前川大和作成

表現の自由と錯誤

 

■表現の自由

精神的自由権には内面的精神的自由として位置づけられる「内心の自由」と、外面的精神的自由である「表現の自由」がある。

内心の自由は、憲法19条によって思想・良心の自由が保障されていることがあげられる。

 

◎表現の自由の意義

表現の自由には、多くの価値が挙げられる。

Thomas Emersonが指摘した4つの価値を挙げる。

@表現の自由は個人の自己充足に仕え(各人がこれのうちにある自分らしい思いを形に現すことによりええられる人格的な価値(自己実現論))A自由な意見の交換を通じて真理への到達を可能にし(意見の交換により人類の文明の発達につながる)B表現の自由は市民統治に不可欠であり(自由な言論が保障されることにより民衆の必要が正確に政治権力の行使に反映されるという民主主義的な価値、この意味において政治的自由を補完する意義が認められるという民主主義プロセス論)C社会の安全弁として機能するというものであった。

このような価値論は、主としておよそ表現の自由一般がほかの自由、とりわけ経済的自由の場合とは異なり、裁判所の特別の保護を受けることを正当化する論拠として用いられている。(二重の基準論)表現の自由は、二重の基準の理論が学説上支配的である。    

筆者は、この価値論で挙げられている通り、表現の自由は非常に重要性が高いと考える。表現の自由が規制されては他の自由も実現できないと考え(主張ができず、民主主義が実現できない。また、一度規制されてしまっては元に戻すことが困難。)、他の自由よりも規制を厳格に行うべきだろう。

 

 

◎表現の自由を規制する立法の合憲性判断の基準

表現の自由は憲法21条により保障されている。しかし、無制約ではない。公共の福祉に反する表現は当然、規制されるべきだ。それでも表現の自由は優越的人権であり、他の自由(例えば経済的自由)よりも規制は厳格に行われるべきである。行き過ぎた規制は、違憲立法審査制により、憲法に反した法令・命令・規則に対し違憲判決を下すことができる(憲法81条)。表現の自由の規制立法に対して用いられる厳格な基準としては、以下のものがある。

 

@事前抑制禁止の原則

憲法21条2項「検閲の禁止」など、表現活動を事前に抑制することは許されない。

 

 A漠然性の故に違憲の原則(明確性の理論)

 表現を規制する立法の文言が漠然・不明確・広汎であって、許される行為と許されない行為との限界が明らかでない場合は、その法律そのものが違憲になるという原則。

 

Bより制約的でない他の選び得る方法(less restrictive alternatives)の原則(LRAの基準)

制限目的達成の為、より制限的でないほかの代替手段がある場合には、当然その制約は違憲とされなければならないという原則。表現の自由から外れるが、有名な判決に、薬事法距離制限事件(最大判昭50430)がある。薬局の偏在化、競争激化防止のために薬局の距離制限を行うことは、不当であろう。(それを防ぐために、ほかに選びうる手段がある。またはこの規制でそれを防げる根拠が乏しい。)

 

〜薬事法距離制限事件〜(最高裁判所大法廷 昭和50430 判決)

広島県で薬局を開設することを申請した者が、不許可処分を受けたことを不服として提訴した行政処分取消請求事件である。1975年(昭和50年)430日、薬事法第6条第2項の規定は違憲無効であり、不許可処分も無効であるとの判決が最高裁判所より言い渡された。

日本国憲法下で最高裁判所が言い渡した史上2例目の法令違憲判決である。

 

 ◎知る権利

表現の自由は情報を発表し伝達する自由であるが、それは本来情報の受け手の存在を前提としている。知る権利とは、表現の自由を特に情報の受け手の側からとらえたものであり、その意味で、憲法21条に求められる。

 しかし知る権利は抽象的権利にとどまりがちな権利である。具体的請求権とするためには、請求権者の資格・請求手続き・開示を求めうる情報の範囲・請求が拒否された場合の救済などに関する制度が法律または条令によって制定されることが必要である。

 

 〜情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律)〜

1999年5月に制定された。@法の目的として、政府の諸活動を国民に説明する責務を行政機関に課するとともに行政文書の開示請求権が、憲法の国民主権の理念に則ったものであることを明示していること(情報公開1条)、A外国人を含め何人にも開示請求権を広く保障していること(同2条)B国家公安委員会や警察庁などを含めすべての行政機関を対象にしていること(同2条)C非公開不服申し立てについて調査審議するための情報公開審査会の制度を定めていること(同21条以下)などについて積極的な評価を受けている。

不開示情報としているのは、@個人を識別できる情報、A公開しない条件で任意提供された企業などの法人情報、B国の安全や他国との信頼関係を損なうおそれのある外交・防衛情報、C犯罪捜査や治安維持に支障ある情報、D政策形成に支障をきたす情報、E監査、検査、試験や入札契約、交渉などに支障となるおそれのある情報、の6項目である。

 

知る権利」とは、表現をすることよりも主張が難しい。相手が行政という大きな組織であると、情報開示を求めることは非常に難しいからだ。民主主義国家であるからには、国民が政治参加をするのに行政の情報を知ることは必要である。積極的に行政が情報開示できるような法を作ることは重要なことだ。

