尾竹裕介作成
1.双務契約と危険負担
双務契約と
は、契約当事者の双方が互いに対価的な債務を負担する契約をいう。XがYに対してあるものの引き渡し債務を負い、その対価としてYがXに対して金銭支払い 債務を負うという、いわゆる「売買契約」がその典型である。売買契約では、ある商品の引き渡しの契約を原因として、その対価としての金銭支払いの契約が発生するのである。このような性質上、双務契約には3つの牽連性が認められる。
1つめは成立上の牽連関係であり、売主の債務が原始的に不能で成立しない場合には買主の金銭支払い債務も成立しないとされるものである(民521条以下)。2つめは履行上の牽連関係であり、一方当事者は相手方の債務の履行があるまでは自身の債務の履行請求を拒むことができるとするものである(民533条の同時履行の抗弁権)。そして3つめが本稿のテーマとなる存続上の牽連関係(民534条以下の危険負担)である。
双務契約は、 前述したとおり対価的関係にたつものである。そこで問題となるのが、一方の債務が消滅した場合に他方の債務はどうなるのか、ということである。たとえば売主が故意に商品を滅失したような場合には買主は金銭を支払う必要はないし、又売主の債務不履行を原因として損害賠償の請求をすることができるとするのは常識的に考えても妥当である。民法上も、債務者の責めに帰する理由で債務が履行不能になった場合、債権者は損害の賠償を請求することができる旨規定されてい る(民415条)。しかし、売主が故意に目的物を滅失したのではなく、たとえば店の火事だとか地震などの不可抗力によって債務の履行が不可能になった場合はどうであろうか。その場合でも買主は代金を支払う必要があるのか、それとも支払う必要はないのかという問題が生じる。この、一方の債務が当事者の責めに帰することができない理由(不可抗力)で消滅してしまった場合に、その対価的関係に立つ債務の給付をどうするのか。つまり、危険(損失)を債務者と債権者のどちらが負担するのかというのが「危険負担」の問題である。
2.危険負担の原則と例外
(1)危険負担の原則
事例1 ある居酒屋の店員が、お客からビールの注文を受けた。店員はビールをジョッキに注ぎお客のテーブルまで運ぼうとしたところ、地震による大きな揺 れがあり倒れてビールをこぼしてしまった。料金の請求をすることはできるだろうか。
事例1のような場合、常識的に考えると、そのようなことはできないし。お客からすれば、自分はまだ口をつけるどころか、手に取ることすらしていないのに、自分のものになるはずのものを他人が滅失してしまった時に、その損失を負担しなければならないのは不合理で納得のいかないことであろう。又代金が欲しいのであれば、代わりのビールを持ってくるようにと言えるのは当然である。つまり事例1の場合、危険は債務者が負担すると考えるのが妥当であるというわけである。このように、一方の債務が消滅したら他方の債務も消滅するという考え方を「債務者主義」と呼び、民法536条1項に規定されている。そして危険負担においてはこの「債務者主義」が原則とされる。
(2)危険負担の例外
事例2 Xは建売住宅を購入したが、Yからその引き渡しを受ける前に不可抗力による失火によって滅失してしまった。代金を支払う必要はあるだろうか。
事例2のような場合、事例1と同様に、Xからすればまだ売買契約を交わしただけで住んでもいないのに代金は支払わなければならないというのは不合 理だろう。しかし、建売住宅は特定のある場所に建ち、日当たり、景観、完成した建物の個性・性質に着目して購入を決定するものである。これに対し、メニューから中庸の性質のものが出てくると期待し、種類に着目して注文をする事例1とは異なるものであるといえる。民法では、前者のような物の個性に着目して取引されたものを特定物と呼び、対して種類に着目して取引されたものを不特定物、その給付を目的とした債権を種類債権と呼ぶ。では、このような違いは結論にどのような影響を及ぼすのだろうか。この点、日本の民法では当事者同士の申し込みと承諾によって契約が成立するとされる「意思主義」が採用されている。