上野友斗
「情報社会における正義」
18J107010 上野友斗
結論:情報社会における正義とは、マクロ的な観点からは、新自由主義政策を見直すことであり、ミクロ的な観点からは、各人がその役割や人間の本質について再考し、哲学を持って行動することである。
1.総説
「正義」は多義的な概念であり、よって様々な解釈をしうるが、こと社会科学においては、ロールズ的正義とパレート的正義が対立している。ロールズとパレートの対立は、社会における資源をどのように配分すべきかという点で鮮明に表れる。
パレートは、効率的な社会を作ることが正義であると考えた。そのためには、市場に任せることが重要であると主張した。細かくは立ち入らないが、資源配分を効率化することをパレート改善、最大限効率化された状態をパレート最適という。パレート最適では、社会のパイが最も大きくなっている。しかし、社会のパイが100で構成員が2人としたときに、50対50でも、80対20でもパレート最適の状態にあるとされる。つまり、パレート最適な社会が、必ずしも公平な社会となっているとは限らない。むしろ、強者と弱者が共存する現実の社会では、常に強者の取り分の方が弱者のそれを上回ることは明らかである。つまり、効率的な社会を作るべく市場に任せると、必ず強者に富が遍在することになる。
以上の問題はあるが、それでも社会の効率性を高めることによって弱者にも恩恵が行き渡ると主張したのがパレートである。そして、そもそも弱い者が滅びていくのが生物の定めとされている(進化論)。それは社会学にも適用できるから、弱者は歴史の中に葬り去られても仕方がないとも言われている(スペンサー)。その一方で、ロールズは、平等よりも自由が重要であるとしつつ、弱者の取り分を大きくすべきだと主張した。その方法として、後述するが、例えば所得再配分が挙げられる。
ところで、現代社会は工業社会から情報社会へのシフトの中間点にあると位置づけられている。情報社会は、有用なアイデアを持つ者や、ネットワークを活かせる者が国境を超えて活躍する一方、技能のない者は厳しい生活を強いられ、いわゆる勝者総取りとなる傾向にある。つまり、仮に市場に任せた場合、格差が拡大する一方となる。思うに、情報社会では、自己実現的に格差が拡大していくことから、これまで以上に所得再配分などの諸政策の重要性が増してくるだろう。すなわち、自動的に拡大していく格差から生じる問題を回避すべく、ロールズ的な視点に立った政策が求められよう。
ロールズとパレートの対立が、マクロ経済政策、租税法、労働法などの土台となる。以下、本稿では、両者の対立を念頭に置きつつ、情報社会における立法、経済政策等のあり方について検討していく。
2.情報社会における刑事法のあり方
(1)香港、タイの実例から見る行為無価値の問題点
刑事法の議論の前提には、結果無価値と行為無価値の対立がある。両者では、何を罰するのか、という根本的な命題に対する理解が異なっている。結果無価値論は、違法性の本質を法益侵害と解する。そして、刑罰は法益侵害に対する報いであると位置づける。他方で、行為無価値論は、違法性の本質を倫理違反と解する。そして、刑罰の本質について、倫理違反を行わないようにするための教育であると位置づける。結果無価値論は法益侵害という反価値を元に処罰するため、客観的な状態が重視されるのに対して、行為無価値では内心が処罰の対象となるため、主観が重視される。
刑事法に関係する今現在の問題として大きく取り上げているのが、香港国家安全維持法(中华人民共和国香港特别行政区维护国家安全法)と、タイの王室不敬罪に関する議論である。香港国家安全維持法は、中国政府が香港の統制を強めるために制定した法律である。この法律に基づいて、中国共産党を批判した市民を逮捕、拘束する動きが強まっている。同法は、香港に中国共産党の一党独裁体制を強要することが目的であり、構図としては単純であると見てよい。香港国家安全維持法による効果(影響)として、香港の金融業界及び関連市場への悪影響や、香港が中国共産党幹部らの資金洗浄の宝庫であったことから、それらのスキャンダルが表面化するといったことが指摘されている。ミクロ的には、中野省吾の身を案じる声が上がっている。
一方で、タイ刑法112条の王室不敬罪については、社会学的にも深い問題である。タイは仏教国であるから、仏教的な価値観が重視されてきたが、若者が情報社会の象徴といえるSNS等を利用し、自由な情報、意見の発信が行われるようになった。その中においては、タブーとされてきた王室批判や、仏教とは相容れない考え方も含まれる。そのことが、仏教的価値観を重視する層と、自由を重視する層の対立を生んでいる。そして、前者が権力側に立っており、王室批判をする者に不敬罪を適用して恣意的に逮捕しているのではないかということが指摘されている。直近の例では、新型コロナ対応をSNS上で批判する中で、王室が製薬会社の株式を取得していること等を挙げた政党の元党首に不敬罪が適用された事案が問題となっている。
これらのニュースは、日本とは直接的には関係のないものかもしれないが、行為無価値論の問題点を示唆するリーディングケースとなっているものと思われる。その理由は、主観を重視する行為無価値に立つと、香港等における刑罰も正当化される可能性があるためである。行為無価値論に立つと、政府の法解釈をある種の倫理と捉え、それに反する行為をした者を処罰することになる。そのため、政府の恣意的な判断が介入する危険性が高いものと考えられる。そして、香港やタイでは、実際に政府や王室を批判する者が相次いで逮捕されていることを踏まえると、行為無価値的な運用による人権侵害の恐れは、稀なケースとはいえ、日本でも起こり得ないとは断定できないのではないかと懸念されている。そのことをまざまざと示したのが、今日の香港やタイでの騒動ではないかと思われる。
私は、悪い者でも法益侵害が発生していなければ重く罰しないという結果無価値的な考え方は、あまり妥当でないように感じている。そのため、行為無価値論的に主観も重視すべしと考えている。ただし、行為無価値論についても、以上で挙げたような問題があることから、客観的な判断基準も考慮する折衷説的なスタンスに立つべきだろう。以下、いくつかの犯罪類型に触れながら、具体的に検討していくことにする。
(2)主観的超過要素
結果無価値と行為無価値で見解が分かれる典型的なテーマとして、主観的超過要素が挙げられる。主観的超過要素とは、構成要件から超過しているものの、犯罪の成立に必要とされる要件を指す。主観的構成要件要素として、構成要件的故意と過失が存在する。ここでは、その中で主観的超過要素と構成要件的故意に関する問題を検討する。なお、主観的超過要素は、主観的違法要素と、責任要素の2類型に分けられる。主観的違法要素には、目的犯の目的、傾向犯の傾向、表現犯の表現が該当し、一方財産犯における不法領得の意思は責任要素に該当する。そして、行為無価値論では、これらの主観的要素を、構成要件を満たすための要件であるとする一方、結果無価値論では、原則これを要件としないと解している。
傾向犯の具体例として、強制わいせつ罪が挙げられる。強制わいせつ罪では、わいせつな内心が主観的超過要素とされている。行為無価値論に立つと、懺悔させる目的で被害者が着用していた衣類を脱がせた場合、性的意図という傾向がないため、強要罪に留まるとする。最判昭和45年1月29日では、以上のように説いた。一方で、結果無価値論に立つと、客観的な法益侵害を根拠に、強制わいせつ罪が成立すると評価することになる。先の昭和45年判決は、最判平成29年11月29日で判例変更された。平成29年判決において、主観(わいせつな傾向)は判断材料の一つであるが、それが無ければわいせつにならないという点を否定した。
平成29年判決について、結果無価値論からは、行為者の内心ではなく、服を脱がされたという事実に着目し、強制わいせつ罪が成立するとした点が評価されている。結果無価値論の中には、人権侵害を罰すべきという観点から、被害者側の事情を考慮すべきという見解が主張されている。強制わいせつにおいては、同意や、被害者の人権侵害の程度を重く見るべきと主張している。しかし、犯罪の処罰を検討するに際しては、通常は加害者の内心を考慮するものである。そう考えると、被害者の人権の観点から、被害者側の事情を考慮して重く処罰するという考え方は妥当でないように思われる。確かに被害者の人権保障は重要であるが、それはあくまで民事での損害賠償額の問題として考えるべきである。とすると、やはり刑罰の適用を判断する場面においては、加害者の故意過失といった主観を重視して判断すべきである。
次に、主観的超過要素における責任の要素として、財産犯における不法領得の意思について検討する。窃盗罪が成立するためには、不法領得の意思が必要とされるのが通説・判例(大判大正4年5月21日など)の見解である。詳説しないが、不法領得の意思は、他人を排除する意思と利用処分意思に分けられる。中でも、利用処分意思は、「利用意思」と解釈するのが多数説の見解である。そのため、毀棄隠匿目的の場合は毀棄罪が成立するにとどまる。
また、不法領得の意思は横領罪でも要件とされるほか、これに関連して、詐欺罪においても騙す意思が必要とされている。例えば、飲食店ないし運賃後払いのバスや列車で財・サービス提供を受けた後に財布を忘れていたことに気づいた場合、そのまま立ち去っても詐欺罪を構成しない。なぜなら、客観的に見ると無銭飲食、無賃乗車に当てはまるものの、騙す意思が無いためである。
目的犯の例では、文書偽造罪における行使の目的が挙げられる。ただし、文書偽造に関する論点の中にはそれよりも重要なものがあるため、そちらを検討することにする。ここでは、住民票の写しをコピーして氏名を冒用する場面をリーディングケースとする。この場合、細かくは述べないが、論理的に考えれば、複製された文書は私文書に該当し、名義人は作成者たる私人ということになる。しかし、その場合私文書の虚偽作成として、無罪ということになる。この結論は妥当でないことから、判例は公文書偽造罪(刑155条1項)に当たるとした。すなわち、処罰の必要性から理由を付けて有罪にしているものと推測される。これは、倫理違反を罰するという行為無価値論の考え方に結び付くものと言えよう。反対に、結果無価値論からは、論理を貫いて無罪とすべきと主張されている(平野説)。このようなケースでは、住民票の写しが悪用されていることから、直感的には公文書偽造に該当するように見える。とすると、厳密には私文書に該当するにせよ、公文書と判定して有罪としても著しい背理であるとはいえないだろう。したがって、当該判例は妥当と考えられる。
さて、放火及び失火に関するいくつかの規定についても概観する。109条2項、110条は具体的危険犯であり、108条、109条1項は抽象的危険犯である。問題は、公共の危険の認識が、これらの犯罪の成立に必要かどうかである。行為無価値論で考えると、危険と分かっていながら物件を燃やしたのであれば罰して当然とするが、反対に公共の危険が生じると認識していなかったのであれば、故意犯が成立しないと考える。他方で、結果無価値論に立つと、公共の危険の認識は不要であり、実際に危険を生ぜしめたのであれば、これらの犯罪が成立すると解する。判例は、認識不要説に立つ(110条につき最判昭和60年3月28日)。この点についても、結果無価値と行為無価値で争いのあるところである。
(3)共犯と錯誤
ここでは、共犯と錯誤について検討する。共犯と錯誤の問題は、大きく次の3類型に分けることができる。@狭義の共犯(教唆、幇助)と正犯の認識事実の相違、また、A共同正犯者同士の認識の相違、そしてB関与類型(教唆⇔幇助⇔間接正犯)に関する認識と事実の食い違いである。
まず、@狭義の共犯(教唆、幇助)と正犯の認識事実に相違があるケースについて検討する。例えば、狭義の共犯者(教唆、幇助犯)が窃盗を指示したにもかかわらず、正犯が強盗を働いたような場合がこれに該当する。このようなケースを特に「共犯の過剰」と言う。有名判例でゴットン師事件なるものがある(最判昭和25年7月11日)。この場合、単独犯における事実の錯誤の議論と同様に、具体的符合説並びに抽象的符合説の争いがある。判例は抽象的法定符合説に立ち、同一構成要件内の錯誤であれば故意が阻却されない一方、構成要件を跨る錯誤の場合は、構成要件の重なり合いがある限度で軽い犯罪の共犯が成立すると解している。今挙げた具体例に即すと、窃盗罪と強盗罪の構成要件の付合を同定したうえで、軽い窃盗罪を成立させることになる。
代わって、A共同正犯者同士の錯誤についても、概ね考え方は同様である。つまるところ、共同正犯者同士の各行為における構成要件の重なり合いの有無が、共犯者の故意成立のメルクマールとなる。主要判例として、殺人罪と傷害致死罪の事例(最判昭和54年4月13日)、殺人罪と保護責任者遺棄致死罪のシャクティパット事件(最決平成17年7月4日)などがある。判例の見解は部分的犯罪共同説と言われる。これに対して行為共同説などが主張されているが、錯誤論で判断する判例の見解が単純明快であり、妥当だろう。
次に、B関与類型(教唆⇔幇助⇔間接正犯)に関する認識と事実の食い違いの事例について検討する。教唆・幇助犯と間接正犯の場合、自らが主体となって犯罪を行っているか否かという点、つまり意思性の程度が異なる。そして、教唆犯と幇助犯では、教唆犯が正犯、幇助犯が軽い従犯とされることからも明らかなように、その犯罪における支配性が異なる。例として、AはBを事理弁識能力がない者だと思い込み、Bを教唆して窃盗を働かせたが、実際はBに事理弁識能力があり、教唆された内容に納得して窃盗を働いた場合を検討する。この場合、正犯者Bを道具として使う間接正犯を想定していたが、客観的に見れば教唆犯が成立する。その点につき、主観説(重い間接正犯のつもりだったのであればそれで罰する)と客観説(実際は軽い教唆犯となったので、教唆犯とする)が対立している。
このケースと反対に、教唆犯として振る舞うつもりが、正犯者の方が精神病で意味も分からず犯罪を実現したしたため、客観的に見ると、思いがけず間接正犯が成立している場合もあり得る。この場合、先の例と正反対で、主観説は行為者の想定と同じ軽い教唆犯、一方客観説は客観的に判断して重い間接正犯が成立すると解する。これについて判例は、38条2項の法律の錯誤を援用し、軽い方の成立にとどまると解している(仙台高判昭和27年2月29日閏年判決)。また、窃盗見張りのつもりでいたものの、仲間が強盗を犯したため、思いがけず強盗見張りになった事例では、窃盗罪の成立にとどまるとした(最判昭和23年5月1日)。なお、重い間接正犯つもりで軽い教唆犯が成立した場合も軽い方が成立すると解されるが、重い間接正犯の未遂が成立する余地はある(山口・173頁)。
もっとも、教唆犯は正犯の罪が科せられる(61条)ため、確かに法定刑に差異は無い。ところが、共犯の罪の重さは共同正犯の方が教唆犯よりも重いものと理解されている。これは、理論的な問題というよりも、共犯者の行為の態様や、情状を斟酌する段階で問われる実務的な問題であろう。すなわち、宣告刑を下すに際しては、様々な事情が考慮される。その過程において関与の程度なども実質的な判断材料となる。そこで、共同正犯か教唆犯か、という違いが重要になるのだろう。
さて、共犯と錯誤とは離れるが、前に検討した結果無価値と行為無価値で、そもそも共犯というものの捉え方が異なるので、そのことについて軽く付言しておく。これは、いわゆる共犯の従属性と言われるテーマである。このテーマについて、共犯独立性説と共犯従属性説が対立している。これは、正犯が未遂ないし無罪でも、共犯のみ処罰されるか否かという争いである。結果無価値論からは、正犯が無罪なのに共犯が処罰されるのは妥当性を欠くと主張されている。一方、行為無価値論は倫理違反を罰する立場であるから、悪いことを唆すような行為それ自体を罰すべしと主張する。具体例として教唆未遂(教唆したが本人は実行しなかった)の場合、共犯独立性説では有罪、共犯従属性説では正犯同様に無罪となる。
(4)身分犯と共犯
身分犯とは、一定の身分が構成要件要素となっている犯罪をいう。身分犯には、真正(構成的)身分犯と不真正(加減的)身分犯がある。そして、身分犯と共犯の処罰については、65条1項と2項の解釈の問題であるが、学説が錯雑している。例えば、1項は身分犯の成立、2項は個別作用を定めたものとする見解や、1項を違法身分の連帯性、2項を責任身分の個別性とする見解(平野説=中江説?)などがある。判例・多数説は、1項で真正身分犯の連帯作用を、2項で不真正身分犯の個別作用を定めていると解する。また、そもそも非身分者が真正身分犯を犯すことはできないのではないかという見解もある。要するに、身分を違法身分と責任身分に分けて解釈するのか否かという点で解釈が異なる。加えて、65条は1項と2項で真正身分犯と不真正身分犯をそれぞれ規定したものであるのか、違法身分と責任身分で峻別されるものなのか(平野説=中江説?)、または成立と科刑を分離したものとするのか、という争いである。ちなみに、「身分」は広く解するのが判例の立場である。
判例に照らして公文書虚偽作成の事例を検討する。非身分者が公務員を教唆して公文書を虚偽作成させた場合、軽い157条不実記載罪ないし無罪となる。つまり156条公文書虚偽作成罪の適用はない。その一方で、無権限公務員から権限のある上司に教唆して虚偽作成させた場合は、156条公文書虚偽作成罪の間接正犯が成立するとした。156条公文書虚偽作成罪は権限のある公務員に限定された真正(構成的)身分犯である。それゆえ、学説上は@そもそも真正(構成的)身分犯で非身分者が間接正犯になることはない、A157条に当てはまらなければ処罰しない、B157条は軽微な場合に軽く罰するものにすぎず、通常は156条の間接正犯になる、という3つの流れが考えられる。既述の通り判例はAの見解に立つ。
代わって、不真正身分犯において身分者Xが教唆犯(共犯)、非身分者Yが正犯(実行者)の場合に、65条2項が適用されるかという点について検討する。この場合、65条2項の適用を肯定すると正犯(実行者)が身分犯でないのに、共犯は身分犯になるという点で、ある種の矛盾が生じる。これは、先に述べた共犯の独立性の点とも関係する。共犯は独立して存在しうるものと捉えれば、正犯なき共犯が成立していても違和感は無い。一方、共犯従属性説をとると、正犯が身分者でないのに、共犯だけが身分犯になるという点で、65条2項の適用は受け入れ難いということになる。この問題は、65条の解釈に加えて、どこまで共犯の独立性を認めるのかという点も関係してくるため、複雑な問題である。
また、業務上横領罪と関連して、非身分者Xが教唆犯(共犯)、身分者Yが正犯(実行者)の場合に、65条による法的処理をどのようにすべきかという点でも争いがある。出納役宴会流用の最判昭和32年11月19日では、Xを業務上横領より軽い単純横領罪を科すべきとした。ただし、業務上横領が真正身分犯か不真正身分犯かという点で争いがあり、また、違法身分と責任身分を峻別して検討すべきという見解も主張されているが、そもそも平野説で言う違法身分と責任身分自体も明確に区別することはできない。平野説の言うように65条1項を違法身分の連帯作用、2項を責任身分の個別作用と解したほうが明快であるものの、判例は65条について異なる捉え方をしているため、そう簡単には割り切れないところである。したがって、ここでは見解の相違と判例を提示するに留めておく。
ところで、65条が共同正犯に適用されるか否かについても肯定説と否定説がある。ややこしいが、共同正犯は正犯であり、かつ狭義の共犯でもある。そこで、否定説は非身分者が共同実行することはあり得ないと主張する。ただし、判例・通説は共同正犯の成立を肯定している。
(5)個人と国家・社会的法益の均衡と情報社会における刑罰のあり方
犯罪の類型には、国家的法益に対する罪、社会的法益に対する罪、個人的法益に対する罪がある。情報社会では、フリーの個人が増える傾向にある。ともすると、個人・国家・社会的法益のバランスのとり方も再検討する必要があるのかもしれない。そこで、個人と社会の法益が対立する象徴的な場面といえる、名誉毀損について検討する。
名誉毀損罪(刑230条)の保護法益は、個人の名誉である。名誉には、外部的名誉と内部的名誉がある。外部的名誉とは、社会的評価をいう。仮に、その評価が真実でなかった(虚名)としても、それを暴露されるのは許されないとして、保護法益の対象とされている。また、内部的名誉は真価を指す概念である。当然こちらも保護法益に含まれる。以上を端的に述べると、虚名に関することであっても真価に関することであっても、社会的評価を低下させることを主張した場合は名誉毀損罪が成立する。ただし、公共の利害にかかる場合で、かつ公益目的であること及び真実であることを証明すれば罰しないとする例外規定(230条の2第1項)がある。ここでは証明責任が転換されている。とはいえ、証明の程度は相当程度で良いとされている(判例)。条文上は「相当程度の」と書かれていないものの、完全な証明を行うのはほぼ不可能であるところ、判例同様相当程度で良いと修正を掛けるのが合理的だろう。
230条の2について問題となるのは、いわゆる真実性の錯誤があった場合である。名誉毀損の真実性の錯誤とは、行為者が真実であると誤信して表現等を行ったが、実際はそうでなかったというような場合をいう。この場合、条文に忠実に従うならば、名誉毀損罪が成立することになる。真実説はその通りに運用すべきと主張する。一方、真実と信ずるにつき過失がなければ無罪とする見解(過失説)も主張されている。判例は過失説に立つ。この点につき結果無価値論者からすると、名誉毀損という客観的な法益侵害を罰すべきであるにもかかわらず、真実性の錯誤につき過失がなかったという理由で無罪とするのは異存があるだろう。とはいえ、表現の自由への萎縮効果等も踏まえれば、過失説の方が妥当である。ちなみに、このあたりの参考判例としてはチャタレー事件、夕刊和歌山時事事件、インチキブンヤの話事件(東京高判昭和28年2月21日)などがある。
名誉毀損罪においては、個人の表現の自由、真実が明らかにされるという社会的利益、個人のプライバシーの3つが対立している。そして、公共の利害にかかる問題であれば、表現の自由と社会的利益の方が個人のプライバシーよりも優越すると考えられている。
ところで、個人、社会の利益のどちらがより重視されるべきかは、名誉毀損罪に限らず様々なところで利益衡量が求められる。最近話題の例では、岩崎芳太郎と屋久島町長の対立が挙げられる。屋久島町長が新型コロナ対策として、来島自粛を呼びかけたが、汽船事業等を営む岩崎産業は、これを営業権の侵害にあたるとして提訴すると表明した。ここでは会社の利益と町民の利益とが対立しているが、このような事案をどのように判断するかが問題となろう。
以上を前提に、情報社会における刑罰のあり方についてまとめていく。思うに、情報社会ではネットワーク型なので、閉鎖的な村社会と異なり、世界中に情報が行き渡る。とすると、社会的な制裁を受ける機会が多くなる。すなわち、閉鎖的な社会で情報伝達も限られていれば、いわゆる揉み消しや握り潰しも通用するだろう。ところが、情報社会では瞬時に情報が自動翻訳され、世界全体に広がっていく。そのような特性から、犯罪や不祥事の情報が異国の地にまで届けられることになる。そのことによって、世界各地から非難の目が向けられることもあるだろう。企業であれば、世界から非難され、株価下落を余儀なくされる。そのような効果も踏まえれば、刑罰はあくまで最後の手段であると再認識すべきである。つまるところ、刑罰は抑制的に発動していくべきと考えられる。
他方で、ひとえに刑罰と言っても、様々な犯罪類型があり、適用範囲は非常に幅広い。それらをひとくくりにして行為無価値、結果無価値や人権保障、厳罰化を論ずるのは相当でないように思われる。例えば、酔った勢いでの傷害罪や器物損壊罪と、特別背任罪等の経済犯罪では、全く性質が異なるものといえよう。とすると、社会情勢を踏まえながら刑の軽重や哲学、判断基準を考えていかなければならない。この点、情報社会では、フリーの個人が増加する一方で、強大な(グローバル)企業や肥大化した金融市場の諸問題が顕在化してくる。ゴーン事件等はその象徴であろう。これらの性質を考慮すると、会計不正等も含めた経済犯罪については厳罰化していく必要があるだろう。
かといって、全ての犯罪を厳罰化すればよいかというと、それも妥当ではない。例えば、二重譲渡で委託物横領罪が成立するといった解釈は妥当でないように思われる。なぜなら、動的安全が重視される(正確には取引が簡易、迅速化する)情報社会では、法益侵害を民事責任の追求によって解決すべきだからである。また、行為者が社会的制裁を受けることになるが、それでもなお取引行為を行うのであれば、それで良いと言うことができるだろう。つまり、そこに刑罰を介在させる必要は無いものと思われる。そうだとすれば、ある程度自由にやらせたうえで、損害が出たならば民事で解決するというアプローチも重視されるべきである。
以上のことから、場面に応じて結果無価値的な考え方を取るのか、行為無価値的な考え方を取るのかを分けるのが穏当な着地点と考えられる。
3.情報社会におけるマクロ経済政策
(1)IS−LM分析総説とIS曲線
ここでは、マクロ経済政策について検討する。まず、マクロ経済政策においてケインズのモデルを端的に表すのがIS−LMモデルである。短期の経済変動における、需要サイドの均衡モデルと言い換えられる。まず、IS曲線とは、生産物市場が均衡する国民所得と利子率の組み合わせを示す曲線である。金利が上昇すると投資が減少するため、GDPも減少する。よって、IS曲線は右下がりの曲線である。IS曲線に対応しているのが45度線分析であり、国民所得Y=消費C+投資I+政府支出Gと表される。
細かくは述べないが、IS曲線の構成要素として、主に投資理論と消費理論がある。投資理論は、投資水準がどのように決まるのかを理論的に説明するものである。IS−LM分析においては、先述の通りケインズの限界効率理論が元になっている。簡単に述べると、金利が高ければ、借り入れコストが高いので、よほど収益率が高くないと企業は投資をしない。よって、金利が高ければ投資が少なくなり、国民所得も小さくなるとする。反対に、金利が低ければ、収益率の低いプロジェクトに投資しても回収が見込めることが多いため、投資が促進され、国民所得が増加すると考える。
これに対して、トービンのq理論、加速度原理、ストック調整原理、新古典派ジョンゲルソンの投資理論なども主張されている。トービンのq理論とは、投資が企業価値(株価)に好影響を与える場合に、企業は投資を行うとする理論である。ただし、トービンのqと投資との間の関係はあまりないとの実証研究が明らかにされており、この理論を疑問視する見解も多い。また、加速度原理は、投資水準は金利ではなく総需要(国民所得)の増分に比例して決定されると解する。ただし、これに基づいて計算すると、不況期に負の投資という謎の現象が起こることになる。それを修正するのがストック調整原理である。ストック調整原理では、投資の対象を最適資本量と現在の資本量の差分に限定して計算する。ただし、伸縮的加速子が外生的に決定されるため、本来関係があるはずの最適資本量との依存関係が無視されているという問題点がある。新古典派ジョンゲルソンは、金利と資本の限界生産力の比較衡量によって投資水準が決定されると説いた。そして、これらの理論が正しいとした場合、IS曲線自体が不正確なものということになる。
消費CはIS曲線と関係が無いように思えるが、両者は裏表の関係にあるため、IS曲線を検討するうえでは、一応消費理論にも触れておきたい。消費関数は、短期において妥当するケインズ型消費関数と、長期において妥当するクズネッツ型消費関数がある。IS−LMモデルはケインズ派のモデルであり、ケインズ型消費関数が基礎となっている。学説名を当てはめると絶対所得仮説という。ケインズの理論では、一定の基礎消費という土台の上に、所得が増えれば投資も増えるという正の関数が表されるとしている。一方で、消費理論として、他にもライフサイクル仮説(モディアーニ)、相対所得仮説(デューゼンベリー)、恒常所得仮説(フリードマン)
などが主張されている。中江章浩推奨の「自分年金」は、ある意味でライフサイクル仮説的な側面を持つ。この見解からは、家計は将来に備えた貯蓄をすると理解されている。また、相対所得仮説は、消費水準は所得の絶対量ではなく、過去や周囲の人間によって影響を受けて決まるものとする。そして、恒常所得仮説では、長期の平均的な所得と一時的な所得によって消費水準が決定すると解する。なお、消費は貯金額によっても左右されるとする見解(トービンの流動資産仮説)もあるが、マイナーな学説である。
(2)LM曲線と金利と債券
