伊藤大貴
英米法1(中江章浩先生)
法学部4年 13J104001 伊藤 大貴
テーマ「後見と認知症」
結論
認知症と後見制度において、英米法の自己決定型を参考にするべきである。
1.日本法と英米法の違い
大陸法は、ローマ法の影響を受け、制定法を第一法源としている。それに対して英米法は、ゲルマン法の影響を受け、判例法を第一次的法源としている。日本は大陸法系をとっている。制定法を第一次的法源にするというのは、「今すでにあるちゃんとした手続きを通った法律の解釈でやっていこうよ」ということで、これは、大陸法系の特徴。それに対して、判例法を法源にしているのは、ゲルマン法の影響を受けた英米法の特徴で「筋を通せば、夫々の判例で解決すればいいじゃない!」ということになる。
後見とは、民法において、制限行為能力者の保護のために、法律行為・事実行為両面においてサポートを行う制度である。未成年者に親権者がないか又は親権者が財産管理権をもたない場合の未成年後見制度と、精神上の障害等により能力を欠く場合の成年後見制度がある。後見には「未成年後見」と「成年後見」があるが、未成年者についても成年後見の適用は排除されていない点に注意を要する。これは成年が近くなった未成年者の知的障害者が成年に達する場合には法定代理人がいなくなってしまうことから、その時に備えて申請を行う必要があるためである。
成年後見制度とは、広義にはその意思能力にある継続的な衰えが認められる場合に、その衰えを補い、その者を法律的に支援するための制度をいう。これには民法に基づく法定後見と、任意後見契約に関する法律に基づく任意後見とがある(広義の成年後見制度には任意後見を含む)。
狭義には法定後見のみを指す。法定後見は民法の規定に従い、意思能力が十分でない者の行為能力を制限し(代理権の付与のみが行われている補助の場合を除く)、その者を保護するとともに取引の円滑を図る制度をいう。本制度はドイツの世話法、イギリスの持続的代理権授与法を参考にして2000年4月、旧来の禁治産・準禁治産制度にかわって設けられた。従来の禁治産・準禁治産制度には、差別的であるなどの批判が多かったからである。
法定後見は、本人の判断能力が不十分になった場合に家庭裁判所の審判により後見人(保佐人・補助人)が決定され開始するものである。本人の判断能力の程度に応じて後見、保佐、補助の3類型がある。
日本の成年後見制度に対して、英国では、Mental Capacity Actといい、イギリスで作られた法律である。日本は、後見人が代行し、代理権が中心である。後見人が代わりにやってあげるので利益相反の問題が出てくる。また、パターナリズム型といって、判断は偉い人にお任せという考え方である。それに対して、英国では支援人と言う人がいて、同意権が中心である。自己決定型である。たとえ間違っていても、自分で決めたほうが良いとする考え方である。なので、利益相反といった考え方はない。本人の最も良い選択肢を探すという考え方である。英国では、意思決定支援を優先する原則と、意思決定能力がないと判断されても、本人にとって最善の利益(ベスト・インタレスト)を追求していく原則が明確に示されている。
権利能力は、権利・義務の主体となることができる資格である。「権利」能力というが、義務を負担する能力をも含んでいる。
民法は社会生活を権利・義務の関係としてとらえるから、権利の主体となることができなければ取引を主体的に行うことができない。取引の世界に参加するためには、権利能力という資格が必要である。人間は権利能力を有するので取引に参加することができる。しかし、人間以外の動物は権利能力を有しないので取引に参加することはできない。
意思能力とは、意思表示などの法律上の判断において自己の行為の結果を判断できる能力のことであり、意思能力の有無は、問題となる意思表示や法律行為ごとに個別に判断される。必要とされる判断能力の程度は民法第7条の「事理を弁識する能力」(事理弁識能力)に相当するものと理解されている。一般的には、10歳未満の幼児や泥酔者、重い精神病や認知症にある者には、意思能力がないとされる。意思表示あるいは法律行為の有効性に関する民法上の概念としては、意思能力のほかに、行為能力があり、立証方法やそれを欠く場合の法的効果が異なる。
行為能力とは、単独で有効に法律行為をなし得る地位または資格のことをいう。行為能力が制限される者のことを制限行為能力者という。かつては行為無能力者あるいは制限能力者と呼称されていた。制限行為能力者は民法に定められており具体的には未成年者、成年被後見人、被保佐人、同意権付与の審判(民法17条第1項の審判)を受けた被補助人を指す(民法20条第1項)。なお、同意権付与の審判を受けず代理権付与の審判(民法876条の9)のみを受けている被補助人は制限行為能力者ではない(民法20条第1項)。
行為能力の制度は、法律行為時の判断能力が不十分であると考えられる者を保護するために設けられたものである。そもそも意思能力のない者による法律行為は無効とされるのであるが、法律行為の当事者が事後において行為時に意思能力が欠如していたことを証明することは容易でない。また、行為時の意思無能力が証明された場合には法律行為が無効となるので、その法律行為が無効となることを予期しなかった相手方にとっては不利益が大きい。一例としては、『後見人の同意がある「成年被後見人が行った、家の売買契約」は取り消すことができるか?』が挙げられる。民法9条で取り消すことができるとある。
