嶋野加奈子

「後見と認知症」

私は現在の成年後見制度に賛成である。

 

1.      はじめに

 現在の成年後見制度に賛成であると考えた理由は…以下である。

@     判断能力(事理弁識能力)が欠けてしまったとしても、財産は保護されるべきであるから。

A     高齢者を犯罪者(詐欺など)に遭うことで、犯罪者の思うツボとなる社会が出来上がってしまうから(認知症高齢者を騙せばうまくいく社会……など)。

B     将来が不安ならば事前に任意後見契約として選べる制度があるから。

C     成年被後見人が結んだ法律行為は、成年後見人の同意の有無にかかわらず取り消しができ、認知症高齢者の病状が理解されたうえでつくられた法律(民法第9条)であると感じたから。

 上記の理由から、私は現在の成年後見制度に賛成であるとした。強く思ったのは、認知症になったとしても「人間として尊重されたい」というのがあり、そのためにはあるべき財産を第三者によってでもいいから、守るべきであると考えたためだった。

 

2.      制限行為能力

 私たち人間は法律上、自然人とよばれる。日本の民法において、人間は権利能力、意思能力、行為能力3つの能力を有している。民法第3条第1項に「私権の享有は、出生に始まる。」と権利能力が、同じく民法の第二節に行為能力の規定がされている。行為能力を簡単にいうならば、単独で法律行為を有効に成立させる能力のことである。しかし、意思能力については、日本民法では規定がない。意思能力とは「行為の結果を正常に判断する能力」のことである。例えば、人間には家を買う権利(=権利能力)がある。そして、家を買うという行為(=行為能力)を行った結果、大金が発生する(という結果が起こる)。このような売買契約を行う際は、互いに「意思がある」という前提で行われている。つまり、法律行為を行うには、自分の行為(の結果も含めて)を事理弁識できる能力が必要である。

 しかし、多くの人が生きる世の中には様々な人間がいるのもまた事実である。果たして、この世界、この日本国内に生きる者全員に行為能力と意思能力があるだろうか。そのようなことはないだろう。生まれたての赤ちゃんや小さな子どもに「家を買いたい」と言われたら誰でも「可愛い冗談」で流すだろう。はたまた、少しぼけてきてしまっていて、判断能力が落ちてきてしまったおじいちゃん・おばあちゃんのような高齢者だったらどうだろうか。「このネックレスをつけていると宝くじが大きく当たりますよ」などと言ったらだまされる高齢者も少なくない。これらの、単独で法律行為が行えないものを、法律上(民法上)では制限行為能力者という。

 制限行為能力者とは、民法第20条第1項によれば「未成年者、成年被後見人、被保佐人及び第17条第1項の審判を受けた被補助人」のことをいう。大きく分けると未成年者、成年被後見人(被保佐人、被補助人)のふたつに分けることができる。同じ制限行為能力者というくくりではあるが、少しずつ性質が違っているものである。

 

3.      未成年者の法律行為

 未成年者とは誰だろうか。民法第4条によると「年齢二十歳をもって、成年とする。」としている。未成年者とは……、という規定は存在しない。ここで民法第4条を反対解釈すると、「年齢が二十歳に満たしていないものは成年ではない」となる。つまり、二十歳未満の者は「未成年者」ということになる。年齢によって行為能力の制限を受けるのが未成年者である。二十歳を迎え、成年となれば、成年被後見人などの条件を満たさない限り、行為能力を有することになる。

 未成年者は単独で法律行為を行うことができない。「未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない。ただし、単に権利を得、又は義務を免れる法律行為については、この限りでない。(民法第5条第1項)」とあるように、法定代理人(多くの場合は親権者)の許可がないと法律行為を行うことができない。しかし、未成年の状態でもある法律行為は行うことができるが、これは法定代理人の許可が必要だろうか?未成年でも、男性は18歳、女性は16歳であれば婚姻をすることができる(民法第731条)。そして、婚姻の場合でも父母の同意を得なければ婚姻をすることはできない(民法第737条第1項)。つまり、未成年で法律行為を行う場合は、二十歳以下で可能な法律行為(ex.婚姻)であっても、法定代理人の同意なしで行うことはできないのである。

 それでは、未成年者が法定代理人の同意なしで、勝手に結んでしまった契約は取り消すことができるだろうか。民法第5条第2項に「前項(第1項)に反する法律行為は、取り消すことができる。」とあるように、法定代理人の同意がない法律行為は取り消すことができる。ただし、ここで注意をしなければならないのは「前項に反する法律行為(=法定代理人の同意のない法律行為)」は取り消すことができるが、法定代理人の同意を得たうえで行った法律行為は取り消しをすることができない。「未成年者が行った法律行為だから」という理由で取り消しは不可である、ということだ。

 

4.      成年被後見人と法律行為、そして歩み

 成年に達してからも制限行為能力者となる者がいる。アルツハイマー病などの認知症や統合失調症などの精神疾患が原因となり、事理弁識能力を欠く状態になってしまうことによるものだ。事理弁識能力を欠いた状態である人をそのままにしておくと、詐欺などによってその人の財産や権利が傷つけられてしまうことがある。こうした状況をつくり出されることを防ぎ、その人の財産や権利を保護するためにおかれているのが成年後見制度である。

 成年後見制度は法定後見制度と任意後見制度の2種類があるが、一般的に「成年後見制度」といった場合、法定後見制度をさすことが多い。成年後見制度を受ける側を「成年被後見人(被保佐人、被補助人)」といい、同意権や取消権、代理権を持つ人のことを「成年後見人(保佐人、補助人)」という。成年後見制度には3種類の区分があり、判断能力(事理弁識能力)が欠けている状態によって、「後見」「補佐」「補助」の3段階に分かれている。成年後見制度を利用するには、家庭裁判所に申し立てを行う必要がある。後見の場合、「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者については、家庭裁判所は、本人、配偶者、四親等内の親族、未成年後見人、未成年後見監督人、保佐人、保佐監督人、補助人、補助監督人又は検察官の請求により、後見の審判を開始することができる。(民法第7条)」としており、「後見開始の審判を受けた者は、成年被後見人とし、それに成年後見人を付する。(民法第8条)」と定めている。審判の申し立てを行い、事理弁識能力が欠けている状態が常(いつも)である(=常況である)と家庭裁判所が判断した場合には、その人は成年被後見人となり、成年後見人という金銭管理や法律行為をしたいときに同意権を与えてくれる人がつく、というわけだ。

 次に保佐の場合はどうだろうか。保佐については民法第11条に規定されており、「精神上の障害により事理を弁識する能力が著しく不十分である者については、家庭裁判所は、本人、配偶者、四親等内の親族、未成年後見人、未成年後見監督人、後見人、後見監督人、補助人、補助監督人又は検察官の請求により、後見の審判を開始することができる。ただし、第七条に規定する原因がある者については、この限りでない。」としており、「保佐開始の審判を受けた者は、被保佐人とし、これに保佐人を付する(民法第12条)」と定めている。被後見人ほど事理弁識能力は欠けていないけれど、かなり不十分な状態である……と家庭裁判所が判断をした場合は、被保佐人となり、保佐人がつくわけだ。後見と保佐で大きく違うのは同意権の範囲で、保佐人は民法第13条第1項に「保佐人の同意を要する行為等」として記載がされている(一〜九まである)。被保佐人よりも事理弁識能力が欠けていると判断された被後見人ももちろん、これらの行為に成年後見人の同意が必要である、と解釈することができる。

一.  元本を領収し、又は利用すること。

二.  借財又は保証をすること。

三.  不動産その他重要な財産に関する権利の得喪を目的とする行為をすること。

四.  訴訟行為をすること。

五.  贈与、和解又は仲裁合意をすること。

六.  相続の承諾若しくは放棄又は遺産の分割をすること。

七.  贈与の申込みを拒絶し、遺贈を放棄し、負担付遺贈を承認すること。

八.  新築、改築、増築又は大修繕すること。

九.  第六百二条に定める期間を超える賃貸借をすること。

 しかし、成年被後見人にも成年後見人の同意を要さない法律行為がある。婚姻(民法第738条)、認知(民法第780条)などの成年被後見人の身分に関する法律行為は、成年後見人の同意は必要としない。婚姻や認知は、上記の「損得」の「契約」ではなく、成年被後見人の身分的事実にかかわってくることだから、同意を要しないと考えた。

 最後に、補助の場合はどうだろうか。補助については民法第15条に規定がされているが、前者の後見や保佐とは少し違う条件が追加されている。民法第15条第1項には「精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分である者については、家庭裁判所は、本人、配偶者、四親等内の親族、未成年後見人、未成年後見監督人、後見人、後見監督人、保佐人、保佐監督人又は検察官の請求により、後見の審判を開始することができる。ただし、第七条又は第十一条本文に規定する原因がある者については、この限りでない。」と被保佐人となる人の条件が書かれている。保佐よりも事理弁識能力はあるけれど、少し認知症などでぼけてきてしまって、やや事理弁識能力が落ちてきた……と感じるのが被補助人だろう。ここまでは今まで見てきた後見や保佐とはあまり変わらないように感じる。では、審判を家庭裁判所に申し立てるのにあたり、被後見人(被保佐人、被補助人)となる人の同意は必要なのだろうか?答えは、補助以外は審判を行うにあたっての本人の同意は必要がない。補助に関しては民法第15条第2項に「本人以外の者の請求により補助開始の審判をするには、本人の同意がなければならない。」とあるように、家族などの本人以外の者が申し立てを行うには、本人の同意が必要である。補助は、後見や保佐よりも事理弁識能力があると考えられており、補助人をつけることにより、本人の財産が守られる一方で、同意権、取消権などの面で制限がかかってしまうからであるためだろう。後見や保佐などは事理弁識能力が欠けていて、一刻も早い財産の保護を要することが多いだろうが、審判を行うにあたって本人の同意が必要であるくらいならば、「早急に保護が必要である」とは考えにくい。制限がかかる分、同意権を与えてくれる人が必要か必要でないかを本人が選択できる部分であると考えた。また、代理権を付与する場合(後見人や保佐人、補助人がつくということ)に対する本人の同意については、被後見人の場合は本人の同意が不要だが、被補助人、被保佐人の場合は同意が必要である(民法第876条の4A、同条の9A)。

 これに対して、任意後見制度とは「任意後見契約に関する法律」に規定されているものであり、元気なうちに、事理弁識能力が欠けたときに後見人となってくれる人を選んでおく、という制度である。これは「要式契約」であり、「法務省令で定める様式の公正証書によってしなければならない」としている(任意後見契約に関する法律第3条)。そして、任意後見契約の登記は、嘱託又は申請により、後見登記等ファイルに行われる(後見登記等に関する法律第5条)。また、任意後見人には代理権はあるが、取消権はない。法定後見制度と大きく異なるのは、自分で後見人となる人が選べることで、自己決定が尊重される。

 それでは、成年被後見人が成年後見人の同意なしで、勝手に法律行為を行った場合、その法律行為は取り消すことができるだろうか。民法第9条によると「成年被後見人の法律行為は、取り消すことができる。ただし、日用品の購入その他日常生活に関する行為については、この限りでない。」としている。ここで引っかかるのが「成年被後見人の法律行為は、取り消すことができる」という部分だ。同じ、制限行為能力者であった未成年者の法律行為の取り消しに関する内容とは違うように感じる。「感じる」ではなく、「違うもの」である。未成年者の場合、法定代理人の同意がない法律行為は取り消せるが、法定代理人の同意があった法律行為は取り消すことができない。しかし、成年被後見人が行った法律行為の場合、成年後見人の同意の有無にかかわらず、取り消すことができる。ただし、洗剤やティッシュペーパーを買うなどの、日用品の購入の取り消しはできない。これが、成年被後見人が行った法律行為の特徴だ。成年被後見人が認知症だった場合、短期記憶(数時間前や数日前)の障害が多い。特に認知症の中でも罹患者が多いアルツハイマー型認知症では特徴的な症状である。「家を売る」という法律行為を行った場合、仮に後見人が売るときに同意を与えていたとしても、数時間後には家を売ったことや同意をもらったことすら覚えていることはほとんどない。被後見人の中では「家を売った」という事実すら存在しないことになる。こうした事情から、成年後見人の同意があったとしても、民法第9条では、成年被後見人の法律行為は、成年後見人の同意の有無にかかわらず、取り消しを可としているのだ。短期記憶が障害されるアルツハイマー型認知症だけでなく、怒りっぽくなるなどの性格の変化を伴う前頭側頭型認知症(ピック病)、時と場合によって病状に変化の現れる脳血管型認知症、幻視やパーキンソン症状(動作緩慢や小刻み運動、震え)を伴うレビー小体型認知症など、認知症にも様々な種類があり、症状も様々だ。当然、事理弁識能力の欠ける具合も認知症によって異なるわけだ。法律としてひとつの枠組みに入れ込もうとすると、病状に対応し、法律行為を行ったときの状況までも詳しく規定しなければならなくなってしまう。そうなると条文が増えるうえに、公的機関も平等な判断を下すことができなくなってしまうため、法律は画一的に定めるほかなくなってしまうのである。

 このような認知症という病気が世に有名になってきたのもまた、最近の話である。認知症という病気が一気に世間に広まったのは有吉佐和子の『恍惚の人』という小説だ。1972年に発売され、大ベストセラーとなり、映画化やテレビドラマ化もされた。認知症になってしまった家族を取り巻く物語である。当時は認知症という考えなく、世の中に衝撃を与えた小説であった(その代わり、批判も多かった)。ならば、1970年代以前は成年後見制度のような事理弁識能力が欠けてしまった人を保護する法的制度はなかったのだろうか。結論からいえば、禁治産(準禁治産)という制度が2000(平成12)年まで存在した。平成2年当時の民法第7条には「心神喪失ノ常況ニ在ル者に付テハ家庭裁判所ハ本人、配偶者、四親等以内ノ親族、後見人、保佐人又ハ検察官ノ請求ニ因リ禁治産ノ宣言ヲ為スコトヲ得」と規定していた。この民法が施行されたのは明治31年のことであるから……、ここでいう「心神喪失の常況に在る者」というのには認知症はもちろん入っておらず、ここでいっているのは重大な精神疾患のことである。つまり、改正前の民法では高齢化に伴って増えた認知症には対応しておらず、精神疾患のみに対応した制度であったといえる。また、現在は後見、保佐、補助の3段階であるが、禁治産制度のときは禁治産、準禁治産2段階の制度であった。また、衝撃的なことに、改正前の民法第14条から第18条には「妻の無能力」というのも規定がされており、施行当時の男尊女卑社会を鮮明に描き出している法律であるともいえる(「妻の無能力」については昭和22年の法改正で削除されている)。そして、現在では未成年者、成年被後見人、被保佐人、被補助人のことを「制限行為能力者」と法律上ではよんでいるが、当時は禁治産者、準禁治産者、(妻)のことを「無能力者」とよんでおり(改正前民法第19条、20条)、事理弁識能力がない者は非常に差別的な扱いを受けていた、といえる法律であった。

 このような時代を歩み、国(法律)だけでなく、都道府県や社会福祉協議会も動き出した。都道府県や市町村、社会福祉協議会と「契約」を結ぶことで利用することができる地域福祉権利擁護事業である(平成194月より、日常生活自立支援事業へと名称が変更された)。事理弁識能力が不十分になった認知症高齢者(契約内容が理解できる能力は必要)と社会福祉協議会が契約を結び、そこの専門員とよばれる職業の人が計画書を作成する。生活相談員はその計画書に基づき、認知症高齢者へとサービスを提供する。実施主体は契約を結んだ市町村社会福祉協議会ではなく、都道府県および指定都市社会福祉協議会である。市町村が契約を行い、サービスを提供することで、自分が住んでいる住み慣れた環境でのサービスが提供であり、地域に密着したサービスであるといえる。また、このサービスとは成年後見制度との併用も可能であり、入院や施設入所した場合でも利用することが可能となっている。地域福祉権利擁護事業の契約件数は毎年増えており、平成12年度時点では1687件だったのに対し、平成22年度には10,300件へと増加した。対象者別でも見てみると、認知症高齢者が63.2%と半数以上を占めている(平成22年度)。※上記の統計は見て覚える!社会福祉士国試ナビ2014 121頁より引用。

 

5.      高齢化社会と認知症、そして社会保障の現状

 日本では高齢化が叫ばれている。平成27101日現在、日本の総人口は12711万人であり、そのうち65歳以上の高齢者は3392万人であり、高齢化率は26.7%となった(内閣府 平成28年度版高齢社会白書より)。4人に1人は高齢者という社会だ。高齢化率が21%で超高齢社会であるから、日本はまさしく超高齢社会である。1970年に高齢化社会(高齢化率7%)を迎え、わずか24年後の1994年には高齢社会となった。おそろしいくらいの速さで高齢化率を伸ばし、今日には26.7%となった。それと並行して、少子化も問題となり、昔はピラミッド型であった人口グラフも現在ではつぼ型になりつつある。

 非常に長寿となった国、日本。2015年には団塊の世代が65歳を迎えた。また、2025年には団塊の世代が75歳を迎える。そこで浮上するのが医療費と介護保険の財政の問題である。年齢が上がれば上がるほど、病気にかかるリスクは高くなる。平成25年度の生涯医療費は2600万円といわれている(男性が2400万円、女性が2700万円)。その中で医療費を最も使われるのが男女ともに7089歳の年代で、多くは終末期医療で使われているのが現状である。老衰で死ぬ人ももちろんいるが、多くは病気によって、病院で死ぬことが多く、機械につながれて生きていくことも少なくはない。人間の人生の中で終末期医療に大半の医療費が使われているのだから、安楽死や尊厳死を認めるように法律を変えられるならば、医療費を削減するといった意味でも良いように思える。現在の日本では尊厳死を医師が行ったとしたら殺人罪(刑法第199条)もしくは自殺幇助罪(刑法第202条)に該当するため、罪となる(ex.東海大学安楽死事件)。しかし、安楽死や尊厳死を認めてしまうと「治せるのに患者を治せない」という医師のジレンマが起こるようにも考えられる。そう考えると、現在の日本の医療は患者の選択による自己選択で死ぬか生きるかを決められる、というよりも、生きられるなら(何をしてでも)生きましょう、というパターナリズム型であるともいえる。現在の成年後見制度でも、成年被後見人が法律行為を単独で行うことはできず、後見人の同意がないと行うことができない……。法律行為を支援する、というよりも後見人に同意権、代理権、取消権を与えて代わりにやってもらう。まさにパターナリズム型であるといえる。

