上野友斗

「移民と法学」

18j107010 上野友斗

 

1.総説

 「移民と法学」とは、移民政策によって生じる諸問題への法律的なアプローチを検討する試みである。そもそも法学とは、社会のなかで生じる問題に対し、法律を適用して解決を図り、正義を実現するものである。したがって、移民について法学の見地から諸問題を検討することが「移民と法学」の意味である。

 さて、平成30年の入管法改正により、日本は実質的に移民を認めることにしたといえる。人手不足等の理由から、移民の受け入れは必要であると考えられる。一方で、移民の受け入れにより、今までは生じなかった問題や、さほど重要視されていなかった問題が顕在化することが予想される。本稿においては、日本が移民を実質的に認めた先に何が問題となるのか、同時にその問題の解決の糸口はどこにあるのかを検討していく。とりわけ最大の論点は外国人の人権の問題であるから、人権問題への論説を中心に検討していく。

 次に、国際法と国内法について検討する。国際法規範の国内における妥当性については見解の分かれるところであるが、その解釈によって人権の保障範囲が伸縮することがあり、1つの論点である。

 

2.違憲審査基準

 まず、外国人の人権保障について検討する前に、違憲審査基準について論じることにする。違憲審査基準とは、法律の合憲性を裁判所が判定する際に用いられる基準である。

 違憲審査基準にはいくつかの考え方があり、まず、古い判例では、制限される人権と制限しない場合に得られる利益との比較によって判断される(*1)という比較衡量論が多く用いられた(全逓東京中郵事件 最大判昭和41年10月26日、博多駅事件 最大決昭和44年11月26日)。この立場をとると、個別の事情を斟酌し、妥当な結論を導くという点では有用と考えられる。しかし、単なる比較では裁判官の裁量が大きく、結局国の方が有利になりやすいといえよう。他方で、精神的自由と経済的自由では、精神的自由の方が立憲民主制の政治過程にとって不可欠の権利であるから、経済的自由よりも厳格な基準によって審査される、二重の基準論が通説・判例(小売市場事件 最大判昭和47年11月22日)である(*2)。

二重の基準論は精神的、経済的という人権の種類によってフィルターをかけて判断していると解されるが、その基準が適切かと言われると疑問が残る面もある。なぜなら、多く指摘される通り経済的自由に位置づけられながらも精神的自由の側面を有するものとその反対のケースのような、一概に精神的、経済的と区別しづらい態様のものも多いためである。

 そこで、欧州やカナダで用いられているドイツの三段階審査論を挙げることとする。三段階審査論とは、@保護領域、A制限、B正当化の三段階を踏んで審査するという理論である。この場合、単なる利益の比較とも取れる比較衡量論と異なり、3つのファクターを踏まえたうえで判断されることに加え、精神的自由と経済的自由での違いが最初に加味される二重の基準論と異なり、全ての権利が同一のスタートラインから個別的な事情を踏まえられて審査されるため、上記二説より妥当な結論を導けると考えられる。とりわけ、人権の種類で違憲審査の厳格さを変えるものでない(*3)点で通説・判例の立場である二重の基準論と峻別されよう。ただし、上記の説は全て公共の福祉と人権の関係について、一元的内在制約説に立っていることに留意しておく。

 続いて、細かな基準として、@最も厳しい厳格な審査基準、A厳格な合理性の審査基準(中間審査基準・LRA)、B合理性の審査基準に分かれる。どの基準で審査するかは人権の種類その他の様々な性質を考慮し判断されるところであり、一概に定式化することはできない。むしろ、表見代理の事案において、公法上の行為の代理権は民法110条の基本代理権にあたらないとした最判昭和39年4月2日(*4)のように、安易に大上段の原則を立てることでかえって複雑な解釈を要することがある。確かに、「せん動の類型は最も厳しい基準で審査すべき」というように、類型ごとに判例理論で定式化することも一つの考え方ではある。しかし、種々の紛争類型に対する柔軟な判断の見地からは、@〜Cのすべての選択肢を俎上に載せたうえで適切な判断を下すほうが望ましい。したがって、個別の事情を考慮しながら判断基準を選定すべきであるが、実際の判例でも煩雑かつ晦渋な部分を多く含んでおり、難解なところが多い。それゆえ、様々な解釈の余地があり、見解も分かれている。以上が違憲審査基準である。以降、憲法14条の平等権について、具体的な判例を挙げて検討していく。

 

3.平等権(憲法14条)の審査について

 次に、平等権(憲法14条)の違憲審査について検討する。外国人は様々な所で「差別」「平等」を訴えるが、そもそも平等とは何かということについて考える必要がある。そこで、前段で述べた違憲審査基準を前提に、個別の判例や法改正についての検討に加え、今後起こりうるケースを想定しながら見ていくことにする。

 @尊属殺重罰規定違憲判決(最大判昭和48年4月4日)では、尊属殺の重罰規定(刑法200条)が憲法14条に違反していると判事した。その際、尊属殺を加重する目的は合憲としつつ、極端に重い刑を課すという手段は許されないとした。当判決は目的と手段の合理性を審査したものといえる。しかし、問題は目的を合憲としたことにある。尊属殺が許されないと解釈するのは、「尊属への尊重報恩」という儒教的な身分秩序論が根底にあるものである。しかし、それを法規範としても解釈してよいとは言えないだろう。世俗化し中身が欠落している妄誕な儒教を信奉する中国人や、事大主義思想から儒教の精神を根底に持ち続ける朝鮮人等ならまだしも、このような発想のない外国人が仮に同じようなことに遭遇したとすれば、深刻な問題に発展する可能性がある。よって、尊属殺重罰規定のような、隠れたところで儒教思想等の不要な道徳観が入り込んでいる法規範や判例については再考が必要である。特に、過激な宗教思想を持つ移民者も入ってくる可能性があるため、道徳・宗教的な面においては中立であることが望ましい。もっとも、靖国参拝は国家機関の枢要な地位に立つ者の義務と解すべきである以上、むしろ積極的に行うべきであるが、私人間の法律問題については「道徳と法規範の在り方」について、宗教・民俗学的な側面からも検討する必要がある。

 A非嫡出子相続分規定違憲決定(最大決平成25年9月4日)では、民法900条4号但書が憲法14条に違反すると判事した。この決定により最大決平成7年7月5日が判例変更された。当決定の根拠(判断基準)は、立法裁量を鑑みつつ、区別の合理性がないということにあるとされた。当判決によって嫡出子と非嫡出子の「区別」は「差別」であると認められたことに大きな意義があると思われる。さらに、「区別の合理性」という審査を行ったことも、当たり前の思考過程ではあるが相当であると解される。

 B男女婚姻開始年齢の統一は、22年施行の民法改正で行われる。本改正は、社会、経済の進展によって男女の取り扱いを別個にする必要がなくなったためとしています(*5)。高校進学率の増加などの現況に鑑みれば、経済的な観点からしても本改正は合理的であると考えられる。

 C再婚禁止期間違憲判決(最大判平成27年12月16日)においても、民法733条1項の100日を超える部分が違憲とされた。これは、性別による制度の違いを合理的でないとしたものと考えられている。

 以上の重要判例の他にも、岩手銀行事件、サラリーマン税金訴訟、堀木訴訟、旭川市介護保険条例違憲判決、学生無年金障害者訴訟、東京都青年の家事件、アール・エフ・ラジオ日本事件など、平等、差別に関する判例は多いが、実際は同じ14条の中でも権利の性質で審査基準が変わり、その後に目的と手段を審査しているものと考えられる。例えば、人種に関しては厳格な基準で性別は厳格な合理性の基準と、ある程度その性質に応じて場合分けがされている。ゆえに、一見すると人権の態様によって的確な判断が下されるように見える。しかし、それ以前の問題として、司法権の限界という大きな壁が立ちはだかることも指摘しなければならない。

 

3.司法権の限界と憲法の私人間効力

 そもそも裁判所は、法律上の争訟を判断するものである(裁判所法3条1項)。逆に言えば、それ以外のことについては判断しない。例えば、板まんだら事件、蓮華寺事件、種徳寺事件、教覚寺事件、本門寺事件などでは、具体的な権利義務に関する争い以外の、宗教の教義などについては裁判所は判断しないとした。

 さらに、団体の内部規律に関する問題については司法権の審査が及ばないとされる(部分社会論)。具体的には、地方議会(最大判昭和35年10月19日)、大学自治(富山大学事件 最判昭和52年3月15日)、政党内部の問題(共産党袴田事件 最判昭和63年12月20日)でこの考え方が示されている。しかし、部分社会論については行き過ぎると危険な部分がある。例えば、団体の中で明らかな差別があった時にまで内部で解決すべしと判断された場合、裁判所の審査範囲が著しく狭まりかねない。よって、明らかに些末な内部の水掛け論争などは当然司法審査の範囲外とすべきであるが、そうだとしても、部分社会の法理はある程度限定的に適用すべきである。

 次に、特に大きな問題とされる統治行為と裁量行為について考える。まず、統治行為論とは、苫米地事件(最大判昭和35年6月8日)で示された、高度に政治的な判断には裁判所は立ち入らないとする理論である。これによりバカヤロー解散も合憲とされたが、疑問が残る点も多い。肥大化する行政国家から人権を守るため、解散権を制限するのが世界的動向(中江)とされる。日本においても、少なくとも「統治行為」の中に濫用・逸脱を審査する余地を含めるべきである。続いて裁量行為論とは、行政権においても基本的に行政権の判断が正しいと措定され、裁量行為に濫用・逸脱が無ければ合憲とされるという考え方である。この考え方の根底には、官僚が絶対的な存在であるとする哲学がある。しかし、古代中国の科挙制度に基づく官僚制は弊害の方が多く(石平)、その在り方について再検討せざるを得ない事件や問題が多発している。したがって、お上は絶対という理念が前提にある裁量行為論についても、再検討が必要といえよう。

 