意思能力のない者による法律行為は無効とされるのに対し、未成年者、被保佐人、同意権付与の審判を受けた被補助人が、それぞれの保護者(法定代理人、保佐人、補助人)の同意を得ずにした一定の法律行為は取り消すことができるものとされ、また、成年被後見人の行為は、その保護者(成年後見人)の同意があった場合であっても取り消すことができるのが原則である。未成年者が親の同意があって契約した場合は、取り消すことができない。(未成年者には、意思能力があるから)
民法は、意思能力の有無が法律行為ごとに個別に判断されることから生じる不都合を回避し、類型的にみて法律行為における判断能力が十分ではない者を保護するため、これらの者が単独で有効に法律行為をなし得る能力を制限して制限行為能力者とし、その原因や程度により未成年者、成年被後見人、被保佐人、被補助人に類型化した上で、それぞれの判断能力に応じて画一的な基準により法律行為の効果を判断できるようにしたのである。そして、制限行為能力者にそれぞれ保護者を付して取消権などの権限を認め、制限行為能力者の利益となるよう適切に判断することが期待されている。
なお、婚姻、縁組、認知、遺言など、一定の身分法上の法律行為については、行為能力制度の適用はないものと解されている。そもそも行為能力制度(制限行為能力者制度)は制限行為能力者の取引の安全を図ることを目的としており、また、身分法上の法律行為は本人の意思を尊重する要請が強く(代理になじみにくい)、類型的にみて身分法上の法律行為は財産法上の法律行為ほど要求される判断能力は高くないものと解されているからである。一般に身分行為に必要とされる判断能力は15歳程度の判断能力が基準とされている。
2.日本法も英米法のように功利主義を取り入れていくべき
民法847条では後見人の欠格事由として、
@未成年者A家庭裁判所で免ぜられた法定代理人、保佐人または補助人B破産者C被後見人に対して訴訟をし、またはした者並びにその配偶者及び直系血族D行方の知れない者とある。
後見人には自然人、法人がなるのだが、どちらが良いかはそれぞれのケースにより異なるだろう。自然人の場合、7割が親族である。親族なので、それまでの被後見人の好み、物の考え方等良く知っているので、「被後見人だったらこう考えるであろう」と推測して決めることができる。ただ、家族にのしかかる負担は重い。家族の間がうまくいっているうちは良いが、利益相反の場合は骨肉の争いになることが多い。(民法826条の利益相反行為)
また、少子化で今まで一度も顔を見たことがないような甥や姪が後見人になると言ったケースも出てくる。(我が家でも、一度ぐらいしか会ったことの無い叔母の身元引受人に母がなっていて、今年3月に叔母が亡くなった為、母が葬儀と遺品整理をしていた)今後こうしたケースが多くなると思う。
法人後見の場合は、法人が成年後見人になる場合でも、実際にその職務行為を行うのは、その法人で働く個人である。法人で働く個人は、一つの組織化された集団の一員として、連携協同することが期待できる。また、中立的・専門的に職務が執行できる。職務の内容が広範にわたる場合でも、組織化された複数人により対応することが可能になる。これは、メリットである。また、個人のように健康上の理由で職務が停滞することもなく、その寿命に限度がないことも挙げられる。つまり、個人より長期的な職務の執行が可能といえるのだ。英米法では営利法人を高く評価していて、法人後見が取り入れられているが、日本では、法人が後見人になるというのはあまり馴染みがない。しかし、営利法人こそしっかり顧客の管理ができるのではないかと思う。
高齢化社会で、身寄りのいない老人がアパートを借りる際の連帯保証人をどうするかなど、成年後見制度で困っている人が多い。今後はもっとそういった人たちが増えてくるのは明らかである。そろそろ、日本法にも功利主義を取り入れていく必要があるのではないだろうか。
3.通常の治療には医療同意を認めるべき(安楽死等死に関係する重大なものとは分けて考える)
成年後見人制度に関しては、まだまだ解決しなければならない問題が残されているが、医療同意についても問題がある。成年後見制度と医療同意との関連では、後見人は@医療契約の締結代理権はあるが、A個々の治療行為の同意権はないという点だ。
医療の現場では、病気になった人が病院へ行き、診察を受ける。そこでは、患者さんとしては既にその病院を選択して、ある程度の医療契約を結んでいるわけだ。しかし、治療行為については、医師としてはそれは先に結ばれた契約の履行行為と言えるが、患者としては、病気や治療行為の説明如何によってはその医療を選択しないこともありうるということで同意権が発生することになる。これは医療行為が生命身体への自由(人権の中で優越的地位にある自由)を侵害する外形を持つということで、自己決定権が強く保護されているからといえる。このため、成年被後見人に治療が必要となった場合に、成年後見人等は、医療機関と医療契約を締結することはできるが、この契約の履行として実施される注射・手術等については、一切同意権をもたないため、直接的にはこれに応ずることはできないのである。現実問題として、第三者が何らかの形で「医療行為をしても良いですよ」と判断を下さない限り、成年被後見人等は医療を受けられないままほったらかしにされるということになる。
一定の限度内において成年後見人に対して医療侵襲行為への同意権を認める方が、現実的な判断というべきではないだろうか。ただ、生命に関係する重大な医療行為(臓器移植、不妊手術、延命治療およびその中止、安楽死の問題)については、正直難しい点が多いと思う。命の危険を考えると簡単には判断の付かない問題も多いだろうし、介護者、医療機関等みんなとの連携の必要性があり、慎重に考えなければならないと思う。
4.日本法の刑法と英米法の刑法の考え方の違い
