黒澤智哉

過失とは何か
16j118010 黒澤智哉
結論
過失とは、民法や刑法、その他の法律などでは概念そのものは似ている部分があるが、それぞれの認定方法で異なる点がある。
以下、様々な観点から過失の体系を論じて行く。

刑法における過失
 一般的に過失と聞くと過失致死や過失運転傷害などがうかぶ。これらは全て刑法によって規定されており、どこまでが過失なのかなども様々である。
 刑法は過失が犯罪の成立要件となっており、自動車事故を例に挙げて説明していくと、運転手による過失ならば、スピード違反.脇見運転.飲酒などが主要事実として罪の立証が行われる。またこの時運転手には結果予見義務が発生し、最悪の結果を生んでしまう危険行為を予見しなければならない。そして結果予見義務の枠組みの中には、注意義務に違反した不適切な行為*1を実行行為として過失の成立要件としている結果回避義務という概念も存在している。ここで両説は過失を、結果の予見可能性(旧過失論)と基準行為からの逸脱(新過失論)としているが、後者では決して逸脱行為のみが成立要件とされているわけでは無く、結果の予見可能性も含まれている。そもそも過失は事故によって発生した結果ではなくその結果に至るまでの行為の逸脱なので新過失論とは行為無価値であると考えることができるだろう。
 また、最近では両者での相違がなくなりつつあり歩み寄りもあるようだ。

福岡県青少年保護育成条例違反被告事件
 上記では刑法における過失について述べたが、ここから実際の判例を用いて自分なりの考えも交えながら検討していく。
 この事件は、成人男性が当時16歳の女性と性的関係を持ったことが淫行条例の定めるところの淫交にあたると判示された事案である。
淫行条例(いんこうじょうれい)は、

日本の地方自治体の定める青少年保護育成条例の中にある、青少年(既婚者を除く18歳未満の男女)との「淫行」「みだらな性行為」「わいせつな行為」「みだらな性交」また「前項の行為(=「淫行」など)を教え・見せる行為」などを規制する条文(淫行処罰規定)の通称*2と規定されている。

この判決で被告の成人男性はあくまで真剣交際で結婚を前提としていたものであり、被害女性も被告人との長い付き合いを望んでいた。このことから思うに、この男女はお互い結婚適齢に達している点、金銭などの授受がなかった点、男性側の女性に対する年齢認識に過失がなかった点などを踏まえると、ごく一般的な男女の恋愛関係にあるものと考えてもおかしくはないはずである。
さらに以下のような規定も警視庁によって発表されている。

婚約中の青少年又はこれに準ずる真摯な交際関係にある場合は除かれる。*3
この規定からすると男性側の主張の内容では淫交にはあたらないので無罪となるのが妥当である。
 淫交の対象となる「青少年」について原告は福岡県青少年保護育成条例に基づいて小学校就学から十八歳に満たない者と主張しているのに対し、被告は民法731条に定める結婚適齢基づく主張によるものだと思う。判例では被告は有罪とされているが、民法で女性は16歳から結婚が法的に可能になり両者の自由意志に基づき性的行為に及ぶのだから、その場面に公権力が干渉する事や、結婚適齢に矛盾している事なども含め特に過失があったとも言えない。上記で述べたように過失は行為無価値で男女間での性的行為に至ったまでの行為に逸脱がないといけないので、本件はそのようなこたがあったとは思わないため、男性が有罪とされる必要はなかったように思う。
 また、20歳の男性A17歳女性B(ネット上で18歳と偽る)と性交をしたという事例で、判例は、ネットで女性の年齢が18歳以上であると確認しただけでは過失がないとは言えないと判事された。B1317歳の範囲に含まれ、金銭の授受がなくとも淫らな性交をしたならばA淫行条例で処罰される。これは相手の年齢を知らなかったことを理由とできない(但し、過失がない場合はよい)が、この点はAの事実の錯誤と言えるので犯罪の有責性の部分で故意が阻却されるので、犯罪は不成立と考えてもおかしくない。
 つまり、ABの事をネットで見た時点で18歳以上であると誤信してしまうのは無理もないし、Aの注意義務違反とされてしまえばそれまでだが、この錯誤というのはBがネット上で年齢を偽ったが為に発生したものなので、B側にも多少なりとも過失があったとも考えられる。

証明責任
 証明責任を説明する上でいくつか例をあげ論じていく。
・嫡出推定(772)
民法第772条1項は、「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。*4という条文があり推定とは反証があれば覆すことができる。その反証を規定しているのが、民法774条の「嫡出否認の訴え」である。夫婦間AB(=A,=B)の間に生まれた子Cは婚姻中に懐胎したので普通ならば夫Aの子となるがCAの子では無くAではない別の男Dの子であった場合、Aには一年間の嫡出否認の訴えの提訴期間が設けられる。

