第三者に対抗できないとする規定の類推適応により、公信力に近いものを認めることがあります。
アメリカではnotice typeという考え方があり、notice(通知)というだけあってこれは公示を信じたものを保護するものであり必ずしも早い者勝ちの理論になるわけではないということになります。

 


C相続に第三者である債権者
Aという父親にBとCという子供がいたとして、Cに債権者Dがいた場合に於いて、相続がBのみになされた場合はどうなるでしょうか。
Dとしては、Cに遺産分割という資力があることを期待してお金を貸していたわけなので当然話が違うということになります。

 

債権者代位権(民法423)の問題であり、
これは、債権者が自分の債権の保全の為に、債権者に属する権利を行使することができる権利であるが、一身尊属性があるもには適応されないとう決まりがあります。
DとしてはBの遺留分を請求して、債務を履行してもらいたいところであるが、遺留分請求権は一身尊属なため利用することができません。

 


D誰を保護するか
物権変動というものは絶対的な規則がないものと考えられます。
ある利益を優先すると(取引の安全を優先すれば、本来権利者の保護がおざなりになるといったように)にあちらをたてればこちらがうまくいかないといったことが起こります。

 

そのため、どういった発想が社会全体をよりよくしていくのかを、目先の状況だけではなく、複雑に入り組んだところまで解体しながら考察していくことができるようになる、
それが法学を学ぶ本旨になると思います。

 

 

 

吉野孝則

相続法  中江章浩先生     15PJ10001 吉野孝則

 

相続と債権者

 

 

結論

現在の裁判所の考え方に多少の修正を加えての運用が望ましいと考えます。

 

 

判例が債権者or第三者を勝たせたもの

判例

自分の意見

取消登記

前〇

後〇

取消前の第三者→善意の第三者保護(登記不要)(96V)

取消後の第三者→対抗問題

前→妥当

後→対抗問題or94条2項類推適用

時効登記

前×

後〇

時効完成前の第三者→当事者問題(登記不要)

時効完成後の第三者→対抗問題

前→妥当

後→悪意の場合だけ対抗問題or94条2項類推適用

共同相続と登記

第三者の範囲(たぶん)(登記なく持分の主張可)

妥当

「相続させる」旨の遺言と登記

×

遺言通り(登記不要)

登記が必要

遺贈登記

対抗問題

受遺者の保護が必要

相続放棄登記

×

939条(登記不要)

妥当

遺産分割協議登記

前△

後〇

分割協議前→909条(登記なく持分の主張可)

分割協議後→対抗問題

前→遺留分の範囲外での差押え

後→対抗問題or94条2項類推適用

 

 

 

はじめに

今回のテーマもかなり変数が多く、民法の色々なルールがルービックキューブのように複雑に嵌りあっています。ですので最初から自分の目指す社会を言っちゃいます!

そして、今回のテーマに必要な民法のルールを説明し、具体例を分析しながら自分の目指す社会との整合性を検討します。

前述の法律的な物差しからの分析の後に、社会保障からの観点、経済からの観点の分析をする予定です(余力があれば・・・。)

 

自分の目指す社会

ずばり、お金を持っている奴は資本主義経済の下で増やすことが出来て、お金を持っていない奴もそれなりに生きていける社会です!!

資本主義と社会主義のちょうど良いところが理想です。たぶんこれは今の日本の現状と言っても良いでしょう。

共産主義のように稼ぐ自由がなく堕落するのも嫌ですし、資本主義が行き過ぎて貧富の差が出来て姥捨て山のようになるのもご免です!

すると、資本主義経済でお金を稼ぎつつも社会保障を充実させるという資本主義と社会主義の融合が理想です。

 

今の日本の仕組みは素晴らしいと思うのですが、社会保障費で膨れ上がった1000兆円を越える負債をどうにかしなくてはいけません。え?なぜって?だって、ギリシャのように債務超過に陥ったら金稼ぎも社会保障もなくなって幸せじゃなくなってしまうでしょ!!

今回の「相続と債権者」というテーマの裏には、今の日本をどのように変えると幸せになるのか?幸せとは何か?そしてその幸せのために民法と相続はどうあるべきか!?

というテーマが隠れています。というかこっちが本当のテーマなのかな?w

 

余談ですが、知り合いのアナリストに「日本は何兆円まで借金出来るの?」と聞いたことがあります。そのアナリストは「2千兆円まではいけるんじゃないだろうか」なんて言っていました。経済学部の友人は「世界が日本を破産させない」と言っていたし、「アメリカの国債をお互いに持ちもちだから売ってしまえばよい!」なんて言う人もいました。

自分は経済にはまるで門外漢ですが、今のままでは社会保障費は膨らむ一方だし、負債が膨れ上がれば国債の格付けが落ちてギリシャの二の舞になるではないか!?という懸念がどうしても晴れず、若山先生に同じ質問をしたことがありました。(金融のプロだからw)

すると「どこまでいけるかは幻想の中だ!! 世界の皆が日本はまだいけると思っているうちは大丈夫。でもいつか限界は来るよな」という意見でした。非常に納得がいきました。

 

ですので、負債を何とかして幸せな世の中を作るためにも、社会の構成要素である家族のあり方を考える事が大切であり、家族の中で重要な機能を果たす相続のあり方を考えることがより良い社会に繋がっていくわけです。

 

 

さらに前期のレポートで書かせて頂いた日本における未来の家族像について、「氏、性別、血を越えた家族」が増えるという考え方でした。そしてその集合体がお互いに子育てや社会保障を担い、形は違えど昔の日本の大家族のような家族を作っていくことによって、膨らむ社会保障費や待機児童、女性の社会進出に効果があるという結論でした。

言い方を変えれば、それが、社会、個人、婚姻、社会保障との妥協点でした。

今回もこの新しい家族像を基準にして前述した資本主義と社会主義の中間を狙いつつ相続の機能を考えていきます。

自分の気持ちだけなら相続に第三者が入ってくる必要はないと考えているので、そこの目線でスタートします。

 

 

 

民法について

 

財産法と家族法の問題点

民法は大きく分けると財産法と家族法に分かれています。「相続と債権者」のもっとも大きな論点はまさにここにあります!!

財産法では市場での競争を念頭に全てを債権・債務で考えようというものです。極端な話、全てキャッシュに換算しちゃおうぜ!というのが基本。

一方家族法では婚姻、離婚、子、相続などの身分に関することが中心です。

全く別物のように見える財産法と家族法ですが・・・そうではないんです!!離婚になれば財産分与が、子なら養育費、相続に至っては金や土地の話ばかり。

つまり、財産法と家族法が重なる部分があるのです。

食うか食われるかの市場原理とは別に、家族法では子や制限行為能力者などの弱者保護の観点からも考えなくてはいけません。

そこで、相続の際に家族法と財産法が重なった時に同じ基準で、同じ物差しで測ることが良いのか??というのがそもそもの問題点です。

 

 

民法の3つの考え方

民法には3つの基本となる考え方があります。

・所有権絶対

・取引の安全

・弱者保護

これらをバランスよく考えることが大切です

 

意思主義について

何から説明するのがベターか悩んだのですが意思主義からにします。

民法は物についての持ち主であるという権利を所有権として規定して、申し込みと承諾により意思が合致して所有権が移転するとしています。

この意思の合致だけで所有権が移転する仕組みを意思主義といいます。(フランス法由来)

「売ります」・「買います」という意思の合致だけで所有権が移転するこのシステムは迅速で非常に便利なのですが一つ大きな問題があります。その問題とは所有権は概念だから目に見えないという問題です。

当事者同士なら所有権がどちらにあるのかをお互いに知っていますが、周りの人達からは全く分からないのです!!すると所有権があると思って買ったのに相手が所有者ではなく所有権を取得出来ないといったトラブルが発生するわけです。

そこで民法は85条86条で「物」を有体物とし、不動産・動産に分けてこの問題をクリアしました。

 

動産について

動産の所有権の証明は悪魔の証明と言わるるくらい難しいとされています。動産の所有権が誰に帰属しているのか判りづらいのです。そこで民法は192条によって動産を占有しているその状況を信じて平穏、公然、善意、無過失で占有を始めた場合は所有権を即座に取得する=即時取得を認めたのです。これは原始取得でありその場で所有権が生まれます☆

