関口 智 作成
論題:社会保障と地方自治
10J103004法学部法律学科 中江ゼミ所属3年 関口 智
1. 国の持つべき役割
厚生労働省より、平成23年度の国民年金保険料納付率は58.6%と発表された。これは、過去最低の記録を打ち出したことになる。つまり、この6年間、保険料納付率は悪化し続けていることを意味する。国民は未だ「社会保険庁」が作り上げた年金制度に不信感を抱き続けているのである。2007年に、ある種の信頼関係が崩壊したのだと、私は考えている。これまで、国家と国民とが際どいラインで繋がっていたものが、旧社会保険庁の不祥事で断ち切られてしまったのである。リターンの望めないものに誰も投資しないように、国民は年金から手を引いてしまった。6年間の悪化は、社会保険庁が国民年金機構に変わろうとも、同じ『年金制度』であると認識された結果であろう。そして同時に、これは大きな時限爆弾である。低年金・無年金者の老後は、一体誰が支えるのか。このまま保険料納付率の悪化が続けば、当然のことながら全ては国の負担となる。一刻も早く、国民との信頼関係を取り戻す必要がある。その為に解決すべき問題は多い。国内全体を見ても、特に少子高齢化は大きな問題である。地方の過疎化、都市への人口の流入が騒がれ、人口減は確定的である。しかしながら、そのような大きな問題も社会保障の視点から各地域を見れば、それぞれを取り巻く経済状況及び人口の分布は異なり、抱える問題は異なってくる。社会保障の分野の中で、それぞれの地域は多様なニーズが生じているのである。これまで国家は、ナショナルミニマム、国家一律保障を基本に動いてきた。いつまでも国家一律を基本にしていては、各地域の特色は潰れてしまう。長きに渡り、国家と地方は上下の関係として位置づけられていたものの、昨今は対等な関係として扱うべきというのが世論である。ならば、ナショナルミニマムは最低限一律とすべきものを定め、残りは地域のニーズに合わせた自主性に委ねるべきではないか。地方自治体は地方分権一括法により税の徴収まで可能になっているのにも関わらず、社会保障制度は与えられた基準に従っていたのでは円滑な社会保障行政は望めない。社会保障行政は最も身近な地方団体によって行われるべきであり、地方分権一括法により、地方自治法上も、地方団体は「地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担う」(地方自治法第1条の2第1項)とされている。故に、住民に身近な事項に関しては、地域の実情に応じて地方団体の自主的な判断に委ねるのが妥当であり、今後の社会保障行政のあるべき姿だと言えよう。国と地方の役割を明確にし、国は最低限一律であるべき部分のみを抑えるべきである。
2. 今後の社会保障行政のあり方
かつて、廃藩置県によって日本は中央集権的な国家へ傾いた。知事とは国からの派遣職員であり、各府県は国の出先機関のような扱いであった。それが徐々に地方分権化へと傾いて行き、地方分権一括法の制定により機関委任事務は廃止され、法定受託事務と自治事務の二部門に分かれた。かつて国が上から押し付けていた仕事は、原則国が行うべき所を地方自治体が行なっているのだ、という形に変更されたのである。今まさに、それは次の段階へと移ろうとしている。特にこれは、国民健康保険について顕著である。現在、国保の実施主体は市町村となっているが、これは制度を作った時代とは状況が大きく異なっている。制定当時は昭和13年、現在の形に収まったのは昭和34年であり、当時の被保険者は自営業者、農業者が主であった。しかしながら、現在地方都市において、自営業者、農業者は共に現象の一途を辿っている。では、今国保の被保険者は主に誰なのかと言えば、解雇を受けた者を含む無職者と高齢者である。つまり、自治体が保険料を上げようにも、彼らには経済力が無いのである。したがって、これまで通りの保険料で、増え続ける無職者と高齢者を支え続けなければならないのである。そして現在、市町村においては財政難陥りやすいことから、運営主体を都道府県に移すことが決定されている。これが一番の問題であると私は考えている。先程も述べたように、都道府県は国の出先機関ではなく、独立した自治体である。では、中央政府は国民健康保険の運
営を都道府県に移管した後、何も口を出さないのかと言えば、そういうわけではない。診療報酬の内容、点数設定、保険医療機関の指定、取消し、監査、全て国が行なっていることであり、権限は全て中央政府に集約されている。そして、責任に関しては市町村から都道府県へ移せ、とこれでは廃藩置県の時代の明治政府と何も変わっていない。財源も権限も握ったままで、上から責任を押し付けるような方法では、過去へ逆戻りである。都道府県へ移した上で、権限と財源もその地方へと譲渡し、健全な社会保障行政が行われるように中央政府は動かなければならない。モデルケースとして挙げたいのは、後期高齢者医療広域連合である。後期高齢者医療の事務を処理するため、都道府県の区域ごとに当該区域内のすべての市町村が加入する広域連合を設けることが法律で定められたことによって発足した機関だが、この制度を国民健康保険にも適用すべきである。地方ごとの特色に応じ、連合を組むことで、健全な運営を可能とする。しかし、これには問題点も多く存在する。まず、後期高齢者医療広域連合自体多くの失敗を抱えている。例えば、都道府県は広域連合に加入していない点が大きいだろう。これにより、広域的な調整に難儀している現状がある。そして次に、市町村が保険料の収納率を上げてもメリットが無い、市町村に対して見合った報奨がないのである。また、広域連合の職員は専門性に欠けていたという指摘もある。故に、国民健康保険が広域化するにあたり、同じ轍を踏まないためには都道府県の参加、収納率に応じた市町村への分担金、専門職員の登用の三点を満たさなければ、失敗する恐れがある。しかし逆に言えば、これら3点を満たせば移行の容易い広域連合は実現可能性が高い部類に入るのである。