 現在の日本で高齢者が暮らしていくことができる背景には、現在の医療保険制度の他に、2000年に施行された介護保険法に基づく介護保険制度がある。それ以前にも1963年に老人福祉法が成立しており、特別養護老人ホームなどの施設サービスはこの老人福祉法から始まっている。当時は高度経済成長の時代で高齢化率は57%と今よりもずっと低かった。その後、1973年の老人福祉法改正により、老人医療費の無料化がはかられたが、高齢化率が低かった当時だったからこそ、できた制度ではないだろうか。老人医療費の無料化は1982年に成立した老人保健法により、70歳以上の高齢者は一部負担制度を取り入れるという形で姿を消した。増える高齢化率に伴い、老人福祉法によって財政が圧迫されたため、つくられた法律だった。現在は「高齢者の医療の確保に関する法律」となっており、20084月から施行されている後期高齢者医療制度はこの法律に基づいて施行がされている。高齢化率が25%を超える今日には実現不可能といえる、高齢者にとっては夢のような制度であった。

 高齢者は昔から法律で守られ、大切にされた存在であったのだろうか?いや、そういったことはなくむしろ、年をとって面倒をみきれなくなってしまったら捨てられたり(ex.姨捨山伝説など)、病院や施設に入れられたりしていた。現在でいう認知症や重度の精神疾患は昔、狂ったものと考えられ、非常に差別的に扱われてきた。禁治産制度も「無能力者」として差別的に扱われた代表例である。癲狂院(てんきょういん)とよばれる、現在でいう精神病院に入院させられていたり、特別養護老人ホームも終の住処(=一度入ったら死ぬまで出られない)とよばれていたりする過去ももっている。特別養護老人ホームも現在は高齢者の「生活の場」とされているが、一昔前は「収容の場」とされていた。

 介護保険法は2005年に改正がされており、ここで介護予防サービス、地域密着型サービス、地域包括支援センターの創設などが盛り込まれ、より介護の社会化を図る制度となってきた。戦前や介護保険制度成立前は「介護は家庭内でするもの」となっていたが、介護保険制度の成立を機に、地域で介護するという「介護の社会化」を実現させてきている。その代表的な職業がホームヘルパー(訪問介護員)や社会福祉士、介護福祉士といった職業である。しかし、介護の現状は思わしくないのがまた現状である。介護保険制度を施行するためにもやはり、必要なのはお金である。現在の介護保険の利用者負担は1割である(被保険者ならば誰でも一定額の負担である応益負担)が、残りの9割は税金で賄われているわけだ。平成28年度の国家予算の歳出の総額は96.7兆円であり、そのうち33.1%にあたる約320兆円が社会保障費となっている(財務省 平成28年度一般会計予算の概要より)。歳入の約35%が国債だから……、社会保障費は国債で賄われているといっても過言ではない。今のままの生活をしていたら、今よりももっと日本の財政は厳しくなるだろう。いやでも高齢者や介護の必要な人は増えていくのだから、予算の使い方を変えない限り、国債が増えて国の財政が苦しくなる一方だ。

 年をとったからといって、必ずしも介護が必要となるのだろうか?決してそういったことではない。しかし、介護が必要になる可能性は年をとるにつれて高くなる。また、一度大病をすれば、介護が必要になる可能性も高くなる。厚生労働省の平成25年度国民生活基礎調査によると、要支援者の介護が必要となった原因は「関節疾患(変形性膝関節症など)」が1位を占めているのに対し、要介護者では要介護13では「認知症」が、要介護4,5では「脳血管疾患(脳卒中)」が介護の原因疾患1位となっている。また、2位も要介護2,3では「脳血管疾患(脳卒中)」が、要介護4,5では「認知症」が、介護が必要になった原因疾患にランクインしている。「脳血管疾患(脳卒中)」と「認知症」は、介護問題の中では切っても切り離せない関係にあるのだ。

 

6.      私見@〜認知症高齢者に対する保護〜

 成年後見制度から、日本の高齢化社会の現状、介護保険制度と様々な観点で見てきた。これからますます増えていく高齢者に対してやはり、その人を保護する法律や制度は必要であると考えた。また、現在の日本では認知症高齢者に対する保護がまだまだ足りないように感じる。

 まず、民法の法定後見制度について考えた。私は「はじめに」の部分で賛成であると述べた。現在の成年後見制度は後見、保佐、補助の3つの枠組みにあてはめて、事理弁識能力が欠けた者を保護する制度である。たしかに「3つ」という少なく大きな枠組みでくくっていて画一的かもしれない。しかし、時と場合によって病状が変わることを法律で対応していたら、法律の施行さえできなくなってしまう。また、成年後見制度の論点でいわれてしまうのが自己決定権の問題で、日本の成年後見制度は後見人に同意権や代理権、取消権を与えるパターナリズム型であるが、成年被後見人に同意権を与え、後見人がそれを支援する、という形をとっている国もある。しかし、日本には任意後見制度によって、自分で後見人を決められる制度もある上に、何よりも成年被後見人が法律行為をしに業者などにいったら、取引相手が怖がるのではないだろうか。「認知症でぼけているから大丈夫か」など、まだまだ偏見が完全になくなったとはいえないと思う。取引は相手がいるからこそ成り立つもので、取引相手を不安にさせない、という意味でも現在の成年後見制度は、取引の安全、成年被後見人の財産の保護をはかるうえでも適しているといえる。

 次に認知症高齢者と日本の現状について考えてみた。認知症高齢者に対する保護は、成年後見制度で財産などの保護をはかることはできても、事故などから保護することはできない。特別養護老人ホーム介護保険法上では介護老人福祉施設という)や介護老人保健施設では、入所定員よりも入所希望者数のほうが上回っている現状がある。これは私がある特別養護老人ホームの施設長から聞いた話だが、65人定員の施設に400人以上(5年前当時の話のため、現在はもっと増えているかも……。)の入所を待っている人がいる、という。つまり、施設サービスが利用できないということは在宅で介護を行うしか方法は残されていないことになる。現実、在宅で家族が介護を行っており、家族の介護が原因での離職も少なくない。法律上では「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」で介護休業が第11条において認められている。しかし、現実としては規定された休業期間ではとても足りず、職場にも穴をあけることになり、離職してしまうのが現状だ。また、24時間介護は必要となるため、家族は休む時間もなく、社会的に孤立をしてしまうと心中や殺人にまで発展することがあり、問題となっている。

 そして、もうひとつ、在宅ケアでの認知症高齢者が引き起こす問題が存在する。認知症は初期であれば記憶障害などで済むが、進行するにつれ、重度になると見当識障害(ここはどこ、私はだれ?といった状態)や徘徊などのBPSDを引き起こす。在宅ケアだけでなく、施設ケアでも起こりうることではあるが、徘徊によって家や施設から外に出てしまい、結果的に迷ってしまい、まちを彷徨う形になってしまう。「鍵をかけておけばいい」という考えもあるが、施設の場合は身体拘束にあたってしまい、鍵をかけることはできない。家の場合、鍵のかけ方や外し方は意外と覚えているもので、容易にできてしまう高齢者がいるのも現実だ。事理弁識能力が欠けているといえど、長年続けて慣れていることは覚えているものである。徘徊をしてしまい、無事に何事もなく見つかればいい。近所の人が「あれ?」と思って保護してくれればいい。しかし、車も自転車も多いご時世、ましてやスマートフォンを見ながらも歩く歩行者がいる世の中。怪我もなく、何もなく、無事に見つかることのほうが少ない。認知症高齢者が線路内に入ってしまい、事故を起こし、鉄道会社に損害賠償を求められた事件は記憶に新しい。要介護4で、介護者である妻(当時要介護1と認定されていた)がうたたねをしている間に家から出て、徘徊してしまい、事故に遭った。いつもは入れているセンサーをそのときはたまたま切っていたのだった。介護をしていたのは事故にあった認知症高齢者の妻。認知症であったため、(刑法でいう)責任能力はない。では、妻にはその監督者として責任はあったのだろうか?事故を起こした本人が責任無能力者であった場合、その監督義務者が賠償を負うとしているが、義務を怠らなかったときおよびその義務を怠らなくても損害が生じたときは除くとしている(民法第714条第1項)。この事件は最高裁までいった有名な判例である(平成2831日判決)。結果として、認知症高齢者と同居しているから、という理由で責任無能力者の監督義務者には当たらないとして、上告は棄却された。認知症高齢者を在宅で介護する家族にはとても良い判決であったといえる。しかし、私は「日本では認知症高齢者に対する保護がまだまだ足りない」と述べた理由はこの先にある。「同居しているという理由だけでは監督義務者に当たらない」ということは、もしも認知症高齢者が他人に害を与えたとしたら、誰が責任を負うのだろうか。今回の判例で家族が否定されたとしたら、家族は義務を怠っていなければ責任を負う必要はないのだろうか。それがおかしいとはいわない。だが、家族が責任を負わないとみなされるのであれば、損害を受けた側は損害賠償さえももらえず、泣き寝入りすることにもなる。裁判をする、ということはどちらかが勝訴し、どちらかが敗訴することになる。極端にいえば、どちらかが得をし、どちらかが損をして終わる。決して公平な結果とはいえないと思う。介護保険法でも民法でも、認知症高齢者を対象とした損害賠償については規定もなく、扱われていない。しかし、社会で介護すること、認知症高齢者をみていく、ということは少なくとも最悪の事態を考えることも必要なのではないだろうか。私が思うに、施設に入所している認知症高齢者が損害賠償を伴う事故を起こしたならば、施設が監督責任を負うことになると考えた。施設は介護を行い、安全に過ごせる場所を提供することを生業としているのだから、もしも引き起こしてしまったならば、責任を負うのは当然であると考えられる。しかし、個人の場合ならばまた話は違う。個人は介護の素人であり、プロではないからである。やはり、法人と個人との差は考慮するべきである。では、被害を受けた側はどうするのか。被害を受けたことにより、その予定や人生が狂わされることがほとんどだ。そこに損害賠償として請求をするのは当たり前の感覚である。しかし、法制度がしっかりしていないために、どこに訴えれば賠償してもらえるのかが曖昧である。

 社会で認知症高齢者をみていく、ということは認知症高齢者本人だけでなく、本人を取り巻く環境や家族、見知らぬ第三者の利益をも保護することが必要となってくる。そういった部分では、まだまだ日本の認知症高齢者に対する保護は足りていないと感じている。

 

7.      私見A〜それぞれのしあわせ〜

 では、生きていくうえで「しあわせ」とは何だろうか。J.ベンサムによれば、法は「人々のしあわせの最大化、くるしみの最小化を目的としなければならない」と提唱している。人々は法律によってしあわせを手に入れるのだろうか。むしろ、法律や制度によってしあわせが制限される可能性もある。その例が介護保険法(制度)である。例えば、認知症高齢者を介護している家族がいるとする。24時間介護の必要があり、自分のために使う時間さえもない。よく、ここで議論になるのが「施設に入れるのは愛であるか」ということである。個人的には「愛」であると考えるが、そう思わない人間もいる。私が「愛」であると考えた理由は、疲れ果てた姿になり、感情的に介護者が狂ったとして手をあげてしまったら元も子もないと考えるからだ。また、共倒れになってしまったら介護していた相手にも悪く思う。国が「社会で介護をしましょう」といって「制度」として手を差し伸べている以上、それに頼ることが悪いことだとは思わないからだ。しかし、私がこう考えていても、介護を受けている側はどうだろうか。実際、内閣府の調査によると、身体が虚弱化したときの住居は「現在の住居に住むことを希望」が約63%と半数以上を占めている(内閣府 平成22年度高齢者の住宅と生活環境に関する意識調査より)。つまり、半数以上の高齢者は、身体が弱ったとしても現在の住み慣れている住居に住み続けることを希望している。そこで家族の都合でやむを得ず施設入所となってしまった高齢者は本当に「本意」であるといえるのだろうか。介護を受ける側の希望と、介護をする側の都合、それぞれに人生はあり、それぞれにとっての「しあわせ」を考えることが今後の介護社会では必要であると考えられる。

 私は高校生のときから介護の世界に携わってきた。あるときはデイサービス、あるときは特別養護老人ホームや介護老人保健施設への実習も行った。現在はデイサービスで働き、現場に出ている。デイサービスは介護保険の居宅サービスのひとつだが、多くの現実を目の当たりにする。現場の人手不足、認知症高齢者との意思疎通がうまくいかないジレンマなど……。そのなかで思うのが、職員が足りなくて高齢者の意見がしっかりときけないことだ。認知症があったとしても、ゆっくりと待つことも考えればその人のポテンシャル(潜在能力)を引き出すことができるかもしれない。しかし、介護を決まった時間で提供するには人手も時間も制限がある。ゆっくりだけれど自分でごはんを食べられる人を介助してしまうのはどうなのだろうか。見守っていると他の職員から「少し介助しなさい」とたまに注意を受けることがある。できることを「時間がない」という理由で介助してしまっていいのだろうか。それが介護を受ける本人にとっては「しあわせ」なのだろうか。

 ぶつかりあう「しあわせ」をすべて叶えることは現実的ではないし、不可能に近い。しかし、その「しあわせ」を実現するのに必要なのが法律であり、制度でもあると私は考えている。なぜなら、人には誰でもしあわせになる権利はあると思うし、そのしあわせを叶える権利もあると思っているからだ。法律や制度はその「しあわせ」を叶えるための手段にすぎないのである。

 

8.      まとめ

 認知症高齢者であったとしても、介護が必要な高齢者であったとしても、「しあわせ」の定義にこたえはない。また、介護保険制度や成年後見制度は年齢や病気によって負ったハンデを保護するためのプロテクターのようなものである。これらの法律や制度がどのような在り方であったとしても、全員にとって有益で完璧な制度というものは存在することはない。だからこそ、それぞれの制度の良い点を補い合って自分にとっての「しあわせ」を手助けするアイテムとなればいいと私は考える。

 年をとって、事理弁識能力が欠けてしまっても第三者によって保護してくれる制度がある……。一昔前は認知症というだけで差別的な扱いを受けたが、現在では認知症であっても「人間」としてみてもらえるのだから、しあわせであるようにも思える。また、元気なうちに将来に備えて任意後見人として選んでおくこともできるため、将来独居になったとしても、恋人に近いような友人に頼んだり、はたまた未入籍(事実婚)の恋人に頼んだり、一昔前では考えられなかった人間関係を構築できるのではないだろうか。そういった意味では、禁治産制度よりもはるかに良くなったように感じる。

 以上のことをふまえ、私は現在の成年後見制度に賛成である。

 

【参考文献、参照文献および参照データ(ホームページ)】

『ポケット六法 平成28年度版』編集代表 山下友信、山口厚 有斐閣 2015年 民法、刑法、任意後見契約に関する法律、後見登記等に関する法律の項目

Wikipedia 意思能力

『六法全書 平成2年度版U』編集代表 星野英一、松尾浩也、塩野宏 有斐閣 1992年 民法の項目

見て覚える!社会福祉士国試ナビ2014 いとう総研資格取得支援センター編集 中央法規出版株式会社 2013年 日常生活自立支援事業、成年後見制度

見て覚える!介護福祉士国試ナビ2014 いとう総研資格取得支援センター編集 中央法規出版株式会社 2013年 高齢者福祉の歴史

内閣府 平成28年度版高齢社会白書

厚生労働省 平成25年度国民生活基礎調査

内閣府 平成22年度高齢者の住宅と生活環境に関する意識調査

裁判所 最高裁判例 平成26(受)1434損害賠償請求事件 平成2831日判決

『よくわかる法哲学・法思想第2版』深田三徳、濱真一郎編著 ミネルヴァ書房 2015年 27

※私見及び私見で出てきた施設のお話はすべて自分の経験談。

 

 

 

 

長尾大輝

意見:後見制度に認知症を加える必要がある。

 

1,各概念について

 根拠となりうる、各概念について把握する必要がある。

 

 まず、能力についてである。契約は当事者間の意思表示によって行われるが、その意思表示を当事者には、どのようなものである必要があるのか。

1権利能力

 権利能力とは、私法上の権利・義務の帰属主体になりうる資格である。そして、日本民法上、“原則として人は全て平等の権利能力を有する”として、出生時から死亡時まで全ての自然人に与えられている。

2意思能力

 意思能力とは、十分な意思表示をする能力のことである。相対する意思表示によって行われる契約の締結など、十分な意思を表示する能力がなければ、契約を適切に、安全に締結することはできない。つまり、行為の結果を判断出来る能力であり、およそ7歳から10歳くらいの精神的能力とされている。よって、意思能力を欠く人、つまり、意思無能力者が行う契約は、意思無能力者保護の観点から、無効とされている。

3行為能力

 行為能力とは、単独で完全な取引をできる能力、資格のことである。日本民法では、年齢や家庭裁判所の審判といった形式的な基準によって一定範囲の者の行為能力を制限している。また、これら行為能力を制限された者を制限行為能力者を定め、それぞれ未成年者・成年被後見人・被保佐人被補助人を設定し、それぞれに行為能力を制限している。

 

以上が3つの能力についてである。

 

 次に、制限行為能力者について触れておく必要がある。

1まず初めは、未成年者。言葉通り、日本では、20歳に満たない者を、未成年者とし、行為能力を制限している。未成年者の法律行為は法廷代理人の同意が必要とされ、取消し可能な人、つまり、取消権者は未成年者本人と法廷代理人である親権者などである。また、意思能力のない未成年者に限り、未成年者は、法廷代理人、つまり親権者などの同意があった場合でも、未成年者自身が契約を締結できない、とされている。よって、法廷代理人、つまり親権者などが未成年者に代わって法律行為を行わなければならない。そして、未成年者が法廷代理人の同意なく行った法律行為に対し、追認する権利が法廷代理人に与えられている。代理人が同意した法律行為は、取り消せないとしている。(民法5条)但し、日常に関する法律行為はこの限りでないとし、法定代理人の同意を必要としていない。

2次に、成年被後見人について説明する。「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者」についての、家庭裁判所の審判により成年後見人が付される。旧民法では禁治産と呼ばれ、平成12年(2000年)の民法改正時に差別的観点から、名称が禁治産から成年被後見人へと変更された。事理弁識能力、つまり、意思能力さえないことを意味し、よって、意思無能力に伴い契約は無効となる。静人被後見人の法律行為は、日常に関する法律行為を除き、常に取り消すことができ、日常生活を超えた法律行為をする意思表示をすることができないとされているため、たとえ、成年後見人の同意あっても、単独で有効な契約締結をすることができないとされており(民法9条)、有効な契約をするには、代理人が代わって行う必要がある。