(ここポイントなんですけど、所有権が生まれるだけで、前の所有者の所有権が消えるわけではないことに注意です!!前主の所有権が消えないため、193・194という条文が効いてきます。盗品や遺失物の場合は回復請求されちゃいます。自分と前主、両方とも権利者だから。そして二年間は生まれた所有権は萎んでなくなっちゃいます。)

この真の権利者と違う状態を信じて取引した人に外観通りの権利を与えて保護しようとする制度を交信の原則といいます。

この保護される状態を作り出す力のことを公信力といい、上の状態を「公信力がある」といいます。

その場を信じて動産の取引をした人は真の権利者を差し置いて所有権を取得出来るとするこの即時取得は、自分的にはかなりぶっとんだ制度だと思います。

これはつまり「所有権絶対」よりも「取引の安全」を重視した制度といえるでしょう。

 

不動産について

不動産も176条により意思表示のみで移転します。意思の合致のみで所有権が移転するのは動産と同じです。そして所有権が誰に帰属するのか見えないのも同じです。すると動産に比べて価値の高いことが多い不動産取引としては非常に不便です。そこで、不動産が誰に帰属しているのかを判り易くするために登記を使って公示することにしました。これを公示の原則といいます。

ポイント

民法は意思主義登記の関係を176条と177条で規定しています。

民法は意思主義を採用した結果、意思の合致だけで所有権が移転するとします。これは迅速で非常に便利だが当事者だけにしか所有権の所在が分からないという問題がありました。そこで当事者以外の人に登記で公示しないと対抗(自分の所有権を主張すること)できないとしたのです。

これにより不動産の所有権は「意思による所有権の移転」と「登記」があって完全な状態ということになりました。

 

二重譲渡について

BAC

前述したように不動産の所有権の取得に「意思による所有権の移転」と「登記」の二つが必要になり、起こる問題が二重譲渡です。

誰とでも何人とでも「売ります・買います」で所有権を移転出来るけど、登記を移転出来るのは一人だけ。そこに二重譲渡が起こります。例えば甲土地の所有者ABCに「甲を売ってあげるよ」といいBCがこれに「買います」と答えたとします。その瞬間にBCともに甲の所有権は移転しています(ここのポイントは二人とも所有権者だということが大切です)。しかしBCは176条によりAには自分が所有者だと主張できますが二人とも登記を持っていないために177条が効いていてBCに、CBに自分が所有者だと主張出来ないのです。

そこでBCがお互いに所有権者なら食うか食われるかの関係であるとして登記を先に取得した方が完全な権利者となるとしました。この時の登記を対抗要件といい、この関係を対抗問題と呼びます。

ここで重要なのが対抗問題では善意・悪意を問わないということです。

ポイント

二重譲渡は対抗問題で処理。

私見ですが、意思主義を採用したから二重譲渡の問題が起こったとも言えます。が!!市場の中では少しでも高く物を売りたいものですよね。すると最初に契約した人が必ずしも高値で買ってくれるとは限りません。そこでもっと高く買ってくれる他の人に売って登記も移せば、最初の人とは債務不履行の問題が残りますがそれを差し引きしてももっと高く買ってもらうことが出来るわけです。非常に便利です。そして市場の発展に寄与するし、迅速性が要求される資本主義とも非常にマッチしていると思います。仕組みが煩雑になりますがそのデメリットを受け入れてもメリットの方が遥かに大きいと考えます。民法は二重譲渡を最初から織り込んで考えたと思われます。

 

勉強を始めた当初は意思主義からではなく二重譲渡から勉強するのでこの仕組みを理解するのに非常に苦労しました。「意思の合致で所有権が移転しているのに登記があれば勝てちゃうのは矛盾じゃないの?」「所有権って一つじゃないの??」とず〜と疑問でしたw

ここでのポイントは即時取得でも説明しましたが、前述のBCともに所有権者だということです。そして二人とも所有権者(対等な関係)だから登記を取得することが出来るということでしょう。「所有権が一つしかない」と考えてしまうと迷宮ですね。理解出来て良かったですw 

 

登記の問題点

意思主義、登記、二重譲渡を理解してくると次の問題が起こるのです。動産には即時取得が認められるのに不動産には認められないのか!?という問題です。

なぜか!?と問われれば不動産の方が価値が高いケースが多いので取引の安全よりも所有権絶対の方が重くなるということでしょう。

極端な話、登記って偽造出来るわけです。データ自体偽物の登記を登録することも出来るし、証明書を偽造することも出来ます。これを使って偽物の土地を売って稼ぐ地面師なる詐欺集団もいるくらいです。

例えば、この地面師に偽の登記を見せられて「土地を買わないか?」と言われて購入したとします。しかしそれは地面師とは別の人の土地だったとします。すると土地の買主は地面師という偽の権利者、つまり無権利者から購入できるはずのない土地を購入したことになり土地の権利は取得出来ないことになります。そこで動産のように不動産にも即時取得を認めて騙された買主を保護するというのもありかもしれません。すると真の権利者は知らない間に土地の権利を失ってしまうことになるのです。家で餅を食べていたら知らない間に他人の家になってた!!なんて笑い話にもなりません。逆に笑える?どっちにしろそんな世の中では幸せにはなれません。そこで、不動産に関しては所有権絶対と取引の安全を比べて所有権絶対を勝たせて即時取得を認めないことにしたのです。

このことより、登記を信じて不動産を購入しても保護されないということになり、「登記には公信力(公を信じて保護される力)がない」といいます。

 

不動産という大きな買い物をするわけですからしっかり調べて購入するのは当たり前ですし、「売買で手に入らないかもしれない」というリスクは買主が負うべきでしょう。その意味でも登記に公信力を認めないことに賛成です。

 

一方、しっかりと調べたのに騙されてしまった買主(第三者)を94条2項の類推適用により保護してあげようという学説が有力です。この学説は単純に登記を信じた人を保護しようとするのではなく買主に善意・無過失を要求し、加えて真の権利者にも帰責性を要求することにより保護するところに旨みがあります。(外観の存在は当然必要)

すると、皆が困るから登記の公信力を認めるのは止めようと言っていたのに登記を信じて不動産を取得した人を保護しようという結論になるので、結局登記に公信力を認めたのと同じ結果になってしまいます。

しかし、即時取得のように無制限に保護するのとは違い、善意無過失、帰責性というハードルの高い要件を要求することで保護する範囲を限定することが出来るので、所有権絶対と取引の安全の両方からの要請に応えていると考えます。賛成です。

 

 

形式主義について

フランス法由来の意思主義に対してドイツが採用している形式主義というものがあります。これは物権変動において債権行為と物権行為を分けて二つが揃った時に所有権が移転するとする考え方です。意思主義では登記は対抗要件でしたが形式主義では登記は成立要件となります。登記がないと所有権は移転しません。

目に見える形で所有権が移転しているので手続きに時間が掛かるが分かり易いと思います。形式主義を採用すれば、二重譲渡の問題や後述する「時効と登記」の問題の処理が簡単になると思われます。はっきり見えるし情報も整理しやすいので、きっちり好きの日本人は合う制度だと思います。

 

因みにアメリカには記録制度はなく、不動産の取引にはDeedという不動産譲渡証を使って取引され、アメリカは連邦主義ですから州によってRaceTypeだったりNoticeTypeだったりします。

 

 

世界の物権変動

不動産  登記の効力

動産

日本法 

記録制度不完全

意思主義

対抗要件   登記の公信力無し

公示の原則  942項の類推適用

承継取得   

交信の原則

原始取得

Ex 即時取得

ドイツ法

記録制度完全

形式主義

効力要件   登記の公信力あり

同上

アメリカ法

記録制度未登録

DeedRaceType  NoticeType

遺留分制度無し

 

 

形式主義の適用の可否について

形式主義について詳しくないので論理だけから想像で書きます。間違っている可能性大ですが検討したいと思います。

 

もしも形式主義になったら・・・

 

取消登記

取消前の第三者→やはり保護されるのでそのままでしょう。

取消後の第三者→法務局が登記を自動的に戻してくれるならこの問題は完全になくなります。登記を自分で戻さなければいけないなら、第三者に対しては94条2項類推適用の問題、最初の取引相手とは債務不履行or不当利得の問題になると思われます。

 

時効と登記

時効完成前の第三者→現状と変わらず

時効完成後の第三者→94条2項類推適用の問題になると思われます。

 

「共同相続と登記」と「遺産分割協議登記

遺産分割協議前→登記をしに行けないから変わらず

遺産分割協議後→登記をしないと所有権が完全に移転しない以上、第三者との関係は94条2項類推適用の問題になると思われます。

 