これが、私の考える国民健康保険における将来的な自治体のあり方である。次に、年金制度に関してだが、これにおける国の役割は明確である。保険料納付率を上げることは長期的な目標として、まずはどのようにしてその目標を達成していくべきか。私は、歳入庁の導入が不可欠であると考える。歳入庁とは、税と社会保障と一体改革により検討された、新たな組織である。まずは国民年金保険料の強制徴収業務を日本年金機構から国税庁へ統合し、国税庁の有する強制徴収のノウハウを活用することで、国民年金保険料納付率向上を目指す。そして、税金と社会保険料をあわせた「社会保障個人口座」を開設し、「社会保障電子通帳」を交付。医療・介護、年金などの負担と給付の関係を明確化。これにともない、所得の捕捉を公平に行うため、税、社会保険料を通じた、共通の番号制度「社会保障番号」を導入。これらの導入・引き継ぎが終わった段階で、徴収業務を統合した歳入庁の創設を行う。これは平成24年、税と社会保障の一体改革で実現目前まで迫ったものの、自民党に潰されたものである。何故、反対する党があるのかといえば、民間企業含めて国税庁が怖いのである。国税庁の権限が広がれば、自らの汚点をさらけ出されることに繋がりかねない。故に、財務省等は反対に回らざるをえないのである。しかし、これでは健全な年金制度の運営は行えない。現政権には、年金制度の再生を行う為に、歳入庁の創設を実現して貰いたい。
3. 地方自治体の持つべき役割
繰り返しになるが、かつての中央集権的国家から戦後改革以後、多少は地方分権が推進されてきたものの、機関委任事務制度の踏襲と拡張にみられるように、それは中央集権型行政システムを完全に払拭するものではなかったのである。その後も微々たる改正が進むものの、あまり大きな改革であったとは言い難い。故に、地方自治体は地域社会における自治を制約され続けてきた。ナショナルミニマムを重視しすぎた結果、地域的な諸条件の多様性を軽視し、地域ごとの個性ある生活文化を衰微させてしまったのである。行政サービスに対する国民のニーズは多種多様になったのにも関わらず、その価値観に対して全国画一の統一性と公平性の価値基準を押し付けるだけでは、最早通用しないと言えよう。ナショナルミニマムとは一体何だったのか、国家一律の最低基準であるのにも関わらず、その基準は徐々に引き上げられ、今ではナショナルマキシマムとでも言える段階にまで来てしまったのではないだろうか。我々は今一度“ナショナルミニマム”とは何かを思い出し、それ以上の行政サービスについては地域のニーズに合わせるべきである。それはその地域の住民が求めた結果であり、それに関し地域格差が生じたとしても、それは必要な地域の個性というべき内容である。各地域の満足、安心を引き上げる為に必要なものは全国一律の基準ではない。真に成熟した社会に発展していくためにも、地方分権を推進し、固有の自然・歴史・文化をもつ地域社会の自己決定権を拡充すべきである。
4. 付随的意見
最後に、私の意見としては、地域格差はある程度仕方のないものだと考えている。本文中でも述べたが、ある程度地域の個性として受忍すべきものではないだろうか。高齢者が多い地域もあれば、子供が多い地域もある。またはその両方を満たす地域も当然存在する。大規模な企業の工場があり、それで発展する地域もあれば、その地域のベッドタウンとして栄える地域もある。その全てに一律の基準を定めることが、必ずしも正義だとは限らないと私は思うのである。話は多少変わるかもしれないが、障害者福祉に関して似たような事例がある。身体障害者の中には知的・精神障害者と一緒にして欲しくない、という思いは少なからずあるだろうし、逆もまた然りであろう。身体に関しては手が使えないの
と足が使えないのとでは本人の出来ることは全く異なるし、知的に関しても、その度合によって印象は異なるのである。手足の違いといった大きな差異はなくとも、どの程度動くかの度合いによっても本人の気持ちは異なってくるだろう。その全てに一律の保障をすることが、果たして公平なのだろうか。今回社会保障と地方自治の問題に触れるにあたって、この問題に近いものを感じている。現実は細かな度合いに応じて様々な保障が受けられるのだが、それに対して公平ではないと異を唱える者がいるとは到底思えない。地域に関して同じ理念を求めてはいけないのだろうか。各自治体の自主性に委ね、その地域の個性・特色にあった基準を設けることが、将来における社会保障と地方自治のあるべき形である。< /span>
以上
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■ 参考ページ一覧
http://www.mof.go.jp/pri/research/discussion_paper/ron111.pdf
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%A8%8E%E5%BA%81_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
http://blogos.com/article/42763/
http://www.yoshidasuzuka.com/policy_010102.html
http://nsks.web.fc2.com/h-16.htm
http://www8.cao.go.jp/bunken/bunken-iinkai/middle/01.html
http://www.weblio.jp/content/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%88%86%E6%A8%A9%E4%B8%80%E6%8B%AC%E6%B3%95
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E8%97%A9%E7%BD%AE%E7%9C%8C