4.外国人の人権保障

 次に、具体的な外国人の人権保障について検討する。全ての人権について個別に検討するところは他者に任せるとして、とりわけ問題となろう外国人の社会権について検討する。外国人の社会権について、塩見訴訟では、一言でいえば外国人の社会権は日本人と比べて劣後に扱ってよいとした。しかし、問題はその結論ではない。外国人の社会権を制限する理由として、立法裁量の範囲というところを根拠にしている。すなわち、外国人の社会権は統治行為論で司法権の審査の範囲外であるために制限されるということである。しかし、この論理はやや強引すぎると解さざるを得ない。したがって、外国人の人権を制限するという結論は否定すべきでないが、統治行為論で審査範囲外という理由で合憲と判断されるのは正義の観点から問題があるところである。解決策としては先述の通り、統治行為の中にも濫用・逸脱を判定する基準を設けるべきである。ちなみに、塩見訴訟の他にもゴドウィン事件、中野福祉事務所、在日生保、外国人参政権等の訴訟においても、裁量行為や統治行為で認められないケースが多い。

 中でも外国人の生活保護についてはセンシティブな問題である。外国人の生活保護については反射的利益という本質に入らないところで認めている状況である。現実問題としては、在日朝鮮人の生活保護の不正受給が大きな問題として取り上げられている。特に、実際は戦時中に募集に応じる形で出稼ぎ労働者として日本に入国し、または終戦直後や朝鮮戦争時にいわゆる「ドサクサ」で不法入国したにもかかわらず、徴用、強制連行されたなどと虚偽の主張をし、「人権」を振りかざす者が多く見られることなどから、外国人の生活保護については厳しい意見が根強い。さらに、出稼ぎの朝鮮人が戦後のドサクサで土地を不法占拠し、今も登記簿がない等の理由からそのまま占拠され続けているといった問題や、反日でしか国内の支持を取り付けられない事情から、従軍慰安婦や南京大虐殺といった虚構の歴史が繰り返し主張されている等の問題により、特に在日への目線は厳しくなっているという現状がある。しかし、移民の増加により、悪しき隣国を想定していた外国人への生活保護の在り方から転換しなければならない面もでてくると考えられる。特に、在日の不正受給などとは無関係の、本当に生活保護を必要としている人に支給されなければならない。しかし、海外においても、外国人の生活保護を認める国と認めない国が分かれているため、見解が分かれるところである。

 外国人参政権については認めるべきではない。特に、現在侵略国家の国民が北海道の土地を大量に購入し、実際に不法滞在も含めてかなり移住者が増えている状況にあることが指摘されている(日本会議の有識者ほか)。さらに、沖縄でも選挙前に中国の工作員やスパイが大量に住民票を移し、人口が増えるという現象が起こっている。今でもそのような工作により反日・左翼派の知事が誕生し、必要な辺野古の埋め立てが妨害されるといった影響が出ている。さらに、選挙権を外国人の移民にまで認めるとすると、合法的な日本への侵略が可能になると言っても過言ではない状況に陥る。したがって、地方参政権も含めて外国人参政権は認めるべきでない。

 

5.入管法改正と外国人の労働問題

 さらに、外国人の労働問題についても多くの論点を含むところである。労働問題は定住者の労働にかかわるため重要である。労働問題は先述の平等権(憲法14条)と憲法の私人間効力の関係で問題となるところである。日産自動車事件と三菱樹脂事件で、憲法は民法90条を介して私人間にも直接適用されると判示した。さらに、外国人の賃金差の問題には関係しない考えられるものの、丸子警報器事件においても同様に判示されている。

 それから、今回の入管法改正について詳しく見ていくことにする。そもそも現在の入管制度では、「悲風千里」(昭和57年、二葉百合子)の主人公のように、特別な事情があるが、日本人と同類とみなされる定住者と、特別な技術を持つ者が認められている。今回の改正は在留資格に特定技能1号及び特定技能2号という新たな枠組みを創設し、技能実習生という現在の制度を拡充するものである。特に、単純労働を認める点が大きな転換点と考えられている。これは、高齢化により認知症の患者が増加し、介護人材が不足している等の事情から認められたとされている。さらに、法務省の入国管理局が出入国在留管理庁という大きな一機関として独立した。これにより、日本語学校や登録支援機関の制度をより充実させ、より良い人材を確保できるようにすることを目指している。そのうえで、現在最も大きな争いとなっている国籍により給料に差をつけてよいかという問題を考えていく。

 まず、賃金は職務給と職能給に大別される。職務給とは、仕事の量で給料が決まるという制度である。他方で職能給とは、学歴や年齢によって給料に差をつける制度であり、電産型賃金体系と言われるものである。国籍で差をつけるということは、すなわち職能給的に考えるということを意味する。以上を前提に、国籍による給料の差の是非を論じていくことにする。なお、この分野は法改正の直後ゆえ未だ判例のないところであり、学会での議論を基礎に検討していることを付言しておく。まず、基本給については国籍による差があってよいとされている。他方で通勤手当や残業手当については当然国籍によって差があるのはおかしいと解される。以上は特に異論を差し挟む余地がないといえる。しかし、家族手当については見解が分かれる。これについては、手当である以上、本人の能力(国籍含む)によって差があるのはおかしいと解すのが通常人の思考であろう。一方で、外国人の場合は支払った手当が海外に流れることがあるため、手当を日本人と同額にする必要性が無いといった詭弁も見られ、それに対してグローバル化で日本企業が海外進出しているから、海外にお金が流れたとしてもそのような日本企業が儲かるため、やはり国籍による差を設けるべきでないといった再反論もある。しかし、そのような議論は全く本質から反れていると論駁せざるを得ない。そもそも、家族手当といえども実態は空洞化しており、日本人でもその手当を必ずしも家族のために使っているとはいえない。例えば買い物に使ったり、または原野を購入するために使う人もいるのであって、家族手当に用途やどこでそれがが使われるか、若しくは国籍など関係ないというべきである。しかしながら、財界や企業の立場としていえることは、外国人の方が家族の人数が多いため、正規雇用であれば雇用先の固定費、非正規であれば変動費など(細かな処理については会計学の分野のため立ち入らない)、いずれにせよ企業の負担が家族手当によって増えることが懸念されている。よって、企業側が「外国人は家族が多くて手当の支給が出費になるから、日本人よりも低くしたい」と考えるのは当然であり、裏側でそう思うのも仕方のないところであろう。反面、その主張を企業の我儘と解し、職務給的なものと決めると、今度は「手当が高くつくから結局外国人を雇用しない」となりかねず、落としどころの難しい問題である。しかし、特定技能2号では家族帯同も認められている以上、安定した世帯収入の確保という観点から職務給的に解し、国籍による差を認めないとすべきである。

 

6.国際法と国内法について

 国際法と国内法の優位性や国内における妥当根拠については、判例がない分野であるため、国内法の学者は国内法優位、国際法の学者は国際法優位などと自分勝手な主張をしていると指摘される(山村恒雄)が、条約が国内関係において妥当されるには、国内法に組み替えられる必要があると解される(*6)。よって、ILO憲章や世界人権宣言がそのまま判決に援用されることはないといえる。しかし、例えば同一労働同一賃金についてはILO憲章前文に規定されているが、それを働き方改革法で読み込んでいるため、当然に国内にも妥当する。また、世界人権宣言(A規約)7条にも同様の規定があり、これも読み込まれていると解される。つまり、法改正によって労基法等の国内法に組み替えられたところで国内にも妥当するものであり、実際に条約を背景にした訴訟が提起されることも想定されるだろう。ただし、逆に言えば条約は国内法に組み替えられた規定なしには国内関係には妥当しないと考えられる(もっとも条約自体に効力はある(白幡陽吉事件 東京地判昭和7年6月30日))。したがって、現状においては世界人権宣言(B規約)2条のとりわけ社会権的な要素については、特にこれが国内法において読み込まれているわけではない以上、国内に妥当していないと言わざるを得ないであろう。

 

7.総括

 以上、移民と法学というテーマで論考していくと、様々な論点を含むテーマであり、難解な問題も多い。その中で最も重要なことは、正義や幸福を追求するという観点で政策を考えることだと思われる。かつて世界は人権問題を国内問題と解していたが、最近では国際人権保障、すなわち世界全体の問題と解すべきという流れになっている。したがって、日本にも日本人の幸福だけではなく、世界的な正義・幸福を実現するよう努力することが求められている。それは、かつて大東亜戦争時に日本がアジア諸国を欧米列強から解放し、また、朝鮮や台湾などを近代化し、白人至上主義に立ち向かったように、国内の政策論争にとどまらず、諸外国に対しても積極的に正義・幸福の実現のため、責任を果たしていくべきであるといえよう。

 

8.出典

*1 芦部信喜=高橋和之『憲法〔第6版〕』104頁、

*2 同上

*3 工藤達朗ほか『憲法〔第5版〕』91頁、不庸書房、2014年

*4 内田貴『民法T〔第4版〕』194−195頁、東京大学出版会、2008年

*5 法務省http://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00238.html#4

*6 西村健一郎ほか『判例法学〔第5版〕』244頁、有斐閣、2014年

 

 

 

 

佐々木諒太

移民と法学

18J107020 佐々木諒太

 

キーワード

認知症国際人権保障外国人の社会権出入国在留管理庁定住者技能実習特定技能2同一労働同一賃金原則国籍基本給

 

以下本文

私はこの日本国に移民を受け入れることに賛成ではあるが、一部条件を付け加えたりするなど改正することが必要だと考える。

 

≪はじめに≫

私が移民受け入れに賛成な理由は以下である。

@高齢化が進む中で少なくなりつつある若い労働力の確保に繋がる。

A単純に労働者が増えることによって消費者も必然的に増えてくる、それに伴い経済活性化の促進がなされる。

B人口、労働力増加に伴う税収の確保。

C江戸時代、長く鎖国を行っていた日本は島国なことも相まって、外国の文化には閉鎖的で他国に比べて外国人との交流が少ない、その為移民の受け入れが多文化・多様化への足がかりとなる。

 

一方で、条件を付け加えるべきと判断する理由は以下である。

@移民増加によって税収も増えるが移民に使用する社会保障費の増大が心配される。

A外国人による犯罪率の上昇や騒音などの社会問題の増加。

B将来的な国内における日本人の割合減少。

 

《入国管理法の改正》

・改正の目的

昨今の日本は高齢化が進み超高齢社会に突入している。それに伴い認知症など介護が必要な人が増加し、介護する側の需要が高まっている。この状況を解決する方法として外国人労働者を受け入れるため。

・改正内容

新たな在留資格である「特定技能1号」「特定技能2号」の創設、入国管理局を前身とする出入国在留管理庁の設置

 