相続放棄登記→変わらず

 

「相続させる」旨の遺言と登記→変わらず

 

遺贈登記→変わらず

 

まとめ

こうやってみてくると形式主義を採用しても、意思主義で公信力説を取った場合と殆ど変わらないと思われます。

そこで中江先生が「処理が簡単になって無駄な公務員の削減に繋がる」と言っていたことについて考えてみると、IT技術の発展で意思主義のままでも人員の削減は可能だと考えます。

ただ違いとして、現在でも登記していない土地などがあり全体把握に関して不透明な部分があります。形式主義を採用すれば全ての情報が分かるようになり、個人情報と一緒にすれば分かり易いシステムが作られと考えられます。しかし、現状のままでも登記をしなけらば第三者に対抗出来ないわけですからどっちにしろ登記は必要なわけです。さらに意思主義でもっとも問題だった危険負担における所有権の移転時期の問題を、所有権の段階的移転という判例理論でクリアした現状を考えると今の民法を徹底してIT化すれば同じ結果になると思われます。(IT化に伴うセキュリティの問題は別の議論)

よって、これらにより自分は形式主義でも意思主義でもどちらでも良いと考えます。

 

意思表示について

意思主義の説明で「意思の合致」とさんざん使ってきておいて、今更ですが「意思」って何なのよ??というところの説明をします。

この意思を理解するためには「法律行為」の説明が不可避なので法律行為を説明します。

 

法律行為

民法には法律行為という概念があって「意思表示を要素として含む権利変動原因の統括概念」というかなり抽象的でなんのことやらわからない感じなのですが、ようは法律効果を発生させる行為ということです。

で、そのためには意思表示が必要ですよ〜ということです。因みに法律行為に対する概念として「事実行為」があります。これは人の意思によらないで法律効果を発生させる行為で加工(246条)や事務管理(697条)などです。相続も事実行為とされています。

そしてこの法律行為は契約・単独行為・合同行為の三つがあります。

契約が一番分かり易いので契約の売買を例にとると、ABの申し込みと承諾という意思表示で所有権の移転という法律効果が発生するということです。この全体を法律行為といいます。

次が味噌なんですけど、意思の合致があれば常に法律効果が発生するわけではなく効力を否定する原因がいくつかあります。

 

〇法律行為の効力否定原因

@    法律行為の成立過程の問題  ⑴法律行為をした者の判断能力に問題がある場合(能力の問題)

              

              ⑵意思表示に瑕疵がある場合(意思の問題) @意思の欠缺(心裡留保・虚偽表示・錯誤)

                                   A瑕疵ある意思表示(詐欺・強迫)

A    法律行為の内容の問題

 

 

これらの効力否定原因がないことが法律行為には求められています。@について民法は次のようになっています。

 

@    について

伝統的に民法は意思を「動機」「意思」「表示」の三段階に分けていて、動機から効果意思を形成してそれが表示行為により外部に表されるとしています。

さらに民法は意思表示の土台部分として「能力」を規定していて図にすると下のようになります。

 

表示

意思

動機

行為能力

意思能力

権利能力

 

このように「能力」という土台の上に「意思」が乗っている構造になっており、土台部分の能力に関するトラブルは弱者保護の観点から保護されることになる。権利能力や意思能力がなければ無効だし、行為能力に関してはつまり制限行為能力者と未成年者に関しては総則と親族編に細かい規定が置かれてていて法律行為を取り消すことが出来るようになっている。

意思のトラブルに関しては93条から96条に細かい規定が置かれていて図にすると次のようになる。因みに意思のトラブルを特定の相手にだけ主張できるとして「人的抗弁」、能力のトラブルを誰に対しても主張できるとして「物的抗弁」といいます。

 

意思表示

効力

第三者保護(善意者)

心裡留保(93条)

有効

(通説は94条2項の類推適用で保護)

虚偽表示(94条)

無効

あり 94条2項で保護

錯誤(95条)

無効

なし

詐欺(96条)

取消

あり 96条3項で保護

強迫(96条)

取消

なし

 

 

この図の説明をするためには「無効」と「取消」の説明が不可避なので説明します。

 

主張権者

期間

遡及効

追認

無効

誰でも

いつでも

あり(初めからなかったことになる)

不可(新たな行為をしたことになる)

取消

当事者のみ

時効・除斥期間

あり(初めはあったことになる)

(因みに家族法の取消には遡及効がない!748条。「撤回」)

 

無効と取消の違いは図の通りなのですが、今回のテーマで最も注目しなければならないところは遡及効についてです。無効の場合は初めからなかったことになるのですが、取消の場合は初めはなくならないので意思表示の第三者保護と絡んで複雑な問題を発生させます。

 

無効と取消を理解するためにまずは錯誤を考えてみましょう。

ABC

ABに土地甲を売って、その後Bが土地甲をCに売ったとします。そしてAが錯誤無効(95条)を主張したとします。すると無効の遡及効は「初めからなかった」ことになりますからAB間の売買契約は無かったことになり、Cは無権利者Bから土地甲を買うことは不可能なので土地甲は最初から移転しなかったことになります。

 

次に詐欺を考えます。(強迫は第三者保護がないので考えません)

ABC

ABに騙されて土地甲をBに売り、その後Bが土地甲をCに売ったとします。そしてAが詐欺による取消(96条1項)を主張したとします。すると取消の遡及効は「初めはあったことになる」のでAB間の売買がなくなっても権利の移転の事実は残りCは権利者から土地甲を購入したことになります。Cのことを第三者と呼び、無効の場合は現れないことになっていた権利を取得した第三者が、取消の場合は出現してしまうのです。そしてACどちらを保護すれば良いのかという問題に民法は96条3項で善意の第三者を保護するとしています。

なぜかといえば、騙されたとはいえ自分で売ったAと何も知らずに買ったCでは、Cの方が保護の要請が強いということなのでしょう。そのかわり保護される要件として善意を要求しています。

所有権絶対と取引の安全の両方を考慮した結論といえると思います。ただ、多くの学者さんが言うようにしっかり調べずに善意だったCを保護するのはどうかと思うので無過失まで要求してよいと思われます。

 

余談ですが、ここまで説明すると94条は無効だから第三者は出現しないのになんで保護されるんだ!!なんてツッコミが来そうなので説明します。

ABC

AB間が土地甲に関して虚偽表示をしてそれを信じてCが土地甲を購入したとします。AB間の虚偽表示は94条1項で無効なのですが、94条2項でその外観を信じて取引をしたCを保護してあげようとの趣旨からAB間は無効なのですがCに対してだけ有効に扱おうという仕組みでCは保護されます。ですから効果は無効でも第三者は保護されるのです。これを権利外観法理と呼びます。というか外観法理の現れと言われています。

 

94条2項の類推適用

公信力のところでも触れましたが、虚偽表示ではないけれどそれに類似した外観を作り出した人がいて、それを信じて取引をした第三者を94条2項を直接適用するのではなく(類似のパターンだから直接は適用できない)類推適用により保護しようというのが94条2項の類推適用です。これを使うことにより、公信力のない登記を信じて取引をして損をしちゃった人も保護される可能性があります。

 

 

第三者はいつまでに取引に入れば良いのか?