LM曲線とは、貨幣市場が均衡する国民所得と金利の組み合わせを表す曲線のことである。貨幣市場が均衡しているとは、つまり貨幣需要と貨幣供給が一致していることを示す。金利が上昇すると、人々は景気が良いとみてリターンの大きい株式等を購入する。そうすると、企業の資金自由度が上昇し、投資が促進されるので、国民所得も大きくなると考えられている。また、次のような説明もされる。それは、LM曲線の点が高金利のところにある場合、それだけ高い金利の元で貨幣需要と貨幣供給が均衡していることになる。そもそも貨幣には取引需要と資産需要があるが、高い金利であれば貨幣を持たないはずである。とどのつまり、高金利の元では株などに投資する以上、貨幣需要が少なく、反対に貨幣供給量の方が多い状態になるだろう。にもかかわらず人々が貨幣を求めており、その結果貨幣需要と貨幣供給が一致しているということは、それだけ取引が旺盛と言うことができる。すなわち、貨幣の取引需要(≒消費需要)が旺盛であり、国民所得も大きい状態にあるものと理解される。このようなことから、LM曲線は右上がりの曲線で表される。
既にLM曲線の形状に関する説明で大体述べたが、貨幣需要について補足する。債券の個別銘柄の価値は、割引現在価値で計算される。すなわちリスクが反映されるため、金利が上がると価値が低下する。ただし、一国全体においては、人々は金利が上がると、貨幣よりも債券を求めるようになる。すなわち、資産を貨幣で持つか債券で持つかというトレードオフに立たされることを前提とすると、金利が上がると貨幣需要が減少する。なぜなら、貨幣には利子が付かないためである。反対に金利が下がると貨幣需要が増大する。そして、極端に金利が下がった場合、人々はそのうち金利が上がるときを待とうということで、ひとまず貨幣を持つようになる。このような状況を流動性の罠と言う。これについては金融政策に関する論説のところで触れることにする。
(3)財政政策と金融政策
IS−LMモデルでは、財政・金融政策について分析することができる。財政政策とは、政府が主体となって行う経済政策をいう。財政支出を拡大した場合、国民所得決定式
Y=消費C+投資I+政府支出GのGが増加し、Yもともに増加することになる。また、減税の場合は租税Tの減少が可処分所得の増加をもたらし、景気を拡大させる。つまり拡張的な財政政策はIS曲線を右にシフトさせる。一方で、財政赤字を拡大させる効果をもたらす。財政赤字に対する見方として、財政赤字タカ派(日本における通説・中江説)、財政赤字ハト派(世界的通説)、財政赤字フクロウ派(MMT派・上野説)の対立があり、これがそのまま財政政策の積極性をどうすべきかという議論に繋がっていく。
金融政策とは、中央銀行が主体となって貨幣供給量を調節し、金利を操作する政策をいう。そもそも金利にはいくつかの種類がある。まず、自然利子率は、潜在成長率とも言い換えられる利率で、市場の需給によって決定される長期的な利子率を指す。もっとも、短期自然利子率なる概念もあるが、基本的には長期の利子率を指すものである。他方で、金融政策によって中央銀行が決められるのが政策金利(名目金利)である。金利が収益率より低くなければ、企業は投資をせず、経済は上向かない。そのため、中央銀行は恣意的に自然利子率よりも低い利率を設定する。それが政策金利(名目金利)である。なお、政策金利(名目金利)に人々の思惑、期待を反映した金利を実質金利という。したがって、自然利子率と政策金利の差は決定要因と期間の長さである。一度決めた政策金利やそれに期待を織り込んだ実質金利は、いずれ自然利子率に収斂することになる。
拡張的な金融政策によってLM曲線が右にシフトすると、国民所得が増大するのが通常の状態である。一方、先に述べた流動性の罠の状態では、貨幣供給を拡大しても、人々は供給された貨幣を現金のまま貯め込むだけなので、金融政策の効果は表れない。LM曲線が水平で、その水平なものを右に動かしても均衡点は変わらないと視覚的に説明される。なお、流動性の罠の状況において、財政政策は有効である。現在の日本は流動性の罠に陥っている。そのため、金融政策は無効であり、財政政策が有効な状況にある。ところが、不要な財政再建論によって政府支出を拡大できないため、拡張的な金融政策に偏重した経済政策が行われてきた。それがアベノミクスである。アベノミクスでは、政策金利を部分的にはマイナスになる所まで引き下げた。その理由は、そもそも日本の自然利子率がほぼゼロなので、それ以下にするにはマイナスにする必要があるためである。
アベノミクスに対しては、新古典派・ニューケインジアン(中江説)、リフレ派、ポストケインズ・MMT派(上野説)それぞれで評価が異なっている。アベノミクスはリフレ政策であり、金融政策を大胆に行い、財政政策を従としている。よって、消費増税を除いてリフレ派からは高く評価されている。アベノミクスは失敗だったという批判には、消費増税が無ければとっくにデフレ脱却を果たしていたと反論する。また、非正規雇用の割合が増えたという批判には、@高齢化で嘱託が増えるので、非正規の割合が増えるのは当然と主張する。加えて、A非労働力人口が減っているが、そのような人々はひとまず非正規雇用になるので、やはり非正規の割合が増えるが、非正規でも無職の状態よりは良いので、むしろ好ましいことである。簡単に言うと、アベノミクスによる景気回復で非労働力人口(働くことを諦めた人)が労働市場に戻ったわけで、大きな成果である。その一方で、働くことを諦めていた人がいきなり正社員で雇われるのは難しいので、結果的に非正規が増えたことになる。それを「増えたのは非正規ばかり」と批判するのは見当違いである、と反論する。また、実質的な賃金が下がっているとの批判(中江説)には、次のように反論する。まず、平均賃金の性質として、新規採用が多いと平均賃金は下落するニューカマー効果が見られる。新規採用者は既に雇われている社員よりも給料が低い。他方で、失業者は名目賃金の平均に含まれない(そもそも雇用者でないので計算に含まれない)。つまり、新規採用者が多いと、賃金の平均は下がるといえる。したがって、失業率が上がり、平均賃金以下で働いている労働者を大量解雇すれば実質賃金は上がり、反対に、景気が良くなって新規採用者が増えると実質賃金は下がる。前者による賃金上昇が良いといえないのは当然である。むしろ失業減&平均賃金低下の方が好ましい。そうだとすると、実質賃金低下も批判されるいわれはないと反論している。財政赤字については世界的な通説である財政赤字ハト派に立つので、財政赤字をまったく問題視しないわけではないが、景気回復を果たせば税収が増加するので、そこで赤字額を削減していけばよいと理解する。
これに対して、日本の通説主流派(中江説)は、貨幣数量説(MV=PT)ないしフリードマンの新貨幣数量説(M=kPY)を根拠に、拡張的な金融政策そのものを否定する。また、財政赤字については世界的には少数派である財政赤字タカ派に立ち、直ちにプライマリーバランスを黒字化しなければならないと主張する。そのため、アベノミクスは緊縮的な政策に変えるべきと主張する。
一方でポストケインズ・MMT派(上野説)は、貨幣数量説(MV=PT)及びフリードマンの新貨幣数量説(M=kPY)を明確に否定する。一方で、ポストケインズ・MMT派内でも議論があるが、金融政策の効果を限定的と解しており、財政政策を主導してデフレ脱却を図るべきだと主張する。そして、アベノミクスは積極的な財政政策がほとんど行われず、それどころか減税すべき消費税をさらに増税したため、その点を厳しく批判している。MMT派は財政赤字を容認するため、インフレにならなければ財政支出の制約はないと解する。もれなく現在の日本はデフレであるため、積極財政が求められるとする。
ところで、新古典派とケインズ派では、経済成長理論も異なっている。ケインズ派の成長理論は、ハロッド=ドーマーモデルと呼ばれるものが用いられる。生産関数はレオンチェフ型である。このモデルで重要なのは、ナイフ=エッジ原理である。これは、簡単に述べると、経済はナイフのエッジ(刃)の上を歩くような、非常に不安定なものということである。ひとたび現実の経済成長率と保証成長率に乖離が生じれば、経済は加速度的に均斉成長から離れて行ってしまう。そうならないためには、不安定な経済を、積極的な財政金融政策によって支えなければならない。とすると、ケインズ経済学は、単に恐慌から脱出するだけのものではなく、中長期的な妥当性をも有していると言えるだろう。すなわち、程度の差こそあれ、政府の介入(財政金融政策)は平時においても重要ということである。
古典派・新古典派の理論で面白いのは、古典派マルサスの人口論と、ソローモデルである。マルサスの人口論では、人口が増えると資源の奪い合いになるため、むしろ経済成長にとってはマイナスであると解釈する。一言で表すと資本ストックの希薄(希釈)化ということである。そして、こちらはトービンのqとは反対に、実証分析で、ある程度の正確性、妥当性が証明されている。また、ソローモデルは、非常に簡略化して述べると、人口Lで割り、一人当たりで経済を見るというものである。各種試験におけるソローモデルの計算問題では、例外なく何かしらのタイミングで国民所得等を労働人口Lで割るという過程が入る。それはそれとして、生産関数は一時同次のコブ=ダグラス型である。つまり、生産要素間の限界代替率が一定である。ソローモデルでも、人口で割る計算過程から直感的に分かる通り、人口が増えると分母が増えるため、経済にはマイナスとなる。このことから、人口が少ない方がGDP増大に働くという結論が導き出せる。特に、可住地面積人口密度という指標を用いれば、日本の首都圏の人口は明らかに過多であると言えよう。とすると、日本も人口を減らした方が良いのではないかという議論になる。
中江説の「皆さんは雀の涙ほどしか年金を貰えません。理由は2つ。1つは少子化、2つ目は財政赤字」という主張の1つ目は、仮にマルサスの人口論やソローモデルが正しいとすると、まったく正反対ということになる。そして、ポストケインズ・MMT派に立って財政赤字を問題としないとすると、2つ目の根拠も崩壊することになる。このうち、2つ目の理由は明らかに誤りと言えるだろう。一方、人口減少のところはもう少し議論の余地がある。
先に述べたマルサスの人口論等の対極に位置する理論として、AKモデルやクレマーの理論(ただし発展途上国に妥当)といった、内生的成長モデルがある。これらの理論では、人口が増えると技術革新等が促進されるなどして、経済発展につながると言われている。発展途上国においては、ニコラス=カルドアの定型化された事実などが妥当するかもしれないが、もうそれらは無視して、日本における上野説の見解を述べておくことにする。まず、可住地面積人口密度で見ると、東京、大阪、名古屋などは世界的に見ても異常と言えよう。したがって、3大都市圏は人口を減らすほうが経済厚生を高められるだろう。一方で、その他の地域はトレンドとして過疎化が進んでいることから、明らかに人口を増やす必要がある。そのためには、地方において国債発行を財源とした公共事業を積極的に行うことで、雇用を創出すべきである。具体的には、道路、ダム等の整備のほか、JR北海道や第三セクター路線、補助金で維持しているバス会社等を国有化し、全て国債発行で路線を維持しつつ、インフレ率に基づいて付けられる予算に応じて本数を増減便することなどが考えられる。また、地方における空港事業や中古不動産市場、農林業等に対しても、国がテコ入れしていくべきである。住宅の問題と関連して、自治体頼みでの移住支援には限界があるから、それについても、政府が主導して様々な支援を行っていくべきである。
(4)金融市場の肥大化とデリバティブ
ここまで、金利についてマクロ的な観点から検討してきたので、以下、ミクロの視点で債券や株式などを概観する。自分年金を作るには、ライフサイクル仮説をミクロで考え、かつ運用益を考慮する必要がある。公務員ほか各種試験対策としてのライフサイクル仮説では、利回りをゼロとする旨の指示が問題文に表示されているため、単に貯蓄額を計算すればよい。だが、現実はそうもいかない。要するに、ただ貯めておくのでは足りないと言われる。
方法論としては、まず何歳まで生きるのか、仕事をするのか、どれくらい稼げるのか、等々を算定したうえで、貯蓄額を導いてゆく。そこで問題となるのは、貯蓄(投資)の収益率である。そして、リターンとリスクはトレードオフの関係にある。そのあたりの知識を整理していく。
金融商品の種類には、株式、債券、貨幣、現物などがある。そして、そこから派生するのがデリバティブ(派生商品)である。貨幣と現物については省略し、ここでは株式、債券、デリバティブについて検討する。まず、株式を持つことは、会社の所有者になることを意味する。なお、ここでは上場会社を想定する。株価は常に変動することから、元本は保証されない。逆に言えば、値上がりする可能性も十分にあり、キャピタルゲインを見込める。また、配当が得られるため、インカムゲインも期待される。ただし、会社の業績が悪い場合は無配となり、反対に、業績が好調な場合は配当金が高くなる。
債券は、形式的には元本が保証されるため、キャピタルゲインはゼロとなる。また、金利がインカムゲインの役割を果たす。一方、いくら会社の業績が良くても金利が上がることはなく、反対に業績が悪い場合も利率が下げられることはない。なお、債券のキャピタルゲインについて、「形式的」にゼロというのは、債券を売買するにあたっては、売買価格が変わってくることに起因する。すなわち、債券が償還される価格は額面のままだが、それを売買する場合は、債券の価値によって売買代金が異なるということである。債券の価値が上がり、高く売れるのであれば、キャピタルゲインがプラスになり、反対の場合は譲渡損を計上することになる。
債券の価値は、金利が上がると低下し、金利が下がると上昇する。ジャンク債などは、非常に金利が高い。しかし、それと同時に価値も低いものとされる。それは、金利を高く設定しなければ債券の買い手がいないことが原因である。つまり、金利には貸倒れ、倒産等のリスクが織り込まれているため、金利が低い債券は信用リスクが低く、よって安全で価値が高いものとされる。もっとも、ジャンク債であっても、大方の予測に反して倒産せず、無事償還されたならば、投資は大成功となる。ただし、あくまでそれは結果論であり、よって債券の転売や、償還期間内の信用リスクを踏まえると、金利が低い債券の方が良いということになる。そのことを数式で示すのが、割引現在価値という計算方法である。割引現在価値は、金利を静態的に見るだけではなく、リスク等を勘案したうえで、その債券の現在の価値を計るものである。金利分がそのまま価値を低下させるように計算されるため、金利が高ければ高いほど債券の価値は低く算定される。
続いて、デリバティブについて検討する。デリバティブの特長は、レバレッジをかけて投資を行えることである。デリバティブの種類として、将来の原資産を売買する先物・先渡取引、性質を同じくする権利を売買するオプション取引、性質の異なる権利を売買するスワップ取引がある(金融商品取引法2条21項・22項)。先物と先渡は、非典型担保でいえば譲渡担保と売渡担保の差のようなもので、要するにあまり差はないということである。また、売買の態様につき店頭デリバティブ取引と市場デリバティブ取引に分けられるが、深入りしない。デリバティブ取引では、証拠金(≒手付)だけで多くの額を動かせる。ちなみに、ここでいう「手付」が、解約手付を指すのか、違約手付を指すのか、又は証約手付を指すのかについては検討の余地がある。しかし、あくまで証拠金≒手付というのは、レバレッジが効くということを比喩的に表現しているに過ぎないから、これはまったく不毛な議論であろう。
レバレッジ取引は、伊藤の補題と呼ばれる計算方法で額等が算出される。金融工学の細かな点には立ち入らないが、一応そのような式で算出されている。デリバティブ市場では、現物の裏付けがないまま取引されることから、市場が膨張しやすい。そのため、相場の変動幅が大きいことや、現物取引と比べて分かりにくいことが指摘されている。
最後に、投資の具体例として、債券とデリバティブ商品を選択する場面を想定する。その場合、Derivativeと割引現在価値で表される債券の利回りとを比較衡量することになる。債券投資では、割引現在価値を用いて現在の価値を算出することになる。一方で、デリバティブ商品を選ぶ際には、価格変動ほか、様々なリスクを考慮する必要がある。特に、リスクを分散させることが肝要となる。
(5)国際経済分析
ここでは簡単に、国際経済の現状を分析する。まず、世界の成長率を見ると、途上国の庶民や先進国の富裕層が恩恵を受けている一方、先進国の庶民及び中産階級は、低い成長率にとどまっている。この状況を指してエレファントノーズ(カーブ)と呼称される。その原因は、1970年代以降の、新古典派経済学と結びついた世界的な新自由主義政策が、過度な競争をもたらしたうえ、本来規制すべきところに規制がされず(むしろ規制緩和・撤廃され)、富裕層が富の多くを独占したことにある。例えば、アメリカやそれに追随した日本では、貿易、移民、雇用、金融その他多くの分野で大規模な民営化や規制緩和が行われた。これらは、市場に任せるという新古典派=新自由主義の哲学に基づいて行われてきた。
ところが、格差は拡大し、規制されるべき金融市場も自由化されたことで、資産家がそれらの仕組みを使ってさらに富を集める一方、タックスヘイブン等を悪用して租税負担からは逃れてきた。一方、庶民に目を転じると、アメリカでは、金融部門の肥大化により、サブプライムローンを掴まされたが、リーマンショックによって負債だけが残る結果となった。また、労働者の交渉力が弱まったほか、金融の肥大化から企業が株主への配当を最優先するようになり、その結果賃金は上がらず、所得も増えない状況に陥った。さらに日本では不要な財政再建を求めるあまり、不況にもかかわらず政府支出を削減し、増税を行うことで、長期的な停滞を生ぜしめた。
以上が、いわゆるエレファントノーズ(カーブ)と言われる現象の背景にある。そして、その不満がアメリカでDonald John Trumpを大統領に当選させる原動力になったと言われている。しかし、トランプ元大統領は、知的で、優秀で、戦略家で、人望に厚く、模範的な人物であったとする向きもある。トランプ元大統領の英語は教養のない人の英語と評されるが、これはあえてストレートで分かりやすい英語を話していると評されており(渡邉哲也)、また、エリートに対して不満を持つ庶民の支持を集めるための、パフォーマンスに過ぎないとも目されている。そして、過激な物言いは、2007年にトランプがプロレスの興行に参加してからで、それまでは知的な話し方をしていたとも言われている。さらに、トランプは交渉力についても高く評価されている(橋下徹など)ほか、実際は人格的にも優れているとも言われている。プアーホワイトを救うという信念を始めとして、国境の壁についても、不法移民を取り締まるためのものであって、逆に言うと、ルールに基づいて入国してくる移民に対しては、然るべき人道的な対応をするという高明な意図があったものと考えられる。
日本と米国は、優秀な首相・大統領が志半ばにしてその座を降りることになったという点で、奇しくも同じような状況に見舞われている。加えて、次の政権が短命に終わるという点でも、同じような政局の構図となっている。二階=菅連合政権とバイデン政権は共に1期限りとなろう。しかし、長期的な目線に立つと、中国の問題についても議論していく必要がある。
トランプへの評価、経済政策など、上野説と中江説では悉く正反対の主張がされているが、中国に対する認識もまた、相当な相違がある。中江説では、中国がGDPでアメリカを抜くと予想しているが、中国経済は頭打ちであり、世界2位から落ちることは当分なくとも、停滞が続くと思われる。中国のGDPについては、2016年の時点でマイナス成長であったと解されている(橋洋一)。これは、地方政府が手柄のために虚偽の統計を公表していることが背景にある。そして、それを前提に、純輸出その他のデータを突き合わせると、マイナス成長と算出されるとのことだ。また、いわゆる灰色の犀の問題として、庶民の財産の8割が不動産であり、その他の部門も債務率が高いが、不動産バブルは崩壊寸前であることが指摘されている。確かに、債務率が高い理由が、クレジットカードの利用が多いというような場合は、それだけ消費が活発で良い経済状態にあるといえる。しかし、不動産バブルに基づく債務は、今後問題を引き起こす可能性が高いと指摘されている。
また、人民元はドル本位制と解されている(通説)。そのため、外貨準備が無ければ信用が低下することになる。とすると、日本や米国と異なり、MMT理論を用いることができない。ゆえに、国の借金は必ず返さなければならない。このことから、財政政策の余地に限界があることも問題とされる。中江説の「国の借金はどうやって返すの?返す当てはあるの?」という問いは、実は日本や米国には当てはまらず、中国にこそ当てはまる話題と言えよう。具体的には、熊も出ない土地に敷設された新幹線や、回らない水力発電等の諸経費は、中江説で言う「いつか誰かが返さなければならない」ことになろう。
さらに、国際的な中国への締め付け強化による悪影響も懸念されている。バイデン大統領は親中派なので中国叩きは収まるとする見解もあるが、アメリカの法律は議会で決められるものであり、トランプの発言一つで成立した法律はない。したがって、トランプが去った今でもECRA法(通称新COCOM)や国際緊急経済権限法(IEEPA法)は効力を有している。トランプの発言を面白おかしく、ないし中傷するメディアの様子から、アメリカの法律がトランプの一存で決まっていたとするのは誤りである。それゆえ現職のバイデン大統領に代わったとはいえ、中国叩きは多少減る程度であろう。このことも、中国経済への懸念材料の一つである。
以上、中国経済における懸案事項は多いが、いずれにせよ、日本はデフレから脱却し、自国の経済を成長させるほかない。そのためには、政府が積極的に介入することが求められよう。
4.情報社会における租税政策
(1)税法法総論
冒頭で述べたパレート的正義とロールズ的正義は、税法では応益負担と応能負担の対立と読み替えられる。そもそも租税は、貨幣(国定通貨)の価値を担保するために必要とされている(租税貨幣論)。逆に言うと、貨幣は税金の支払手段となるがゆえに、たとえ紙切れでも価値を持つと考えられる(信用貨幣論・貨幣国定説・表券主義)。要するに租税と貨幣は裏表の関係にあると言える。だが、分かりにくいので、そのことを示すモズラーの名刺なる寓話を簡略化のうえ紹介しておく。
ナカエモンは、ゼミ生に対して、お手伝いをしたら「ナカエモン札」を1枚あげると言った。しかし、ナカエモン札が何枚もあったところで意味がない。そのため、ゼミ生は何もしなかった。業を煮やしたナカエモンは、毎月5枚のナカエモン札を支払わなければ、単位をあげないと言った。すると、ゼミ生はナカエモン札を5枚集めるため、ナカエモンの手伝いをするようになった。
これが何を意味するのか。それは、まさに租税の本質である。「ナカエモン札」を貨幣、「5枚」を納税義務に置き換えると、理解することができる。「ナカエモン札」という意味不明な紙が、税金の支払手段になる(大学の単位に関わる)ことで、ゼミ生は必死に集めようとする。すなわち、租税は、貨幣への需要を生み足すものと理解される。これが租税貨幣論である。そして、ゼミ生がナカエモン札を納めるためには、ゼミ生の手元にナカエモン札がなければならない。それは即ち財政赤字と言うことができる。このことから、政府は税収(ナカエモン札を受け取ること)より先に支出が必要ということが分かる。スペンディングファースト、財政赤字は許容されるという議論は、突き詰めるとここに辿り着くのである。
租税の意義を確認したところで、租税原理の議論に戻る。租税は貨幣の価値を担保するために必要であるが、それと同時に、所得を再配分する使命を有している。租税によって貨幣の価値を担保する目的だけを考えると、応益負担が正しい選択肢となる。しかし、格差が自動的に広がっていく情報社会においては、むしろ所得再配分機能をより重視すべきだろう。ところが、人頭税を除いて、税を課すと、インセンティブの歪みによる死荷重が発生する。消費税においては、贅沢品に課税するよりも、必需品に課税するほうが死荷重は小さくなる。なぜなら、必需品の方が価格弾力性が小さいためである。この現象をラムゼイの逆弾力性命題ともいう。
効率と公平のトレードオフは、より専門的に説明すると、所得に占める税の割合であって税金による犠牲ともいえる平均税率(税金/総所得)と、限界税率(所得増加額に適用される税率であり、例えば1万円ごとにいくら課税されるかという問題で、大きい方がインセンティブを歪め、死荷重が大きくなる)の割合をもって算出される。そして、課税の性質として@累進税、A比例税率(≒逆進的)、B逆進税、C定額負担(≒逆進的)の4類型に分けられる。
(2)日本の税制の問題点
日本の税制は、逆進的な性質を持つ税が多いことが大きな問題である。日本において逆進税は存在しないものの、所得に対して逆進的な税は多く存在している。その例として、消費税や、国民年金保険料などが挙げられる。これらは、所得に占める課税割合が富裕層ほど小さくなるため、逆進的な税であると指摘される。MMT派は、消費税を悪い税とするが、廃止すべきという見解のほか、インフレ率に連動させるべきという見解もあるなど、見解は一致していない。租税は、自動安定化装置としての機能も備えている。労働所得税や法人税は累進課税であるため、景気が悪化して所得が低くなった場合は税率が小さくなり、反対に景気が過熱して所得が増えると、所得税の税率が大きくなる。その結果、不況時に所得の減少を抑え、好況時に所得の増加を抑制する。
このような仕組みを消費税にも導入すべきとの見解には一定の妥当性があるといえよう。具体的には、インフレ率が1%を下回るのであれば消費税を3%とし、反対に10%を上回るようであれば、消費税を15%とするといった方針を定めることが想定される。経済政策はルールに従うかべきか、裁量で行うべきかという点で新古典派とケインズ派が激しく対立している。新古典派は自動安定装置のビルトインなど、ルールに従って政策運営をすべきと主張している。その意味で自動安定化装置は新古典派の好物であるが、対極に位置するMMT派がインフレ率に応じて消費税率を変更するという形でそれを活用せよと主張しているのはとても興味深いと感じる。
さて、所得税に関する問題点は、まず、譲渡、利子、配当所得税が一律20%であるのに対して、給与所得税は最高45%の累進税となっていることが挙げられる。つまるところ、高給取りの税負担が大きいのに対して、給料を取ることを必要としないような最富裕層は、株式の売買等で生計を立てているが、それに対しては20%しか課税されない。この問題には、総合課税とするか、譲渡所得税等も累進税とすることが解決策となる。また、資産課税を強化することも重要である。それから、さらに厳しい措置を講ずるとすれば、資本規制を強化し、そもそも海外に資産を逃がせないようにすることも考えられる。また、そのような行為に対しては、行為無価値的に考えて厳しく処罰することも選択肢としてはある。どこかの国ではディスクロージャー違反(会計不正)で死刑になる。そして、そのことが会計の正しさを担保していると胸を張る。しかし、以上で挙げた対策は、まさにその国で現在行われている政策そのものである。中国では、国家独占型資本主義という異質な体制で発展してきたわけだが、日本も資本規制やデジタル規制を強化するなどして、そのような形に近づけるべきと言えようか。いや、そこまですべきでないという意見が大半だろう。とすると、現実的な着地点を見出していく必要があるだろう。
そして、反対に貧困層は、そもそも課税所得がないため、各種控除の恩恵が受けられない。この問題を解決するための策として、フリードマンの負の所得税(給付付き税額控除)が挙げられる。給付付き税額控除と応益負担と格差原理におけるそれぞれの位置づけについて簡単に述べると、次のように言うことができる。まず、給付付き税額控除はロールズの格差原理、つまり応能負担に当てはまると考えられる。言い換えると、貧困層の利益を増加させる一つの方策ということができる。他方で、応益負担で考えれば、給付付き税額控除は正義には反するということになろう。
給付付き税額控除は、所得が一定水準以下に下がった際に自動的に給付対象となることから、自動安定化装置としても機能することになる。これとインフレ率連動型消費税を用いれば、不況期に低い消費税及び給付が受けられることで弱者救済や景気の下支えに貢献する一方、好況になればそれが適用されなくなることで、適正なインフレ率が実現されることになるだろう。そして、共に新古典派が好きな自動安定化装置で実現できることも大きい。つまり、機動的に増税等は出来ないといった的外れな批判が初めから起こらないはずである。
ただし、給付付き税額控除は、実務上手続が煩雑になることが問題とされる。また、新型コロナ給付金詐欺のようなケースが横行するのではないかという懸念もされている。市民から国家への詐欺や、市民から市民へ「給付金が受けられます」と騙すケースも想定される。とはいえ、給付付き税額控除の効果もそれなりに期待できそうであるから、小規模に行っていくのが現実的だろう。