そして物件変動は、売買契約を締結した時点で特定物について物権変動が生じるものとされ、例外として不特定物を目的とした売買(種類債権)や他人物売買のような物権変動に対する障害が除去されたとき又は特約に基づいた時点で移転するものと判例実務上考えられている。このように考えた場合、事例2で特定物売買である建売住宅は、売買契約成立の時点でYからXに所有権が移転しているものと考えられる。そうであるならば、引き渡し前に住宅が滅失した場合であっても既に売主の引き渡し債務は履行されていると見ることができるから、代金支払い債務は消滅しないと考えるのが妥当であろう。これは、「利益の存するところ損失もまた帰する」というローマ法以来の原則である報償責任や、「所有者は危険も負担する」という考えからも読み取ることができる。
以上は民法534条1項に規定され、特定物に関する物件の設定又は移転を双務契約の目的とした場合において、債務者の不可抗力におって滅失又は損傷した時はその損失(危険)は債権者が負担する旨を規定している。これを「債権者主義」と呼び、原則である債務者主義の例外とされる。
(3)種類債権と制限種類債権
事例3 ある居酒屋の店員が、お客からビールの注文を受けた。店員はビールをジョッキに注ぎお客のテーブルまで運んだが、お客が口をつける前に地震によ る大きな揺れがありジョッキが倒れてビールはこぼれてしまった。代金を支払う必要はあるだろうか。
事例3のような場合には、すでに注文のビールはお客の手元に届けられているのであり、お客は代金を支払わなければならないし、店側も代金の請求ができると考えるのが妥当であろう。たとえ口をつけていない場合でも、店に対し代わりのビールを持ってくるように主張できるとするのは不適当だろう。この点、前述したように不特定物を目的とした売買(種類債権)はその障害が取り除かれ、特定物となったときに物権変動が生じるとされ、この特定された債権を種類債権に対して「制限種類債権」と呼ぶ。民401条2項は、債務者が物の給付をするのに必要な準備を完了したとき(前段)又は債権者の同意を得てその給付すべきものを指定したとき(後段)は特定物となると定められるものである。そして、民534条2項は民401条2項の規定により特定物と確定したときには、危険負担は債務者主義から債権者主義に移るものとされる。
ここで問題となるのが、不特定物(種類債権)が特定物(制限種類債権)になるのはいつなのか、つまり民402条2項の解釈の問題である。またそれには、そもそも種類債権と制限種類債権の区別の基準は何かという問題が生じる。この点参考となるのが最高昭和30・10・18の『タール売買事件』である。
『タール売買事件』
@事案の概要
漁業協同組合XはYからタール2000ト ンを買い受ける契約を交わした。その受け渡し方法は、Xが必要の都度引き渡し方法を申し出てYが場所を指 定し、Xが容器としてドラム缶を当該場所に持ちこみ受領するというものであった。タールはYが訴外B会社から買い受けXに転売したものでB社工 場内のため池に貯蔵されたものである。Xは一度引き受けを行ったが、それ以降タールの品質が悪いことを目的として引き受けは行われなかった。Y はその間引き渡し作業に必要な作業員を配置する等引き渡しの準備をしていたが、その後作業員を引揚げた。タールはB社労働組合員が他に処分して しまい、滅失してしまった。Xは契約解除の意思表示またそれによる代金の返還を求めて出訴した。
A判旨
まず売買は、売買の目的物の性質、数量等からみれば不特定物の売買を目的として行われたものと認めるのが相当である。そしてそれが種類債権であるのか制限種類債権であるのかの確定も必要である。本件債権を通常の種類債権と考えた場合、特段の事情のない限り履行不能は起こり得ないのである。しかし、制限種類債権で あると考えた場合履行不能は起こり得るが、反面目的物の良否は問題とならないのであり、Xが「品質が悪いから引き取りに行かなかった」とすればXは受領遅滞の責任を免れ得ない。また、Yが言語上の提供をしたからと言って物の給付をするに必要な行為を完了したことにはならないことは明らかである。
B差戻し審判決
Xに引き渡すべきタールをため池から取り出して分離する等が、物の給付をなすに必要な行為を完了したと言える基準である。