第三者が保護されるためにはいつまでに取引に入れば良いのかという問題があります。

まずは例を考えながら言葉の整理をしましょう。

 

取消登記

取消前の第三者

ABC 取消

ABに騙されて土地甲をBに売り、その後Bが何も知らないCに土地甲を売りました。そしてその後にAが詐欺による取消を主張したとします。CA取消を主張する前に取引に入っています。

この第三者Cのことを「取消前の第三者」と呼びます。

 

取消後の第三者

AB 取消 BC

ABに騙されて土地甲をBに売り、そこでAは詐欺による取消を主張します。しかしBは取り消されたにも関わらず土地甲をCに売ってしまいます。CA取消の主張後に取引に入っています。

この第三者Cを「取消後の第三者」と呼びます。

 

この問題に関して大判昭和17年9月30日民集21−911[130]は第三者が保護されるためには取消前に取引に入っていないといけないとして取消前の第三者が保護されるとしました。

そして取消後の第三者については、取消によりBからAに権利が戻る形が二十譲渡と似ているということから対抗問題としました。つまり177条の物権変動と同じ扱いとなり登記を早く取得したほうの勝ちとしたのです。これを復帰的物権変動といいます。

実際の事件ではAは登記が出来るのに怠った怠慢があるとしてCを勝たせました。

 

判決のまとめ

取消前の第三者→善意なら96Vで保護される(登記不要)

        悪意なら保護されない

取消後の第三者→対抗問題 善意・悪意は問わないが登記が必要

 

私見なんですが、取消前の第三者の扱いは当事者問題として第三者の保護に善意を要求していることが、権利者保護とのバランスが取れていて良いと思います。賛成です。(無過失までの要求にも賛成)

一方、取消後の第三者が対抗問題になるのはちょっとどうかと思います。というのも、復帰的物権変動においては確かに形だけ見れば二重譲渡と似ていますがBは権利者ではないのでそこから真の権利者に権利が戻ることと第三者が食うか食われるかの関係になるとはとても思えません。前述した二重譲渡が対抗問題になるのは両方とも前権利者から権利を譲り受けた権利者で対等の関係だから食うか食われるかの関係になり登記で勝敗を分けるわけです。取消後においては確かにACも権利者ですが、復帰的物権変動は形こそ似ていてもその根本が違っていると考えます。

騙されたとはいえ土地を売ってしまったAと外観を信じたかどうかわかりませんが土地を購入したCのどちらの保護の要請が強いかということです。Aは売りたい、Cは買いたい。ここから所有権絶対と取引の安全を天秤に掛ければ、買いたいと思うCの保護の要請が強いと考えます。すると外観を信じてしまったわけですから(形の上では)、94条2項の類推適用での保護が取消前の処理ともマッチしていると考えます。しかし94条2項の類推適用を使ったとしても、Aには登記を放っておいたという帰責性があればCが勝つことになり、対抗問題と同じ結果になります。すると公信力説と対抗問題の差は意味合いが違うという意味での論理の違いだけということになります。

すると食うか食われるかの関係ではないけれど物権変動に関して177条があるんだから登記がければ第三者に対抗できないよね!というところから対抗問題で扱うのでも良いと思います。どっちを使うのかは気持ちの問題な気がしてきます。

 

第三者の範囲

今までの説明で大分第三者について見えてきたと思います。では第三者なら皆保護されるか?というとそうではありません。

判例は第三者に関して無制限には保護されず制限されるということで制限説をとっています。簡単に言うと、正当な取引関係に立つ第三者だけが保護されるとしています。例えば同一不動産につき所有権、抵当権などの物権や賃借権を正当な権限によって取得した者や差押債権者、配当加入債権者などです。

一方、登記を邪魔した人、無権利者、不法行為者・不法占拠者などは正当な取引関係に立たない第三者とされて保護されません。

 

対抗問題において善意・悪意は問われませんが、信義則に反するような悪意者を背信的悪意者と呼び保護されません。一方、背信的悪意者からの転得者は保護されます。(背信的悪意者との売買も有効と扱われるから)

 

それ以外にも前述した「能力」に関する部分でも弱者保護の観点から保護されません(物的抗弁)し、強迫についても保護されません。

中江先生が講義で書いた第三者の範囲に関する図をここに挿入したいのですが、パソコンのスキル不足で出来ません・・・w

なので、ここに黒板の図が入っていると想像してください!!

図w

 

 

 

 

時効登記

時効登記の説明をしたいのですが時間が無くなってきたので、サクサクいきます。

162条に取得時効に関する規定がありまして、1項には自主占有なら悪意でも20年の占有で所有権を取得でき、2項には自主占有で占有の開始時に善意・無過失なら10年の占有で所有権を取得できると規定されています。

制度趣旨

@     権利者の権原証明が時間の経過とともに困難になる

A     できあがった社会秩序を尊重

B     権利の上に眠る者を保護しない

 

取得時効は原始取得です。原始取得とは誰かから所有権を承継するのではなく、手に入れた瞬間に所有権が生まれることをいいます。ほかには無主物先占、遺失物拾得、埋蔵物の発見、不動産の付合などがあります。

 

ここでも例を考えながら説明します。ここでの問題点は原始取得である時効取得にも登記が必要か?という問題です。

ア ABから土地を購入して登記せずに9年住んだところで、BCにこの土地を売って登記したとします。

 

イ ABから土地を購入して登記せずに11年住んだところで、BCにこの土地を売って登記したとします。

 

Aの所有権はアとイではどうなるでしょうか?

 

物権変動だけで考えると登記がないと第三者に対抗できないのでア・イともにACに勝つことが出来ません。

そこで登場するのが取得時効です。Aは売買により占有を開始しているので自主占有であり善意・無過失と言えます。よって162条2項の短期取得時効を主張することが出来ます。(援用が必要)

10年経ったところでAが時効を援用するとどうなるでしょうか。

最高裁昭和46年11月5日第二小法廷判決を基準に考えると、

ア 時効完成後はA時効完成前に現れたCとの関係では当事者関係になり、ACに取得時効登記なくして主張できることになります。その結果Aが勝ちます。

イ 時効完成後はA時効完成後に現れたCとの関係では対抗関係になり、登記のないACに勝つことができないことになります。

なぜ対抗問題になるかというと@時効完成後はBを中心ACに土地が移転する二重譲渡と同視しうるとして対抗問題になりAAには時効完成後に登記を怠った怠慢ありとしてCが勝ちとします。

 

ポイント

時効完成前の第三者→当事者問題

時効完成後の第三者→対抗問題

つまり裁判所は「時効登記」にも「取消登記」と同じ物差しを使って判断したことになります。この場合のイベントは時効完成時で、第三者が現れたのが時効完成前なら真の権利者保護、時効完成後なら対抗問題としたのです。

 

私見ですが・・・

先生が「短いと保護されて、長いと保護されないのは逆じゃないのか!?」と言っていたことを自分も感じます。そもそもなんで「取消登記」の物差しをここで使った!?という疑問も残りますね。

もしもA時効完成を知った時が11年目で第三者の出現が時効完成後の場合は非常に残念な結果になってしまいますよね。時効の制度趣旨が「できあがった社会秩序の尊重」にあるならイベント前後で分けずに常に登記なしで主張できるようにするべきでしょうね。判例が対抗問題を持ち出したのは時効完成後に登記できたのにしなかった奴まで保護する必要はないと考えたのでしょうね。

そこで自分としては・・・

時効登記

善意

悪意(登記することが出来る事実に関して知っているということ)

時効完成前の第三者

登記無しで保護

登記無しで保護(知っていても登記しに行けないから)

時効完成後の第三者

登記無しで保護

保護する必要なし→対抗問題or94U類推適用

 

この図のようにイベント前後プラス善意・悪意で分けて、時効完成後は登記出来ることを知っていたのに登記を怠っていた所有者だけを対抗問題か94条2項の類推適用で処理することが良いと考えます。

そうすれば意思主義を採用しつつも皆が??と思うような結果を回避できるでしょう。

 

取得時効は10年まはた20年の占有を武器に真の権利者から所有権を分捕る制度ですから、占有者にはそれなりのハードルが設けられて然るべきです。そこから時効完成後の第三者との関係で登記を要求するのはある意味当たり前でしょう。すると意思主義と177条を軸に「取消登記」の物差しを使って考えればこの結果にならざるを得ないでしょう。そして「取消登記」の物差しを使ったことに関しても、登記が関わっているわけですから民法全体との整合性が取れていると思われます。

ただ先生の言う矛盾点が発生してしまうので、前述の自分の案をプラスしての処理が良いと良いと思います。

 

 

 

債権者代位権と詐害行為取消権

ここで「相続と登記」の説明にしようと思っていたのですが債権者代位権の説明がないと分かりづらいのでこちらを先にします。

 

債権者代位権(423条)

民法には債権者が自己の債権を保全するために債務者に属する権利を行使することが出来るとしています。例えばABにお金を貸していて、さらにBCにお金を貸しているとします。Aは自分の債権の期限が到来してBから債権を回収したいのですがBにはCに対する債権しか財産がないとします。AとしてはBに「Cから債権を回収して俺に返せよ!!」と言いたいですよね。でもBはそれをしないような状況でAはこの債権者代位権を使ってBに代位してBCに対する債権を行使することが出来ます。これにはBの無資力要件と期限が到来していることが必要で、この二つが満たされていれば裁判外でも行使可能です。債権保全に非常に便利な債権者代位権ですが何にでも代位出来るというわけではなく、一身専属権には代位出来ないと423条1項但書に書いてあります。因みに423条2項で期限が到来しない間は裁判上でしか代位できません。