33に、保佐である。民法上「精神上の障害により事理を弁識する能力を著しく不十分である者」に、保佐人を付している。意思能力はあるが財産管理に関する判断能力が平均より著しく低いことを言い、重要な財産に関する行為は保佐人の同意を必要とし、保佐人の同意さえあれば、自ら有効な法律行為をすることができる。同意を得ない行為は、取消し権が被保佐人だけでなく、保佐人にも与えられている。追認に関しては、追認が「取消しとなっている原因なっている状況」が消滅しなければ、つまり、保佐開始の審判が取消される必要がある。保佐人の追認権は、今回改正で認められるようになった。

4最後は、補助である。1999年の改正の大きな目玉として成年後見制度に新しく追加された。この制度追加により、これまで行為能力が制限されなかった軽度の痴呆症知的能力・精神障害の状態にある人々について、補助人を付与することで、高度な判断能力を要する契約締結などについて保護が可能になった。但し、後見開始の審判には、本人の同意が必要とされている。また、被保佐人よりも単独で成しうる行為の範囲を広め、補助人には、同意見と代理権を与えることができ、同意権を与えると、補助人の同意を要する法律行為を被補助人単独ではできなくなる、同意なしに行われた法律行為は被補助人・補助人共に取消すことができる。

以上4つが現在の民法が規定する制限行為能力の制度である。当レポートのタイトルである『後見と認知症』より、成年被後見人・被保佐人・被補助人が該当する。

 

 次に、認知症について整理する必要がある。

 認知障害の一種である認知症は、後天的な脳の器質的障害により、一旦正常に発達した知能が不可逆的に低下した状況になるものである。一般的には、後天的に知能が低下すると理解されているが、医学的には、知能だけでなく、記憶や見当識を含む認知障害や人格変化などを伴う症候群として定義されている。これに対し、先天性に脳の器質的障害があり、運動機能や知能発達面での障害などが現れる症状を知的障害、同じく、先天性で認知の障害があるものを認知障害と呼ばれている。つまり、認知症とは様々な原因で脳細胞が死んでしまったり働きが悪くなったりしたために様々な障害が起こり、生活に支障がでてくるのである。

 65歳以上の高齢者で認知症を発症している人は推計15%2012年時点で約4,620,000人にも及ぶことが厚生労働省研究班の調べで明らかになった。認知症の前段階である軽度認知障害の高齢者も約4.000,000人推定され、65歳以上の高齢者の約4人に1人が認知症、もしくは、その予備軍であると言われている。さらに、2015年の構成楼で王将の発表によると、2025年に認知症に発症している人数は、現在の1.5倍を超える7,000,000人を上回る可能性があると推定している。これに、予備軍の患者を含めると、総計17,000,000人にも及び、65歳以上高齢者の3人に1人が認知症とその予備軍であると発表があった。また、認知症の予備軍に該当する患者は、もっと多いはずだという意見も存在する。

 認知症の種類は、主に4つに分類することができる。アルツハイマー型・脳血管型・レビー小体型・前頭側頭型とされている。

1まず、認知症患者の約6割を占め、認知症イコールアルツハイマーと理解されるほど広く知られているアルツハイマー型は脳にアミロイドベータというたんぱく質がたまり正常な神経細胞が壊れ、脳萎縮がおこることが原因だと言われている。症状は、記憶障害。初期は、風帆の内容だけでなく、夕飯を取ったことそもそもの体験を忘れてしまいます。Syき段階を超えると、だんだんと過去が現在なのか、現在が過去なのかの区別がつかなくなり、後期になると、脳萎縮がさらに進行して、言葉の数も意味も失われていき、やがては話が通じなくなる。また、食事に集中できないため介助が必要になり、歩行が緩慢となり姿勢が前倒したり、左右どちらかに傾いていたりする。やがて寝たきりになり、上下肢の関節が拘縮、嚥下障害も出て栄養不良と誤嚥性肺炎が起こりやすくなるという症状が現れる。

2次は、脳血管型。脳萎縮がさらに進行して、言葉の数も意味も失われていき、やがては話が通じなくなります。脳の血管が詰まっている梗塞巣が増えたり、大きくなったりするごとに徐々に脳の機能が低下することで認知症や運動障害が引き起こされる。症状として、意欲低下や自発性の低下、また、睡眠不足などが目立つ初期段階から、記憶障害がひどい一方で判断力は保たれているという症状を迎える。

3レビー小体型は、レビー小体というたんぱく質が脳にたまることで起こる脳の萎縮が原因でおこる認知症。パーキンソン病に近く、運動機能が低下したり、幻想も見たり、患者の具合によって話が通じたりそうでなかったりするのである。

4前頭側頭型は、原因はわかっておらず、人格が変化し、衛生面に対し管理ができなくなるほか、柔軟な思考能力の低下、また、反社会的な行動に出ることもある。

以上4つが認知症の分類になっている。

 

2,意見とその理由

 最初に記述したように、私は、後見制度に認知腫患者を加える必要がある、と考える。

 認知症の分類を記述したように、認知症には4つの分類わけがあり、その分類された中でも、初期段階や中期段階など、症状に変化があり、当然、個人差があり、すべての認知症患者を一括りに、一律に扱う必要はない。患者の症状を医療機関が適切に判断し、診断書とともに家庭裁判所が後見開始の判断を下す。その際、これまで通りの基準である、成年被後見人に該当するのか、被保佐人に該当するのか、被補助人に該当するのか、小女王に合わせて判断をするべきであると考える。なぜなら、成年後見制度とは、その意思能力にある継続的な衰えが認められる場合に、その衰えを補い、そのものを法律的に支援する、つまり、意思能力が十分でないものの行為能力を制限し、その者を保護するとともに取引の円滑を図る制度である。つまり、この制度に、認知症患者を含めると言って、莫大な資金が必要というわけでなない。この成年後見制度に、介護保険などの支援を含めていくとなるとまた別問題になる。様々な社会問題が密接に絡んでくるのである。

 現在、日本では少子高齢化が進んでいる。将来的に、人一人当たりが抱えなければならない高齢者の数は1人・2人と増え、様々な問題を抱える日本にとって、とても負担になることは間違えない。そして、介護の原画は、現状でも大変なことになっている。人材が不足しているために、介護の現場は過酷であるのにも関わらず、安い対価が支払われている。また、地方公共団体など行政機関が運営する特別養護老人ホームなどの店員はあふれ、民間の介護施設も足りていない状況が続いており、高齢化が進むと、この問題は、さらに深刻になるのだろう。また、日本人の終末期医療に関するあり方も年々変化している。厚生労働省の調べによると、自宅で死亡する高齢者は急激に減少し、それの対になるかのように、医療機関で死を迎える人数が増大している。ほか、財政の問題など、福祉と関連付けると、日本における問題の数は膨大であり、枚挙にいとまがない。

 以上のように、成年後見制度と福祉を密接な者と考えると、後見制度に含めることは難しく、毎年つぎ込む資金も増大するため、根本的に法律の改正が必要になるが、行為能力を制限し患者自身を保護する後見制度と、日常生活を少しでも快適に送れるように支援する福祉的な者とでは、大きな違いがあると考える。

 域福祉権利擁護事業では認知症患者に対する支援は認められ行われているが、後見制度との違いは多くある。よって、並行して後見制度とともに支援する必要がある。また、現在はまだ後見制度に認知症は含まれていないので、意思能力がはっきりしているうちに、任意後見制度など、認知症患者への情報提供も進めていくべきである。

 

 

(参考文献)

内田 貴『民法1 4版 総則・物権総論』(東京大学出版会)

https://info.ninchisho.net/mci/k10

http://kaigo.homes.co.jp/manual/facilities_comment/tokuyo/

https://ja.wikipedia.org/wiki/認知症rebi-syout https://www.google.co.jp/?gws_rd=sslaigata

 

字数 4849

 

 

 

 

佐藤翔弥

結論 認知症患者が持っている権利を後見人などに全て任せるのではなく、できる限り本人の意思を尊重し足りない部分を国や制度などを使い保護しなければならない。

 

@    はじめに問題点とは  

まず認知症とは精神障害の一種でさまざまな原因で脳の細胞が死ぬ、または働きが悪くなることによって、記憶・判断力の障害などが起こり、意識障害はないものの社会生活や対人関係に支障が出ている状態を言う。例としてアルツハイマー病患者のことを出してみると記憶障害、見当識障害、判断能力の低下があげられており、このとき問題となるのは彼らに行為能力があるのか、正常に物事を判断する事理弁識能力があるかどうか言う点であり、もしなかった場合に法律行為したらどのような権利を行使できるかという点と本人の意思を国がどう受け止めるべきかである。

A    後見人の権利と制度の問題

     民法第31項 私権の享有は、出生に始まる。

  これは人間は生まれながらにして私法上の権利を全て有しているとされており、

  本来であればどんな人であっても自由に法律行為を行うことができる。しかし例えば生まれたての赤ん坊は、単独ですべてを適切に判断できない。 また、社会問題化している悪徳商法の被害者の多くが高齢者であることからわかるように、一部の高齢者もまた、単独ですべてを適切に判断して契約できるわけない。

  このように事理弁識能力が備わっていない者を法律上保護するために、民法ではその者が行う法律行為を行う能力を制限した。これを制限行為能力者制度と言う。この制度は年齢および判断能力を基準として、画一的に一定範囲の者の行為能力を制限し、制限された行為能力者の保護するため、また判断能力が不十分な者のために適切な取引が行われるようにして、その者の財産の減少を防止すること、および取引の相手方の警戒・予防を容易にすることよって取引の安全を図ることにある。

  この場合、認知症を患っている人も事理弁識能力ないと判断されるためこれに該当する。

  では具体的にはどんな能力が制限されているのか、それは代理権と同意権である。そしてその権利は制限されて                                           るものの剥奪されている訳でもなく後見人に一部移譲される。

  

民法第7条 精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者については、家庭裁判所は、本人、配偶者、四親等内の親族未成年後見人未成年後見監督人保佐人保佐監督人補助人補助監督人又は検察官の請求により、後見開始の審判をすることができる。 

 

昔では権利も移譲された者を禁治産、準禁治産とされていたが現在では大まかに成年被後見人、保佐人、補助人と区別される。この代理人たちは事理弁識能力の度合い、欠く常況にある者、著しく不十分である者、不十分である者と構成されている。それぞれによって代理権が使える範囲は違うが制限行為能力者が持っていた権利を代理に行使することができ、制限行為能力者した同意を取り消すこともできる。

ただし成年被後見人は民法9条 日用品の購入に関しては取消権を行使できないのと一身専属的事項についても取消権や代理権は行使できない。

 

さてここで例を出してみよう、成年被後見人の同意のある「成年被見人が行った家の売買契約」は取り消すことができるのか?

これは事前の同意を得て意思表示・行為能力を行った場合であっても、成年後見人は、その意思表示を取り消すことができる。
成年後見人には、そもそも同意権(事理弁識能力)がないためである。

この場合民法120条の取消権により本人また代理人・承継人が5年以内に取消の出意をすれば遡及的になかったことにできる。また行為能力があっても取引の安全がなかった場合取り消しにできる。

確かに保護や利益のために意思表示・行為能力を取消にするのは致し方ないと思うがそもそも同意権(事理弁識能力)がないと言うのはいかがなものだ。これを認めてしまえば被後見人の裁量で後見人の行為・意思を曲げることが容易にできてしまう。これはもはや後見人から権利を剥奪していることとかわりない。

これは成年後見制度は後見人の代理権を中心に置きすぎてそもそも持っている権利を他の人に委任しすぎており、パターナリズム型になっている。つまり自分より偉い人にお任せの状態である。もともとこの制度は後見人の利益や権利を保護し支援する為の意図があったはずであるがこれでは後見人の意思が蔑ろになり軽視されてる。

一方英国の視点で見てみると典型的な自己決定型である。良くも悪くもその人の意思が尊重されており意思決定能力が重要であり、それを支援すると言う同意権中心の考えである。これであるならば本人の意思は尊重され軽視されずに済むが今度は保護の観点が軽視されてしまう。良くも悪くも自己責任とは正常な判断能力や行為能力を有して要るならよいが欠けている者にその責を全て負わせるのはいささか不条理である。

ここで少し話は戻るが、日本の禁治産・準禁治産制度は人の保護・家財産の保護は強調されても本人の自己決定権の尊重や身上配慮など、本人の基本的人権重視されていなかった。そこから成年後継人制度になり本人の保護と、自己決定権の尊重との調和をより重視になったことは良い。特に顕著な例では任意後見契約の任意後見監督人が後見人を監督する点でありこれにより任意代理の時より本人保護が図られるのであるのと、本人が認知症になる前に選ぶことができるので自己決定権の尊重も図られている。裁判所が間接的に後見人を監督するので悪用される心配もない。しかしまだ同意権や取消権、パターナリズムの問題もあり改善していく余地のあるものであると考えている。

 

B    医療やそれに伴う本人の決定・意思

介護保険1条、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。これにより要介護者が本人や家族の所得や財産にかかわらず、要介護者本人や家族が望む必要で十分な介護サービスを受けられるほか、家族を介護負担と介護費用負担から解放し、社会全体の労働力と財源で介護でき、医療と介護の役割分担を明確化し、急性期や慢性期の医療の必要がない要介護者を介護サービスにより介護し、介護目的の入院を介護施設に移すことができる。

ではこれをまず医療の観点から見てみよう。医療とは患者の選択権・自由意志を最大限尊重するという理念のもとに行われる。これをインフォームド・コンセントという。これと深いかかわりがあるのが終末期医療だ。

なぜならこれほどまでに自分の意思表示が尊重され同意権が重要になってくるものはあまりないからだ。

例として出すと安楽死である。安楽死は患者の患者本人の明確な意思表示がある(意思表示能力を喪失する以前の自筆署名文書による事前意思表示も含む)のと厳格条件をすべて満たす場合のみ違法とされないとされる。

つまり治療の選択肢として自ら死を望むことができるのだ。しかし、従来は医師・歯科医師の権威(パターナリズム)に基づいた医療であり認められてはいなかった。この安楽死という選択は患者の意思表示を最大限に尊重しなおかつ説明・理解と、それを条件にした合意(同意)があって初めて実現する意思表示である。

しかしもしこれがアルツハイマー病患者が安楽死を望み、事理弁識能力がなかった場合が問題となる。

自分の意見としては事理弁識能力がなくても本人がそれを望み条件を満たしていたら認めたいところだが、それでは意思表示以前にその人の生命と軽視することとなり介護保険法や終末期医療、インフォームド・コンセントの理念に反し自己の決定権が曖昧になってしまうため認めることができない。仮に任意後見人の同意、同意取消権を行使しても生命までの決定権は有しないと私は判断した。

介護の観点では国は介護サービスどう届けるか、給付はどうであるもと理解するべきか。

これは憲法25条に規定する生存権保障の理念に基づき,国の責任で生活に困窮するすべての国民に最低生活を保障すると同時に,その自立を助長することを目的としている

無差別平等的だが、同時に受給に際しては急迫時以外本人の資産・能力の活用が前提とされるほか,親族の扶養・他法の扶助が優先され,それでもなお最低生活が維持できない場合にはじめて保護を受給できる補足性の原理を有していると定めているので必要な者には国から援助するが、介護の度合いや扶養などにより必ず与えられるものではないとした。これは本当に必要がある人には与え、余地があるものには与えないとしてる理由は財政の安定化を重要視しているからだ。現在日本では介護保険に10兆円の費用を使っており大きな負担となっている。お金の他にも重度者を始めとした要介護高齢者の在宅生活を24時間支 える仕組みが不足していることに加え、医療ニーズが高い高齢者に対して医療と介護との連携が不足しているとの 問題がある。

これに対し国は在宅サービス、地域密着型、施設サービスを作り町ぐるみで老人や認知症患者などに福祉サービスを届けられるようにし、医療センターとも密接な連携のもとで、医療行為も含めた多様なサービスを24時間365日利用することができる体制を整えようとしている。例としては特別養護老人ホームの様に主に食事・排泄・入浴などの介護が提供されるのに対して、介護老人保健施設や介護療養型医療施設では、医学管理下における介護やリハビリ、療養上の管理や看護などのサービスも提供されている。

しかしこのような体制を整えてもアルツハイマーのような認知症高齢者や知的障害者、精神障害者など判断能力が十分でない者は十分にその恩恵を受けられない点もありうるが(自分じゃサービスの受け方がわからず後見もいない場合)、そこは地域福祉権利擁護事業(福祉サービス利用援助事業)を利用することで対応していくとこができる。しかも可能であればそこで法人後見を利用し成年後見制度に基づく後見事務してもらえるため意思表示や権利能力を保護・支援することも可能である。

 

C     まとめ

認知症患者の意思表示やそれに伴う後見人の同意、同意取消権は認知症の人の財産や権利を保護する観点では必要不可欠だが、代理権を重視するパターナリズム問題があり民法3条の私権侵害する可能性は否めない。だからといって英国法の様に自己決定権を重視してしまうと保護の観点から不十分となってしまう。

そもそも後見人が被後見人の利益を反する行為をし権利を侵害することも考えられる。(利益相反行為)

これらのことを考えると任意後見のような自己決定権の尊重を図ることはよいがそれによって被後見人の権利の余地を奪ってしまうのはいかがなものかと考える。

介護や医療のこともそうだがやはり一番重要視する点は本人の意思であり国はそれに対し真摯に受け止め意思表示を家族や親族、公的機関にあらかじめさせることを義務化させるなどの努力が必要であると考える。

  持っている権利を使わなければ何もできない様にするのではなく国や公的機関がそれを伝え、できる限り本人の意思を尊重する行為を国が補う。本人の自己決定権の尊重と国支援の調和、互いに歩み寄り理解を深めていくことがたいせつである。

以上。
<参考・引用に用いた書籍、又はサイト

ウィキペディア 意思能力

ウィキペディア 成年後見制度

ウィキペディア 介護保険

ウィキペディア 要介護認定

ウィキペディア インフォームド・コンセント

ウィキペディア 安楽死

ウィキペディア アルツハイマー

ポケット六法 2015年 有斐閣 民法3条 7条 9条 120条 憲法25条 介護保険法1

在宅サービス 厚生労働省

東京都社会福祉協議会 地域福祉権利擁護事業 

HOMES 介護  介護保険適用サービスの種類と内容 

法人後見事業 社会福祉法人 北九州市社会福祉協議会

成年後見制度完全マニュアル

あしたの暮らしをわかりやすく政府広報オンライン もし、家族や自分が認知症になったら 知っておきたい認知症のキホン

認知症ねっと 成年後見制度

民法条文解説.com 行為能力

民法まとめ 制限行為能力者制度とは

 

 

 