(3)Artificial Intelligence と Basic Income
ベーシックインカムとは、国民全員に一律に貨幣を配布する方法をいう。生活保護と比較して諸手続きにかかる手間が小さいことが実務上の長所とされる。また、負の定額負担となるから、弱者が大きな恩恵を受けられる。「負」の定額「負担」とはどういうことか。正の定額負担は、人頭税のようなものであり、全国民が一律に負担する。その場合、同じ5万円の負担でも、所得が高い人の方が所得に占める負担割合が小さくなる。つまり、定額負担は、実質的に富裕層ほど有利になる逆進的な側面を持つと言える。一方で、ベーシックインカムは「負」の定額「負担」である。つまるところ、5万円の給付など富裕層からすればどうでもよく、要は恩恵など無いのに対して、貧困層にとっては5万円の給付も大きな恩恵となる。つまり、定額負担と反対に、所得が低い人ほど恩恵も大きいと考えられる。そのため、情報社会で格差が拡大する中で、弱者を保護する観点から、ベーシックインカムは効果的だと言える。
他方で、問題点は2点ある。まず、一つはインフレ圧力である。仮に国債を財源としてベーシックインカムを行った場合、単純に貨幣量(=民間黒字)が増えることによるインフレ圧力が想定されている。しかし、この点は全く問題がないだろう(MMT)。ただし、労働供給の減少によるインフレ圧力は大問題である。MMT派の多くがベーシックインカムを批判する理由は、次のようなことにある。それは、ベーシックインカムによって労働供給曲線が左方にシフトすることで均衡点(賃金)が上昇し、賃金上昇に伴って生産物の価格も上昇する、悪性インフレが発生するということである。つまり、ベーシックインカムで生活に困らなくなった多くの労働者が、パワハラないしセクハラが横行する職場から去ることによって、労働供給(働き手)が減少し、それが結局価格に転嫁されるということである。
しかし、情報社会でAIが発達し、労働が不要とされる社会が到来した場合に、そのようなMMTの批判は的外れになる可能性もある。労働供給曲線の左方シフトで賃金水準が不当に上がってしまうというのは、労働が必要とされている(企業の労働需要が一定程度存在する)ことが前提にある。AIの発達で労働が不要になったとすれば(労働需要曲線の左方シフト)、企業は労働者を必要としないため、均衡点は変わらず、すなわち賃金上昇や悪いインフレも起こらないということになろう。べーシックインカムに肯定的な井上智洋や堀江貴文などは、このような社会の到来を想定しているものとされる。とはいえ、全てAIが仕事をこなすような、つまり労働者を必要としないような社会が到来するのは相当先だろう。そうであるならば、インフレ圧力というベーシックインカムの問題点は、依然として横たわり続けることになる。
加えて、租税貨幣論からは、ベーシックインカムによる労働所得からの税収減少と、貨幣価値の下落が懸念されている。前提として、生活保護と同様に、ベーシックインカムには課税しないとするのが一般的である。貨幣は租税によってその価値を担保されていると解されるところ、ベーシックインカムとして非課税の貨幣がばら撒かれた場合、貨幣の価値を毀損する恐れがあることが指摘されている。
以上を踏まえると、ベーシックインカムについては、給付付き税額控除以上に慎重になる必要があるだろう。ただし、給付付き税額控除が税務行政上、生活保護以上に煩雑になるのに対して、ベーシックインカムは非常に簡単に行えるメリットがある。そのため、選択肢の一つ程度に認識しておくべきだろう。
(4)暗号資産と物権変動及び課税について
中江説によると、「仮想通貨は情報社会の本質」と言われる。しかし、仮想通貨は租税の支払い手段にならないため、おもちゃに過ぎないと解する見解も有力である(MMT)。仮想通貨に対する評価は商品貨幣論(中江説)と信用貨幣論・租税貨幣論(上野説)で正反対となる。ただし、仮想通貨は情報社会の本質とまでは言えないが、「象徴」と言うことはできるだろう。そこで、仮想通貨(以下、暗号資産という)と物権変動及び課税について、ごく簡単に触れておく。
物権変動の対抗要件について、不動産は登記(民177条)、動産は引渡し(民178条)と規定されている。そして、不動産において登記が無くても第三者に対抗できる場合として当事者間、詐欺、強迫等による取消前に第三者が現れた場合、権利者が相続放棄をした場合などが挙げられる。一方、動産の場合は、即時取得(民192条)制度が設けられており、取引安全がより重視されている。なお、占有改定(民183条)によって引渡しとすることができるが、即時取得の要件は満たさないといった修正がされている(判例)。ただし指図による占有移転(民184条)の場合は即時取得が認められる(判例)。この両者の違いは、第三者による占有改定の場合は、もと所有者の間接占有が依然として残っているが、指図による占有移転で寄託先業者(動産保管業者)の帳簿等のデータが書き換えられた場合は、その時点でもと所有者の間接占有が失われることにある。
では、貨幣の場合はどうか。貨幣は、占有者=所有者とされる(最判昭和39年1月24日)。一方で、暗号資産の場合も同様と解する説が有力である。ビットコイン所有権否定判決(東京地判平成27年8月5日)において、ビットコインは所有権の客体とはならないと判示した。なぜなら、有体性と排他的支配可能性がないためである。ちなみに、暗号資産の譲渡益に対しては所得税が課税される一方、消費税の課税はない。このあたりも矛盾と混乱が生じているのではないかと指摘されている。ただし、物権変動の理論として言えば、暗号資産は、貨幣と同様、その物の個性に着目するものではないから、占有者=所有者と解するのが相当である。そして、損失を被った分については、不当利得返還請求で処理すべきだろう。
そして、政府によると、暗号資産は通貨としては認められないとしている(当然である)。そのため、仮想通貨によって弁済を行った場合は、代物弁済(482条)という扱いとなる。代物弁済をすると、それによって全ての債務が弁済されたことになる。ところで、暗号資産を担保物とできるかどうかについても議論がある。譲渡担保等では、丸取り防止のため、清算義務が生じるといった法理が確立している(代物弁済との違いが明文で見られるのは仮登記担保法9条)が、価値の変動が激しい暗号資産が、担保物として通用するのだろうか。
暗号資産に関する論考は、未開拓分野も多いためこの程度にしておくが、これらは民法等の起草者による想定に無いため、混乱が生じている面もある。そのようなものに対しては、金融商品取引法等によって一定程度厳しく規制することで、詐欺やその他の問題を防止することができるだろう。一方で、中国のように全面禁止というところまで厳しくすべきかと言うと、それも相当ではないだろう。したがって、自由にやらせることと規制をかけることのバランスを取ることが、情報社会における正義を考えるうえで重要になるだろう。
5.情報社会における働き方
(1)労働法総説
企業の利益を配分する先は、労働者と株主である。言い換えれば、企業はその利益を労働者に払うか、株主に還元するかというトレードオフの関係に立っている。今日では、金融の自由化を進めてきた新古典派=新自由主義政策の影響により、金融市場が肥大化している。情報社会では、さらにその傾向が強まるものと考えられる。すると、弱い立場の労働者は、一層厳しい局面に立たされるだろう。まず、今だけ儲かればよいという(外国人)投資家は、企業に対して配当圧力を強める。企業側は、利益の多くを株主に配当することになる。企業の役員も多くの自社株を保有しているため、株価を吊り上げることは、自らの利益にも繋がる。そのためには、労働者の賃金を低く抑え、不要な人材は解雇することになる。新古典派=新自由主義政策によって規制(国境)緩和が行われ、移民受け入れが進むと、労働供給が増えるため、安い外国人労働者を雇えば良いということになる。すると、代替人材はいくらでもいることから、賃上げを要求するような労働者は解雇すればよいということになり、一層賃金を低下させられる。
このようにして、大量の株式を保有できるような富裕層が手厚い配当を受けられるのに対し、労働者は賃金が低く抑えられ、また、解雇される不安に苛まれることになる。その結果、格差は拡大し、内需も停滞することでデフレ不況に陥ったわけだが、ここでは、そのような弱い立場にある労働者を保護するための規制(労働法)について検討する。
(2)解雇規制
日本の判例法理では、会社側から労働者を解雇をするためには、厳しい要件を満たさなければならないとされている。内容は、@人員整理の必要性、A解雇回避義務の履行、B被解雇者選定の合理性、C解雇手続きの妥当性である。これを整理解雇の4要件という。この4要件はかなり厳格なものと解されている。判例ではこの要件を摘示したものが多く、事実上正社員は解雇できないとまで評されている。
MMT派、ポストケインズ派からは、規制を強化することが主張されている。つまり、これまで企業や金融証券市場(富裕層)が恩恵を受けるような規制緩和・撤廃が行われてきたが、市場に任せたところで格差は拡大し、賃金も低下し、エレファントノーズと言われるような停滞を生み出したと認識する。その上で、自由化しすぎた部分を適正な水準に戻す必要があるとしている。それは、雇用に関する規制についても同様である。労働組合が弱体化したほか、様々な要因で労働者の立場が弱くなってきた。今後は、それとは反対の方向に改革していく必要がある。
その観点から言えば、企業に厳しい整理解雇4要件は維持すべきということが言えそうである。しかしながら、正社員の解雇が厳しいからといって、直ちに労働者が保護されているとは言い難い状況にあることが非常に大きな問題である。企業は、「整理解雇4要件で正社員を解雇できないから、しっかり社員を育てていこう」となるのではなく、「正社員を雇うとコストになるから、簡単に解雇できる非正規を多く雇おう」となってしまった。つまり、企業に、正社員を解雇できないなら非正規を雇うというインセンティブを与えていることが大きな問題と考える。
その結果、待遇が悪い非正規雇用が増加し、より労働者の立場が悪化したと言わざるを得ない。このことを踏まえると、日本全体の労働者を守るための整理解雇4要件が、実際は、運良く?正社員になれた少数の正社員を守るためのものに成り下がってしまったのではないかと考えられる。とすると、整理解雇4要件の正当性にも疑問符が付く。
とはいえ、整理解雇4要件を撤廃(正確には判例変更で無効化)すれば、企業は「正社員でも解雇できるようになったから、非正規ではなく待遇の良い正社員をたくさん雇おう」となるだろうか。いや、ならないだろう。それどころか、会社、特にそれを動かす役員は、「どんどん正社員も解雇して、余った分は配当に回そう。そうすれば株価も上昇するだろう。そして自分も株式を持っているから、株価が上がれば儲かるぞ」となることは明白である。
このように考えると、整理解雇4要件をそのままにしたうえで、非正規の待遇を引き上げなければ、罰則ないし課税といった事実上のペナルティを科すような、厳しい規制をかけることが必要だろう。具体的には、同一労働同一賃金の徹底や非正規社員への待遇を強力に引き上げさせるほか、遊休地、内部留保への課税、株主への配当に対する会社への課税、会社法、金商法による株式市場への規制強化などが挙げられる。
そうした場合、労働者の賃金上昇による格差縮小、内需拡大と、内需主導によるデフレ脱却が期待される。一方で、株価の下落や資産逃避、海外への企業流出が懸念される。しかし、それに対しても、外資、資本規制の強化などで厳しく対応すべきである。そのようなことを行っているのが中国共産党であるが、日本においては誤った新古典派=新自由主義政策によって長期の停滞を招いたところ、行き過ぎた自由化、規制緩和を適正水準に戻すのは急務であろう。低賃金に胡坐をかいて株主への配当を増やし、そのことによって自社の株式を多く保有する役員自身も莫大な利益を上げてきた。しかし、本来その利益は投資や賃金という形で社会に還元しなければならなかったものである。その意味で、相応の規制強化をしなければならない。
中江説の言う「思い切った改革や痛みを伴う抜本的な改革」は、デリバティブ等含め肥大化した金融市場や、行き過ぎた規制緩和に対して向けられなければならない。したがって、庶民への増税や財政健全化は全くピント外れということができる。
(3)働き方改革と生産性
働き方改革では、女性や高齢者の就業や、同一労働同一賃金が標榜されてきた。非正規雇用の増加によって中産階級が分解したことを踏まえれば、非正規雇用者への待遇を改善することが必要である。正社員と非正規の格差を是正するため、整理解雇4要件を無効化すべきという見解もあるが、それは正社員の待遇を落とすことで非正規との差を埋めているにすぎず、むしろ正社員まで地盤沈下させることになると推測する。理由は、配当圧力を強める株主や役員らが図に乗るだけだから、ということはすでに述べたとおりである。
そのような観点からは、非正規の待遇を引き上げることが重要であり、その一環としての同一労働同一賃金は正しい政策と思われる。ただし、同一労働同一賃金を達成すべく、正社員の賃金を非正規並みに切り下げるようなことはあってはならない。そのようなケースがあったならば、行政指導、事業者名公表等による社会的制裁を科すなどして厳しく対処しなければならない。
雇用のあり方としては、就社型と就職型に分けられる。日本は就社型であり、1980年代以降の米国は就職型である。就社型では、その会社内で様々な業務を行うことが多いため、可もなく不可もないような人材が多くなる。つまり、「課長代理」をこなせるという人材が多い一方で、専門性は身に付かないことが多い。そして、終身雇用まであることから分かるように、長期雇用で連帯性を重視する。他方で、就職型では、「経理」など、各人が専門的な仕事のみをこなしていく。すると、専門分野に特化した人材が多くなる一方、雇用の流動性が高く、組織のなかでの連帯性も低くなる。つまり、個人主義的な色彩が強くなる。
情報社会では、ピラミッドというよりもネットワークで、各個人が専門性に特化した業務をこなすことが多くなるものと考えられている。例として、就社型の会社で今まで行われてきた雑用や定型的作業、大量生産等はAIや機械が代替することになるだろう。すると、少数の人間が専門的な仕事をこなすことの方が増えると予想される。とすると、就職型の方が情報社会との親和性は高いと考えられる。
とはいえ、企業そのものが消えるわけではない以上、業務のこなし方や内容は変わっても、雇用のスキームまで大きく変える必要は無いものと考える。生産性という観点からは、ある程度の雇用の流動性が求められるだろう。だからといって、整理解雇が簡単に許されてはならないし、株主ではなく労働者を重視すべきという点にも変わりはない。とすると、整理解雇4要件ほか雇用関係の法的枠組みは維持しつつ、AIの導入や業務の遂行方法、マネジメントその他を改善するといった企業努力によって生産性を向上させるべきである。
日本型雇用を批判する新古典派経済学には、世界は一つで人類皆兄弟、世界は合理的期待を形成して行動する無個性な人間の集合に過ぎないといった暗黙の了解がある。そのため、自由貿易、国境撤廃等を主張するが、実際は「国民性」が重要な要素としてある。そして、日本における長期雇用は、ある程度日本の性質に合致したものだと考えられる。そうであるならば、就職型をとる他国で生産性が高いからといって、直ちに日本にも当てはめられるとはいえないのではないか。つまり、新古典派的に人類はみな同じように合理的に行動すると考え、その国に合わないスキームを導入したところで、必ず綻びが生じることになるだろう。そして、新古典派=新自由主義政策の綻びによるツケは、決まって弱者が払うことになっている点で、質が悪いものといえる。これらを踏まえれば、日本人の本音に合った形での雇用制度、労働法の諸規制が求められるだろう。
(4)最低賃金規制と失業と経済理論
最低賃金規制についてニューケインジアンの視点から述べると、まず、最低賃金の引き上げによって、「そんな高い賃金では雇えない」という雇用者が雇用を削減し、失業が増加する。反対に、均衡賃金以下に引き下げると、「安く雇えるならたくさん雇おう」といって雇用量を増加させるため、失業は減少する。これは、労働供給曲線と労働需要曲線を用いて図式的に説明される。つまり、高い賃金と失業者の削減がトレードオフになるということである。
これに対して、中江説は、「最低賃金を少し上げた程度で失業者の数にさほど影響しないのではないか」と考え、そうであるならば、「労働者保護のために最低賃金を引き上げる方が良い」と主張している。この点については、珍しく私も同様に考えている。
一方で、MMT派の一部からは、就業保障(=雇用賃金保証プログラム・JPG)の導入で最低賃金規制を実効化すべきと主張している。オークンの法則により、失業者は少ないほうが良いとされている。そのため、どの学派も、失業者は少ないほうが良いと考えており、この点については見解が一致している。しかしながら、失業対策をどのようにすべきかという点では、見解が真っ向から対立している。
新古典派経済学は、供給したものは必ず売れる(セイの法則)が雇用関係にも当てはまるとする。すなわち、失業者は時間が経てばどうにかなると考えている。そのため、最低賃金規制はインフレや死荷重を発生させるから行うべきでないとする。もっとも、フリードマンの自然失業率仮説で、インフレ対策の為にはある程度の失業者が必要と開き直ったが、MMT派によって厳しく批判されている。
ニューケインジアンは、短期的にケインズ型政策が有効とし、最低賃金規制等もほどほどにしておく。つまり、間接的に失業を減らすような対策をとるべきだと主張する。ポストケインズ派やMMT派は、大規模な財政政策によって雇用を創出するほか、先に述べた就業保証プログラムで、失業者が求めるのであれば、政府が最低賃金で雇うことによって完全雇用を実現すべきだと主張している。これに対してマルクス経済学は、全て政府が仕事を割り振り、平等に雇用すべしと主張するが、それを行ってきた共産主義国は悉く崩壊した。そのように考えると、政府による失業対策、雇用もどの程度まで行うべきかは難しいところである。私も政府による就業保証は行き過ぎな気がしている。つまり、ポストケインズ主義的な強力な財政出動で間接的に雇用を創出し、民間黒字(財政赤字)を拡大するという程度に留めるべきだろう。
以上の議論から見られるように、労働法、雇用政策はまさに経済学と裏表の関係に立つ分野であるから、正しい経済理論を用いて法整備を行っていかなければならない。
(5)雇用保険のあり方
「社会保険」は、社会主義的な「社会」と資本主義的な「保険」という2つの語が結合した用語であるが、言語的、形式的な矛盾にとどまらず、運用面でも福祉と保険の混同が垣間見える。そこで、雇用保険の問題点について簡単に触れることにする。
雇用(失業)保険は、保険であるから、対価性が求められ、よって保険料を支払っていなければ給付を受けることができない。しかし、社会保険は福祉的な視点が求められるところ、それでよいのかという批判がされている。反対に、保険の対価性から、保険料を納めていれば、自己都合退職や、お金に余裕はあるが少し休もうといった定年付近での退職者が給付を受けられることになっている。このことも、福祉の観点から見ると問題があるのではないかと指摘されている。
社会保険の財源について、理論上、政府には予算制約がないことから、国債発行で賄うことが可能である。しかしながら、インフレ率という実物的な制約があることや、受益者が費用を認識すべきであること等、様々な理由から、保険という仕組みを用いることが必要である。とすると、社会保険は福祉としつつも、全て国債発行で賄うのではなく、社会保険税という税金として徴収するような形が理想的と考える。確かに、現行制度のように、保険という方式で、掛けた人が貰えるというのは自然である。したがって、保険ないし貯蓄という形で資金に余裕のある人が掛ける分には勝手にやっていて何も問題はない。しかし、社会保険という建前でありながら、必要としている人に給付がされないというのは由々しき問題である。よって、雇用保険に関する問題に対しては、税制に組み込むのが一つの解決策となるだろう。
6.総括
以上、情報社会における刑事法、経済政策、雇用のあり方を検討してきた。しかし、マクロ的な政策よりも、ミクロ的な、すなわち個人の生き方の方がより重要である。私は哲学、宗教的な側面と、経済活動とのバランスをどうとるかが情報社会における人間の課題であると認識している。私は諸宗派に対して寛容である一方、自然的、霊的なものといった宗派を超える諸現象や普遍的な哲学についても重要視している。一方で、現代社会は情報社会であり、宗教的な修行その他とは相容れない面も多い。具体的には、生活をするためにはある程度の所得がなければならない。そのためには、多少道徳に反することをしてでも競争に打ち勝ち、また欺罔行為も働かなければならない。相手方を動機の錯誤(基礎事情錯誤・95条1項2号)に陥れることも必要だろう。つまり、哲学、宗教的な生活、精神生活に偏っていては生活することができない。その一方で、他人から富を窃取、詐取して豊かになるような生き方も到底許されない。つまり、精神生活と経済生活のバランスをとることが今日における人間の課題といえよう。
以上を踏まえつつ、情報社会におけるミクロ的な意味での正義についてまとめていく。まず、情報社会では勝者総取りとなり、格差が拡大する。そこで、仮に強者になり成功を修めたのであれば、弱者に目を向け、何かしらの形でそれを救い上げるべきである。それがnoblesse obligeということであろう。反対に、弱者の立場に陥ったとしても、自暴自棄にならず、そこから這い上がる努力をしなければならない。
一方で、現代社会の状況を分析すると、それとはかけ離れた者が多いと言わざるを得ない。例えば、金融資本主義によって利益を受けている少数の富裕層は、富を独占し、自らの利益にしか目がない状況にある。また、渋沢栄一や近江商人、かつてのプロテスタントにあったような、倫理観のある資本主義は忘れ去られ、哲学や宗教的背景の無い、自身の金儲けだけを追求する風潮が蔓延っている。会社の役員も、稲盛和夫のような哲学を持ったものはほぼ皆無で、自身の持つストック・オプション、自社株の価値、名声だけを求め、責任は取らず、労働者のことなど知ったことではない、というような者ばかりである。
富裕層以外に目を転じても、「清貧」とは言えないような者が多い。笠松競馬脱税事件はその典型例だろう。中央競馬と地方競馬では賞金水準が100倍違うとも言われており、そのことから中央はぬるま湯につかる一方、地方は生活のためにあくせく働いている、というような観念が形成されていた。しかし、地方は地方で、賞金が低いのなら関係者自ら馬券を買って八百長をする、脱税をする、資金洗浄をする、等々やりたい放題やっていた。つまるところ、富裕層が槍玉に挙げられがちだが、その他の層も、結局は自らの近視眼的な利得にしか興味はないという風潮が広がっているのではないか。
富裕層の諸問題を解決するためには、必然的に金融規制を始めとした厳しい対応を取る必要があるだろう。また、大多数の国民が哲学を持って行動するようになるためには、景気の底上げが必要である。豊かになることで余裕が生まれなければ、ミクロ的な行動変容や国民の意識改革はできないだろう。極端な例で言えば、収入が少なく困窮している者にnoblesse obligeだの哲学だの言ったところで、それどころではないと一蹴されるだけである。ゆえに、まずは政府が大規模な財政出動等ポストケインズ主義的な政策を実行し、デフレ不況を脱しなければならない。そのことによって、国民を豊かにしていくべきである。それこそがマクロ的な意味での情報社会における正義である。
*参考文献
・山口厚『刑法(第3版)』有斐閣、2015年
ほか
・中野剛志『目からウロコが落ちる
奇跡の経済教室【基礎知識編】』ベストセラーズ、2019年
・中野剛志『目からウロコが落ちる
奇跡の経済教室【戦略編】』ベストセラーズ、2019年
・藤井聡『令和版
公共事業が日本を救う』育鵬社、2020年
・藤井聡『MMTによる令和「新」経済論』晶文社、2019年
*細かい政策や理論につき、参考程度に示しておきます。
○経済学派の対立
|
上野説 (有力説) |
中江説 (通説主流派) |
リフレ派 |
徹底した 新自由主義 |
マルクス・ レーニン主義 |
基本哲学・ 経済思想 |
社会契約論+MMT、ポストケインズ主義 |
新古典派、新自由主義 |
主流派モデル+ニューケインジアン |
グローバル思想、左派だが資本主義 |
結果の平等 一党独裁 共産主義、左派 |
基幹税 |
所得税 |
消費税 |
所得税 |
× 無税国家 |
徹底した累進 |
論者 |
西田昌司、藤井聡、三橋貴明 |
財務省ほか |
高橋洋一、田中秀臣、上念司 |
多国籍企業、堀江、竹中平蔵 |
共産党 |
刑事法 |
行為無価値 |
結果無価値 |
|
結果無価値的 |
行為無価値的 |
財政政策 |
◎ 機能的財政論 |
× 無効(古典派) |
△ |
× 不介入 |
○ |
金融政策 |
○ 限界あり |
× 無効(古典派) |
◎ 異次元緩和 |
× 不介入 |
× 政府が管理 |
移民 |
△ |
○ |
△ |
○ 国境撤廃 |
× 鎖国 |
租税哲学 |
租税貨幣論 |
商品貨幣論 |
商品貨幣論 |
商品貨幣論 |
商品貨幣論的 |
良い税 |
所得税+悪行 |
消費税 |
所得税 |
なし 効率性 |
資産課税 |
悪い税 |
消費税 |
所得税 |
消費税 |
特に累進税 |
公平でない税 |
資産課税 |
○ 所得再配分が重要 |
△ 親心に反する |
○ 固定資産税強化すべき |
× 自由、放任を徹底する |
◎ 分配を徹底する |
医学 |
自然医学、東洋医学、唯心論 |
西洋医学、唯物論的 |
|
唯物論的、医療はビジネス |
唯物論的 |
財政赤字 |
○ 容認。イコール民間黒字と解する フクロウ派 |
× 財政赤字タカ派 |
△ 統合政府論+経済成長による税確保 ハト派 |
× 国境撤廃しても一国の破綻は悪影響 |
× 社会主義政策の維持が出来なくなる |
BI |
× JPG |
△ 改良の要 |
△ |
○ |
○ 国が見る |
インフレ |
○ マイルドなインフレが経済成長の要 |
× 自然算出量水準が決まっている。 |
○ マイルドなインフレが経済成長の要 |
× インフレのコスト |
× 国家による管理、統制への影響 |
負担哲学 |
応能負担 |
応能負担 |
応能負担 |
応益負担 |
応能負担徹底 |
私的扶養 |
○ 家族+公 |
△ |
△ |
× 個人主義 |
△ 国が看る |
仮想通貨 |
× おもちゃ。租税貨幣論。 |
○ ババ抜き貨幣論。 |
|
○ 発行体に縛られない |
× 中国は禁止。当局の管理 |
静的安全 |
○ 重視 |
× 取引安全 |
△ |
× 取引安全 |
× 資産国有 |
○成長戦略
成長戦略 |
企業の利益はどこへ行くのか。実は、トレードオフの関係にある。一方は、労働者である。そして、もう一方が株主である。企業の利益をどちらに配分するのか、トレードオフの関係に立つ。 |
|
項目 |
アメ型(賃金主導型)
上野説 賃金を上昇させることで労働意欲を高めるとともに、労働者の消費需要を増大させることで経済成長を図る方策。 |
ムチ型(企業利潤主導型)
中江説 企業の利潤を増大させることで、結果的には労働者にもトリクルダウンが起こり、経済成長が見込まれるとする。 |
学派・イデオロギー |
MMT・ポストケインズ主義・反グローバル |
新古典派・新自由主義 |
需要政策 |
大きな政府(積極財政、減税) |
小さな政府(消極財政、増税) |
供給政策 |
国有化、労働者保護、規制強化 |
民営化、雇用の流動化(整理解雇4要件等は見直し)、自由化、規制緩和・撤廃 |
物価圧力 |
インフレ圧力 |
デフレ圧力 |
格差 |
縮小 |
拡大 |
金融市場 |
縮小 |
肥大化 |
労働者への給与 |
大 労働者保護の諸規制等により労働組合の力は強まり、賃上げ圧力に。 |
小 企業の利益は株主に行き、また、労働規制撤廃や移民の受け入れにより、安い労働力を使えるようになる。その結果、低賃金での雇用が増加する。 |
株主への配当 |
小 労働者への配分が多いため株主に対する配当や株主優待は少なくなる。 |
大 賃金を下げる分、株主第一主義で株主への配当を増大させる。 |
各項目の関連性、 結びつき |
労働者=弱者の所得が増え、株の売買等で儲ける投資家や会社役員の取り分が少なくなる。その結果、格差は縮小する。さらに、投資のうま味が減るため、金融市場は縮小する。 経済成長は、企業の「高い人件費を払うためにはイノベーションを起こし、高付加価値の財、サービスを提供しなくては生き残れない」というインセンティブが主導して実現されると考える。 |