特定技能1号とは介護業や農業、漁業、宿泊業を含む全14業種での「相当程度の知識又は経験を必要とする技能」と認められる業務に従事するものである。1号と2号の大きな違いは、建設業、造船・舶用工業の2種業に限ってだが家族の帯同を認め在留期間の更新が可能になることである。しかし、1号取得後に別途定められた試験の合格が必要になってくる為、1号よりも資格習得が難しくなってくる。また、特定技能と技能実習とでは目的から大きく異なってくる。特定技能の目的は人手不足を補うことであり、対して技能実習は国際貢献が目的となっている。その為、特定技能では認められている単純労働が、技能実習では認められていない。

出入国在留管理庁とは日本における出入国管理、在留管理、外国人材の受け入れ、難民認定という外国人関連の行政事務を併せて管轄する法務省の外局である。

 

外国人の社会権

日本国憲法は、生存権(25条)、教育を受ける権利(26条)、勤労の権利(27条)、労働基本権(28条)という社会権を保障している。

外国人の社会権について過去に争われている。

 

・塩見訴訟

この訴訟は1934年に朝鮮人夫婦のもとに生まれたA(出生直後は日本国籍)が両目失明の障害を負い、1972年に障害者福祉年金の支給を求めた裁定請求を行ったが障害者認定日に外国籍だった(1952年のサンフランシスコ平和条約発効に伴い日本国籍を失い外国籍に)ことを理由に却下されたため却下処分取り消しを求めた訴訟である。

しかし、1980年大阪地裁、1984年大阪高裁ともにAの請求を退ける判決を下した。そこでAは最高裁に上告した。

(以下Wikipediaより引用)

198932日に最高裁は堀木訴訟の最高裁判決を引用して「福祉国家の理念に基づいた(憲法)25条は国の義務規定ではなく責務を宣言したに過ぎない。その趣旨を具体化するにあたっては国の財政事情等を無視できず、立法措置の選択は立法府の広い裁量にゆだねられている」「社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについて、国は特別の条約が無い限り、外交関係、国際情勢、国内の諸事情等に照らしながら政治的判断で決定できる。限られた財源で福祉的給付を行うにあたり、自国民を優先的に扱うことも許されるべきで合理性を欠くとはいえず、原告に対して障害福祉年金の支給をしないことは憲法25条の規定に違反するものではない」「憲法14条は法の下の平等を定めているが、合理的理由のない差別を禁止する趣旨であり、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り規定には違反せず、在留外国人を支給対象者から除くなど、日本国籍がある者とそうでない者との間の区別は憲法14条に違反しない」として上告を棄却し、敗訴が確定した。

 

以上の判決からわかる通り憲法25条は憲法14条の法の下の平等に反しておらず、外国人への社会保障の適用は差別ではなく区別だという結論を出している。

その為、今後日本へ移民してくる外国人にも何らかの差別にもあたるような区別がなされることと推測する。この区別によって訴訟なり社会問題が起こるのは避けて通れないであろう。

特定技能等の在留資格で日本に滞在している人に対し、永住権などを持つ定住者は社会保障を受けることができる。

国際連合では1948年に世界人権宣言が、66年には国際規約が採択された。国連は先住民や少数者、移民労働者の保護、反アパルトヘイト、女性の地位向上など国際人権保障に大きな役割を果たしてきた。

 

≪外国人の自由と権利≫

マクリーン事件

アメリカ合衆国国籍を有する原告ロナルド・アラン・マクリーンは、1969510日に在留資格(在留期間1年)の上陸許可の証印を受けて日本に入国した。同在留資格は他の資格に含まれない「その他すべて」を網羅するもので、許可の際に活動内容(目的・職種・勤務先等)が個別に指定されるところ、マクリーンはある語学学校の英語教師としての稼働許可を受けたが、17日間で入国管理事務所に届け出ることなく別の職場に勤務先を変更した。また、在留中にデモなどに参加した。翌1970年に1年間の在留期間更新の申請をしたところ、許可はなされたが活動内容は「出国準備期間」とされ、期間は120日間に短縮されたものであった。これを受け、マクリーンは在留期間1年を希望して再度の在留期間更新申請に及んだが、同再申請は不許可となった。

そこで、マクリーンはこの処分の取消しを求めて法務大臣を被告として提訴した。

一審では不許可処分を取り消したが二審では法務大臣の自由な裁量による判断を認め、一審の判決を取り消した。原告側はこれを不服として上告したが棄却された。

 

この裁判では外国人の入国の自由について争われたものである。

憲法221項(何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。)は、日本国内における居住・移転の自由を保障する旨を規定するにとどまり、外国人が我が国に入国することについては何ら規定してないものであり、このことは、国際習慣法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを当該国家が自由に決定することができるものとされていること、その考えを同じくするものと解されている。したがって、憲法上、外国人は、我が国に入国する自由を保障されているものではないことはもちろん、所論のように在留の権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されているものでもないと解すべきである。

この訴訟では無断転職と在留外国人による政治活動が在留期間更新の不許可事由となった。一審では現在の出入国管理及び難民認定法5111号ないし14号に準ずる事由がないとし、処分を取り消したが二審で法務大臣による自由裁量を認められ、その後処分が決定してしまった。

自由裁量は統治行為、部分社会論にならぶ裁量行為の一部でありこれらは司法が扱うことのできない領域「司法権の限界」にあたる。

ここで問題になってくるのが在留外国人による政治活動が認められるのかということである。原則として参政権はないが政治活動は認められている。例外的に、政治的意思決定やその実施に影響を及ぼす政治活動等は認められていない。外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、外国人在留制度の枠内で与えられているにすぎないとしている。つまり、日本国民のように憲法によって当たり前に保障された基本的人権ではなく、憲法より下位の出入国管理法によって定められた外国人在留制度の枠内、というわけだ。外国人在留制度は法務大臣が運用している、その為自由裁量となってしまうと何もできなくなってしまうのが現状である。

 

≪差別か、区別か、平等か≫

丸子警報器事件

女性の臨時社員は、女性の正社員と同じ組立てラインに配属されて、同じ仕事に従事していました。また、勤務時間と勤務日数も正社員と同じで、正社員と同じようにQCサークル活動にも参加していました。女性臨時社員は、正社員と同じ仕事をしているにもかかわらず、正社員と比べて、低い基本給が支給されていました。これは不当な賃金差別で、同一労働同一賃金原則に違反しているとして、正社員の賃金との差額の支払いを求めて、女性臨時社員が提訴しました。

この訴訟では“正社員”と“臨時社員”が比べられている。

判決の内容は、同一労働同一賃金原則について定められた法律はない。ただし、労働基準法第3条、第4条の規定は社会的身分や性による差別を禁止するものである。その根底には労働者は等しく報われなければならないという均等待遇の理念が存在している。同一労働同一賃金原則の基礎にある均等待遇の理念は、賃金格差の違法性の判断において、重要な判断要素として考慮されるべきである。そして、その理念に反する賃金格差は、会社の裁量の範囲を逸脱したものとして、公序良俗に違反する場合がある。臨時社員の提供する労働内容は、その外形面においても、会社への帰属意識という内面においても、同じ組立てラインで従事する正社員と同一である。

このような場合、会社は、一定年月以上勤務した臨時社員には、正社員となる途を用意するか、臨時社員の地位はそのままとしても、同一労働に従事させる以上は、正社員に準じた年功序列の賃金体系を設ける必要があった。しかし臨時社員のまま正社員との顕著な賃金格差を維持拡大しながら長期間雇用し続けたことは同一労働同一賃金原則の根底にある均等待遇の理念に違反する格差であり、公序良俗違反として違法となる。ただし、均等待遇の理念は抽象的なもので、均等に扱うための前提となる諸要素の判断に幅がある以上は、その幅の範囲内で待遇の差に会社の裁量を認めざるを得ない。したがって、女性臨時社員と女性正社員の賃金格差が全て違法となるものではない。最も重要な労働内容が同一であること、一定期間以上勤務した臨時社員には年功という要素も正社員と同様に考慮すべきであること、その他の事情に加えて、会社が賃金格差を正当化する事情を何ら主張立証していないこと等を考慮すると、女性臨時社員の賃金が、同じ勤続年数の女性正社員の8割以下となるときは、許容される賃金格差の範囲を越えて、公序良俗違反として違法となる。

同一労働同一賃金原則ILO(国際労働機関)の国際労働条約にて強く徹底するよう呼びかけられている。

 

日産自動車事件

原告女性Xが務めるA社がB社に吸収合併された、A社の定年年齢は男女ともに55歳だったが吸収合併された先であるB社は企業規則で男性が55歳で女性は50歳であった。その後50歳を迎えたXが退職を命じられたため男女で定年年齢が異なるのは違法だと主張し訴訟になったものである。

この訴訟では男女の差別について争われている。

一審二審とも男女別定年制は違法と判決を下したが、会社側が憲法14条、民法90条の解釈誤りを主張して上告、最高裁で争われた。

 

憲法14条【法の下の平等】すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない。

民法90条【公序良俗】公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は無効とする。

 

最高裁は会社側の上告を棄却した。女性Xにおける担当職種、勤続年数、労働能力、定年制の一般的現状等諸般の事情を検討した結果、女性の担当職務は相当広範囲にわたっていて、貢献度が高い。以上のことから女性を貢献力のない従業員と断定する根拠はなく、男女別定年制は性別のみによる不合理な差別として、民法90条違反により無効とした。

この裁判は会社という私人と、女性職員という私人同士の裁判である。その為、国と私人との裁判に当てはまる憲法は直接適用できない。よって憲法を民法第90条公序良俗の解釈をするのにとどまった。これを私人間効力の間接効力説という。その為判決では“違憲”ではなく“違法”となった。

 

≪まとめ≫

私は、移民を受け入れること自体は今の日本にとっていいことだと考える。税収が増えることによって社会保障費が確保できることが、今後さらに高齢者が増える日本の対策としてできることの一つである。しかしその社会保障費が増える外国人に対してばかり使われるとしたら税を納めている日本人は納得しないのではないか。これまでの判例では外国人にすべての権利が認められているわけではない、しかし実際に生活保護を受けている外国人もいる。移民が増える中で必ず社会保障などを巡って裁判が起こるであろう、その時差別、区別をつけていると暴動など起きかねない。今後、外国人の権利だけでなく日本人の安全を守るためにも現在の法律を見直す必要が大いにあると私は考える。

