吉野孝則
中江ゼミ 法律学演習 2017年 前期レポート
「犯罪予防と人権」 吉野孝則
結論 私は共謀罪に反対です!!
はじめに
2017年 7月11日 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律に6条の2という形で共謀罪と呼ばれる法律が施行された。呼び方は「テロ等準備罪」・「共謀罪」とマスコミ等では呼ばれるが、ここでは「共謀罪」と呼ぶ。
国会ではこの共謀罪を巡りすったもんだの議論?というか茶番の末に中間報告という形で強行採決された。
政府の説明としてTOC条約を批准するために、そして東京オリンピックでのテロ予防の為に共謀罪が必要というものだった。
TOC条約とは「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」のことで、マフィアなどによって行われる国際的なマネーロンダリングなどを防止することを目的とされたものであり、これを批准するためには国内に組織犯罪に対する法律が完備されていることが必要とされている。しかし、日本にはすでにテロや暴力犯罪を集団で裁く法律や、内乱罪のように予備・陰謀の段階で処罰する条文を完備しており、批准の為に共謀罪の成立が必要とはとても思えない。
そして東京オリンピックのテロ対策と謳われているが、条文の中に「テロ」という言葉がなく、「本当の目的が他にあるのではないか?」と考えずにはられないところである。
さらに共謀罪の反対派の中には治安維持法の再来だと声高に叫ぶ連中もいる。
多くの人がこの「共謀罪は実行の着手前に処罰されるので危険」と言っているが、分かっているのかいないのか?分からないところなので、自分なりにこの共謀罪を分析したい。
因みに自分ならば「何の共犯で捕まるのか分からないが、共犯として正犯が実行に着手する前の予備への実行の着手で逮捕されるところが現行刑法と大きく異なり人権の面で危険がある」と言います。
憲法から考える背景
詳しくは自分の「司法権と人権」を観てくれればよいのですが、そこに警察と検察を書き加えたものです。国民が選んだ国会と内閣は議院内閣制でセットだから司法権には限界がある。法曹には司法試験でなるわけだが、上位は判事・検事になり、それ以外が弁護士になる。裁判官と検察官は仲が良く交流会などが行われてリ、ここから考えると成績上位の判事と検事が国をバックに人を裁くなか、成績下位の弁護士がそれを弁護するのはどう考えても不利としか言えない。さらに証拠は警察によって集められるがそれを開示するかは彼等次第である。それを踏まえても勝訴率99%というのは異常である。中には「勝てる裁判しかしない」という人もいるが、小澤を追い詰められなかったことを考えれば、勝てる裁判とは金や権力のない国民ではないだろうか。
さらに捜査の担い手である警察にはより法律を理解していて欲しいところだが、公安系の試験には法律科目がない。いくら警察学校で勉強するとはいえその程度は知れている。
さらにさらに、その警察の所長などに警察庁などの官僚が送り込まれている事実を考えるととても耐えられない・・・。
そして単独与党ではないことを考えると投票率30%に対して何%が支持しているのだろうか。内閣に立法権が認められているがそれを作るのは官僚であり、こんな状況下で強行採決された法律を信じるわけにはいかない!!
人権について
絶対王政下の18世紀末の市民革命を契機として登場した近代立憲主義を受けて、日本国憲法にも31条の適正手続きをはじめ40条まで刑事手続きに関しての規定がある。
それを受けて刑法の目的が定まると言っても過言ではない。
刑法の目的
こういう形で人権を保障しつつ犯罪の解明に努めなければならないというのが刑事法の大きなテーマである。
中には「共謀罪は予防刑法のジャンルだから刑法の枠で考えるのは無理がある」という意見もあるが、運用は刑法の枠で行われる以上刑法を基本に考えなくてはならない。
では、共謀罪が刑法の何に問題があるのか考えてみよう。
共謀罪
組織的な犯罪の処罰及び犯罪の収益の規制等に関する法律の6条の次にこの条文が新たに付け加えられた。
第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの 五年以下の懲役または禁錮
二 別表第四に掲げる罪のうち、長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められているもの 二年以下の懲役又は禁錮
2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的犯罪集団に不正権益を得させ、又は組織的犯罪集団の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を二人以上で計画した者も、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、同項と同様とする。
さらに別表3,4で懲役10年を基準に277の法律が適用されることになる。(中にはどんな関係があるのか全く疑問の法律も多くあり杜撰さが目立つ)
これを読むに、組織的犯罪集団の活動として二人以上で計画した者のうち一人でも準備行為(予備行為)をすると逮捕されるということになるが、疑問として、組織的犯罪集団とは誰か?何が準備行為になるのか?
共謀罪では共犯として捕まるのだろうが、幇助、教唆、共同正犯、共謀共同正犯、どれなのだろうか??
これを考えるために犯罪論の基本をさらっと流して、共犯論を整理しようと思う。
犯罪論の基礎
行為無価値からですが、刑法の基礎理論はこうなっています。
危険犯について(一応書いておきました)
現行刑法は基本的には侵害犯と危険犯を処罰していて、殺人罪のような法益への直接の侵害を結果として要求するものを侵害犯といいます。危険犯は法益に対して直接の侵害がなくとも侵害の危険だけで処罰されるというもので、具体的危険犯と抽象的危険犯に分かれます。具体的危険犯とは非現住建造物等放火罪のように具体的な危険の発生を要求しているものであり、人が住んでいない家や自分の家を燃やししたような場合は周りに火が燃え移る危険が発生しない限り処罰されないというものです。抽象的危険犯とは現住建造物等放火罪のように法益の侵害の抽象的な危険だけで処罰できるものを言います。人が住んでいる家屋は仮に人が居なくとも中に人がいる可能性があるので、火をつけるのみで抽象的な危険が発生するということです。
上の図を観て分かるように犯罪が成立するためにはかなり緻密になっているわけですが、ドイツ由来の日本の刑法が人権保障を重く考えていることが伺える。ここに共謀罪の核となる共犯論が大切になってくるので共犯論を整理しようと思う。
共犯論総論
共犯論を複雑にしているのは切り口が多い上にその切り口がどの範囲の説明をしているのかが分からないところにある。パーフェクトとはいかないまでも可能な限り分析にチャレンジしようと思います!!
共犯のテーゼとして「一部実行全部責任」があり、刑法のテーゼとして「客観は違法に主観は責任に」が「違法は連帯に責任は個別に」へと変化したものがある。さらに行為共同説と犯罪共同説、三つの従属性、共犯の処罰根拠、ここに錯誤が絡んでより意味不明となる。そこに間接正犯と共謀共同正犯が実務として採用されるからより分からない。これらを整理することが大切である。
行為共同説・犯罪共同説
共犯とは何を共同するものであるかについての問題であり、最初は共同正犯についての議論だったものを平野さんが罪名従属性として従属性の議論へと吸収した。その結果、犯罪共同説=罪名従属性、行為共同説=罪名独立説へと変わる。この論争の対立は「異なる構成要件間における共同正犯の成否」で問題が顕在化するが、「共犯と錯誤(2)」最高裁昭和54年4月13日第一小法廷により科刑分離説が否定され、やわらかい行為共同説VSやわらかい部分的犯罪共同説となる。後に「シャクティ治療殺人事件」(最決平成17年・7.4刑集59巻6号403頁)でやわらかい部分的犯罪共同説が採用されることになる。
共犯従属性
罪名従属性 前述通り。
実行従属性
共犯が成立しるためには正犯の犯罪実行を必要とするかどうかの争いであり共犯独立性説と共犯従属性説がある。この論争は「共犯の未遂が可罰的か否か」という問題であり共犯従属性説で決着を見ている。すると共犯の成立には正犯の実行を要することになるが、「実行」の意義について基本的構成要件に該当する行為だけを意味するのか、予備行為でも足りるのかという問題に発展し、これは「予備の共犯は可罰的か否か」という問題になる。60条・61条・43条の「実行」を同じ内容と解すれば予備の共犯は成立しないことになるが、判例は後述する最決昭和37・11.8刑集16巻11号1522頁で予備の共同正犯を認めてしまう。
要素従属性
共犯が成立するためには正犯に構成要件・違法・有責のどこまで必要かという争い。色々な論争の結果、現在では意味を見出しがたい。
|
誇張 |
極端 |
制限 |
最小 |
構成要件 |
〇 |
〇 |
〇 |
〇 |
違法 |
〇 |
〇 |
〇 |
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有責 |
〇 |
〇 |
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処罰条件 |
〇 |
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共犯を分かりづらくしてしまった原因として、犯罪成立には三分説というガイドラインがあるのに共犯成立には60条〜65条しかない事と、ドイツでは正犯とされていた共同正犯を共犯に入れてしまった結果より分かりづらくなってしまい、これを平野さんが従属性としてすっきりさせようとしたのが裏目に出たように思われます。
論理的に考えれば、共同正犯は「一部実行全部責任」なわけだから実行従属性や要素従属性はもともとは狭義の共犯の議論だったこともあり相性が悪いように思われる。共同正犯にも要素従属性を持ち込んだ結果、共同正犯の過剰防衛において、制限従属説を維持しつつ過剰防衛を説明しようとすると主観的違法要素は違法要素だけど個別に判断するから違法の相対性が認められるといったトリッキーな話になるように思われます。しかし、判例は行為共同説のみで判断しているようにも思えますし、ひょっとしたら最小従属性を採用しているのかもしれません。色々な説明が可能でしょう。結局、従属性だけでは共犯の成立を説明しきれないので処罰根拠まで遡って考えることになってしまいます。それが共犯の処罰根拠です。
共犯の処罰根拠
共犯の処罰根拠は共同正犯と狭義の共犯にわけて考える必要があります。
共同正犯の処罰根拠
なぜ「一部実行全部責任」となるのかについて、共同意思主体説、因果共犯論、機能的行為支配論の対立があります。最近では因果共犯論をベースとして少し前進した機能的行為支配論が主流なのでしょう。
狭義の共犯の処罰根拠
行為無価値から責任共犯論・不法共犯論、結果無価値から惹起説が対立しているが現在では惹起説が主流であり、違法の相対性を認めるか否かで修正惹起説、混合惹起説、純粋惹起説に分かれます。
これらの理論を組み合わせて共犯を説明する試みがされているわけです・・・。
(いつもは事細かに共同正犯、教唆、幇助と説明するのですが、今回は範囲が膨大なため割愛させて頂いて、いきなり本題に入らせていただきます。)
共同正犯について
共同正犯は「一部実行全部責任」が原則で@共謀A共謀による実行が要件とされている。共同正犯の問題として共謀して実行することが必要とされており、共謀しただけで実行しなかった人を共犯と出来ないという問題があった。すると暴力団の組長や過激な宗教団体の教祖などは手下に実行させることにより共犯とならなくなってしまう。そこで、直接に実行行為を行わなくとも、実行したと同視できる場合には共謀共同正犯で処罰できるとする判例理論が作られた。多くの学者が反対したが「練馬事件大法廷判決」(最大判昭和33・5・28)により認められた。しかし共謀・謀議を認めるためには「厳格な証明」が必要とされた。その後「スワット事件」(最決平成15・5・1)で黙示の共謀も認められることになった。
自分としては、単独犯の場合はあれだけ因果関係にうるさいのに共同正犯についてはこんなに緩いのか!?と感じてしまいますね。因果共犯論や惹起説をとっていても、正犯の因果関係が明らかになれば共犯に関しては緩和されちゃうのが不思議ですね〜。
さらに刑法では以下の恐ろしいやつらがいるんです。
過失の共同正犯 刑60 |
行為共同説に基づく一部実行全部責任 |
同時犯 刑207 |
挙証責任の転換 |
輪姦 刑178の2 |
重罰化 |
輪姦は特に不満はないのですが、同時犯については文句あり。本来同時犯は因果関係がはっきりしないから責任を帰属することが出来なくなるはず。そこを社会的要請から因果関係の立証を転換するのはかなりな事だと感じます。
さらに過失の共同正犯に関してはより疑問だらけです。共同正犯に要素従属性を持ち込んだとしても制限従属性説・最小従属性説なら責任が一緒でなくとも良いので可能ですが、というか結果無価値なら可能かもしれませんが、行為間価値の場合は構成要件にも主観的違法要素があるわけだから、過失は個別に判断せざるを得なくなるのではないか!?すると過失は連帯しないのではないか??という疑問が湧きます。いやむしろ「違法は連帯に、責任は個別に」というテーゼはどこに行ってしまったのでしょうか??