労働者(労働組合)は労働規制の撤廃や移民受け入れにより、企業と交渉しようとしても「規制はない」「嫌なら外国人を安く雇うので来なくて結構」と門前払いにされる。すなわち、労働者は低賃金での競争にさらされる。 他方で、労働者を安い賃金で働かせられる分、企業の利益は大きくなる。その分は投資家に手厚く配当されることになる。その結果、金融市場は肥大化し、株の売買で儲けるような高所得者層がますます富む。労働者(弱者)は低賃金、一方投資家(資産家)は高利回りの配当を享受し、格差は拡大する。 |
経済史 (政策の歴史) 具体例 |
戦後から70年代までの日本・欧米 [米国] 経営者>株主 長期雇用 [日本] 日本型雇用 雇用の安定 雇用重視(今井敬)vs.株主重視(宮内義彦) |
1980年代以降の日本・欧米 [米国] 1982 自社株買い容易化 1991 ストック・オプション規制緩和 1991 移民法改正 ビザ発給緩和 1994 NAFTA、1995 WTO [日本]米国に倣った構造改革 1997 ストック・オプション制度導入 1999 非製造業 労働者派遣自由化 2001 新株予約権制度、自社株買い 2003 自社株買規制緩和、社外取締役 2004 製造業 労働者派遣自由化 2005 外資への株式交換解禁 2014 NISA 家計→金融へ 2018 移民受け入れ、1億総活躍 |
政策による効果 米国の場合 |
・自社株買いの増加、賃金より配当⇒1970年代まで4割程度だった配当率が2008年に8割を超える ・自由貿易による賃金抑制圧力 ・大企業のCEOと正規労働者の報酬比率1980年42対1から2000年525対1 ・金融部門のGDP寄与度1978年3.5%から2008年5.9% ・金融業界の保有資産1980年代GDP比55%から2000年95% ・1980年から2005年まで、金融部門の利益の伸び800%、非金融部門250% ↓ 2008年のリーマンショックで不良債権と低賃金だけが残る。つまり、これらの政策は失敗だった。しかし、それでもなお経済政策は変わらず、日本もむしろアメリカに倣った構造改革を行っている。 背景には、金融業界の政治献金、回転ドア(金融業界⇔政府主要ポスト)、ウォール街の利益=アメリカの利益
という誤った価値観。 |
○中江説と上野説の対立
中江説 |
上野説による批判 |
エコノミストの多数は消費税が良いと言っている |
エコノミストの多数が間違ってきたからこそ、有効な政策が行われず、デフレ不況が続いた。主流派経済学は現在の天動説(西田)。多数派こそ新自由主義政策の誤りを認めるべき。 |
所得を罰する所得税より消費税の方が人間の本質に合う。 |
@○○円の壁については、それをなだらかに引き上げることで解消できる。 A働き過ぎは良くない。とすると、累進性を強め、むしろ過労死するほど働いているであろう高所得者層は罰するくらいで丁度良い。むしろ低い消費税でバカンス(消費)を促すほうが良い。 Bむしろ、消費したい、良いものが欲しいから働くのである(予備的主張)。それを、消費を罰する税制によってそれが叶わなくなるならば、最低限しか働かなくなる。 |
消費税を上げると無駄な消費が減るので環境問題に寄与する。 |
@消費税は環境に悪い商品だけでなく、環境に配慮した商品にも課される。 A環境問題に対応するならば、環境に良い商品を対象に減税するなどの政策が合理的である。一律の消費税と環境問題を並行して論じるのはナンセンスである。 B環境問題に関心を持つことや、環境に良い商品への購買行動は、豊かだからこそできるものである。生きるだけで手いっぱいの貧乏なシングルマザーなどは環境問題に関心を寄せる余裕などない。だとすると、むしろ消費税を減税してデフレから脱却し、国民を豊かにした方が、結果的に環境問題について考える余裕が生まれ、そのことによって環境対策にも繋がる。具体的には、消費減税によるデフレ脱却や家計負担減少によって手持ちの資金が増えたので、「少し高いけど環境に配慮された良い商品を買おう」となるのである。 Cそもそも環境問題など存在しない(予備的主張)。長期的に見ると、地球は温暖化と寒冷化(氷河期)を繰り返しているので、気候変動は容認すべきである。とすると、元より環境問題を論じることに意味はない。 |
市場金利が上昇した際に国債の利払いが出来なくなる。1%金利が上がると日本沈没。 尖閣での軍事衝突、北朝鮮のミサイル発射等で市場金利が上昇すれば予算が組めなくる。 そのことはすぐにでも起こり得る。 ゆえに累積債務は減らさなければならない。 |
中江説が最も厳しく追及するのがこの部分である。これに対しては、ステファニー・ケルトン=土方奈美(訳)『財政赤字の神話』早川書房、2020年を長々と引用して徹底反論する。論点がピンボケしないよう、重要な部分は太字で協調した。 『プランシャールの財政の持続性に関する考え方は、国債の金利という主要な変数が民間の金融市場で決定されると想定している点において誤っている』。つまり債務の持続可能性に対してプランシャールのほうが慎重な見方をしているのは、金利が最終的に跳ね上がり、ギリシャやアルゼンチンで起きたような債務危機につながる可能性を想定しているからだ。しかしアメリカは(ユーロ建てで借り入れをしていた)ギリシャや、(米ドル建て債務をデフォルトした)アルゼンチンとは違う。アメリカが米国債の金利を自らコントロールできなくなることはあり得ない。フルワイラーの言葉を借りれば、国債の金利は『政治経済的要因』である。つまり政治家は常に市場心理に勝てるのだ。経済学者のジェームズ・ガルプレイスはこれをユーモアたっぷりに『重要なのは金利だ、愚か者!』と表現している。国債金利が経済の成長率を上回らないようにするためのシンプルな方策として、ガルプレイスは中央銀行が『予想金利を低くしておけばいい』とアドバイスしている。これは債務の持続可能性に関するMMTと従来の理論との違いを明確にする非常に重要な指摘だ。MMTの考えでは、重要なのは金利と成長率の関係ではなく、インフレだ。とはいえアメリカ(およびその他の通貨主権国)にとっては持続可能性に関する従来の基準を満たすのも容易なことだ。 たとえば日本の例を見てみよう。日本の債務の対比は二四〇%と、先進国で最高だ。「二〇一九年九月末時点で日本の債務残高は一三三五兆五〇〇〇億円と過去最高を記録した。実に一〇〇〇兆円を超えているのだ。 (中略)しかしアメリカと同じように、日本も債務の持続可能性については何の問題もない。なぜなら日本は通貨主権国であり、日本政府の支払義務をすべて処理してくれる中央銀行があるからだ。金利が好ましくない動きを見せれば日本銀行が止められるので、金融市場が日本を債務危機に追い込むことはできない。日本も日銀のコンピュータのキーボードを叩くだけで、債務をそっくり返済することができる。 世界のほとんどの中央銀行は、たった一つの金利を設定することに注力する。翌日物と呼ばれる超短期金利だ。この金利を厳格に管理し、もっと期間の長い金利については短期政策金利の将来動向に対する市場心理を反映させる。つまり長期国債の金利は、中央銀行が定める翌日物金利と連動するのだ。フルワイラーは『長期金利は(中央銀行の)現在の行動と予測される将来の行動に基づいている』と説明する。このような仕組みの下では、投資家はアメリカ政府が米国債に支払う金利、あるいはイギリス政府が英国債に支払う金利に『多少の』影響力を持つ。ただここがとても重要なのだが、政府はいつでも国債金利への市場の影響力を封じることができる。それこそが第二次世界大戦中からその直後にかけて行ったことであり、日本銀行が今まさにしていることだ。 第二次世界大戦中、FRBは金利上昇を防ぐため『短期米国債については金利を〇・三七五%という低水準に維持することを正式に表明し、長期債は二・五%を暗黙の上限とした」。財政赤字が急拡大し、政府債務が一九四二年の七九〇億ドルから、戦争が終結した一九四五年には二六〇〇億ドルに膨れ上がったものの、連邦政府は長期債に対して二・五%しか金利を支払わなかった。金利をこの水準に維持するためにFRBが行ったのは、単に膨大な米国債を買い入れることだった。FRBとしては無制限の国債買い入れを約束したわけだが、それは単に売り手の口座の準備預金(緑のドル)の残高を増やすだけの処理であり、特段難しくはなかった。戦争終結後もFRBは政府のために、長期金利を低水準に抑え続けた。財務省との合意によって財政政策との協調が正式に終了したのは一九五一年のことで、その後FRBは独立して金融政策を運営できるようになった。 他国の中央銀行は、財政政策と金融政策の明確な協調へと回帰しつつある。日本銀行は三年以上にわたり、『イールドカープ・コントロール』と呼ばれる政策を実施している。短期金利の固定化に加えて、一〇年物国債の金利をおおむねゼロ%で推移するようにしているのだ。この政策を遂行するため、日銀は膨大な量の国債を買い入れており、その額は二〇一九年六月だけで六・九兆円に達した。この積極的な国債買い入れ制度の結果、現在日銀は国債残高の五〇%近くを保有している。日本は世界の先進国のなかで最も借金が多いとよく言われるが、その債務の半分はすでに中央銀行が実質的に回収(償還)しているわけだ。この割合を一気に一〇〇%に引き上げることも簡単だ。そうすれば日本は世界の先進国のなかで最も借金の少ない国になる。それも一夜のうちに(126〜129頁)。 さらに、ロナガンによる「国債を一気に全額償還する」という思考実験について、主流派経済学の伝統的通説と対比させつつ検討が加えられている。 日本国債の残高を一〇〇%『マネタイズしたところで何も変わらない』。ばかげた考えだと思う人もいるかもしれない。日銀がいきなり五〇〇兆円を新たに生み出したら、とんでもないインフレが起きるに決まっている、と。大方の経済学者は貨幣数量説(QTM)を何らかのかたちで刷り込まれている。フリードマン派などQTMを信奉する人々は『ジンバブエを見よ!』『ワイマール帝国だ』『ベネズエラ!』などと声高に叫ぶだろう。それはQTMが『インフレはいついかなる場合も貨幣的現象である』と説くからだ。こう考える人々は、国債購入のために新たな貨幣を五〇〇兆円創造すると聞けば、すぐにハイバーインフレが起こると考える。金融市場に身を置く口ナガンは、もう少しものがわかっている。日本国債と現金を交換しても、民間部門の純資産には何の変化もない、と正しく指摘している。投資家は国債の代わりに『同じ価値の現金を保有する』ようになっただけである。日本国債の償還によって『純資産』は変わらないが、『収入』にはたしかに影響が出る。それは国債には利子が付くのに対し、現金には利子が付かないからだ。日銀が国債を現金と交換することで、民間部門はそれまで得ていた金利収入をすべて失う。このように国債の償還は民間部門から金利収入を吸い上げる効果がある。 それを踏まえたうえで、ロナガンは問かける。『総資産は変わらず、金利収入は減少し、物価は下落が続いてきた。そうしたなかで日本の家計部門が消費を増やす可能性はあるだろうか』と。ひと言でいえば、答えはノーだ。国債残高をすべて中央銀行のバランスシートで引き受ければ、物価は上がるどころか、むしろ下がるだろう。民間部門から政府の発行する利付債を一気にとりあげるかと聞かれれば私でも躊躇するだろうが、日本政府にその能力があるのは間違いない。アメリカも同じである(130頁) 以上引用したが、重要なのは@国債の金利は市場によって決まる社債等と異なり、中央銀行が決められる点、A貨幣の発行によって国債を償還しただけではインフレにならない点である。中江説は貨幣数量説又は新貨幣数量説を根拠に、一方ポストケインズ・MMT派等は金融市場の実態を分析し、それを基に意見を述べている点で、着眼点が相当異なるのだろう。 |
赤字国債を発行し続けると、ハイパーインフレになるリスクがある |
戦争等による生産能力の破壊など、極端なモノ不足が生じない限りハイパーインフレにならない。実際に、生産能力が不十分な途上国ならまだしも、先進国でハイパーインフレになることはない。 では具体例を挙げてみることにする。@第一次世界大戦後のドイツは、第一次世界大戦の影響で供給力が極端に減少したことと、巨額の賠償金支払いを課せられたことがハイパーインフレの原因である。第一次世界大戦によって生産設備が破壊され、物を生産、供給することが出来なくなった。他方で、戦後復興等で需要が旺盛だったので、需要>供給となった。他方で、ドイツは多額の賠償金を請求されたため、それを支払うため、無理やり貿易黒字を達成するなどしたが、それ自体が無謀なものであった。そのため、ハイパーインフレが発生した。 A中江説で引き合いに出される、日本における戦後のハイパーインフレも、日本が焼け野原になった(供給能力が低下した)一方、戦後復興の過程で需要が拡大したことによるものである。つまり、戦後の生産設備破壊で供給力が追い付かなくなったことによるインフレと理解される。 B1990年代の旧ソ連諸国ほかのハイパーインフレも、社会主義から市場経済への移行の過程で混乱が生じたことがその理由である。 Cムガベ政権下でのジンバブエは、経済素人のロバート=ムガベ大統領による独裁の下、無節操な貨幣供給が行われ、さらに白人所有地の強制収用による農業生産性低下、加えて外資系企業に対する黒人への株式譲渡要求で企業が国外に移転し、物資不足に陥った等の理由でハイパーインフレに陥った。 Dアメリカ独立戦争時のアメリカは、イギリスの植民地だったため通貨発行が禁じられていたという特殊な状況下で緊急的に大陸紙幣を発行した。そのことによってハイパーインフレが発生した。 以上のことから分かる通り、よほどのことがない限り、先進国でハイパーインフレが起こることはない。ゆえに、デフレ下において財政赤字を拡大することに何の問題もない。 |
欧米は付加価値税(消費税)の負担割合が高い。日本もそうすべき。 |
@日本と欧米の思想、文化の相違を無視している。日本は江戸時代より「節約が美徳」という文化である。加えて、軍事郵便貯金の名残から、消費より貯蓄という考え方が依然として根強い。他方で、欧米は、どんどん借金する、好きなものを好きなだけ買うという文化的背景がある。そのため、日本では消費税増税が、経済に深刻な悪影響をもたらすと言える。要するに、節約や貯蓄が美徳の日本と、そうでない欧米諸国とを同列に考えてはならない。 A欧米信仰が根底にあるのだろう。輸入実務においては「フランスで○個売れた」などと言うと効果的だそうだ。欧米信仰をビジネスで使うのは良いが、政策当局がそのような考え方に陥っていてどうするのか。要するに、前提が異なる以上、欧米で消費税が高いことと我が国を比較することに意味はない。 |
所得付き税額控除で消費税増税の問題点を賄える |
経済への影響が大きいため賄えない。先述の通り、日本人は節約の志向が根強いため、消費の落ち込みは欧米諸国と比べて明らかに大きい。ステルス値上げさえも拒絶する傾向にある(森永康平)。すると、企業努力で価格を維持するため、賃金が低下し、デフレ不況に陥る。このように考えれば、経済への悪影響によって所得付き税額控除の効果は完全に相殺される。 |
インフレ率の抑制は不可能 |
@政府予算=補正予算+当初予算。補正予算という泳ぎしろがある以上、予算の縮小も可能。また、予算の変更ができないということは民主主義が機能していないことになるが、決してそのようなことはない。ゆえに一度予算を増やしたらさくげんできないという批判のは失当。 A一般会計予算以外の取り組みを行うことが前提にある。EXE,金融政策、自動安定化装置ほか。 Bそもそも批判者はデフレを放置することによる被害という現状認識を一切忘れている。 |
日本は既に道路大国なので、これ以上の道路整備は不要。道路事業は無駄。 |
道路のサービスレベルを「可住地面積あたり」での密度で計算したうえで批判する見解が多い。しかし、欧州と比べて日本の可住地面積は明らか小さいので、(道路÷可住地面積)で計算した場合、分母が小さい分、明らかに日本の値が大きくなる。可住地と可住地を結ぶ道路(中間が山間部など)も必要なので、その点を考慮すると、可住地面積あたりで比較する自体がナンセンスである。むしろ、「クルマの保有台数あたりの道路延長」という尺度で比較すると、日本は非常に低い水準といえる。 |
安倍政権が公共事業を拡大した。公共事業が国の借金を増加させている。 道路事業は建設業界の利益になるだけ。 |
@2014年に公共事業関係費の定義を変更し、かつては一般会計の公共事業関係費に含まれていなかった社会資本整備特会を公共事業関係費に計上するようにした。その結果、社会資本整備特会の約6千億円が公共事業費に上乗せされたことで、見かけ上安倍政権が公共事業費を拡大したように見えた。しかし、むしろ補正予算は民主党政権期よりも多かった。 A建設国債は全体の2割以下。国の借金の伸びの原因は社会保障費の増加であり、公共事業はが原因ではない。 B日本の道路工事費が割高なのは、土地の買収費用(土地代)が高いことと、地震対策費が欧州と比べて高いこと、さらにトンネルや橋梁が多いことが原因と考えられる。よって、建設業者へのバラマキなどと批判するのは失当。 |
竹田凌
帝京大学㈫三限の中江ゼミを受講しております、学籍番号17j109002の竹田凌です。
はじめに…
2年間本当にありがとうございました。中江ゼミでの授業は、就職活動においても活かせる授業であり、今後の市役所の仕事においても、糧になる素晴らしい学びを得られたと感じております。ゼミでの学びを糧に、社会人になっても頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました。
最終レポート試験が完成しましたので確認お願いします。
17j109002
竹田凌
テーマ「情報社会における正義」
キーワード:Donald John Trump、香港国家安全維持法、名誉棄損の真実性の錯誤、共犯と錯誤、主観的超過要素と構成要件的故意、給付付き税額控除と応益負担と格差原理、整理解雇の4要件、Artificial IntelligenceとBasic Income、Derivativeと割引現在価値、自然利子率と政策金利、
結論:急激な速度で成長していく現社会では、個人で多くの情報を処理・選択する能力が必要不可欠だ。
現社会で問題になっている様々な事柄から、情報社会における正義を考えていく。
1.
香港の一国二制度崩壊の危機
中国による「香港国家安全維持法」が2020年6月30日施行された。今回の法律は、今後の香港の情勢を大きく左右するものであるとされている。
まず「香港国家安全維持法」を簡単に説明すると、反政府の行動取り締まり、国家分裂、テロ活動、政権転覆、諸外国と結託などを犯罪行為として扱い、最大で終身刑になるというもの。すでにこの法律に違反したとして多くの人が逮捕されたとの報道もある。
「香港国家安全維持法」に関して考えられる影響としては、中国が香港への支配力を強めることだ。香港では、「香港が欧米に支援を求めること」や「独立的存在という主張」「政党批判(共産党)」は違法となる。これまで香港市民が意思表示の手段として用いてきたデモなどには大きな制限がかかる可能性がある。また外国人も処罰対象になるため、アジアの金融センターとしての側面を持つ香港から外国人ビジネスマン、海外マネーが逃避することが懸念されている。
今回の中国の動きに対して黙っていないのがアメリカ(Donald John Trump)だ。香港の自治が侵害される「香港国家安全維持法」が制定される前の2020年6月26日、アメリカ政府は中国共産党の当局者に対するビザの発給を制限することを発表、続く29日には香港への防衛機器の輸出の停止することを明らかにしている。これらアメリカの措置に対して中国政府も、国家安全法に干渉するアメリカ市民に対してビザの発給を制限すると対抗している。その他の国も「香港国家安全維持法」に対応する動きをみせている。イギリスは7月1日、香港市民300万人を対象にイギリスでの永住権や市民権の取得申請を可能にする方針を明らかにした。台湾では同法律が施行されて数時間後、香港の在住者や企業の移住と移転に関する専用の窓口を開設し、金融業界を中心に香港の優秀な人材を誘致する動きに出ている。
「香港国家安全維持法」が施行されてから、香港国内では逮捕者をはじめ大きな影響が出ている。そして世界のさまざまな国への影響はこれから先さらに大きなものとなっていくと予想される。私の意見は、もちろん「香港国家安全維持法」施行に反対だ。これまで香港が成長してきた背景には、中国の干渉を最低限にし、香港独自の自治を確立していた点が挙げられる。しかし、今後「香港国家安全維持法」によって表現の自由に深刻な影響を受ける香港市民は、発展を続ける情報社会の中で置き去りになり、やがては、中国と香港の間に大きな溝ができることは容易に想像できる。香港や世界各国の意見や動向に耳を傾け、「香港国家安全維持法」見直しを中国は考える必要がある。
2.
違法な表現行為
現社会ではSNSを使えば、世界中に誰もが情報を発信できるような社会になった。便利な社会になった一方で、特定の人や会社などに対する中傷なども増えているのが現状だ。最近でいえば、有名人への誹謗中傷が原因で自殺に追い込んでしまうようなケースも報道されている。SNSを使った犯罪は、ほかの人物になりすましをすることも可能であり、犯人の特定は極めて困難である。情報社会が急速な発展を続ける中で、法律は果たして意味があるものなのか、その点について考えていきたい。
そもそも、SNSを使った誹謗中傷は、どのような罪や責任が問われるのか。個人や会社の名誉を傷つけた、侮辱したなど、とらえ方はさまざまであり、全てが名誉棄損というわけではない。大きく名誉毀損罪、侮辱罪、信用毀損罪の3つが、あてはまる可能性が考えられる。詳しくは下の図を使い説明する。
|
名誉棄損 |
侮辱 |
信用毀損 |
条文(刑法) |
刑法第230条 刑法第230条その2 |
刑法第231条 |
刑法第233条 |
条文(民法) |
民法第723条 民法第710条 |
民法第723条 民法第710条 |
民法第723条 民法第710条 |
刑事上の責任 民事上の責任 |
あり あり |
あり あり |
あり あり |
構成要件 |
公然と事実を摘示し,人の名誉を毀損すること。 事実が真実かどうかは関係ない。 |
事実を指摘しないで、不特定多数の人が知ることになる状況で、人を侮辱すること。 |
虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損した者。 |
違法性阻却事由 |
あり(「公共の利害に関する事実」であり、目的が「公益目的」であり、かつ「真実性が立証された」) |
なし |
なし |
親告罪・非親告罪 |
親告罪 |
親告罪 |
非親告罪 |
名誉棄損罪の構成要件を見てみる。公然とは、不特定多数の人が知りうる状況。勘違いしやすいのが事実の意味だ。事実=真実ではない。たとえば、不倫をしていないのに「あの人は上司と不倫している」と言われたら、それは名誉毀損を構成する「事実」になる。これに対し、「馬鹿野郎!」などという場合には、「事実」を言っていない。名誉毀損における「事実」は、侮辱罪との区別をするための概念なのであり、内容が真実かどうかは問題にならない。逆に言えば、真実の証明があり、公益目的であれば、違法性は阻却されることになる。しかしこの点に関しては、いくつかの問題点があると私は考える。以下の判例を踏まえこの問題について考える。
夕刊和歌山時事事件(最判昭和44年6月25日)事件番号 昭和41(あ)2472
内容:「夕刊和歌山時事」の編集・発行人のXが、他紙の「和歌山特だね新聞」の記者らが、市役所職員に恐喝まがいの取材の仕方をしたという記事を「夕刊和歌山時事」に掲載し、Xの行為が名誉毀損にあたるとして起訴された。
判決:「真実であることの証明がない場合でも、行為者が真実であると誤信し、それが確実な資料・根拠に照らして、相当の理由があるときは、犯罪の故意はなく、罪は成立しない」
この裁判で問題になったのは、名誉棄損の真実性の錯誤。Xは他紙の記者らが恐喝まがいの取材をしたという事実を、真実だと思い込む理由(主観的超過要素)があった。その場合は、Xの構成要件的故意が認められず、名誉棄損も成立しないというのが、判例の考え方だ。しかし、私はこの考えに反対だ。真実だと思い込む条件がそろっていたからといって、真実でない事柄を多くの人に公開され、罪にもならないというのは腑に落ちない。(主観的超過要素と構成要件的故意は切り離して考えるべきであり、主観的超過要素がどのような理由であれ、真実でない情報を発信した罪は大きいと考える)情報を発信する側は、そのような間違いを犯さないよう慎重に情報を発信するべきであり、真実であると誤信する相当の理由などと言うあいまいな判断基準はなくし、真実でない事実で名誉棄損したものは一律に罰するべきだと考える。
このほかに、名誉毀損罪で問題になるのが共犯と錯誤だ。例えば、Aが「Xは○○会社のお金を横領している」という情報をSNS上で発信したとする。これを見たB、C、Dが同じ内容で続いて情報を発信した。しかし、AはXを憎んでいたため、うその情報を発信していた。この事実をB、C、Dが知らない場合、B、C、Dも名誉棄損として訴えられるのか。結果はAのみ名誉棄損が成立する。Aが発信した内容が真実であると信じられる根拠さえあれば、B、C、Dは訴えられたとしても、違法性は阻却されうる。このような情報発信の連鎖は、SNSが発達した現社会では珍しいことではない。上の考えと重なるが、個人個人が慎重に情報を見極め、発信することが大切であり、歯止めが利かなくなる前に、表現の自由に厳格な規制をするべきだと私は考える。表現の自由という権利があるとはいえ、偽りの事実で人を死に追いやってしまう事もある。真実でない情報を発信し、名誉棄損した場合は、一律に罰するべきだと私は考える。
3.
税金と社会保障
税金の問題点としては大きく以下の点が挙げられる。
・モノの値段が上がって家計や企業の負担になる
→消費税は、家計や企業の負担になり、消費や投資を抑制するという問題点がある。
・消費や投資が落ち込み景気が悪化する
→消費税は景気の悪化に自然と向かってしまう税金。そのため、経済が悪化、不況になりやすいという問題点がある。
・低所得者と高所得者の格差が拡大してしまう
→高所得者層の人にとっては負担にならない税金も、低所得層の人にとっては非常に負担になってしまう場合があるので累進課税があるのですが、消費税にはそれがない。
・公平なための累進課税が厳しい
→累進課税制度も高所得者からすると、なかなか厳しい制度。
・消費税は滞納が多い
→消費税は納税の延滞が、全ての税金の中で最も多いという問題点がある。
・タックスヘイブン「税金逃れ」が行われてしまう
→通常、企業が利益を出した場合、その金額に応じて国に法人税を納めなくてはいけないが、タックスヘイブン(租税回避地又は軽課税国)を利用して、本来納めるべき税金を回避させるということが起きている。
多くの問題点があるが、ここでは所得税と消費税の問題について考えたい。消費税には逆進性があり、高所得者と低所得者が同じ税率がかけられており、低所得者に厳しい税になってしまっている。この問題の解決策として、給付付き税額控除が挙げられる。この制度は、算出された所得税額が控除額より多い場合は税額控除、少ない場合は給付を受ける。例えば、10万円の給付付き税額控除を行う場合、税額が15万円の人は5万円を納付し(10万円の税額控除)、税額が5万円の人には5万円が支給される(5万円の税額控除および5万円の手当給付)など。通常の税額控除や所得控除と異なり、課税所得がない低所得者も恩恵を受けられる。この制度に私は賛成だが、加えて、やはり高所得者層へのさらなる増税も視野に入れなければならないと考える。
次に社会保障の問題だ。少子高齢化が進み、社会保障費の負担はますます大きなものになっている。そのため利用者の負担も大きくなっているのが現状だ。介護保険法が1997年に成立して以降、日本の介護サービス利用は応能負担から応益負担へ移行された。今までは、それぞれの収入に応じた負担額を納めれば利用できたサービスが、収入額に関係なく一律の利用額を出さないと利用できなくなった。いったいなぜ、応能負担から応益負担へと移行したのか。それは、今まで負担を軽減されていた低い所得の世帯の利用者にも負担を課すことで、社会保障費を抑制し、財源を確保しようという狙いが背景にある。このまま応益負担が続くと、金銭的に豊かでなければ介護サービス自体を受けることができない、または高い金額を払わなければ十分な介護を受けることが不可能になる、という状況が起きかねない。私は、富裕層には酷だが、やはり富裕層の人が多くの負担をしなければならない応能負担に切り替え、だれもがサービスを受けられるシステムにするべきだと考える。
以上二つの給付付き税額控除と応益負担と格差原理という問題をまとめると、やはり高所得者層には、大きな負担を求めなければ、赤字大国日本の低所得者層を見捨てず救うことはできないと私は考える。
4.
