五十嵐孝志作成
1.はじめに
昨年の9月に、20歳となった私の元に一通の封筒が送付されて来た。国民年金加入のお知らせと題した分厚い封筒は、成人となった喜びとは裏腹に学生である私にも、一国民としての義務が生じたことを痛感したが、一方で少子高齢化が叫ばれる昨今の経済状況の中で、数十年後の年金制度は世代間扶養の仕組みとして機能し続けられるのか、不安な点もある。現在の年金制度の現状を見ながら、価値ある制度にしていく方法を検討して行きたいと思う。
2.平等権
私達が日々、何気なく生活している中で生じている「平等」観念は、もともとは同じ人間に対して理不尽な理由に基づく区別的取扱い(差別)を許さないとするものであるとされる。しかし資本主義の発展に伴い、社会では持てる者はますます富み、持たざる者はますます貧困に陥るいわば強者と弱者の関係が、不平等を生み出してきた。アメリカの哲学者ジョン・ロールズも「憲法の自由と正義の概念 (1963年)」の中で、平等問題を「格差原理」という概念を用いている。格差原理が目指すのは、恵まれた者と恵まれない者の双方の利益になり、かつ両者の間の格差がなるべく小さくなるように、しかしゼロにはならない、そのような財の再分配のあり方だといえる。つまり、ジョン・ロールズは社会的・経済的不平等が存在することが、社会的公平の観点からは望ましい場合があるとすることから、例えば、医者などの専門性が高い公共性の高い職業に就いている者は、その活動が社会的に恵まれない人の利益になることを鑑みると不合理ではないと考えられる。
3.応能負担と応益負担
これらは税を考えるときにも当てはまる。各人の社会的・経済的な能力や条件の差異を考慮しなければ、税の徴収において実質的な平等は計ることは出来ない。私は、応能負担を原則とするのが公平な税の徴収だと考える。それは応能負担が憲法14条の法の下の平等の趣旨に沿うからである。応益負担は、同じ利益を受ける者が同じ金額を負担するということで、各人の経済的能力を無視して一律に同一の扱いをする「形式的平等」と言える。この応益負担を原則とすれば、実質的に平等が計られるとは必ずしも言えず、低所得者ほど税の負担が重くなる。それに対し、応能負担に基づく累進課税では低所得者と高額所得者で税率が異なることから、形式的には不平等となる。しかし高額所得者は低所得者と違って税率が上がっても生活に困ることはないと考えて良いと思うので、各々の税の負担の重さは実質的に公平性が保たれるのである。従って、払える能力がある者がたくさん払う応能負担を原則とするのが理想であり、年金制度においても所得に応じて、保険料を負担する応能負担の考え方を基本に運用されている。
4.日本の年金制度
日本においても社会保障として公的年金が整備され、年金は高齢者だけではなく、私のような現役世代にとっても、自分自身や親の高齢期の生活上の負担を取り除くことで、安心できる生活を保障するものであり、社会経済の活力を形成するための基盤と言える。その年金制度は、20歳以上の国民を加入義務としている国民年金では、国民年金法7条により3つに分類することが出来る。非正規社員や自営業者、学生を対象とした第1号被保険者、公務員や会社員と対象とした第2号被保険者、第2号被保険者に扶養を受けている配偶者が対象の第3号被保険者に分けられ、公務員や会社員に対しては国民年金に上乗せする形として、順に共済年金と厚生年金と言う3段階目が整備されている。しかしながら、現行の国民年金制度において、大きな論点と成っている問題の一つに、第3号被保険者問題がある。専業主婦はほとんど無収入なため、国民年金保険料を自らは払えない。そのため専業主婦の国民年金保険料を配偶者である夫(第2号被保険者)が加入する厚生年金や共済年金の加入者全員で負担しようというのが第3号被保険者制度である。現行制度において問題とされているのは、専業主婦は保険料を納めず年金を受給するということで、働いて年金保険料を納めている女性との間に不平等が生じているということである。専業主婦は、年収130万円未満の第2号被保険者の妻を指すため、保険料を払わなくて済むよう年収を130万円未満に抑制しようとする。私も学生という身分で所得が少なく、専業主婦と似ているが、やはり自分の収入から保険料を納めることは難しい。ただ、収入がない理由で負担を課さないというのも疑問が生じることから、夫婦という世帯単位の所得で保険料を徴収することが手段として一つ考えられると思う。
5.年金制度の今後
総務省の人口推計によると、女性の社会進出が進み専業主婦の減少している背景には、晩婚化の進行による出産可能時期の縮小によって夫婦の出生力が低下することにより、年々合計特殊出生率が下がるため、少子高齢化が加速し日本の総人口が減少傾向にあるという現実もある。年金をめぐる議論は「人口高齢化が進めば年金財政は悪化する」とされ、年金保険料の引き上げや給付の削減措置がなされるのは仕方ないことと考えられている。年金の財政方式としては、「積立方式」と「賦課方式」がある。現在日本においては賦課方式が採られている。前者は、現役時代に納付した保険料を積み立て、運用益も加えた額を老後に年金として給付する仕組みである。これに対して賦課方式は、現在働いている現役の人から保険料を徴収し、現在の高齢者に年金を給付する仕組みである。各年度で収支が均衡するように制度が設計される。しかし、積立方式か賦課方式で運用されているかで年金財政に与える影響は異なる。