 

一身専属権

一身専属権とは行使できるものが限られている権利のことで身分法の多くがこれにあたります。婚姻や離婚、養子に関することを他人がやっちゃうのはおかしいですよね。なので代位出来ません。

生活保護も生存権を根拠に本人のためだけに支給されるものですから他人が代位することはできません。

本人にしか帰属しないという帰属上の一身専属権と本人しか行使できないという行使上の一身専属権に分かれていますが、重なる部分も多いとされています。

 

債権者代位権の転用

債権者代位権は責任財産の保全が目的なのですがそれ以外の場合にも債権者代位権を使っていこうとすることを「債権者代位権の転用」と呼び、登記請求権や賃借権に基づく妨害排除なども代位行使できるとしています。

 

詐害行為取消権(424条)

債権者は、債務者が債権者を害することを知ってした法律行為の取消しを裁判所に請求できるとする権利です。

例えば、ABにお金を貸しているのですがBの唯一の財産がBの車だったとします。Aとしては車を差押えて競売により債権の一部を回収するしかないのですがBはその車を売ってしまうとAが困ることを知っていて、事情を知っているCにその車を売ってしまったとします。Aとして「俺が困ることを知っていて車売ってんじゃねぇよ!!取り返して来いよ!!」とと言いたいですよね。

そこでこの詐害行為取消権を使うと裁判所にBC間の売買は詐害行為だから取消してくれ!!と請求できるのです。これも債権の保全に便利な権利なのですが、Cが善意だった場合は但書で保護されているためにAは車を取り戻すことが出来ません。

そして2項には「財産権を目的としない法律行為については、適用しない。」と書かれていることから、遺産分割協議は「財産権を目的としない法律行為」にあたるのではないか!?という裁判が行われることになります。裁判の末に遺産分割協議は財産権を目的とする法律行為とされました。

 

債権の対外効力

期間制限

できる

できない

債権者代位権(423条)

なし

登記(中間省略登記には全員の同意必要)

不法占拠 

相続放棄

遺留分

詐害行為取消権(424条)害意必要で裁判上のみ可

あり 2年

 

 

 

 

 

 

 

相続について

相続についての基本的なルールをざっくりと説明してから具体例を検証しましょう。

 

相続の大原則

何と言っても相続の大原則は882条「相続は、死亡によって開始する」です。これがスタートです。

 

相続財産

相続で何を貰えるかというと897条で「被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。」となっているので、債権も物権も積極財産も消極財産も全てを承継します。これを「包括承継」といいます。しかし一身に専属する権利は承継しません。

898条で相続財産は相続開始から遺産分割までのあいだ「共有」に属するとされています。そこでこの「共有」が物権法上の共有なのか、合有なのか、総有なのか議論があります。

違いは下の図で

 

持分

分割請求

共有(249条)

あり

あり

合有(667条)

あり

なし

総有(263条入会)

なし

なし

 

共有か合有かという議論になるわけですが、大きな違いは分割請求があるかないかです。ドイツや昔の日本では合有説をとっていて分割請求が出来ないから相続財産に勝手に手を出すことが出来なかったわけです。一方共有説では物権法と同じですから分割請求も出来るし自分の持分に関して処分が出来ることになります。昔の日本には家制度がありましたから持分があっても処分させないという考えが強かったのでしょう。合有説を取れば第三者も現れづらくなります。しかし個人主義の発展で個人の力が強くなった結果、共有説に変わっていき、現在の判例は共有説を取っています。すると分割中でも処分出来るわけですから第三者が現れやすくなりますし、持分を譲渡した結果家族ではない人と分割協議をすることにもなります。そして909条の第三者保護の規定が生まれたわけす。ある意味持分に関する所有権絶対と市場の考え方に立った結果だと思います。

 

 

相続人とは誰か

相続がスタートしたら誰が相続人でどれだけ相続するのかをはっきりさせなくてはいけません。因みに死亡して相続される人を「被相続人」といい、相続する人を「相続人」といいます。

民法は「相続人」に関して886条〜895条に規定をおいています。簡単に言うと、子と配偶者は常に相続人で、これがいないとき又は欠けるときは兄弟姉妹や親も相続人になれるとしています。さらに相続人である子が相続開始時に死亡している場合はその子が代わりに相続できる代襲相続の規定が置かれています。一言で言えば三親等内の家族しか相続出来ません。因みにマニアックなことをいうなら887Vで子に関して再代襲相続を認めているが889Uは兄弟姉妹に関して887Vを準用していないので兄弟姉妹の子の子つまり甥の子は相続人にはなれません。(時間がないのに余計なこと書きましたw)

民法は「相続分」900条〜905条に「法定相続分」(民法が最初から用意している貰えるであろう相続分の割合)や「寄与分」(相続財産の形成に尽力した分)に関しての規定が置かれています。

これをまとめると下の図になります。便利なので説明より図を使っちゃいますw

 

 

 

遺留分

1/2

1/2

1/2

父母

1/3

2/3

1/3

兄弟姉妹

1/4

3/4

0

 

上の図を理解するのに遺留分の説明が必要なのでちょうど良いので遺言とセットで説明しちゃいます。

 

遺言

960〜1027条まで遺言に関する規定があって、簡単に言うと15歳に達した者は遺言として最後の意思を表示することが出来ます。遺言で相続分の指定も出来るし財産を誰かにあげる遺贈も出来ます。被相続人の財産に対する自由の保護が制度趣旨です。ただし遺留分を害することは出来ません。

遺言はいい加減ではいけないので要式行為(紙でしろってことです)とされています。

普通方式(自筆証書遺言、秘密証書遺言、公正証書遺言)と特別方式(死亡危急者遺言、船舶遭難者の遺言、伝染病隔離者の遺言、在船者の遺言)があります。

遺言で大切なのは基本的に遺言による意思表示は強いということです。

 

遺言による指定>遺産分割協議>法定相続分 ⇚これ大切!!

 

遺留分

遺留分とは相続財産の一部を相続人生活保障のために留保する制度です。被相続人の財産処分の自由に相続人の生活保障という名目で割り込む制度ともいえます。1028条に書かれているように兄弟姉妹には留保されません。直系尊属だけなら1/3、それ以外なら1/2まで留保されます。というかこの範囲まで遺留分減殺請求で取り返せますw これは行使上の一身専属権として債権者代位権では代位出来ません。これ重要です。

 

遺贈と死因贈与

遺贈とは遺言で財産処分のことで、964条では対象を具体的に特定する「特定遺贈」と1/2とか1/3というような割合で指定する「包括遺贈」があります。

遺贈似ているものに死因贈与というものがあります。被相続人の死亡により貰えるというのは同じなのですが性質が異なります。遺贈は単独行為なのに対して、死因贈与は「あげます」「もらいます」という意思の合致で成立する贈与契約の効果発生を死亡まで保留にしておく停止条件付贈与ということになります。贈与は物権変動なので第三者に対抗するためには登記が必要なんですが、遺贈が物権変動なのか相続なのかという問題があり裁判になります。

 

 

性質

税金

取消権の制限

遺留分

死因贈与

契約

△(無書面のもののみ取消可)

×

遺贈

単独行為

中(贈与税>相続税)

×(いつでも撤回可)

×

相続

事実行為

低(登記免許税も1/4

 

 

 

 

相続の分け方

誰がどれだけ相続するか分かったところで、相続がどのような流れでどのように分かれているかを理解しなくてはいけません。相続は被相続人の死亡で始まり、その後は大きく分けて三つの部分で構成されています。

 

相続の承認又は放棄をすべき期間

遺産分割協議

遺産分割協議

 

相続の承認又は放棄をすべき期間

被相続人の死亡で相続がスタートすると、915条1項で相続人は自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に承認か放棄をしなければならないとなっています。

「承認」とは相続するということで「単純承認」と「限定承認」に分かれています。

920条の単純承認は積極財産も消極財産も無限に被相続人の権利義務を承継することをいいます。

922条の限定承認は相続によって得た財産の限度で相続することをいいます。消極財産を積極財産で精算して残る限度で相続できるシステムです。

921条に細かい規定があるので読んでください。

相続放棄とは相続をしないということです。放棄には938条で家庭裁判所への申述が必要で、939条により放棄をした者は初めから相続人とならなかったものとみなされます。遡及効があるということです。あとで大議論になります。相続放棄は代位行使できないとされていますが、出来るとする学説もあります。