コロナ禍の影響
いま世界で大きな問題となっているのが、新型コロナウイルスの影響だ。第2波、第3波と誰も予想できない感染拡大という恐怖が多くの人を苦しめている。中でも、経済悪化による解雇の問題、給付金の問題について考えていきたい。
まず初めに解雇の問題だ。新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからないなか、コロナに関連した解雇人数が7万6000人を超えた。厚生労働省が2020年12月15日に発表した。経済悪化が続く中で解雇は仕方ないかもしれないが、本当にすべてがそういえるのだろうか。経営不振や事業縮小など、使用者側の事情による人員削減のための解雇を「整理解雇」といい、これを行うためには原則として、過去の労働判例から確立された4つの要件(1.人員整理の必要性 2.解雇回避努力義務の履行 3.被解雇者選定の合理性 4.解雇手続の妥当性)が充たされていなければならない。これらを、「整理解雇の4要件」と呼ぶ。コロナ解雇は、ほとんどが恐らく整理解雇の4要件を満たしていると考える。誰もが予想できなかった経済不況、多くの企業は、最後の手段として解雇という選択を行っているはずである。4の解雇手続きの妥当性というのは企業によってばらつきはあるとは思うが、解雇を受け入れられるほどの経営悪化に苦しんでいるのが現状であろう。それらを考慮すると、解雇という選択に対しては、妥当だといえる。
次に、給付金の問題だ。一律の10万円給付(Basic Income)や失業者給付金、業績悪化した企業への給付金など、コロナ禍で多くの補助が出ている。その中で、一律の給付金について考えたいと思う。元々、低所得層への30万円給付という案だったが、どこからどこまでを低所得層に位置付けるか、国民の所得情報を調べるのに手間がかかりすぎるのではないかなど、課題が多かったため一律の10万円給付に変更された。しかし、私は一律の10万円給付に反対の立場だ。富裕層にも10万円の給付がなされてしまうため、本当に必要としている人により多くの保障を当てられなくなる恐れがある。そもそも、マイナンバー制度やAI(Artificial Intelligence)などの技術導入が遅れている点に問題がある。マイナンバーカードを免許証と一体化させほぼ強制的にマイナンバーカードを作らせるというのには反対だが、AIの積極的な導入には賛成だ。(特に公的機関)AIを導入することで、作業効率は上がり、職員削減にもつながり、税金を削減できる。それにデータ管理に関しては、AIに任せるのが効果的だ。それに、今回の一律の10万円給付(Basic Income)とAI(Artificial Intelligence)をうまく組み合わせておけば、時間があんなにかかることもなかっただろうし、ミスも最小限に抑えられてはずだ。情報社会が進歩した現社会では、積極的にAIを導入し、より早く正確に補助がいきわたるようにすることが必要だ。
5.
現代市場におけるデリバティブ(Derivative)発達とその問題点
デリバティブは、株式・債権・為替など昔からある金融商品から派生してできたもので、先物・オプション・スワップが代表である。デリバティブは決済時に損益が生じ、現金が増減する。そしてその割引現在価値がそのデリバティブの時価ということになる(Derivativeと割引現在価値の関係)。つまり、時価というのは「その時点での価値」を意味しますが、デリバティブにとっては将来の現金増減額の現在価値こそが時価になる。
先物・オプション・スワップの説明
・先物とは、ある商品を将来のある期日に売買する契約を現時点でするもので、契約時には売買する価格と量を決める。
・オプションとは、商品をあらかじめ決めた価格で、決めた期間または期日に買ったり売ったりする権利を売買するもので、日本語では選択権売買という。先物と同じように、金融取引が自由化され、高度化、複雑化する中で、リスクを回避するための手法として発達してきた。日本では、通貨自由化が進んできた80年代後半に通貨オプションが普及し、1989年には株価指数オプションが東京、大阪、名古屋の三証券取引所に上場されたのである。
・資金の受け取りや支払いを交換する取引、商品がスワップで、対象の通貨が同じだと金利スワップ、異なると通貨スワップと呼ぶ。金利スワップは交換する金利が固定か変動かで三つ(変動と固定、固定と固定、変動と変動)に分かれる。固定と変動の金利スワップを例とする。ある企業が銀行から資金を変動で借りているとする。変動であるため、将来の利払い負担は確定していない。金利の上昇による利払いを避けるため、この企業は固定金利の借り入れに変えたい。そういう場合に金利スワップをして、変動金利の受けとりと固定金利の支払いを交換し、利払いを固定するのである。一方、通貨スワップは元本も交換して、それに伴って金利も交換し、最後にまた元本を交換する方法で、為替変動リスクが避けられる。しくみは金利スワップと同じ。
次にデリバティブ取引の問題点について考える。デリバティブでは、証拠金や権利金等の形で最初に資金を用意して取引するため、取引の規模(想定元本)が大きくなる「テコの原理」が働く。読みが当たれば大きな利益が上がる反面、取引が失敗すれば、自己資本が少ない金融機関や投資家は簡単に吹き飛んでしまう。1995年2月のベアリング・フューチャーズの日経先物平均による約8.6億ポンドの損失、1995年3月期の東京証券のインパクトローンの導入による約320億円の損失はそのよい例である。取引規模の拡大でリスクが増えているうえ、企業会計では貸借対照表に掲載されないオフバランス取引であるため、取引の実態が外からわからないのが実情。このため、国際決済銀行(BIS)を中心に、取引の実態的把握や規制などの方策についても論議がおこなわれている。現物だけの株式市場なら、株価が下がっても、投資家達が株式を売らないでいれば低下には自ずと歯止めがかかるはず(1987年10月のブラックマンデー時の日本株価の反転)だが、先物市場では「割高な物を売って割安な物を買う」という原理がそのまま働く。デリバティブは文字どおり内外の各種の市場を一体化している。資金の運用・調達目的に合致するように、リスク(危険)とリターン(収益)を効率的に負担・管理することが可能になるのである。派生商品のほうが効率的でコストもかさまず、現物よりも使いやすい。だから、現物をはるかに上回るはやさでデリバティブが拡大しているのである。現在、デリバティブは単なる派生物でなく、マーケットの中心に位置している。ただ現物市場だけを見ていては、その流れが全くつかめなくなるのは必至であることは言うまでもない。
日本国内では、株式などの有価証券の先物・オプション取引は全て取引所に上場する商品でしなければならないという規制がある。つまり、取引所を通さない相対取引は国内では禁止されている。一方、香港やシンガポールなどのアジア市場では、取引所内外でのデリバティブ取引が活発である。最近では、東京市場に比べた取引コストの安さや、緩い規制が好まれて、日本の市場から、日本物のデリバティブ取引がこれらの市場に移動する動きも起きている。取引所以外でのデリバティブ取引が、香港を中心とするアジア市場で重要性を高めていて、東京と比較した存在感は相対的に高まっているのが現状である。これは、現物株式の売買が、その構造上多大の利益をあげるビジネスではなくなり、デリバティブ取引に収益を依存せざるをえない時代に突入したことを示す。外国証券の脱東京による「東京市場の空洞化」を進めずに、日本の規制も、世界の流れに取り残されないような規制に改正していくべきであると私は考える。
6.
低金利政策による経済
まず、先進諸国の長期金利の推移について見てみると、低金利化が進んでいることが一目瞭然です。日本では、2016年のマイナス金利導入により長期金利も一時マイナス圏に突入しました。
では、なぜ低金利化が進行しているのか。商品やサービスが売れないと、企業の業績は落ち込む。すると、企業は投資をして新たな設備を導入したり、新たな事業を起こそうとしたりしなくなる。それによって、企業活動は停滞し、新たな商品やサービスを生み出せなくなり、さらに売り上げが下がる、という悪循環に陥る。この悪循環を断ち切るために中央銀行が金利を低下させることで、企業の投資を促す。こうして景気回復を呼び込むことができる、というのが金融緩和政策の考え方だった。
・金融緩和政策の波及経路
金融緩和による金利低下→投資や消費の増加→生産量(GDP)の増加
日銀が金融緩和を続けているために日本の金利は非常に低水準で推移している。金融緩和を続けて投資や消費を刺激しなければならないということは、日本経済が長期停滞していることを意味する。この金融緩和により、経済が成長すれば良いのだが、サマーズ氏の「長期停滞論」によると、近年、金融緩和の効果が疑問視されているというのだ。彼は、貯蓄超過により、貯蓄と投資が均衡するときの利子率である「自然利子率」が著しく低下したことによって金融政策が効かなくなっていると指摘している。
このことを説明するにあたって、まず自然利子率とはどのようなものかを考える。自然利子率とは、金利を払ってお金を借り投資をしたいと考える人と、貯蓄することによって金利を得たいと考える人が存在する市場において、両者が均衡したときに決定される利子率のこと。これは現実の利子率とは異なり、あくまで貯蓄と投資が均衡したときの“理想的な”利子率となる。
では、なぜ自然利子率が金融政策と関係があるかというと、自然利子率の水準と実際の金利(実質金利)の差によって、金融環境が緩和的か引き締め的かが決まるからだ。自然利子率より実際の利子率が低いと、企業にとってはより投資がしやすい環境になる。一方、いくら金融緩和をして金利を引き下げても、それ以上に自然利子率が低下していると、金融が引き締め的になってしまう。
・実際の政策金利と自然利子率との関係
実質金利<自然利子率→金融政策は緩和的
実質金利>自然利子率→金融政策は引き締め的
以上のように、先進国での低金利は慢性的なものとなっているのに加え、経済成長を促す政策である金融緩和の限界も指摘されており、今後投資が再び伸びていくかどうかは不透明。このような理由から、長期的な視点で見ると先進国の経済成長の余地は少なく、途上国、新興国に大きな成長の可能性が残されていることがうかがえる。確かに途上国や新興国には通貨リスクや政治リスク等の予測不可能性があることは否めない。しかし、分散投資によってそのリスクはある程度ヘッジできることや、長期の投資によって短期のボラティリティはある程度無視できることを考えると、途上国、新興国への投資は理にかなっていると考えられるのではないか。
7.
最後に…
いくつか項目に分け、現代社会の問題点を考えたが、どの問題も、情報社会の発達が大きく関係している。名誉棄損の問題や税金の問題、投資やデリバティブなど、様々な情報を知らなければこの先不利益を被る、そんな時代になろうとしている。個人個人がそれぞれに必要な情報を多くの情報の中から選択・処理しなければならない。貯金やお金の管理の方法なども、ただお金を貯めるのではなく、老後に備え増えるため方をしなければならない。どの情報が自分にどれだけ利益をもたらしてくれるか、真実は何なのか、今後は多くの情報の中から必要な知識を蓄える努力が必要だろう。
参考文献
・山口厚『刑法 第3版』有斐閣
・朝日新聞
・ポケット六法
・中江ゼミホームページ
・裁判例検索(https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/search1)
・日本経済新聞(https://www.nikkei.com/)
・厚生労働省ホームページ(https://www.mhlw.go.jp/index.html)
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上野貴史
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「情報社会における正義」
17j110014 上野 貴史
〈キーワード〉Donald John Trump/香港国家安全維持法/名誉毀損の真実性の錯誤/
共犯と錯誤/主観的超過要素と構成要件的故意/給付付き税額控除と応益負担と格差原理/
整理解雇の4要件/Arificial IntelligenceとBasic Income/Derivativeと割引現在価値/
自然利子率と政策金利
結論→ 私が思う情報社会の正義とは、これからの将来日本の経済や暮らしなど大きな影響を与えて私たちの支えとなる。しかし、判断を誤ると大きな落とし穴に陥り危険性を伴う可能性がある。正義とは、何が正しくて何が悪いのか常に判断を適切に行い正義に導き情報社会を発展させるべきである。
理由→情報社会は常に発展をしており、私たちの生活にはなくてはならない存在である。いつでも・どこでも・だれとでもつながれる、使えるため物理的制約を取っ払ってコミュニケーションを可能にした。そして、あらゆる業界や国全体に対して利便性をもたらしたからである。しかし、一歩踏み間違えると無責任な行動が起こりやすいこと嘘の情報や存在が特定できないことを利用して個人や国になどにサーバ攻撃を行い経済を揺るがす可能性もある。
そのため、情報社会には、光「利便性」と影「危険性」が常に並行している状態なので、しっかりとした判断能力が問われ正確な情報だけを受け取る見聞力が必要であることが正義につながる一歩である。
・整理雇用の4要件、Arificial IntelligenceとBasic Income Dnald John Trumpについて
整理雇用の4要件とは、経営不振などを理由に、人員削減を目的として行われる解雇のことを「整理解雇」という。会社都合で行われるものであり、雇用保護の観点から厳しく制限されている。
整理解雇は、過去の判例から以下の4つの要件が必要とされており、欠けていれば無効である。
解雇は、労働者にとって重大な不利益をもたらすものであり、労働組合が組合員の雇用を守ることは最大の使命である。
労働組合として、会社の経営状況を常に把握し、人員削減を検討していることを察知した場合は、早期の段階から解雇回避努力と経営再建の道筋を提示するよう求める必要がある。
「整理解雇」という言葉は、法律上の用語ではなく、過去の裁判の判例「大手航空会社による整理解雇、外資系製薬会社の整理解雇などの判例」や実績から生まれた。
終身雇用制や年功序列型賃金を前提としてきた日本型雇用慣行において、落ち度のない従業員を経営上の理由で辞めさせる整理解雇は、雇用に関する労働者の期待を裏切るものであり、その生活や将来設計に大きな影響を及ぼす。そのため、使用者側には厳格な法的制約が課せられ、労使紛争が生じた場合、従来は4要件を一つでも満たしていないと「解雇権の乱用」として無効、すなわち不当解雇と見なすという判断が主流である。
しかし、4要件が確立される根拠となった過去の判例には、一定規模以上の会社を舞台としたものも多く、必ずしも中小零細企業の実情に即しているとは言えない。多くの中小企業では、「配置転換したくても職場がない」「一時帰休させるほどの企業体力がない」など、大企業のように段階的な雇用調整を行う余裕がないため、いきなり退職勧奨や指名解雇に踏み込まざるを得ないのが実情です。近年は「整理解雇の4要件」の前提である日本型雇用慣行が崩れつつあり、また終身雇用・年功序列の下にない非正規雇用の増加もあって、要件の解釈はかなり変わってきた。一つでも欠けると整理解雇が無効になるのではなく、何かが欠けても四つを総合的に考慮した結果、相当と認められれば有効とする、すなわち四つの「要件」ではなく、「要素」として捉える判例も増えてきている。現状としては、各企業の経営や雇用の実態を踏まえて、4要件の充足を従来よりも緩やかに認める流れに傾きつつあるようです。一方で、整理解雇に関して裁判になると、業績悪化などによる人員整理の必要性だけでなく、解雇回避努力義務の履行といった会社側の対応がかなり細かく検証されることになります。また、整理解雇に関して誤解されがちであるアルバイトなどの非正規雇用についても、正社員同様の制約がある点に留意する必要がある。
次にBasic Incomeについて、今現在の新型コロナウイルスの影響拡大により、注目を浴びている。簡単に言うと「政府がすべての国民が最低限の生活を送れるように、年齢・性別等に関係なく、一律・無条件で現金を給付するしくみ」です。Basic Incomeで重要なのが、「すべての国民」に対する「無条件」の支給ということ。
注目される理由として、新型コロナウイルスの影響もあるが、Basic Incomeの考え方は、今に始まったものではない。ヨーロッパでは、昔からBasic Incomeの考え方が存在していたといわれる。また、近年では世界で貧富の差が広がってきているためです。日本でも、貧富の差が著しくなり、ワーキングプアの人が増えてきている。ワーキングプアとは、生活保護の条件を満たさない程度の所得はあるが、生活をしていくには苦しい人々のことです。
また、少子高齢化により「現在の年金制度が続かないのではないか」「将来化Arificial Intelligenceが進んだときに、人の仕事が少なくなるのではないか」といった不安を多くの人が抱いているためである。
メリットとして、貧困・少子化対策、労働環境の改善、社会保険制度の簡略化、地方創生や地方活性化などが挙げられる。
デメリットとして、将来への不安や社会福祉水準がの低下、個人の責任が大きいこと、財源の不安が挙げられる。
次に、アメリカについて図で説明する。
|
民主党 Baiden |
|
哲学 |
平等重視 |
自由重視 |
支持基盤 |
大都市 GAFT |
中西部 福音派 |
移民 |
肯定的 |
否定的 |
中絶 |
〇 |
× |
社会保障 |
弱者保護 |
自立個人主義 |
私が思うに日本は今現在の新型コロナウイルスの影響で雇用に対して大きな壁にぶつかっている。特に、自営業や幅広い業種で倒産や解雇、年収や給料の削減など増えてきている。また、これからArificial Intelligenceが増えていくため従業員の削減によりより多くの解雇が行われると思う。そのためにも、国全体としてBasic Incomeを活用していき少しでも雇用形態や人々の生活を守っていくべきである。また、新型コロナウイルスの影響で企業によっては雇用形態を守る取り組みもされている。例えば航空業界のANAホールディングスは、移動制限でフライトが激減しているなかで雇用の維持を守るためにCAや従業員などを他の企業に出向させる取り組みをしている。結果ノジマや成城石井など幅広い業界に出向し異業種との交流で今の自分の仕事と違った体験や成長を促した。このように個々で悩むのではなく横と縦のつながりをもって各種の企業が支えあうのも雇用を守る上で大切な事だと思います。
・給付付き税額控除と応益負担と格差原理、Derivativeと割引現在価値、自然利子率と政策金利について
給付付き税額控除と応益負担と格差原理について説明する。給付付き税額控除とは、税金から一定額を控除する減税で、課税額より控除額が大きいときにはその分を現金で給付する措置である。例えば、納税額が10万円の人に15万円の給付付き税額控除を実施する場合には、差額の5万円が現金支給される。低所得者や子育て世帯への支援策としてカナダや英国で導入されています。消費税は所得にかかわらず同じ税率が適用されるため、消費性向が高い低所得者の税負担が相対的に重くなる「逆進性」がある。思想的には米国経済学者のフリードマン教授が唱えた「負の所得税」を起源としている。給付付き税額控除は「逆進性」対策の有効打といわれています。特に欧米諸国などで行っている政策である。日本もBasic Incomeに頼ってばかりではなく、ポスト・コロナの社会思想が、国にセーフティーネット充実や格差是正を求めて変化すると予想される中、ポピュリズム(大衆迎合主義)の広がりに冷静に対処しつつ、現実にセーフティーネットを高めていく政策を地道に模索していく必要があるためである。その為には、今の定額給付金の形やBasic Incomeだけで足りるのか心配になると思います。現実的な選択肢として、給付付き税額控除の考え方も必要である。
私が思うに、この制度を執行するためには、納税者一人一人の所得情報(税務情報)と給付を結びつけるインフラが必要だ。今回米国や英国のコロナ対策の現金給付が、本人の口座に直接給付する形でスピーディーに行われたのは、給付付き税額控除により、番号で国民全員の税情報(課税所得)と社会保障給付を一体的に運営する制度が導入されていたからだ。コロナ禍で所得の減少した勤労者への今後の対策としてこの制度は大変有効である。今こそデジタル時代のセーフティーネットとして、この制度を本格的に検討する良い機会だと思います。
次に応益負担と格差原理について、応益負担とは、受けた利益に応じて費用を負担することである。自分が受けた利益に応じたものを負担すること。特に、医療・介護・福祉サービスで、所得に関係なく受けたサービスの内容に応じて対価を支払うこと。医療費を一律1割負担とするなど。定率負担→応能負担である。応能負担についてもふれる。応能負担とは、負担能力に応じて費用を負担することである。老人福祉制度の利用負担者はこれにあたる。
格差原理とは、差別原理ともいう。正義の原理の一つで,その内容は最も不利な立場におかれた人の利益の最大化である。 Jロールズが『正義論』(1971) において,「平等な自由への権利」と「機会均等原理」に並ぶものとして定式化している。各原理の優先順位は平等な自由,機会均等原理,格差原理の順となっている。ロールズは格差原理によって,単なる自然的自由や公正な機会均等の要求をこえた民主主義的平等を志向である。
次にパレート的正義とロールズ的正義について触れる。
パレート的制度=応益負担である。例えばミカンが5個あったとして強者と弱者に分けるとする。その時に、誰も食べないでいると腐敗となり減失してしまい死荷重となってしまう為、社会の資源全て利用効率的な社会にするためにパレートを改善し最適にする。
「強者が4個、弱者が1個」「強者が3個、弱者が2個」であってもパレート最適である。
明白に言えば、放っておいても強者がたくさん取れてしまうため公平な観点からすれば問題がある。情報社会も同じように勝者が総取りし格差を拡大する。
次にロールズ的正義=応能負担「格差原理」である。ロールズは価値(善の構想)の多元化を現代社会の恒久的特徴と捉えた。そのような状況にあっては、ある特定の善を正義と構想することはできない。ロールズは正義と善を切り離し、様々な善の構想に対して中立的に制約する規範を正義とした。このように、正義が善の追求を制約しうる立場(正の善に対する優先権)を義務論的リベラリズムと言う。正義は制度によって具現化し、公権力のみならず社会の基本構造を規制する性格を持つが、それが各人の基本的な自由を侵害するものであってはならないと考える。自由>平等だがまったく自由にさせない。弱者の取り分を最大化にする。例えば、贅沢品に課税やフリードマンの負の所得など給付付き税額控除や累進税、資産課税である。そして、規制や課税による死荷重の発生により効率の論点からは問題がありである。効率と公平のトレードオフのバランスを取るのか重要である。
次にDerivativeと割引現在価値について、Derivativeとは、「先物」「先渡」「オプション」「スワップ」の4個に分類できる。
1つの商品について、将来の一定期間後にいくらで取引するかを今現在の時点で約束する取引が先物取引である。また金融商品を対象とした「金融先物取引」には、ある国の通貨を別の国の通貨に交換する際の為替相場を対象とする「通貨先物」、債券を対象とする「債券先物」、日経平均株価のような指数を対象とした「株価指数先物」がある。
先物取引に似ているが、ある原資産について、将来の一定期間後にある値段で取引できる「権利」を売買するのがオプション取引である。一定の手数料を払えば権利を買うことができ、売買するのはあくまで権利なので、当然損になりそうなときは放棄することができる。
そして金利を対象とする金利スワップ、為替相場を対象とする通貨スワップなど、性質の異なる支払い義務などを交換する制度がスワップである。
このような投資で老後の生活資金を積み立てようとする人が増え、少額投資非課税制度が知られるようなった。そして、株や投資信託などの運用利益を年に120万円まで非課税にする制度である。しかし、ハイリスク・ハイリターンなところもある。割引現在価値とは、将来得られる利益が現在に換算していくらになるのかを理論的に求めるための指標です。将来の利益に対するリスクと不確実性を反映することで、現在価値を数学的に見積もることができる。割引現在価値とは、将来受け取れると見込まれる利益またはキャッシュフローが、今現在はいくらの価値を持つかを表すものでもある。また、お金の時間的な価値について考える必要があります。例えば、今私たちが持っている一万円と一年後持っている一万円は、どちらも同じ一万円です。物価が変わらなければ、どちらも同じ財やサービスを買うことができる。しかし問題なのは、一年後の一万円は、今の私たちにとっても価値が同じなのかということ。割引現在価値は、このような問題を考える時に必要となる。割引現在価値の意味を理解するには、「現在価値」や「将来価値」といった用語も知っておく必要がある。
現在価値について、割引現在価値と似た用語に「現在価値」がありますが、将来の利益について話している時は、現在価値も割引現在価値と同じ意味で使われる。現在価値(割引現在価値)から投資額を引いた「正味現在価値」という指標もあり、正味現在価値のことを現在価値と呼ぶこともありますが、現在価値と割引現在価値が同じ意味として話を進める。
現在価値(割引現在価値)について理解するためには、一年後に一万円を受け取れることの価値は必ずしも一万円ではないことを把握する必要がる。一年後に一万円もらえるといっても、事業が失敗して利益が出ずに受け取れないかもしれません。そのリスクを考慮すると、一年後に一万円もらえることの価値は一万円より少なく見積もる必要があることになる。さらに、一年後確実に一万円もらえる場合と、半分の確率でしかもらえない場合では、半分の確率のほうが価値を小さくさせる。つまり、どれくらい少なく見積もるかは、個々の事例によって変わってくる。このように、将来得られる利益のリスクの大きさによって、今現在における価値を調整したものが現在価値(割引現在価値)です。現在価値(割引現在価値)を理解するにあたって、対になる概念として知っておきたいのが「将来価値」です。将来価値は、現在価値(割引現在価値)の逆または対のような概念であり、今現在の資産が未来の自分にとってどれくらいの価値になるかを表したものです。例えば、今一万円持っているとして年利10%で一年間運用すると、一年後には11,000円になっています。このことから考えると、今現在の一万円は一年後の自分にとっては11,000円の価値があると解釈することができる。
つまり、今持っているお金は運用すれば増やすことができるので、未来の自分にとっての価値は少し高めに見積もる必要があるということ。現在価値(割引現在価値)が少し低く見積もられるのと対になっているため、これで両者はつじつまが合います。リスクによって将来価値の値が変わるのも、現在価値(割引現在価値)の場合と同じです。一年後確実に11,000円になる場合と、半分の確率でしか11,000円にならない場合では、半分の確率の場合のほうが将来価値は小さくなる。
次に自然利子率と政策金利について、自然利子率とは、景気に中立的な実質金利水準のことです。「均衡実質金利」とも呼ばれている。潜在成長率並みの経済成長を持続的に達成するためには、実質利子率を自然利子率に一致させるような金融政策が望ましいとされる。
政策金利とは、景気や物価の安定など金融政策上の目的を達成するために、中央銀行(日本では日本銀行)が設定する短期金利(誘導目標金利)のことで、金融機関の預金金利や貸出金利などに影響を及ぼす。一般的に好景気によるインフレ(物価上昇)傾向になると政策金利を引き上げて経済の過熱を抑え、反対に不景気によるデフレ(物価下落)傾向になると政策金利を引き下げて経済を刺激する。政策金利の動向は、投資信託の基準価額にも大きな影響がある。政策金利の上げ下げは、景気動向を見ながら段階的に行われます。一般的に政策金利引き上げの初期から中期の段階では、景気回復による企業業績の向上を期待して株価が上昇するため、株式に投資する投資信託の基準価額にプラスの影響を与えます。しかし、政策金利引き上げの最終段階では、インフレによる消費の縮小(=企業業績の悪化)や貸出金利の上昇による設備投資の縮小(=企業活動の鈍化)などを懸念して株価が下落するため、株式に投資する投資信託の基準価額にはマイナスとなる。一方、政策金利引き下げの初期から中期の段階では、景気悪化による企業業績の減速を懸念して株価が下落するため、株式に投資する投資信託の基準価額にはマイナスです。しかし、政策金利引き下げの最終段階では、貸出金利の低下による個人消費の回復(=企業業績の回復)や設備投資の回復(=企業活動の活発化)を期待して株価が上昇に転じるため、株式に投資する投資信託の基準価額にプラスとなる。
また、図で表すとこうなる。
|
決定者 |
自然利子率 長期金利 |
市場 需給、リスク分析で客観的に決まる。 |
政策金利 短期金利 |
日銀 政策目的により恣意的に失われる。 |
次に金利と債権について、1、自然利子率2、名目金利「政策金利」3、実質金利に分ける。
2に人々の思惑や予想が反映されたものが実質金利と言う。2,3は、短い期間の間日銀が金融政策で決める。しかし、1はその国の実力等により決定される「市場の評価」。
また、企業が投資するためには、金利「借入コスト」<収益でなければならない。日本では、自然利子率「成長率」がほぼ0とすると、短期金利<自然利子率となる。なので、名目金利と収益を極端に下げなければならない。このような政策を打ち出すために行ったマイナス金利のための強力な金融政策は、アベノミクスである。
アベノミクスとは、第二次安倍内閣が打ち出した経済政策であり、デフレからの脱却からと経済再生の最重要課題と位置づけ、1大胆な金融緩和2機動的な財政政策3成長戦略という「三本の矢」で経済成長させることである。大胆な金融緩和とは、日銀による前例のない金融緩和政策である。通称「異次元緩和」とよばれる。日銀の黒田総裁は、物価を毎年2%上げる状態を2年程度行うことで、日銀が大量の国籍や上場投資信託「EFT」を金融機関から買い入れ世の中の出回るお金の量「マネタリーベース」を増やすことにしている。異次元緩和は、世の中に大量のお金が回ればモノやサービスの値段が上がるインフレが起こり、経済が活性化するからです。