まず、積立方式で運営されている場合は年金制度が発足した後に予期せざる平均余命の伸長による絶対的高齢化が生ずれば、年金受給者の絶対数が増えるので、それまで徴収した保険料では、当初約束した年金を給付することはできず、年金財政は逼迫する。これに対応するには、給付水準の引き下げが必要になる。一方で、年金が賦課方式で運営されている場合は、年金制度が発足した後に予期せざる高齢化が生ずれば、保険料納付者数と年金受給者数の比率が変化するので、年金財政は逼迫する。これに対するには、絶対的高齢化の場合には給付水準の引き下げが少子化による相対的高齢化の場合には、保険料の引き上げもしくは給付水準の引き下げが必要になる。しかしながら、賦課方式で運用されている年金制度は、保険料も受給額も、その時代の各人の生活水準等を考慮して決めれば良いため、少子高齢化によって若者3人が高齢者1人を支える現在の年金制度は、ますます我々若者が負担を強いられる原因と考えられる。現在の制度では、保険料を最低25年間納めない限り、受給資格は発生しないことから、私は積立方式を提案したいと思う。多くの世論は個人年金として貯蓄をした方が自らの高齢期に対しての不安要素が軽減されるとしているが、積立方式も全くもって貯蓄に近い方式であり、世代間の不公平はないと言える。
6. 企業年金とAIJ投資顧問問題
日本における年金制度は1段階目である国民年金、2段階目に共済年金や厚生年金があり公的機関が運用を行っている。会社員が加入する厚生年金には3階部分として企業年金が存在し、これは公的年金と選択的に設ける私的年金とされる。企業年金の制度は「確定給付型」と企業が拠出した掛け金を従業員が運用し、その実績に応じて受け取る額が変わる「確定拠出年金(企業型)」に分かれる。確定拠出型の運用は従業員自ら指図するので訳のわからないうちに大半の資金を消失することはない。例えば、大企業などが基金(厚生年金基金)を設置することがこれに当たる。今回問題となった確定給付型は企業が外部に基金などの形で積立て、運用を投資顧問会社(AIJ)などに委託する。運用成績が悪くなると、あらかじめ決まった給付額を支払えない可能性があるが、その責任は最終的には資金を拠出した企業(厚生年金基金)になる。AIJに年金資産の運用を委託した84企業年金の73が同業種や同一地域の地域保険が集まって作る「総合型厚生年金基金」とされ大半が中小企業とされる。中小企業の中には企業年金や公的年金にも入っていない企業もあるなど今般の金融不安で実態は深刻な状況にある。それに拍車を掛けたのがリーマンショックであり、基金の運用を悪化させ、その損失を穴埋めすべく高利回りをうたったAIJに運用を委託したと考えられる。例えば、運用利回りを高く設定すれば、保険料率を低くすることができるが、利回りを低く見積もれば保険料負担は重くなる。企業年金連合会の2010年度の資料によると企業年金の予定利率は2.5%未満が11.2%、2.5%〜3.5%が55.5%、3.5%以上が33.3%となっており、今年の3月2日の国会答弁において厚生労働省は600社近くにのぼる厚生年金基金の9割が予定利率5.5%のまま据え置かれていると発表している。長く記述してきたように、年金は老後の大切な資産である。調べてみると基金は運用会社を選定にあたり通常は、リスクを分散するように数社選ぶ。厚生年金基金令39条15は年金基金運用に関して、「基金は年金給付等積立金を。特定の運用方法に集中しない方法により運用するよう努めなければならない」と定めている。報道等によれば、AIJも1000億円もの損失を隠しながら運用を行い、厚生年金基金を勧誘したことは問題が大ありであるが、厚生年金基金側もハイリスクなのを理解しての運用を委託していたであることを考えると、自己責任としか思えない。国も厚生年金基金に対する見直しを図るべきであり、年金を運用していくためには を引き下げなければ、基金の運営はますます厳しいものになると考えられる。
7.まとめ
現在、政府は社会保障と税の一体改革と言う大プロジェクトを遂行しつつある。その中で「社会保障・税番号制度」を導入し、国民一人一人に番号を付け、過去にあった消えた年金記録問題などの防止を目的とした社会保障を実現するものとしている。私自身は、この制度は賛成である。運転免許証のようなIDカードは個人情報漏洩対策をしっかりと講じれば問題はないと思うし、昨年発生した東日本大震災のような災害の際にも活用できる制度ではないかと思うからである。年金は、一人一人の生活をより豊かにする制度として導入されたはずである、その年金が私達の高齢期に入る頃には幻のような存在になっていては困るので、時間がかかることは承知で積立方式に移行すべきだと強く望みたい。
<参考文献>
○資格の大原「憲法」テキスト
○「ジョン・ローンズにおける正義の原理」 濱小路和也 2006
○社会保障制度としての年金制度に係る基本的論点
http://www.mhlw.go.jp/shingi/0112/s1214-3d.html
○「スウェーデンと日本の年金制度比較研究」 小谷 宗秋 2006
○応能負担・応益負担
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-649.html
○社会保障・税一体改革について
http://www.mof.go.jp/comprehensive_reform/gaiyou.pdf