日本の刑法は3つのハードルを越えると成立する。
@構成要件に入ることA違法B有責な行為である。
Bの有責には4種類ある。
㋐確信的故意㋑未必の故意㋒認識ある過失㋓認識なき過失である。
日本の刑事法、民事法は大陸法の影響を受けていて、㋑と㋒には境界がある。しかし、英米法は結果が大切という考え方なので、㋑と㋒は一緒にされている。これは、「Recklessness」という概念で故意と過失両方の概念を包摂するものである。日本法は分析的であるのに対して、英米法は総合的である。
ある行為が犯罪とみなされる上では、当然その行為が客観的に見て法の定める「犯罪行為」でなければならない。こうした犯罪を構成する客観的要件のことを英米法では「acutus reus」
という。一方、行為そのものでなく、行為における被告人の心理状態、つまり主観的要件のことを「Mens Rea」という。日本の刑法では、例外的な場合を除き、処罰の対象が「故意犯」に限定されるが、英米法では「過失」も処罰の対象になることが多いので、「Mens Rea」の類型には、「故意」に加え、「無謀」や「過失」も含まれる。英米法は刑法と民法不法行為が一体化しているということである。(3段賠償責任)
この頃、覚せい剤使用者が増えていて様々な問題が生じている。覚せい剤使用者は意思能力のない人とされ、事理弁士能力がない人、つまり刑事的には心神喪失に当たると解される。日本法では、法的判断で医学的には責任はないとされていたが、果たしてそれでよいのかということで、裁判所は責任能力ありとした。それに対して、英米法は医学重視なので、医学的に責任能力なしと判断されたら、犯罪は成立しないということになる。
5.認知症患者増加に伴い、事理弁識能力の細かな分類が必要
介護保険の対象者は、現在500万人いる。精神障害者、認知症の人が増えていて、今後もっと増えていくであろう。以前、認知症の人が誤って線路に立ち入り、死亡。その家族が鉄道会社から列車の運休、遅れからくる損失があったとして、損害賠償を請求されたという事件がテレビで頻繁に報道されていた。どういう場合に民法的な責任を問われるのだろうか。制限行為能力者制度では、事理弁識能力があるか無いかで3つに分けている。欠く常況の場合は成年被後見人、著しく不十分の場合は被保佐人、不十分の場合は、被補助人としている。
また、障害者は@精神障害A知的障害B身体障害の3つがある。知的障害の中には認知症が入る。認知症は事理弁識能力がないと考えられているが、高齢者の判断能力の低下や身体機能の減退の状況は一様ではなく、各人ごとに異なるものである。たとえば痴呆の原因にもいろいろあるが、その多くは脳血管性痴呆とアルツハイマー型痴呆であるといわれている。その他にはレビー小体がある。これらのボケの症状は全く異なった形で現れる。また、病状の進行状態は急激に悪化することもあれば、徐々に進行する場合もあり、常に一定しているわけではない。時には改善されることもある。したがって、診断時、申立て時、家庭裁判所調査官の面接時それぞれの段階で、申立人を悩ませ、あるいは家庭裁判所調査官に他の類型への申立ての趣旨変更を示唆されることがある。一方では、一見健常者にみえて、本人も判断能力が低下していることの自覚が乏しいため、保護が必要であるにもかかわらず、保護の対象からもれてしまう可能性もある。
このように、見ただけでは、わからない部分が多いので、個々のケースで事細かに対応していかなければならない。少しでも自分で決める能力があるのなら、そこを尊重し、英米法のように自己決定型で、サポートするというやり方を取り入れていくということができれば、社会保障の面からも人権を守るという面からも良いのではないかと思う。
昔は身体障害者も権利能力がないとされていたが(刑法40条)、削除された。今は、情報革命が起こり、グローバリズム、人工知能、規範の変化、少子高齢化、価値観の多様化が著しい。時代の変化に伴い、法律の考え方も変えていかなければいけない。全体の社会の効率を上げながら人権も守る。もちろん他の人の人権も守ることにつながる。残っている能力を最大限に尊重し、本人が決断できる点は本人にやらせるという英米法の考え方を取り入れながら、日本に合うやり方を考えていかなければならない。認知症患者の増加に伴い、個々のケースで事理弁識能力の分類をしていかないといけない。そうすることが社会保障改革の第一歩につながるのではないかと考える。
【参考文献】
@半可思惟・・・・・・意外と知られていないこと、しったか.ぶれる法学用語解説(1)
Aウィキペディア・・・安楽死、利益相反行為、
B石田 瞳・・・・・・ 同意能力を欠く患者の医療同意
C成年後見安全ガイド
Dメルクマニュアル医学百科 家庭版「医療にかかわる意思決定能力」
E【アメリア】リーガル翻訳ことはじめ〜判例を学ぼう、判例に学ぼう〜
F教えて!goo 大陸法と英米法の違い
Ghttp://maruyama-shihoushoshi.com/iryou.html
H成年後見制度の現状と課題 - 帝京短期大学
I授業ノート
大沢仁
英米法の同意見中心の考え方、判例法主義が日本にも必要だと私は考える。
<日本法と英米法、どちらが制限行為能力者本人のためになるか>
日本法では制限行為能力者の意思決定を代行する(成年後見制度)という制度が取り入れられている。これは後見人が被後見人の代わりにやってあげるというもの(代理)。被後見人の家の売買は後見人の同意があっても取り消せるように、代理権のカバーする範囲がとても広く、後見人の関しては同意権(痴呆などの老人が単独で法律行為ができることが前提)の範囲は日用品を買うことくらいしかない。このように日本法はパターリズム型、偉い人にお任せの代理権中心となっている。