A
の子ではない1
不明2
Aの子3

 
このような時、ABには証明責任が発生する。
Aには2.3の範囲で、Bには3までに範囲でそれぞれ証明できないことの不利益を自分で負担しなければならない。裁判では不明の部分の証明責任を負っている方が負けとなる。
・ちなみに、両者に婚姻がない場合ではどうか?
婚姻がないときは、

A
Cの顔が似ている
ABはせい交渉あり
ACの血液型が同じ

などの間接事実をもとに、CAの子であるという主要事実が事実上の推定によって導かれる。これに対抗するためには、「BDとも性交渉がある」などの間接反証による証明が不可欠である。

因果関係の有無
 1955年の東大ルンバール事件では被告の三歳児に対しルンバール検査をして重大な後遺症を負わせた事件があった。この事件を民法709条の不法行為の観点から見ていくが、そもそも不法行為には
故意又は過失
権利侵害
B損害の発生
C因果関係
D責任
5つの要件が存在する。
 思うにこの事件での争点は、後遺症の原因な何なのか、医師の検査と後遺症との間に因果関係はあったのか、そして医師に故意もしくは過失があったのかという点である。この観点で見ると因果の部分は判例では最終的に認めらたが、確かに検査による症状であると考えて不自然ではないが、検査による症状ではなく単に容体が急変しただけかもしれない、その他体の不具合など様々な原因があるとも考えられるので因果関係を立証するのは難しいのではと思う。次に故意過失の判定は判例に沿って自分もなかったものと考える。
似た事例では、平成3年最決において、原告Xらが保健所職員など含めた被告Yらを国家賠償法11項の基づき損害賠償請求をする訴訟を提起した。
 この内容は、Yらによって予防接種を受けたXの母親が、接種当日に禁忌者に該当していたにも関わらず、医師たちの予診不足によって後遺症を引き起こしたと主張し、これは問診義務違反のよる過失があったとして国家賠償法1条の責任を認めたが、母親にもX自身の体調や具合などの報告をしなかった過失があるとして結果過失相殺とされ、予防接種法により損害賠償請求を認容した。(一審)
 また原審は、接種と障害の因果関係を認めたにも関わらず予診の不十分と後遺症は結びつかないと国家賠償法1条の請求を棄却した*5結果、上告し審理不尽の違法があるというべきとされた。
 ここで、国家賠償法1条の定める「公権力の行使としての公務員」の行為が違法無過失であった場合、国家賠償法は公務員の故意・過失が要件とされているため、無過失責任を負うかという問題がある。判例では、保健所側の予診不足と原告は主張しているが、Yらは予防接種実施規制の定める禁忌者の識別に必要な予診は尽されたとしている。しかし該当事由を発見できなかったことなどを踏まえると、やはり被接種者は禁忌者の該当していたと推定されるだろう。
 さらに、ルンバール事件のことも踏まえ考えると、この事件は被害者が禁忌者に該当していたにも関わらず注射をしたことによって症状が出たという因果関係があると思われるので、過失があったと考えるべきである。

物権上の過失
 物権変動の際、権利の所在を正確に示す必要がある。その方法が公示の原則である。これは権利の所在が第三者から見てもわかるよう表示する事で、権利を失ったものを依然として権利者であると信じて取引をする第三者も現れなくなる効果が期待される。また、物権は排他性を有するので第三者に与えるリスクも抑えることが期待できる。
 さらに物権変動の工事を信頼して取引した者は、公示の内容と権利関係が不一致であっても公示通りの権利を取得できる公信の原則があり、この力を公信力という。*6また、公信の原則は動産のみに認められており、即時取得(民法192)の制度によって動産の占有を信頼して取引をした者の保護をしている。
 似たような制度として表見代理(民法109.110.112)があり、それぞれ
       本人が代理権を与えた旨を第三者に表示した時 109
       代理人がその権限を超える代理行為をした時   110
       代理人が代理権消滅後に代理行為を行った時   112    と規定している。

これは無権代理の一種で、無権代理人が代理権を所有すると信頼して取引をした相手方を保護するため、代理権が存在したのと同様の責任を本人に負わせる仕組みである。この時相手方が代理権が存在していないことについて善意無過失である事が要件となっている。
 以上を踏まえた上で様々な場合での証明責任の所在などをみていくと、
           所在      内容 
表見代理    本人      Cが悪意、有過失
即時取得    本人      Cが悪意、有過失
虚偽表示    第三者     Cが善意
二重譲渡    本人      Cが背信的悪意
*7
と表すことができ、特に虚偽表示と二重譲渡においては民法942項が類推適用され、取引の安全を守ると同時に、中古不動産市場の活性化にもなるとされる。
 虚偽表示の際、第三者CAB間の売買が虚偽表示だった事が善意無過失でなければ対抗することができない。次に、BからACへの二重譲渡があった時ACの対抗関係になり登記をした順番で優劣がつくが判例では、不動産に買主が942項の第三者として保護されるには登記は不要とされ、背信的悪意(c)に対して最高裁ではAにに登記がかけていることを主張する利益はないとした。背信的悪意とは悪意に信義則違反が加わったものなのでCを保護する価値がないのは当然である。