過失を旧過失論、新過失論両方で考えても予見可能性は個別に判断されるので連帯は不可能なはず。そもそもドイツではこの理屈から過失の共同正犯は成立しないとされています。それを日本では共同義務の共同違反という理屈で認めてしまう。「世田谷トーチランプ事件」や「ウィスキーメタノール事件」?が有名。しかし共同義務の認定に難しさがある模様。
個人的な興味だが、薬害エイズ事件で過失の共同正犯は認められるのだろうか??厚労省、安部医師、ミドリ十字の過失には共同の義務があったのだろうか??我々国民から見れば、雲の上の存在には共同で国民の安全を守る義務があるだろう!と思うのですが、法律論で分析した場合、厚労省は薬の認可についての過失、安部医師は患者に薬を投与するかしないかにおける過失、ミドリ十字は危険性を知っていて薬を売っちゃった過失、他にも色々あると思いますが、これを共同義務とするのには無理がある気がします。正義の面からは共同義務を認めるべきと思いますが・・・。
さらに別の論点ですが「なぜ結果無価値は旧過失論なのか?」という問題に答えを出せていません。思うに結果無価値では体系的に旧過失論しか採用できないけれど、それは同時に結果回避義務を考える必要がないため、安部医師で否定された結果回避義務を考える必要が無くなるという利点があると思います。すると、結果無価値からなら、安部医師の過失を認定することが出来たのではないでしょうか。(フィリピンで話しましょう)
共犯と身分
本来はかなり後半で習う「共犯と身分」だが中江先生の方針で前半に持ってくる。
間接正犯
構成要件該当行為を自らしたものを正犯と考える制限的正犯概念と極端従属性説を合わせると、未成年に犯罪を行わせた場合に共犯として責任を問えないという問題が発生する。その間隙を埋めるべく使われたのが間接正犯である。すると常に未成年を使った場合は間接正犯となると思われていたのだが、最決昭和58・9・21は未成年を利用した場合でも常に間接正犯になるというわけでないことを示唆しつつも間接正犯を認め、最決平13・10・25第一小法廷で12歳の少年を利用した強盗事件に対して教唆か間接正犯か、制限か極端かという問題を尻目に共同正犯が成立するとした。理由としては刑事未成年でも自らの犯罪として行動したことにある。共同正犯に関して要素従属性の話が使われているのかどうかわからないし、仮に要素従属性の話が共同正犯の範囲までかかっているとしても判例が極端従属性説を取らないということが分かっただけで制限か最小かということは不明となっている。そのためか通説は制限従属性説を取ると言われている。
これが共犯の理解へのスタートであり、ここから講義で扱った三つの例題で共犯を考える。
中江先生例題
(1)@Bは別荘に人がいないとして、Aに放火をすすめる。しかし実際は人が居ることを知っていた。A実は人のいる別荘。この場合にA,Bには何罪が成立するか。(判例見つけられませんでした)
罪名従属性を貫くならA,Bともに現住建造物等放火罪が成立して、Aは38条2項の処理により処断の段階で非現住建造物等放火罪になるはず・・・が、Aには非現住建造物等放火罪の正犯、Bには現住建造物等放火の教唆犯とした・・・。たぶん個別に判断したと考えられるが罪名独立性説を取っていることに間違いはない。
(2)@EはDをそそのかしてカバンを質入れさせた。(EはCのカバンだと知っている)ADは忘れたカバンだと思っている。この場合にE,Dには何罪が成立するか。
ここも罪名従属性を貫くならE,Dともに窃盗罪が成立して、Dは処断の段階で占有離脱物横領罪で裁かれるはずが・・・判例はDには占有離脱物横領の正犯、Eには窃盗の教唆犯が成立するとした。
(3)@GはHを使ってFを殺害計画(GとHは不倫の仲) AIはHに頼まれて毒を用意 B結局、毒は使わずに絞殺 Iには何罪が成立するか。
一審は他人予備の成立を否定しつつ殺人予備罪の幇助犯を認めたのに対して、二審では殺人予備の共同正犯を認めた。理由として@予備の実行行為があるA予備の共同正犯はありえるB予備の従犯は不可罰C予備の従犯と共同正犯は意思と外観から判断というものだった。
共同正犯まで実行従属性の議論が及んでいるならば実行従属性の話は無視される結果になっているし、幇助にしないことによって間接正犯の平成13年判決のように逃げたようにもみえる。
本文中で予備の幇助犯を認めないとしており、非独立予備罪の幇助を認めないのは条文に忠実で賛成できるが、@多くの危険を孕む内乱罪のような独立予備罪ですら幇助までしか認めていないのに殺人の非独立予備罪の共同正犯、Aさらには実際使われなかった毒の準備、つまり因果関係のない予備行為にまで共同正犯とするのはかなり無理があるように感じる。本文中でも述べられているように確かに予備の実行行為は観念できるとしても、共同正犯の処罰根拠である因果関係はどうなってしまうのだろうか?
そもそも未遂犯に関して具体的危険が発生しない限り未遂としないと考えると、その前の予備段階ではどの程度の危険が要求されるのだろうか??
Bそして教唆・幇助の未遂が不可罰なことを考えると、予備の教唆・幇助を認めることにより裏道から予備の教唆・幇助の未遂を認めることになる。C他人予備罪を否定
これら@〜Cを合わせて考えると、予備の実行行為を観念出来るとしたうえで、予備の教唆・幇助は条文上認められない上に(自分は認められないと考えるが、学説の多くは肯定説)、他人予備は不成立として、共同正犯の処罰根拠を多少緩和してでも予備の共同正犯を認めたと考えられる。
ごちゃごちゃ書いて分かりづらくなったので、書き直し。
予備は自らの犯罪の既遂を目指す目的犯とされていることから考えると、他人予備は罰することは出来ない。罰することが出来ない以上共犯とするしかない。でも予備の教唆・幇助を罰すると条文上罰していない教唆・幇助の未遂を罰することになる+処罰範囲が拡大していってしまう。このことから、ならば共同正犯としたと考えられる。
一回書き終えてから考え直すと、この判決は論理的には間違っていないような気がする。ただ論理として考えて、予備の教唆・幇助がダメだから共同正犯というのが乱暴だったように感じる。
しかし、ここも考えてみると毒は使われなかったわけだから、共同正犯としても処断の段階で刑を軽くすれば良いと考えたのではないだろうか。素人が見たときに「なぜ幇助じゃないのか?」という点を除けば、昭和37年でこの判決なら悪くない。
問題なのはその後に共謀共同正犯が認められたことだろう。
予備の幇助の可能性を考える
仮に予備の幇助を認めたとして、問題となるのは幇助の未遂と予備の幇助を何で分けるかである。すると、きっと故意で分けるのが基本となるだろうがそれだけでは足りないから行為から考える必要もあるだろう。行為から考えると予備行為自体はパソコンを購入することから爆弾の部品を購入するところまで多くあり、抽象的危険すら考えられないものも多くある。だからこそ目的犯とされる。このことを踏まえて考えれば、毒を購入して手渡す行為は抽象的でも危険があるから罰せられるべきだと思う。
そこで予備の幇助は基本不可罰としつつも、客観的に危険な行為、例えば毒を購入したり、爆弾のパーツや包丁を買うなど危険が抽象的にでも起こるような行為だけ行為無価値的に罰するのはどうだろうか。そうすれば、Iの場合は物理的因果関係には欠けるとはいえ、抽象的な危険(具体的寄りなもの)が考えられるし、精神的因果関係も満たすから予備の幇助犯として考えられる。あくまで、客観的に危険な行為を基準に例外的に予備の幇助を認めれば処罰範囲の拡大も防止できると考えられる。
共犯と違法性阻却自由
判例は共同正犯には「フィリピンパブ事件」(最高裁平成4・6・5)で違法判断を個別にするとした。狭義の共犯についても違法を個別に判断するならば、制限従属性を捨てるか、防衛の意思は主観的違法要素だから違法を個別に判断するとしないといけなくなる。説明の仕方は色々あるが、判例は個別で判断している可能性が高い。
かる〜くまとめ
これらを見てくると裁判所は従属性を無視して行為共同説をベースに個別に判断しているように思われる。判決についてはどれも妥当と思われるが、どんなシステムで共犯となるのかは依然として裁判所任せとなっており、自由保障機能、しいては罪刑法定主義の面から疑問が投げかけられる。
そんな状況の中で強行採決された共謀罪について考えてみたい。
共謀罪の論点
ここまで長々と共犯の説明をしてきたわけだが、つまるところ「共謀罪の処罰根拠」が見えないところに一番の問題がある。@計画したこととA計画した者が予備の実行に着手したことで罪となることを考えると限りなく共同正犯に近い。さらに共同正犯の要件として実行行為をすることが求められることを考えると、共謀のみで罪となる共謀共同正犯により近いと思わる。しかし、共謀共同正犯とするなら、誰かしらの実行の着手が必要であり予備段階では無理な上に、共謀については黙示で許されるとはいえ「厳格な証明」が必要とされる。さらには「実行したと同視できる共謀」が必要である。
共謀罪の条文から考えるに、「予備の共謀共同正犯」を予備の実行の着手の段階で罪となると読み替えることが出来る。さらに条文から「実行したと同視できる共謀」を読み込むことは出来ない。これは前述した共犯理論を大きく修正することになる。さらに何が組織的犯罪集団となるかは国会答弁でもあったように、普通の集団が犯罪集団に変わることもあり、それを判断するのは現場の人間ということになる。
通説通りならば下図のようになるが、判例の動向をみると処罰範囲は拡大する傾向にあると思われる。
判例は承継的共犯を認めることを考えると、誰かが予備行為に着手した段階で処罰されるなら、着手後にそのグループに入る、または計画に参加した人はどうなるのだろうか?
予備行為があることを未必的にでも知っていれば承継的共犯になってしまうのだろうか??
さらに判例は過失の共同正犯を認めていて、共謀罪には過失犯の規定はないが、別表で業務上過失致傷を含んでいることを考えると、過失の共謀は無理としても、「共同義務の共同違反」による過失の共同正犯がいつか認められる日が来てしまうのだろうか?