一方英米法では制限行為能力者の意思決定を支援する(Mental Capacity Act)意思決定能力、とあるように自己決定型の制度を取り入れている。日本法とは違い同意見中心となっている。
この二つを比較してみたときにどちらが制限行為能力者のためになるか、また残された家族のためになるかを考えたときに英米法型の制度がいいと考えた。理由として自己決定型はたとえ判断が間違ったとしても自分で決めるという自由があるからだ。もちろんそれをサポートする後見人がいる。自分のことを自分で決められない、決めることができないのは制限行為能力者からみるととてもつらいのではないか。
また近年では安楽死についても問題となっている。安楽死とは、死期の近い患者を身体的・精神的苦痛から救うために死に至らしめること。回復の見込みがなく、苦痛の激しい病人を、本人の依頼または承諾のもとに人為的に死なせること。とあるように患者が苦痛に耐えられないと判断した時に自ら死を選ぶことである。現在日本では安楽死は認められていない。だが世界にはそれを認めている国がある。スイス、オランダ、アメリカ(州によってことなる)、ベルギー、ルクセンブルクがある。例としてオランダをあげる。オランダは安楽死だけでなく麻薬や売春が合法化されている。このように自分のことを自分で決める自由がとても大きい。
私はオランダのように麻薬や売春まで合法化するのは反対だが、安楽死は日本でも認められるべきだと考える。もう助かる見込みがなく本人も殺してくれと主張している場合は楽にしてあげるのが本人にとっても苦しんでいる姿を見ている家族のためにもなると考える。また冷たい言い方かもしれないが、助かる見込みのない患者に貴重な薬やベッドを使うならほかに必要としている患者に回すのが国のためにもなると考える。現在日本には約1000兆円ほどの累積債務がある中で医療介護50兆円などを抱えている。人命はお金では買えない尊いものだということは理解しているが、現実的に考えてこのままだと日本もギリシャのように財政破綻してしまうかもしれない。そうならないためにも代理権中心の日本法型から同意権中心の英米法型に変えて、安楽死を合法にするなどの自己決定できる範囲を広げることがこれからの日本には必要だと考える。
またここで関連して問題になるのが医療同意についてだ。現在、日本の65歳以上の人口は2870万人超(高齢化率24.1パーセント)で、4人に1人が65歳以上という「超高齢社会」(高齢化率が21パーセントを超えると超高齢社会と呼ぶ)というのが現状だ。そのなかでも医療行為には原則として本人の同意が必要になる。理由として医療行為には少なからず危険が伴うから。もう一つはどのような医療行為を受けるか受けないかは自己決定権(憲法13条)にあるからだ。ここで問題になるが本人にどの程度の精神能力があるかである。上にも書いたが4人に1人が65歳以上という超高齢社会ということもあり認知症の人も多いと考える。イギリスの判例法理によると、同意能力とは、@その治療がなんであるか、その質と目的、なぜその治療行為が提案されているのかについて単純な言葉で理解すること、Aその治療の主たる利点、危険性及びそれ以外の治療法を理解すること、Bその治療を受けないとどうなるかを大まかに理解すること、C情報を保持し、それを利用しかつ比較考量して意思決定に到達することができる能力とされる。認知症ひとつをとってもアルツハイマー、レビー小体型、ピック病、脳血管型などがあり判断が難しい。
医療同意についての解決法としてまだ判断能力があるうちに家族に自分の考え、もしもそうなったときの自分の判断を伝えておくことだと考える。残された家族に判断させて悩ませるより自分の判断を伝えておくことが大切だと考える。
<利益相反を予防、回避するには>
成年後見人と成年被後見人の利害が対立することを利益相反という。後見制度での利益相反行為とは、成年後見人等にとっては利益となるが、成年被後見人にとっては不利益となる行為のこと(民826、860)。
民法第826条(利益相反行為)
1 親権を行う父又は母とその子との利益が相反する行為については、親権を行う者は、その子のために特別代理人を選任することを家庭裁判所に請求しなければならない。
2 親権を行う者が数人の子に対して親権を行う場合において、その一人と他の子との利益が相反する行為については、親権を行う者は、その一方のために特別代理人を選任することを家庭裁判所に請求しなければならない。
民法第860条(利益相反行為)
第826条の規定は、後見人について準用する。ただし、後見監督人がある場合は、この限りでない。 成年後見人等と成年被後見人等との間の利益相反行為については、その成年後見人等に代理権はなく、当該行為をするには家庭裁判所に対して特別代理人など第三者の選任を請求をしなければならない。これをせずに成年後見人等が直接行った利益相反行為は、無権代理となる。ただし、後見監督人等の第三者がいる場合は、特別代理人の選任は必要ない。
利益相反行為かどうかについて、判例は形式説を採用している。これは、行為の形式のみを客観的に判断し「成年被後見人等の財産を減少させて成年後見人等または第三者の財産を増加させる行為」を一般的に利益相反行為として扱うという考え方。具体例としては次の5つがある。
@成年後見人等が、成年被後見人等の財産を、成年後見人等に、贈与する。
A成年後見人等が、成年被後見人の不動産を買う。
B成年後見人等が、銀行からお金を借りる際に、成年被後見人等を保証人にする。
C成年後見人等が、銀行からお金を借りる際に、成年被後見人等の不動産を担保に入れる。