以上の判例を見てみると、種類債権と制限種類債権の区別の基準は判例の示す通り、履行不能の発生が起こり得るかを基準とするのが妥当であろう。運ぶ前のビールがいくらこぼれてもいくらでも継ぎ足すことができるように、不特定物がいまだ特定されていない段階では、その債務の履行は代わりのものによって可能である。しかし、すでにお客の目の前に運ばれた特定のビールがなくなってしまえば、それと全く同じものを給付することは不可能であろう。このような区別の基準から、種類債権が制限種類債権として特定が行われる基準を考えると、差戻し審が判示したように不特定物が分離された後であり、またそれに加えて、債権者に対してそれが提供あるいは通知がなされることが必要であろう。債権者の知り得ない特定など常識的に考えて意味をなさないし、それでは債権者は自らの知り得ないところで危険の移転が行われることとなり、債権者に酷なものとなるからである。
(4)国際取引における危険負担
事例4 A国で輸出業を営むXはB国で輸入業を営むYと売買契約を交わしたが、商品は運送する途中で滅失してしまった。Xは代金を請求することができるか。
国際取引においては、当事者が特約を置くのが普通である。その際にFOB条件、CIF条件という言葉が用いられる。FOBとはfree on
board(本船渡し)の略称であり、輸出人が契約で指定された船積港で買主指定の本船に商品を積み込むこと(舷側を越えた時)により危険が輸入者に移転することをいう。その後の費用(運賃、保険料)は輸出者が負担する。CIFとはcost,
insurance and freight(運賃・保険料込値段)の略称であり売買原価に保険料(insurance)と運賃(freight) を含め、輸出者は船積までの危険を負担し、商品に対する保険契約を結び、船荷証券・保険証券等の船積書類を輸入者に提供する義務を負い、買主 は船積以降の危険を負担するものを言う。これらは共に、国際商業会議所が作成したインターコムズと呼ばれる定型取引条件である。FOB条件は輸入者が船の手配、保険の手配を輸入者の裁量で自由に行えるので有利であると考えられる。逆にCIF条件ではそれらは輸出者任せとなるから、船や保険の手配の手間を省くことができるというメリットが存在すると言える。
以上を前提に、事例4の取引がFOB条件で行われた場合を考える。FOB条件は現実的引き渡しを内容とするものであり、危険は前述したように、商品が舷側を越えた時点を持って輸出者から輸入者に移転するものである。これは商品が不特定物の場合輸出者が輸入者へ運送することを目的として船積をした時点で特定されたのだと言える。よってもし船積前に商品が滅失した場合、輸入者の輸出者に対する支払い債務は消滅するという債務者主義となる。そして輸出者はこの損害に備え船積前保険を掛ける。一方船積後輸送中に商品が滅失した場合には危険は輸入者に移転しているのであるから、代金の支払い債務は消滅せず債権者主義を採っているものと言える。そして輸入者はこれに備え海上保険を掛ける。
これに対し、CIF条件の場合はどうなるか。CIF条件は船積書類による象徴的引渡しを内容するもので、FOB条件とは異なり舷側を越えて船積されただけでは特定はなされても、輸入者に所有権は完全には移転せず、船積書類を輸入者が引受た時点で所有権が移転するものである。これは、商品価格に保険料等が含まれ、船積書類の引き渡しが義務付けられていることから、それらの引渡しをもって債務者(輸出者)の債務が履行され所有権が移転したものだと考えられるからである。そして船積書類引渡前に商品が滅失した場合は、支払い債務も消滅するものであり、債務者主義を採用していると言える。一方引受後に商品が滅失した場合には、危険が移転しているのだから代金支払い債務は消滅しないのであり、この点債権者主義を採用しているのだと言える。CIF条件では前述したとおり船積書類の中には保険証券が含まれており、この所有者と危険負担をする人間は同一人物であるといえ、CIF条件における保険は輸入者のためのものであり、また同時に輸出者のためのものでもあると言える。
3.債権者有責と危険負担
(1)民法536条2項