 

柏木勇人

柏木勇人

『後見と認知症』

 

私は後見人制度について見直しが必要であると考えます。

 

⑴現在の日本

総人口に対して65歳以上の高齢者人口が占める割合を高齢化率という。世界保健機構(WHO)や国連の定義によると、高齢化率が7%を超えた社会を「高齢化社会」、14%を超えた社会を「高齢社会」、21%を超えた社会を「超高齢社会」という。日本は1970年に高齢化社会になり、1994年に高齢社会になった。2007年には21.5%となり、超高齢社会に入った。最新データである『平成23年版高齢社会白書』によると、201010月時点の高齢化率は23.1%で、今後も日本の高齢化率は上昇傾向が続くとみられ、世界に注目されている。

 

(2)高齢化による問題点

高齢化が進むということはその分アルツハイマー病の人が増えるということでもある。アルツハイマー病は高齢者に発病するほうが多く、高齢者の認知症では最も頻度が高い疾患で、全体の5060%を占めます。症状の多くは物忘れで始まります。同じことを何回も言ったり聞いたり、置き忘れ・探し物が多くなって、同じ物を買ってきたりするなど記憶障害が徐々に目立ってきます。それとともに、時や場所の 見当識けんとうしきが障害され、さらに判断力も低下してきます。意欲低下や抑うつが前景に出ることもあります。早いうちは物忘れを自覚していますが、徐々に病識も薄れてきます。そのうち、物盗られ妄想や昼夜逆転、夜間せん 妄もう、徘徊、 作話さくわなどの認知症の行動・心理学的症状(BPSD)が加わることが多く、介護が大変になります。

 さらに進行すると、衣類がきちんと着られない、それまでできていたことができなくなるなど、自分のことができなくなり、種々の介助が必要になってきます。また、トイレの場所がわからなくなったり、外出しても自分の家がわからなくなってきます。さらに、自分の家族がわからなくなり、動作が鈍くなり、話の内容もまとまらなくなります。そうなると自分1人で確定的に意思表示をできなくなってしまうので行為能力がない人が増えていくのが現実です。

 

(3)行為能力事理弁識能力

行為能力とは、単独で有効に法律行為をなし得る地位または資格のことをいう。行為能力が制限される者のことを制限行為能力者という。かつては行為無能力者あるいは制限能力者と呼称されていた。制限行為能力者は民法に定められており具体的には未成年者、成年被後見人、被保佐人、同意権付与の審判(民法17条第1項の審判)を受けた被補助人を指す(民法20条第1項)。なお、同意権付与の審判を受けず代理権付与の審判(民法876条の9)のみを受けている被補助人は制限行為能力者ではない(民法20条第1項の定義参照)。

 

行為能力の制度は法律行為時の判断能力が不十分であると考えられる者を保護するために設けられたものである。そもそも意思能力のない者による法律行為は無効とされるのであるが、法律行為の当事者が事後において行為時に意思能力が欠如していたことを証明することは容易でない。また、行為時の意思無能力が証明された場合には法律行為が無効となるので、その法律行為が無効となることを予期しなかった相手方にとっては不利益が大きい。そこで、民法は意思能力の有無が法律行為ごとに個別に判断されることから生じる不都合を回避し、類型的にみて法律行為における判断能力が十分ではない者を保護するため、これらの者が単独で有効に法律行為をなし得る能力(行為能力)を制限して制限行為能力者とし、その原因や程度により未成年者、成年被後見人、被保佐人、被補助人に類型化した上で、それぞれの判断能力に応じて画一的な基準により法律行為の効果を判断できるようにしたのである。そして、制限行為能力者にそれぞれ保護者を付して取消権などの権限を認め、制限行為能力者の利益となるよう適切に判断することが期待されている。保護者は具体的には、未成年者の場合には親権者又は未成年後見人、成年被後見人の場合には成年後見人、被保佐人の場合には保佐人、被補助人の場合には補助人である。意思能力のない者による法律行為は無効とされるのに対し、未成年者、被保佐人、同意権付与の審判を受けた被補助人が、それぞれの保護者(法定代理人、保佐人、補助人)の同意を得ずにした一定の法律行為は取り消すことができるものとされ、また、成年被後見人の行為は、その保護者(成年後見人)の同意があった場合であっても取り消すことができるのが原則である。

事理弁識能力とは、ある物事の実態やその考えられる結果などについて理解でき、自ら有効な意思表示ができる能力を意味する表現。事理を弁識する能力のことを言います。

(4)介護保険制度
介護保険制度は、平成124月からスタートしました。
皆様がお住まいの市区町村(保険者といいます。)が制度を運営しています。
私たちは40歳になると、被保険者として介護保険に加入します。
65
歳以上の方は、市区町村(保険者)が実施する要介護認定において介護が必要と認定された場合、いつでもサービスを受けることができます。
また、40歳から64歳までの人は、介護保険の対象となる特定疾病により介護が必要と認定された場合は、介護サービスを受けることができます。
平成274月からは介護保険の予防給付(要支援の方に対するサービス)のうち介護予防訪問介護と介護予防通所介護が介護予防・日常生活支援総合事業(以下「総合事業」という。)に移行され、市町村の事業として実施されます。(市町村の判断により、事業開始を平成293月末まで猶予できます。)
総合事業には、従前の介護予防訪問介護と介護予防通所介護から移行し、要支援者と基本チェックリストで支援が必要と判断された方(事業対象者)に対して必要な支援を行う事業(サービス事業)と、65歳以上の方に対して体操教室等の介護予防を行う事業(一般介護予防事業)があります。

(5)任意後見制度

 任意後見制度は本人が契約の締結に必要な判断能力を有している間に、将来自己の判断能力が不十分になったときの後見事務の内容と後見する人(任意後見人といいます)を、自ら事前の契約によって決めておく制度です(公正証書を作成します)。なお、任意後見制度での家庭裁判所の関与は、本人があらかじめ選任しておいた任意後見人を家庭裁判所が選任した任意後見監督人を通じて監督するにとどまります。

 分かりやすく言いますと、今は元気でなんでも自分で決められるけど、将来は認知症になってしまうかも・・・という不安を感じている方が、将来を見越して事前に公証人役場で任意後見契約を結んでおき、認知症かなぁと思った時に家庭裁判所に申し立てをして任意後見監督人の選任をしてもらうといったものです(任意後見監督人は本人が選んだ任意後見人がきちんと仕事をしているかチェックします)。

なお、任意後見契約においては任意後見人を誰にするか、どこまでの後見事務を委任するかは話し合いで自由に決めることができます。ただし、一身専属的な権利(たとえば、結婚、離婚、養子縁組など)については任意後見契約に盛り込むことはできない。

 

(6)禁治産

心神喪失の常況にある者を保護するため、法律上自分で財産を管理・処理できないものとして、後見をつけること。また、その制度。本人・配偶者・四親等以内の親族・後見人・保佐人または検察官の請求により、家庭裁判所が宣告する。平成12年(2000)民法の改正とともに廃止され、成年後見制度へと移行した。成年後見制度は精神上の障害 (知的障害、精神障害、認知症など)により判断能力が十分でない方が不利益を被らないように 家庭裁判所に申立てをして、その方を援助してくれる人を付けてもらう制度です。たとえば、一人暮らしの老人が悪質な訪問販売員に騙されて高額な商品を買わされてしまうなどといったことを最近よく耳にしますが、 こういった場合も成年後見制度を上手に利用することによって被害を防ぐことができる場合があります。また、成年後見制度は精神上の障害により判断能力が十分でない方の保護を図りつつ自己決定権の尊重、残存能力の活用、 ノーマライゼーション(障害のある人も家庭や地域で通常の生活をすることができるような社会を作るという理念)の理念をその趣旨としています。 よって、仮に成年後見人が選任されてもスーパーでお肉やお魚を買ったり、お店で洋服や靴を買ったりするような日常生活に必要は範囲の行為は本人が自由にすることができます。

 

(7)終末期医療

終末期医療では、基本的には“病気を克服すること”を目的としています。しかしながら、末期がんなどを患った場合、必ずしも“病気の克服”ができるわけではありません。そんな人たちのために立ち上げられた概念が、『終末期医療』です。ターミナルケアとも呼ばれるこれは、『延命などを主たる目的とはせず、苦痛の緩和を目的として、死を迎えるそのときまで安らかに生きていけるために行う医療』と位置付けられています。しかし私は、安楽死を認める法律を作るべき度と思います。なぜならモルヒネなどをつかって苦痛を和らげる、また死に向かうことに対する精神的ケアがあると言っても全て取り除くことができるわけではないし、死に向かうことはどうやっても怖いものであると思うし、闘病生活が病気を患っている本人だけでなくその家族などの心も苦しめると思うからです。

 

(8)地域福祉権利擁護事業

地域福祉権利擁護事業は、認知症高齢者、知的障害者、精神障害者等の判断能力が 不十分な者が地域において自立した生活が送れるよう、利用者との契約に基づき、福 祉サービスの利用援助等を行うことにより、その者の権利擁護に資することを目的と するものである。対象者は判断能力が不十分な者(認知症高齢者、知的障害者、精神障害者等であって、日 常生活を営むのに必要なサービスを利用するための情報の入手、理解、判断、意思 表示を本人のみでは適切に行うことが困難な者)、本事業の契約の内容について判断し得る能力を有していると認められる者であります。援助内容としては福祉サービスの利用援助、苦情解決制度の利用援助、 住宅改造、居住家屋の賃借、日常生活上の消費契約及び住民票の届出等の行政手続に関する援助等、日常的金銭管理。その中には、特別養護老人ホームの利用も含まれています。特別養護老人ホームとは高齢者福祉の実施施設で、65歳以上で身体や心に著しい障害があるため常時介護を必要とする人で、居宅では適切な介護を受けることが困難であるときに入所することができる施設である。要介護老人の生活の場として整備されており、デイ・サービス(日帰り介護)やショートステイ(短期入所生活介護)などの機能を備えるものです。

 

(9)最後に

現在に至るまで様々な法制度や、改革が行われたことによって国民の生活はよくなってゆくものもと思っている。しかし、はじめに述べたように後見人制度について見直しが必要であると思います。後見人制度については、後見人が代理権限を悪用し、不正や資産の私的使用をすることも出来てしまう点や、後見人の待遇/育成環境の整備が進んでいない点です。本来後見人が代理権を悪用するということはあってはならないことですが、現にこのようなことが起こっているのが現状です。それに、後見人の待遇や、育成環境の整備が進んでいないというのはもっと国としては努力できるものと思う。まだまだ時間がかかるものとは思うが、できるだけ早く今の後見人制度がよくなることを私は望むものとしてこのレポートの締めとさせていただきます。

 

 

〈参考引用に用いた書籍やサイト〉

授業で取り扱ったことのノート

gooヘルスケア

http://health.goo.ne.jp/medical/word/679

Yahoo!ヘルスケア

http://medical.yahoo.co.jp/katei/040105000/?disid=040105000

意思能力-Wikipedia

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E6%80%9D%E8%83%BD%E5%8A%9B

事理弁識能力とはー日本語表現辞書Weblio辞書

http://www.weblio.jp/content/%E4%BA%8B%E7%90%86%E5%BC%81%E8%AD%98%E8%83%BD%E5%8A%9B

介護保険
http://wrs.search.yahoo.co.jp/FOR=0pwClB1V3ih8YReT7jZLsJM8koqW9WDJY3Ai8ozCHIS48jEVuuRh96Bi0y8FHZe7cXCxkJsVi0B3TpXeZbAfC_hLztxv0Ld1m5xxz5KyG9kgg75TT4TFCwg_XAU1UT3u4MfEg0iNQJwuPyAkXnVJBQZ6Ld2EGHCXCf8rCjTWBkdc8wmzrP1J4l8cks9INOGtSIKfLpSNX1MrY4IdUfKx2FD8qfzc7x3m3ImQEFy_l492_cnKCWl7hA--/_ylt=A2RA0mvhgqFXVyIAQafjm_B7;_ylu=X3oDMTBtNHJhZXRnBHBvcwMxBHNlYwNzcgRzbGsDdGl0bGU-/SIG=124g3dra3/EXP=1470303393/**http%3A//www.kaigokensaku.jp/commentary/about.html

任意後見制度とは-成年後見制度完全マニュアル

http://www.seinen-kouken.net/2_nini/

禁治産とは-コトバンク

https://kotobank.jp/word/%E7%A6%81%E6%B2%BB%E7%94%A3-481209

成年後見制度とは-成年後見制度完全マニュアル

http://www.seinen-kouken.net/1_seido/

最期をどう迎える?終末期医療の意味と考え方Tパピマミ

http://papimami.jp/30960

地域福祉権利擁護事業の概要-消費者の窓

http://www.consumer.go.jp/seisaku/kaigi/tantoukaigi/reform1/file/shiryo4.pdf

特別養護老人ホームとは

https://kotobank.jp/word/%E7%89%B9%E5%88%A5%E9%A4%8A%E8%AD%B7%E8%80%81%E4%BA%BA%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0-182667#E7.9F.A5.E6.81.B5.E8.94.B52015

老後の資産を守れ〜成年後見制度とその問題点〜

http://dementiapj.hatenablog.com/entry/2014/10/18/200901

 

 

 

 

森本郁弥

親族法 後見と認知症
語句:行為能力、禁治産、取消権、事理弁識、アルツハイマー、終末期医療、介護保険、特別養護老人ホーム、任意後見、地域福祉権利擁護事業

 

 

後見制度について調べた結果、必ずしもいいことばかりでないという現実があり後見人の選出を間違えると大損害を引き起こす可能性が潜むと解した。

しかし私は、どうしても後見人をつけなければ生きられない人のためにも後見人制度については肯定派である。また、後見人と被後見人間のトラブルは私の調査の結果ほとんどが被後見人が勝利しており弱者に不利益が生じたものはほぼなかった。

よって後見人制度は肯定されるべきである。

 

 

目次:1.初めに

    2.認知症と後見制度

    3.成年後見制度とは

    4.任意後見契約の流れ

    5.後見制度と医療、福祉

    6.後見制度の光と闇

    7.後見制度が題材の主な判例

    8.結尾

 

<初めに>

 現代の日本において成年後見制度というものは切っても切れない関係にある。というのも、現代の日本人の平均寿命は男性が80.79歳、女性が87.05歳となっている。やはり、高齢化に伴いアルツハイマーなど認知症の患者数も増える。

ここで大変重要な役割を果たすのが成年後見制度である。よってここから認知症について、また認知症になったときにあらわれる成年後見について調べてみることとする。

 

<認知症と後見制度>

 認知症とは、認知機能(思考力、記憶力、論理的推理力)や行動能力が、日常の生活や活動を妨げる程度にまで失われる状態を指し、認知症の重症度は、その人の機能に影響が及びはじめる最も軽度の段階から、日常生活の基本的な活動について完全に他人に依存しなければならない最も重度の段階まで様々である。

認知症は、様々な病態や疾患が原因で生じ、高齢者における認知症の原因の上位2つは、アルツハイマー病と、数回にわたる脳卒中または脳への血液供給の変化によって生じる、血管性認知症である。

認知症を引き起こす疾患のなかで主に世間一般で認知されているものがこのアルツハイマーである。

アルツハイマーとは不可逆的な進行性の脳疾患で、記憶や思考能力がゆっくりと障害され、最終的には日常生活の最も単純な作業を行う能力さえも失われる病気である。高齢者における認知症の最も一般的な原因であるとされており、主な症状としては記憶障害、言語障害、予測不可能な行動など自身の理性や意思では行動をコントロールすることができていないのが分かる。

では、このような疾患を抱えたものが法的な手続きなど自らの意思や理解、複雑な手続きを必要とする契約を交わすことは出来るのだろうか。

ここで必要になってくるのが成年後見人制度である。

成年後見人が認められるのは主に意思能力、行為能力がないことがあげられる。意思能力とは、意思表示などの法律上の判断において自己の行為の結果を判断することができる能力の事である。
意思能力と行為能力は、ともに判断力が不十分な者を保護するための制度であるが、個人の判断力の有無を決定するしかたが両者で異なる。意思能力においては、事案・行為ごとに個別具体的に判断力の有無を見定める。これに対して、行為能力においては、個別の事案とは切り離して、年齢や審判の有無といった形式的な基準によって画一的に取引をする資格を制限する意思能力の有無は、問題となる意思表示や法律行為ごとに個別に判断される。 必要とされる判断能力の程度は民法第7条の「事理を弁識する能力」(事理弁識能力)に相当するものと理解されている。 一般的には、10歳未満の幼児や泥酔者、重い精神病や先ほど挙げたアルツハイマーなどの認知症にある者には、意思能力がないとされる。

心神喪失の常況にある者を保護するため、法律上自分で財産を管理・処理できないものとして、後見をつけることを禁治産と言い、後見人をつけることはこの制度によって定められている。

 

<成年後見制度とは>

 では、ここで問題となる成年後見人制度とはいったいどのようなものなのか。そのことについて調べていこうと思う。

成年後見制度は、認知症、知的障害、精神障害などで判断能力が低下している人のために援助してくれる人を家庭裁判所に選んでもらう制度である。これにより自分一人では困難な不動産や預貯金等の財産の管理や各種契約が安全に行えるようになる。

後見人の主な能力として取消権が挙げられる。取消権とは「成年後見人は被後見人が行った法律行為を不利益なものだと判断すれば、取り消すことができる」とするものであるが、何でもかんでも取り消すことが認められているわけではなく、「日用品の購入その他日常生活に関する行為」については、認められていない。

また、成年後見制度は大きく分けて法定後見と任意後見に分けられる。法定後見では本人の判断能力の程度やその他の事情によって後見・保佐・補助の3つに分けることができる。

しかし成年後見制度の申し立ては誰でもできるわけではなく、本人・配偶者・四親等以内の親族・市町村長などに限られている。

そして、家庭裁判所から選ばれた成年後見人は本人の財産を管理したり、契約などの法律行為を本人に代わって行うこととなる。ただし、スーパーなどでの日用品の買い物や実際の介護は一般に成年後見人の職務ではなく土地の売買や住居の購入といった本人の財産や負担の大きい物のようなスケールの大きなものに限られる。なお、成年後見人はその仕事を家庭裁判所に報告して家庭裁判所の監督を受けることとなる。

 ここで、派生した制度を見ていくことにする。

本人がまだ判断能力があるうちに、将来、判断能力が不十分になった時のことを考えてあらかじめ代理人(任意後見人)を選んでおいて、公正証書の提出によって自分の療養看護や財産管理について代理権を与える契約を結ぶ任意後見制度である。