D成年後見人等と成年被後見人等が共同相続人である場合に、遺産分割協議をしたり、相続放棄をする場合。とあるがここで難しいのが利益相反行為となるかどうかは、行為自体を外形的客観的に考察して判定すべきであり、後見人の動機や意図をもって判定すべきではないと考える(最三小判昭和42年4月18日)。とあるように外形説を採用していることだ。私はこの形式説に賛成だ。理由として判断しやすく時間がかからないというのと、これは利益相反になり、これはならないとわかりやすく予防にもなるからだ。
また利益相反問題にならないようにするための方法として法人後見もあげられる。法人後見とは、社会福祉法人や社団法人、NPOなどの法人が成年後見人、保佐人もしくは補助人になり、親族等が個人で成年後見人等に就任した場合と同様に、判断能力が不十分な人の保護・支援を行うこと。一般的に、法人後見では、法人の職員が法人を代理して成年後見制度に基づく後見事務を行うので、担当している職員が何らかの理由でその事務を行えなくなっても、担当者を変更することにより、後見事務を継続して行うことができるという利点がある。民法第847条、次に掲げる者は、後見人となることができない。の中に法人という言葉は出てこない。なので法人が後見人になることは出来る。また法人ならではのメリットがある。ひとつは上にも書いてあるが後見人が健康上の理由や死亡などで後見人として機能しなくなるということがなくなる。個人の場合だと死亡の場合は裁判所に申し立てをして新たに成年後見人の選任してもらう必要がある。だが法人の場合、同一法人内の他の個人が代わりに対応できる。もう一つは法人ということもあり利益相反などで法人の名前を汚し、評判を悪くしたくないので結果的に問題を回避できるのではないかと考える。
<判例法主義のメリット>
英米法の判例法主義とは今までの判例を最も重要な法源とする考え方のこと。判例法主義の民法は行為と意思に分けられ自己決定型、同意権中心となっている。刑法ではActus ReusとMens Reaの二つに分かれている。Actus Reusとは犯罪を構成する客観的要件のこと。一方Mens Reaとは犯罪を構成する主観的要件のこと。英米法、判例法主義の刑法は総合的で医学を重視している。また判例法主義の特徴としてBestInterestといい刑法と民法不法行為が一体化している。それに対して日本法、成文法主義は公法私法二元論説をとっている。民法では行為(契約)、意思に分けられ行為、意思それぞれ細かく分けられている。これはパターナリズム型で代理権中心になっている。成文法主義の刑法は細かく分けて分析的で覚せい剤については医学的には心神喪失でも認めない(判例)がある。日本の刑法では、例外的な場合を除き、処罰の対象が「故意犯」に限定されるが、アメリカでは「過失」も処罰の対象となることが多く、Mens Reaの類型には「故意(intent)」に加え「無謀(Recklessness)」や「過失(negligence)」も含まれる。この点が英米法、判例法主義のいいところだと私は考える。日本法の成文法主義の刑法だと構成要件、違法性、有責性の手順を踏みまた、有責性の中に確定的故意、未必の故意、認識ある過失、認識なき過失、がありそれに加え責任能力がある。分析的なのはいいが細かすぎて判断が難しいと考える。判例法定主義の場合は故意、無謀、過失をひとまとめにしていてわかりやすく、過失も処罰の対象となるということで予防にもつながると考える。
出典
http://www.tobu-law.com/bengosi/archives/54 東京東部法律事務所HP
デジタル大辞泉 安楽死
http://kouken.ne.jp/index.php?itemid=124&catid=3 後見実務相談室
廣戸葵
<結論>
認知症患者の人権を守りつつ超高齢化社会を乗り切るためには、現状の成年後見制度に英米法の哲学を取り入れるべきである。
1、認知症といっても症状は様々
認知症には、中核症状と周辺症状(BPSD)の2つがある。
脳の認知機能が低下した人であれば誰にでも起こる中核症状として現れるのは、
記憶障害、見当識障害、失認、失行、失語、実行機能障害、判断力の障害だ。
必ずしも全員に起こるのではなく、本人の元々の性格や生活環境、介護者との人間関係によって大きく左右された行動をとるのが周辺症状(BPSD)である。
それらが組み合わさって現れる症状の種類別に、
四大認知症と呼ばれる「アルツハイマー型認知症」「脳血管性認知症」「レビー小体型認知症」「前頭側頭型認知症(ピック病)」がある。
「アルツハイマー型認知症」物忘れ(記憶障害)から始まり、時間、場所、人の見当がつかなくなる(見当識障害)。物忘れは、病気の進行とともに「最近のことを忘れる」から「昔のことを忘れる」というように変化し、次第に過去の記憶や経験などを失っていくという段階をたどる。
「脳血管性認知症」所謂まだらボケ状態になる。脳梗塞などの血管障害が起こる事で、急に症状が出始める場合もあり、さっき食べた事を忘れてしまっているという酷い物忘れがあるのに、理解力が必要な受け答えがしっかり出来る事もある。
「レビー小体型認知症」この病気は物忘れもあり、一見アルツハイマー病に似ているが、しかしそれ以外に幻覚やパーキンソン症状が現れるのが特徴。
「前頭側頭型認知症(ピック病)」初期症状では、人格変化、情緒障害などが起こり記憶・見当識・計算力は保たれている。側頭葉に異常(障害)が起こると、記憶障害などを引き起こす。
このように、症状によって短期記憶、エピソード記憶、手続き記憶のどれがない状態なのかが異なり、症状の進行状態によっても差が生じ、その時々でできる事とできない事が異なるのだ。