さらにさらに判例は片面的共同正犯は認めないが片面的幇助犯は認めているので、グループに入らなくとも、予備行為を物理的または精神的に手助けした者は共謀罪の片面的幇助犯とされてしまうのだろうか?!
不作為の共同正犯はどうなんだろうか?!予備行為をすることを知っていて止めなければ不作為の共同正犯になってしまうのだろうか!?
さらに共謀罪からの離脱や中止はどうなるのだろうか?
二年生のワキ案を自分なりにアレンジしたものだが、緑の線より上つまり一緒に計画した人間を本来は罪とするべきと考える。しかしストレートに解釈すれば、ピンクの線より上の人は未必的な故意が認められる以上皆逮捕されることになるだろう。共犯からの離脱や中止はなかなか認められない傾向にある中で、共謀罪からの離脱・中止をどう観念するかが課題だろう。
共謀罪の目的
前述した多くの問題や課題がある中で@組織犯罪A回復不能の損害B個人の破壊力を守るというのが共謀罪の目的とされている。これらはかなり重要な法益であることは確かだが、ならば、何故に一つ一つ特別法を作らなかったのか?なぜ別表という形で網羅的に規定したのか疑問で仕方ない。その先には通信傍受法ありきで、知らぬ間に別表に別の法律を書き込むことを見据えた攪乱ではないかと思えて仕方ない。
友人の話
話は変わるが、以前私の友人が冤罪で罪に問われた。彼の話によると、ドン・キホーテでバリカンの値段を記憶するために携帯電話で値札を撮影していたところ、遠くの方から若い男が「何俺の女を盗撮してんだよ〜!!」と言って殴りかかって来たので、殴り返してしまったらしい。そのまま店員に抑え込まれて警察へ。友人は当初「仮に暴行・傷害でも喧嘩両成敗だから大丈夫だろう」と思っていたら、なんと迷惑防止条例、つまり盗撮の方で取り調べをされたらしい。「安アパートで独り暮らしだから住所不定だ」と言われ、電話を掛けることも許されない中で、「たたけば埃が出るんだろう」「ガサもいれられんだぞ」「認めちゃえよ」と言われてびっちり48時間取調を受けたらしい。
彼は盗撮したわけではない。さらに取調の中で唯一の証拠であるはずの写真への言及はなく、ただ只管に自白の強要をせまられたらしい。結局、「裁判になっても勝てないから認めた方が早く出られる」という説明に心を砕かれて、やってもいないのにやった旨の調書を書いて、略式手続きで出てきた。明らかに違法捜査である。確かに99%の勝訴率と訴訟に掛ける時間を考えれば、裁判をするのは大変だ。とはいえ、やってもいないことを認めて、略式で精査されないままに有罪になるのは明らかに理不尽だ。とはいえ、法律を知らないものが48時間取調をうけて、その後に検事に72時間取り調べられるのは苦しい。その上証拠は警察の思いのままである。だからこそ可視化が叫ばれているのである。接見交通権を認められたのも最近だし、被疑者の段階での人権保護はいまだに不十分だ。
何を言いたいかというと、取調は恣意的に行わることがあり、それ自体が人権侵害の危険を常に孕むということである。認識ある過失と未必の故意、主観的違法要素など内心を取調べて決めるのは常に警察である。さらには過失や不作為の義務、承継的共犯における自分の犯罪としての利用、中止や離脱、抽象的危険など殆どの細かい事情を認定するのは警察、検察、裁判所である。
そのうえ前述したように、何を共犯とするかについては依然としてはっきりしない。さらに計画の疑いで簡単に令状を取れるとすれば、通信傍受法など強制捜査はどこまでも広がっていくだろう。
現状でさえ、違法収集証拠に関して証拠能力はないけど証明力はあると言ってしまえば、結局証拠として採用したのと変わらない。確かに犯罪を明らかにすることは大切だが、この先には監視社会と人権侵害が許される社会しかないだろう。
余談だが、友人の罪について私見を述べさせてもらう。刑法は本来故意犯しか裁かず、特別の規定がある場合に過失犯を処罰するとしている。そこから考えると迷惑防止条例には過失犯規定がないため故意犯のみとなる。すると友人の撮影した写真に仮に女性が写っていたとしても過失犯とすることは出来ずに罪にはならないはず。そこを自白の強要という形で無理やりに故意犯にしてしまった違法捜査こそが問題である。
治安維持法と共謀罪
共謀罪は19世紀初めにイギリスでConspiracy Lawとしては生まれ、労働組合弾圧の為に使われた。アメリカでも同じようにヒッピー、ブラックパンサー、ベトナム反戦組織、ラディカル学生組織などの弾圧に使われた。本来、刑法で処罰するには行為と結果が必要とされているが、この両方とも必要なく共謀のみで処罰出来るところに特徴がある。
以前、日本にも同じように人権を弾圧するために作られた法律があった。それが治安維持法である。治安維持法は1925年に制定され、国体の変革と私有財産制を否定することを目的とする結社を取り締まった。その内容は特別高等警察と思想検事による思想弾圧であり、目的の共産主義に留まらず、宗教団体、右翼活動、自由主義、政府批判などに広がっていった。
思うに、この治安維持法の是非を考えると非常に難しさを感じる。その時代の共産主義がどれほど悪だったのか私には想像もつかないからだ。例えば、外国人でイスラム国を支持していると言われれば文化の違いもあるから仕方ないと思えるが、日本人がイスラム国やアルカイダを支持すると言ったら、その人と食卓を囲むことは出来ないだろう。後にテロへと繋がるかもしれないことを考えれば排斥したくなる人の気持ちもわかる。しかし、何もしていない状況で彼等を弾圧することは巡り巡ってイスラム国やアルカイダと変わらないことに気が付く。するとやはり人権の面からも思想に焦点を絞って弾圧する治安維持法を認めることは出来ない。
このConspiracy Lawに倣って施工された共謀罪だが@予備行為を必要とすることA罪を目的とすることに違いがある。
@について確かに何が予備行為になるかは分からないとはいえ、行為を要求しているのはConspiracy Lawよりはマシである。しかし、計画した後の誰かの予備行為で犯罪となるのは遡及処罰の禁止に反しないのだろうか??行為時に犯罪とされていなかったものについて、後に制定された法律で処罰することを禁止するのが遡及処罰の禁止だが、確かに全く同じではない。しかし、話している段階では誰かが予備行為に出ることが不確定な状況から、誰かの予備行為により遡って計画したことを罰するのはかなり似ている気がする。現状では遡及処罰の禁止に当たらないとしても、ここも何かしらの人権に反するだろう。予備行為を知らなければ故意がないから計画したことにならないとしても、捜査段階で歪められる可能性は高いだろう。英米法では責任をMens Reaといい、認識ある過失と未必の故意をRecklessnessとして分けていない。日本法はドイツ法に倣って非常に緻密なところに良さがあるが、この共謀罪の輸入によりこの緻密さが失われることにも懸念がある。
Aについて確かに罪を目的としていて思想を目的としない点では違いがある。しかし、@についても述べたように何を計画とされるか分からない以上、迂闊なことは話せないし、二人以上から集団とされる以上誰とも一緒にいることが出来なくなってしまう。すると外観上は罪を目的としているが、内容は思想弾圧と同じであり、表現の自由、結社の自由、思想良心の自由、信教の自由を侵害するのは間違いないだろう。何を組織とするか、何を計画とするかも明確性の原則に反することも間違いない。
40年周期説から考えて、治安維持法がそうだったように、この共謀罪が破綻へのトリガーになることは十分に考えらえる。
結論
以上のことから、尊い目的の保護の為とはいえ共謀罪には重大な人権侵害があり違憲の可能性が極めて高い。よって私は共謀罪に反対である。
参考文献
自分の頭
中江先生の頭
増田先生の頭
刑法総論・各論 高橋則夫
刑法総論・各論 前田雅英
基本刑法T・U 大塚裕史
刑法総論 井田 良
最新重要判例250 前田雅英
刑法判例百選 西田典之・山口厚・佐伯仁志
協力 二年・三年の愉快な仲間たち+脇 樹
嶋野加奈子
「犯罪予防と人権」
私は、共謀罪に反対である。
1.
はじめに
2017年7月11日、いわゆる「共謀罪」が施行された(法律名は組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律第6条の2というものである)。「テロ等準備罪」という名称も用いられるが、以下このレポートにおいては「共謀罪」と呼ぶことにする。共謀罪……、意味だけを拾うならば「共謀したら犯罪になる」と解することができるが、一体、どういったものなのだろうか。そして、共謀罪が施行された現在、私たちの生活は変化が出てくるのだろうか。しっかりと考えていきたいと思う。
2.
戦前の日本が戻ってきた?
共謀罪は学者によっては「治安維持法の再来である」といわれることがある。治安維持法とは1925年に制定された法律である(1928年、1941年にも改正をしている)。第1条(1925年)に「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」とある。「国体」は「天皇制国家体制」のこと、「私有財産制」は「資本主義」のこと、ここでいう「結社」は「日本共産党」を想定したものであること。つまり、「国を天皇制から変えることもしくは、資本主義経済を否定することを目的として結社をつくる(共産党を支持する)ことをしたら捕まえますよ」ということである。これは特定の思想を持つものを、反乱がおこる前に取り締まるという目的で施行されたものであった。その背景には、治安維持法施行の年に、普通選挙(今までは男子でも一定の納税がないとダメだった)が導入されたことがあった。治安維持法を制定する代わりに、普通選挙で政治が少し自由になった……、このふたつは「アメとムチ」の関係ともいわれる。しかし、この治安維持法と今回の共謀罪は、似ているようであって、まるで似ていない。
治安維持法と今回の共謀罪が似ていると思う人はおそらく、「思想として思ったら捕まる」という点が同じ、もしくは似ていると思うのだろう。しかし、このふたつの法律は全く違う法律であるといえる。まず、治安維持法は「結社を組織し、または情報を知って加入した者は……」とあることから、結社を組織したり、加入したりすることが構成要件となっている。しかし、今回の共謀罪はどうだろうか。組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律第6条の2によれば「次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。」(※1日本経済新聞web版より条文引用)と定めている。治安維持法では、「結社を組織または加入」したことが犯罪であったが、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(共謀罪)では、「二人以上で計画」すること、「犯罪を実行するための準備行為を行う」ことが構成要件である。現行刑法では結果が起こってからの処罰となるが、共謀罪では実行着手前の予備の段階(殺人をするならば毒を購入するなど)で処罰がされる法律である。そして、治安維持法との大きな違いは、治安維持法では罪に当たる行為の記載がないが、共謀罪では別表に罪にあたる行為の記載がある。そう、一番の違いは……共謀罪で「罪に当たる行為」というものを定めている、ということである!!治安維持法では、「結社を組織すること、加入すること」が罪であった。「誰かを殺そう」という故意は必要なく、捕まってしまう。治安維持法で捕まり、獄死した、小林多喜二(『蟹工船』の作者)や哲学者の三木清などもそのうちの一人である。
だから、共謀罪は「治安維持法の再来」とはいえないのではないかと思う。
では、共謀罪は何なのか。犯罪とは何かを考えてみたいと思う。
3.