 

遺産分割協議

承認すると遺産分割協議が始まります。遺産分割協議とは簡単に言うと相続人の皆で話し合って誰が何をどれだけ相続するのか決めようよ!ってことです。ここで大切なのは法定相続分通りでも良いし、そうじゃなくても良いということです。906条で遺産の分割は「物又は権利の種類及び性質、各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする。」とあるように色々な事情を考慮して決めることになっています。分割に関して被相続人が遺言で指定することも出来ます。

907条1項で遺言による分割も可能ですし、協議が調わないときは家庭裁判所に請求することもできます(907条2項)

第三者との関係で大切なのが909条です。「遺産の分割は、相続開始時にさかのぼって効力を生ずる。ただし、第三者の権利を害することはできない。」となっていることから遡及はするけど第三者は保護されることになります。これもあとで大議論になりますw

 

遺産分割協議

分割後は909条に遡及効があるので、さも分割協議はなかったかのように扱われて承継した財産は相続の開始からそれぞれが持っていたことになります。これを「宣言主義」といいます。これに対して実際は分割協議があって財産が移転したと考えることを「移転主義」といいます。詳しい説明は割愛しますが、判例は移転主義的な考えを取りつつも宣言主義の立場に立っています。なので遡及するのに第三者が現れても矛盾はしません。

 

 

 

具体例の検討

前述の民法のルールや物差しを踏まえて以下の6つの判例を検討して、裁判所が相続をどう考えているのかを明らかにしていきます。

 

 

 

相続と登記

判例が債権者が勝たせているもの

理由

共同相続

△(講義では×になってる)

姉の相続放棄を偽造した夫は無権代理

「相続させる」旨の遺言

×

すべて妻の物

遺贈

対抗問題 (遺贈と差押は同等)

相続放棄

×

939条 初めから〜とみなす

遺産分割協議 (協議前に債権者が登記)

△(半分だけ)

妹の持ち分に関しては、債権者は無権利であるので取得できない 909条

遺産分割協議 (協議後に債権者が登記)

対抗問題  177条

 

 

自分の相続への考え方

具体例を考える前に自分の相続への考えを言っておきます。

前にも書きましたが、自分としては相続に第三者は入って来なくても良いと考えています。感情論ですが、身内の誰かが死んで悲しいうえに、葬式だとか、これからの生活だとか、相続人同士でいくら貰えるだとか考えているときに、「自分債権者なんで差押えます」なんて出てこられた日にゃ〜堪ったもんじゃないですよ。ま、感情論だと説得力がないので日本人の文化に根差した感情とでもいいます。日本人は故人を悼むものなんです。その時くらいそっとしておいて欲しいです。

そして、そもそも論として債権者は債務者の個人財産だけから回収すべきなんです。それを持分があるだけで、貰えるかどうか分からない相続財産に手を出しちゃう!?みたいな感じです。ま、借りた金は返さなきゃいけないという考えもあるし、どうしても取られたくなければ相続放棄があるのでバランスは取れているのではないか?とも思っています。

上の感情論を民法的な言葉にまとめるなら

被相続人の財産の処分の自由(所有権絶対)+相続人の持分の処分の自由(所有権絶対)+相続人の生活保障(弱者保護)VS債権者(市場原理)の妥協点

が相続だと自分は考えます。その目線で具体例を分析していきます。

 

 

〇共同相続について 最高裁昭和38年2月22日第二小法廷判決

父が亡くなり姉と妹が家を共同相続しました。そして姉の夫が妹の相続放棄の書類を偽造して姉の単独相続の登記手続きを済ませました。その後夫は家を債権者に売ろうとしたのですが登記が姉になっていたことから姉がこの売買に同意しました。するとこの家は妹の物なのか債権者のものなのか?という事件です。

 

問題点として、909条をストレートに適用すると偽造の登記を信じた第三者は家全部を取得できるのではないのか!?というのが問題点です。

裁判所は姉の持分1/2の範囲での所有権の取得を債権者に認め、妹の持分1/2に関しては無権利者の姉の夫からは取得できないとして債権者の取得を認めませんでした。

ここから自分の持分に関しては処分することができ、他の相続人は登記なくして第三者に対抗することができることになります。

 

私見ですが、相続VS物権変動という問題と、第三者の範囲において債権者の妹の持分については正当な取引関係に立たない第三者とする考えを、重なる範囲で解決を図ったものだと自分は考えます。

この事件が分割前なのか後なのか詳しく分からないのですが、この判決は財産法との整合性は非常にうまく取れていると感じます。

しかしながら先生が講義中に言っていたように、この判決後は妹と債権者の共有になるわけですよね。そしたら家を売って妹が金を貰うか、妹が金を払って家を買うかですよね。大体はお金がないわけですから住めなくなりますよね。弱者保護の観点から考えるとこの判決は厳しいですよね〜。

自分としては前述した自分の相続への考え方を基準にするなら、合有説に立って分割協議で具体的相続分が決定した後ならこの判決で良いと思います。しかし合有説に立っても909条があるので結果的には債権者が保護されることになってしまいます。するともしも妹が1/2以上貰えることになっていたら姉への求償の問題になるのでしょう。

それを踏まえると、この判決はかなり上手いところの妥協点を見つけていると考えられます。こうやって考えていると、妹に家を全部というのは姉との持分とのバランスの話なので、仮に妹が家を全部取ったとしても姉にお金を払わなければいけない事実は変わらないとすると、それが債権者でも変わらないのでは!?との考えに行きつきます。

するとこの判決は所有権絶対と取引の安全(市場)を非常にうまいところでバランスをとっていると考えられます。よって、この判決は妥当と考えます。

 

 

遺産分割協議について

父が亡くなり姉と妹が家を相続して遺産分割協議で妹が家を全部相続することになった。しかし姉の債権者が債権者代位権を使って家を全部差押えて登記を取得した。この家は誰のものか?

 

この問題に対して裁判所は「取消登記」と同じ物差しで、遺産分割協議をイベントとしてそれより前に現れた第三者は909条で保護され、後に現れた第三者は対抗関係という論理で裁いた。

その結果、分割協議前の第三者である債権者は姉の持分に関しては取得することが出来るが、妹の持分に関しては無権利者だから取得出来ないとした。

 

遺産分割協議前→909条で保護

遺産分割協議後→対抗問題

 

私見ですが、この判決は「共同相続と登記」の判決を基に「取消登記」のイベント前後で分ける考え方を取り入れたものだと考えます。この考えには賛成で、相続財産も債権なり物権である以上ずっと宙ぶらりんで保護され続けるというのはおかしいのでどこかで区切りを付けなければならないと考えると、遺産分割協議で線を引くのは賢い判断だと考えます。

遺産分割協議後が対抗問題になるのは「取消登記」の取消後の第三者と同様に論理の問題はあれど物権変動である以上妥当と考えます。(対抗問題or94U類推適用で処理)

 

問題は分割協議前をどう理解するかです。(ここからは教科書に載っていないので完全に持論でいきますw)

909条をストレートに適用すれば債権者は家全部を取得できるはずなのに半分しか取得できない。なぜでしょうか。ここで96条3項をみると第三者が保護されるためには善意が要求されています。では909条の第三者の方が要件が緩く無制限に保護されることになるのでしょうか。登記簿を見れば遺産分割前だということが分かるわけですから基本皆悪意です。909条は悪意の第三者を保護する規定ということになりますね。では保護される悪意の第三者とは何なのでしょうか??遺産分割中に現れる第三者を大きく分ければ、善意か悪意で分けられますよね

善意→96条3項や94条2項での処理も可能ですが909条でも保護されると考えます。

 

悪意→基本皆悪意なわけですから遺産分割中で登記があやふやだと知っていて手を出すわけです。他人の財産に手を出すわけですから当然金目当てでしょう。するとこれって、下手をすれば単純悪意を越えて背信的悪意者に該当するケースも出来てきそうですよね。

 

ではなぜ悪意の第三者を保護するのか?と考えると市場の保護の要請からとしか考えられません。相続人は承認を選んだ後は法定相続分による持分があることになります。しかしながら分割協議で必ずしもその全てが手に入るとは限りません。その意味では潜在的持分です。分割協議で自分の持分を他の相続人に譲ることが出来るわけですから、債務を負っている相続人が返済を逃れるために他の相続人に持分を譲ることは十分に考えられますよね。すると、もしも債務者が債務超過に陥っていたら債権者としては堪ったものではありません。