2、高齢化により増加する認知症
現在、認知症患者数は約500万人で、人口の約5%を占めている。2025年には700万人を超えるとの推計値を厚生労働省が発表しているように、高齢化の流れの中で認知症患者はさらに増加する一方だ。
今後、精神障害の中でも最も多くの割合を占めるであろう認知症の人々。
認知症にも症状が様々であるにもかかわらず、後見開始の審判により個別的に意思能力が無い者とみなされた者は、画一的に行為能力を制限させられるというのはいかがなものだろうか。
3、パターナリズム型の成年後見制度
制限行為能力者のうち成年被後見人に関しては、後見開始の審判をすることについての本人の同意は必要がない(民法7条、民法11条、民法15条一項)。成年被後見人になってしまえば、日用品購入以外の一切の法律行為は後見人によって取り消されてしまう可能性がり、後見人が本人の意思決定とは関係なく、代行して法律行為を行えてしまう(民法9条)。この代理権中心の成年後見制度では、得てして被後見人と後見人の間で利益相反が起こり、被後見人の利益とならない事象が生じうる。パターナリズム型の制度であるがゆえに自己決定の機会と本人の権利を奪うものになってしまう危険性があるのである。
4、医療同意と成年後見制度
医療行為は、違法性阻却事由となることから本人の同意が必要である。しかし、成年被後見人にはこの医療行為への同意権も認められていない。
寝たきり老人の介護や老々介護で疲れてしまった人が介護殺人に走るという現状があるなかで、安楽死という選択肢が今後うまれてくるにちがいない。オランダのように安楽死が合法化する未来もそう遠くは無いかもしれない。にもかかわらず、この医療同意医療行為(投薬・手術・検査など)の説明を受け内容を十分理解した上で、対象者が自らの自由意思に基づいて医療従事者と方針において合意するというインフォームド・コンセントが得られないというのは時代のニーズに適合していないといえる。
4、
成年後見制度による
この問題への光の道筋として参考となるのが、英国の成年後見制度に関する基本法であるMental Capacity Actの考え方だ。これは、認知症の人に限らず、すべての人には判断能力があるという原則を出発点として、意思決定能力がないと判断される範囲をできるかぎり限定し、それぞれ異なる本人にとってのBest Interest(最たる利益)の追求に向け、他者の支援を得ながら意思決定を行う「プロセス」に焦点をあてるというものである。
この同意権中心の考え方を取り入れ、間違っていても自分で決めていくという自己決定型にすることで、成年被後見人の権利を尊重していくことが、これかこれからの日本には必要と考える。
成年後見人の職務事項は広範にわたり、医療同意権まで与えるとなると更に責任が重くなる。原則として本人の同意が必要とされる。
現行の成年後見制度では成年被後見人に自己決定権が与えられていないため医療同意
確かに責任能力のない人に対して自己決定権を与えるということは、取引の安全が図れず、問題発生時にその責任を誰に負わせるのかということが問題になるかもしれない。そこで、この問題に対しては英米法の刑事法で取り入られている、Mens Reaの仕組みを解決のアプローチとしてはどうだろう。
英米法のもとでの犯罪の成立は、客観的要件のActus Reusおよび主観的要件のMens Reaを要するとされている。Mens Reaの類型としては故意(Intent)、無謀(Recklessness)、過失(Negligence)に分けられる。この責任能力の基準によれば、犯行時に自己の行為を認識し、かつそれを意図している限り有罪となる。自分がなにをしているか知らなかったり、まったくわからなかったりした場合にのみ、犯罪時に精神の疾患または欠如の状態にあったことが抗弁になり、それ以外の場合には精神の疾患または欠如は軽減事由として量刑で考慮されるのみである。
この責任能力の基準を取り入れ、精神障害を負った者に対しても責任を問うべき場合のあるとすれば良いのではないだろうか。
成年被後見人は不法行為による損害賠償責任を負わない(民713条)ため、責任無能力の成年被後見人が第三者に損害を負わせた場合、成年後見人が賠償責任を負うとされていた。しかし
今年の3月、JR東海が認知症患者の家族損害賠償を求めていた鉄道事故に関する裁判で、「保護者や成年後見人であることだけでは直ちに法定の監督義務者に該当するということはできない。」と今まで当然監督義務者に該当するとしていた法的立場の人の賠償責任を否定する最高裁の判決が下った。
つまり、成年後見人は法定の監督義務者ではなく,監督義務者として成年被後見人の引き起こした不法行為の損害賠償義務はないということだ。
成年被後見人が起こした不法行為における賠償責任を誰に負わせればいいのかという問題が今後は多く発生してくるであろうことからも、意思決定能力の幅を広げ、責任を伴わせる余地を与える必要が見えてくる。
制限行為能力者制度とは、年齢および判断力の程度を基準として、画一的に一定範囲の者の行為能力を制限する制度である。
民法においては
日本の刑法においては
「被告人の精神状態が刑法39条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律的判断であるかはあるから専ら裁判所の判断に委ねられている(最判小昭
和・59・7・3刑集第38巻8号2783頁)」と判示があることから
認知症にも症状が様々であるにもかかわらず、制限行為能力者制度で一律に行為能力を制限するというのはいかがなものだろうか。