 

参考文献

https://chiikihyaku.jp/society/10068.html

中江章浩担当科目レポート試験提出要領 2016年 山田順也氏レポート

「憲法判例 第8版」有斐閣 編著 戸松秀典 初宿正典

私人間効力 Wikipedia 81日閲覧

「憲法 第6版」岩波新書 芦部信喜 高橋和之補訂

「民法基本判例集第3版補訂版」勁草書房 遠藤浩 川井健

 

 

 

野口萌々子

基礎教養演習Tのレポート課題を提出します。

確認よろしくお願いいたします。

 

「移民と法学」

18J107001 野口萌々子

≪結論≫

移民の受け入れに賛成であり日本に在住している外国人に対する人権や給料も日本人と同様にするべきだと考える。現代の日本社会の観点から将来、移民の数は増えていくと考える。

 

    はじめに

そもそもテーマである「移民」とはどのような人を指すのか。“移民”とは自由意思に基づき平和的に生活の場を外国に移し定住する人のことである。(コトバンク参照)確かに都内のコンビニエンスストアの店員、道路工事の労働者、老人ホームの介護スタッフなど外国人が多く働いている場面をよく見かける。現在の日本では少子化が進んでおり人手不足が問題となっている。実際、今年20歳となる私たちの世代は全国に約120万人、今年生まれてきた0歳の子供は約95万人と考えられている。そこで人手不足を解消するために外国人を受け入れるがそのことによって問題点も発生する。今の論点は外国人に対してどこまで認めるべきなのか。私の意見としては受け入れしたからには権利範囲や給料など日本人と同様にするべきだと考えたが関連する判例や受け入れるメリット・デメリットも交えて考えていきたい。

 

  外国人の人権

まず、人権について考えてみようと思う。人権とは人が生まれつき持ち、国家権力によって侵されない基本的な権利を指す。(Wikipedia参照)自由権など国ができる前から存在する前国家人権と社会権、参政権、出入国など国ができた後に国によって保障される後国家人権の2つに分けられる。私たち日本国民は当然のように保障されている権利であるが、人権が前国家的・前憲法的な性格を有するものであり国際人権保障において人権の国際化の傾向が顕著にみられることを考慮すれば外国人にも権利規定はすべて及ぶと考えるが現実そうともいかない。外国人に保障されない人権として外国人の参政権、外国人の社会権、外国人の入国の自由つまり後国家的人権である。ここでいくつか判例を挙げて考えようと思う。@マクリーン事件(最大判昭53/10/4)この事件では外国人との政治活動の自由が認められるかである。最高裁は政治活動において一部(政治的活動意思決定やその影響を及ぼす活動)を除いて保護されるとしたが、本件では法務大臣の違憲立法審査による裁量行為によって政治活動を理由に在留期間更新を拒否しても違法でないとされ更新は認められなかった。似たような判例としてA森川キャサリーン事件(4/11/16)があげられる。アメリカ国籍を持つキャサリーンが海外旅行のため再入国許可の申請をしたところ指紋押捺拒否を理由に申請が出来なかった事件である。本件で問題となるのは外国人に対する再入国の自由を認めるかである。最高裁は憲法222項を根拠として外国人の出国の自由を認めるがそのように解釈すると出国したからには当然帰国も必要とするので再入国の自由も保障される。しかし入国の自由と在留権を否認した判例によると外国人には「憲法上、外国へ一時旅行する自由を保障されているものではない」ことから再入国の自由は保障されないと説いている。B塩見訴訟(最判平1/3/2)この件では外国人の社会権がテーマとなっており社会権のなかで代表的なのが生存権(25)であり外国人にも生存権が認められるかが問題となる。幼少期に失明した塩見さんが国民年金法所定の障害福祉年金の受給資格を有するとして裁判請求したが、失明した時点で日本国籍を有していなかったことに請求が認められず、そのことによって過去の国籍を理由に国民の権利を否定するのは生存権や法の下の平等に反するとして訴訟を起こした事例である。最高裁は生存権を規定する25条の「健康で文化的な最低限度の生活」というのは極めて抽象的で相対的な概念でありこのような規定を具体化するには国の財政事情や多方面に渡る考察と政策的判断を必要とすることから具体化は立法府の広い裁量に委ねられているとして自国民を優先して支給対象者とすることは立法府の裁量の範囲に属する事柄であり不合理な差別に当たらないとし、請求は認められないとした。これらの判決において私見とは異なる点がいくつかある。マクリーン事件においてはマクリーンが行った政治活動は保障の例外、つまり政治的活動意思やその影響を及ぼす活動に該当するのか曖昧であるし政治活動を行うのは本人の自由であり、法務大臣が自分の裁量で決めてしまったことに対して納得がいかない。森川キャサリーン事件においては過去に再入国許可を得ていたにもかかわらず指紋押捺を拒否したことにより再入国が認められないのは過去の判断に反するし、指紋押捺くらいしなくてもいいのではと考えた。塩見訴訟においては生活が苦しいために障害福祉年金を請求したのであり、請求した時点で日本国籍を有していないからといって認められないのは差別に値すると考えられるし生存権の「最低限度の生活」に満たしていないことから請求を認めてもいいのではと思う。

 

   外国人の在留資格と出入国管理法の改正

次に外国人の在留資格について考えてみようと思う。外国人が日本に出国するにあたって必要なものとして国籍(passport)と在留資格(visa)が必要である。これは日本人が海外に行くときも同様である。国籍は出生時の国籍取得について親の国籍を継承する血統主義(Wikipedia参照)と親がどこの国の国民であろうと自国で生まれた子は自国民とする出生地主義(Wikipedia参照)2つの概念がある。在留資格は主に4つあり、@配偶者や日系ブラジル人、中国残留孤児にあたる定住者など身分に基づく資格、A仕事、医師、会計士、教授など特定な技能を持ち能力に基づく資格、B留学や技能実習など勉強を目的とした資格、C観光などその他に分けられる。以前まで専門的な知識や技能を必要としない単純労働を認めず、技能実習を例に取り上げ勉強に来ていることとして外国人を働かせていたが、最近では人手不足により認めざるを得ない状況になっている。20194月より出入国管理法が改正され、約35万人の外国人が入国し、それと同時に上記のAで挙げたものとは別で主に介護業や建設業など特定産業分野と呼ばれる特定技能の資格を持つ外国人に対して新しい在留資格が認められることとなった。出入国法管理法が改正されることにより、もともと法務省の内局に設置されていた入国管理局は外局になり出入国在留管理庁となった。外国人の受け入れ数が急増することによる不法滞在者らの取り締まりを行い、外国人が安心して生活・労働できる環境を整備する必要があるからである。新しく認められた特定技能には特定技能1号と特定技能22種類の在留資格がある。特定技能は技能実習と同様に1号、2号と分かれているが目的や認められている内容が全く異なる。技能実習は日本の技術を移転して経済発展していくことが目的の制度である為、転職や家族帯同は認められないが一方特定技能2は外国人労働者としての在留資格であることから転職や家族帯同は認められる。しかし家族とは配偶者や子を指し、親や親戚は含まないとされる。

 

  外国人に対する賃金差別

次に日本人労働者と外国人労働者に対して同じ仕事量であるのに給料に差をつけるのは認められるのかについて考えようと思う。まずは賃金の歴史や種類から考えることにする。給料の中には通勤手当、役職手当、家族手当などの各種手当の他に歩合給のように業績によって支払われる給料が含まれている。その中でも基本給は手当や歩合給を含まない基本となる部分を指し、基準は会社により様々である。最近の賃金制度は2つの考えに分けられる。1つは個人の学歴や能力・スキルを重視する職能給という考えで基本給も職能給に含まれており役職や勤続年数で判断されることが多く年功序列・終身雇用が基礎になっている。現代の日本は職能給を採用している。一方で、仕事の難易度や責任の度合いを重視する職務給という考えで職種や業務の専門性が重要とされ、成果主義・同一労働同一賃金原則の考えが基礎になっている。日本では導入されている企業は少なく欧米諸国で普及している。しかし、現在の日本では少子化の影響により、働き方改革が重視されている。働き方改革の基本となる考えが同一労働同一賃金原則であることから、今後の日本において職務給が重視されるようになると考えた。そこで本題に戻り例を1つあげるとする。例えば、老人ホームで同量の仕事を行う日本人Aとフィリピン人Bがいたとする。A20万円、B18万円の給料であるとするときこれは差別にあたるのか。対象が違うが似たような判例に丸子警報器事件(8/3/15)が挙げられる。同一の労働であるのに正規社員と非正規社員で給料が異なるのは同一労働同一賃金原則の公序良俗に違反するのかが問題となった事件である。判決では原告(ここでいう非正社員)の賃金が同じ労働数である正規社員の8割以下になるときは公序良俗に違反となると判断し、つまり正規:非正規が8:2までであれば認められるとした。確かに、アルバイトにおいても社員とアルバイトでは責任の重さなどから給料に差が生じてしまうことは考えられるので納得できる。では外国人の場合はどうだろうか。日本人と外国人に差をつけることは憲法14条の法の下の平等に反すると考えられることから賃金に差を設けるのは差別であると考えた。また日産自動車事件(56/3/24)において男性と女性によって定年退職年齢が異なることによる適法性が争われ民法90条公序良俗違反として無効とされた判例も同様に差別だと考えられる。また外国人労働者に対する手当のなかで家族手当が問題となっている。日本では高齢化が進み、認知症や障碍者に対する手当が多くかかることから外国人は日本人と比べて家族一世帯が多いため第三子まで家族手当を認めるなど具体的な範囲を明確に規定するべきだと考えた。

⒌まとめと私見

冒頭でも述べたように移民の受け入れに賛成であるし外国人に対して差をつけるべきではないと考える。移民を受け入れるメリットとして@高齢化社会からの脱出、A多文化・多様性の足掛かり、B企業に対する人件費削減などが考えられる一方デメリットとして@治安の悪化、A日本人割合の減少、B日本文化の変化が考えられる。確かにデメリットの考えも納得でき、日本政府は移民の受け入れに対して積極的ではない。しかし外国人留学生が日本の伝統文化を学び、継承していく事例も少なくない。現代の日本は高齢化社会であり働き手がいなくなるいうことも考えられるので移民の受け入れを行い人手不足を解消すべきだと思う。また外国人差別において私が外国で働く立場を想定しても、外国人であるからの理由だけで差をつけられることはよく思わないであろう。以上のことから移民の受け入れに賛成であり外国人に対して権利や賃金を同様にするべきだと考える。また人手不足を補うほかにもグローバル化の重視も考えられることからこれからの将来、移民の数はますます増加していくと考える。