まとめ
 以上より、一概に過失といっても刑法、民法、行政法などでは概念そのものは似ているもののそれぞれ認定方法が異なる部分がある。証明責任の負担も刑事では検察官が負うのに対し、民事では原告が一部を負うという違いもある。また過失による事件や犯罪も全体数の中で締める割合は少なくないはずだし今回調べただけでも膨大な数の事例がある。こうなっている以上、もっと故意または過失の区別を厳格にし誰が本当に悪いのか、因果関係がはっきりとわからない時があるなどまだまだ難しい部分もたくさんあるから法律以外に社会保障制度の発達なども必要なんじゃないかと思う。医療関係を事例を挙げたのでそのことに限定すれば、社会保障が拡充し病気、怪我その他の問題にも安心感が持てるようになり、注射前の予診で禁忌者の発見に漏れがなくなるかもしれない、他の過失も減らすことができるのではないかと思う。

引用・出典
*1 http://law.webcrow.jp/concept.html
*2 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/淫行条例
*3 http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kurashi/higai/kodomo/inkoj.html
*4 http://blog.livedoor.jp/bakara2012/archives/39384964.html
*5 Jurist 判例集 行政法 (参照)
*6 https://www.minpou-matome.com/物権/物権法総論/公示の原則と公信の原則/ (参照)
*7 授業ノートより引用

授業ノート
ポケット六法
勉強会


以上

 

 

 

 

金澤 

1年間ありがとうございました。中江先生のおかげでわたしのまわりの友達より法律に詳しくなれた気がします。今更なんですが、一度出席のときに名前を呼ばれなかったときがありました。中盤から後半の授業は全部でていたのですが心配です。なにせ出席がギリギリなもので。確認をよろしくおねがいします。

 

基礎教養演習レポート

 

16J118019 金澤茜

 

テーマ「過失とはなにか」

 

結論

過失とは法律においてなくてはならない事項である。

 

1.過失犯の処罰根拠

 刑法381項は「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」と定めている。これが過失犯の根拠である。刑法では主として失火(116条)、過失往来危険(129条)、過失致傷(209条)・過失致死(210条)、業務上過失致死傷・重過失致死傷(210条)が過失犯処罰規定に当たる。犯罪は本来故意犯であるから、人の死傷や火事など一定の法益侵害が起こった場合にはまず故意が問われ、故意がないことが明らかになったときにのみ過失が問題とされる。過失(不注意)すらなければ無過失(不可抗力)として不可罰なのは、責任主義からくる当然の帰結である。

 

2.過失論の展開

 過失論には旧過失論と新過失論がある。この違いは過失の本質をどのように捉えるかにあるといえる。旧過失論は、過失の本質として結果予見義務を重視し、責任の段階で結果予見義務違反の有無を主観的に判断することになる。高度成長期以前はこの考え方が主流だったようだが、高度成長期に入ってから多少危険でも有用な行為というのが生じていた。それは車の運転や医療行為である。運転者には運転をすれば、何らかの事故が生じる予見可能性は常に存在する。そのため、車の運転は有用なのにもかかわらず、常に過失犯が成立してしまうこととなり、その当時は妥当ではない、と考えられた。その後、旧過失論の批判により新過失論が提唱された。従来故意と並ぶ責任要素とされてきた過失を違法要素,さらには構成要件要素でもあるとし,違法要素としての過失を客観的注意義務の違反として説明するものである。客観的注意義務は,結果予見義務と結果回避義務とから成るが,新過失論は後者を重視し,必要かつ適切な行動をとらなかったことが過失であるとする。こう考えると、結果予見可能性がありそれに違反したとしても、結果を回避する義務を果たしていれば、

過失犯たりえないこととなる。例えば、医者の医療行為で何らかの失敗があったとしても、それがきちんと手順を踏んだ上での不慮の事故だった、という場合には、医者には結果予見義務違反は認められるかもしれないが、結果回避義務違反は認められない。よって、医者に業務上過失致死等が成立することはなくなる。また,交通事故の場合を中心として,相手方が適切に行動するだろうと信頼してよい状況下であれば,死傷などの結果が発生しても刑事責任を負わないとされるようになった(信頼の原則)。これらの点から出発して,過失一般も,行為者個人が犯罪事実の発生を不注意で認識しなかったという以前に,行為が客観的に妥当なものでなかったことを意味すると考えられるようになった(いわゆる新過失論)

 しかし、新過失論には注意義務があり、それは結果回避義務である。つまり、新過失論では予見可能性は、結果回避義務の前提であって、予見義務の前提でないことに注意しなければならない。しかし、この考え方の内部において何をどの程度まで予見できたら回避義務が発生するかに対立がある。ひとつは、具体的な予見可能性を要求するもので、その予見は結果発生の原因となった事実であれば足りるとする説。二つ目、危惧感説といって結果が具体的に予見できなくてもひょっとすると発生するかもという危惧感で客観的予見可能性は足りるとするものである。予見が不可能でもいいというところを重視して後者の方を新新過失論と呼んで、新過失論と区別したりする。危惧感でもいいということは注意義務の範囲をきわめて拡げて理解するもの。これは、公害などの企業災害には威力を発揮するが基本的に落ち度がある行為をしてしまうと注意義務が発生してしまい刑事過失の成立を無限に認めてしまうという危険性がある。