ドイツからの輸入
「犯罪」と聞くと、何が思い浮かぶだろうか。現行の刑法の考え方はドイツから輸入されたものであるといわれる(旧刑法はフランスから輸入)。そして、犯罪とは「構成要件」「違法性」「有責性」の3つが満たされたものをいう。
構成要件 |
違法 |
有責 |
図にすると↑こんな感じである。「構成要件に該当し、違法で有責な行為」ともいいますね。
構成要件とは何か。構成要件には「客観的構成要件要素」と「主観的構成要件要素」がある。客観的構成要件要素には実行行為、結果、因果関係が、主観的構成要件要素には一般要素(構成要件的故意・過失)と特別要素(主観的違法要素)がある。
犯罪の段階は、共謀⇒予備⇒未遂⇒既遂と4段階がある。未遂〜既遂を「実行の着手」という。そしてその行為の結果を「構成要件的結果」という(殺人罪ならば、人が死ぬ、という結果)。結果が発生して初めて既遂になる犯罪を結果犯という。これに対して偽証罪のように「虚偽の発言をするだけ」で成立する犯罪を挙動犯という。そして、結果犯は侵害犯と危険犯に分かれる。そして、危険犯は現住建造物放火罪(108条)など行為自体(火をつける)が法益侵害(家という財産の焼失)の危険が常にあることをいう抽象的危険犯と具体的危険の発生がなければ罰しない具体的危険犯に分けられる。
因果関係とは簡単には「行為と結果を結ぶ架け橋」のようなものである。イメージとしては以下のようなものである。
行為 結果
因果関係
因果関係には「あれなければこれなし」という条件関係が成り立つ。しかし、すべてこの「あれなければこれなし」を使っていると、とんでもないことが起こってしまう。例えば……、AはBを傷害の故意で殴り、傷害を負わせた。Bは治療を受けるため、救急車に乗ったが、途中で救急車が交通事故に遭い、Bは死亡した。この場合、因果関係はあるだろうか?
「あれなければこれなし」の条件関係を使うと「Aが殴らなければBは救急車に乗る必要がなく、死ぬこともなかった」と因果関係が肯定されてしまう。しかし、これでは帰責される範囲があいまいで、広くなってしまう。そのような事態を避けるために、(事実的)因果関係からしぼりをかけた、法的因果関係を使うとされている。そして、その際の基準として、「一般人が経験上相当であるといえる、相当因果関係説をとる。しかし、現在では相当因果関係説よりも、客観的帰属論のほうが有力であるともいわれる。
因果関係のお話には同時犯の話もある。
@ AとBは意思の連絡なしにCを殺そうとそれぞれ100%ずつグラスに毒を盛った。そのグラスのワインを飲んだCは死亡した。
A AとBは意思の連絡なしにCを殺そうとそれぞれ50%ずつグラスに毒を盛った。そのグラスのワインを飲んだCは死亡した。
※@もAも致死量は100%とする。
上記が同時犯の話である。@のことを「択一的競合」といい、Aのところを「重畳的因果関係」という。「択一的競合」「重畳的因果関係」どちらにおいても修正がかけられるが、いずれも因果関係があいまいで証明できないため、ABともに殺人未遂罪でとどまるといわれる(実際に意思の連絡なしにこんなことができるかはおいておいて…笑)。
しかし、因果関係が証明できない場合でも犯罪とする例外が存在する。それが207条の「同時傷害の特例」である。これも同時犯の規定である。集団で傷害を行った場合に因果関係が証明できなかった場合でも、その現場におり、共謀もなく、傷害を行った場合でも、共犯となるという特例である。なお、この場合の挙証責任は検察官ではなく、被告人自身が行わなければならない(集団強姦にも規定がある。刑が重くなると規定している)。
次に、主観的構成要件要素の一般要素とは何か。一般要素とは構成要件的故意と構成要件的過失である。元々、故意と過失は責任段階でみられるのが普通であった。しかし、刑法は原則として「故意犯」を罰するのに対し、例外として「過失犯」も罰している(過失致死傷や業務上過失など)。ならばここで「故意と過失をわけよう!」ってなったのが、構成要件的故意・過失である。日本法では次のように故意と過失は分けられる。
認識なき過失 |
認識ある過失 |
未必の故意 |
確定的故意 |
「認識ある過失」と「未必の故意」は似ているようなものであって、違うものである。未必の故意は「認識・認容」説をとっており、「結果が起こること(人を殺す⇒人が死ぬという結果)を認識している」ということを未必の故意では要件として要する。また、過失は現在、新過失論が多数派であり、これは予見可能性と結果回避可能性のふたつがないと過失と認定されないとしている。
特別要素には「主観的違法要素」が含まれる。主観的違法要素とは@目的犯A傾向犯B表現犯に必要なものといわれる。たとえば第176条の強制わいせつ罪では「わいせつな気持ち(いやらしい感情)がない場合は強要罪にとどまる」と判例で出されている。しかし、個人的には、みだらな気持ちなしで服は脱がせないだろうし、やはり、気持ちがないから「強要罪」というのは少し、刑が軽いのではないかと思う。
違法性の部分には「正当業務行為(35条)」「正当防衛(36条)」「緊急避難(37条)」がある場合には、違法性がなく、犯罪にはならないとしている(これらをまとめて違法性阻却事由という)。たとえば、医者が手術で患者を切るのは通常ならば傷害罪(204条)に該当するが、医師としての「正当業務行為」であるから、違法にはならない。また、違法性の段階では「結果無価値」と「行為無価値」というふたつの考え方が対立する。現在では、どちらかに偏る、というよりも、どちらもいいところを考慮しましょう、といった「違法二元論」というものである。
最後に有責性の段階では、「心神喪失(39条)」「刑事未成年(41条)」がある場合には責任がなく、犯罪にはならない(39条2項の心神耗弱は減刑)。先ほど説明した故意と過失も本来はここの段階での話である。結果無価値からすれば、故意と過失はここでみることになるが、行為無価値からは構成要件の段階と責任の段階で見ることになる(二重の故意なんてよんだりもする)。
以上が「犯罪」とは何か、というものである。この3つを満たすことで犯罪は成立する。
しかし、これは一人で犯罪を行った場合はわかりやすい。なぜなら、犯罪を行った人間(=正犯)だけをみれば良いから。では、もしも共犯者がいた場合はどうなるだろうか。片方が刑事未成年者だった、などはどうだろか。
4.
共犯理論
犯罪を行うものが必ずしも一人とは限らない。共犯というものもある。犯罪者の類型には以下のものがある。
直接正犯
正犯
間接正犯
共同正犯
広義の共犯 教唆犯
幇助犯 狭義の共犯
一言でいえば、主として犯罪を行う者を「正犯」といい、そそのかしたり、犯罪の手助けをしたりする者を「共犯」という。正犯には正犯が直接犯罪を行う直接正犯、正犯が意思能力がないもの(刑事未成年など)を道具のように利用して犯罪を行う間接正犯がある。
共犯には共同正犯(60条)、教唆犯(61条)、幇助犯(62条)がある。そして、条文にはないが、判例で認めた共同共謀正犯というものもある。共謀共同正犯とは共謀しただけでも、正犯と同じほどの力があれば、正犯として引っ張れる、というものである。ヤクザなどの親玉などを罰するためである(判例ならば練馬事件、スワット事件が有名)。
では、先ほどの構成要件、違法性、有責性は共犯の場合、どこまでが適用されるのだろうか。これが共犯従属性の問題である。従属性には、実行従属性(犯罪を一緒に行う必要がある)、罪名従属性(罪名が一緒でなければならない)、要素従属性(構成要件、違法性、有責性どこまでの範囲が及ぶか?)が3つがある。そして、要素従属性には、極端従属性、制限従属性、最小従属性がある。これらはこのような図にまとめることができる。
|
最小従属性 |
制限従属性 |
極端従属性 |
構成要件 |
○ |
○ |
○ |
違法 |
|
○ |
○ |
有責 |
|
|
○ |
極端従属性ほどすべてを共犯者に求め、最小従属性ほど構成要件しか求めない…なんだか、すごく極端ですよね(笑)通説では、制限従属性説なのですが、これが正義にもかなっている私は思う。たとえば、刑事未成年者を教唆した場合、正犯である刑事未成年者は無罪であっても、教唆はやはり、犯罪をおこさせた責任はとるべきであると考えるからである。
これらの従属性の話は、基本的には狭義の共犯にとどまると考えられる。共同正犯は、刑法上「共犯」の規定にあるが、条文(60条)からもわかるように、「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする」とあるため、↑従属性の話は当てはまらないのではないかと思う。また、共同正犯は「一部実行全部責任」の原則からもわかるように、教唆犯、幇助犯とはひとつ味の違った共犯なのではなかろうか(絶望するくらいに違う…、きっと…苦笑)。そして、「絶望の章」とよばれるくらいの共犯には、いくつかの諸問題がある。それらをみていきたいと思う。
5.
身分のある共犯はどうなるか?
Aは公務員であるBとともに役所の金を横領した。Bは公務員だから、業務上横領罪が成立すると考えられるが、公務員でないAは何罪が成立するだろうか。そこで登場するのが65条の真正身分犯(1項)と不真正身分犯(2項)である。1項では「身分を持つ人でないとできない罪を犯した場合は、その罪で裁く」ということが定められており、2項では「身分によって刑の軽重がある罪を犯した場合は通常の罪で裁く」と、まったく真逆のことが規定されている。では、ここでいう身分とは何か。判例によれば「男女の性別、内外国人の別、親族関係、公務員たる資格のような関係のみに限らず、総て一定の犯罪行為に関する犯人の人的関係である特殊の地位又は状態を指称する」(※2高橋則夫著『刑法総論 第3版(2016)』より)という。かなり身分の範囲は広いといえる。
先ほど書いた非公務員(B)が公務員(A)と共同して、業務上の財産を横領した場合、判例によれば、65条1項により、非公務員には業務上横領罪の共同正犯が成立し、公務員との均衡をはかり、65条2項を適用して単純横領罪の刑が科されるとしている。しかし、やはり、業務の地位を利用して横領することは悪だと思うし、それで単純横領で処断されてしまうのはなんだか、スッキリしないようにも感じる。
6.
過失の共犯はあるか?
今まではずっと、故意犯についての共犯を見てきた。では、過失の共犯というものはあり得るのだろうか。普通だったら「○○を失敗してこい」という教唆や共同は難しいように思う。そもそも、「失敗してこい」といったところでそれはもう「過失」ではなく、犯罪をおこすという「故意」であるように感じる。ところが、判例では「過失の共同正犯」を認めている。業務上失火の判例である。どんな話か簡単にいうと、AとBは電話ケーブルの点検等を行う下請け会社の社員だったが、互いに出火の危険がないことを確認せずに地下から地上へ上がってしまったら、延焼したというものである。これについて、裁判所は過失の共同正犯を認め、有罪とした(世田谷通信ケーブル火災事件)。
たしかに、二人以上で作業をやっていたとしていたならば、互いに確認しあう義務もあるように思う。しかし、それを「共同正犯」という形で罪にしてしまうのはやはり違和感である。うっかりやろうと思ってできるものは「過失」といわず、やはり「故意」なのではないだろうか。それぞれに業務上の、安全の注意義務はあるはずなのだから、共犯にせず、個人で過失については見るべきではないだろうか。
7.
予備の幇助はあるか?