 

 

≪参考文献、引用したサイト≫

・ポケット六法

・中江章治先生授業ノート

・勉強会ノート

・憲法第六版 芦部信喜

Wikipedia 認知症」・「国際人権保障」・「外国人の人権」・「生存権」・「出入国在留管理庁」・「出入国管理法」・「定住者」・「技能実習」・「特定技能1号」・「特定技能2」・「同一労働同一賃金原則」・「国籍」・「血統主義」・「出生主義」・「職能給」・「職務給」・「マクリーン事件」・「森川キャサリーン事件」・「日産自動車事件」

・コトバンク 「基本給

・リラックス法学部 「塩見訴訟」・「丸子警報器事件」

 

 

 

 

 

 

寳居俊之介

私は、移民の受け入れには反対だ。

<日本の現状>

  現代の日本は、少子超高齢化が非常に進んでおり、この先数十年で人口は急減し超高齢者ばかりの国になる可能性がある。また、医療技術の発展にともない、一昔前では救われなかった命も今の技術をもってすれば簡単に助かるようになっている。そうなると平均寿命もさらに伸び、認知症などの介護を必要とする高齢者の方も増えてくる。そうなってくると、歳でもう働けない、働くのが厳しい高齢者が増え、その介護などにも手をまわさなければならなくなり、どんどん人手不足は進んでいくだろう。人手不足を背景に外国人労働者が急増している。201712月の厚生労働省の発表では128万人を数え、過去最大となった。しかし、日本政府は「移民政策をとらない」と明言してきた。政府のこの主張は外国人の定住者を認めないということではない。実は大卒者、ホワイトカラーの分野について日本の外国人労働者の受け入れはアメリカよりもはるかに開かれている。日本人がアメリカの大学に留学し卒業してもアメリカの企業で働く労働ビザが出ないことはきわめてよく聞く話である。アメリカの就労はトランプ政権以前からも厳しく規制されていた。

一方、日本の場合はどうなのか。

日本の大学を卒業した外国人が国内で働こうとした場合、ほぼ問題なく就労可能なビザが発行される。日本の大学の卒業生ばかりではない。海外の大学の卒業者であっても、受け入れ先の企業が決まっており、求める職能にふさわしい学部の卒業生であれば日本では働くことが可能である。東京のビジネス街には、現実に何万人ものホワイトカラーの外国人が働いている。そして彼らは日本で10年間、継続して働けば永住権を得る資格を申請することもできる。また、現在、日本では外国人の社会権は保障されていない。しかし、社会保障上の施策は立法裁量に委ねられるので、法律で社会保障の対象を「国民」と明示して規定していない限りは、在留外国人は対応する法律に基づき社会保障も申請し、受けることができる。

では政府が主張してきた「移民政策をとらない」とは何を意味するのだろうか。それは、大卒者以外の外国人労働者の雇用を原則として認めず、またその結果、定住を認めないことを意味する。現場労働、いわゆる単純労働の分野の外国人の就労を認めないということである。そして、約200万人以上が日本に在留し人手不足から労働している。

日本は今、外国人労働者の受け入れ拡大を目指し、新たな在留資格を盛り込んだ出入国管理法改正案の提出を目指している。政府の骨子案では、この新たな在留資格では、介護、農業、建設、外食など14技能実習の分野において、「相当程度の知識または経験」を有する外国人労働者に、在留が最長5年の「特定技能1号」を付与。さらに、試験を受けたり、「熟練した技能」があると判断されたりすれば、「特定技能2」へとバージョンアップする。こちらは在留期限無制限で、家族の帯同も認めている。いろいろと難解なもの言いをしているが、世界ではこれを「移民政策」と呼ぶのが一般的だ。「移民」の法的定義はないが、国連も「移住の理由や法的地位に関係なく、定住国を変更した人々を国際移民とみなす」(国際連合広報センターHP)ことが一般的だと見解を示しているからだ。つまり、どういう言葉で取り繕おうとも、これは「移民政策」に他ならないのだ。

 

<移民政策のメリット・デメリット>

  現在の日本では移民受け入れという政策がないためであり、移民を受け入れるには国 民投票に匹敵するほどの慎重さが必要になってくる。

ではまず、移民政策のメリットは何なのか。日本が移民を受け入れるメリットとして最大の効果は税収だ。少子超高齢化が進む日本において、若い移民を受け入れることによって労働を供給し、税収は増え、GDP(国内総生産)も押し上げ、経済的にも活性化が見込める。日本の社会保険費は破綻寸前状態であり、財政も1,000兆円を超え世界でもトップクラスの財政赤字大国。移民の受け入れで労働により税収を確保することがメリットとなる。また、日本には約230万人の外国人が暮らし、3年前からは約25万人増加し日本の人口の1.8%にも上っている。国内に1年以上滞在する外国人は移民と定義されていて、すでに日本にとって外国人は不可欠な労働力となっており、移民がビザ(査証)終了後、退去させられれば経済的に大打撃となると予測される。そして、外国人を移民として受け入れることによって、日本企業にとっては人件費の削減効果もみられる。不法滞在者を重労働や長時間、安い賃金で労働してくれると言うメリットは大きいからだ。しかし、人には、人権というものがある。国際人権保障もあるように、国籍によって同じ仕事に対し、基本給が変わってくるというのはどうなのかと思う。いかなる理由であっても、同一労働同一賃金原則を尊重していくべきだと考える。

  また、日本に移民が入ることで治安が悪化することが一番の懸念とされるだろう。ヨーロッパでもアフリカ大陸や中東諸国から地中海を挟んでイタリアやギリシャなどに移民が移動し、治安の悪化が深刻な問題となっている。また、現在、日本への移民は高度で技術のある人材などが出入国残留管理庁のよって期間を限定され入国しているが、少子超高齢化を改善するには内閣府によれば毎年20万人の移民を受け入れれば日本の人口大幅減を回避できると試算している。ただ、その20万には技術もノウハウも何も持たず単純労働しかできない移民も数多く含まれると思う。このようになれば単純労働市場に門戸を開くことが必要となり、このことで日本人の雇用が圧迫される可能性が出てくる。日本は現在、企業において人手不足状態であり、その代変えとして移民を雇用すると、賃金は安くなるだろう。それは日本人労働者にも言えることで、同じ作業、労働をしてくれるのなら賃金が安い人を雇用するのが商売の鉄則。そうなってくると、経営が厳しくなった時に、同じ仕事をこなせる基本給の高い日本人と、低い外国人、どちらをリストラするか選ばなくてはならないとき、ほとんどが日本人をリストラするだろう。

私は、移民を受け入れることにより、治安の問題、抗争問題など、これまで日本が体験したことのない状況が出てくる可能性があるだろうと思う。また、現実的には、日本には不法労働者が働いているのも事実であり、すべて帰国させてしまえば経済が成り立たなくなるのは予測している。それに、日本は国土が狭く、75%が山間部で移住に適した面積はわずか32%。さらに日本は社会の安定を重視し、欧州で移民受け入れの実態を見て治安が悪化するという影響が大きいと考えている。

<外国の移民政策の成功例と失敗例>

シンガポールは唯一の移民が成功した国家とせれている。人口の約65%が外国人と言 われている。国土面積も小さく、資源に乏しいシンガポールの原動力は人材開発だった。

ちょうど経済が成長期に当たっていたシンガポールでは、労働力不足が慢性化していた。そのため、外国人労働者を積極的に受け入れていった。その結果、高い経済力を実現させ、その豊かさを国民も享受できたことから、移民政策も国民に受け入れられてきた。

一方ヨーロッパ各国では、移民と自国民との間でトラブルが絶えない。移民排斥運動に転じている国も多くある。最初の問題は、労働不足。若者たちが働く場所がないのに移民を入れたことで拍車がかかった。そのあとは、移民した中には、その国の慣習になじめず、犯罪に走るものが出てきたということ。その不満が一か所に集まることで、襲撃事件にまで発展してしまっている。自国での不満があちこちで、ふくらみ互いに憎しみ合うようにまでなってしまった。

 

<各国の移民制度>

ドイツは、第二次世界大戦後の労働力不足を補うため、移民政策を行った。ドイツに来た移民の多くは、貧しいポーランド人で大半を占めていた。そのため、人材を確保して経済的な発展を期待していたが、移民のほとんどが貧困だったために、移民にかかるお金の方が、高くついてしまった。また、近年のブルガリアとルーマニアからの急速な移民の増加で、住民との間で問題が頻繁に起きている。2010年には、メルケル首相は「多文化共生は失敗であった」と語った。

スイスの近代の形成に移民は大きな貢献をしてきた。スイスの移民は、フランスやドイツ、イタリアからの人がほとんどだった。第一次世界大戦後のことだ。移民たちは、ドイツ派とフランス派に分かれて緊張が高まったこともあった。その後、経済危機が訪れると、国をまとめるためには移民が障害になり、移民方が制定されたのだ。その移民法とは、「スイスには、一時的にしか滞在できない」と定めたものだ。そのあともいろいろな変遷があり、現在でも大量移民の流入は認めないとしながらも、スイスは移民の多い国の上位にランクインしているのが現実だ。

フランスは独特な歴史の中で現在に至っているため、移民を受け入れないという選択肢はなかったといる。そして、フランスは19世紀以来、多くの難民を受け入れてきた。

フランスの移民たちが、フランスに貢献してきた歴史がたくさんあり、フランス革命の父と呼ばれるジャン・ジャック・ルソーでさえスイス人なのだ。フランス革命の象徴は「自由、平等、博愛」。この平等には移民も含まれている。1980年には、ミッテラン大統領の元で国籍法が大きく改正された。血縁による国籍取得に加えて、フランスで生まれ、教育を受けた者は成人したら自動的に国籍を取ることが出来ると決まったのだ。しかし、失業率の高いフランスでは、これが原因の発端であるとみる人が多いのも確か。移民からフランス人になった人に、フランス人になったという気持ちが薄いのが問題ではないかとも考えられている。