 

3.交通事故の過失

 ここで授業中にでてきた問題と取り上げていこうと思う。まず、交通事故での過失についてだ。交通事故で相手に損害を負わせる行為は不法行為になる。被害者は、民法709条を根拠に損害賠償を請求することができる。民法709条には「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と規定されている。この責任を一般不法行為責任という。交通事故の場合の故意とは一定の結果が発生することを意図し、又は少なくともそうした結果が発生することを認識ないし予見しながら行為をするという心理状態をいい、また過失は結果発生防止のために必要・十分な注意を尽くさなかった場合をいい、注意義務の内容は、予見すべきであった被害を予見しなかったこと、あるいは回避すべきであった被害を回避しなかったこと場合を指す。一般不法行為責任が認められるためには、故意、過失による、違法な行為が存在し、損害が発生し、その行為と損害との間に因果関係が存在することが必要です。また、条文に明記はないが、加害者に責任能力があることも要件の一つになる(民法712条、同法713条)。これら故意・過失や因果関係の証明責任は、被害者側に求められている。

 ここで様々な具体例をあげようと思う。]さんがわき見運転してしまったところ、歩行者Yさんをひいてしまった。この場合、]さんの不注意(過失)により相手に怪我(侵害)を負わせてしまったといえる。一般道路において法定速度を超過し、突然歩行者が飛び出してきた場合に対処することができないことを認識し、それでもいいと思いながら、横断歩道上のYさんをはねた場合。この場合は、故意により他人の身体を侵害したといえる。

 次の具体例は未成年の8歳の少年が自動車で運転をして通行人にぶつかって怪我をさせた場合である。この場合は、民法714条による責任無能力者等の監督者の責任である。これは責任無能力者が加害行為をした場合、その責任無能力者の監督義務者及び代理監督者が、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負うものである。この例題の場合、責任無能力者は8歳の少年であり、損害を賠償する責任を負う監督義務者は少年の両親になる。ただし、監督義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでないと規定されている(民法714条1項、2項)。

 

4.男女の過失

 刑法の原則として13歳以上になれば、同意の上で性行為ができる。刑法177条によると13歳以上の女性との性交は、同意があれば適法であり、13歳以上の女性でも、同意なく性交した場合、相手方は強姦罪として処罰(3年以上20年以下の懲役)される。同意のない性行為の代表は暴力や脅迫によるものだが、それ以外に、薬物を使用したり、泥酔させたりした上での性交も強姦となる。これは、女性の性的自由を守るためとされている。そんな中、児童福祉法と淫行条例というものがある。児童福祉法では、児童に淫行をさせることを禁止し、児童の保護者が児童に性行為をさせることを禁止したものである。しかし、この規定だと児童が保護者に内緒で性行為をした場合に、性行為の相手方を処罰出来ないことになる。援助交際が社会問題化したとき、援助交際をした成人男性を処罰することができないのはおかしいのではないかと議論になり、そこで地方自治体が淫行条例を制定することになった。淫行条例とは、青少年保護育成条例の一部の規制の通称であり、条例というところから各地方公共団体がそれぞれ制定しているものであり、全国の都道府県が制定している。規制の内容としては、青少年の深夜外出の制限、深夜営業施設への立ち入り制限、有害図書販売の禁止、有害がん具(大人のおもちゃやバタフライナイフ等)の販売禁止、青少年が着用した下着の買受の禁止、青少年とのみだらな性行為(一般に淫行という)の禁止等があげられる。そのなかでみだらな性行為を規制する条文(淫行処罰規定)が通称「淫行条例」と呼ばれている。授業中に感じたのは、淫行条例の曖昧さである。各都道府県で異なる淫行条例であるが、ほとんどが「淫行(みだらな行為)」と「わいせつな行為」を禁止している。淫行の定義の判例には「青少年を誘惑し、威迫し、欺罔し又は困惑させる等その心身の未成熟に乗じた不当な手段により行う性交又は性交類似行為のほか、青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱っているとしか認められないような性交又は性交類似行為をいうものと解するのが相当である」(福岡県青少年保護育成条例違反被告事件 最高裁判所大法廷判決 昭和601023日)とある。この判例にある「性交類似行為」とは、「異性間の性交とその態様を同じくする状況下」における、「性交を模して行われる手淫・口淫行為、同性愛行為など」「実質的に見て性交と同視し得る態様における性的な行為」と説明されている。性交をしていなくても、18歳未満の女子に対し「乳房、性器を弄ぶ」「性器に陰茎を押し当てる」などの行為をすれば、性交類似行為とみなされるという。言ってしまえば相手に直接接触しない限り、淫行になることはないが、逆に言えば18歳未満の女子に直接接触してしまうと淫行になる可能性があるということである。