次にIS-LM分析について、IS曲線とは財、サービス市場である。ケインズの限界効率理論があり、金利↓GDP↑右下がりとなる。投資は金利「借金市場」と収益率の比較によって行われる。また、ケインズの絶対所得仮税とは、家計は所得額によって消費を決定する。例えば、相対所得仮税、恒常所得仮税、自分年金を考慮したライフサイクル仮税がある。
LM曲線について、貨幣市場となり右上がりとなる。金利上昇=景気上昇によって、株などを買い、企業の資金が増加しGDPが上がる。また、財政政策は、ISを移転。例えば、公共事業や減税により流動性の罠でも効果が大きいが財政赤字「財政赤字論とは反対論の対立あり」が拡大する。金融政策はLMを移転させる。例えば買いオペ=貨幣供給拡大「マネーサプライ」(アベノミクス)、極端な低金利では効果なし=流動性の罠が現在の日本である。
・香港国家安全維持法、名誉棄損の真実性の錯誤、共犯と錯誤、主観的超過要素と構成要件的故意
まず初めに、香港国家安全維持法とは、中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は30日、香港での反体制活動を禁じる「香港国家安全維持法」に署名し公布した。香港政府は同日夜施行した。中国による統制強化は、香港の発展を支えてきた高度な自治権と法の支配を揺るがし、拠点を置く日本企業にも影響してくる。香港の歴史を振り返りつつ、法案の狙いと問題点を解説します。中国政府の狙いとして、行政・立法・司法それぞれで香港への影響力を強める。中国政府は過激な抗議運動を直接取り締まることも視野に入れる。民主派の立法会(議会)選挙への立候補を一段と制限し、政治的な締め付けを強める狙いもある。香港は外国籍の裁判官が多く「司法の独立」が担保されてきたが、国家安全法案に絡む事件を審理する裁判官は、香港政府トップの行政長官が指名している。外国籍の裁判官が排除され、判決が常に中国寄りになる懸念がある。また、香港は中国と世界を結ぶアジアの金融・ビジネスセンターとしての役割を果たしてきている。中国への直接投資の7割は香港を経由し、香港には多くの外資系企業が進出している。国家安全法案は、国籍や人種を問わず、外国人も処罰対象となりうるとの指摘がある。このため、香港でのビジネスやそこに住む外国人への影響を懸念する声が海外で広がっている。結果的に、香港も一国二制度のもとで享受していたメリットを失い、外資マネーを引き付けられなくなるリスクが高まりかねない。日米欧は対中批判を強めている理由として、日米欧の主要7カ国(G7)の外相は17日の共同声明で、国家安全法の制定を急ぐ中国に「重大な懸念」を示している。ただ中国への反発の度合いはそれぞれ異なっている。トランプ米政権は26日に香港問題に関わる一部の中国共産党員へのビザ発給の規制を発動すると発表したのに続き、29日には香港に認めてきた軍民両用技術を輸出する際の優遇措置を取りやめるとした。日本や欧州連合(EU)は対中制裁に距離を置いた。世界貿易における中国の存在感の大きさなどが背景にある。民主化を求める学生を中国当局が武力で鎮圧した天安門事件を機に、海外が一斉に制裁に踏み切った1989年とは、状況は異なっている。
次に刑法的観点から説明する。
特に今回の香港国家安全維持法を結果無価値と行為無価値に分ける。結果無価値とは、悪い結果=法益侵害と罰する。行為無価値とは、倫理違反を罰する。これに当たるのが香港国家安全維持法やタイ王室不敬罪であり政府批判で逮捕や不室批判、伝統衣装でファッションショー起訴などである。行為先価値を取ると国の法解釈で「倫理違反」とされて刑罰を科されることもあること人権保障の視点から批判もされている。
次に名誉棄損と真実性の錯誤について、名誉棄損は、原則→本当の事でも罰する。例外→公共の利害、真実性証明があれば不可罰+真実性の錯誤「本当と思っていた」は本当と思っていたことに過失がなければ無罪「判例」。
図で説明する。「
|
判例 |
||
誤想防衛 |
英国ニセ騎士 |
||
名誉棄損と表現の自由 |
月刊ペン、夕刊和歌山 |
||
|
事実の適示 |
|
|
名誉棄損 |
あり |
|
|
侮辱 |
なし |
|
|
次に共犯と錯誤について、例えば、そそのかしたが思っていたことと違う結果の場合。
共犯独立説→正犯でも共犯なら罰する。共犯人属性説→正犯なら共犯は無罪になる。
また、共犯の過剰として、ゴットン師事件などがある。
錯誤については、図で説明する。
|
事実の認識 |
客観的評価 |
刑罰 |
事実の錯誤 |
〇 |
× |
無罪 過失犯 |
法律の錯誤 |
〇 認識有り |
× |
有罪 故意犯 |
次に主観的超過要素と構成要件故意について、主観的超過要素とは、1主観的違法要素「目的、傾向、表現」2主観的責任要素「窃盗、不法領得の意思」に分かれる。また、主観的超過要素の中に構成要件的行為「行為者が,犯罪事実を表象し,かつ,認容すること」が含まれる。
・まとめ・
今回の「情報社会の正義」レポートに取り組んでみて、今までは、狩猟社会から濃耕が盛んになり農業社会、蒸気機関車が発明されて工業社会となり今現在となっていますが、これからは、菅内閣でも動き出している第4次産業革命であるデジタル「Arificial Intelligence」=AIの時代が身近にやってくることが身に染みて分かりました。特に情報社会が発展することで、教育、医療、地域・行政、労働環境など幅広い分野で活躍し国全体の効率性や経済成長など社会全体を動かす歯車的存在になると私は思います。しかし、いいことばかりではなく情報社会が発展すると、人がやってきたことが全部AIに代わってしまうと国民の雇用の問題や給料などの弱い人の労働者を守ること、個人情報などの漏洩で犯罪が増加すること、アメリカのようにDnaldJohnTrumpがSNSなどで誤った情報発信をすることで世界全体の経済や国民を揺るがす可能性もあることなどまだまだ幅広い面で改善が必要であることも分かりました。私が思うに、何か新しい事を行えば有利な人もいるし犠牲になってしまうことも必ずあると思います。だからこそ、情報社会から逃げることなく歩み寄って人に頼らず自ら進んで勉強していくことが大切だと思いました。
最後に、中江先生1年生の時から4年間色々な経験や知識などを教えてくださりありがとうございました。授業は正直難しかったですが、社会人になっても必要なスキルや知識を少しでも吸収できたので頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。
(参考文献)
東京財団政策研究所
日本経済新聞
中江ゼミまとめ
勉強会
まとめノート
各銀行のサイト
各証券会社のサイト
お金の超基本 泉美智子 坂本綾子
岩崎一也
情報社会における正義
18j110013 岩崎一也
キーワード:Donald
John Trump、香港国家安全維持法(中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法)、名誉棄損の真実性の錯誤、共犯と錯誤、主観的超過要素と構成要件的故意、給付付き税額控除と応益負担と格差原理、整理解雇の4要件、Artificial IntelligenceとBasic Income、Derivativeと割引現在価値、自然利子率と政策金利。
私は、情報社会における正義とは、ロールズ的正義であり、効率よりも弱者を守る平等な世界であると考える。
1.はじめに
昨今のニュースで流れるのは、コロナ関連のニュースが大半である。その中でもひときわ目立っているニュースがある。それは、アメリカ大統領選挙と香港問題である。どちらの国でも問題となっているものは、民主主義と社会保障に関する問題である。よその国でやっている問題だから日本には関係ないというわけではなく、密接に関係している。アメリカの場合は日米同盟があり、香港の場合は隣国である中国との関係がある。
人類は、狩猟社会、農業社会、工業社会と産業革命が起き現代は、情報社会に突入している。情報社会においての基本的人権とは何かについて考えていきたい。
2.アメリカ大統領選挙
現在のアメリカの大統領は、 Donald John Trump(略トランプ大統領)である。トランプ大統領は、共和党員として2016年アメリカ合衆国大統領選挙に進出し、16人の他の候補者を予備選挙で破った。彼の政治的立場はポピュリスト・保護主義者・ナショナリストと表現されてきた。民主党候補のヒラリー・クリントン氏を破ってサプライズ当選したが、一般投票数では敗れた。彼は最高齢のアメリカ合衆国大統領となり、軍や政府の役職に就いたことの無い初の大統領となった。
外交政策では、トランプはアメリカ第一主義を追求し、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)貿易交渉、気候変動に関するパリ協定、イラン核合意、中距離核戦力全廃条約、国際連合人権理事会、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)、世界保健機関(WHO)からアメリカを離脱させた。中国との貿易戦争のきっかけとなる輸入関税を日本など世界各国に課し、中国や日本などと貿易協定を結んだ。
トランプ大統領の支持者でない多くのアメリカ市民が、トランプ大統領の精神状態は破綻しているのではないかと懸念している。2017年10月に全米の心理学者、精神分析医などの専門家27人が共同執筆した『The Dangerous Case of Donald Trump』と題する著書が大手出版社バーンズ・アンド・ノーブル社から出版され、大きな反響を巻き起こした。専門医たちはこの中で結論的に「大統領の精神的健康は米国民の精神的健康に影響を及ぼすものであり……彼(トランプ大統領)は、アメリカを戦争に巻き込み、その病的危険のために、民主主義自体を損なう重大なリスクにさらしている」と率直に論じている。
また、同著書の編集責任者でエール大学医学部助教授のブランディ・リー女史は、出版に際し、精神健康関係の学者や医師たち数千人にもコンタクトし、意見を聴取、大半の専門家たちが、大統領としてのトランプ氏の「精神的危険性」に懸念を表明していることを明らかにした。
日々日ごろから過激な言動を繰り返してきたが、トランプ大統領の言動によりついに死者を出てしまった。トランプ大統領は6日、議事堂近くでの集会で選挙の不正を叫び「議事堂まで歩こう」「強さを示さなくては」とあおった。これで火が付いた支持者はバイデン氏の当選を正式認定する手続きが行われていた連邦議会に次々に乱入。68人が逮捕され、警察に撃たれた支持者や警察官ら計5人が死亡した。この事態を受け、身内の閣僚や高官からも「看過できない」と辞任が相次ぎ、トランプ大統領は政権内で孤立化し、混乱から一夜明けて「悪質な攻撃だ。暴力や無法に憤っている。米民主主義の府を汚した」などと非難し、3分弱の演説に普段口にすることのない美辞麗句を並べた。また、解任論も高まり、側近らは罷免を協議し、野党は再度の弾劾審議を要求した。また、米・カナダ系の投票集計機メーカー、ドミニオン・ボーティング・システムズの幹部が、トランプ大統領の選挙陣営が唱えた11月の米大統領選を巡る陰謀説で名誉を棄損されたとして、コロラド州の連邦地裁に提訴している。
トランプ大統領と対立しているバイデン氏はどのような人格者なのだろうか。2009年まで、36年にわたってデラウェア州の上院議員を務めたバイデン氏は、民主党中道派の重鎮として知られる。長年、司法委員会に在籍したほか、外交委員会にも所属して委員長も務め、外交・安全保障のエキスパートでもある。2009年に副大統領に就任してからは、外交経験が浅いオバマ前大統領を支えた。副大統領在任中、2011年と2013年に日本を訪れていて、東日本大震災の被災地、仙台を訪れて復興の現状を視察している。
トランプ大統領とバイデン氏の政策比較は以下の通りである。
政策 |
バイデン氏 |
トランプ大統領 |
全米に広がった人種差別への抗議活動の対応 |
人種差別の解消を
|
“法と秩序”の名のもと市民排除 |
構造的な人種差別が残ると批判が出ている警察改革 |
警察改革へ積極投資 |
「99%の警察官は有能」 |
新型コロナウイルス対策をめぐる主張 |
経済再開に慎重 |
経済回復に注力 |
感染者の増加で、医療保険制度が改めて注目されている、医療保険制度改革 |
新たな保険制度を提唱 |
オバマケアの撤廃目指す |
日米同盟に基づく安全保障や在日アメリカ軍に対する考え方 |
同盟国との関係深化を |
防衛費の負担増を |
外交・安全保障の基本スタンス |
アメリカの指導力を取り戻す |
アメリカ第一主義 |
中国に対しての政策 |
「特別な問題」で厳しく対応 |
「大国間競争」で優位性の確保 |
北朝鮮に対しての政策 |
首脳会談は批判 |
史上初の米朝首脳会談 |
中国に対する巨額の貿易赤字の縮小など、どのような対中貿易政策 |
同盟国と協力で中国に圧力 |
米国第一主義で高関税付加 |
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で失業者が増える中、雇用をどう守るか |
最低賃金の引き上げを |
巨額の緊急経済対策で支援 |
アメリカ経済に必要なのは、減税か増税か |
増税で社会保障を充実 |
大規模減税で経済活性化 |
環境問題についての対策 |
環境保護重視で雇用創出 |
経済重視で雇用創出 |
このようにトランプ大統領とバイデン氏はほぼ正反対な政策とっている。社会保障の観点では、バイデン氏が弱者保護のロールズ的正義、トランプ大統領が自由主義で個人主義のパレート的正義をとっている。
2.香港問題
香港は約150年間イギリスの統治下にあった。
中国の一部でありながら独自の行政機関をもち、独自の法律が運用されている。このように高度な自治権を認める制度を「一国二制度」といい、この制度が適用される地域は「特別行政区」と呼ばれる。中国では、香港とマカオが「特別行政区」である。香港が、特例といっても過言ではない「一国二制度」となった背景には、「アヘン戦争」が深く関わっている。「アヘン戦争」後の1842年から1997年までイギリスの植民地だった香港は、経済をはじめとするさまざまな制度が中国本土と異なっていた。その結果、法律の体系は植民地時代とほぼ同じで、中国本土とは異なり資本主義にもとづく政策が実施され、死刑制度もない。公用語は中国語(広東語)のほかに英語も用いられている。政治的、経済的、文化的な差異があることから、香港には強権的な中国政府に対する不信感があるといわれている。2019年には、中国本土へ容疑者の引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案をめぐって、大規模なデモが発生し、催涙弾や火炎瓶が使用され、怪我人も多数発生した。香港には「逃港者」のように中国政府から逃れてきた人々が暮らしているが、イギリスから中国に返還された後、徐々に言論統制や選挙干渉が生じるようになり、強権的な中国政府によって自分たちの自由が奪われることを警戒するようになった。また、香港で暮らす人々は、その歴史的な経緯から自分が「中国人」だという意識をあまりもっていない。その中で今回、香港国家安全維持法施行されてしまったのである。
香港国家安全維持法とは、国共産党への批判や香港の独立を主張することなどを違法とするほか、香港に中国政府の出先機関「国家安全維持公署」を設置することなどが定められている。公署の職員の行為は香港の法律の制約を受けず、自由に情報収集や分析を行って、香港政府への監督・指導を行うことができる。また、緊急時などには捜査令状なしでの立ち入りができ、捜査対象者にパスポートを提出させて海外逃亡を防いだり、インターネット上で国家の安全を脅かす謀議がある際にはプロバイダーにアクセス制限措置を要求できるなど、公署に数々の強い権限が与えられている。日本における基本的人権がほとんどないのである。
3.経済における日本の現状と未来
経済の論点において給付付き税額控除と応益負担と格差原理の問題がある。よく言われるのがパレート的正義かロールズ的正義である。
パレート的正義とは、ある経済単位における資源の配分について、ある経済主体の不利益を伴わなければ、他の経済主体の利益を増大させられない状態と定義される。言い換えれば、誰もが不利益を蒙らずに、誰かの利益が期待できる状態は、パレート最適ではないということになる。このような状態は、資源がまだ完全に利用尽くされていない状態を意味する。つまり応益負担であるということである。パレート的正義の場合、公平性に欠け格差は拡大してしまう。自由主義よりなため、トランプ大統領はパレート的正義派であろう。
ロールズ的正義とは、「諸々の不平等は、それらがすべての人の利益となるであろうと期待」できる限りで合理的である、とするものであった。これを言い換えれば、ある経済主体の利益の増大は、それによって他の経済主体、とりわけ弱者の利益にもなる限りにおいて許容されるというものだ。つまり応能負担の格差原理である。ロールズ的正義の場合、効率性には欠けてしまうが平等にいきわたる。バイデン氏は、自由主義よりも平等性をとっている点でロールズ的正義派であろう。積極的に政府が規制や課税をすることで平等性は保たれるが、死荷重が発生してしまい資源をすべて有効活用できないという問題点がある。
平等という観点から給付付き税額控除制度という制度がある。これは、フリードマンの負の所得税という論が元となった制度である。経済が発展すると,社会福祉の充実が叫ばれるようになる。社会福祉の費用が大きくなると,様々な問題が発生してくる。たとえば,大きな政府になったために,経済効率が悪化するとか,官僚機構が,ますます,大きくなり,様々な介入・干渉・統制をするとか,同じことであるが,個人の自由が少なくなったりもする。社会福祉費用が大きくなると,増税するしかなく,国民は,常に,重税感を持つことになる。また,社会福祉が充実すると,勤労意欲が少なくなってしまうという問題も生じてくる。このような悪い状況を打開しようとしたのが,フリードマンの負の所得税制度である。本来,所得税は国民が政府に税金を支払うのであるが,この負の所得税制度では,所得の低い国民は政府から現金をもらえるのである。つまり、税額控除で控除しきれなかった残りの枠の一定割合を現金にて支給するというものだ。日本では、たびたび議論とはなったが法制度化はされていない。施行されている国は、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、韓国等10か国以上に上る。
日本の経済はここ数十年成長していない。安倍政権では、金融政策として買いオペレーションをし、マネーサプライを増やした。財政政策では、デフレ脱却をよりスムーズに実現するために有効需要を創出をした。しかし極端な低金利によって思うような効果が得られず流動性のわなにかかってしまった。
金利には、自然利子率と政策金利と実質金利がある。政策金利は名目金利とも呼ばれ名目金利に人々の予想をいれたものが実質金利である。名目金利と実質金利は、日銀が短期間で金融政策で決めたものである。自然利子率は潜在成長率ともいわれ経済の成長度合いを示したものである。企業が投資するには、金利<収益でなければならない。日本は、自然利子率はほぼゼロである。となると、短期金利<自然利子率とするには、ほぼゼロなのでマイナスにするしかなく、アベノミクスではマイナス金利としたのである。
自然利子率が低い要因の一つが少子高齢化である。出生数と合計特殊出生率が、第1次ベビーブームがあった1949年の出生数は269万人で合計特殊出生率は4.32と過去最高であった。それに対して第2次ベビーブームがあった1973年は出生数が209万人、合計特殊出生率は2.14と減少している。2017年の出生数が94.6万人、出生率が1.43となり、出生数は過去最低を記録しました。日本の総人口は2010年の1億2,806万人をピークに減少の一途を辿り、人口を維持するために必要な出生率の水準を下回っている。
日本の年金制度は、現役世代が高齢者の年金を払っている。本来であれば、自分が払った年金は積み立て年金となり将来高齢者になった時に支払われるべきであるにもかかわらず、現在はこのような制度となってしまっている。昔は、子供のほうが多く、高齢者が少なかったためこの制度でよかったものの今となってはそうはいかない。昔の官僚が甘い蜜を吸おうとこのような制度にした結果である。したがって老後のために自分で財をきずくしかないのだ。そこで、
Derivativeと割引現在価値の方法がある。
割引現在価値とは、将来得られる価値を現在受け取るとしたらどの程度の価値になるかを計算したものである。将来受け取ることが予測される金額の価値は、現在の金額の価値とは異なる。お金の価値は時間によって変化するという考え方があり、この変化する価値を割引率を用いて計算したものが割引現在価値になる。割引率とは、将来受け取る金銭を現在価値に割り引く際、その割り引かれた金額を1年あたりの割合で示したもので、ディスカウントレートともよばれている。個別銘柄金利は、低いほうが価値は高い。金利を高くしなければ債券を買ってくれる人がいないため、それだけ危険ということであるということだ。
デリバティブとは、株式、債券、金利、通貨、金、原油などの原資産の価格を基準に価値が決まる金融商品の総称である。原始的な商品から派生した商品として、金融派生商品と呼ばれ、英語の“派生する(derived)”を語源としてデリバティブと呼ばれる。取引形態としては、先物取引、オプション取引、スワップ取引、先渡取引などがある。特徴として証拠金だけで多額の取引ができ、財産が少ない人でも手軽にでき、市場の拡大につながる。
これからの情報社会において、
Artificial IntelligenceとBasic Incomeの問題が必ず出てくる。AIとは人工知能のことで 人間にしかできなかったような高度に知的な作業や判断をコンピュータを中心とする人工的なシステムにより行えるようにしたものである。つまり人間の仕事がコンピューターに人件費削減という名目で奪われるのである。
企業が社員を解雇する場合、それが人員整理ならば整理解雇の4要件が必要となってくる。整理解雇の4要件は、人員整理の必要性、解雇回避努力義務の履行
、被解雇者選定の合理性 、解雇手続の妥当性である。 人員整理の必要性は、どうしても人員を整理しなければならない経営上の理由があること、解雇回避努力義務の履行は、希望退職者の募集、役員報酬のカット、出向、配置転換、一時帰休の実施など、解雇を回避するためにあらゆる努力を尽くしていること、被解雇者選定の合理性は、解雇するための人選基準が評価者の主観に左右されず、合理的かつ公平であること、解雇手続きの妥当性は、解雇の対象者および労働組合または労働者の過半数を代表する者と十分に協議し、整理解雇について納得を得るための努力を尽くしていることである。
AIの台頭で整理解雇となってしまった場合にベーシックインカムという制度がある。ベーシックインカムとは、ベーシックインカムとは、政府がすべての国民が最低限の生活を送れるように、年齢・性別等に関係なく、一律・無条件で現金を給付するしくみである。ベーシックインカムで重要なのが、すべての国民に対する無条件の支給ということだ。現在の社会保障制度では、例えば、高齢者への年金や、所得の低い人への生活保護など、一定の条件を満たした人に現金の支給がある。対して、ベーシックインカムでは、一定の条件を満たした人だけではなく「すべての国民」に現金を支給する。また、現在の社会保障制度では、支給を受ける側が定期的に申請をすることで、現金が支給されますが、ベーシックインカムでは原則申請なども不要で、無条件で現金が支給される。ベーシックインカムのメリットとして、少子化と貧困の対策となり労働環境の改善がみられる。デメリットとして財源だ。ベーシックインカム導入には多くの財源が必要で、総務省の発表によると、現在、日本の人口は約1億2500万人である。すべての人に月7万円支給したとすると、毎月の予算は8兆7,500億円、1年間に換算すると105兆円にのぼる。月7万円では、最低限の生活の保障は難しいため、もっと必要な金額が増えるケースが予想され、この莫大な財源を捻出するために、消費税などの大きな増税が予想される。また、労働意欲の低下や経済競争の低下が懸念される。
4.判例
トランプ大統領も訴えられている名誉棄損罪には、名誉棄損の真実性の錯誤が問題となる。
夕刊和歌山時事事件 最大判昭和44年06月25日 刑集23巻7号975頁
事実概要
被告人は、自らが発行する昭和38年2月18日付「夕刊和歌山時事」の中に「吸血鬼Aの罪業」という表題で、A本人またはAの指示のもとにA経営の和歌山特だね新聞の記者が、和歌山市役所土木部の某課長に向かって「出すもの出せば目をつむってやるんだが、チビリくさるのでやったるんや」と聞えよがしの捨てせりふを吐いたうえ、上層部の主幹に対して「しかし魚心あれば水心ということもある、どうだ、お前にも汚職の疑いがあるが、一つ席を変えて一杯やりながら話をつけるか」とすごんだ旨の記事を掲載・頒布することにより、公然事実を摘示してAの名誉を棄損したとされる。1審は真実の証明がないとして、有罪を宣告した。
判旨
刑法230条の2の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和をはかったものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法230条の2第1項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である。これと異なり、右のような誤信があつたとしても、およそ事実が真実であることの証明がない以上名誉毀損の罪責を免れることがないとした当裁判所の前記判例(昭和33年(あ)第2698号同34年5月7日第一小法廷判決、刑集13巻5号641頁)は、これを変更すべきものと認める。したがって、原判決の前記判断は法令の解釈適用を誤ったものといわなければならない。
解説
下級審の判決は、早くから真実性の証明がない場合であっても、行為者が真実と信じ、健全な常識に照らして真実と信じるのが相当と認められる程度の客観的情況がある場合には、名誉毀損の故意が阻却され、犯罪は成立しないとするものが多かった。しかし、上記判旨にあるように、最高裁は、1958年の判決で、真実と証明されない限り処罰は免れないと判断した。現在、最高裁の判決が出ると、下級審の判決は最高裁の判決にならって判断をするものが多いように思われる。しかし、この頃の下級審はそうではなかったのか、最高裁判決が出た後も、従来と同様の判決が出される傾向にあった。この判決の3年前に遡ると、最高裁は小法廷の決定ではあるが、民事裁判で先んじて相当性の理論を認めるに至っていた。
香港問題でデモに参加した場合、またでもだと知らずにたまたま居合わせた場合、共犯と錯誤の問題で香港安全維持法違反となるのだろうか。
窃盗教唆住居侵入教唆事件 最判昭和25年07月11日第三小法廷 刑集4巻7号1261頁
事実概要
被告人Xは、昭和22年5月13日午前9時ごろ、自宅で多額の負債があり生活にも困窮していたYからなにかよいことはないかと、金銭の入手方法について相談を持ち掛けられた。Xは、A方の様子を知っていたので、Yに対して、Aは30万円くらいの金を持っているものとみうけられるからA方にはいればよいと教え、A方の構造や付近の地形を図解して示した。強盗を決心し、Aの奥手口の施錠を破壊したが、母屋への入り口が見つからなかったため断念した。Yらは犯行継続してAの隣家であるB電気商会に押し入ることを決め、決行した。Yは見張りをして、Zら3名は屋内に侵入し、就寝中のCを脅迫して金品を強取した。原審判決では、被告人Xについて住居侵入教唆と窃盗教唆を認めた。
判旨
原判決は、被告人AがBに対し住居侵入窃盗の教唆をした事実を認め、其証拠と
して原審証人Bの証言と、同人の第一審公判調書中の同人の供述記載を挙示してい
ることは記録上明らかである。然るに、右Bの原審公判における証言によれば、被
告人AはBに対し、E方に侵入して窃盗をなすことを教唆したことになつて居り、
F方に侵入して窃盗することを教唆した旨の原判決の判示と符合しないことは所論
の通りである。そして第一審公判調書中のBの供述記載を調べて見るに被告人Aが
Bに対し住居侵入窃盗を教唆したのはF方であつてE方ではないことになつて居り
原判決の判示と符合するが原判決の証拠説明を見るにF方に侵入して窃盗をするこ
とを教唆したという部分は記載されていないので判示に符合するBの供述があると
いう点が明らかでない、従つて採証法則に違背したという論旨は理由があるから、
被告人Aに対する部分は此点において理由がある。
しかし被告人AがBに住居侵人窃盗を教唆した事実は原判決挙示の証拠により認
めることができるものであつて所論の如き法則に反するところはない、論旨は原審
の採用しない証拠に基いて原審の事実認定を非難するに外ならないから、採用し難
い。
原判決によれば、被告人AはBに対して判示F方に侵入して金品を盗取すること
を使嗾し、以て窃盗を教唆したものであつて、判示G商会に侵入して窃盗をするこ
とを教唆したものでないことは正に所論の通りであり、しかも、右Bは、判示C等
三名と共謀して判示G商会に侵入して強盗をしたものである。しかし、犯罪の故意
ありとなすには、必ずしも犯人が認識した事実と、現に発生した事実とが、具体的
に一致(符合)することを要するものではなく、右両者が犯罪の類型(定型)とし
て規定している範囲において一致(符合)することを以て足るものと解すべきもの
であるから、いやしくも右Bの判示住居侵人強盗の所為が、被告人Aの教唆に基い
てなされたものと認められる限り、被告人Aは住居侵入窃盗の範囲において、右B
の強盗の所為について教唆犯としての責任を負うべきは当然であつて、被告人Aの
教唆行為において指示した犯罪の被害者と、本犯たるBのなした犯罪の被害者とが
異る一事を以て、直ちに被告人Aに判示Bの犯罪について何等の責任なきものと速
断することを得ないものと言わなければならない。しかし、被告人Aの本件教唆に
基いて、判示Bの犯行がなされたものと言い得るか否か、換言すれば右両者間に因
果関係が認められるか否かという点について検討するに、原判決によれば、Bは被
告人Aの教唆により強盗をなすことを決意し、昭和二二年五月一三日午後二時頃C
外二名と共に日本刀、短刀各一振、バール一個等を携え、強盗の目的でF方奥手口
から施錠を所携のバールで破壊して屋内に侵入したが、母屋に侵入する方法を発見
し得なかつたので断念し、更に、同人等は犯意を継続し、其の隣家のG商会に押入