 

<これらをふまえて>

  私は移民政策には反対だ。もちろん移民政策をすることによって、今の日本の税収の助けや、少子高齢化での人手不足の解消にもつながっていくかもしれない。しかし、そのメリット以上にデメリットが大きいと考える。もし、移民政策を取り入れていき一時的に良い効果が出たとして、その先はどうなるのか。日本が今上げている移民政策で特定技能2号を取得すれば日本に永住でき、家族も帯同が可能になる、というものがある。確かに、そのような制度を設ければ、日本は裕福で治安もよい国だし、たくさんの外国人が働きに来るだろう。そして、人手不足の解消にもつながっていく。しかし、すぐ先の未来でなく、私はその先の長い未来に目を向けていきたい。そうなると日本に永住する外国人は増え続けていくと思われる。それに現代は、人工知能も著しく進歩を遂げている。外国人も増え続け、AIでこなす仕事も増えてくれば、日本人の就職率はとても厳しいものになり、また、失業率も高くなってしまうと考えられる。そうなれば、前に述べたフランスのように、この移民政策が原因と考える国民も出てきてしまい、ヨーロッパのように移民と国民がぶつかりあうかもしれない。そのようなことになるのを防ぐ意味も込めて、私は移民政策に反対だ。

 

<参考文献>

https://minnkane.com/news/3846#part-60a2d8344642fcde

 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55905

https://diamond.jp/articles/-/183282

 

 

 

 

 

吉岡広貴

中江先生

 

夜分に失礼致します。

帝京大学法学部法律学科 吉岡広貴と申します。

 

基礎教養演習の試験レポートを、本メール本文に記載して提出致します。

 

よろしくお願い致します。

 

 

「移民と法学」

私は、20194月の入管法改正による、事実上の「移民」を認める政策に反対である。

 

1.       はじめに

 入管法改正について反対であると考えた理由は以下の通りである。

@      特定技能2で認められる家族帯同は、日本の年金制度や、企業が支払う家族手当などの面で、問題を起こす原因となりうること。

A      定住者とは異なること、特定技能2号では転職が認められている点からして、特定技能2号のビザをもって入国した者の生活が安定しない可能性があること。

B      国民の就職活動に少なからず影響をあたえること。

C      多数の外国人の流入による、治安悪化の可能性。様々な国籍の人々が押し寄せることになり、文化などの違いから、日本国民や他の外国人と抗争に発展するおそれもあること。

 

2.       日本の国内問題

昨今の日本国が直面している最も大きな課題の1つとして、急激な少子高齢化の進行による人口減少があげられる。高齢化の進行は、社会保障費の増大を招来する。そして、これに少子化が組み合わさることにより、国民一人あたりの負担が増税や、年金負担の増大という形になって国民生活を圧迫することになる。

日本の高齢者に関して、国家・家庭様々な面で問題となるのが、認知症の問題だ。厚生労働省の発表によれば、2025年には、65歳以上の人の3人に1人が認知症となることが予想されている。認知症は、ただ物忘れがひどくなるだとか、そのような程度で済む話ではない。パーキンソン病など、身体の自由に関わるような重度な難病にも、合併症のような形でかかり、要介護者として、ヘルパーなしで生きることができなくなってしまう者が多いのだ。ヘルパーの数も、現状では不足している。これは、社会保障費の増大に直結する。このまま社会保障費が増え続けては社会保障のシステムそのものの崩壊をも招きかねない。ただ税金を増やし続けたりするだけでは、ただでさえ数が少なくなる一方の、若年層の負担が増え続けるだけである。これは経済活動の低迷に直結する。

ここで、この問題を一定程度解決する可能性が見いだせるのが、今年4月の入管法改正である。

 

3.       特定技能2

 20194月に入国管理法が改正され、法務省の内部部局であった入国管理局が、出入国在留管理庁という外局になった。これまでの入国管理局との違いは、入国管理業務だけでなく、入国後の外国人労働者の在留管理や生活支援を行う点である。また、新しく「特定技能1号」「特定技能2」の在留資格が創設された。言ってしまえば、これは人手不足解消のためである。受け入れ国も原則自由となる点も、受け入れ15カ国に制限され、目的も国際貢献であった技能実習ビザとは大きく異なる点である。特に話題となっているのは、特定技能2号である。特定技能2号は、特定産業分野(建設、造船・舶用工業)に属する熟練した技能を要する業務に従事する外国人向けの在留資格である。在留期間は3年で、1年または6ヶ月ごとの更新を必要とする。技能水準は試験等で確認されるが、日本語能力水準は、特に試験による考査などはない。受け入れ機関または登録支援機関による支援の対象外である。そして今回の話題となる点、家族の帯同が要件を満たせば配偶者と子に限り、可能になっている。

 これは、事実上の「移民」を認める政策である。従来の技能実習ビザで、労働に従事する者も見られたがそもそもの目的が違うし、その性質上、家族の帯同は認められていない。

 冒頭で述べたとおり、私は今回の入管法改正に反対である。ここまでの内容から、入管法改正による問題点など、反対する理由を述べていきたい。

 まず、家族の帯同が許可される点は非常に問題があると私は考える。特定技能2号のビザを取得した者は、一定の要件を満たせば配偶者・子に限り家族を帯同することが可能である。これにより帯同する家族は「家族滞在」のビザをもって、国内で生活することになる。ここで問題なのは、これら家族はあくまで「帯同」であって、「就労」するわけではない。特定技能2号をもって、日本国内で就労するものは当然企業から給与をうけることになる。給与と一口にいっても様々な種類がある。職能給である基本給、職務給的な通勤手当・残業手当・家族手当である。家族手当は与えてよいものなのだろうか。そもそも就労するわけでもない、日本にとっても企業にとっても、何のメリットもない外国人労働者の家族に金銭を給付する必要性を、私はあまり感じられない。

 外国人と日本人で基本給に差をつけるのはいかがなものかと議論されることがある。私は差があってもよいと考える。

 

4.       同一労働同一賃金原則

 同一労働同一賃金原則とは、同じ仕事に就いている限り、正規雇用労働者であるか、非正規雇用労働者であるかを問わず、同一の賃金を支給するという考え方である。これについては労働関係法において一定のルールがあるが、必ずしもこれが達成されているとは、御世辞にも言えない。私の身の回りを見ても、現状の日本では、正規雇用労働者と非正規雇用労働者が同じ労働をしても、全く異なる賃金であることを実感する。

 これを外国人が来たからといって、いきなり「一緒にしよう」など、無理な話である。自国民である日本人と外国人の給与は多少違ってもよいと私は考える。決して国籍の違いによる差別的な意味ではない。結局、日本は日本人の国なのである。特に技能実習2では、日本語能力水準を試験等で確認しない。言語など様々な観点からしても、日本人が彼ら外国人労働者をサポートしなければならない場面は、必然的に多くなるであろう。サポートされる必要があるということは、自然に業務効率も低下することが考えられる。日本人のサポートがあって、業務が成り立っているのにもかかわらず、給与が同じでは、少なからず国民(日本人労働者)からの反発もあるだろう。

 

5.       平等権と国際人権保障

 給与が異なるのは、平等性に反するかもしれない。しかし、給与に差がある合理的理由には列挙にいとまがない。憲法第14条で、法の下の平等について明記されている。しかしこれは、あくまでも日本に国籍を置く国民に対してのものであって、在留資格をもって、日本に滞在しているにすぎない外国人に対してのものではない。

 国際人権保障との兼ね合いについてだが、国際人権規約はあくまでもこれに批准した各国が、国民に対して人権に関わる法律を制定することを目的としたものであり、これに批准している国を母国とするすべての人を保護するためのものではない。

 

6.       外国人の社会権

 外国人の社会権は認められるべきか。そもそも社会権とは、社会的・経済的弱者に対して、国家が積極的に介入することを求める権利である。この一つが生存権である。生存権は、憲法第25条に明記されている。しかし、これは日本に国籍を置く、日本人に対して、生存権を保障するものであって、在留資格をもって日本に滞在しているだけの外国人に適用されるべきものではない。

 確かに、ある程度の生活は日本に在留する外国人、特に特定技能2のビザを持つ者とその家族には保障されるべきかもしれない。しかし、法的に税金を支出(例えば生活保護のような形)して、彼らの生活を守るべきか。そもそも特定の技術を持って、就労すべく来日した者が、そのような状態に陥ることがあるのか。転職が可能という点から、この可能性がないとは言い切れない。転職に失敗してしまった場合、貧困に陥る可能性はある。だが、そのように日本国内での生活が継続不可能なほどの貧困に陥るのであれば、わざわざ物価も高いし、島国という点から排他的な面の多く、転職の難しい日本という場所に無理に在留し続けるのではなく、母国へと帰り、そこでその国の法律が定める生活保障を受けるのが正しい道ではないかと私は考える。

 

7.       私見と考察

 これまで述べた内容からしても、事実上の「移民」を認める政策は、問題点が多く、様々な紛争を起こしかねないと私は考える。確かに人手不足解消の切り札になることは間違いないであろう。しかし、家族の帯同を認めたりしてしまった点は失敗であったのではないか、と私は思う。これからこの特定技能2のビザをもって、日本の高い給与を目的に渡航する外国人が増え続ければ、何かしら税金を支出して、彼らを保護しないといけない部分が出てくるだろう。2番で述べたような国内問題を掲げる現状の日本では、税金の支出が増えることは極力避けなければならない。しかし、労働者の流入ということから考えれば、人手不足の解消、所得税などの税収増には期待できる。

 あと、多くの日本人が危惧する多数の外国人流入による、治安の悪化に関してだが、やはり特定技能2で規定される、家族の帯同による部分が大きくなると私は考える。この家族の帯同は、問題が非常に多い。子は日本の学校に行くべきなのか、生活保護は受けられるのか、年金制度はどうなるのか、日本の母国との文化の違いに対応できるのか、特にこの部分は大きいだろう。日本の一部の地域では、ムスリム向けの飲食店や、スーパーマーケットがあるなど、文化の違いに対応できている場所も少なからずあるが、それはあくまで一部であってすべてではない。文化の違いだけで、外国人労働者が仕事をできないなどと言い出したら、彼らを採用した企業にとってはマイナスにしかならない。解決しなくてはならない問題が山のように残っている。

