荒井朋作成

危険負担の哲学

 

1.危険負担とは

 双務契約において、一方の債務が債務者の責めに帰すことのできない事由により消滅した場合、相手方の債務がどうなるのかという、いわゆる履行上の牽連関係といわれる問題が発生することがある。そして、このとき生じたリスク(契約目的物の消滅)の賠償義務を、いったい当事者のどちらが負わなければならないのか、これが危険負担の問題である。危険負担のテーマで特に問題となるのは、災害などによって生じた不可抗力の事態における債務の履行不能の場合である。両当事者に帰責事由がないとき、民法の規定では@特定物に関する物権の設定または移転を目的とする双務契約(第5341項)と、Aそれ以外の双務契約(第5361項)の二つのパターンに分けて、どちらが賠償債務を負担するのかを規定しており、前者(@)を債権者主義、後者(A)を債務者主義と呼ぶ。このとき注意しなければならないのは、「消滅した目的物」についての債権者、債務者を指している点である。

 

2.両者の責めに帰さない事由の場合

(a)債権者主義

 債権者主義の考え方を示す5341項の規定から順に追っていくことにする。まず、ここにある特定物とは何なのか。それついて述べたい。特定物とは、契約取引上の目的物として見たとき、その個性に着目したものをいい、たとえばテレビ番組の出演交渉のような、他の人(物)では代替の利かないものを指す。「物権の登記または移転を双務契約の目的とした場合において、」とあるように、土地や建物のような不動産の売買においてよくみられる。一方で、その種類に着目したものを不特定物という(種類物ともいう)。不特定物には種類債権と金銭債権があり、他でも代替の利くようなものを指す。たとえばある銘柄のビール1ダースなどの取引は、同じ種類のビールであれば足りるため、不特定物(種類債権)にあたる。つまり取引の際には、同種同等のものを納入すれば良い。

 ただ、不特定物もある一定の段階まで来ると特定物とみなされることがある。これを目的物の特定という。先ほどの例でいうと、ビールを注文者の家に届けた段階で「特定」されたとみなされ、そのビールは特定物となる。また、同じビールでも特定物になる段階が異なることがる。とある酒屋へ「この店のビールを全部買いたい」との注文が入ったとする。この場合「この店のビール」との指定がある、すなわち「特定」されたため、取引がなされる前のこの段階で特定物となる。これは、その対象が建売住宅の場合でも同じである。したがって、特定物となる段階にまで至っていないときに目的物が消滅した場合は、534条の債権者主義が適用されるが、それ以前であれば適用されないということになる。この場合は当然代替のものが見つかれば履行不能にはなり得ず、危険負担の問題が生じることはない。また、両当事者の責めに帰すことのできない事由によって、目的物が契約後に消滅した場合、債権者主義では牽連性はないものとみなしている。債権者主義において牽連性はなく、不動産売買の例を用いていうと、売主は代金債権を失わないということになる。つまり、買主は不動産を手に入れることができないにもかかわらず、代金を支払わなければならない。これが「債権者の負担に帰する」とする、危険負担における債権者主義の考え方である。

 

(b)債務者主義

 つぎに、第5361項にある債務者主義の規定をみていく。本条はAの場合を除く双務契約において適用されるもので、たとえばテレビ番組の出演契約を結んだタレントが、テレビ局に向かう途中で起きた地震により交通機関が使えなくなってしまい、予定通りの債務(出演)が履行できなかった場合などがそうである。このとき、賠償義務は債務者、すなわちタレント側が負う必要がある。民法上、原則としてこちらの規定が使われることが大概である。

 

(c)危険負担の妥当性

 これらを踏まえて、ここでは不動産売買の例を取り上げて、先述した債務者主義の妥当性などについて着目したい。不動産売買においては、たとえ契約後に不動産が滅失した場合でもそのリスクは買主側が負うことになり、不動産の代金を支払わなければならない。その根拠は、契約が成立した時点で所有権が移転するものと考えているところにある。つまり所有権が移転したことで、それに伴うリスクも移転するという考えである。所有権の移転に着眼してみると一見妥当な解釈であるように見えるが、本来の「所有」に満たない段階(たとえば契約成立直後で、居住予定ではあるがまだ家にも踏み入ることに達していない段階など)での目的物の滅失であった場合、この考え方は一概に妥当とはいえない。