次に予備についてである。共犯において予備はどう取り扱われるのか。他人のために予備行為を行った場合はどうなるのだろうか。判例では予備の幇助ではなく、予備の共同正犯で認めたものがある。AとBは夫婦だったが、Bには愛人Cがいた。BはCを使ってAを殺害しようと計画し、Cと共謀した。CはDに「毒を渡すように」依頼した。Dは何罪になるか(BとCは毒を使わずにAを殺害した)。
私ははじめ、この問題を読んだとき、Dは「殺人予備罪の幇助」にあたるのではないかと考えた。B、Cが殺害を行うにあたり毒で「手助けしている」ように見えたからだ。しかし、判例は「殺人予備罪の共同正犯」を認めた。第一審では殺人予備罪の幇助としたが、第二審、最高裁は殺人予備罪の共同正犯とした。では、殺人予備罪の幇助はできないのだろうか。
学説からすれば、殺人予備罪の幇助は可能であるという学者もいる。しかし、予備行為の教唆や幇助を可罰的にしてしまうと、教唆の未遂のうち、予備行為に至ったが、実行行為までいかなかったものまでも処罰されることとなってしまう。また、予備の共同正犯と予備の幇助の区別基準は「行為者の意思とその外部に表現された行為の形式の双方を併せて考察し、これを区別の基準とするのが相当である」としている。この判例の場合、予備の幇助よりも共同正犯のほうが適切であると判断されている。
この判断基準に対して、やはり、被告人や被害者との人間関係も関係や内部的事情があるのではないかと思った。しかし、そもそも「毒を調達してこい」といわれたら、殺人をするのか、となんとなく察しがつくように思う。また、もしも殺人予備の幇助にしてしまったら、結果的に依頼した毒を使わずに被害者が殺されるという事実は起こっているために、Dは「実行性がない」として不可罰になるのは何か違うような気がする。この判決は、すべてをふまえたうえで、予備の共同正犯としたのは適当であったように思う。
8.
勘違いがあった場合
人間には勘違いもつきものである。たとえば「窃盗をやってこい」といったのに、強盗をやってきてしまったらどうなるだろうか。勘違いのことを法律の世界では「錯誤」という。刑法でいう錯誤には以下のような分類がある。
客体の錯誤
具体的事実の錯誤
事実の錯誤 方法の錯誤
抽象的事実の錯誤
錯誤 法律の錯誤
因果関係の錯誤
↑このような感じに分かれる。そして、説として「具体的符合説」「抽象的符合説」「法定的符合説」の3つがある。判例では「法定的符合説」の立場をとっており、共犯者の故意は阻却されないとしている。
事例の場合、共犯者の故意は窃盗、正犯者の故意は強盗だったため、共犯者の故意を超えて重い結果が発生したことになる。この場合は、同一構成要件的に重なり合う限度で、軽い犯罪について故意が認められ、共犯が成立するとする。
9.
私見
以上、たくさんの共犯理論や共犯の諸問題に触れてきた。そこで私が思うのは、「共謀罪は人権が危うくなる一歩ではないか」ということである。共犯も、従属性が最小従属性に行くほど、共犯が成立しやすくなるということである。そもそも、「実行段階の前で処罰を考える」のであれば、日本の刑法には殺人罪など、重い刑罰には予備罪が規定されている。つまり、わざわざ「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」という特別法の中で、改めて「組織」という形で作る必要はないように思う。なぜなら、刑法の予備罪であれば、単独犯でも、予備罪としてとらえることができるのだから……。
また、今回の共謀罪はつかまえる側(警察など)に「組織ですよね^^」といわれたら、全員が引っ張られることになる。例えば、国会前などでデモを行ったら、「デモを行っている人々」という「組織」にされてしまい、つかまる可能性が高くなるのではないかと思う。罪だけを並べて別表にしたあの法律では、何が原因で、何を根拠としてつかまるのかが、私たちにはあいまいにしか見えない。そのすべての部分を知るのがつかまえる側……。それはあまりにも残酷な事実にも思える。
共犯も、共謀罪も、うまく使えば犯罪予防、ひとつ間違えて使ってしまえば、人権をも脅かす存在になりえないものである――……。適用する側がわかっていない状態では非常に危険な法律であることは間違いないだろう。
10.
まとめ
したがって、以上をふまえ、共謀罪には反対である。
【参考文献など】
・日本経済新聞web版 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規定等に関する法律6条の2 全文
・高橋則夫著『刑法総論第3版』2016年
・判例百選
・受験生時代に使っていた日本史のノート
・中江先生の講義のノート
會田耕平
犯罪予防と人権
自分は、起きてからの対処では遅い犯罪を未然に防ぐためならば、多少の人権の制限はやむを得ないと考える。
1.共謀罪について
今年6月、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の改正案、俗にテロ等準備罪や共謀罪と呼ばれるものが成立した。そもそもこれはなにか。法務省によれば、近年における犯罪の国際化及び組織化の状況に鑑み、並びに国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約の締結に伴い、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画等の行為についての処罰規定、犯罪収益規制に関する規定その他要所の規定を整備する必要があることを理由に提出された案で、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律のうち、270を超える条文を改正するものである。特に問題になっていると思われるのが、第六条の次に、第六条の二として付け加えられた
「次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減刑し、または免除する。」
という条文であると思われる。これにより、270を超える罪に予備罪が付与されることとなる。
2.否定的意見
ところで、今回の改正案は、治安維持法の再来とも一部では言われていて、否定的な意見も多く見受けられる。治安維持法とは、昭和の時代に制定されたもので、大衆運動の弾圧につながった悪法とされている。今回の法改正で、実行の着手より以前に刑罰を科することが可能になったので、構成要件があいまいな状態で運用されれば、いくらでも適用範囲を広げて捕まえることができるようになり得るからそういわれているのだろう。では、どこまで適用範囲は広がるのだろうか。
当然のことながら、刑罰の対象というのは、構成要件に該当する違法有責な行為であるが、例えば予備の段階での共犯はどうなるか。その共犯の間で錯誤があった場合はどうなるか。複数犯の中で共謀の無い同時犯であった場合はそれぞれどのような罪になるのか。過失によって予備罪の構成要件を満たしてしまった場合はどうなるか。などといったところが疑問点として浮かぶ。違法性や有責性は、行為無価値と結果無価値のような立場の違いでも大きく変わってくるからだ。故意か過失か、故意であれば確定的故意か未必の故意か、過失であれば認識があったのかどうか。共犯であったのならば共同正犯なのか従犯なのか。
例えば、ある判例においては殺人予備罪の共同正犯は認められている。この事件は、Aを殺そうとしているYの依頼により、青酸カリをXがYに交付したが、YはこれをAの殺害には使用せず、Aに睡眠薬を服用させたうえで絞殺したという事件であるが、一審においては、予備罪も一つの独立の構成要件であり、それにも総則の共犯規定が適用され、予備の幇助も成立するが、予備罪が成立するためには、行為者が自分自身で基本となる犯罪を実現しようとする意志が必要だから、Xには殺人予備罪ではなく、殺人予備罪の幇助が成立するとした。そして控訴審では、第一審判決を破棄し、予備罪の共同正犯の成立を認定したことについて、被告人の本件行為を殺人予備罪の共同正犯に問擬した原判決の判断は正当であると判示し、殺人予備の共同正犯とした。なお、その時ですら、「予備罪の行為は無定形、無限定な行為であり、その態様も複雑、雑多であるから、たとえ、国家的、社会的にその危険性が極めて高い犯罪であっても、その予備罪を処罰することになれば、その処罰の範囲が著しく拡張され、社会的には殆ど無視して差し支えない行為、延いては又言論活動の多くのものまでが予備罪として処罰される虞れもないわけではない(中略)従犯の行為も又同様無限定、無定形である。従って、もし、予備罪の従犯をも処罰するものとすれば、その従犯として処罰される場合が、前の予備罪の正犯にもまして著しく拡張される危険のあることは極めて明らかである。かの助言従犯の場合の如きを考えれば、言論活動の多くの場合までが、直ちに予備罪の従犯として処罰される危険性が高度である。従って、予備罪の従犯を処罰するかどうかについては、特に厳正な解釈態度が要求されるのである。」と、安易な予備罪の適用に対する意見が述べられている。犯罪の予防のために安易に予備罪を適用しようとすれば、おそらくはこの論で危惧されていることが実際に起こるだろう。
3.肯定的意見
反対に、共謀罪に賛成する意見も少なからずある。特に警察などは、暴力団などの検挙が大きくやりやすくなるだろう。それでなくとも、テロリストなどの危険犯を早期に抑え、大規模テロなどの取返しのつかない犯罪を未然に防げるというのは、テロ問題が大きく取りざたされている現在では大きな意味をもつだろう。それ以外にも、サイバー犯罪や、クローンなどで同じことが言える。また、全世界で187の国、地域が加入している国際組織犯罪防止条約に加盟することができるようになるのも大きい。他国と比べることになるが、先進国ではほとんどの国で共謀罪が成立していて、G8で共謀罪が成立していないのは日本だけという話もある。共謀罪の成立が必ず加盟に必要というわけではないが、共謀罪の成立なくして条約に加盟するというのはやはり難しい話だろう。
4.個人的意見
話を戻すが、やはり問題は、いざ共謀罪が適用された時の範囲と、構成要件、違法性、有責性の部分だろう。まず、構成要件についてだが、法務省の話では、構成要件は厳格に定められているとされている。対象となるのは犯罪組織に所属している人間だけで、飲み屋で酒を飲みながらテロ等準備罪に抵触し得る話をしたとしても罰せられないという。しかし、条文を読む限りでは、そこまで厳密な構成要件があるようには思えない。犯罪組織とそれ以外の団体の線引きが明らかになっていないのもそうだが、準備行為についても、いくらでも解釈の拡大が可能に思える。少なくともこの点においては、もっと国民にもわかる程度にはっきりとした文言で明記してほしい部分ではある。客観的違法論の立場から見れば、何も知らずに犯罪集団に属してしまっていた場合、もしくは、善良な集団に属していたが、その中で犯罪行為に走ったものがいた場合。実際に共謀がなくとも共謀共同正犯として、裁かれる可能性がある。もし、正犯として認められなくとも、従犯として、幇助などの罪に問われる場合もあるかもしれない。例えば、ある個人が、所属している集団で、立場が上の者から刃物などを購入するよう言われたとして、それが本来聞かされていた用途に使われず、誰かしらの殺害に使用されれば、殺人の幇助として、間接正犯が成立するかもしれない。