私の個人的見解であるが、特定技能1号と特定技能2を統一、特定技能1号と同様に、在留期間の上限は通算5年でしばること、家族の帯同は基本的に禁止とすることで、必要以上の外国人が日本に移住する結果を回避し、日本語能力水準は試験などで確認・一定以上の水準を求めることで、日本人と同一の賃金を受けるに相応しい人物のみに、特定技能のビザを与えれば、私が今まで述べた問題を、ある程度解決することが可能であると私は考える。

 

 

 

【参考文献、参照文献および参照データ】

芦部信喜、『憲法 第六版』、岩波書店(2015年)、268頁・276

新たな在留資格「特定技能」について、

https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/000485526.pdf

2019.3.62019.7.31

同一労働同一賃金、

https://bizhint.jp/keyword/60031

2019.2.142019.7.31

「入国在留管理庁」が来年4月発足へ

https://business.nikkei.com/atcl/report/16/021900010/083000075/

2018.8.312019.7.31

 

 

 

 

 

折原翔平

先ほど提出したレポートにキーワードが一つぬけていたのであらためて提出します。 よろしくお願いします。

移民と法学                 18j107009 折原翔平

 

<結論>

私は外国人の導入には賛成できない。

<出入国管理法改正による外国人導入について>

そもそも出入国管理法とはどういった法律なのかというと正式には出入国管理及び難民認定法という法律で、この法律で在留資格について定めてある。在留資格にはいくつか種類が身分に基づく資格、能力に基づく資格、勉強の為に基づく、その他の資格が存在しており身分に基づく資格として配偶者と日系ブラジル人などの定住者が挙げられる。能力に基づく資格としては高度専門職や興行が挙げられる。また勉強に基づく資格としては留学、技能実習、その他として観光が挙げられる。そして、2019年4月から新しく外国人の為に特定技能という在留資格が創設された。特定技能には2種類あり、特定産業分野に属する相当程度の知識または経験を必要とする技能を要する業務に従事する外国人向けの在留資格の特定技能1号と、特定産業分野に属する熟練した技能を要する業務に従事する外国人向けの在留資格の特定技能2号に分けられている。ポイントは特定技能1号の在留期間は1年、6ヶ月または4か月ごとの更新、通算で上限5年。技能水準として試験等で確認(技能実習2号を修了した外国人は試験等免除)。日本語能力水準は生活や業務に必要な日本語能力を試験等で確認(技能実習2号を修了した外国人は試験等免除)。家族の帯同は基本的に認めず受け入れ機関又は登録支援機関による支援の対象なのに対して特定技能2号の在留期間は3年、1年又は6ヶ月ごとの更新。技能水準は試験等で確認。日本語能力水準は試験等での確認は不要。家族の帯同は要件を満たせば可能(配偶者、子)であり、受け入れ機関又は登録機関による支援は対象外とした。出入国管理法の改正では主にこれらの新しい在留資格「特定技能1号」 「特定技能2」の創設の他に、出入国在留管理庁を法務省に設置等が主な改正である。これにより、2019年4月からおよそ35万人の外国人が入国した。

 

<外国人人権について>

従来、外国人に保障されない権利の代表的なものとして、外国人の参政権、社会権、入国の自由が挙げられており、入国の自由について判例があり代表として森川キャサリーン事件とマクリーン事件がある。森川キャサリーン事件とは日本人と結婚した定住外国人の森川キャサリーンさんが、vizaの更新の際に旅行にいくようと指示しキャサリーンさんは韓国への旅行計画をたて再入国許可の申請をしたところ、過去に三度再入国許可を得ていたにもかかわらず、指紋押捺を拒否したことを理由に不許可とされたので、その取り消しと国家賠償を請求した事件で自由権規約12条4項の保障する「自国に戻る権利」に言う「自国」は、「国籍国」のみを意味するのか「定住国」を含むのか、争いがあるが、最高裁は「国籍国」と解した原判決を正当とした。マクリーン事件とはアメリカ人のマクリーンさんが在留期間1年として日本に入国し、1年後に、その延長を求めて、在留期間更新の申請したところ、ベトナム反戦、出入国管理法案反対、日米安保条約反対等のデモや集会に参加した行為を行ったことを理由に、更新を拒否した事件で最高裁は、人権の保障は権利の性質上許されるかぎり外国人にも及び、政治活動についても、外国人の地位にかんがみ認めることが相当でないと解される在留中の政治活動を除いて保障されるが、人権の保障は外国人の在留制度の枠内で与えられるにすぎないので、在留中の外国人の行為を、それが合憲・合法のものであっても、更新拒否のための消極的理由としてしんしゃくすることはできる、とし、本件では裁量権の著しい逸脱・濫用は存在しないとした。

これらの判例からわかることは人権を国内法的に保障するだけでなく、国際的にも保障しようとする傾向が強まっており、国際平和への動きとともに、人権の国際人権保障の試みが活発化しており代表的な試みとして世界人権宣言があるのにも関わらず日本は血統主義の傾向であるため外国人の人権は保障があまりされていないと考えられる。人権は国ができる前から存在する人権の前国家的人権と、国ができたあと、国によって保障された人権の後国家的人権の二つがあり前国家的人権の代表例として自由権で、後国家的人権の代表例として社会権、参政権、出入国が挙げられてある。つまり、後国家的人権は、外国人が保障されていない人権である。参政権は国民が自己の属する国の政治に参加する権利であり、その性質上、当該国家の国民にのみ認められる權利であるため選挙権・被選挙権などの参政権は外国人には及ばないとした。最判平成7・2・28民集49巻2号639頁で地方自治法は、「市町村の区域内に住所を有する者」を「住民」としており(10条1項)、これによると、外国人も区域内に住所を有していれば「住民」に当たるとしたが、ここから居住する外国人に地方議会も議員や首長の選挙権が認められるわけではなく、憲法93条2項は、「住民」が直接これを選挙すると定めていると、最高裁は、同条の「住民」とは、地方自治体に住所を有する「日本国民」を意味するものであり、外国人を含まないと判断したが、永住資格を有する定住外国人に認められることもできる、と解するべきとして、定住外国人に法律で選挙権を付与することは憲法上禁止されていないとするとした。また、社会権も各人の所属する国によって保障されるべき権利であるが、参政権とは異なり、外国人に対して原理的に認められないものでないとし、財政事情等の支障がないかぎり、法律において外国人に社会権社会の保障を及ぼすことは、憲法上何ら問題はないものであるとした。そのため、日本に定住する在日韓国・朝鮮人および中国人については、その歴史的経緯および日本での生活の実態等を考慮すれば、むしろ、できるかぎり、日本国民と同じ扱いをすることが憲法の趣旨に合致するとした。その判例として塩見訴訟が一つである。塩見訴訟とは全盲の塩見日出さんが帰化して日本国民となった塩見さんが障害福祉年金を受給手続きしたしたがその時に日本国籍でなかったため受給できなく訴訟した事例である。最高裁は25条について、在留外国人を除外した国籍条項を立法府の裁量の範囲としたことや、憲法141項は、合理的理由のない差別を禁止するもので、各人の事実関係上の違いを理由として、法的な取り扱いに区別を設けることは、それが合理的であれば平等原則違反ではないこと、国際条項が確立した国際慣習法の遵守を求める憲法98条2項に違反としないとして、最高裁は、上告を棄却した。この判決から外国人よりも自国民を優先していると考えられる。また、日産自動車事件のように女性差別も問題とされていたのでこれらの時代は外国人も差別されていただろう。

<外国人の労働問題について>

次に外国人の労働について述べる前に前段で述べた女性差別と正社員と非正規社員について述べたいと思う。前段でも事例として日産自動車は男性従業員と女性従業員の定年年齢が異なることについて憲法14条と民法90条に違反するのではないかと争われた事例である。最高裁は、男女別の定年制は、女性従業員の担当職種、男女従業員の勤続年数、高齢女性労働者の労働能力、定年制の一般的現状等諸般の事情を検討しても、合理的理由は認められず、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして、民法90条の規定により無効であると解するのが妥当であるとして憲法の私人間効力は間接適用説をとった。

また、別の判例として丸子警報器事件がある。この判例は正社員と非正規社員の賃金格差が大きくなり、非正規社員の年収が正社員の3分の2ほどあるとして民法709条の不法行為を理由とする賠償を請求した事例である。裁判所は同一労働同一賃金原理の基礎にある均等待遇の理念は、賃金格差の違法性判断において、一つの重要な判断要素として考慮されるべきものであって、その理念に反する賃金格差は、使用者に許された裁量の範囲を逸脱したものとして、公序良俗の違法を招く場合があるというべきであるとした。本件においては、非正規社員として採用したままこれを固定し、正社員との顕著な賃金格差を維持拡大しつつ長期間の雇用を継続したことは、同一労働同一賃金原理の根底にある均等待遇の理念に反する格差であり、単に妥当性を欠くというにとどまらず公序良俗違反として違法であるとした。これらの判例からどこまでが許される不平等なのかというのが外国人を雇用する際に起こる一つの問題点であると思われる。ここで日本の賃金の歴史について少し述べたと思う。日本では最初、仕事の量を重視する職務給をとっていたが転職が多いことから、学歴・年齢などによる年功序列の職能給をとることになった。近年ではグローバル化・少子化にともなった働き方改革が進められてきている。これらの歴史的背景のなか、外国人労働者が多くなっているいま問題視されているのが国籍による差である。日本では基本給、通勤手当、残業手当、家族手当が存在しており、基本給は国籍の差はありという職能給をとっており、通勤手当と残業手当は差があってはいけないという職務給をとっているなかで、家族手当は意見が分かれている。わたしは家族手当には国籍の差があっていいと思っている。

理由として家族手当は家族の人数によって決定されているため結婚をしないという若者が増えていたり、少子化である日本であるが、外国人は家族が多いためその人達に与えると

外国人のためのものにあるようなものになり、日本人が不利になってしまうからである。

<まとめ>

以上のことからわたしは移民導入については反対である。

確かに移民を導入することで税収が向上したり、安い賃金で重労働できたり、グローバル化が見られ日本の景気は良くなるだろう。しかし、デメリットとして外国人が増加することで治安の悪化、日本人の雇用、賃金の低下、なによりも日本の文化が消えていくおそれがあるということを考えると、移民導入は危険であると思う。また、日本は認知症患者が多くなってきており、この先外国人が結婚してサポートできるのか不安であるのも移民導入反対の一つである。