決定していないという意味で潜在的持分と書きましたが、逆に考えるとその持分を相続人は主張できるわけですから、債務を負った相続人が債務超過に陥っていたら債権者としては「その持分を主張させたい!!」

と考えますよね。そこで債権保全のために債権者代位権を使おうと思うのは当然です。ここで債権者はそもそも債務者の責任財産をあてにして金を貸すわけだら責任財産のみから回収するべきで、債権者の期待は保護に値しないという意見もあるでしょう。実際自分もその意見なのですが、きっとお金を借りて返さない人って、相続で遺産分割になったら家族ぐるみで持分を他の相続人に譲ったりするんでしょうねw

それって信義則に反するとまでは言えなくとも、市場(取引の安全)とのバランスを逸しますよね。

そういった背景から遺産分割協議中に債権者代位権を使えるようになっていると自分は考えました。この考え方は「遺産分割協議と詐害行為取消権」最高裁平成11年6月11日第二小法廷判決とも整合性がとれていると思われます。

 

これまでの全てを考慮すると、909条で保護される悪意の第三者とは遺産分割協議について悪意だけど相続人と正当な取引関係にある第三者ということになると思われます。

それを踏まえてこの判決を評価すると、相続人の処分の自由(所有権絶対)と債権者の期待(市場・取引安全)を第三者の範囲でバランスを取ったものだと評価できます。

 

自分としてはなかなか良い落としどころだとも感じるのですが、相続人保護の立場なのでもう少し相続人の生活保障(弱者保護)の観点が欲しいところです。

債権者が相続財産にまで手を出しちゃうような債務者ですから当然お金はないわけですよね。そこで相続分を全部差押えられた日にはその後生きていけませんよ!!相続法に遺留分の規定があって遺留分減殺請求権が一身専属権だと考えるのなら、生活保障の観点から債権者が差押えられる相続財産を遺留分の範囲外とすべきと自分は考えます。

 

因みにですが、債権者代位権で持分を差押えられるのに持分より少ない遺留分に手を出せないのは矛盾しないのか?という問題に対して、遺留分はあくまで被相続人の意思VS相続人の生活保障が制度趣旨なわけですから間違いなく一身専属権です。すると本人以外は行使するべきではないので、数字上では矛盾するように見えても制度の上では矛盾しません。

 

 

 

 

相続放棄登記について  最高裁昭和42年1月20日第二小法廷判決

父が亡くなって、家について兄と弟が共同相続人となったが、弟が相続放棄をした。しかしその旨の相続登記がなされる前に弟の債権者Gが兄の所有する家につき、弟の持分1/2について弟を代位して差押えたとします。すると兄の家についてどうなるか?という問題です。

 

これに対して裁判所は939条にあるように相続放棄は初めから相続人とならなかったものとみなすされるから、何人にも登記なくして対抗できるとして兄を勝たせました。

 

私見ですが、939条の遡及効をストレートに取ればこの判決には文句はありません。賛成です。因みに相続放棄は一身専属権なので代位行使も詐害行為取消権も行使できません。

 

 

〇「相続させる」旨の遺言について 最高裁平成14年6月10日第二小法廷判決

Aが「妻Xにすべて相続させる」旨の遺言を残して亡くなり妻Xが相続したが、相続登記を取得する前にAXの子Bの債権者GBの持分1/2について所有権登記を取得。Xはどうなるだろうか?

という問題です。

 

これに対して裁判所は、「相続させる」旨の遺言は法定相続分又は指定相続分の相続の場合と本質において異なることはないとして、登記なくして第三者に対抗できるとしました。その結果妻Xがすべて相続しました。

 

私見ですが、遺贈には登記が必要なのに「相続させる」旨の遺言には登記が必要ないというのは調和がとれていないと考えます。

まず「相続させる遺言」の性質を裁判所は特定の遺産を特定の相続人に相続させる趣旨の遺言は、908条にいう遺産分割方法の指定であるとしています。(最判平成3年4月19日)

そして985条で遺言の効力が遺言者の死亡から発生しますから、死亡の瞬間から権利は移転していたことになります。

 

次に「相続させる遺言」で指定された相続財産に債権者は手を出して良いのかを考えてみます。相続が被相続人の財産の精算と相続人の生活保障のためにあるのならば、相続財産はそもそも被相続人のものですから被相続人の処分の自由が一番強いことになります。そして相続財産の精算と相続人の生活保障の面から持分が法定されているわけですから相続人の自由は二番目に強いことになります。そして債権者は相続人に持分があるからこそ債権者代位権を行使できるわけですからもっとも弱いということになるでしょう。

 

被相続人の意思>相続人>債権者

 

すると、被相続人が特定の相続人に相続分の多くを指定した以上、債務を負う他の相続人は遺留分以外は持分がない事になりますから、債権者は代位するものがなくなってしまうことになります。

このことから債権者は保護の必要性云々の前に仕組みとして出てこれないことになります。

 

 

第三者の存在を考えてみると、遺言後で登記前の間に第三者が現れる可能性があります。ここで「相続させる遺言」で指定された相続人の保護の必要性を考える必要があります。

仕組みとして「被相続人の意思」+「相続人の生活保障」VS第三者(取引の安全)となると、相続人の保護(遺言の実現)は必要だし、第三者の保護も必要です。(この点で判決は現実の事件との兼ね合いで遺言の実現に重きを置いた結果だと思われます。その意味ではこの判決も妥当だともいえます。)

 

これらを全部考慮し、且つ、遺産分割協議後遺贈登記が必要なことを勘案して、自分としては「相続させる」旨の遺言に登記が必要だが「遺言を知ってから相当の期間の後に登記を取得しなければ、第三者に対抗することができない」という文言、または、判例理論での解決が良いと考えます。

 

 

 

遺贈登記 最高裁昭和39年3月6日第二小法廷判決

例えば父Aが「Bに家を遺贈する」旨の遺言を残して亡くなり、Aには子がいた。遺贈に基ずく登記がされない間に子の債権者Gが子の持分に代位して所有権登記を取得。家は誰の物か?という問題です。

 

これに対して裁判所は、遺贈は贈与と異なるところはなく遺言者の死亡と同時に権利・義務が承継さるから177条が適用されて、登記がなければ完全な物権変動を生じないとして債権者Gを勝たせました。

 

私見ですが、問題があるような気がします。

何が問題か?

相続による不動産の取得では、相続人は持分を登記なくして対抗することが出来るのに対して、受遺者は登記がないと対抗できないのはおかしくないのか?という問題です。

「相続させる」旨の遺言の場合は法定相続分と変わらないから登記がいらない。遺贈は贈与だから登記が必要だ。

自分も含め皆がおかしいと感じるのは遺言が被相続人の最後の意思表示なら遺贈も「相続させる」旨の遺言と変わらないじゃないか!!と感じるからだと思います。遺言は遺留分を害さない範囲で被相続人の財産の処分(所有権絶対)を認める制度だと考えればますます法定相続分と同じ扱いであるべきな気がしてきます。

 

ここで包括遺贈に関して考えてみます。990条には包括受遺者は同一の権利義務を有するとなっています。実際「財産の1/3遺贈する」旨書いてあったらどう1/3なのか分かりませんよね。906条の分割の趣旨があるわけですから他の相続人と分割協議をする必要が生じます。これらから包括遺贈に関して、その必要性から相続人と同じに扱うことには賛成です。

一方、特定遺贈に関しての規定がないのが問題なんです。起草者が包括遺贈にだけ相続人と同じ扱いをすると書いたということは特定遺贈に関しては別に扱え!という趣旨だと思われます。ここからこの判決が物権変動として扱ったのは条文との整合性があるようにも思います。

では、保護の必要性の面から考えたらどうなるでしょうか。相続人には初めから法定相続分が規定されおり潜在的持分に関して保護されています。一方、受遺者には持分がないから被相続人は遺言を残すわけですよね。すると、保護の必要性の面では相続人より受遺者の方が高いと考えられます。なのに相続人は登記なく対抗できて、受遺者は登記がないと対抗できないというところに矛盾があると思われます。

 

手続きの面から考えると、相続人には戸籍があって誰がどのくらいの持分があるのか分かるから登記はいらない。一方、受遺者は遺言で指定されているだけでどのくらい貰えるのかを周りの人が知ることが出来ないことから公示の必要があると考えて登記が必要とする考え方もあります。これに関しては自分も賛成です。実際、受遺者自身が遺贈の存在を知らないこともあることから、何かしらの方法での公示は必要だと考えます。公示の方法を考えれば登記になると思われます。

 

しかし登記をするからといって対抗問題にするのはどうでしょうか?