※共犯従属性とは、共犯が処罰の対象として成立するためには、正犯に一定の要件が充足されることを必要とするということを意味する。共犯従属性は、実行従属性、要素従属性、罪名従属性という3つの問題に区別されている。実行従属性とは、共犯の未遂犯が成立するためには正犯が実行に着手したことを要するかという問題である。未遂犯は、犯罪の結果発生の危険を発生させたことを処罰する結果犯であるから、教唆犯と幇助犯においては、正犯が実行に着手しなければこのような危険は発生せず、したがって、教唆や幇助の未遂は、正犯の実行の着手に従属することになる。要素従属性とは、共犯が成立するためには、正犯の行為がどのような犯罪要素を具備することが必要かという問題で、現在の通説は構成要件に該当する違法な行為でなければならないが、有責である必要はないとする制限従属性説である。罪名従属性とは、共犯に成立する罪名は正犯と同じであるべきかという問題で、同一の犯罪についてのみ共犯の成立を認める犯罪共同説、構成要件が重なり合う限度で共犯の成立を認める部分的犯罪共同説、行為の共同があれば共犯の成立を認める行為共同説が主張されている。
ここまで、テーマに関してもっとも例として挙げやすく感じた共謀罪を中心に話を進めてきたが、ここまでの文章だと、人権を大きく害しうる法に対して否定的に思われるだろう。しかし、冒頭に書いた通り、自分の意見は違う。もちろん、人権が侵害されないに越したことはないが、ただ盲目的に人権のみを尊重すれば、犯罪の処罰、延いては防止ができなくなる。ごく小さな犯罪に関してはともかく、大きな犯罪、それこそ、多数の人命がかかった大規模テロや、個人で社会を破壊できてしまうサイバーテロ、過去の公害事件のように起きてからでは遅い環境問題など、未然の防止が不可欠となる問題に関しては、多少の人権の制限はやはりやむを得ないものだと思う。不安視されるべきは、むしろ警察官などの法律を扱う側の人間についてだろう。これは知人の話になってしまうが、法律を学ぶ理由として、警察官を目指していることを挙げた時に、「警察官に法律の知識が必要なのか」と、不思議がられたことがあるという。警察官は一般市民にとって、もっとも身近な「法律を扱う人間」であるはずだ。犯罪の疑いがあるものを捜査し、時に権限を行使して相手を拘束できる立場にいる人間が犯罪に関してそれほど詳しくないというのが、冤罪の一因にもなっているはずである。法というシステムについて論ずることも確かに重要である。しかし、自分はそれ以上に法を扱う人間への信頼感が薄いことも、犯罪予防に対して人権が危ぶまれる原因の一つなのではないだろうか。
出典
有斐閣 判例刑法総論 第5版 西田典之 山口厚 佐伯仁志
刑法総論 第2版 橋則夫
有斐閣 ポケット六法 井上正仁 山下友信
法務省ホームページwww.moj.go.jp/index.html
裁判所ホームページwww.courts.go.jp
弁護士ドットコム犯罪・刑事事件https://www.bengo4.com/
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廣戸葵
結論:共謀罪によって人権侵害が発生しないように、共犯の理論体系を今一度見直し、考えてく必要がある。
1、早期処罰の必要性
現代社会は、小さな火種が甚大な被害を発生させる大事件へと繋がりうる社会となっている。インターネットの発達や都市集中型の人口分布は、サイバーテロや自爆テロによって多くの人の安全を脅かす危険性を生む。特に、イスラム過激派の活動は活発化を増している現在、日本でもテロが起きないとは限らない。フランス同時多発テロの惨劇は記憶に新しい。日本は国連の条約国際組織犯罪防止条約を結べていないので、そうした国際的な犯罪集団の情報についての他国との綿密なやり取りができない。条約を結ぶためには条件があり、そのために国内の法律を改正しなくてはならない現状もあった。そこで東京オリンピックでの安全を見据え、テロを未然に防ぐ為、テロ等準備罪と俗に言われる法律が内閣より提出され成立・施行された。正式名称が「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部を改正する法律」である。
2、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部を改正する法律
その法律の6条の2にはどういったことが罪になるかが書かれている。簡単に説明すると、@犯罪が主目的の組織でありAその組織にはきちんと指揮命令系統と役割の分担があってB何度も反復して既に犯罪をやっている組織での活動として、個人ではなく組織として犯罪をやることを計画Cその場合に、その計画した人のうちの一人でもお金を用意したり、物を用意したり、現場の下見をしたりといった準備をしたら、その計画した人たちは罰すというものだ。つまり、早期処罰の必要性が増している現在、重大な犯罪に繋がる犯罪においては犯罪が起きた時点ではなく、起きる前の準備段階で処罰しましょうというもの。組織加入者であり、そのうちの一人が予備行為をすると、計画つまり共謀していた全員を処罰するという共謀罪に関する法律である。
3、共謀罪
「テロ等準備罪は現代の治安維持法だ」ともいわれている。治安維持法とは、大日本帝国憲法体制下で、当初は共産主義革命運動の激化を懸念しそれを抑制する目的だったが、やがて宗教団体や、右翼活動、自由主義等、政府批判はすべて弾圧・粛清の対象となっていった思想運動、大衆運動弾圧の中心にすえられた法律である。個人的には共謀罪は治安維持法ほどの国家からの弾圧機能は有していないだろうと思うし、今後暴走する危険性も低いとは思う。だが確かに、共謀罪も法益侵害の発生とは関係なく内心で犯罪の意思を有していることと紙一重であり、意思の合致のみで処罰されてしまうという点はあるため、処罰対象が拡大されてしまう可能性をはらんでいる。実行行為のない、未だ法益侵害をしていない段階での処罰となるため、どこからどこまでの行為が処罰対象となりまた処罰根拠となるのか、明確性に欠ける。その点を今後は注意深く監視していく必要がある。そこで、この点について具体例を挙げながら詳しく考察してみようと思う。
4、共犯従属性
共謀罪は2人以上の者が実行するので「共犯」の問題となるとなるわけだが、共犯の場合にはどの程度実行行為に加担したのか、共犯の意図・行為をどこまでしっていたのかなど、処理が難しいケースが多い。共謀段階での共犯の問題を考えることは、複雑怪奇で迷宮である。まずは、共犯の基本から考えていきたい。共犯が処罰の対象として成立するためには、正犯に一定の要件が充足されることを必要とする。それを共犯従属性といい、実行従属性、要素従属性、罪名従属性という3つの問題に区別されている。
@
実行従属性は、正犯が実行に着手しないかぎり、教唆・幇助は処罰されないことをいう。
A
要素従属性は、共犯が成立するためには、正犯の行為がどのような犯罪要素を具備することが必要かという問題で。現在の通説は、構成要件に該当して違法であればよく、それを制限従属形式という。
B
罪名従属性とは、共犯に成立する罪名は正犯と同じであるべきかという問題。同一の犯罪についてのみ共犯の成立を認める犯罪共同説、構成要件が重なり合う限度で共犯の成立を認める部分的犯罪共同説、行為の共同があれば共犯の成立を認める行為共同説が主張されている。
5、過失の共同正犯
共犯は犯罪を共同するものであると考える立場からは過失犯の共犯は認められないとするのが論理的だが、判例も近時、過失の共同正犯を肯定する事例が支配的となった。犯罪共同説の立場からの理由付けは、「共同義務の共同違反」という考え方である。すなわち職場において、自己の行為についてだけでなく、他の仲間の行為についても互いに配慮すべき注意義務がある場合には過失の共同正犯になるとする。
6、共犯の錯誤
共犯に錯誤があった場合どうなるか、例題とともに考えたい。
例1、@Bは別荘に人がいないとしてAに放火を勧める。A実は人のいる別荘である。
他人を利用して犯罪を行わせる場合、被利用者との関係を見ると、背後の利用者が教唆犯(共犯)であるというよりもむしろ、間接正犯(正犯)になることがある。だが、この例の場合、Aは責任無能力者ではない前提であり、かつ放火に対する故意は認められるので、Bは間接正犯ではなく教唆犯だあるといえる。そして、Bは人がいることを知っているので、Bには現住建造物放火罪(108条)の教唆(61条)の罪になる。
Aは結果的には人のいる別荘を放火しているが、人がいないと錯誤しており、これは抽象的錯誤であるといえるので、法定符合説をとり、構成要件内で符合する限りにおいて故意を認め、非現住建造物放火罪(109条1項)となる。
例2、@EはDをそそのかして置いてあったカバンを質入させるADは忘れモノのカバンだと思っているが、実はCのカバン
Eは例1の場合と同じ理由から教唆犯が成り立つだろう。そしてEはカバンをCのものと
知っているので、窃盗罪(235条)の教唆(61条)となる。Dは忘れたカバンだという錯誤のもとに行為におよんでいるので、遺失物横領(254条)になる。
例1、 2共に結果的に罪名従属性を否定している。
7、予備の共同正犯
例1、@Bは自分の夫であるAの殺害をもくろみ、不倫関係にあるCを利用してAの殺害を計画ADはCに頼まれて毒を用意C結局Aは別の殺害方法をとり、毒は使用されなかった。
60条の共同正犯の規定には、「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。」とある。共犯であるとともに正犯であり、単独犯とは異なって自らは実行行為の一部しか加担していないが、それでも責任は行為の全部について生じる「一部行為の全部責任」というものである。この時、Cは実行にはかかわらず事前謀議に加わっただけだったとしても、共謀共同正犯として共同正犯となる。つまりCは共同正犯としてA殺害の全部責任を負う。B、Cが殺害の共同正犯であることは間違いないが、毒を用意したDは殺人予備罪(201条)が成立するだろうか。201条には「第199条の罪を犯す目的で,その予備をした者」とあり、「第199条の罪を犯す目的」の解釈として、「他人が第199条の罪を犯す目的」も含まれるのかが問題となる。自ら殺人の実行行為をする目的で予備行為(自己予備)をしたのではなく、他人に実行行為をさせる目的で予備行為(他人予備)をした場合、通説は、「199条の罪を犯す」者と「予備をした」者は同一人であると解すべきであるとして、他人予備を否定している。だがことの危険性から鑑みると他人予備の共同正犯を肯定すべきで、Dへの殺人予備犯の共同共犯でよいだろう。判例でもそれを支持している(最決昭37・11・8 )。
8、同時犯
そもそも刑法において犯罪とは、「構成要件に該当し、違法で有責」な行為であるとする。罪刑法定主義から構成要件が、法益侵害主義から違法が、そして責任主義から有責が導き出される。構成要件の要素である行為と結果の間には因果関係が必要である。すべて結果犯においては「あれなければこれなし」という条件関係が認められなければ、構成要件を満たさない。だが因果関係を事実的因果のみで判断すると、責任範囲が広くなってしまうので、法的因果つまり一般的な感覚を用いてその範囲を絞る。この因果関係を考えさせられる概念として「同時犯」というものがある。これは複数人が共謀しないで、たまたま同じ客体、同じ時に、同じ犯罪を実行することをいう。
例1、@AとBは共謀なく同時点でCに致死率100パーセントの毒を盛ったAAとBは共謀なく同時点でCに致死率50パーセントの毒を盛った
@
とAの場合それぞれABの罪責はどうなるか。
これが同時犯の問題であり、因果関係が重要となってくる。因果関係を肯定するためには、「あれなければこれなし」の関係が必要である。ところが本件@の場合、AもBもそれぞれが致死量の毒を盛っており、仮にAが毒を盛らなくても、Bの盛った毒によってCは死んでいただろうし、逆もまた然りである。となると、因果関係が認められない。AはAの毒が無ければCは死なないし、逆にBの毒のみでもCは死なないので、因果関係がみとめられる。因果関係が認められない場合、各行為者は未遂罪としての罪責を負うということになるので、@ではAもBも殺人未遂罪(刑法203、199条)になる。それに対して、Aでは因果関係が認められるので、ABともに殺人既遂罪となり、殺人罪(199条)の罪責を負うというのが理論上の流れである。だが、理論はどうであれ一般的な感覚をもってすれば、致死量の毒を盛った場合は未遂罪で、致死量の半分の量の毒を盛った場合は既遂罪というのはおかしいと思うのではないだろうか。より危険な行為(致死量の毒を盛る行為)をした方が刑が軽くなるというのは刑の均衡がたもたれていないように思う。