 淫行条例の罰則として、2年以下の懲役または10万円以下の罰金に処される。

 例を出すと、]男は22歳である。]男はネットで知り合ったY子と会うことになった。Y子はプロフィールに18歳と記載していた。2人は会ったときに性行為をした。後々になって]男はY子が16歳であることを知った。この場合]男は罪に問われるかが問題である。この例の場合、金銭のやり取りはないので18歳以上であれば無罪であるがY子は実際17歳であるのでみだらな性交だと判断され淫行条例違反になってしまうのである。しかし、]男は当時実際の年齢を知らず過失がない。これは事実の錯誤である。判例では、ネットで女性の年齢が18歳以上であると確認しただけでは過失にはならないとしている。淫行条例での処罰には、淫行当時に相手方が青少年であることについて知っている必要がある。無過失の場合に処罰しない旨の規定がある条例では、知らないことにつき過失がなければ処罰できない。

 

5.医療の過失と国家賠償

 国家補償をめぐる問題として国家賠償と損失補償の谷間について国家賠償と損失補償の谷間とは、違法無過失な行為に基づいて損害が発生した場合である。つまり、違法であっても無過失な行為に基づいて損害が発生した場合には、過失責任主義を採る国家賠償の対象にはできない。また、財産上の損失ではないため、損失補償の対象にもできない。なぜこれを説明したかというと、この問題は予防接種に伴い服作用が発生した者の救済をどうするのか検討されてきたのである。具体的には予防接種の場合には、接種に当たり禁忌者かどうかを区別する点に、実施者に高度な注意義務を課す。そして、この義務に違反していないか、義務違反がなくても副作用が発生する者であったかのいずれかを証明できない限り、過失を推定することにした。その上で、禁忌者か否かを見抜くのに必要な措置をとる義務を組織の長である厚生労働大臣に負わせることで、国家賠償請求が成立することを認めるとした。

 行政法で見かける「予防接種禍事件」がある。この事件は私たちの生命を守るために行われる予防接種が逆に生命を脅かすものとなってしまった事件である。この予防接種を受けさせた子供の中に重い後遺症が発生したケースが出てしまったのである。予防接種は国が医師に依頼をして受けさせたため、国家賠償法1条による救済が行われるのではないかと考えるが1条は故意または過失が必要であり、予防接種をした医者に何らかの落ち度がないとならない。しかし、このケースで落ち度があったかというと、客観的には認めづらい。事前に問診をし、医者は予防接種による弊害が出ないように努めていたとなると、その医者に故意は勿論、事前にできること、やるべきことをやったにも関わらず予防接種で後遺症がでてしまった場合は医者に過失あったとするには難しく、国に代理責任を負わせるのも困難なのである。最高裁では、「結果的に予防接種を受けた子供が後遺症等の症状を発したら、その子は禁忌者であったと推定される」としている。要は禁忌者、つまり予防接種を打ってはいけなかった子に予防接種を打ったのだから、医者に過失が認められる。という。要は予防接種を打って、何らかの後遺症が出るか出ないかの結果のみで医者の過失責任の認定がされる。この場合は国が賠償責任を負うことになる。予防接種法には、「健康被害について賠償責任が生じた場合であっても、その責任は市町村、都 道府県又は国が負うものであり、当該医師は故意又は重大な過失がない限り、責任を問われるものではない」と規定されており、国家賠償法1条にも損害賠償責任の有無について規定されている。

 

6.物権の過失

 物権法の基本原則には公信の原則公示の原則が存在する。公信の原則 公示がある以上、物権変動もあるであろうという信頼(積極的信頼)の保護を図ることで、公示の原則は公示がない以上、物権変動がないであろうという信頼(消極的信頼)の保護を図ることをいう。このふたつの違いは公示の原則が適用される場面では権利があるのと、公信の原則が適用される場面では権利がないところである。公示の原則には民法177条、公信の原則には192条につながりがある。公信の原則の簡単な例をあげると、]さんが持っているカバンだから、]さんのものだと思って買ったのに、実はYさんのものであった。この場合は、動産の占有に公信力が与えられており、すなわち、即時取得という制度によって、動産の占有を信頼して取引した者の保護が図られている。]さんにカバンの所有権あると思ったが実はなかったとしても安心して円滑に取引できるのである。これが192条の即時取得につながるのである。また、公示の原則は排他的な権利の変動は,占有・登記・登録など他人から認識され得る表象(公示方法)を備えなければ,完全な効力を生じないとする法律上の原則であり、とくに不動産の所有権の移転や抵当権の設定のような物権の変動は、物権が物の支配を内容とする強力な権利であり、しかも取引の前提となる権利であるから、これを公示すべきものとされ、民法は、不動産登記法の定めるところにより、これを登記しないと第三者に対抗することができないとしている(民法177条)。ほかに、指名債権の譲渡(民法467条)、婚姻の届出(民法739条)、会社の設立の登記(会社法49条)、手形上の権利の移転(手形言えば公示の原則は不動産で登記制度があり、公信の原則は動産で登記制度がないのである。