なお、任意後見制度での家庭裁判所の関与は、本人があらかじめ選任しておいた任意後見人を家庭裁判所が選任した任意後見監督人を通じて監督するにとどまる。

もう少し分かりやすくかみ砕くと、今は元気でなんでも自分で決められるが、将来は認知症になってしまうかもしれないという不安を感じている方が、将来を見越して事前に公証人役場で任意後見契約を結んでおき、認知症かもしれないと思った時に家庭裁判所に申し立てをして任意後見監督人の選任をされるといったものである(任意後見監督人は本人が選んだ任意後見人がきちんと仕事をしているかチェックする)。
 なお、任意後見契約においては任意後見人を誰にするか、どこまでの後見事務を委任するかは話し合いで自由に決めることができる。ただし、結婚、離婚、養子縁組などの一身専属的な権利については任意後見契約に盛り込むことはできない。

 

 感:自分のよく知る人物を選ぶことができれば今後生きていくうえで安心でき遺産など心配する必要がなくなることはとても重要であることが分かった。一方で遺産や大きなものを自分以外の第三者に託す必要があるため少し怖いようにも感じる。そのためにも今からよく考え自分の信頼を置くことができる任意の後見人をあらかじめ選出する必要があるように感じた。

 

<任意後見契約の流れ>

ここで任意後見制度の流れをみていくことにしよう。

 

今は元気なので何でも自分で決められるが、将来認知症になったときのことが心配だ。
 ↓(
現時点では判断能力に問題ない者のみ利用できる)

信頼できる人(家族、友人、弁護士、司法書士等の専門家)と任意後見契約を締結
 ↓
公証人役場で公正証書を作成する)
 ↓
(東京法務局にその旨が登記される)

少し認知症の症状がみられるようになった
 ↓
家庭裁判所に申し立て

 ↓家庭裁判所が選任した任意後見監督人が任意後見人の仕事をチェックする

任意後見人任意後見契約で定められた仕事(財産の管理など)を行う

 

といったように主に五段階の流れによって行われることがわかる。

 

感:このような仕様で任意後見人が選ばれれば自分も自分の周りの家族も安心して任せられる。ただ一つ問題となるのがやはり家族や友人に任せたいのに弁護士や司法書士の様に自分のことをよく知らない、あるいは自分もその人のことを知らないというのはのどに魚の骨がつっかえているようなむずがゆい感覚が残りそうなのが懸念される。

 

ここまで成年後見制度についてを述べてきた。先ほど記したようにこのような制度は主に判断能力が低下した者が十分な医療を提供されるためにも大変重大な制度となっている。

では次に少し視点を変えて先ほど述べた後見制度を利用してが受けられる医療サービス、保険制度についてみていくこととする。

 

<後見制度と医療、福祉> 

 主なものに地域福祉権利擁護事業がある。

地域福祉権利擁護事業は、判断能力が不充分な為、日常生活に困っている者に対して、自立した地域生活が安心して送れる様に福祉サービス等の利用援助が受けられるというもので、利用できる者の条件としては、利用に必要な契約内容を理解できる者であることが挙げられる。

では、このほかに判断能力が不充分な者、福祉サービスの利用を自分ひとりで判断することがむずかしい、サービス利用料の支払いがひとりではむずかしいなどの状態があり、高齢者や障害を持っているものは契約を交わすことができないのか。この問題について後述で対処法を述べていこうと思う。
地域福祉権利擁護事業の具体的な内容は、主に福祉サービスの利用援助である。

福祉サービスについての相談をうけ、情報提供、助言をし、利用するための手続き、利用料を支払うための手伝いをする。
また、福祉サービスについて不満があるとき、苦情解決のための制度を利用する手続きの手伝いも受けることができる。
以上の援助に関連して、日常的な金銭管理も受けることが可能で、たとえば、年金を受け取ったり、医療費や税金、保険料、公共料金などを支払ったり、預金や貯金の出し入れの援助を受けることができる。
では、次に契約は、どのようにすればよいのか?
契約は、ご本人と基幹的社会福祉協議会が行い、 契約の理解などについて、専門員が確認することにより契約を交わすことができる。
 しかし誰でも契約できるということはなく、契約できない場合も存在する。
以前問題として挙げた利用に必要な契約内容を理解できない者である。契約を交わすための内容を理解する意思能力がない者は契約できない。
しかしこの本人の判断能力が不十分なために契約が結べない場合は、先にあげた成年後見制度により専任された成年後見人との間で結ぶことが可能となる。


 次に介護保険がある。介護保険とは、介護を事由として支給される保険でありドイツ、オランダなどでは通常の医療保険から独立した社会保険制度となっている。一方でイギリスやスウェーデンで 一般税収を財源とした制度となっている。
日本では公的介護保険と民間介護保険があり、民間介護保険の保障内容には介護一時金や介護年金などがある。介護保険適用対象となる介護サービスについて厚生労働省が定めた報酬が介護報酬である。
介護保険法は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする(第1条)。

日本の制度は、おおむねドイツの介護保険制度をモデルに導入された。介護保険料については、新たな負担に対する世論の反発を避けるため、導入当初は半年間徴収が凍結され、平成12年(2000年)10月から半額徴収、平成13年(2001年)10月から全額徴収という経緯をたどっている。
介護保険制度では、以下の点にねらいがある。
要介護者が本人や家族の所得や財産にかかわらず、要介護者本人や家族が望む必要で十分な介護サービスを介護事業者から受けられる。
要介護者の家族を介護負担と介護費用負担から解放し、社会全体の労働力と財源で介護する。
多様な事業者によるサービスを提供し、専門的サービス産業としての介護産業を確立する。
医療と介護の役割分担を明確化し、急性期や慢性期の医療の必要がない要介護者を介護サービスにより介護し、介護目的の入院を介護施設に移すなどがあげられる

 

 次に特別養護老人ホームである。

特別養護老人ホーム(特養)とは、介護を受けながら終の棲家として余生を過ごす場所である。
介護が常時必要で、在宅では生活が困難になった高齢者が入居出来る老人福祉施設の1つで、特養と呼ばれる。生活全般において様々な介護を受けながら生活し、基本的に終の棲家として余生を施設で過ごす人が多く、平成263月時点で、7982の施設があり、入所者は約52万人となっている。
特別養護老人ホームは、地方公共団体や社会福祉法人などが運営する公的な施設であるため、有料の老人ホームなどに比べ低料金となっており、約52万人余りの待機者がいるのが現状である。

 介護を受けながら余生を過ごす場所が特別養護老人ホームだったわけであるが、終の棲家、最期を過ごす場所という繋がりで言えば終末期医療も挙げることができる。
終末期という概念や言葉については、日本の法律、国際連合で採択された条約、厚生労働省、世界保健機関、医学学会などのいずれも、公的に明確な定義はしていない。
公的で明確な定義がないので、終末期の意味は論者によって異なる。一般的には老衰・病気・障害の進行により死に至ることを回避するいかなる方法もなく、予想される余命が3か月以内程度の意味で表現されている。事故・災害・急性の病気により突然死した場合や、急性期の病気で何時間・何日間程度で死に至った場合は、死亡日以前に余命3か月などと予想される状況ではないので、死亡日から逆算して3か月以内を終末期とは表現しない。前記のように終末期は誰にでも死亡する以前に必ず発生するものではなく、進行性の老衰・病気・障害で死に至る場合にだけ発生する。

 

 感:やはり死と老いは誰にでも訪れるものでありそのようなサービスを受けるためにも成年後見人の力が必要になる。判断能力がないと診断されサービスが受けられなくなれば生きる権利がなくなってしまう。自宅介護では賄いきれない場合にその問題が生じてきてしまう。それは避けなければならず、本人並びに家族のためにも後見制度はなくてはならないものであることが分かった。

 

<後見制度の光と闇>

 ここまで見ていくと一見、後見制度にはいいことばかりの様に思える。

 しかしそうではない。弁護士法人 澤法律事務所のHPには主に3つの問題点が挙げられている。

1 必ずしも親族が後見人になれるわけではない。

   親族が後見人になることが禁止されているわけではないが実際、多くのケースでは親族が後見人に選任されている。しかし、近年では、親族後見人が本人の財産を使い込んでしまうケースが問題となり、裁判所が親族を後見人に選任することに慎重になるケースも見受けられる。そのため、親族を後見人の候補者として申立をしても、場合によっては、弁護士等の第三者が後見人に選任される可能性があるのだ。その場合、後見人に対する報酬(月2〜5万円程度)が発生し、注意しなければならない。

2 後見人は、本人の財産を自分たちのために使うことはできない。

   後見人が選任されていないときには、例えば妻が、判断力のない夫の預金を払い戻して生活費にあてるなど、比較的自由に本人の財産を家族のために使っているケースがある。ところが、後見人が選任されると、そういうわけにはいかず後見人は本人の利益を保護しなければならず、また、裁判所から監督を受けるからである。そのため、後見人が選任されると、財産の使用は窮屈になることを覚悟しなければならない。

3 後見人を外すのは簡単ではない。

   「後見人の選任を申し立てたが、見込み違いなのでやめたい。」という相談がある。しかし、一度、後見人が選任されると、その決定を取り消すためには、本人に判断能力が戻ったなどの相当の理由が必要である。そういう理由がない限り、後見業務は、本人が亡くなるまで続くのが原則となっている。
また、「申立はしたけど、やっぱり取り下げたい。」という相談もあるが、これも理由なく取り下げるわけにはいかず取下げには裁判所の許可が必要である。  したがって、後見人の選任を申し立てる場合には、慎重に考える必要がある。

 

<後見制度が題材の主な判例>

・後見開始の審判がなされた後に申立てを取り下げることが認められるとされた事例 (東京高裁平16330判決・判例時報186143)

【事案】A(女性)は、統合失調症のため自分で財産管理ができない状況にあった。そのため、Aの義弟(亡夫の弟)BAの後見開始審判の申立てを家庭裁判所にした。その際、申立てでは、成年後見人候補者として、Bの妻の弟でAの近辺に住むCを挙げていた。
ところが、家庭裁判所はCを後見人にすることを消極的に考えたようであり、これを知ったBは申立てを取下げたが、既にAの状態が要保護であると判断した家庭裁判所は取下げの効力を認めず、後見開始とともに成年後見人として弁護士を選任する審判をした。
これに対して、Bは申立てを取り下げた以上は、審判も取消すべきとして高等裁判所に抗告した。

【判旨】本判決は、成年後見制度が民法に定められた配偶者・親族などの関係者の申立てによって開始されることに触れ、その趣旨から「事件本人の保護のためにいったんは後見開始の審判の申立てがされた場合であっても、その後、同審判が確定する前に、申立人において同審判の必要性がないものとしてこの申立てを取り下げることが許される」として、取下げの効力を認めた。
ただ、いったん申立てがされて、本人が財産管理能力がなく要保護の状態にあるとわかった以上、後で取り下げられると保護できない状態になるという問題(不都合)があることにも触れたが、それは制度の趣旨からやむ得ないとしてる。結局、申立ての取下げの効力は認められ、審判も取消された。

 

感:当初、親族であるCを成年後見人に希望していたが、家庭裁判所とはCではなく別に弁護士を指定する方向で動き、申立人たちはこれを感知した。そこで、自分たちの意向とは違うようになるのならば・・・と申立て自体を取り下げたという経緯である。確かに財産などの金額の大きなものは弁護士や司法書士などの第三者に任せても問題はないように思うがやはり自分たちのよく知る人物に後見人を任せたいという気持ちはよくわかる。

 

<結尾>

後見制度には光と闇がありその二つの顔をよく理解することが重要である。後見人の行為が被後見人にとって利益相反を生んだ場合など数多くのトラブルの事例もありお互いがきちんとした理解のもと利用せねばならないこともまた確かなことである。

被後見人は社会的に弱者であり意思能力がないため不利益に気づくことはない。そのような場合を回避するためにも周りの理解を深め、時には弁護士の協力のもと判断することが望ましい。

後見人制度はなくてはならないものである。明日は自分が後見人、被後見人となる可能性が少しでもあることをよく理解し、知識を増やす必要があると感じた。

 

 

 

参考文献他

・弁護士法人 澤法律事務所HPhttp://fukuzawalawoffice.com/

・裁判所HPhttp://www.courts.go.jp/

・実践成年後見No54~連携する医療と後見~ 著・桜井誠

・成年後見制度 法の理論と実務 桜井誠・赤沼康弘・大貫正男

・認知症ネットHPhttps://info.ninchisho.net/

 

 

 

 

 

宮野拓也

禁治産及び準禁治産制度から現行の成年後見人制度への移行に伴っての、さらなる改善の望まれる点

 

 禁治産及び準禁治産制度とは、現在の成年後見人制度が開始されるまで、禁治産者(心神喪失の状況にある者)、準禁治産(心神耗弱および浪費者)を保護するために運用されてきた制度である。

保護の対象がある程度重い精神的な障害を持つ者に限られることや、禁治産、準禁治産の宣告を受けた際に戸籍に記載されることに当人や関係者が抵抗を感じるなどの問題点があり、それらの改善点、変更点を含んだ今の成年後見人制度へと移行した。

主要な改正点としては

従来の禁治産・準禁治産の2つの制度に対して,それぞれ「後見」「保佐」と名称を変更し,新たに軽度の精神上の障害をもつ方を対象に「補助」の制度が創設され,判断能力の程度によって三つの類型に区分されました。これらを法定後見と呼んでいます。

本人の保護体制を充実させるため,家庭裁判所が個々の事案に応じて,配偶者以外や複数及び法人の成年後見人等の保護者を選任できるようになりました。

本人があらかじめ代理人を選んでおき,自己の判断能力が不十分になった場合の財産管理や身上監護を行ってもらう「任意後見契約」を公証人の作成する公正証書で結んでおく任意後見制度が創設されました。この制度は,家庭裁判所が,任意後見監督人を選任したときから,その契約の効力が発生することになります。これらを任意後見と呼んでいます。

従来の戸籍への記載を廃止し,成年後見人などの権限や任意後見契約の内容を登記して公示する成年後見登記制度が新設されました。

身寄りがないなどの理由で,裁判所に申立をする人(配偶者・四親等内の親族)がいない方々のため,市町村長に申立権が付与されました。

(法務省東京法務局HPより)

とある。

従来の禁治産、準禁治産である後見、保佐に加え、軽度の精神上の障害を持つ者を対象に「補助」の追加による適用範囲の拡大がなされ、後見人の人数限定の撤廃、配偶者がいる場合でも最適な人選がなされるようになるなどの、被後見人とその関係者にとってははっきりと改正、改善がなされているといっていいだろう。本来、不十分な判断能力や心神の状態によって弱い立場にある人々を守るために運用されてきたこの制度は、新たな成年後見人制度への変更によって、より十分な体制を整えた。

 

戸籍への記載撤廃について

 しかし、一点、

従来の戸籍への記載を廃止し成年後見人などの権限や任意後見契約の内容を登記して公示する成年後見登記制度が新設されました。

については、少々疑問を感じる。禁治産制度において、宣告を受ける際に、その事項についての記載が本人の戸籍になされるというのは、禁治産者を悪意の相手方から守るのと同時に、善意の相手方を保護することにもなっていたのではないか。被後見人である旨は戸籍には記載されず、成年後見登記制度では、本人や後見人などの限られた者の請求によってからしか発行されない。つまり、相手方としては蓋を開けてみるまでは相手が制限行為能力者かどうかもわからない可能性があるということである。これは例えば、

「成年被後見人である売主Aが、買主Bとの間に不動産Xの売買契約を結んだが、金銭の受け渡しがあった後で、Aが被後見人であることを理由にAの後見人であるAの息子Cが契約を取消した。Bは不動産Xを返還し、代金の返却を求めたが、Aには浪費癖があり、既にXの売買によって手に入れた金を消費してしまっていた。」

 この場合、《第9条 (成年被後見人の法律行為)成年被後見人の法律行為は、取り消すことができる。ただし、日用品の購入その他日常生活に関する行為については、この限りでない。》《第120条 (取消権者)1 行為能力の制限によって取り消すことができる行為は、制限行為能力者又はその代理人、承継人若しくは同意をすることができる者に限り、取り消すことができる。》、により、不動産Xは、【日用品または日常生活に関する行為】に含まれないため、この取消は有効である。そして制限行為能力者の返還義務だが、《第703条 法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。》とあり、返還義務は発生しているはずである。

しかし、《第121 条取り消された行為は、初めから無効であったものとみなす。ただし、制限行為能力者は、その行為によって現に受けている限度において、返還の義務を負う。

(この「現に利益を受けている限度」は、《第703条 法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。》の「利益の存する限度」と同じ意味と解されている。)

により、制限行為能力者は、たとえ悪意であったとしても現存利益の返還で足りるとされる。

しかも、 大判昭141026、最判昭50617から、「浪費した金銭に関して現存利益なし」とされている。つまり買主Bは、Aに支払った金銭を取り戻す事が出来ないのである。

 もしBが、Aが制限行為能力者、成年被後見人であることを知っていたら、このような売買契約を結んでいただろうか。少なくとも、戸籍に成年被後見人と記載される制度だったならば、Bにこの結果を回避する余地は残されていたはずである。

 この変更点については、弱者を保護するあまり、通常の者に対し多大なリスクを負わせる、公正さに欠いたものであると言わざるを得ない。

 制度利用への抵抗感を軽減するというのは重要なことで、戸籍への記載を廃止すること自体は有用かもしれないが、703条や121条といった、相手方にとって不条理ともいえる結論を導いてしまう可能性のある条文まで含めて、刷新するべきであったのではないか。弱者の保護というのは、通常者と対等な立場であるということが、最も重要なことだと考える。

  

 

「後見」「保佐」に続いて「補助」の追加による適用範囲の拡大について

近年高齢化社会が叫ばれるなか、アルツハイマー型に代表される、認知症患者が増加している。以前の制度だと、軽度の認知症のものは対象とされず、取引や財産相続などにおいて多大な被害を被ってきた場合がある。

そこで、「全く事理弁識能力を欠く」とされる成年被後見人、「事理弁識能力が著しく不十分」とされる成年被保佐人に続く、成年被補助人が導入された。

以前は成年後見人制度を受けられない軽度の認知症などの者は、地域福祉権利擁護事業により日常的な生活援助の範囲内での支援を受けることはできたが、成年後見人制度に移行することで、財産管理や身上監護に関する契約等の法律行為全般への支援を受けられるようになった。これは、現代社会では誰しもが利用する可能性のある、介護保険特別養護老人ホーム等の福祉事業を受けるにあたって非常に重要である。