ることを謀議し、Bは同家附近で見張をなし、C等三名は屋内に侵入して強盗をし
たというのであつて、原判文中に「更に同人等は犯意を継続し」とあることに徴す
れば、原判決は被告人Aの判示教唆行為と、B等の判示住居侵入強盗の行為との間
に因果関係ある旨を判示する趣旨と解すべきが如くであるが、他面原判決引用の第
一審公判調書中のBの供述記載によれば、Bの本件犯行の共犯者たるC等三名は、
F方裏口から屋内に侵入したが、やがてC三名は母屋に入ることができないといつ
て出て来たので、諦めて帰りかけたが、右三名は、吾々はゴツトン師であるからた
だでは帰れないと言い出し、隣のラヂオ屋に這入つて行つたので自分は外で待つて
おつた旨の記載があり、これによればBのE方における犯行は、被告人Aの教唆に
基いたものというよりもむしろBは一旦右教唆に基く犯意は障碍の為め放棄したが、
たまたま、共犯者三名が強硬に判示G商会に押入ろうと主張したことに動かされて
決意を新たにして遂にこれを敢行したものであるとの事実を窺われないでもないの
であつて、彼是綜合するときは、原判決の趣旨が果して明確に被告人Aの判示教唆
行為と、Bの判示所為との間に、因果関係があるものと認定したものであるか否か
は頗る疑問であると言わなければならないから、原判決は結局罪となるべき事実を
確定せずして法令の適用をなし、被告人Aの罪責を認めた理由不備の違法あること
に帰し、論旨は理由がある。
原判決挙示の証拠によれば被告人Dが本件強盗の情を知つてBの犯行を幇助した
ものであることは充分に認められるところであつて所論の如き審理不尽の違法はな
い、論旨は原審において採用しない証拠によつて原審の事実認定を非難することに
帰するから採用しがたい
論旨は結局Bの供述について為した原審の自由心証に対する非難に外ならないか
ら採用しがたい。そして原判決挙示の証拠により判示事実を認め得るものであり、
所論の如き違法はない。
解説
因果関係が認められたとして、Xが窃盗を教唆したが、正犯者は強盗罪を実行した場合、教唆者の認識・予見した事実と、正犯者が実現した構成要件該当事実とが異なり、いかなる犯罪が教唆者に成立するかというのが、共犯と錯誤の問題である。本件は、教唆者が認識・予見した事実と異なった構成要件にまたがったいわゆる抽象的事実の錯誤の場合である。
この問題に通説は、単独犯と同様の錯誤論によって解決しており、いわゆる法定的符号説の見地から、行為者が認識・予見した事実が該当する構成要件と実際に生じた事実が該当する構成要件が重なり合う場合に故意犯の成立を認めている。本件における窃盗と強盗は、保護法益である財物の本権または占有、被害者の財物に対する占有侵害という構成要件的行為における共通性から、両罪の構成要件には実質的に重なり合いが認められることになる。
5.その他
アベノミクスで金融政策をした安倍元首相は、昨今桜を見る会での贈収賄疑惑が浮上している。贈収賄目的で金を出したのではなければ主観的超過要素と構成要件的故意の問題となる。行為無価値論よりである主観的超過要素は大きく分けて、目的犯における目的、傾向犯における主観的傾向、表現犯における内心的状態、領得罪における不法領得の意思、背任罪における図利加害目的、未遂犯における既遂の故意がある。
目的犯だと通貨偽造罪の「行使の目的」、傾向犯だと強制わいせつ罪の性的衝動を満足させる心理的傾向、表現犯だと偽証罪の主観的な記憶に反するという心理状態である。
桜を見る会で足りなかった経費を秘書が勝手に払ったと主張している安倍氏だが、もし知っていた場合、贈収賄にあたるのだろうか。私は、秘書の忖度があった場合は無罪になるのではないかと思う。忖度では公務員たる首相に故意は認められないため、仮に首相の単独犯であったとしても不可罰という結論になると思うからである。
6.私見
私は、アメリカ大統領選挙に関してはバイデン派である。トランプ大統領は精神が破綻しかけているのではないかと考える。一度強硬な姿勢をとってしまい、支持者のためにも後戻りできなくなり、さらに過激な発言をしいには死者を出してしまっている。これは韓国の文在寅大統領も同じことが言えないのかと考える。対日の慰安婦問題で日本を批判することによって支持を受けている。今更日本と仲良くしようとなど口が裂けても言えない状態である。このままの状態が続くと第二のトランプ大統領に立ってしまわないかと心配である。
香港問題に関しては、習近平国家主席を誰かが止めない限り永遠に香港には民主主義は戻ってこないだろうと考える。このまま民主活動家は逮捕され続け中国に吸収されるだろう。だが独裁政治はさほど長くは続かないのではないかと思う。歴史的に見ても独裁政治は結局滅んでいる。江戸時代の隠れキリシタンのように表立っては活動はできなくはなるが、革命の志は消えないのではないかと思う。
アメリカと中国を対比して唯一中国が優れていた点はコロナ対策でないかと思う。アメリカは代議制民主主義で、中国は民主集中制である。民主集中制の場合は、上から命令するだけで従わせることができるが、民主主義の場合は手続きに時間がかかってしまい後手に回ってしまう。それでも私は、民主集中制である中国よりも代議制民主主義であるアメリカ派である。中国では日本のように言動の自由などの基本的人権が守られないからである。
経済に関しては、ロールズ派である。死荷重が発生しやすいという問題点はあり、ダーウィンの進化論では弱いものは滅びると言っているが、人類は人権がある。歴史的に見ても平等公平を多くの国が勝ち取っている。したがって私は、勝者が総どりする格差社会よりもある程度の競争はあるものの平等な日本のほうが良いのではないかと思う・
また、AI台頭により職を失った時のためにもデリバティブ取引で財を増やしておくべきであると思う。ベーシックインカムに関しては反対である。ベーシックインカムをするためには増税は必要である。また、現在行っている社会保障の代わりになるとは思えないからである。金持ちにまた金を与えても意味はなく、貧困者はそれを頼りに働かなくなる。これでは抜本的な解決方法にはなっていないからである。
以上の点から私は、情報社会における正義とは、ロールズ的正義であり、効率よりも弱者を守る平等な世界であると考える。
7.参考文献
M.D. Lee, Bandy Xほか『The Dangerous Case of Donald Trump』(Thomas Dunne
Books 2017年)
信国幸彦 刑法判例百選T総論(有斐閣 2014年)
信国幸彦 刑法判例百選U各論(有斐閣 2014年)
「投票機メーカー幹部がトランプ陣営を名誉棄損で提訴、デマ拡散」『朝日新聞』https://www.asahi.com/international/reuters/CRWKBN28X0JB.html(2020年12月23日)
「トランプ大統領、ついに“ギブアップ”…暴動“扇動”が引き金、責任追及かわす?自分の恩赦準備」『スポニチ』https://www.sponichi.co.jp/society/news/2021/01/09/kiji/20210109s00042000076000c.html(2021年1月9日)
「ベーシックインカムじわり脚光 日本でも導入求める声 米独など各国で実験」『毎日新聞』https://mainichi.jp/articles/20200922/k00/00m/040/230000c(2020年09月23日)
内閣府 https://www5.cao.go.jp/keizai1/abenomics/abenomics.html
NHKアメリカ大統領選挙2020 https://www3.nhk.or.jp/news/special/presidential-election_2020/
吉野正和『フリードマンの負の所得税について』https://kaikatsu.jword.jp/clk?url=http%3A%2F%2Fypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp%2Ftu%2Ffile%2F669%2F20140128095951%2FTU10041000001.pdf
SMBC日興証券https://www.smbcnikko.co.jp/terms/japan/te/J0098.html
大和証券https://www.daiwa.jp/glossary/YST1316.html
須藤直、岡崎陽介、瀧塚寧孝(日本銀行)『わが国の自然利子率の決定要因―DSGEモデルとOGモデルによる接近― 』https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/lab/lab18j02.htm/(2018年06月13日)
裁判所 https://www.courts.go.jp/index.html
木村星太
1月20日午前9時48分に送信致しましたが、届いているか不安のため、再送させていただきます。
情報社会における正義
演習U18J110007 木村星太
キーワード
Donald John Trump、香港国家安全維持法(中華人民共和国香港特別行政区国家安全法)、名誉棄損の真実性の錯誤、共犯と錯誤、主観的超過要素と構成要件的故意、給付付き税額控除と応益負担と格差原理、整理解雇の4要件、Artificial IntelligenceとBasic Income、Derivativeと割引現在価値、自然利子率と政策金利
1.結論
情報社会では平等や不平等を理解し、自分自身で考え行動をすること大切である。
2.パレートとロールズ
・パレートについて
例えばある集団が、1つの社会状態(資源配分)を選択するとき、集団内の誰かの効用(満足度)を犠牲にしなければ他の誰かの効用を高めることができない状態を、パレート効率的であると表現する。また、誰の効用も犠牲にすることなく、少なくとも一人の効用を高めることができるとき、新しい社会状態は前の社会状態をパレート改善するという。つまり、パレート効率的な社会状態とは、どのような社会状態によっても、それ以上のパレート改善ができない社会状態のことである。パレート効率的な事例を考えてみる。Aさんは音楽観賞が大好きだが、Bさんはスポーツ観戦が大好きだ。また、Aさんはスポーツ観戦の良さがわからず、Bさんは音楽鑑賞のたのしさを知らない。ここに、音楽ライブのチケットと、オリンピックのチケットがある。Aさんがオリンピックのチケットもらう。Bさんには音楽ライブのチケット上げる。これはパレート効率的な状態といえる。それでは、音楽ライブのチケットのみ二枚あった場合はどうだろうか。Aさんが音楽ライブのチケットもらう。Bさんにも申し訳ないからもう一枚の音楽ライブのチケットをあげる。そうすればBも少しは喜ぶだろう。しかし、これはパレート効率的でない。何故なら二つともAさんがもらった方が、音楽ライブのチケットをもらったBさんの満足度より、満足度がたかいからだ。全体としては、その方が効用は高くなる。つまり、全体として最大限の効用を生み出している状態がパレート効率的ということだ。この例からもわかるように、パレート効率とは公平性とはまったく関係がない。一定のサービスに対して一定の負担をする。なお、余剰分析での、死荷重が発生している状態はパレート効率的でない。何故なら、政府が介入を止めることによって社会全体の余剰は増えるためである。つまり公平の観点からは問題がある。
・ロールズについて
ロールズは価値(善の構想)の多元化を現代社会の恒久的特徴と捉え、そのような状況にあっては、ある特定の善を正義と構想することはできないとしてロールズは正義と善を切り離し、様々な善の構想に対して中立的に制約する規範を正義とした。また、個人の立場や充足されるべき欲求は個々人で異なるものであるとし、「別個の人びとをあたかも単一の人格であるかのようにみなし、人びとの間で差し引き勘定をするような論法は成り立つはずもない」と批判した。そこで出たのがロールズのの正義に関する2つの原理つまり最大限の平等な自由と、公正な機会均等の原理、格差原理である。最大限の平等な自由とは、誰もが、他者も同様の自由をもつことを前提にして、最大限の基本的自由にたいして平等の権利を持たねばならない。公正な機会均等の原理、格差原理とは公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている職務や地位に付随するものでしかないことである。
・給付付き税額控除と応益負担と格差原理
私たちが支払う税金等の社会負担料には、大きく分けて二つの考え方がある。それが応益負担と応能負担と言われる考え方です。応益負担とは、その人の所得や能力に関係なく、その人が受ける利益に応じた負担をするという考え方である。一定のサービスに対して一定の負担をする。代表的な税金でいうと消費税がこの応益負担の考え方にある。一方の応能負担とは、その人の所得や能力に応じた負担をするという考え方です。所得の多い人は多くの負担をし、少ない人は少ない負担をします。こちらは、所得に応じて金額(税率)が決定される所得税がこの考え方によっています。また、給付付き税額控除とは、税金から一定額を控除する減税で、課税額より控除額が大きいときにはその分を現金で給付する措置。例えば、納税額が10万円の人に15万円の給付付き税額控除を実施する場合には、差額の5万円が現金支給される。消費税は所得にかかわらず同じ税率が適用されるため、消費性向が高い低所得者の税負担が相対的に重くなる「逆進性」がある。給付付き税額控除は「逆進性」対策の有効打といわれる。これらのことから、パレート的正義では、応益負担であり、ロールズ的正義では応能負担、格差原理という考え方である。またこの二人の考え方の問題点としては効率と公平のバランスをどうとっていくかが大切だと考える。
私はロールズの考え方がよいと考える。強者を支えているのは弱者である。たとえば、個人の自由を制限して金持ちが集中している社会があり、そこでは無駄のない資源配分を通じて、経済面の豊かさと安定がそれなりに実現されているとしたらどうなるか。ロールズは、結果として全体が豊かになっているとしても、そこに不自由や不平等があれば、正義にかなった社会ではないと主張する。確かに1つの社会状態(資源配分)を選択するとき、集団内の誰かの効用(満足度)を犠牲にしなければ他の誰かの効用を高めることができない状態というパレートの考え方も理解は出来る。しかし、情報化社会においては、勝者が総取りしてしまい、格差が拡大してしまう。もしかすると、戦争が起こってしまうかもしれない。それならば、貧民層に手を差しのばし世界平和を私は望む。
3.情報化社会におけるArtificial IntelligenceとBasic
Income
まず整理解雇の4要件とは以下の通り大きく分けて4つであるである。
(1)人員整理の必要性
どうしても人員を整理しなければならない経営上の理由があること(「経営不振を打開するため」は可、「生産性を向上させるため」は不可)。
(2)解雇回避努力義務の履行
希望退職者の募集、役員報酬のカット、出向、配置転換、一時帰休の実施など、解雇を回避するためにあらゆる努力を尽くしていること。
(3)被解雇者選定の合理性
解雇するための人選基準が評価者の主観に左右されず、合理的かつ公平であること。
(4)解雇手続きの妥当性
解雇の対象者および労働組合または労働者の過半数を代表する者と十分に協議し、整理解雇について納得を得るための努力を尽くしていることである。
ここで、Artificial IntelligenceとBasic
Incomeについて考えてく。
Artificial Intelligenceとは、言語の理解や推論、問題解決などの知的行動を人間に代わってコンピューターに行わせる技術である。現在、動株取引やコールセンターでの自動対応、ホテルの受付ロボットや製造・物流工程での自動・高速化など、今までは人間が直接対応しなければならなかった分野での活用が進んでいる。これは企業にとっても人件費を大幅にカットすることができ、浮いた資金を新たな研究・開発費や事業の展開に活用することができる。しかし、これまで働いていた人たちの仕事を奪ってしまう可能性もあり、企業は、不要になった従業員を解雇する。そこで先ほどの整理解雇の4要件とどう関わるのか考える。整理解雇の4要件を総合判断して、整理解雇をする合理性・必要性がとても高く、整理解雇の対象となった従業員への解雇回避努力義務も十分に尽くされていると判断された場合には、AI導入に伴う整理解雇は法律上有効となるとされている。そこでBasic Incomeでは、非正規雇用問題の緩和につながると考える。例えば、非正社員等のワーキングプアは正社員とは違って給与が比較的安い上、国民健康保険や住民税について、前年の年収に基づいた査定がなされて支払う金額が乱高下する。また、ワーキングプアの多くは雇用が不安定であることから、正社員のように給与所得控除など各種の減免措置を受ける機会が乏しい。そのため、比較的裕福な正社員に比べ、ワーキングプアの方がより高い税率で課税されかねない悲惨な現状がある。これを是正する方策として、Basic Incomeの導入は有効である。また、企業の体力という視点から、現実的には雇用の流動性、生活保障という2つの側面を切り離し、ワークシェアリング、 Basic Incomeという形で組み合わせた場合、正規雇用を増やす政策よりも、企業の負担を軽減するという効果が期待されるという意見がある。確かに、企業側も社員の生活のための無理な雇用継続をする必要がなくなるために、企業の経営効率が良くなる。このことによって、職場環境や雇用環境が向上し、周りの労働者にも便益が生じる。
私はBasic
Incomeは今の日本には導入すべきではないと考える。現状日本の借金は1000兆円と言われています。まずメリットとしては貧困対策と少子高齢化対策に向いていると考える。Basic Incomeでは、「すべての国民」に「無条件」で現金を支給する。
また、Basic Incomeの収入に年齢制限はない。子供も支給対象なので、子供が多ければ多いほど、支給される現金が多くなるため、少子化対策にもなります。しかし、Basic Incomeを導入するには財源が大事である。近年新型コロナウイルスの影響もあり、日本は財政破綻に近い状態になっていると考える。なので、Basic Incomeを導入する前に日本は世界と戦える力を持つことが大切だと考える。それは、私も含め、若い世代が日本の未来について考えるべきである。
4.香港国家安全維持法(中華人民共和国香港特別行政区国家安全法)
香港国家安全法とは、香港で反体制派の活動を禁じる法律である。中国政府が香港に治安維持機関を新設し、抗議活動などを直接取り締まることを想定する。高度な自治が保障され、言論、出版、報道の自由や集会の自由が認められてきた香港の「一国二制度」が、崩壊の危機に直面しています。市民にとって大きな問題は、4つの処罰対象の定義が曖昧な点である。同法では(1)国家分裂(2)政権転覆(3)テロ活動(4)外国勢力と結託して国家安全に危害を加える行為――を犯罪として刑事責任を問うと定めました。若者たちがデモで訴える「香港独立」の主張や中国共産党への批判が違法とみなされる恐れがあります。政府に恣意的に運用される懸念も拭いきれません。では逮捕された人はどう裁かれるのか。香港は外国籍の裁判官が多く「司法の独立」を担保していた。しかし国家安全にからむ事件を審理する裁判官は行政長官が指名する。外国籍の裁判官が排除され、判決が常に中国寄りになる懸念がある。これに対してDonald John
Trump中国が香港への統制を強める「国家安全維持法(国安法)」を巡り、中国の「抑圧的な行動」への対抗措置として、米国が香港に対し認めてきた優遇措置を廃止する大統領令に署名した。Donald John Trumpは「香港の人々に対する攻撃的な行動に対し中国に責任を取らせるための法案と大統領令に署名した」と表明。香港が長年受けてきた優遇措置を終わらせるとし、「特権がなくなり、経済的な特別措置や機密技術の輸出もなくなる。香港は中国本土と同じ扱いになる」と述べた。ホワイトハウスのファクトシートによると、大統領令には香港のパスポート保持者を対象にした特別措置を廃止する内容が盛り込まれている。Donald John
Trumpは5月、香港に認めてきた優遇措置の廃止に向けた手続きに入ると表明。即時停止には踏み切らなかったが、犯罪人引き渡しから軍民両用技術の輸出規制まであらゆる措置が対象になるとしていた。
5.名誉棄損の真実性の錯誤
まず、名誉毀損とは、他人の名誉を傷つける行為のことである。名誉毀損罪は刑法230条で定義されている。名誉毀損で訴えられると、民事上・刑事上の責任を負わなければならない。名誉毀損は「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する」つまり、名誉毀損と認められる要件は「公然」「事実を摘示」「名誉を毀損」の3つということになる。原則、本当のことでも罰するとしている。しかし、例外があり公共の利害、真実性証明があれば不可罪となる。それに真実性の錯誤(本当におもってたこと)に過失があればいい。ここで夕刊和歌山時事事件という判例について考えてみる。「夕刊和歌山時事」の編集・発行人のXが、他紙の「和歌山特だね新聞」の記者らが、市役所職員に恐喝まがいの取材の仕方をしたという記事を「夕刊和歌山時事」に掲載し、Xの行為が名誉毀損にあたるとして起訴された。刑法の230条の2に名誉毀損罪について、次のような規定があります。前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。すなわち、230条の名誉棄損罪の規定では、公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず罰すると規定されているが、230条の2によると、公共の利害に関する事実で、もっぱら公益を図る目的で、真実であることを証明すれば、罰せられないことになる。しかし、真実であることの証明は、かなりハードルの高いものである。この事件においても、真実である証明ができなかったが、最高裁は次のような判断をした。「真実であることの証明がない場合でも、行為者が真実であると誤信し、それが確実な資料・根拠に照らして、相当の理由があるときは、犯罪の故意はなく、罪は成立しない」このように「相当の理由」による免責を認めることにより、表現の自由の萎縮効果に配慮した判断をしました。その後、多くの名誉棄損罪の裁判で、「相当の理由」について検討されるようになった。判例では過失説をとり、真実と信ずることに過失がなければ無罪である。一方真実説では真実でなければ有罪である。この判例は真実性の錯誤が、行為時に客観的に確実な資料・根拠に基づく場合にのみ故意を阻却するとした。
私はこの判例について、仮に真実性の証明ができなくても、行為者が事実を真実であると信じて、きちんとした調査に基づいて根拠があれば名誉毀損罪は成立しないこととなるので、具体的には、きちんとした取材活動がなされていることを主張しなければならないのだと考える。
6.主観的超過要素と構成要件的故意
主観的超過要素とは、主観に対応する客観面がない主観的要素のことである。不法領得の意思、目的範における目的、傾向犯における傾向である。ここで窃盗罪の主観的構成要件について考えていく。犯罪が成立するためには,構成要件に該当するものでなければならない。通説的見解によれば,この構成要件には,客観的構成要件と主観的構成要件とがある。窃盗罪で言えば,客観的構成要件とは,他人の財物を窃取することである。では,主観的構成要件とは何かというと,故意と不法領得の意思がこれに当たる。窃盗の故意とは,刑法38条1項にいう「罪を犯す意思」である。責任要素であると同時に,主観的構成要件要素でもあると解されている。主観的構成要件要素としても故意(構成要件的故意)とは,犯罪事実の認識を意味する。窃盗罪でいえば,結果の発生も含めて他人の財物を窃取するという事実を認識していたことが構成要件的故意となる。またこれを越えるのを主観的超過要素となる。
7.共犯と錯誤
まず以下の事例について考えてみる。
Aが、後輩のBに、C宅に侵入し、現金100万円を盗んでくるように指示をした。
しかし、Bは、C宅の電気がついていたため、これを諦めたものの、このままでは、帰れないと考え、D宅に侵入して、現金100万円を盗んだ。
Cに、住居侵入罪、窃盗罪が成立することは問題ないと思う。この時、住居侵入罪の共謀共同正犯および、窃盗罪の共謀共同正犯が成立するかを考えなければならない。共謀、実行行為という要件を出してあげて、共謀は認める。さらに実行行為も認めて問題ない。問題は、共謀に基づく実行行為と言えるかどうかである。この時、共謀の危険性が現実化したかで考えるといい。つまり、共謀の射程は、結局は、共謀と実行行為の因果関係だと思われるので、因果関係があるかを問えばいい。今回の事例だと、窃盗を指示しているわけなので、窃盗をしているわけなので、共謀の危険性が現実化したと言えると思います。Bは、C宅に侵入して窃盗を行うという故意があったにもかかわらず、現実には、C宅に侵入して窃盗を行ってしまっています。つまり、具体的事実の錯誤が問題になるわけです。あとは、軽く論証して当てはめて、Cに住居侵入罪の共謀共同正犯、窃盗罪の共謀共同正犯を成立させて、罪数処理をすれば問題ない。
8. Derivativeと割引現在価値、自然利子率と政策金利
まず、Derivativeとは株式・金利・為替(かわせ)などの原証券や通貨売買の在来の取引法から派生した、新しい金融商品である。デリバティブ取引は、大きく分けて先物取引、オプション取引、スワップ取引の3種類に分類される。ここで債権の価値について考えていく。例えば金利が上がると債権の価値はどうなっていくのか。一見、金利が高い方が債権の価値があるように見える。しかし、金利が例えば5%から3%に変わるとこれからは3%が並の債権となる。すると人々は金利5%の方を求める。ここで割引現在価値というのが上昇する。割引現在価値とは、将来得られる価値を現在受け取るとしたらどの程度の価値になるかを計算したものになる。また長期金利では自然利子率で決定者が市場である。短期金利では政策金利であり、日銀が決める。IS/LM曲線について考えていく。IS曲線とは、財やサービスの市場であり、金利が下がりGDPが上がり、右下がりとなっている。LM曲線では、貨幣市場であり、金利が上がり、景気が上昇することにより人々は株を買い、企業の資金が増していき、GDPが上がる。ここで財政政策と金融政策について考える。まず流動性の罠とは、景気刺激策として金融緩和が行われる時、利子率が著しく低下している条件の下では、それ以上マネーサプライを増やしても、もはや投資を増やす効果が得られないことをいう。マネーサプライとは国内の経済主体が保有する通貨の合計である。これらを財政政策の面からみると、流動性の罠は効果があるが財政赤字が拡大していく可能性がある。財政政策でのマネーサプライは政府の財政支出は民間預金の創造し、貨幣供給量の増加をもたらし、逆に、政府が債務を返済すれば、貨幣供給量は減少する。このように、政府の財政政策は貨幣供給量を操作する。金融政策では、買いオペで貨幣供給を拡大するが、極端な低金利では効果がない。これが流動性の罠であり、アベノミクスである。
私は一部の金持ちだけがDerivativeを理解してもうけるのに反対である。なぜ金持ちは税金を多く払わなくてもよいのだろうか。そこにこそ情報化社会が関わってきていると考える。また、アベノミクスではほとんど効果が得られていないので、自然利子率と政策金利を同時に行うべきである。
9.私見
私は今回このレポートを考えて書いていく中で多くのことを学んだ。日本の現在の経済がどのように動いているのか。また、法律と経済がどれだけ繋がっていのか。そしてなによりも日本は現在危機を直面している。私は情報化社会では自分の頭で考え行動することが大切だと考える。また知識を覚えるだけでなく、そこから自分自身の考えを発想していくことが情報化社会で生き残るために必要だと考える。例えば将来に向けて三つの豚の貯金箱を作る。貯蓄用、投資用、生活用などと自分で決める。自動積み立て口座を作れば、毎月決まった額がそこに振り込まれていく。仮に毎月3万を積み立てたら10年後には1080万円貯まるという計算になる。このようにして独自の考えを大事にしていきたい。
出典
・Wikipedia
・六法
・社会保障のイノベーション(中江章浩)
・リラックス法律
・勉強会資料
・授業板書
保田敬太
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中江ゼミ秋期課題レポート
〜情報社会における正義とはなにか〜
学籍番号 17J110024
氏名 保田敬太
1.結論
これからの時代において、必要な情報と不必要な情報を区別し整理できる人間にならなければならないと思う。
<キーワード>
Donald John Trump、香港国家安全維持法(中華人民共和国特別行政区国家安全法)、名誉棄損の真実性の錯誤、共犯と錯誤、主観的超過要素と構成要件的故意、給付付き税額控除と応益負担と格差原理、整理解雇の4要件、Artificial IntelligenceとBasic Income、Derivativeと割引現在価値、
2.現在の世界情勢について
現在、世界は未知のウイルスである新型コロナウイルスの出現によって大きく転換期を迎えようとしている。身近なことでいうと今まであまり良いイメージを持たれなかった人前でマスクをして話すことなどが今ではマナーとなっていたり、飲食店の時短営業などがある。アメリカ大統領であるDonald John Trumpもアメリカ大統領選のときにマスクをせずに活動していてコロナウイルスに感染したが、その後も常にマスクをしないで活動し、バイデン現アメリカ大統領に敗北した。その後もトランプ氏は選挙結果に納得せず一部のトランプ支持者による暴動なども起きた。コロナウイルス発祥の地であり、米中貿易摩擦を皮切りにアメリカとの関係が悪化した中国は2020年6月30日に香港国家安全維持法(中華人民共和国特別行政区国家安全法)を発令した。香港国家安全維持法(中華人民共和国特別行政区国家安全法)とは国家からの離脱、転覆行為、テロリズム、香港に介入する外国勢力との結託」の4つを犯罪行為とし、香港の法律と矛盾した場合は香港国家安全維持法(中華人民共和国特別行政区国家安全法)を優先する、裁判は非公開で行う可能性がある、中国が深刻とみなせば、海外にいる香港非居住者も対象となる可能性があるなどといった香港側に非常に不利な法案を可決した。この法案を発令した経緯としては香港の市議会選で本来の中国的考えを持った社会派が欧米的考えの民主派に大敗し、このままでは香港を中国の一部として置いておけなくなると感じた北京政府が急ピッチで発令したのである。もともと中国は北京と香港が別の考えを持つ一国二制度だったがこの法案によって一国一制度となった。これにより今まで香港に対して優遇措置をとっていたアメリカも香港優遇措置を廃止した。コロナウイルスという騒ぎの後ろでここまで政治が動いていたということには驚きを隠せない。