 

7. 物権変動の対抗要件

第三者が「悪意」であっても保護される。その要件には「善意」「善意無過失」「善意無重過失」がある。例えば虚偽表示の第三者については「善意」であれば保護される。また表見代理の第三者については「善意」だけでは保護されず、「善意無過失」でなければ保護さでは保護されないがかといって「無過失」までは要求されない。本来債権っていうのは、譲渡できるのが大原則であるはずなのに、当事者(特に「債務者」)のわがままで債権譲渡禁止の特約をしたわけだから、「第三者」は、重大な過失がなければよいということである。そのため、「第三者」は「善意無重過失」であれば保護される。

善意について、善意無過失と善意有過失がある。善意とはある事実を知らないことである。例えば、「その人は知らなかったかもしれないけれど注意をしていれば知ることができた場合」つまり知らなかったけど過失(不注意)がある場合、これを善意有過失という。具体例をあげれば19歳の少年が居酒屋にいった。お酒は20歳にならないと飲めないが、居酒屋の店長は少年が19歳だと知らずお酒を提供してしまった。この場合店長は知らなかったので善意になる。しかしちゃんとした確認などをしていればよかったわけであるから店長には過失が有ったということになる。したがってこの場合の店長は『善意有過失』となる。これに対してその人は知らなくて、注意をしても知ることができなかった場合つまり知らないし、過失(不注意)が無い場合はこれを『善意無過失』と言う。居酒屋の店長が少年の年齢を確認したところ20歳と記載されていたが、それは少年が偽造したもので普通にみても偽物だとはわからない。この場合店長は少年が19歳であることを知らないので善意になる。またちゃんと確認もしているから過失はないことになる。したがってこの場合の店長は「善意無過失」になる。

表見代理もまた相手方が善意無過失であれば有効になる。表見代理が成立する要件として、代理権授与の表示による表見代理109条) 権限外の行為の表見代理110条) 代理権消滅後の表見代理112条)の3つがある。このいずれの場合にも相手方が代理権の不存在について善意無過失であることが要件とされる。代理権授与の表示による表見代理は、たとえば]が土地の売却の代理権をYに与えようとしていて、与えた旨をZに通知していたけれども、まだYに代理権を授与していなかったとする。しかしY]の代理人を名乗り、善意無過失Zに問いを売った場合には]Z間の契約が成立する、といった場合を指す。権限外の行為の表見代理は、代理権を持つ代理人が権限外の行為をしたとしても、相手方がそのような権限であると信じてしまう正当な理由があれば(善意無過失)、契約は有効に成立したと主張することが可能であるということ。代理権消滅後の表見代理は、代理人の代理権が消滅しているにも関わらず、元代理人が代理行為をした場合、相手方がその消滅を知らず、また知らないことに過失がない善意無過失ならば、契約は有効だと主張出来ることをいう。表見代理の効果としては3つとも同じである。相手方が表見代理の成立を主張して本人に対して履行の請求をしてきた場合、相手方の主張が認められたときは、本人は代理行為の効果が自己に帰属することを拒むことができない。しかし、その反面、相手方に対する権利をも取得する。すなわち、代理権が存在した場合と同様の効果が生じる。表見代理が成立する場合に無権代理人の責任を追及することができるかという問題があり、無権代理人の責任を表見代理が成立しない場合の補充的な責任であるとする見解(補充的責任説)と、両者はたがいに独立した責任追及の手段であるから、相手方はどちらの手段によるかを選択できるとする見解(選択責任説)とがある。

 

終論

 以上のことから過失とは法律においてなくてはならない事項であると考える。刑法においても民法においても過失は重要事項でありまた、行政法においても重要な事柄であることがわかる。現在の法律にはすでに過失について規定されているため、過失があるのかないのかで罪の重さは変わってくることがわかるが、もし法律に過失の規定がなかった場合故意または過失がない事件を起こした者にとってはいまの法律より重い罪に問われると考えるのでそのあたりは公平ではないと考える。私の地元はほとんどの人が車で移動している。車が欠かせないのである。車が多いということは交通事故に気を付けなければならないのだ。過失のない交通事故を起こしてしまうと自分で示談しなくてはならないから誰もが過失について知っておく必要があると思う。法律は私たちにとって遠い存在ではなく、知っておいて損はないほど身近にあるのである。

 

以上

 

参考文献

 

基礎教養演習授業ノート

警察官のためのわかりやすい刑法 佐々木知子

青少年保護育成条例違反・淫行で逮捕〜不起訴のために〜

https://izumi-keiji.jp/column/law/hogo-ikusei-jorei

旧過失犯論と新過失犯論の違いって何ですか?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1228043882

予防接種健康被害救済制度について

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001n6b1-att/2r9852000001n8b1.pdf