そして、平均寿命の伸びた高齢化社会に付き纏うのが、終末期医療の話題である。

治療の余地や、回復の見込みの無い者、それに伴って個人観からの尊厳死を望みたい者など、安楽死が認められない日本においては、人生の最期のあり方を決めるに等しい終末期医療というのは避けられぬ選択である。

多くの人間が、自分の最期は自らの選択により迎えたいのであるのではないだろうか。

しかし、認知症などにより、自らの意思や意志が曖昧になることがあるだろう。そんな時に、己の意思決定を委ねる者として、任意で後見人を選定できるというのは、成年後見人制度において最も重要な要素であると言えよう。

医療行為には患者の同意が必要とされる。終末期には三種類あるとされ、A:急性型、B:亜急性型、C:慢性型に分けられる。ここでいうCの慢性型というのは、高齢者・認知症・植物状態等により、医療同意能力があるか否かの判断が困難な状況のことである。このような場合においても、患者である被後見人の意思をしっかりと汲むことによって、医療内容が決定されるべきである。

 これについては、成年被後見人自らが指名した任意後見人による決定がなされるのが最善であると考えるが、法定後見人の場合は、本人が最も適切な者として選択したわけではない。このような問題に対しては、成年被後見人に対して、どのような支援をすれば、本人にとって最もいい選択ができるのかを考えていく、という、後見人による決定にこだわらない制度としての改善の余地があるかもしれない。  

 市町村長への申立権付与について

そしてこれもまた近年問題として浮かび上がってきたことだが、身寄りのない高齢者たちに代表される、「孤立死」、「孤独死」がある。身寄りのない老人などが、社会から隔絶され、地域からさえ忘れ去られ消えていくという状況が珍しい事ではない、というのが現代社会の側面として確かにある。

事理弁識能力を欠いた者に身寄りがない、というのは、家族に先立たれるなどと様々な理由で起こりうることである。各自治体による成年後見人制度の申立は、今の時代必須であるといえる。

 

 

自分が以前祖父母を亡くした際、特に祖父の時であるが、ある日突然認知症の様な症状を発症し、それから数ヶ月であっさり死んでしまった。死因は食事が気管に詰まったことだった。

当時はあまりに急なことが続いて呆然としていたが、思い返すと死の数ヵ月前、それまで矍鑠としていた祖父は突然ボケてしまったのだ。自分と両親は状況が飲み込めず困惑した。それでも多くの病院に祖父を診せたが、いずれの答えも、脳に異常は無い、原因が分からない、であった。何を診て欲しいのかとまで言われたこともある。

いくら思い出しても、家族に掴める兆候はなかった。年齢こそ高かったので、それ自体が原因で、自分たちが浅はかだったというのは否定できない。

祖父の死後感じたのは、祖父が最後に思ったこと、考えたことはなんだったのか、伝えたいことは無かったのか、ということである。残ったのは後悔だった。

 

認知症や様々な理由で意思表示が出来ないもの、社会的な弱者となったものを保護する、守るということは、一人一人の意志を汲み、人間の尊厳そのものを守るということである。

その為には、成年後見人制度において、弱者の形式的な保護にとどまらず、被後見人を内包する社会全体の在り方をこれからも問い続ける必要がある。

 

Windows 10 版のメールから送信

 

 

 

 

諸角友豊

先ほど送信したレポートに、参考試料の掲載をしていなかったため、改めて送信させていただきます。

申し訳ございません。

 

『後見と認知症』

 

 

《はじめに》

アルツハイマーや統合失調症など、世の中には多くの制限行為能力者がいる。

事理弁識能力が欠けているため、自ら有効な意思表示ができない彼らは、病院での治療において、その治療を拒んだり、正確な意思の確認ができず、適切な医療処置が施せないケースが出てきている。

こうなると、成年後見人に、医療に同意する資格が必要となってくるだろう。

そこで私は医療に同意する資格の有無に対して、賛成、すなわち成年後見人に同意権が必要という立場を取る。

 

《成年後見制度と地域福祉権利擁護事業の特徴と相違点》

まず、成年後見制度とは、知的障害者や精神障害者など、行為能力が十分でない人の保護を、代理権や同意権・取消権が付与された成年後見人等が行う制度である。

申し立てをすることが可能なのは本人、配偶者及び四親等内の親族などが当たるが、身寄りが無いなどの理由で申し立てが不可能な人に対し、市(町村)長立てというのも存在する。

具体例としては、老人保険施設や特別養護老人施設などの、介護施設への入退所契約などが挙げられる。

かつては禁治産及び準禁治産の制度(法律上自分で財産を管理・処理できないものとして後見を付ける制度)があったが、対象者がある程度重い精神上の障害のある方のみに限定されたことや、禁治産及び準禁治産の宣告を受けると戸籍に記載されるため、関係者が制度の利用に抵抗を感じるといった問題点が指摘されてた。

そこでそれを見かねて始まったのが現在の成年後見人制度である。

大きく分けて二種類の制度があり、すでに精神障害がある場合に決める法定後見制度と、意思能力があると認め垂れた身体障害者や体の自由がきかない高齢者が能力が衰える前に後見人を決める任意後見制度があり、申し立てがを受けた家庭裁判所が審判を行う。

ここで一度、制限行為能力者について説明をしておこう。

制限行為能力者には「成年被後見人」「被保佐人」「被補助人」の三種類が該当する。

そのなかでも成年被後見人は、事理弁識を欠くものとして、民法第7条及び第8条において後見開始の審判を受けた者を指している。

また、民法第9条により、本人単独で行った法律行為は取り消し得る法律行為となる。

例えば、未成年と成年後見人。どちらも代理人の取り消しがある状態だとしよう。未成年は民法第5条において、取り消しをするのが不可能とされているが、成年被後見人の場合では、民法第9条をもとに、常に事理弁識がない彼らは取り消すことが可能である。

こういった具合に、法律行為を取り消すことができる。

そして、そんなことをすることができるのが、成年後見制度によって、彼らの保護者として「代理権」「取消権」「追認権」を持つのが成年後見人で、成年被後見人が完全に有効な法律行為を行うには、成年後見人が民法第824条に基づき代理して行う他はない。

 

その成年後見制度に対し、非常に似ているものが1つある。

それが地域福祉権利擁護事業だ。

地域福祉権利擁護事業とは、認知症高齢者、知的障害者、精神障害者などの、判断能力が不十分な地域において、自立した生活が送れるよう、利用者との契約に基づき、福祉サービスの利用援助を基本に、社会保険料。公共料金・医療費・家賃の支払いなどの日常的な金銭の管理や、通帳や土地の権利証などの書類を預かってもらえるなど、自立生活が送れるよう支援することにより、その者の権利擁護をすることを目的としたものである。

例として、介護保険制度などの福祉サービスの申し込み、契約手続きの援助、日常生活に必要な金の出し入れなどがある。

 

成年後見制度との違いとしては、成年後見制度の方は法律の裏付けがしっかりしている反面、家庭裁判所での手続きが必要になるなど、利用開始へのハードルが少し高くなっている。

対し、地域福祉権利擁護事業の場合、成年後見制度に比べて法的なサポートは制限されるが、安い費用で気軽に利用できるサービスといえる。

ただし、地域福祉権利擁護事業は、本人にサービスを利用する意思があり、内容を理解できることが契約の前提となっている。

そのため、認知症などが進行してしまった人は利用することができないということになる。

では、これらを踏まえたうえで、今回の本題に入る

 

《医療行為と本人の同意》

医療行為には、原則として本人の同意が必要とされる。それは何故か。

理由の一つは、同意が違法性阻却事由となることにある。

すなわち、医療行為は、純粋な問診などを除き、多かれ少なかれ本人の身体等の傷害またはその危険を伴う行為である。

このような医療行為を医的侵襲行為と呼ぶことがある。

このような医的侵襲行為は、刑法の傷害及び暴行の構成要件に該当し、原則として違法となる。言うまでもなく、民法上でも違法となる。

但し、本人の同意がある場合は、刑法第35条の正当業務行為に該当し、違法性は阻却されるのである。

 医療行為に本人の同意が必要とされる二つ目の理由は、憲法第13条自己決定権にある。

いかなる病状についていかなる医療行為を受けるか受けないかは、極めて個人的な価値観に基づく判断による。医療行為の同意、つまるところインフォームド・コンセントは、個人の基本的人権のひとつである自己決定権に基づく権利である。

 

そこで、本人にどの程度の精神能力があれば有効な同意といえるかが問題となるはずであるが、実は余り議論されていないのが現状である。

医療同意は法律行為ではない。

故に、成年後見制度や地域福祉権利擁護事業をもってしても、後見人が本人の代わりに行為を行うことができない。

これはいかがなものか?

私は成年後見制度の使用の経験などは一切ないが、経験がなくても、これは大きな問題であることはわかる。

事理弁識能力が欠けていれば、その欠けている度合いにもよるが、適切な治療を受けることが出来ないのは歴然とした事実である。

個人の意思の尊重は、どんなに幼くても、どんなに重い障害を持っていても、確かに大切な、尊重されるべきものだとは思う。

しかし、本人の命が関わることなら話は別ではないだろうか。

それも、認知症の患者となれば、自分が認知症だと認めず、治療を受けない方が非常に多くいるとよく小耳に挟む。

そんな状態でも果たして成年後見人らの持つ権利に医療行為の同意権は不必要と言えるであろうか。

私は同意能力は、民法上の意思能力とは全くもって別の次元ものとして判断されるべきだと思う。

だが、それを決めるための判断基準は必ずしも明確ではない。

「患者本人において、自己の状態、当該医療行為の意義、内容及びそれに伴う危険性の程度につき認識しうる能力を備えている場合は本人の承諾を必要とする」とした地方裁判所(以下地裁)の判決例がある(札幌地判昭和53929日)が、これは一般論であり、具体的な事例へのあてははめは容易ではない。

いずれにしても、認知症ひとつをとっても、アルツハイマーや脳血管型などさまざまな病態があり、程度がある。

今後、医学的な知識の発達とともに、個人の尊重、自己決定権の視点から本人の同意能力の問題をさらに深く、かつ実践的に議論していくことが必要なのではないかと私は思う。

 

《成年後見人の医療行為同意権》

今回の問題の焦点である成年後見人の医療行為同意権について。

例えば、一人の精神障害者がいるとする。本人には同意能力が無く、かつ、家族がいない、若しくは家族の協力が得られない状態での医療同意は成年後見人に認められるのか。

現行法の立場、つまり成年後見制度改正起草担当者、法務省民事局の見解によると、

『成年後見人は、医療契約締結権はあるが、その契約の履行として実施される治療行為その他の医的侵襲行為についての同意権がないとするのが現行法の立場である。』

と言われている。

とはいえ、実際には、家族がいない患者には必要な医療が施せないとなると、医療現場は混乱する。

他方、そうだからといって、法的な権限がないにも関らず同意を求められる成年後見人は困惑である。

実際には比較的軽微な医療行為(風邪薬の投薬や風邪の際の注射や点滴、レントゲン検査等々)については医療機関が、同意なく、あるいは付き添いの施設関係者やヘルパーの同意で行っていると思われるが、手術や危険を伴う検査、はては生命維持装置の装着問題等々については、どうなるのか。

家族がいない、同意能力のない患者は、必要な医療をうけることができないというのは許されない。医療現場では、成年後見人の同意権付与を望む声が多い。

となれば、やはり成年後見人に医療行為同意権は必要となってくるのではないか。

裁判所の一部では、起草者の見解を超える運用を是認するケースもある。

諸外国の例では、成年後見人に医療同意権を認め、重大な医療行為については裁判所その他の第三者機関の責任で判断させるとするものが多い。

 

とはいえ、日本の現行法においての解釈の解決もなくはない。

民法858条の身上配慮義務に対する権利として、成年後見人に一定の範囲で医療同意権を認めるとする説がある。

成年後見人には、医療契約を締結する権利が与えられ、また医療契約締結後の医療行為の履行を監視する義務がある。

これらの職務があるということを前提とすれば、生命身体に危険性の少ない軽微な医療行為については同意の代行権限があるとされる。

例えば、日常生活上での健康維持管理のために行う定期的な健康診断や、各種予防接種、通常起こりうる疾病や怪我(風邪、骨折、歯痛など)についての受診、入院、治療や、あるいは、病的症状の医学的解明に必要な最小限の医的侵襲行為(レントゲン検査、血液検査など)の同意権を認める。

この説は、法律の解釈として一応の説得力もあり、現場の混乱を避けうるメリットもある。

しかし、解釈だけではせいぜいこれが限界であり、生命身体への重大なリスクを伴う医療行為については同意権を認めることはできないため、なんであれ、越えなければならない課題が残ることになる。

 

《まとめ》

成年後見制度というものは介護保険の不十分な部分を補助したものじゃないかと私は思います。

精神障害者や知的障害者は事理弁識が欠けており、正しい行為能力を保持していません。

終末期医療を受けるほどの深刻な状態になってしまった場合、意思疏通が困難になり、彼らの意思を聞くことができなくなります。

そうならぬよう、前もって成年後見人が彼らの意思を聞き、医療行為同意権を以て、彼らの意思を伝えることができるはずです

『医療行為同意権』を付与したところで、残ってる様々な課題が解決するわけでもなく、あまりに短縮的なものですが、多くのものが救われると私は思います。

 

【参考試料】

コトバンク…『終期末医療』『地域福祉権利擁護事業』『成年後見制度』

成年後見制度と地域福祉権利擁護事業の違い https://www.mkensha.or.jp/anshin/seido.html

認知症ネット https://info.ninchisho.net/care/c90

成年後見制度の問題点 http://相続弁護士カフェ.com/souzoku-11102.html

東京東部法律事務所 高齢者について

http://www.tobu-law.com/s/

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※以下の文はレポートの内容と関係ありません。

先日はレポートに使うキーワードのリンクを教えて頂きありがとうございました。

今まで自分がやってきた中江先生のレポートは、どの学説に賛成若しくは反対するかなどの形式のものだったので、今回学説とかがないため焦りました()

一回全く別の結論を述べて半分くらい書いたんですけど、あまりにも斜め上過ぎて、述べる内容を考え直すくらい焦ってました()

評価の裁定方よろしくお願い致します。

 

 

 

 

千葉慎也

行為能力の制限された者(制限行為能力者)が行った法律行為は判断能力が不十分で取り消すことができる。

 

 

民法は、制限行為能力者の種類として、未成年者成年被後見人被保佐人および被補助人の4つの類型を定めている。それぞれの類型ごとに想定される判断能力の程度が異なり、それに応じて行為能力が制限される範囲にも広狭がある。なお、被補助人は、必ずしも行為能力を制限されるとはかぎらない。

各制限行為能力者の比較を表にすると、次のようになる。

 

未成年者

成年被後見人

被保佐人

被補助人

要件

20歳未満の者(4条参照)

精神上の障害により事理弁識能力を欠く常況にある者(7条)

精神上の障害により事理弁識能力が著しく不十分である者(11条)

精神上の障害により事理弁識能力が不十分である者(15条)

能力の範囲

特定の行為以外は単独でできない(5条・6条)

日常生活に関する行為を除くすべての財産行為ができない(9条)

13条1項所定の行為だけ単独でできない(13条)

同意権付与の審判を受けた行為だけ単独でできない(17条)

保護者

法定代理人(親権者または未成年後見人)

成年後見人

保佐人

補助人

保護者の権限

同意権・代理権・取消権

代理権・取消権

同意権・取消権、付加的に代理権

同意権・取消権または代理権

婚姻や遺言などのような身分上の行為については、できるかぎり本人の意思を尊重すべきである。したがって、身分行為については、一般に行為能力の規定は適用されず、制限行為能力者であっても、意思能力があるかぎり、単独で有効に行うことができる。

たとえば、成年被後見人の婚姻には成年後見人の同意が不要であるとされ(738条)、また、未成年者や成年被後見人は単独で認知することができるとされている(780条)。そのほかにも、家族法(民法第4編・第5編)において民法総則の行為能力規定とは異なった内容の規定が置かれている(例、遺言に関する961条・962条)。

制限行為能力者を行為能力者であると信じて取引をした相手方は、たとえそう誤信したことについて不注意がなかった場合であっても保護されない。制限行為能力者制度は、制限行為能力者を保護するために取引の安全を擬制にするものである。相手方に催告権を与えること(20条)や制限行為能力者が詐術を用いた場合に取消不可能とすること(21条)で取引の安全にもある程度は配慮しているが、十分であるとは言えない。

制限行為能力者制度は、判断能力の不十分な者が財産を失うことを防止するものにすぎず、財産を持たない者を積極的に支援するものではない。それについては、たとえば、制限行為能力者の労働条件を保護するために社会法による規制を設けるなど、制限行為能力者制度とは別の政策的な措置を講じる必要がある

 

 

アルツハイマー、認知症等の方(意思無能力者)がした法律行為は意思能力を欠いているので無効であり、また、判断能力不十分であり、成年後見制度を利用することができると考える。しかし契約の内容を理解できる能力があれば地域福祉権利擁護事業を利用することが

できる。

 

 

すべての個人(自然人)は、平等に権利能力を有する。しかし、個人が実際に経済活動(取引行為)をする局面では、すべての個人を法的に全く平等に取り扱ってよいというわけにはいかない。子供や精神的な障害のある者のように十分な判断能力を有しない者も現実にいるのであり、そのような弱者を法的に保護しなければならないからである。

民法は、取引行為の効力が維持される(有効である)ための条件として、その行為について行為者に十分な判断力があることを要求する。そして、判断力の不十分な者がした取引行為の効力を否定することによって、そのような弱者を(取引から生じる義務に拘束されないという意味で)消極的に保護している。意思能力と行為能力という二つの制度がそれである。

意思能力行為能力は、ともに判断力が不十分な者を保護するための制度であるが、個人の判断力の有無を決定するしかたが両者で異なる。意思能力においては、事案・行為ごとに個別具体的に判断力の有無を見定める。これに対して、行為能力においては、個別の事案とは切り離して、年齢や審判の有無といった形式的な基準によって画一的に取引をする資格を制限する。

 

意思能力とは、自らがした行為の結果を判断することができる精神的能力のことを言う。およそ7歳から10歳くらいの精神的能力であるとされる。

意思能力があるか否かは、個別の事案ごとに具体的に判断される。通常の状態では正常な判断力がある者でも、飲酒や薬物の服用によって判断力を欠くような状況が生じることがありうる。

意思能力を欠く者(意思無能力者)がした取引行為(法律行為)は無効である(大判明38.5.11)。意思無能力者保護の観点から、取引をした意思無能力者以外の者がこの無効を主張することはできないと解されている。