 海上保安庁の職員が海上保安庁の船に衝突する中国漁船の映像を流出し、問題となった。しかし、この映像は国民にとって関心深いものである。国益が大きく損なわれることは秘密にするべきだが、国家は多少不都合なことでも国民に情報公開を積極的に行ってほしい。

 外務省機密文書が漏えいした西山事件は小説やドラマのモデルにもなっている。当然、行政はすべての情報を公開するべきではないが、多くの人が行政の情報に関心を持っている状況で、今後行政は国民の納得のいく対応をとっていくことが必要だろう。

 

■刑法においての錯誤

犯罪を成立させるためには、構成要件に該当する「結果」のみでなく、本人の「罪を犯す意思」が必要である。違法判断には、「悪い結果の発生を違法性の根拠」とする「結果無価値論」と、「悪い行為、悪い内心」が違法性の主要根拠であるという「行為無価値論」に分けられる。例えば、殺意あって人を死なせると「殺人罪」が成立するが、殺意がなく暴行により人を死なせた場合は「傷害致死罪」となる。日本の刑法は、結果よりも本人の意思で罪が決まることが多いため、行為無価値論が採られているようにも思えるが、未遂罪(刑法43条)で刑を軽減されることもあるため、結果無価値論の考えも採られているようにも考えられる。

 

事実の錯誤

刑法381項では、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りではない。」と定められている。この条文は故意のない行為は原則として罰しないと定めており、過失犯は特別の定めのある場合に例外として処罰される。

 事実の錯誤の例として、大審院対象1469日第一刑事部判決がある。この事件は、被告人が山林で狸を殺し狩猟法違反の罪に問われたが、被告人の地方では「十文字狢」と称される動物で、被告人は狸と十文字狢は違う種類の動物とであると誤解していた事件である。被告人は罪を犯す意思がないとして無罪となった。この事件は「事実の錯誤」として処理されたものと評されている。(獨協大学准教授 内山良雄)

 

法律の錯誤

刑法383項「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。」

 事実の錯誤について定めている381は罪を犯す故意がないことについて定めたものであるが、3項は法を知らなかったことについて問題にしている。

法律の錯誤とは、自己の行為が法律上許されていないことを知らないこと、又は許されていると誤信することである。法律を知らなかったこと、誤信することで故意は否定されない。383項は「違法性の意識が欠けても故意は否定されない」と読むべきである。但し書きには情状により刑を減軽することができると定められている。

 

名誉棄損罪(230条)と公共の利害に関する場合の特例(230条の2)

 「表現の自由」で述べたように表現の自由は無制約ではない。公共の福祉に反する表現は当然認められない。その一つとして刑法に定められているのが名誉棄損罪(230条)だ。しかし、230条の2には公共の利害に関する特例が定められており、1項には「公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら交易を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない」と定められている。この条文は、名誉の保護と表現の自由との調和を図り、表現の自由が優越する場合に名誉棄損の違法性を阻却すると解されているのが通説である(違法阻却事由)。

関連する判例として、「夕刊和歌山時事事件(最高裁昭和44625日大法廷判決)」を挙げる。この判例は、事実誤信した記事を掲載した被告に、名誉棄損罪(2301項)を適用するかどうかが問題となった。また、刑法230条の2には公共の利害に関する場合の特例が定められている。弁護人は「被告人は証明可能な程度の資料、根拠を持って事実を真実と確信したから被告人には名誉棄損の故意が阻却され、犯罪は成立しない」と主張した。原判決は「被告人の摘示した事実につき真実であることの証明がない以上、被告人において真実であると誤信していたとしても、故意を阻却せず、名誉棄損の刑責を免れることができないことはすでに最高裁判所の判例(昭和34年5月7日第一小法廷判決)の趣旨とするところである」と判示して、上記主張を排斥した。最高裁は、名誉の保護と、憲法21条で保障されている正当な言論の保障の両者の均衡を考慮するならば、行為者が誤信した時、相当な資料、根拠に照らし相当な理由があるときには故意がなく、名誉棄損罪は成立するべきでないとした。最高裁は同裁判所昭和34年5月7日第一小法廷判決の判例の変更を認め、和歌山地裁に差し戻した。

(最高裁の昭和34年5月7日第一小法廷の判決とは、火災が発生した際、その付近で男の姿を見てこれを目撃した被告人が近所のAだと思い込み、確証もなく、Aの家族や近所の人等に「Aの放火を見た」と広め、被告人に名誉棄損罪が確定したものである。)

 あまり故意阻却を認めず、結果的に処罰の範囲が広くなってしまうと国民が委縮してしまう可能性もありうる。相当な資料、根拠があるのであれば、故意がないと認めたこの判決は、表現の自由を広く認めた妥当な判決であると筆者は考える。

 

参考文献

向井 久了(2008)『やさしい憲法 第三版』 (法学書院)

芦部 信喜・高橋 和之 補訂(2009)『憲法 第四版』(岩波書店)

前田 雅英(2008)『刑法総論講義』(東京大学出版会)

高橋 則夫(2011)『刑法各論』 (成文堂)

西田 典之・山口 厚・佐伯仁志(2008)『別冊ジュリスト 刑法判例百選T総論 第6版』 (有斐閣)

西田 典之・山口 厚・佐伯仁志(2008)『別冊ジュリスト 刑法判例百選U総論 第6版』 (有斐閣)