 しかし双務契約を締結するにあたって、そこで発生しうるであろうリスクというものは、両当事者のどちらかが負担しなければならないのもまた避けられない事実である。この場合は、その時代ごとの慣習や契約の内容、両当事者の事情などを考慮して、契約締結時に特約を設けることが一番の妥当策ではないかと考える。そして売買契約は多種多様であるから、後には可能な限りではその度ごとに法律上の紛争の跡である判例法に倣っていくのも良いのかも知れない。

 

3.国際取引における危険負担

 国際取引においては、危険負担を含めた様々な規約を特約にて定めている。危険負担については、FOB式(Free On Board、本船渡し)とCIF式(Cost,Insurance and Freight、運賃・保険料込値段)があり、これらは国際商業会議所が作成したインコタームズと呼ばれる定型取引条件である。たとえば日本とアメリカで貨物船によって取引がなされる場合、貨物を貨物船に乗せた段階で相手側(買主)にリスクが移転すると考えるのがFOB式であり、一方のCIF式では相手方(買主)の敷地に到達するまでのリスクを自ら(売主)が負うと考える。現在、一般的には前者のFOB式を採用しており、目的物が船側(本船の舷側に設けられた手すり(ship's rail))を通過する瞬間に、買主に移転するとされている。このように、明確な取り決めを事前に行うことは懸命な判断だったと考えることがいえる。

 

4.使用者の責めに帰すべき事由の場合

a)民法第5362

 民法第5362項上段では「債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を失わない」としている。これよりこのケースを、@大地震で工場が全壊してしまったA原料高騰により採算が取れず経営赤字に陥ったB不正経理で業務停止命令が下された、この三つを理由として工場操業ができなくなり、雇用者への給料支払いがなされなかったと仮定して考えていきたい。

 上記規定よりこの場合、AとBのケースでは債権者である工場側に給料支払義務が発生すると考えるのが当然である。Aにおいては一見、原料高騰は不可抗力にも思えるが、採算が採れなかったのはあくまで工場の経営陣側の都合であり、より高等な経営を持ってすれば赤字には陥らなかったとも考えられる。よって、不正経理を行ったBのケースと併せて使用者に責任があるといえる。

 同様に考えると@のケースは自然災害による完全な不可抗力の事由であるといえ、使用者側は責任を負わない。すなわち賃金支払義務は免れる。

 

b)労働基準法

 今度は、「とある労働者(X)は不当解雇で2年の間、Y社(月給30万円)に行けなかったが、この間自らアルバイト(1年目に月給10万円のアルバイト、2年目に月給20万のアルバイト)をしながら訴訟を起こして勝訴し、最初の会社に復職した」といった事例について考えたい。

 休業手当については、労働基準法第26条において定められており、使用者に帰責事由があった場合、「使用者は、休業期間中当該労働者に、その平均賃金の百分の六十以上の手当てを支払わなければならない」としている。つまりこの労働者は、この規定によると2年分の給料(30万円×12ヶ月=360万円)をもらう権利があるといえる。

 ただ、そこで着眼すべき点は、その間自らがアルバイトとして働いて稼いだ賃金の行方なのである。というのも、民法第5362項下段では、使用者に帰責事由がある場合において、「自己の債務を免れたことによって利益を得たときは、これを債権者に償還しなければならない」と規定しているのである。ここでいう債務とはY社におけるXの労務を指し、債権者とはY社を指す。これは、本来のY社への労務の提供を免れたことによって得ることができたとされる収入(中間収入)と、Y社へ請求した賃金の二重取りになることを懸念したものである。このとき、Xの一年目の給料は、平均賃金30万円の6割である18万円には届かず、この中間収入はY社に償還すべきであるといえる。二年目の給料は平均賃金30万円を超えることから、超えた分の収入はXのものとなり、その部分は償還しなくて良い。

 学説では、労働基準法第26条の休業手当を6割とする規定に対して、「会社側の義務を軽減しているのではなく、無過失の範囲を狭くすることで、会社側の責任を重くしている」といった考えを示している。

 しかし、いくら労務の提供を免れた期間に稼いだ賃金だからといって、そこから控除されるのはどうなのだろうか。そもそも会社側の都合である不当解雇があったために、生活費など無くてはならないお金を稼ぐ目的でいやおうなしに他の職務に勤しまなければならなかったというのに、それをその原因をつくった会社(使用者)側に償還しなければならないのは非常に不合理である。この場合のアルバイトが、まったくもって本来の会社での職務と同じ内容かというと、そうはいえない。長期継続することによって職務に慣れ、新たな生活基盤を一から作らなければならないのだ。審議の際は、そういった生活的背景に随一重点をおいて考慮して欲しいものである。