意思無能力による無効は、民法にその旨の規定は存在しないが、私的自治の原則(人は、自由な意思によらなければ、法的に拘束されることはない)の帰結として解釈上認められているものである。

成年後見制度は、認知症、知的障害、精神障害などの理由で判断能力が不十分である者を保護するために、本人の生活を支援する者を選任する制度である。

新しい成年後見制度は、本人保護という従来からの理念と、自己決定の尊重(本人に残された能力を活用してできるかぎり本人の意思を尊重する)やノーマライゼーション(障害のある者も健常者も等しく共に生活できるような社会にすべきである)という新しい理念との調和を目指している。

〔参考〕制度の沿革  平成11年改正によって従来の禁治産・準禁治産制度は廃止され、それに代わる新たな制度としていわゆる成年後見制度が導入された。旧制度においては、@「禁治産」「準禁治産」「無能力」という用語は差別的であり偏見を招くこと、A禁治産宣告・準禁治産宣告が戸籍に記載されるため、本人のプライバシーが守られないこと、B旧制度の2類型では内容が硬直的すぎて高齢化社会への対応ができないなどの問題が指摘されていた。そこで、新制度においては、高齢者福祉および障害者福祉の充実といった観点から、@差別的用語の撤廃、A戸籍への記載の廃止と成年後見登記制度の導入、B各人の残存能力に応じた柔軟な制度設計といった改善がなされている。

法定後見は、判断能力が不十分な者のために家庭裁判所の審判によって開始されるものである。本人の判断能力の程度に応じて、後見・保佐・補助の3種類が用意されている。家庭裁判所が職権で保護者を選任し、保護者の権限の範囲も民法の定めるところによる。

後見に関する審判は一定の者の申立てによって行われるが、本人の自己決定を尊重するため、一定の審判を行う場合には、本人の同意が必要とされている(補助開始の審判、補助における同意権付与の審判・代理権付与の審判、保佐における代理権付与の審判)。

任意後見は、本人が、将来、自己の判断能力が低下した場合に備えて、あらかじめ本人が選んだ者に自己の後見事務(生活支援や療養看護、財産管理に関する事務)についての代理権を与える契約を結ぶものである。この契約を任意後見契約と呼び、本人と任意後見契約を締結した者を任意後見受任者と呼ぶ。(任意後見契約に関する法律2条参照。以下、「任意後見契約に関する法律」を単に「法」と略する。)

任意後見契約は、委任契約の一種である。契約の相手方(任意後見人となる者)を誰にするかは、本人の自由な決定による。また、任意後見人の職務権限(代理権)の範囲も、契約によって自由に定めることができる。

任意後見契約は、家庭裁判所が任意後見監督人を選任した時にその効力を生じる(法2条1項参照)。

なお、任意後見は、他人に後見事務のための代理権を与えるものであって、法定後見のように本人の行為能力を制限するものではない。

地域福祉権利擁護事業を利用しよう

高齢になると通帳の保管場所をたびたび忘れたり、介護福祉サービスの契約内容がよく理解できないということがあります。このような人を援助するのが、地域福祉権利擁護事業です。日常生活自立支援事業ともいいます。

具体的には、市区町村の社会福祉協議会が窓口となって実施しています。利用できるのは、日常生活を営む上で必要なサービスを理解・判断できなくなってきた人です。ただし、社会福祉協議会と結ぶ契約の内容を理解できる能力は必要となります。社会福祉協議会に相談すると、専門員が自宅を訪問するなどして、状況の把握をし、支援計画を作ります。それに基づいてサービスを選び、契約を締結します。

サービスは3つあります。いずれも生活支援員が援助をしてくれます。

利用料は自治体によって異なりますが、(1)と(2)は一回1時間当たり13,000円程度となっています。(3)のみは年間13,000円程度です。利用頻度にもよりますが、公的な福祉事業の一環ですので料金は安く、生活保護世帯は無料となっています。

実は成年後見制度にも、法定後見よりも障害が軽い人が利用する、補佐や補助という制度もあります。家庭裁判所に申請して親族や司法書士などの専門家が契約の支援を行います。成年後見制度と地域福祉権利擁護事業は、判断能力が衰えた人を助けるという面では重なりますが、目的が異なります。成年後見制度では、親族やあらかじめ依頼をした人に支援してもらうこともできますが、地域福祉権利擁護事業では社会福祉協議会の生活支援員となります。また、成年後見制度では不動産の処分などの財産管理に重点を置いているのに対し、地域福祉権利擁護事業では日常の金銭管理が中心になります。それぞれの長所・短所を確認して、自分にあった制度を利用しましょう。

 

 

終末期医療の問題はとても複雑だがしかし重要で、いろいろな問題があるが本人の意思が表明が尊重されることが重要であると考える

 

 

医療というのは、基本的には“病気を克服すること”を目的としています。

しかしながら、末期がんなどを患った場合、必ずしも“病気の克服”ができるわけではありません。そんな人たちのために立ち上げられた概念が、『終末期医療』です。

ターミナルケアとも呼ばれるこれは、『延命などを主たる目的とはせず、苦痛の緩和を目的として、死を迎えるそのときまで安らかに生きていけるために行う医療』と位置付けられています。この概念は、19世紀前半から現れ始めたものであり、1899年には、イギリスにおいて、初めて“末期がん患者のための終末ケア施設”が作られました。

1940年代から出始めた、『QOLquality of life/人生の質。どれだけ満足のある生活を営めるか、というもの)』の考え方と、この『終末期医療』の考え方は非常によくマッチし、徐々に注目されていきました。

ターミナルケアを行う施設としては、終末期の緩和ケア病床、慢性期の療養病床、老人介護施設、障害者介護施設などがある。ターミナルケアを専門に行う医療施設はスピスとも呼ばれる。この外来語の語源である英語「hospice」の原義は、聖地への巡礼者や旅行者を、小さな礼拝堂を持つような教会が泊めた巡礼教会であった。患者や家族が在宅生活を希望する場合は、訪問医療・訪問看護による在宅での見取りケアという方法もある。

日本の医療制度・介護制度としては、ターミナルケアを行う施設として、健康保険が適用される施設として、ホスピス、医療療養病床介護保険が適用される施設として介護療養病床介護療養型老人保健施設特別養護老人ホームがある。

 

終末期医療においては、主に以下のようなことが重要視されます。

・延命治療の拒否
・苦痛の緩和対策

日本においては、“積極的に安楽死すること”は認められていません。つまり、「闘病が苦痛だから、今すぐに毒を流して殺してほしい」のようなことはできないのです。しかし、「この薬を使えば3か月ほど延命できる可能性がある」というようなものがあったとき、その薬の使用を拒絶することはできます。

苦痛緩和については、モルヒネなどの強い痛みどめの処方、そして、“鎮静”などの対策が取られます。鎮静というのは、患者の意識を薄くすることにより、痛みを知覚しにくくさせる、というものです。

また、このような肉体的な苦痛の緩和だけでなく、「死へと向かうこと」の恐怖心を取り除くための、精神的ケアも行われます。

終末期医療は、必ずしも隔離された空間で行われるわけではありません。病院の、あるいは自宅であってもこの考え方は適用されています。

終末期医療は、患者さんだけのためにあるものではありません。遺される家族がどのようにその死を受け止め、どのように弔い、そしてその後どのように生きていくか、ということを考える上でも非常に重要です。

もちろん、最後のときまで病気と闘い、打ち勝とうとすることも1つの回答です。ただ、死までに残された時間、痛みなく穏やかに家族と過ごすことを、終末期医療は時に可能にしてくれます。

どちらかが優れているというわけではなく、“どのように生きて、どのように死ぬか”ということを考える上で、終末期医療1つの選択肢になっている、と言えます。

 

 

出典 Wikipedia、民法まとめ、パピマミコラムより引用

 

 

 

 

 

竹山実希

私の結論は、アルツハイマーなどといった認知症の高齢者たる日本において、社会保険や任意後見制度がなければ、どんな不都合が生じて、他方、その社会システムがあればどんないいことがあるか考える。例えば、一人暮らしの老人が悪質な訪問販売員に騙されて高額な商品を買わされてしまうなどといったことを最近よく耳にするが、 こういった場合も成年後見制度を上手に利用することによって被害を防ぐことができる場合がある。このように身近にある日常生活においての社会システムについて考えていく。

 

*法律行為を行うために必要な能力3つとは?

私はまず行為能力からみていきたいと思う。私権を行使する主体は自然人と法人である。自然人が有効で確定的な法律行為をなすには人が法律行為を行うには権利能力、意思能力、行為能力の有無が関係している。すべての個人は、平等に権利能力を有する。しかし、個人が実際に経済活動をする局面では、すべての個人を法的に全く平等に取り扱ってよいというわけにはいかないのである。子供や精神的な障害のある者のように十分な判断能力を有しないものも社会という現実には存在しているのであり、そのような弱者を法的に保護しなければならないからである。民法は、取引行為の効力が維持されるまたは有効であるための条件として、その行為について行為者に十分な判断力があるころを要求する。そして、判断力が不十分な者がした取引行為の効力を否定するころによって、そのような弱者を省的に保護している。(取引から生じる義務に拘束されないという意味で)意思能力と行為能力という二つの制度がそれにあたるのである。意思能力と行為能力とはともに判断力が不十分な者を保護するという能力であると先ほど述べたが、そこで個人の判断力の有無を決定する仕方が両者で違うということをまず理解しなければならないと考える。意思能力においては、事案・法案ごとに個別具体的に判断の有無を見定める。これに対して、行為能力においては、個別の事案とは切り離して、年齢や審判の有無といった形式的な基準によって画一的に効力を制限するという効力がある。次に事理弁識能力についてみていきたいと思う。事理弁識能力とは、有効に意思表示する能力のことをいい、具体的には自己の能力の結果を弁識するに足りる精神的な能力のことである。例えば、民法上は、交通事故の被害者が子供のため、過失相殺が認められるか、という場面で問題となる。一般的には5〜6歳児程度の知能があれば、事理弁識能力があるとされている。また民法第7条により、重度の精神病や認知症などにより、事理弁識能力を欠く状況にあって、家庭裁判所の後見開始の審判を受けた者を、成年被後見人という実質的な要件と形式的な要件が整ったとき、家庭裁判所は後見開始の審判をしなければならない。なお、民法第10条によると、成年被後見人の事理弁識能力が回復した場合、一定の者の請求によって家庭裁判所は後見開始の審判を取り消さなければいけない。成年被後見であるということは、戸籍へ記載されるのではなく登記をされるのである。つもり、成年被後見人という名称であるが、"成年"に限られるわけではないというわけであることがわかった。成年被後見人にはその保護者として成年後見人というものがつく。民法843条、4項により法人でも可能でありまた846条・847条に後見の欠格事由がしるされていることから成年後見人は複数でもよいということがわかる。このことを私は知らなかったのでとれも驚いた。

*成年後見人の機能の種類とは?

成年後見人の機能には代理権と取消権というものがあるということがわかった。民法859条1項により、代理権とは成年被後見人の法律行為についえ、広範囲をカバーでき、なお、成年後見人が成年被後見人に代わって住居などの売却や賃貸、抵当権の設定などをする場合は、家庭裁判所の許可を得る必要がある。取消権とは成年被後見人がした法律行為を取り消すことが出来ることである。以上のことから、成年被後見人は原則として自ら単独で有効な法律行為をすることができないことがわかる。そして、成年被後見人の法律行為は、成年後見人によって取り消すことができる。ただし、民法9条より日用品の購入及びその他日常生活に関する行為については、この限りでない、と述べられていることより注意しなければならないと思った。また、合わせて民法5条の未成年が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない。ただし、単に権利を得、又は義務を免れる法律行為については、この限りではない。というのも重要なので覚えておきたいと思った。

*成年後見制度と禁治産の違い

成年後見制度が始まる前は禁治産制度や準禁治産制度があったということに注目したい。まず、禁治とはなにかという問題に私は直面したのである。禁治産とは、心神喪失で社会人として正常に生活できない者を法律上保護するため、後見人をつけてその財産を管理させる制度であったということがわかった。では、なぜ今はなくなってしまったのか、という疑問が浮かび上がる。このようなことを知って、禁治産、準禁治産制度と成年後見人制度について似てるなと感じた。そこで、その二つの違いについて気になった。禁治産、準禁治産制度は2000年4月から成年後見制度の導入によって廃止された。禁治産者とは意思決定(自己の財産を管理・処分できる)能力がないと判断され、家庭裁判所から禁治産の宣告を受けた人のことをいいます。準禁治産者は禁治産者ほどではないにしても判断能力が禁治産者に準ずる程度(自己の財産を管理・処分するのに常に援助を必要とする)であるとして家庭裁判所から準禁治産の宣告を受けた人をいいます。禁治産及び準禁治産制度では、対象者が程度の重い精神上の障害のある方に限定されていたことや、禁治産及び準禁治産の宣告を受けると、戸籍に記載されるため、関係者が制度の利用に抵抗を感じるといった問題点が指摘されていた。それに対し、認知症の方、知的障害の方、精神障害のある方なだといった判断能力が不十分な方々は、財産管理や身上監護についての契約や遺産分割などの法律行為を自分で行うことが困難であったり、悪徳商法などの被害に遭うおそれがあるため、このような判断能力の不十分な人たちを保護し支援するのが、「新しい成年後見制度」であることがわかった。私は新しい法律ができて安心した。自分自身が判断能力のあるうちに前もって、自分の判断能力が不十分になった場合に備えて、あらかじめ代理人を選んでおるのと同時に判断能力が不十分な状況に至った後の生活や財産管理を委託できるようになったと思うので本当に自分がまだ19歳のときに法律が変わってよかったと思います。

*成年後見制度の分類について

成年後見制度とは「法定」と「任意」のふたつに分かれていることから先ほど私が述べたような考えは任意後見制度が繋がるなと思いました。任意後見制度とは本人が契約の締結に必要な判断能力を有している間に、将来自己の判断能力が不十分になった時の後見事務の内容と後見する人を、自ら自前の契約によって決めておく制度であることがわかりました。そこで、私自身関係ないとは言えない任意後見についてのメリットとデメリットについて考えてみた。メリットとしては、先ほど述べたように本人の判断能力が低下する前に契約するので、本人が自由に任意後見人を選ぶことができること、契約内容が登記されるので 任意後見人の地位が公的に証明されるということ、また家庭裁判所で任意後見監督人が選出されるので任意後見人の仕事ぶりを監視することができる、などといったことがあると思った。対して、デメリットとしては死後の処理を委任することができないと思ったことと、法定後見制度のような取消権がないということ、財産管理委任契約に比べ迅速性に欠けるなどといったことがあるのではないかな、と思った。

*成年被後見人を支える介護保険

このような成年被後見人を支えている介護保険について考えていきたいと思う。介護保険とは、運営主体が各市町村、特別区であり高齢者の暮らしを社会みんなで支える仕組みで平成12年にスタートし、40歳以上の人は介護保険に加入し保険料を支払い、その保険料や税金を税源とし、介護が必要な人は、費用の一部を負担するだけでさまざまな介護サービスを受けることができることを指し、私の両親も行っている身近な存在である。介護サービスの種類としてはホームヘルプ、デイケア、シュートステイといった在宅サービス、グループホーム、24時間巡回などといった地域密着型のサービス、特別養護老人施設、老人保健施設などといった施設サービスがある。また、入院患者の 70%以上が 65歳以上で占められる老人病院もあったが、廃止された。また、介護保険の受給者は約500万人いて約10兆円も動いているのである。また、日本では終末期医療についていろんな論がある。終末期とは 医師によって不治の病であると診断をくだされ、それから先数週間ないし数カ月のうちに死亡するだろうと予期される状態になった時期をいう。ここでアルツハイマーなどといった今はまだ治療法がみつかっていない認知症を例に患者の命について考えてみたい。家族や親せき、当本人以外は延命を望むのが日本では一般的であるが、その選択は果たして正しいのか、、、。症状などが最終段階に入った方などは幸せなのであろうか、当本人では判断できないので非常に難しい現状である。年齢にかかわらず、命を永らえさせることを目指してきた日本の医療は、私は結果として、かえって高齢者を苦しめているのではないか、とも新しい考えが生まれた。介護保険の値段が高いと言われる一方で施設サービスにあたる特別養護老人ホームに注目したい。特別養護老人ホームとは、社会福祉法人や地方公共団体が運営主体となっている公的な介護施設であり、介護保険法のもとでは「介護老人福祉施設」とされていて、病気や障害などによって在宅での生活が困難とされた高齢者が、公的な介護サービスとして入居できる介護施設となっています。「寝たきり」や「認知症」などによって自宅での生活が困難な方や、在宅介護を受けることが難しい方のための施設として高い人気を誇っているため、そのような状況でなかなか入居できないという人が非常に多くみられるそうなので、改善されるのを願いたい。また、利用料金はかかるが地域福祉権利といった高齢者や障害者の方々が、住み慣れた地域で安心して自立した生活が送れるように、福祉サービスの利用などに関わる相談やお手伝い(援助)をし、その生活を支援する擁護事業がある。問題点だなと感じたことは、悪質な訪問販売などの契約は本人の意思によって、その企業にクーリングオフの代行はしてもらえるが、契約の取り消しまではできないということだ。

 以上のことから、私が歳をとるにあたり保険制度について知らないでは自分が損すると思うので知れてよかった。私がその中で改善したほうがよいと思ったのが今回のテーマでもあった特別養護老人施設についてだ。無償で受けられる保険サービスのひとつであるであるにも関わらず、実際ほとんどの人がその特別養護老人施設を受けられていない現状である。他にも言い出したらきりがない現状をどうにか変えていけないものだろうか。積極的に選挙に参加するなどして今後の日本に期待する。

 

 

・ポケット六法平成二八年度版[編集者 井上正仁、山下友信]

・意思能力と行為能力民法まとめ [http://www.minpou-matome.com/民法総則//意思能力と行為能力]

・社会福祉法人白老町社会福祉協議会ホームページ[http://shiraoi-syakyo.com/kenri.html]

・コトバンク 社会福祉権利擁護事業 [https://kotobank.jp/word/%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E7%A6%8F%E7%A5%89%E6%A8%A9%E5%88%A9%E6%93%81%E8%AD%B7%E4%BA%8B%E6%A5%AD-884484]

 

 

 

 

吉見えりこ

親族法 後見と認知症  15J114007 吉見えりこ

 

結論 精神上の障害(認知症・知的障害・精神障害など)により判断能力が常に欠けている状態の者は、成年後見制度により、成年後見人をつけることができ、本人が行った不利益な法律行為は取消すことができる。

 