予防接種健康被害救済制度について

http://www.行政書士試験講師ブログ.net/?p=1553

表見代理と無権代理のどちらで物事を進めるかは、善意無過失の相手方に判断が委ねられる

https://www.shikaku-square.com/takken/minpo1_contents14

公示の原則・公信の原則の混乱

https://www.shikaku-square.com/magazine/gyoseisyoshi/2015/02/10/post-541/

民法177条の第三者の範囲(2)〜背信的悪意者からの転得者

http://knyume.muse.weblife.me/wlwp1/archives/2716

 

 

 

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馬田裕也

テーマ 過失

学籍番号16j118009 馬田裕也

 

キーワード 結果予見義務淫行条例新過失論予防接種違法無過失公信の原則善意無過失表見代理公示の原則証明責任

結論:過失とは犯罪のボーダーライン

1.過失とは、注意義務に違反する状態や不注意をいう。特に民事責任あるいは刑事責任の成立要件としては、違法な結果を認識・予見することができたにもかかわらず、注意を怠って認識・予見しなかった心理状態、あるいは結果の回避が可能だったにもかかわらず、回避するための行為を怠ったことをいう。違法無過失、不注意と故意のボーダーラインはどこであるのだろうか、従来故意と並ぶ責任要素とされてきた過失を違法要素,さらには構成要件要素でもあるとし,違法要素としての過失を客観的注意義務の違反として説明する刑法理論。客観的注意義務は,結果予見義務と結果回避義務とから成るが,新過失論は後者を重視し,必要かつ適切な行動をとらなかったことが過失であるとする。従来の過失論が予見義務を中心に考えるのに対し,たとえば自動車を運転する者にとってはなんらかの事故は予見可能であり、それをすべて処罰すると社会生活は停止してしまうと批判したものである。過失とは,結果の発生することを知るべきでありながら,不注意のためそれを知りえないで、ある行為をする心理状態をいう。このような過失の説明は,注意義務違反としての過失を予見義務違反として理解するものである。これに対して、予見義務は,本来,結果回避のためのものであるから,過失は結果回避義務の違反である。旧過失論と新過失論のちがいって何だろう結果回避義務を重視した新過失は、過失の本質をして結果回避義務を重視し、違法性の段階でその行為に結果回避義務違反があったかを客観的に判断することになります。例えば、医者の医療行為で何らかの失敗があったとしても、それがきちんと手順を踏んだ上での不慮の事故だった、という場合には、医者には結果予見義務違反は認められるかもしれませんが、結果回避義務違反は認められません。予防接種はこの場合どうなるのか予防接種事故が起こると,実施者側について刑事責任や民事責任、損害賠償などいった法的責任が問題にされる.刑事責任は業務上過失致死傷罪(刑法211条)の問題であり,民事責任は不法行為(民法709条国家賠償法1条)の問題である。

現行法制は「過失なければ責任なし」という過失責任主義をとっているので,予防接種事故がすべて直接このような法的責任の対象となるものではない.偶発事故,不可抗力事故については法的責任は問題にされない.法的責任が負わされる予防接種事故は,予防接種過誤の場合である.すなわち,過失ある予防接種事故が起こったときに,過失を犯した予防接種実施者,たとえば医師とか保健師とか看護師,あるいは予防接種実施主体者,たとえば国とか市町村とか,これら加害者側について問題にされるのである。公信の原則とは一定の法律関係や事実関係の存在を推測させるような外形(公示),たとえば登記,登録,占有などを信頼した第三者がいる場合には,たとえその外形(公示)が真実の関係に合致しない場合でも,取り引きの安全をはかるために,その第三者の信頼を保護して,真実の関係があったのと同様に取り扱おうとする原則。たとえば,Aが所有する動産を Bに預けておいたところ,Bが自己の所有物であるとしてこれを Cに売った場合に,Cが,Bが占有しているのだから Bが所有者だと信じ,かつそう信じることについて過失がなかったときは,Cは,Bが無権利者であるにもかかわらず,その動産の権利を取得できるものとされる(民法192即時取得)。すなわち,公信の原則は,取り引きの安全をはかるため,無権利者からの譲受人を保護する制度である。このように民法は,動産については公信の原則を採用するが,不動産については採用しない。不動産は概して高価で,取り引きの安全よりも真の所有者の保護が必要であることや,不動産は有限で権利関係の調査がしやすいことなどがその理由である。

これは、売買契約の過失や登記等の譲渡にも関わってくる重大なテーマであり、実際には存在しない権利が外形的には存在するようにみえる場合、その外形を信頼して取引した者を保護する原則。動産の即時取得や有価証券などについて適用されるが、不動産には原則として認められない。

公示の原則一定の法律関係や事実関係の存否については,常に外部から認識しうるなんらかの外形、たとえば登記,登録,占有などを伴うことを必要とし、もしこれを欠くときは,このような法律関係や事実関係の存否を第三者に対して主張できないとする原則。すなわち,実体的には権利があるにもかかわらず,公示がないために、その権利の存在は否定される。公示の不存の効果として,このような法律関係ないし事実関係の存立がすべて否定される場合と、