事例5 建築会社XはYからビルの建築を請け負った。しかしその後Yは他の建築会社Zに同様の依頼をし、Zが仕事を完成させた。Xは代金を受け取ることができないのか。
事例5の場合、Xは仕事を完成するという債務を完了していないのであるから、代金を受け取ることができないのは当然であると考えられる。しかし、その仕事の未完は不可抗力を原因とするものではなく、債権者であるYの故意、つまり債権者の責めに帰すべき事由を原因とするものである。そう考えると、Xは代金を受け取れないのは不当であろう。そこで民536条2項前段では、債権者の責めに帰すべき事由による場合には債務者は反対給付を受ける権利を失わないとして、危険負担について債権者主義を採ることが定められている。もっとも、Xは建築をする債務を免れたことでの利益も存在すると考えられる。たとえば、建築のための資材を購入する費用の支出を免れるという利益である。これらの利益までもYに負担させるのは不当であろう。そこで同後段では、自己の債務を免れたことによって利益を得た場合は、その利益を債権者に償還する義務を負わせる旨を規定している。
(2)民法536条2項の特則としての労働基準法26条
事例6 X企業で働く従業員Aが不正を行い、Xは業務停止命令受けた。Xで働くYはこの間給与を受け取ることができるか。また、その間他社で働いて得た収入(中間収入)はどう扱えばよいか。
企業活動においては、明確に債権者の不可抗力か債権者有責なのかの判断ができないことが多い。事例6の場合や、品不足による原材料高騰によって操業短縮に追い込まれるような場合がそうである。債権者の有責性を厳格に判断し、これらを不可抗力としてしまうと、従業員は給与を受け取ることができず生活をすることができなくなってしまう。一方債権者の有責性を緩やかに判断し、これらを債権者有責としてしまうと、故意のような明確な責任がないにも関わらず給与を全額支払わなければならないという、危険負担と言う観点からバランスがとれたものとはいえない債権者に酷なものとなってしまうだろう。そこで民536条2項の特則として労働基準法26条が規定され、労働者に対しては使用者の責めに帰すべき事由による休業の場合において、最低限の生活保障のための休業手当の支給を認め、使用者に対しては平均賃金の百分の六十以上の手当てを支払わなければならないとし、義務の範囲を制限しているのだと言える。
では休業の期間に中間収入が存在した場合はどう考えればよいだろうか。民536条2項後段は自己の債務を免れたことによって利益を得た場合は、その利益を債権者に償還する義務を負わせている。この規定を事例5の場合に当てはめると、Yは中間収入を使用者であるXに返還しなければならないといえる。しかし、Yは生活の必要から他社で現実に労働力を提供し、給与を得たのであって、その給与をXに償還したり、本来Xから払われるはずの給与から控除されるというのは不当であろう。一方Xにすれば、現実に労働力を提供していないYに対しその給与の全額を支払わなければならないというのは酷であろう。以上のように考えると、前述した労基26条後段の、休業手当は平均賃金の百分の六十以上の手当てを支払わなければならないという旨の規定は、使用者に対しては賃金からの中間収入の控除を認め、しかし最低額を定めることで労働者に対しては生活のための最低保障を与える規定と読むことができよう。以上のように、労基26条の規定は、労働者の生活保障のために使用者の過失認定をより広く認め、その反面使用者の責任を軽減し、危険負担において労使両者間の調和を図ったものと言うことができる。
4.まとめ
以上のように分析すると、危険負担の哲学とは、双務契約において損失が発生した場合に、その損失を合理的な観点から債務者又は債権者のどちらに負わ せるかを定め、両者の得失・利害の調和を図ることであるといえよう。(6842字)
(参考文献)
内田貴『民法U債権各論第3版』東京大学出版会、2011年.
大崎正瑠『FOB条件とCIF条件』成山堂書店、1982年.
金子宏・他『法律学小辞典第4版補訂版』有斐閣、2008年.
中田裕康・潮見佳男・道垣内弘人 編(2009)『別冊ジュリスト民法判例百選2債権』(有斐閣)
講義ノート(板書)