根拠 成年後見制度の過去と今

 従来は、知的・精神的能力が十分でない成年者についての保護制度のことを禁治産・準禁治産制度と言っていた。しかし、平成11年に大きく改正され、新たに成年後見制度が導入された。成年後見制度の改正法には2つの柱がある。

まず、第一に、禁治産・準禁治産制度を新たな3類型の成年後見制度に置き換えることである。すなわち、禁治産に代えて後見を、準禁治産に代えて保佐を導入するとともに、新たに補助という類型を新設した。これに伴い、親族法第5章の「後見」が大幅に改められ、さらに第5章の2「保佐及び補助」が付加され、禁治産という差別的な名称も廃止された。

改正後の成年後見制度とは、精神上の障害により判断能力が不十分な者が、不動産や財産管理、その他の法律行為や契約などを正確に判断できずに不利益な契約を結んでしまう等、このようなことから判断能力が不十分な者を保護し、支援する制度である。しかし、ここで重要になるのが後見開始の審判である。たとえ認知症患者であっても、後見開始の審判がない限りは行為能力者であり、行為能力を有している。後見開始の審判を受ける前の認知症患者は、判断能力が欠けている状態に関わらず、一度結んでしまった契約の取消権というものは有していない。後見開始の審判は、第7条、後見の開始は第838条2号に規定されている。認知症患者で判断能力が不十分だからと言って不利益な契約を取消すことができる訳ではなく、後見開始の審判を受けることで制限行為能力者とされ取消権が認められる。

次に、第2の柱は、公的機関の監督を伴う任意後見契約制度を新設することである。任意後見契約とは、本人が精神上の障害により、事理弁識能力が不十分になった状態になった場合に備えて、自分の生活・療養看護・財産の管理に関する事務の全部または一部を他人に委託し、委託した事務について任意代理権を付与する任意契約である。これは任意後見契約法2条1号に規定されている。通常の任意代理と比べた特色は、家庭裁判所による任意後見監督人の選任を停止条件として、効力を生ずる点にある。つまり、委任者が代理人を監督できない状態になってから代理権が行使されることに考慮し、任意後見(代理人)を監督するための制度を用意したのである。

法定の成年後見制度と任意後見契約が競合する場合は、本人の利益のために特に必要である場合を除き、任意後見が優先する。(同法4条1項2号、10条)。本人の意思を尊重する政策の現れと言えるだろう。このような大きな改定の背景には、高齢化社会の問題や認知症・知的障害などの精神的能力の低下が誰にでも起こりうる現象だとして認識され始めたことが大きく関係していると考える。改正には、自己決定の尊重・残存能力を活用する・ノーマライゼーションを実現するという理念が強調されるとともに、従来からの本人保護の理念と調和させることのできる新たな制度の導入が要請された。

 

現代社会に必要な制度・事業

 現代社会は、従来通りの考え方では解決できない問題が増えてきている。はじめにも述べたとおり日本は現在に至るまでに、新たな問題に直面し、それに合った考え方に移行することで成り立ってきた。高齢化社会の日本で大切なものは、人口の多くを占める高齢者に対する制度であると思う。年を取るにつれ、免疫力が低下し肺炎などの感染症にかかりやすくなったり、年を取ることで起こるリスクが上がる認知症など、決して健康なまま年をとれるとは限らない。この高齢者問題は今の日本では無視できない大きな問題である。これに対応する制度としてはじめに挙げた後見制度のほかにも、日本にはいろいろな制度・事業がある。

 まずは、耳にすることも多い介護保険についてである。介護保険は平成12年からスタートし、各市区町村が制度を運営している。私たちは40歳になると、被保険者として介護保険に加入し、介護保険料を支払うことで介護が必要になったときに高齢者が1割の自己負担で介護サービスを受けられるようにする制度である。65歳以上の方は、市区町村(保険者)が実施する要介護認定において介護が必要と認定された場合、いつでもサービスを受けることができる。また、40歳から64歳までの人は、介護保険の対象となる特定疾病により介護が必要と認定された場合は、介護サービスを受けることができる。平成274月からは介護保険の予防給付(要支援の方に対するサービス)のうち介護予防訪問介護と介護予防通所介護が介護予防・日常生活支援総合事業に移行され、市町村の事業として実施される。(市町村の判断により、事業開始を平成293月末まで猶予できる。) 総合事業には、従前の介護予防訪問介護と介護予防通所介護から移行し、要支援者と基本チェックリストで支援が必要と判断された方(事業対象者)に対して必要な支援を行う事業(サービス事業)と、65歳以上の方に対して体操教室等の介護予防を行う事業(一般介護予防事業)がある。このように介護保険とひとくくりにいってもその中には多くの事業がある。介護保険という名称は聞いたことはあっても内容は知らない人が多いのではないだろうか。

 介護を必要とする人の生活の場としては、自宅か特別養護老人ホームが挙げられる。まず要介護者が一人自宅で生活することは極めて困難であり、心身的危険や犯罪の被害者になる可能性が高くなる。この場合に要介護者の生活を助けてくれるものが地域福祉権利擁護事業である。これは、認知症高齢者や知的障害者、精神障害者など判断能力が十分でない方を対象に、利用者との契約に基づき、地域で安心して暮らせるように、福祉サービス利用援助を中心として、日常的な金銭管理サービス、重要書類の預かり等の支援を区市町村社会福祉協議会等が実施しているものである。一見してみると、成年後見制度と大差ないように見えるが成年後見制度と地域福祉権利擁護事業の違いは、本人のとの契約により日常生活の範囲内で手助けをする事業であるというところだ。すでに重度の認知症などで判断能力が著しく不足している人は、そもそも本事業の契約を結ぶことができないので成年後見制度の利用が適切である。他にも、重要な財産管理や法律行為・療養看護などに関する契約などを結ぶ場合も成年後見制度が適切である。

 次に、特別養護老人ホームである。この施設は、寝たきり状態など重度の介護を必要とする要介護者が、少ない費用負担で長期入所できる施設であり、社会福祉法人や地方自治体などにより運営される公的な介護施設である。そして、特別養護老人ホームの入所対象者は、原則、要介護度3以上の65歳以上の高齢者という基本条件のほか、「長期入院を必要としない」「感染症などの疾患がない」など、地域や施設によって様々である。多くの特別養護老人ホームでは認知症患者の受け入れも可能としている。

 

現代の高齢者の考え

このように日本は高齢化社会の対策として、高齢者の支援・保護に力を入れてきた。これらは間接的にではあるが延命につながるものだと思う。だが従来の「延命こそが重要」という考え方に代わり、人生の最期にある人の心や体の痛みを和らげることに重点が置かれた対応が取られ始めている。終末期の高齢者に対する家族の想いは様々であり、そのため高齢者が終末期に受ける医療は家族により異なる。しかし、医療を受けるのは、家族ではなく本人で、本人は人生の終末をどのように迎えたいのか、本人の立場で終末期医療を選択して欲しいと思う。

最近では「ぴんぴんころり」がいいと多くの高齢者が言っている。高齢者からこのような意見が出るのは、「病気になっても延命治療をうけ少しでも長生きしたい」ではなく、「最期は何の痛みもなく健康なうちに」という考えを持つ人が増えてきたからであると思う。私は人生の最期を迎えるにあたって、どんな考え方があっても良いと思うが、必ずしも終末期医療を受ける本人が選択できるとは限らない。もし、本人が医療の選択ができない場合。例えば、アルツハイマー病末期で家族の顔も名前もわからない、食事も一人では出来ないなど、自分の意思を医者に伝えることができない患者さんはどうするのか。もちろん家族の側からすると、いくらアルツハイマー病で家族の顔がわからないとしても大切な家族であるし少しでも長生きしてほしいと思うだろう。だがこの家族の選択が果たして患者本人の思っている選択なのか。もし本人が決めることができない場合は、家族が患者本人の気持ちになって考えることが大切になってくると思う。

最後に

 認知症や知的障害など自分で正確な判断ができない人は、保護され守られなければならない存在であり、決して不利益を負ってはならない。成年後見制度、任意後見介護保険特別養護老人ホーム地域福祉権利擁護事業など、精神上に障害がある方などを助ける多くの保護支援制度がある。この制度・事業をうまく活用し、皆と平等に安全に生活してほしいと思う。市町村や住んでいる地域が一丸となってこのような制度・事業を広めていくことも大切なことだと思う。自分の意思を相手に伝えることが困難な認知症患者の代わりに何かを決めるときは、本人はどうせ判断ができないからと言って代理側の意思で決めるのではなく、本人の意思を尊重した選択をし、最後に取り上げた終末期医療でもあったように患者さんの身になって物事を考えることが重要になってくるのだと思う。今後も高齢化社会が進み私たち若者には大変な時代になるとは思うが、立場の弱い、被害者になりやすい人を保護し、どんな人でも安心して生活できる日本にしていく役割を私たちは担っているのだと思う。

 

参考文献・参考サイト

「民法W 親族・相続 283頁」  内田貴 著 

法務省http://www.moj.go.jp/MINJI/minji17.html#a3 

厚生労働省http://www.kaigokensaku.jp/commentary/about.html

HOLMES介護 kaigo.homes.co.jp/manual/facilities_comment/tokuyo/

yomiDr  https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20120627-OYTEW61310/?catname=archives_shumatsuki.

 

 

 

 

 

川瀬雅貴

老人に対して憎しみを抱く社会にならないようにするべきである。

 

 

1)行為能力についての説明

 

行為能力とは、単独で完全に有効な取引行為(法律行為)をすることができる能力ないし資格のことを言う。 民法は、年齢や家庭裁判所の審判といった形式的な基準によって一定範囲の者を定め、それらの者の行為能力を制限する。たとえば、20歳未満の者を一律に「未成年者」と定めて(4条参照)、その取引を行う資格を制限している(5条)。 未成年者のように、行為能力が制限された者を制限行為能力者と呼ぶ。制限行為能力者には、未成年者のほかに、成年被後見人、被保佐人、被補助人がある。制限行為能力者の種類によって行為能力の制限の程度に差がある。行為能力ないし制限行為能力者という制度が必要とされる理由として、一般に次の二点が挙げられる。

 

@     意思無能力者の保護(証明責任の軽減)

 

行為当時に意思能力がなかったことは、それを主張する者(すなわち意思無能力者)が証明しなければならない。しかし、取引をした後になって、実は取引当時に自分には意思能力がなかったことを主張したいと思っても、その事実を証明するのは決して容易なことではない。そこで、個々の行為ごとに判断力の有無を決める方法ではなく、あらかじめ判断力が不十分な者を画一的に定めておき、それらの者がした取引行為の効力を一律に否定するという方法によって保護することができるような制度が要請される。

 

A     取引の安全の確保

 

一度取引が成立した後に意思能力がないと判断されるとその取引は無効となるのであるから、取引の相手方は不測の損害を被るおそれがある。(このように、取引の相手方を不安定な状態に置くことを、「取引の安全を害する」と表現する。)そこで、取引を単独で行う資格がない者を画一的に定めておき、相手方がそれを容易に知りうるような方法を用意しておくことが必要となる。それによって、取引の相手方に警戒を促すことができ、相手方は後日に取引の効力を否定されないように保護者の同意を得るなどの予防措置を講ずることができるようになる。

このようなことから、行為能力とは弱者を守るためにある。

 

2)禁治産について

 

禁治産とは、心神喪失の常況にある者を保護するため、法律上自分で財産を管理・処理できないものとして、後見をつけること。また、その制度。本人・配偶者・四親等以内の親族・後見人・保佐人または検察官の請求により、家庭裁判所が宣告する。平成12年(2000)民法の改正とともに廃止され、成年後見制度へと移行した。ではなぜ禁治産をやめて成年後見制度に移行したのか、それは、禁治産や準禁治産は対象者がある程度重い精神上の障害のある人のみに限定されることや,禁治産及び準禁治産の宣告を受けると戸籍に記載されるため,関係者が制度の利用に抵抗を感じるといった問題点が指摘されていたためである。

このように旧制度では老人やその介護者に負担をかけてしまうものだったのである。時代の流れに沿った改革はこれからもなされていくだろう。

 

3)取消権について

 

取消権とは、意思表示(法律行為)の取消しをし得る権利。私法上は法律の定める一定の場合に一定の者だけが取り消すことができる。追認をなすことができる時から5年,行為の時から20年経過すれば時効によって消滅する(民法126条)。また一定の者とは本人、代理人、承継人である。

自分を守ると同時に相手も守る取引の安全に関する法律は今後とも必要である。

 

4)事理弁識能力について

 

事理弁識能力とは、有効に意思表示をする能力のことをいい、具体的には自己の行為の結果を弁識するに足りる精神的な能力のことである。民法上よく使われる意思能力相当のものである。これが足りないこと即ち意思能力が欠如していることになるので、様々な法律行為に制限が掛かってしまう。その為に成年後見制度がある。

 

5)アルツハイマーについて

 

アルツハイマー病(AD)とは、認知機能低下、人格の変化を主な症状とする認知症の一種であり、認知症の60-70%を占める。 日本では、認知症のうちでも脳血管性認知症、レビー小体病と並んで最も多いタイプである。以前はアルツハイマー型認知症(AD)とも呼ばれていた。症状は進行する認知障害(記憶障害、見当識障害、学習障害、注意障害、視空間認知障害や問題解決能力の障害など)であり、生活に支障が出てくる。重症度が増し、高度になると摂食や着替え、意思疎通などもできなくなり最終的には寝たきりになる。 階段状に進行する(すなわち、ある時点を境にはっきりと症状が悪化する)脳血管性認知症と異なり、徐々に進行する点が特徴的。症状経過の途中で、被害妄想や幻覚(とくに幻視)が出現する場合もある。暴言・暴力・徘徊・不潔行為などの問題行動(いわゆるBPSD)が見られることもあり、介護上大きな困難を伴うため、医療機関受診の最大の契機となる。

現在のところ、進行を防いだり、回復する治療法は存在していない。運動プログラムは日常生活動作を維持し、アウトカムを改善するという利益がある。罹患した人は、徐々に介護支援が必要となり、それは介護者にとって社会的、精神的、肉体的、経済的なプレッシャーとなっている。

アルツハイマーになった人は徐々に人じゃなくなっていき、最終的には理解力の欠如した動物である。またなまじ人の形をしているだけあって、自分にとって理解不能なことをされた時のストレスは半端ない。家族もそのようなことが続くと初めは根気よく接するが、そのうち面倒を見るのがつらくなり介護施設に入れるのである。しかし介護施設にかかる費用も高く平均で月額15万もかかる。公的に建設された施設の場合は比較的に掛かる費用は少ないがその為に入居まで数年待ちと言う大人気振りである。国が現在原則禁止である痴呆老人の拘束を解禁すれば働く側も格段に楽になるので導入してほしいものである。

 

6)終末期医療について

 

終末期医療とは、重い病気の末期で不治と判断されたとき、治療よりも患者の心身の苦痛を和らげ、穏やかに日々を過ごせるように配慮する療養法である。末期医療、ターミナルケアとも言われる。

医療機関で死を迎える人が近年では8割を超えている現状どうしても延命しなければならない患者が増えてきている。しかし延命治療というのは苦しいものであり我慢して乗り切った先には死しかない。その為最後をどうやって飾るかが終末期医療のテーマである。最後くらい苦しまずに行ける権利を持っているのだからこそ、その権利を無駄にしないで欲しい。

 

7)介護保険について

 

介護保険とは、介護を事由として支給される保険である。制度の運営主体(保険者)は、各市町村・特別区である。利用者は2つに分類され、第一号被保険者(65歳以上)と第二号被保険者(40歳以上65歳未満)である。第一号被保険者は原因を問わず所定の介護や支援が必要と認定された人がサービスを利用できるが、第二号被保険者は特定疾病が原因で所定の介護や支援が必要と認定された人しかサービスの利用ができない。

実際のサービスを受けるにあたっては、区分分けがなされる。どのくらい介護が必要かによって、要介護状態区分は要支援2段階、要介護5段階に分けられる。この7段階の区分により利用できるサービスの種類と量が異なる。

しかし、この区分分けが問題になっている部分も多く、なかなか高い要介護度を貰えない為、介護者の負担がさらに大きくなっているのである。さらに細かい区分分けにした方がより適切に介護サービスが受けられるようになるのである。

 

8)特別養護老人ホームについて

 

特別養護老人ホーム通称特養とは、要介護1から5の認定を受けた65歳以上の方を対象としており、身体上または精神上著しい障害により、常に介護が必要な状態で、居宅において適切な介護を受けることが困難な方が入所する施設である。事業主体は、地方公共団体や社会福祉法人で、入所は「入所検討委員会」が決定する。「入居検討委員会」は、市区町村によって異なり、「市役所」や老人ホームなどの「施設」、「地域包括委員会」などに設置されている。特別養護老人ホームの特徴としては、入所する要介護者に対して、施設介護サービス計画に基づいて入浴・排泄・食事等の介護、日常生活上の世話、機能訓練、健康管理、及び療養上の世話を行ないます。原則65歳以上の高齢者を対象にした養護老人ホームのうち、要介護者に対して介護保険サービスを行なう施設が特別養護老人ホームである。しかしこの特養は厳しい入所条件があり、尚且つ人気の為入居までに数か月から数年かかってしまう場合もある。もう少し特養を増やすべきであるが介護士の負担も増えてしまうので難しい問題である。ひとつの可能性としては老人を新薬開発の実験体にできるようになれば入居問題や費用問題は解決されるともいえる。

 

9)任意後見について

 

任意後見とは、家庭裁判所の審判によらず,本人と将来において任意後見人となる者があらかじめ締結した契約によって行われる後見である。将来のために事前に後見人を準備しておいて認知症になったかなと思ったら家庭裁判所に申し立てることで任意後見人となる。

ようは予約みたいなもので将来に対しての一種の保険である。しかし後見人に取消権がないため悪徳商法の被害に弱い。

 

10)地域福祉権利擁護事業

 

市町村の社会福祉協議会が、認知症や知的障害などで判断能力が低下した人と契約し、協議会の「生活支援員」が、日常の金銭管理や福祉サービスを受けるための手助けをする事業である。

福祉の窓口を広げるために存在し後見制度のような軽いお手伝いをする為にある。このような小さな力で支えていくことも大切である。

 

まとめ

 

国は様々な老人福祉に力を入れている、しかし問題点も多く財源も確保できない。少子高齢化社会の日本は未来なき老人に力を入れなければならず、中高年も必死に生きてきた最後がこんな報われないものだと思うと自殺率が上がるのも納得する。これからより老人社会になっていくであろうが、人としての思いやりをなくなさないでゆこうと思う。

 

参考文献

 

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