当事者間では有効に存立するものとして取り扱われるが,第三者に対する関係では存立が否定されうる場合とがある。前者の場合に、公示は、法律関係ないし事実関係の成立ないし有効要件となり、後者の場合は対抗要件となるといわれる。

2、淫行条例と過失

淫行条例とは俗に言う不純異性交遊なのだろうか、少し調べてみよう

淫行条例は、日本の地方自治体の定める青少年保護育成条例の中にある、青少年(既婚者を除く18歳未満の男女)との「淫行」「みだらな性行為」「わいせつな行為」「みだらな性交」また「前項の行為を教え・見せる行為」などを規制する条文だ、先生と授業でみだらな性交とはなどと話したが、どう結び付くのだろうある判例がでてきたこれを見ながら考えてみよう

児童福祉法違反被告事件に対する控訴

原判決が被告人両名に対して無罪の言渡をしたのは、右両名がF子の年齢を確知しなかつたことにつき、過失の責むべきものがないからというのであるから、その当否について案ずるに、本件記録並びに証拠によれば、被告人両名が右F子を使用するに際り、その年齢につき調査を為し、又は知り得た事実は次の通りである。即ち、同人はK子と称し、生年月日は昭和十一年一月十三日、本籍は秋田県○○○○○村と答え、時には女学校を出て居り、二十二歳といい、年齢確認の措置を執つたことを認めることができない。被告人両名はその答弁において、F子の親Gに対して、米穀通帳並びに移動証明書の提出を求めたが、その返答がなかつたと論ずるが、右は当審に至つて初めて主張したことであり、且何等の証拠もないので之を認めることはできない。

無罪を言い渡した過失の責むべきものがないからと言う理由である。女性側が年齢を詐称した場合や男性が聞いたにも関わらず答えないなど色々な状況はあるが、淫行条例で男性が罪に問われない場合もあることが分かった、私は調べるまで淫行に関することは男性側が一貫して悪いと思っていたが考え方が変わった。

3、善意とは良い考えという意味なのか、それは違う知らなかったという意味である善意無過失は嘘、偽りだとは知らなかったが、少し注意すればすぐわかる話だったなどだでは相手は冗談のつもりだったのに、うっかり信じてしまった場合はなどという場合は、本人にも落ち度があるので善意有過となる。少し理解するのに時間がかかりました。やはりこれにもボーダーラインの判別が難しと私は考えてしまった。

表見代理広義の無権代理のうち、無権代理人に代理権が存在するかのような外観を呈しているような事情があると認められる場合に、その外観を信頼した相手方を保護するため、有権代理と同様の法律上の効果を認める制度である。

代理権がないにもかかわらずあたかも代理権があるかのような外観を呈する場合,無権代理人が行なった代理行為は本来的には無権代理であるが,外観を信頼して取引した相手方を保護するために,代理権があったのと同じ責任を本人に負わせる制度。公信の原則に似た制度で,取引の安全を保護するものである。一般に無権代理人と本人との間に特定緊密な関係が存在し,相手方が代理人の地位を誤信するにつき無理からぬ事情が認められる場合には,表見代理が成立するといえる。民法はこの表見代理につき、本人が代理権を与えた旨を第三者に表示した場合、代理人がその権限をこえる代理行為をした場合代理人が代理権消滅後に代理行為をした場合を規定している。なお表見代理にあたる場合でも,相手方は無権代理人の責任を問うことができる。代理権のない者が代理人と称してなす行為のうち、その者と本人との間に特殊な関係があるために,本人について代理権が真実存在すると同様の効果を認める制度。証明責任は、誰にあるか裁判の前提となる事実について,証拠調べが行われたが,その事実があったかなかったかがわからない場合に,裁判を拒否することはできないので,これを可能にするためのルール,およびそのことによって当事者がうける敗訴の危険・不利益を証明責任という。従来は,この危険を避けるための当事者の立証活動に着目して,挙証責任または立証責任という言葉が使用されていたが,現在では真偽不明という結果に着目した証明責任という言葉が多く使われている。証明責任は、証明できなければ敗訴してしまうとういうものだった。

まとめ、今回のレポートで過失をいろいろな角度から調べ、判例なども読み医療と過失、売買契と過失や淫行、性行為と過失など過失と聞いたらまず自分は、交通事故を思い浮かべていましたが過失は不注意によって起こったことなので自分の身の周りでも起こり得るとういかいつ起こってもおかしくないと思いました。刑事でも民事でも起こるので身近に感じました。私は、淫行などの過失はとても関心がありました。痴漢の誤認逮捕等ありますが男性側の過失は認められないのかななどと考えたりしました。過失は故意と紙一重であり犯罪のボーダーラインとも思いました。ありがとうございました。

参考文献

Wikipedia

有斐閣6法

中江先生の授業

 

 

 

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