後見開始の審判をするにあたって、本人の同意は必要としない。
つまりこれは、精神障害である認知症を患った者が一律に行為能力者制度の下に行為能力を奪われ
精神上の障害により事理を弁識する能力を
一律基準で認知症を精神障害の枠で括り、行為能力を奪うことは権利侵害にあたる。
日本法
出典
認知症ねっと
https://info.ninchisho.net/type/t80
脳神経外科 山本クリニック
http://www.yamamotoclinic.jp/dir27/#heading10
認知症の症状と種類
https://ninchisho-online.com/dementia/symptom/
米国特許法による三倍賠償とディスカバリー
http://homepage3.nifty.com/nmat/SANBAI.HTM
国際ビジネスのための英米法入門(植田淳・2012・法律文化社)
週刊東洋経済2014年3月8日号
渡邊一成
後見と認知症
14j118003 法学部法律学科 渡邊一成
結論
わが国は、よりよい国にするために後見制度を世界の制度と見比べ安全で快適な生活環境を送るために法定後見制度を世間に浸透さすせるべきだ。
1後見と認知症のついての問題点と解決策
(1)
後見
「成年後見制度」は、介護保険制度とともに関係者の 大きな期待を背負って2000年4月1日に発足してから 満一年を迎えたが、より身近な介護保険制度とは異なって、混迷の中で試行錯誤を重ねているのが実情のようである。 この成年後見制度は、わが民法制定以来100年以上続 いた禁治産・準禁治産制度を抜本的に改正して、現代 の高齢社会に適合するように諸外国にみる新しい理念 と従来の本人保護・取引の安全の理念との調和を図り、 利用しやすい柔軟かつ弾力的な制度を目指して障害者 福祉の充実の観点から構築されたものである。従来の 禁治産・準禁治産制度を改正した「法定後見制度」と ともに、自らの意思で判断能力が不十分な状態になった場合に備えて、後見人を選任できる「任意後見制度」 を新設した点に大きな特色がある。この任意後見制度 は、イギリス・アメリカなどは、 本人が判断能力、意思決定能力を喪失すると、代理がなくなるため に早くから取り入れられた制度であるが、わが国には あまりなじみのない制度であった。しかし、諸外国と同様にわが国も少子化・高齢化の波が押し寄せて、近年急激な速度で高齢社会が到来したため、痴呆性老人 の増加が著しく、改めて成年後見制度の必要性が、障害者福祉の現場で叫ばれるようになったのである。 新しい成年後見制度が、高齢社会に溶け込んで十分 機能していくためには、その可能性と限界を理解する ことが重要である。したがって、本稿では、その基本 となるわが国における成年後見制度が立法化された社 会的背景、基本理念、制度の特色等について、世界と比べ、 比較法的検討を交えつつ考えていく。
という、連邦議会が制定した全国統一の成年後見法が作られている。しかし、各州で独自の 成年後見法を持ち、別々の運用がなされている。コロラド州の成年後見法の主な特徴は @
対審構造による審判で行われる点 A
ボランティア組織が活躍している点 をあげる事が出来る。 この成年後見法の組織については、審判の中で本人の客観的利益を代弁するガーディア ン・アド・リーテム、利益相反を防ぐ、主観的利益を代弁するコート・アポインティド・アトニーという対立 する代弁者を用意している。選任段階では後見を必要とされている本人の調査、確認を行う コートビジターが活躍している。これらはいずれも市民のボランティア活動によってまかなわれ ている。
2)選任手続 何人かによって裁判所に後見人の申し立てがなされると、まず書類審査が行われ、後見人 を選任する必要があるか否かの判断がなされる。後見人を付けなくても、世話をする人など で対処できるのではないか等検討され、 いろいろ試したものの適した対応策が見あたらないと書類上判断されると、そのファイルは調査官のところに渡り、審理が開始する。 審理では面接が行われる。これは後見人選任の要否を判断するうえで必要不可欠な行為で ある。被後見人、後見人候補者、被後見人を取り巻く人たち(家族、友人、医師、近所の人 等)がその対象となるが、被後見人になる可能性のある人との面接は、必ず1対1で、しか もその人の馴染んだ環境の中で行われる。この報告書が、後見人選任の要否並びに後見人候 補者の適否を判断する材料として法廷に提出されることになる。この調査官は通常ボランティアで行われており、その意味で財政上の問題をクリアする一つの方法であろう。 能力判定は、対審構造による審議の中で最終的に見極められる事になる。医師等の判定レポ−トは証拠資料として提出される。これにコートビジターが、本人や関係者を訪問して裁判所 に提出した報告を照らし合わせながら判断される。この過程で必要がある場合、さらに詳 しい医学的判定が要求されることもある。 選任の審判を受ける時に本人の利益を守るため、ガーディアン・アド・リーテム、とコー ト・アポインティド・アトニーが選任される場合がある。対審構造のため手続を代わりに行うわけでは無いが、前者は本人の客観的利益を代弁しながら裁判手続に加わる事になる。また後者は、本人の主観的利益を代弁しながら裁判手続を行うことになる。という、連邦議会が制定した全国統一の成年後見法が作られている。しかし、各州で独自の 成年後見法を持ち、別々の運用がなされている。コロラド州の成年後見法の主な特徴は @
対審構造による審判で行われる点 A