例えば夫が亡くなり妻と子が相続人で、「愛人に家を遺贈する」旨の遺言が出てきたとします。妻と子としては夫に愛人が居たことだけでも大事なのにその上家まで取られるの!?「びた一文あげたくない」みたいになりますよね。で愛人に教えない間に登記を取得するとかありそうですよね。ま、バレたら欠格事由にあたっちゃうんですけど、きっと愛人への遺贈を何とかして阻止するでしょうね〜。

または遺贈に関して知らされたけど、妻と子に気を使っているうちに別の第三者が登記を取得するとかありそうだな〜と感じてしまいます。いまいち登記実務が分からないのでこの辺の対策があるのかどうか興味がありますが、理屈ではこうなりますよね。

何を言いたいかというと、公示の意味でも登記は必要だけど、被相続人の処分の自由(所有権絶対)と弱者保護の面から何かしらの保護が必要だと自分は考えます。

 

どう保護したら良いのか?という問題を考えていて思い浮かんだのは「本当に受遺者は相続人より不公平な扱いを受けているのか?!」ということでした。

これを分割協議と比べると・・・909条の分割協議には遡及効があり初めから持っていたことになる。177条で不動産なら第三者に対抗するためには登記が必要。だから分割協議が終わったら登記してよね!という論理。遺贈は985条で遺言の効力の発生時期は「遺言者の死亡の時から」となっている。死亡の瞬間に所有権は移転したことになる。死亡から所有権を取得しているなら第三者に対抗するためには登記しよね!という論理。これを考えると同じ扱いなんですよねw

では相続人が分割協議中に登記なく対抗できることをどう考えるか?きっと持分はあれど共有だからでしょうね。分割協議で具体的相続分が決まるまでは何が自分の物になるのか分からないわけだから登記しにいけませんよねw

これらを考慮すると相続人と受遺者の扱いは同じという結論になります。

この結論を踏まえて判決を再評価すると、なかなか良い落としどころではないかとも感じます。

 

ただ一点だけ!!矛盾が無かったとしても、愛人の例のように本人が遺贈を知らない間に、または、まごまごしている間に第三者に取られる可能性がある問題は解決しません。

そこで自分の提案としては、「受遺者は遺贈を知った時から相当の期間の後に登記を取得しなければ、第三者に対抗することができない」みたいな文言なり判例理論があれば、受遺者が遺贈を知らない間や、放棄なり承認を悩んでいる間は保護されて、承認するなら登記しろよ!という話になって全てのバランスが取れるのではないかと考えます。

 

 

まとめ

 

判例が債権者or第三者を勝たせたもの

判例

自分の意見

取消登記

前〇

後〇

取消前の第三者→善意の第三者保護(登記不要)(96V)

取消後の第三者→対抗問題

前→妥当

後→対抗問題or94条2項類推適用

時効登記

前×

後〇

時効完成前の第三者→当事者問題(登記不要)

時効完成後の第三者→対抗問題

前→妥当

後→悪意の場合だけ対抗問題or94条2項類推適用

共同相続と登記

第三者の範囲(たぶん)(登記なく持分の主張可)

妥当

「相続させる」旨の遺言と登記

×

遺言通り(登記不要)

登記が必要

遺贈登記

対抗問題

受遺者の保護が必要

相続放棄登記

×

939条(登記不要)

妥当

遺産分割協議登記

前△

後〇

分割協議前→909条(登記なく持分の主張可)

分割協議後→対抗問題

前→遺留分の範囲外での差押え

後→対抗問題or94条2項類推適用

 

 

こうやって判例を分析して思うことは、裁判所は相続法の分野を財産法の物差しで測りつつも、所有権絶対、弱者保護、取引の安全のバランスを取っていることが分かる。イメージだが、相続(被相続人の意思+相続人)と第三者に関して7:3くらいの割合いで保護していると思われます。

その考え方は、裁判所よりもう少し相続人よりとはいえ自分の考え方にも近いと思います。

たぶんその背景には家制度の名残りと相続自体を聖域と考える日本独特の文化が影響していると思わます。そこから考えると債権者代位権を分割中に使えるようにしたのは思い切った判断だと自分は感じます。ある意味聖域へ切り込むわけですからね〜。それにより取引の安全の保護が進んだわけで、バランス自体は自分よりも判決の方が取れていると思います。

 

 

 

 

経済と社会保障からの問題点(講義丸パクリなんで微妙なところですが・・・)

日本では空家が800万戸もあるのに毎年新規着工が100万戸もあり、それが賃貸料を上がる原因でもありエコの観点からも問題とする視点があります。賃料が高いから社会保障費の殆どが家賃に消えてしまう。これらの空家を生む原因の一つに相続があるとも考えられます。例えば田舎で暮らす父が亡くなって土地を相続しても空家が生まれますよね。

こいった問題にエコから中古物件の再利用を促し、債権者が空家になりうる物権を差押えて市場に中古物件を出回らせると解決できるのではないか!?という意見があります(中江先生)。

その方法の一つとしてReverse Mortgage(土地を抵当にお金をかして、そのお金で介護をし死亡後に土地で回収するシステム)のような方法で市場に中古物件を増やして賃貸料を下げよう!!というものがあります。さらに相続の段階でもっと債権者が出てこれれば相続の段階でも市場に物権が増やせるのでは!?との意見あり。ただ、裁判所の考え方では債権者が相続で家全部を差押えるのは困難。

 

 

この問題に自分なら次のように考えます

中古物件の推奨には賛成です!!

新築の経済効果とリフォームの経済効果ではどちら大きいのかわかりませんが賃料は間違いなく下がるでしょうね(貸主は大変でしょうけどw)。さらにリフォームが増えれば、新築会社からリフォーム会社へと需要が移ることを考えれば、(実際新築より仕事量は増える見込みだし)問題ないと思います。さらにエコを考えれば使えるものは使った方が良いです。日本の家屋なら長持ちしますから。

 

ReverseMortgageにも賛成です。

1000兆円に上る負債の原因が個人主義の発展による社会保障費に起因するなら、自分のことを自分で賄えるわけですし、市場に物権が出回る機会が増えるわけですから反対する理由が見つかりません。日本なら抵当権でも良いし、停止条件付の譲渡担保でしょうかね。

 

相続の段階で債権者が出てこれるようにするのには反対です。

個人主義で社会保障費が膨らむから、新しい家族(血、家、性別を越えた家族)で社会保障を賄おうとするのが自分の考えです。すると血や家以上に気持ちでの繋がりが大切にされる必要が出来てきます。

すると相続は今以上に聖域である必要があります。そのため、その段階で債権者には出てき欲しくないと考えるからです。

 

最近では、相続した土地を早い段階で売却すれば税制面で優遇されるとする制度が進んでいます。

 

これらを考慮しての結論として、中古物件とReverseMortgageの推奨とともに相続以外での物権の売却が経済、社会保障に寄与すると考えます。

 

 

 

 

 

結論

法律、経済、社会保障といろいろな角度から相続を検討してきて思うのは、詰まるところ相続とは何か?相続をどう考えるかに依ると思います。相続への考え方は(哲学ともいえますが)、時代や国、人種で異なります。例えばアメリカでは遺留分がなかったり、妻がほとんどもらえたり、精算された後に相続人に帰属するシステムを取っています。個人主義の色合いが濃いからでしょう。中国では皆均分ですまさに共産主義的思考の賜物でしょう。

日本の場合は荘園、戦国時代、家制度、現在の個人主義を考えると、団体主義と個人主義の落としどころであり、引継ぐことに重きを置く聖域の色合いが濃いと考えられます。

そこで自分のように相続人保護に傾けば合有説を取るのも一つの手だと考えますが、共有説による処分の自由は債権者に取られるというリスクだけではなく迅速性を要求する資本主義の要請にも応えています。これらを考慮すると今の判例の立場は理論こそ??というところがあれど、全ての要請に応えたバランスの上に成り立っていると考えられます。

よって自分の結論としては現在の裁判所の考え方に多少のの修正を加えての運用が望ましいと考えます。

 

 

参考文献

民法T〜C 内田貴

民法概論1〜5 川井健

民法 親族・相続 松川正毅

民法判例百選T〜V

 

出典 自分の頭