9、行為無価値・結果無価値
共謀罪を考えていく上で考えておくべき概念として行為無価値と結果無価値というものがある。
結果無価値:客観を重視し、因果的行為論をとり、本質は法益重視である。不能犯に対する考え方としては、行為時に存在したすべての事情を基礎に、結果発生の危険性を事後的・科学的に判断し、危険性が絶対的にない場合を不能犯とする見解(客観的危険犯)。間接正犯も主観的違法要素も認めていない。ただし、不法領得の意思は認めている。
行為無価値:主観を重視し、目的的行為論をとり、本質は倫理違反である。不能犯に対する考え方は、行為当時、一般人であれば認識し得た事情及び行為者が認識していた事情を基礎にして、一般人を基準に結果発生の危険性が認められる場合が未遂犯で、そうでない場合が不能犯であるとする見解(具体的危険犯)。間接正犯、主観的超過要素ともに認めている。
例えばピストルを撃って人を殺害しようとしたけれども急所を外れて怪我をしたけれども死ななかった場合、怪我の範囲では結果違法が生じているため、殺人未遂が成立するのは納得である。では、球が完全に外れて被害者がかすり傷一つ負わなかった場合、結果違法は生じていないから犯罪不成立だとは考えられないだろう。行為そのものは危険であり、行為者の悪性は客観的に現れているので違法であり、処罰に値する。結果がなんら発生していなくとも未遂犯として処罰すべきだというのは、行為違法(行為無価値)の考え方による。
10、主観的違法要素
構成要件要素には主観的なものがありそれが主観的違法要素である。傾向犯、目的犯、表現犯が典型である。通貨偽造罪は目的犯であり、たとえば、こどもの玩具にするために偽札を作ったとしても何の罪にもならない。通貨偽造も文書偽造もすべて偽造罪には「行使の目的」が構成要件に盛り込まれている。ここでは偽造という様態だけでなく、偽造をする行為者の意思とか目的が違法を決めると考えられている。これは行為無価値の考え方が現れている。目的犯以外では、判例で例えば傾向犯が認められている。被害者を裸にしたという強制わいせつ(176条)事例において、行為者の性欲を満足させる主観的傾向が必要であり、単に復習などの目的であれば同犯罪は成立しないとしたものである(最決昭45・1・29)。だから無罪というのではなく、強要罪(225条)が成立するという。たしかに両罪の相違として何か基準になるものが必要かもしれないが、わいせつ罪においての主観的違法性はなかったとしても被害者は当然に羞恥をおぼえるはずであるので、被害者感情を酌みして強制わいせつ罪でいいのではないかと思う。
11、まとめ
こうみていくと共犯認定の幅は刑法理論の枠を超えて広くなっていっている印象がある。にもかかわらずさらに共謀罪により範囲がさらに広がる。有罪率99.9%の日本においてはアメリカのように裁判で個別的にじっくり争い無罪を勝ち取るということは難しい。「悪い人の罪を罰し、良い人の人権を守る」というのが大前提であり、このために「法律無ければ犯罪なし、法律無ければ刑罰なし」という罪刑法定主義が生まれ、人治主義から法治主義へとなった。この大前提を守りつづけるために、共謀罪にいたっては過失の共同正犯を否定すべき。また、主観的超過要素を個別的にしっかり見たうえで、人権侵害に繋がらないようにする必要があるように思う。共謀罪は一定の抑止力になるであろうし、いろいろ問題点はあろうが個人的には賛成なので、共犯の規定を今一度考え引き締める必要があると思う。
https://ameblo.jp/hodakamaruyama/entry-12262867605.htmlテロ等準備罪解説
https://www.bengo4.com/c_1009/d_4602/従属説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E8%83%BD%E7%8A%AF 不能犯
誰にでもわかる刑法総論 佐々木知子著
ポケット六法 平成29年度
大森悠太郎
15J115013 大森 悠太郎
犯罪予防と人権
結論:共謀罪、テロ等準備罪により国民の人権が侵害されるおそれはない。
組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(組織的犯罪処罰法)は暴力団による薬物・銃器犯罪や、地下鉄サリン事件など、組織的犯罪の規模拡大・国際化が大きな治安悪化要因となっていることからこれに対処するために制定された。
共謀罪の構成要件は要約すると、
1.
犯罪を主目的とした組織であること。
2. 組織の命令者がはっきりしていること。
3. その組織がこれまでに何度も犯罪を犯してきた組織であること。
4. 犯罪を計画したという事実があること。
5. 組織の一人が計画のための準備を行ったこと。
この要件すべてを満たさないとテロ等準備罪は成立しない。
ではなぜ共謀罪が危険だと国会では騒がれているのだろうか。
騒がれている理由としては以下にまとめる。
1.
飲み屋で同僚と話しているときに「上司をぶん殴ってやりたい。」などと愚痴をこぼしただけで逮捕される危険性がある。
2.
賃金アップのためにストライキ、社長を家に帰さない…で逮捕の危険性。
3.
年金下げられて困るから役者に文句言ってやる。で逮捕の危険性。
確かにこれが危険犯とされ逮捕なんてことが普通になってしまうのならば深刻な問題だ。国民の人権侵害になりうる。
しかしあげた例では共謀罪になることはない。一つずつ簡単に解いていくと、
1.
上司の悪口を言っていた人たちは犯罪組織ではなくそもそも準備をしていない。
2.
ストライキで社長を帰さない、では準備・計画してはいない。この場合何度もストライキで社長を家に帰さないようにしているならば監禁罪で逮捕されるべきなのではないだろうか。
3.
年金下げられて困るから役所に文句を言いに行く高齢者の方々は犯罪を主目的とした組織ではない。さらに命令する人がはっきりしない以上組織ですらない。
また、テロ等準備罪の「等」は拡大解釈で一般国民にも対象になる危険があるのではないかという意見がある。しかしこの「等」がなくただのテロ準備罪として適用される人を限定しすぎてしまうと、犯罪する気満々な人たちは「等」と書いてないことをいいことに法律の穴を突きやすくなってしまうだろう。だから「等」という言葉を入れることで法律の穴をなるべく小さくして、そういう人たちに隙を見せない策をとっている。
「一般人には関係ないのではないか?」という意見に対して弁護士らしい人が「治安維持法に似ている。治安維持法では2000人が獄死した。」と注意喚起している。しかしこれは完全に間違いで、治安維持法が存在していた戦前の憲法は明治憲法、今の日本国憲法では拷問は明確に禁止されているからこの注意喚起は間違っているのである。日本国憲法では「基本的人権は永久不可侵」とはっきり書かれているのでこのようなことで一般人を逮捕したりしたらそれこそ憲法違反になる。
さらに我が国では現行法で既に予備罪,準備罪,幇助罪,共謀共同正犯などの形で共謀を犯罪とする措置がとられているからという理由でも反対をされている。
犯罪の類型でもキーワードの各形を考察する。
間接正犯
「他人の行為を支配する事により、
構成要件を実現させた場合を間接正犯とする」
という行為支配説が支配的見解となっている。
(「媒介者が自律的自己決定を行っていない時に
背後者を間接正犯とする」
という見解も有力。)
つまり、直接自ら手を下さなくても、
何も知らない第三者を「道具として」利用し、
犯罪を実現した者を「間接正犯」と言う。
例えば、Aが3才の子供に
スーパーマーケットから食パンを盗んでくるように命じて、
子供に食パンを盗んでこさせた場合は、
Aが窃盗行為をしたものと評価され
Aが窃盗罪の間接正犯となる。
「道具として」という部分だが、
例えばAが盗んでこいと命じたのが、
19歳の大学生であれば、間接正犯とはならない。
大学生は自らの意思を持ち、物を盗んだりするのは、
やってはいけない事だと知っているから、
「道具として」という事にはならない。
この場合、Aには
・窃盗教唆罪という罪が成立する。
間接正犯となった判例では、
暴力や精神的圧迫によって被害者を抑圧し、
自殺させた場合は、
被害者を利用した殺人。
・精神遅滞者(知的障害者)に、
蘇生する可能性があると誤信させて
自殺させる行為。
・郵便配達人に毒薬を配達させる行為は
殺人。
があげられる。
同時犯
同時犯は、共同の意思がない二人が同時間同場所で行った犯罪類型。各人が単独犯と扱われるから共同正犯ではない。ただし同時傷害については特別規定がある。
同時傷害の特例とは、2人以上で暴行を加えて人を傷害した場合において、それぞれの暴行による傷害の軽重を知ることができず、又はその傷害を生じさせた者が不明なときは、共同して実行した者ではなくても共犯として罪責を負うことを意味する(刑法207条)。
具体的には、たとえば、A・Bが意思の連絡なく同時にC向かって石を投げつけた結果、Cに傷害を負わせたが、A・Bいずれの行為によるものか不明な場合にもA・Bは傷害罪の共同正犯(同法60条、204条)として処罰される。
同法207条にいう「共犯の例による」とは、個々の暴行と傷害の因果関係を推定して挙証責任を検察官から被告人に転換したものである。すなわち、行為者の側で発生した傷害が自己の暴行によるものではないことを立証しない限り、傷害罪の罪責を負うこととなる。
仮に207条がなかった場合には、上記の例ではA・B間に意思の連絡がない以上、検察官はどちらの行為によってCに傷害が生じたかという因果関係を立証しなければならず、それができないときはA・B各人の行為の限度で処罰するしかない。
同時傷害の特例は、傷害のみならず、傷害致死の場合も含むとするのが判例である(最高裁昭和26年9月20日判例)。学説にはさらに強盗致傷罪、強姦致傷罪にも及ぶとする見解もあるが、文言上「人を傷害した場合」とされていること、また同法207条が例外規定であることから、傷害罪についてのみ適用されるとするのが通説である。
おそらく共謀罪、テロ等準備罪で同時犯にはならなく、犯罪組織の組員が組長に指示され犯罪の準備をすれば、精神疾患がなければ犯罪組織に入っていれば脅されてやったとか通じないため「道具として」扱われていないため間接正犯にも該当しないだろう。
政府は、当初676としていた共謀罪の対象犯罪から「組織的な犯罪集団が関与することが現実的に想定される罪」のみを選び、およそ277の罪に絞った。
その内訳は
1 テロの実行(110罪)
2 薬物(29罪)
3 人身に関する搾取(28罪)
4 その他資金源(101罪)
5 司法妨害(9罪)
これらの罪名を見てみると、どの項目に当てはまるのかよくわからないものがいくつもある。また、「著作権等侵害」など、一般の人にも関わりがありそうなものもあることがわかる。組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律、第2条2項2号に記載されている犯罪行為の一覧に該当する。
次は共謀罪の対象にならない399罪について。
「共謀罪(テロ等準備罪)」 の対象にならない399罪 |
|
類型 |
例 |
過失犯 |
業務上過失致死傷等、業務上の過失による危険物の漏出等致死傷など |
独立未遂犯 |
爆発物使用未遂など |
結果的加重犯 |