ボランティア組織が活躍している点 をあげる事が出来る。 この成年後見法の組織については、審判の中で本人の客観的利益を代弁するガーディア ン・アド・リーテム、主観的利益を代弁するコート・アポインティド・アトニーという対立 する代弁者を用意している。選任段階では後見を必要とされている本人の調査、確認を行う コートビジターが活躍している。これらはいずれも市民のボランティア活動によってまかなわれ ている。
2)選任手続 何人かによって裁判所に後見人の申し立てがなされると、まず書類審査が行われ、後見人 を選任する必要があるか否かの判断がなされる。後見人を付けなくても、世話をする人など で対処できるのではないか等検討され、 いろいろ試したものの適した対応策が見あたらな いと書類上判断されると、そのファイルは調査官のところに渡り、審理が開始する。 審理では面接が行われる。これは後見人選任の要否を判断するうえで必要不可欠な行為で ある。法人後見人 被後見人、後見人候補者、被後見人を取り巻く人たち(家族、友人、医師、近所の人 等)がその対象となるが、被後見人になる可能性のある人との面接は、必ず1対1で、しか もその人の馴染んだ環境の中で行われる。イギリスでは、判断能力が不十分な状態にあってもできる限り自己決定を実行できるような枠組み構築に向け、「意思決定能力」に関する法律「Mental Capacity
Act」 を制定、2007年より施行している。意思決定能力法にある基本原則は以下である。
1、
人は意思決定する能力を有しないという証拠がない限り、誰でも意思決定ができる。
2、
人は意思決定をするための支援や、意思を証明するための権利を有し、上手くいかない場合のみ、意思決定ができないと判断される。
3、
たとえ賢明でない判断をし、不合理な判断をした場合も、意思決定をする能力がないとはみなされない。
この1〜3の基本原則からわかるように、イギリスでは本人に意思決定能力がないと法的に判断することに対して極めて慎重であり、「本人が決定できない部分に限り、後見人が支援する」という考えだ。以上のことも踏まえた上でイギリスやアメリカにおける意思決定能力法のように、認知症の人に関わる様々な次元の意思決定をサポートする法整備や体制作りが日本にも必要最低限なことだと思います。
(2) 認知症
わが国では、認知症高齢者らは財産管理や介護施設の入所契約を結ぶのが難しかったり、悪徳商法の被害に遭いやすかったりする。後見人はこうした人たちの手続きを代行するが、認知症の人が四百万人を超えるのに、利用は約十八万人にとどまっていた。
利用促進法は議員立法。後見人となる人材を確保するため市民への研修や情報提供を実施し、後を絶たない後見人による財産の横領を防ぐ目的で家裁や関係機関による監督体制の強化を政府に求めた。利用者増に向けた施策や目標を定めた基n本計画を策定し、首相をトップに関係閣僚が参加する利用促進会議を内閣府に設置すると定めた。
また意思決定が困難になった人も医療や介護を円滑に受けられるようにするために、現在は財産管理と介護サービス契約の代行などに限られる後見人の業務拡大を検討することも求めた。手術や輸血といった医療行為への「同意権」などが焦点になるとみられるが、後見される人や家族、支援団体からは「自己決定権が侵害される恐れがある」との批判も出ている。また、高齢者の認知症患者の安楽死についても考えていく。日本では現在当たり前だが安楽死については認められていない。私も安楽死については認めない方がいいと思いますが、スイスやオランダでは認められている。もちろん安楽死に至る判断は厳格に行われます。会員の医療記録が徹底的に分析され、生きてゆくのが困難だと判断された場合のみ、致死薬が処方されます。うつ病などの精神病は安楽死の対象外です。むろん、安楽死については賛否両論があります。「ディグニタス」によると、致死薬の処方が可能と判断された会員の8割は、苦しまないで死ねると分かるだけで安心して自殺しないので、自殺願望を弱める効果がある。また、適切に幇助をすることで自殺未遂の後遺症を防ぐという利点がある、としています。スイスでは医師の間の倫理規定はあっても、自殺の具体的な条件を定めた法律は存在しないしかし、わたしは、安楽死は一種の犯罪行為だと思う。いくら、mens reaや医療同意があったとしても日本では認められるべきではないと思う。mens reaとは、犯意(intent)や未必の故意(recklessness)、過失など犯罪成立のために必要とされる行為時における行為者の思考・精神状態である。法的には、分別年齢に達したすべての人は、そうでないと証明されない限り、健全な精神をもち、自らの行為に対して責任があると推定される。
(3) まとめ
法人後見では、法人の職員が担当者となり成年後見制度に基づく後見業務を行うので、 担当している職員が何らかの理由でその業務を行えなくなっても、 担当者を変更することにより、後見業務を継続して行うことができるという利点があることから、私はこの考えに賛成だもっと日本は成年後見制度などについて考えていくべきだと思う。成年後見制度が認知症の高齢者らを支える重要な手段であるにもかかわらず、十分に利用されていないことが問題であり、必要とする者に十分利用されるよう、周知および啓発のために必要な措置をされるべきである。
また、市民の中から成年後見人などの候補者を育成し、人材を十分に確保したり、後見人となり得る市民に対する研修や情報提供、相談、助言などの支援を充実させるよう、地方自治体を中心とする地域社会に求め、海外の制度にも目を向けるべきだ。
参考資料
1、 英米法総論 田中 英夫
2、 http://matome.naver.jp/odai/2140893536180905201