 

<参考文献>

https://ameblo.jp/ut-liberi-esse-possimus/entry-10247724081.html

nfo.yoneyamatalk.biz/判例/【労働法判例】丸子警報器事件賃金格差の違法性/

https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=326CO0000000319_20190401_430AC0000000102&openerCode=1#26

http://www.immi-moj.go.jp

http://www.immi-moj.go.jp

 

芦部信喜 高橋和之 『憲法 第6版』

片桐直人 井上武史  大林啓吾 「一歩先の憲法入門」

 

 

 

武藤光司

武藤光司   18j107019です。

普段はiphoneのメールアドレスのほうで連絡してましたがうまく送れなかったので今回はこちらから送らせてもらいます。

 

移民と法学

私は移民を受け入れることで不平等が少しずつ解消されることを望む。

 

1はじめに

今の日本は少子高齢化によって出入国管理法が改正されて海外から約34万人の外国人が日本に仕事をしにやってくる。日本では人手不足となっている介護施設での認知症の方などの介護の手助けの一員として期待されている。それに応じて外国人の受け入れ拡大に向けて20194月に出入国在留管理庁が新設された。これは法務省の内部部局であった入国管理局を前進としたものである。それは、外国人が安心して生活・就労できるようにするためである

今までの日本は、いわゆる単純作業に従事が可能であった在留資格は技能実習のみであった。(日本人の配偶者などの身分系の在留資格を除く) この技能実習の在留資格を持つ人は、特定の技能を習得するという目的で最長5年間日本で働くことが許されていた。しかし実習期間が終わると母国に帰らないといけないという内容であった。

今回の出入国管理法が改正されて特定技能という新しい在留資格が認められた。それには1号と2号がある。

特に特定技能2は今までの在留資格と違いさらに熟練した技能を有する者に、与えられる資格がある。それには日本に在留できる期間に制限がなく家族まで日本に連れてくることができる。そこで私が気になるのが日本に来る外国人の社会権がどこまで適用されるかや、国籍によって基本給の差が認められるのかが問題になってくると思う。

 

 

2まず外国人の日本における人権について

国際人権規約等でみられるように近年では人権の国際化の傾向が顕著にみられるようになったことを考えると、国際人権保障の下外国人にも権利の性質上適用可能な人権規定は、すべて及ぶと考えることができる。しかし、実際には保証されていない権利がある。それは、参政権、社会権、入国の自由があげられる。この三つが保証されていない事件としてかかわってくる事件がある。

森川キャサリーン事件では入国の自由が認められなかった。森川キャサリーンは日本人の旦那と結婚しアメリカ国籍であるが日本での定住者の資格を持つ外国人で日本への再入国の許可を申請したが不許可とされた。まず定住者とは永住者とは違い在留期間が決められており再入国の許可が必要となる。日本への再入国が拒否された理由としては過去に押捺拒否を三回拒否したからだ。最高裁は、国際人権規約(自由権規約B規約)をもとに「自国に戻る権利」(再入国の自由)に言う「自国」は、「国籍国」のみを意味するのか、「定住国」をも含むのか,争いがあるが、最高裁は「国籍国」と解した。これは外国人には入国の自由がなく定住場所が日本であっても自国ではないから入国ができない制限があるといえるであろう。

マクリーン事件からも保証されない人権がわかる。在留延長を求めたマクリーンであったが日本で政治的活動を行ったことを理由に在留期間の延長が拒否された。これも外国人は日本で政治活動=参政権が認められていないということがわかる。本件では法務大臣の裁量権の著しい逸脱・濫用はないとしたと判示したとなっていてこれは裁量行為論によるものと考えられる。つまり裁判所より詳しく知っている法務大臣の考えは正しいであろうとし、法務大臣の裁量を取り入れた。これは司法(裁判所)には扱えるものと扱えないものがあるからだ。

今判例をもとに保証されない人権について書いてきたが次は今回の出入国管理法の改正によって約35万人もの外国人が日本にやってくることによって先ほど述べた外国人の社会権の適用範囲であったり、国籍によって基本給に差があっていいのかなど平等について次に考えていきたい。

 

 

3外国人と日本人との差があっていいのか

まず日本には同一労働同一賃金原則がある。人種、宗教、国籍などに関係なく、労働の種類と量に基づいて賃金を支払う賃金政策のことである。さらに同一価値労働同一賃金は、職種が異なる場合であっても労働の質が同等であれば、同一の賃金水準を適用する賃金政策のこと。また世界人権宣言の第23条にも「すべての人は、いかなる差別をも受けることなく、同等の勤労に対し、同等の報酬を受ける権利を有する」と規定されている。これからみたまず分かることは、日本人と外国人との間で差があることはいけないことがわかる。

これも判例をもとに考えていきたい。

 

まずは外国人における障碍者福祉年金について争われた塩見訴訟である。

訴訟の内容は全盲の塩見日出さんは、昭和9年(1934年)に大阪で、朝鮮人の両親の下に生まれた。 終戦後、サンフランシスコ講和条約の締結により、日本は朝鮮に対する領土主権を喪失、「黙示の合意により対人主権をも失った」とし、サンフランシスコ講和条約の締結とともに日本に在留する朝鮮人、台湾人も日本国籍を失うこととなった。その後、日本人男性と結婚し日本に帰化した。

そして、帰化によって日本国民となった塩見さんは、障害福祉年金の受給手続をしたが廃疾認定日(昭和34年=1959111日)に日本国籍になかったため障害福祉年金がもらえなかった。過去の国籍を理由に国民の権利を否定するのは法の下の平等に反する、として訴訟を提起しました。これについて私は生存権を規定する憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」に違反していないかや憲法141項の平等原則に違反していないかなど疑問に思った。しかし最高裁は自国民を優先して支給対象とすることは、立法府の裁量の範囲に属する事柄であり、社会保障上の施策における外国人の処遇は、国は政治的判断により決定でき、限られた財源で福祉的給付を行うにあたり、自国民を在留外国人より優先的に扱うことも許されるとした。

また憲法14条の不合理な差別に当たらないとし、また国際人権保障の社会権規約は個人に具体的権利を付与するものではない、と最高裁は消極的に解した。日本の裁判所は人権条約の直接適用には極めて消極的である。

この判決は違憲審査基準の積極的目的規則に当たるのかなと私は考える。なぜそう考えたかというと積極的目的規制は経済政策なので、裁判所で厳格に判断すべき性質のものではなく、行政や立法に一定の裁量を与えるべき性質のものであり今回でいうと障害福祉年金は立法府の裁量に属するとしたからである。

 

平等に関する判例も見ていきたい。

日産自動車事件を見てみる。

これは、定年を男性55歳、女性50歳と定めており女子の定年を男子よりも5歳若く定めた男女別定年制が性別による不合理な差別を定めたとして憲法14条、民法90条に違法するかが問われた問題である。

判決は女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、もっぱら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法90条の規定により無効であるとした。

これに似た事件がある。

三菱樹脂事件だ。

大学卒業後、三菱樹脂株式会社に採用された原告が、在学中の学生運動歴について、就社試験の際に

虚偽の申告をしたという理由で、本採用を拒否された。三菱樹脂による本採用の拒否は被用者の思想・信条の自由を侵害するものとして訴えた。裁判では、人権規定が私人間に適用されるか、という一般的な問題のほか、会社が入社試験の際に応募者の思想に関する事項を訪ねることが憲法19条の思想の自由に反しないか、また、特定の思想を有することを理由に本採用を拒否することは同14条の「信条」による差別に当たらないか、が問題になった。これはいわゆる日本国憲法における基本的人権に関する規定は私人相互の間にも適用されるのか否か、

が問われた。

最高裁は、私人間効力の問題については、「社会的に許容しうる限度を超える」人権の侵害があった場合は、民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって解決できるとし、間接的適用説

の立場に立ちつつまた企業は雇用の自由を有しているともした。

この二つの判例から分かることは人権について憲法が私人間同士に適用されるかだ。どちらも憲法の規定を直接に適用するのではなく、公序良俗違反(民法第90条)などの解釈・適用において憲法の趣旨を考慮する形をとっている。

やはり、平等には少なくとも憲法について深くかかわってくると思う。判例をたくさん見てきて私が思ったことは憲法14条にいう「すべての国民は」のところに外国人は今のところ含まれていないような気がする。それが原因で日本人と外国人との間に差があるように思える。

 

 

国籍による差をまとめてみた

 

 

国籍による差

基本給

   

通勤手当

×

残業手当

×

家族手当

×

 

これを見る限り国籍によって基本給に差を設けることはいいとされている。本当にいいのかと疑問に思うこともある。確かに日本人と外国人では仕事内容が同じでも言語の問題であったりと国籍によって基本給に差があってもよいように思われるがそれを理由にして差を設けるのはそれは平等ではないと思う。国籍は簡単に変えることができないし同一労働同一賃金原則の原則になっていないからである。

 

4最期に移民に対する私の意見と望むこと

今回の出入国管理法の改正の目的は日本の少子高齢化に伴っての導入であって日本からすると外国人の労働力を借りるのであるのでそこに不平等が生まれるのはおかしいと思う。確かに憲法にいう「すべての国民は」のところに外国人が入るのかという問題があると思う。私個人の意見ではあるが外国人に対する不平等を考え直す

で日本人に対する不平等についても見直されお互いにとっていい方向に向かっていっていくのではないかと私は期待したい部分がある。なかなか日本国内での不平等については問題にされにくいのと知らないだけで国内においても不平等はまだまだあると思うからだ。それが今回の出入国管理法の改正によって見直すいい機会であると考えたい。そのためにはまず法律について新しく考えていくことが必要である。国民を優先に考えるのも大事だが移民を受け入れるにおいてやはり外国人にも日本人と同等の法律にするべきである。時代に合わせて考えることもいるのではないかと考える。

参考文献」

憲法第六版 芦部信嬉著 2017年 岩波書店

ポケット六法平成30年山下友信・山口厚著 2017年 有斐閣

判例法学[第5版] 西村健一郎・西井正弘・初宿正典 2013年 有斐閣ブックス

Wikipedia

https://www.mhlw.go.jp/index.html

コトバンク、「定住者」とは

中江章浩先生の授業ノート