建造物等延焼、強姦致死傷など |
条約上の義務無し |
内乱、爆発物使用など |
加重類型 |
強盗強姦、営利目的による覚せい剤の輸出入・製造など |
予備罪 |
内乱予備、覚せい剤の輸出入・製造の予備など |
準備罪 |
通貨偽造等準備など |
組織的犯罪集団が実行を計画することが現実的に想定し難い犯罪 |
看守者等逃走援助、酒酔い運転等、船舶に危険がある場合における船長の処置義務違反など |
8つの類型を除外した理由。
・過失犯(不注意によるもの):共謀(計画)することが不可能。
・独立未遂犯 (犯罪に着手したけれど遂げずに終わったことを、独立した犯罪として罰するもの):実行をめざした犯罪の共謀罪で十分。
・結果的加重犯(犯罪を実行したことによって、思ってもいなかった重大な結果が起きた場合、それを罰するもの):実行をめざした罪の共謀罪で十分。
・条約上の義務無し(すでに陰謀罪や共謀罪が定められている罪):同じものをつくる必要はない。
・加重類型(犯罪を実行する人の身分や犯罪実行の目的などによって、同じ犯罪を犯しても罰を特別に重くするもの):土台となる罪の共謀罪で十分ということか。しかし、加重類型のほうを共謀罪の対象にして土台となる罪を対象から除外した場合もある。
・予備罪 (犯罪の着手に至る前の準備段階を罰するもの):実行をめざした罪の共謀罪で十分。
・準備罪( 犯罪の着手に至る前の準備段階を罰するもの):実行をめざした罪の共謀罪で十分。
・組織的犯罪集団が実行を計画することが現実的に想定し難い犯罪:選定基準が曖昧で、自民党法務部会で、法案成立後に対象犯罪を増やす法改正がなされるのではと疑われかねないと指摘された項目。
○共謀罪施行、テロ等準備罪について調べての意見感想
テレビでニュースを見たりSNSの共有の機能で情報が回ってきたりで、時々共謀罪に関する情報を視認してはいたがあまり強い興味を持っていなかった。野党が反対して与党が強行採決に至ったことしか知らなかった。たびたび報道される内容としては野党が「基本的人権ガー」「国民の自由ガー」ということばかりでその通りに受け取ってしまっていた。だから共謀罪は解釈次第によってはお互いをお互い監視しあって信用信頼なんて誰にもできないような世界になると極端な話思っていた。
しかし今回レポートで広く調べてみたところそれは全くの逆でやはり共謀罪にも成立される要件もあり一般国民には影響は及ばないことが分かった。
最近は偏向報道甚だしいとはよく見るが自分で調べてみて実感できた。ニュースや新聞をうのみにせず自分で調べて自分の意見を持つことはこれから大事にしようと思う。
共謀罪、テロ等準備罪についてだが私の調べた通り一般の国民に危険は及ばず海外や国内の暴力団からのテロや犯罪から守るために使われるものなら賛成である。東京オリンピックは今はごたごただがしっかり成功でおさめてほしいから、そのための政策なら進んで施行していってほしいと思う。
出典:http://namagusa.com/archives/10425
http://www.moj.go.jp/houan1/houan_houan23.html
https://www.bengo4.com/c_1009/c_1201/d_511/
木村圭佑
犯罪予防と人権について 15J118015 木村圭佑
今回のキーワードで重要になってくるのが共謀罪である。共謀罪を簡単に説明すると組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律である。対象はテロリズム集団その他の組織的犯罪集団である。どんな時に適用されるのかというと重大な犯罪を企図した「組織的犯罪集団」が、役割を分担して犯罪の実行に合意し、犯罪実行に向けて「準備行為」をした場合に適用される。「準備行為とは「物品や資金の手配」「関係場所の下見」などが挙げられる。国会で具体例が出たのは「凶器を買うお金を下ろした」「ハイジャックに向けて飛行機を予約した」「犯行現場を下見した」などがあがる。何が準備行為になるかは、まず捜査当局の判断による。」
「」で挟んでいるところはインターネットから引用
共謀罪のメリット・組織犯罪の早期防止につながる
・組織犯罪に少しでも関わった人々を逮捕することができる
デメリット・共謀罪の線引きが難しいため、犯罪の判断が曖昧になってしまう
・冤罪が多くなると予想される
・冗談で犯罪計画を友人と話しただけで逮捕される
次は共謀共同正犯についての説明である。
「共謀共同正犯とは、二人以上の者が犯罪の実行を共謀し、共謀者中のある者がその共謀に基づいてこれを実行した場合には、現実に実行行為を行わなかった他の共謀者も共同正犯としての責任を負うとする共同正犯形態である。共謀共同正犯においては、「共謀」の概要内容が極めて重要となる。けだし、共謀が存在すれば、共謀に参画した者の誰かが実行行為に出れば実行行為を行わなかった者も共同正犯として処罰されることとなるからである。それ故、共謀概念については慎重な検討を要する。」
「」で挟んでいるところはインターネットから引用
共謀罪と治安維持法の共通点と相違点について
共通点・・・1941年の改正治安維持法とほぼ同じ範囲が今後は犯罪行為と認められるようになること
相違点・・・治安維持法が召喚・拘引権限を持ち、二審制で裁判が行われ、私選弁護人を立てられない一方で、テロ等準備罪(共謀罪)は判事が召喚・拘引権限を持ち、三審制が担保され、私選弁護人を立てられるので裁判所の権限は従来の刑事事件と同様に刑事訴訟法に基づいて担保されてるところである。
自分の考えは共謀罪について賛成である。理由は重大事件を未然に防ぐことができるし、東京オリンピックも近づいてるから、事件を防ぐために必要だし、地下鉄サリン事件みたいな出来事も防ぐことができるから必要であると考える。
次は危険犯についての説明である。危険犯には具体的危険犯と抽象的危険犯がある。
ここで重要となってくるのが、刑法108条と110条である。
刑法108条(現住建造物等放火)・・・放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、船舶又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。
刑法110条(建造物等以外放火)・・・(第1項)放火して、前2条に規定する物以外の物を焼損し、よって公共の危険を生じさせた物は、1年以上10年以下の懲役に処する。
(1)例えば、抽象的危険犯とされる「現住建造物等放火罪」においては、「放火し」という行為だけで罪に問うという事になっており、具体的に「公共の危険」の発生を要件としていない。さらに、抽象的危険の発生すら構成要件の要素とされておらず、放火=常に抽象的危険の発生とみなされる
(2)一方、具体的危険犯とされる「建造物等以外放火罪」においては、放火によって「公共の危険」を具体的に生じない限り、同罪が成立しない
(3)「現に人がいる建造物」に放火すれば死人が出る可能性が高いから抽象的危険犯として広く罪に問い、「バイク」に放火した場合は「公共の危険」が生じなければ放火罪(重罪)にまでは問わないという立法趣旨である
次は同時犯の説明である。
同時犯は刑法207条に「二人以上で暴行を加えて人を傷害した場合において、それぞれの暴行による傷害の軽重を知ることができず、又はその傷害を生じさせた者を知ることができないときは、共同して実行した者でなくても、共犯の例による」と示されている。
具体例を挙げると、例えば「Xは、傷害を負わせる意思で、Aに向かって石を投げた。同時に、Yも傷害を負わせる意思で、Aに向かって石を投げた。一個の石が命中してAが傷つき、他の一個は当たらなかった。XとYは互いに相手が投石していることを知らなかった。」というような事実で問題となる。
共同正犯の場合・・・仮に同様の事実において、XとYとの間に「意思の連絡」(意思の疎通)があったとすれば、どちらの石があたったのかわからなくても(つまり個別の行為と結果との間の因果関係が不明でも)、両名は傷害罪の共同正犯(60・204条)として責任を負うことになる。いわば、XとYは一緒に2個の石投げたのと同様と考えられるので、1個目と2個目とどちらが当たったかは重要ではないわけである。
同時犯の原則論
これに対して、意思の連絡がなかったとき(共同正犯が認められないとき)は、各人が自己の行為によって生じさせた結果についてのみ責任を負うことが原則である。それ故、二人以上の者が意思連絡なしに傷害した場合も、本来であれば、検察官は、傷害結果が具体的に誰の暴行によって生じたのか、その因果関係を立証しなければならない。それができないときは、各人それぞれ暴行の限度で処罰するしかないというのが、仮に207条が存在しなかった場合の帰結になる。
過失の共同正犯 行為共同説に基づく一部実行全部責任
同時犯 学証責任の転換
輪姦 重罰化
過失 間接正犯 刑罰の本質
結果無価値 結果予言義務違反(旧過失論) 認めない 法益侵害
行為無価値 結果回避義務違反(新過失論) 認める 倫理違反
次は幇助についての説明である。
幇助は、正犯に物的・精神的な援助・支援を与えることにより、その実行行為の遂行を促進し、さらには構成要件該当事実の惹起を促進することを意味する。
幇助行為→正犯による実行行為の促進→構成要件該当事実惹起の促進という因果関係が必要である
過失による幇助については、教唆同様、処罰規定を欠くため不可罰である。幇助の故意についても、教唆の場合と同じく、正犯に対する犯罪行為遂行の促進の認識・予見だけでなく、既遂構成要件該当事実惹起促進の認識・予見が必要である。
幇助への関与について
刑法62条1項は、正犯の幇助を規定しているが、正犯とされる共同正犯に対する幇助も同様に可罰的である。問題となるのが、従犯(幇助者)の幇助(間接幇助)、教唆者の幇助の可罰性である。判例は、間接幇助については、正犯を間接に幇助したことを理由にその可罰性を肯定している。これに対し、教唆者の幇助は、処罰規定を欠くため不可罰であると解される。これは、幇助の犯罪性は共同正犯や教唆よりも低いこと、さらに、教唆については、教唆者の教唆、従犯の教唆の処罰規定が置かれていることの反対解釈からも導出される結論である。
次は予備についての説明である。
犯罪は、計画的犯行を例にとって、その完成に至る経過を時系列的に見ると、犯罪計画の立案等の陰謀に基づいて、犯行の準備を行い、犯罪の実行に着手し、その完成に至るものといえる。最終的に構成要件該当事実が惹起されて成立する犯罪を既遂犯といい、構成要件該当事実の実現に着手したが、それを遂げるに至ってない段階を未遂、それが処罰の対象となる場合を未遂犯という。未遂を罰する規定は、既遂犯が成立する以前の段階にまで処罰を拡張する意義を有するのである(処罰拡張事由)。
現行刑法は未遂を一般的に処罰の対象とするのではなく、処罰の必要を認めた犯罪について、個別に処罰規定を置いている。ただし、未遂犯についての一般的な定義規定が置かれており、さらに、重要な法益に対する加害行為については、ほとんどの未遂が処罰の対象とされている。これに対し、未遂以前の犯行の予備は、殺人罪・強盗罪など極めて重い犯罪について例外的に処罰の対象となっているにすぎない。また、陰謀に至っては、内乱罪や外患罪など国家の存立にかかわる重大犯罪に処罰が限定されている。こうしてみると、主要な犯罪については、未遂になるか否かが、処罰の有無を分ける分水嶺となっているのであり、いつ未遂となるかが実際上重要な意義を有しているのである。
前期を振り返って
二年生の時の基礎教養演習と違ってゼミは内容がさらに濃くなってとても難しかったです。自分は将来公務員になりたいと思っているので、ゼミで内容を深めて将来は公務員ななれるように頑張っていこうと考えています。前期お世話になりました。後期もよろしくお願いします。