3.ソーシャルメディアでの誹謗中傷
日本でコロナウイルス問題の次くらいに世間を騒がせたといっても過言ではないSNSでの誹謗中傷問題である。これにより自殺をしてしまったという人も出たくらい深刻な問題である。筆者がこのニュースのことを調べてみたところどうやら誹謗中傷をした人の一人が逮捕されており侮辱罪での書類送検だったようだ。侮辱罪とは、刑法231条に記載されている事実を摘示しないで、公然と人を侮辱することを内容とする犯罪である。というもので名誉棄損との大きな違いとしては、その真偽はどうあれ具体的な理由をつけて誹謗中傷した場合は名誉棄損罪(刑法230条)になるという点である。この名誉棄損には有名な判例があり、夕刊和歌山名誉棄損事件という、この事件は「夕刊和歌山時事」の編集・発行人のXが、他紙の「和歌山特ダネ新聞」の記者らが、市役所職員に恐喝まがいの取材の仕方をしたという記事を「夕刊和歌山時事」に掲載し、Xの行為が名誉毀損にあたるとして起訴されたという事件で、この事件の争点としては、刑法230条の2項に記載されている公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。という点から、真実性の証明が出来るかが必要とされたが、真実性の証明を被告は出来なかった。しかし判決は破棄差戻しとなった。理由としては真実を誤信し明確な証拠や根拠があると思い記事を書いてしまったためである。これを名誉棄損の真実性の錯誤という。このことを踏まえてさきほどの事件を考えると加害者はSNSにおいてバカだの死ねだの被害者に送って自殺に追い込んでいるので具体的な事実の根拠がない誹謗中傷であるため納得がいく。しかしもし加害者の意思として、誹謗中傷をしたことは認めるけど、それは被害者に頑張ってもらうための喝を入れるためのものであったとしたらどうだろうか。この場合主観的超過要素と構成要件的故意は認められるだろうか。この場合、誹謗中傷において主観的超過要素は認められないと筆者は考える。理由としては、誹謗中傷において大切なのは被害者がその言動によってどれほど侵害を受けたかであるので加害者の意思など全く持って関係ないからである。次に、共犯と錯誤に関してだが、共犯と錯誤とは同じ犯罪を企てようとした間柄の者たちで行おうとした犯罪にズレが生じることを言い、例を挙げると、窃盗をしてこいと命令したのに、被害者が暴れてしまったため共犯者がナイフで脅して強盗をしてしまったとする。このような場合、窃盗の共謀共同正犯が成り立つということになる。この共犯と錯誤を先ほどのSNS誹謗中傷にあてはめると、本人は悪気なく個人的な感想として言ったことでも、不特定多数の人が誹謗中傷だと勘違いして加勢した場合でももしかしたら侮辱罪や名誉棄損罪に問われてしまう可能性もあるので今後は注意してSNSなどを利用すべきである。
4.コロナ禍における経済へのダメージについて
新型コロナウイルスにおける経済へのダメージは甚大となっている。人々が外出しなくなったことによりサービス業や観光業の仕事が出来なくなったり、会社の業績が悪化したせいで会社を解雇された人がたくさん出てきてしまったのだ。我が国日本もこれらの事態を鑑みて国民1人につき10万円を寄付するなどしたが、これはパレート的正義であり、本当にお金に困ってる人もお金に全く困ってない人も同じ10万円をもらうことになるのだ。これについて筆者は困っている人への救済になっているのかと疑問に思った。本当に経済的弱者を保護するのであれば、必要になってくるのは給付付き税額控除と応益負担と格差原理である。この給付付き税額控除とはロールズ的正義に乗っ取ったもので、応能負担の考えである。収入が少ない人に対してかかる税金から一定金額を差し引いた金額を給付するというもので先進国ではすでに導入されている制度で日本でも一時期導入されていたが、安倍内閣のときに廃止されてしまった。理由としては社会保障の費用に余裕がないからではないかと筆者は考えた。もちろん本当の意味での平等を考えるならみんなが一律払ったり、もらえたりする応益負担的考えになるのだがそれでは明日生活できるかもわからないほど困窮している人たちに対してあまりに酷である。また格差原理の考え方によってコロナ禍で日々命を賭けて未知の病と闘っている医療従事者にも給付金を我々国民とは別に給付してあげてほしいと筆者は思った。
5.コロナ禍で増える解雇について
コロナの影響によって会社を解雇される人が増えたと前述したが、コロナのせいで解雇されるというのは不当解雇にならないのか。会社が倒産してしまったなどでの解雇なら仕方ないが、会社の業績悪化などによる整理解雇の場合、不当解雇になってしまう場合がある。整理解雇が認められるためには4つの要件を満たしている必要がある。その4要件というのが以下の4つである。
整理解雇の必要性があること
解雇回避の努力をしたこと
解雇者の選定が合理的であること
十分な説明責任を果たしたこと
これを整理解雇の4要件という。これらのうち1つでも満たしていない場合、解雇無効という判断が下されてしまう可能性がある。希望退職者を募ったり、なぜ解雇としたかの明確な理由を説明できなければならないということになる。筆者が考えるにコロナによる解雇は次の時代に向かっていく先駆けに過ぎないのではないかと考える。これから今よりもっとインターネットや技術の発展が進んでAIの発達とともに、Artificial
IntelligenceとBasic Income の時代が来ると考える。AIがこれからどんどん優秀になり、社会進出できるようになったときにAIにより多くの人が職を失うことになるかもしれない。そうなったとき日本国民はどのように生活していけばいいのだろうか。ここで有力視されている制度が、ベーシックインカムという制度である。ベーシックインカム(basic
income)とは社会保障制度等が議論される際に出てくる政策・制度のことで、簡単に言うと最低限の所得を保障する仕組みであり、この制度を試験的に導入している国としては
フィンランドやドイツ、スイスなどが導入している。この制度は一見社会主義的な考え方と同じように感じるが、社会主義との大きな違いは働いた分は自分の収入になる点である。この制度をAI社会進出後の世界で導入すれば人々は生活が出来るくらいのお金を得ることが出来るが、もちろんこの制度にも問題点があり、1つは、お金がなにもせずにもらえるということからの労働意欲の低下、もう1つは国が財源の確保が困難であるという点である。このことから考えるに今後の課題としては、いかに人々に労働するメリットを伝えて、財源となる税金をどのように回収するかが課題である。
6.資金運用と年金
これからの時代は会社からの給料や年金だけで生活していくのはとても厳しい時代になっていくと考える。そこで大切になってくるのが自分年金の存在である。最近ではニーザやiDeCoでの小額投資などが有名であるがそれ以外にもいろいろな投資が存在する。そこで筆者が今回着目したのはDerivative取引である。デリバティブ取引とは、主に先
物取引、オプション取引、そしてスワップ取引である。先物取引とは、将来の予め定められた期日に、特定の商品(原資産)を、現時点で取り決めた価格で、売買する事を約束する取引のことを言い、価格の変動があるものを一定の値段で売ったり買ったりすることができることから、価格変動の影響を避けるための手段(リスクヘッジ)として利用されているものである。先物取引には、商品先物取引と金融先物取引の2種類があります。主な違いは投資対象の違いであり、前者は商品を対象とした取引で、後者は金融商品を対象とした取引となる。先物取引は、株取引の信用取引と同様に、証拠金と呼ばれる担保を差し入れて取引を行うので、少ない金額で大きな取引をできる点も先物取引の魅力である。オプション取引とは、あらかじめ定められた期日に、あらかじめ定められた価格で、原資産を『買う・売る権利』を売買する取引で先物との違いは権利を売ったり買ったりすることである。スワップ取引とは等価の現金の流れを交換する取引の総称をいいます。これは、相対取引が基本で、二者間で合意された「ある想定元本に対して異なる指標を適用して計算された現金の流れを一定期間交換すること」を約束した取引を指す。スワップ取引にはいくつか種類があり金利スワップ、通貨スワップ、クーポンスワップなどがある。そしてこのスワップ取引での価格計算をするうえで大切になってくるのが割引現在価値である。割引現在価値とは、将来得られる価値を現在受け取るとしたらどの程度の価値になるかを計算したものである。どういうことかというと今の10,000円を年利10%の定期預金に預けたとしたら、1年後には11,000円になる。このことから、現在の10,000円と1年後の11,000円は同価値、つまり今の10,000円の方が将来の10,000円より1,000円価値が大きいということになる。これに割引率をかけたものを割引現在価値といいこれを用いてトレードを行うことになる。このようにDerivativeと割引現在価値には密接な関係があることが分かる。
7.今後の日本における経済問題
日本経済は現在デフレであり、これを改善するために日本銀行が行っている金融政策として政策金利というものがある。そして現在はマイナス金利という状態でこれは普通の銀行が日本銀行にお金を預けると本来ならプラスで金利がもらえるところをマイナス金利なのでお金を預けると日本銀行に利子としてお金がとられてしまうという制度である。これをすることで銀行はお金を預けて持っていかれてしまうくらいなら融資をすることにお金を使うことになり、企業が発展し経済が成長して景気が良くなるという仕組みである。しかし今の日本の経済がよくなったとは筆者は到底思えない。もともと日本人はバブルを経験して現在の不景気なのでまさにデフレ脳になっていてお金を貯蓄はするが運用はしないという風潮にある。加えてせっかく景気をよくするためにマイナス金利を導入したのに同時期に財源確保のための消費増税を行ってしまったため何の成果も出てないのではないかと筆者は考える。その証拠に景気状態の指標ともなる自然利子率は相変わらず低いままである。この自然利子率を上げるためには働く世代を増やさなければならなく、現代の超少子高齢化社会である日本には出生率の増加が必要である。そのためには高齢者だけではなく若者世代への制度の充実が肝となる。今後の自然利子率と政策金利にどのような動きがあるのか注目していきたい。
8.おわりに
今回刑法、経済の両方の観点から情報社会における正義を考えてみた結果、やはり無知であるということ自体が罪である時代がすぐそこまで来ているのだと感じた。ではどのように今後の世代を時代に対応させていけばいいのかというと、現在の日本が行っているちゃんとした社会人になるためだけの教育ではなく一人一人が自分の力で投資や起業するための知識などを理解し活用できる教育を中学、高校から行っていくべきではないかと感じた。新型コロナウイルスが収束するころの未来に日本の経済や情勢がどのように変わっていくのか楽しみである。
P.S. 2年間最後まで不甲斐ない助手のままで申し訳ありませんでした。それでも先生に教えていただいたたくさんのことをなるべく無駄にすることがないよう精いっぱい時代の転換期に食らいついていこうと思います。本当にお世話になりました。
<出典>
ポケット六法
財務省ホームページ
Wikipedia
授業ノート
勉強会資料
松井悠太
情報社会における正義
学籍番号:17J112018
氏名:松井悠太
キーワード:Donald
John Trump、香港国家安全維持法(中華人民共和国香港特別行政区国家安全法)、名誉棄損の真実性の錯誤、共犯と錯誤、主観的超過要素と構成要件的故意、給付付き税額控除と応益負担と格差原理、整理解雇の4要件、Artificial IntelligenceとBasic Income、Derivativeと割引現在価値、自然利子率と政策金利
結論:私は、情報社会においてAIが人間の役割を奪うことはあっても他の人間にしかできない仕事を模索していくべきだと考える。
1.世界の情勢・アメリカと中国
最近世界の情勢はアメリカと中国にまつわる話が増えてきているように感じる。アメリカでは大統領選挙、中国ではファーウェイ問題や香港の自由に対し中国政府が圧迫を始めるなどして話題になっている。
アメリカでは現在大統領選挙が行われており現大統領のDonald John Trump氏とバイデン氏が戦っている真っ只中である。Donald
John Trump氏は対中国政策として米中貿易関係の見直しを図るとして、TPPから離脱したものの中国が加入してしまい中国の勢力拡大を止めることができなかった。一方でバイデン氏は中国と敵対するのではなく、同盟国として連係していくとし、ともに歩み寄る姿勢を見せている。私は、成果をあまり上げられなかったDonald John Trump氏よりもバイデン氏に任せたほうが良いと考える。
一方で近年の中国では香港国家安全維持法(中華人民共和国香港特別行政区国家安全法)という法律が発令された結果香港に住む人々は非常に肩身の狭い生活を送っている。そもそも香港国家安全維持法(中華人民共和国香港特別行政区国家安全法)とは香港の永住者と非永住者の両方に適用され、2020年6月30日の施行以前の行為については適用されず、また10の要点というものが存在する。
1.「国家からの離脱、転覆行為、テロリズム、香港に介入する外国勢力との結託」の4つを犯罪行為と定める。
2.国家安全維持法に違反すると最低3年、最高で無期懲役
3.香港の法律と矛盾する場合は国家安全維持法が優先される
4.裁判は非公開でおこなう可能性がある
5.中国政府は香港に国家安全オフィス(NSO)を設立する
6.中国が深刻とみなせば、海外にいる香港非居住者も対象となる可能性がある
7.香港警察内に新たに国家安全保障部を設立し、警察に多様な権力を与える
8.香港の行政長官は裁判官を任命できるが、国家安全を危険にさらす発言をした裁判官は任命されない
9.行政長官を代表とする新たな国家安全保障委員会を設立
10.香港政府は、学校、メディア、インターネットなどで市民への教育を要求する
このように誰から見ても非常にきつい内容となっており今の日本に導入された場合、人権保障の観点で刑法上かなり争われると考えられる。
2.情報社会における問題
今日の日本ではSNSや匿名掲示板等が若い世代を中心に広く浸透している。その中でも問題視されているのがSNSを通じた誹謗中傷問題である。いくらネットの中の世界には憲法21条表現の自由が適用されるからといっても名誉棄損第一項に該当する場合がある。
そもそも名誉棄損(刑法230条)とは、第一項:公然と事実を適示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にも関わらず、3年以下の懲役若しくは禁固又は50万円以下の罰金に処する。第二項:死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を適示することによってした場合でなければ、罰しない。今回の場合一項を使う。
構成要件要素として、@「公然と事実を適示し」て、A「人の名誉を」→「人」には法人も含まれるまた「人」は、特定されていることが必要であり、不特定集団に対して名誉棄損しても成立しない。B「毀損した」ことである。Bの毀損には社会的評価を害する恐れのある状態を発生させることで足り、現実に社会的評価が低下したことは必要ないとされる(抽象的危険犯)。
原則として、真実であった場合でも罰する、例外として真実性の証明があれば罰せられない。また、名誉棄損の真実性の錯誤というものがあり、事実を適示した者が、何らかの根拠に基づいて事実を真実だと考えていたが、真実でなかった、あるいは真実性の証明に成功しなかった場合に、なお免責の余地があるか。あるとすれば、それはいかなる根拠から、いかなる基準により判断されるかが問題となる。
名誉棄損の真実性の錯誤について判例があり、それは夕刊和歌山時事事件というものが存在する。この事件は、「夕刊和歌山時事」の編集・発行人のXが、他紙の「和歌山特だね新聞」の記者らが、市役所職員に恐喝まがいの取材の仕方をしたという記事を「夕刊和歌山時事」に掲載し、Xの行為が名誉棄損に当たるとして起訴された、というものだ。裁判では「たとい刑法230条の2第1項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉棄損の罪は成立しない」として、「確実な資料、根拠に照らし相当の理由」を基準とし、故意を否定することによって免責を肯定した。
近年コロナウイルスで世間は持ちきりであるが、コロナ感染者を差別、迫害するような行為もSNS上で見ることが多くなったと私は考える。例えば、加害者Yがあそこの会社に勤務しているXという人物はコロナに感染しているといった内容をインターネット上で書き込んだ場合、名誉棄損になりえると考える。またこの書き込みをしたYが虚偽の情報だとわかって書き込んだのに対して不特定多数の人間が真実だと思い込んでさらに拡散させた場合、共犯と錯誤の問題になると考えるのでこれからの情報社会における一つの問題点として整備していくべきだと思った。
この例を主観的超過要素と構成要件的故意の観点から論ずるとするならば、YはXがコロナに感染しているということをインターネットに書き込んだことを認めている(構成要件的故意)が、それは相手の社会的地位を貶めるためではなく、あくまでもYの中の正義を執行しただけ(主観的超過要素)であった場合でも起こってしまった事実は変わらないため有罪になる。(参考:堀ちえみ事件)
3.給付付き税額控除と応益負担と格差原理(パレート的正義とロールズ的正義について)
経済における正義を論ずるに当たって、パレート的正義とロールズ的正義はかかせないと私は考える。
まずパレート的正義とはつまり、応益負担を指す。応益負担とは消費税のように、誰もが一律の割合で負担するという万人に公平といえる仕組みである。
次にロールズ的正義とは、応能負担や格差原理を指す。まず応能負担とは、各自の能力に応じて負担することつまり所得の多い人はその分多く払ったりなど弱者救済の意図が大きい。また格差原理とは、「その不平等を認めることで万人の利益が認められる時、はじめてその不平等が認められているという原理。」つまり、社会において最も貧しい人々にも利益が出る範囲ならば社会不平等も認められる、全員が得するところまでは不平等も正義の範囲内である、という考え方である。また
詰まるところ私の中では、パレート的正義は強者総取りで経済格差の拡大に繋がり公平の観点で問題があり、一方ロールズ的正義は弱者救済の面が大きいが効率の観点からは問題があるという印象である。
最近だとコロナの給付金として10万円を配っていたがこれはどちらかといえば、パレート的正義に基づいていると考えられる。またこれのロールズ版として給付付き税額控除というものがある。給付付き税額控除とは所得の低い人のための制度のこと。消費税が上がるとお金持ちもそうでない人も全員同じように税金を払うことになってしまうため、所得の低い人には税金を下げようとすること。
さらに所得が低い人には、国がお金を払ってくれるシステムである。
(*2万円の減税が受けられるとして、税金を5万払っているAには3万円をAに払ってもらう。税金を1万円払っているBには1万円を国がBに払う。税金を払う必要のないCには国が2万円をCに払う。)
このように格差原理に基づき弱者救済を目指すのがロールズ的正義である。
4.人工知能の発達による社会の変化
近年、Artificial
Intelligence、つまり人工知能の発達が進んでいる。この技術が進歩することにより銀行やレジの無人化やタクシー、バスの運転者の無人化が可能となり大幅に人件費を削減できたり、人間特有のヒューマンエラーが起こらなくなる。一見良いところしかないように思えるが、実際は人工知能に上で挙げた職業の人達が路頭に迷うことに繋がるのではないかと私は考える。また計算などが仕事である簿記や会計士といった職業は現在の会社では不可欠であるがArtificial Intelligenceに任せれば良いので、不当解雇される可能性が高いように思う。何故不当解雇で整理解雇ではないのかというと、整理解雇の4要件というものがあるからだ。
整理解雇の4要件とは整理解雇の4要件とは、@人員整理の必要性、A解雇回避努力義務の履行、B被解雇者選定の合理性、C解雇手続きの妥当性の4つを指す。
@どうしても人員を整理しなければならない経営上の理由があること。(「経営不振を打開するため」は可、「生産性を向上させるため」は不可)
A希望退職者の募集、役員報酬のカット、出向、配置転換、一時帰休の実施など、解雇を回避するためにあらゆる努力を尽くしていること。
B解雇するための人権基準が評価者の主観に左右されず、合理的かつ公平であること。
C解雇の対象者および労働組合または労働者の過半数を代表する者と十分に協議し、整理解雇について納得を得るための努力を尽くしていること。
従来は4要件を一つでも満たしていないと「解雇権の乱用」として無効、すなわち不当解雇と見なすという判断が主流だった。しかし近年では要件の解釈もかなり変わってきており、一つでも欠けると整理解雇が無効になるのではなく、何かが欠けても四つを総合的に考慮した結果、相当と認められれば有効とする、すなわち四つの「要件」ではなく、「要素」として捉える判例も増えてきている。これらを満たして初めて整理解雇が成立する。
またArtificial Intelligenceの台頭の対策としてBasic Income導入を考えるべきだと考える。現在試験的ではあるがドイツ等で導入されており、毎月15万円を配布している。そもそもBasic
Incomeとは国がすべての国民に最低限の生活を送れるように、年齢・性別など関係なく、一律・無条件で現金を支給する仕組みである。重要なのは「すべての国民」に対する「無条件」に支給されるということ。コロナの10万円一律給付や東京五輪を控えている現状の日本では難しい話だと思うが、将来的にはBasic Income導入を考えるべききである。Artificial IntelligenceとBasic Incomeの適度なバランスを図ることが重要であると考える。
5.Derivativeと割引現在価値について
これからの日本において年金や自分の貯金だけで生き抜くのは非常に難しいと感じる。私は将来の自分のためにも自分年金をうまく活用することが大切になっていくのではないかと考える。そこで、Derivativeと割引現在価値に触れていこうと思う。
DerivativeとはDerivative取引を指し、株式や債券、金利、為替、通貨など原資産となる金融商品から派生した取引の総称をいう。Derivative取引は大きく分けて3つの種類があり、先物取引、オプション取引、スワップ取引がある。今回はその中でもスワップ取引に焦点を当てて論じていく。スワップ取引とは等価のキャッシュフローを交換する取引のことで、2者間で合意された想定元本に対して異なる指標を適用して計算されたキャッシュフローを一定期間交換する取引のことである。このように現在価値を元に、金利や期待収益率などを用いて将来得られるキャッシュフローなどを計算するという点でDerivativeと割引現在価値には密接な関係性があるように考える。
6.日本経済の現状
今日の日本ではデフレが続いており、消費者の需要が振るわないため物価が下落し続けると同時にお金の価値が上がり続け、国民の貧困化が進んでいるといえる。更に今の日本の自然利子率はほとんど0に等しい状況である。理由としては、少子高齢化社会が原因であり老人は増えるのに若い働き手(正社員)が増えないためどうしても自然利子率は上がらない現状になっている。
そこでインフレに持っていくために日本銀行は政策金利のマイナス金利を2016年2月から導入した。マイナス金利とは民間の金融機関が日本銀行に預けている預金金利をマイナスにすることを指す。マイナス金利は、金融機関が日銀に資金を預けたままにしておくと金利を支払わなければならなくすることで、金融機関が企業への貸し出しや投資に資金を回すように促し、経済活性化とデフレ脱却を目指すことが目的である。
しかし中々成果を挙げられない理由として、日本人のデフレ脳にあると考える。先ほど成果をあげられていないと述べたが、年々給料が少しではあるが上がって来ている。しかし、消費税増税があり多少給料が上がったところでお金が増えた感じがせず、結果として貯金してしまい政策金利をしてもほとんど意味がない状況である。
自然利子率と政策金利を上げるには、将来的に若い世代を増やすことが前提であるため日本人の課題は子作りをする意識にあると私は考える。
7.まとめ
今回のレポートをまとめていて日本の教育は社会においてあまり役に立たないように感じた。例えば投資などお金に関する経済のことはあまり触れないので、経済についても触れていくべきだと感じた。
AIとベーシックインカムの話についてだが、AIが人間の職業を一時的に奪うと考えられるため、対処するためにベーシックインカム導入が必要となるのかもしれないと感じた。またベーシックインカムについても長続きするようには思えないので財源が尽きる前に人間にしかできない仕事を探していくことが非常に重要になると考える。
今期の授業は経済メインの話ばかりでわからないことばかりで非常に大変だった。
P.S.中江ゼミで学んだことを私の人生の糧にしてこれから頑張っていこうと思います。特に先生がおっしゃっていた日本人は子作りすべきだ、という話には非常に感銘を受けたのでその意思を広げていこうと思います。2年間という短い間でしたが大変お世話になりました。
参考文献:六法、択一六法2020、判例集
矢沢弦太
平等は正義ではない。コロナ一律給付金は国費の無駄遣いである。
1、Donald John Trumpという男
2020年1月6日、アメリカで衝撃的な事件が起こった。トランプ氏支持者が連邦議会議事堂を襲撃し4人の死者が出たのだ。以下引用「ホワイトハウス近くでは6日、大統領選挙の結果に異議を唱える集会『Save America(アメリカを救え)』が開かれた。数千人が参加し、トランプ氏の言葉に聞き入った。トランプ氏は70分に渡って演説。参加者に対し、議会に向かって行進するよう強く呼びかけた。議会では当時、ジョー・バイデン氏の大統領選勝利を認定する作業を議員らが進めていた。バイデン氏に対して拍手が送られた直後、襲撃が発生した。襲撃前の集会でトランプ氏が発した言葉は、同氏にとって2度目となった弾劾訴追において、中心的な役割を果たしている。彼は何を言ったのか。6つの主な発言を取り上げ、最後にボルティモア大学のギャレット・エプス教授に解説してもらった。
『私たちは今回の選挙で勝った、しかも大勝利を収めた』
この発言は演説が始まって3分ほどたったときに出た。民主党はこれが扇動の開始点だとしている。ただ、この日の発言だけでなく、何週間にも渡って同様の発言をしてきたことを問題視している。
『私たちは盗みを止める』
これは、バイデン氏の大統領選勝利に異議を唱える運動のハッシュタグを、トランプ氏がなぞったものだ。選挙結果が宣言された翌日に
始まったこの運動は、ソーシャルメディアで勢いを増し、各地での集会開催につながった。
『私たちは決してあきらめない。決して敗北を認めない。そんなことは起きない』
バイデン氏の勝利を絶対に認めないと、トランプ氏がこれ以上ないほど明確に表明した発言だ。今回は支持者らにも同調を強く求めた。トランプ氏はさらに、『盗みが行われたのに敗北を認めるなどということはしない。私たちの国はうんざりしている。もうこれ以上受け入れない』と続けた。演説の途中、バイデン氏が大統領になることには異議が唱えられるべきだと訴える場面もあった。『非合法の大統領が存在することになる。それが今後起こることで、そんなことを許してはならない』
『死に物狂いで戦わなければ、もはや国を失ってしまう』
弾劾訴追の決議文書に引用されたトランプ氏の言葉で、最も長いのがこれだ。上院で弾劾裁判が開かれた際には、彼の弁護士にとって、擁護が最も難しい発言となるかもしれない。『彼はまた意図的に声明を出し、その文脈において、議事堂における法を無視した行動をそそのかし、予見可能だった事態を招いた。その声明は『死に物狂いで戦わなければ、もはや国を失ってしまう』などというものだった』
『平和的かつ愛国的に、各自の意見を届けよう』
トランプ氏を擁護する人たちは、この発言をとらえ、彼は決して扇動したことはなかったと主張している。演説でトランプ氏は、『ここにいる全員がまもなく議事堂ビルに向かって行進し、平和的かつ愛国的に各自の意見を届けると知っている』と述べた。
ここでの言葉遣いは、戦闘や戦争に関する言葉が出てくる他の部分とは、大きく異なる。
『私たちは議事堂に向かう』
トランプ氏は『私たち』と言ったが、支持者らが議会へと短い距離を移動したのには加わらなかった。演説でトランプ氏は、『私たちは議事堂に向かって歩き、勇敢な上院議員や下院議員に声援を送ろう。ただ、議員の一部に対して大した声援はしないだろう』と発言した。
ギャレット・エプス教授の分析
――『扇動』とは法律上何を意味するのか
憲法修正第1条の下では、『扇動』とは一定の要件を満たさなくては、犯罪に相当しない。
第一に、暴力を引き起こそうとしている意図が必要だ(その意図は状況から類推する)。
第二に、暴力行使の蓋然性が高くなくてはならない。
たとえば、私が繁華街に出かけて行って、銀行の前に立っている酔っ払い2人に、『この銀行を今すぐ強奪しようぜ』と言ったとしても、扇動したことにはならない。その2人が銀行を強盗する可能性が低いからだ。扇動の要件を満たすには、切迫した暴力行為を引き起こす可能性が高くなくてはならない。この点がとても大事だ。
もし私が『明日ここで集まって騒ぎを起こそう』と言ったとしても、それは扇動にはならない。というのも最高裁判例によると、自体が切迫せず、『騒ごう』よりも賢明な助言が効果を生む余裕がある場合には、発言に対する救済措置は発言になる。
このため、扇動の要件を満たすには、その発言は暴力を直接示す内容で、切迫した暴力行為を引き起こす可能性が高くなくてはならない。
――これが裁判所での訴訟だった場合、トランプ氏は一線を超えたと言えるか
刑事訴訟で扇動に有罪判決が出るのは、かなり珍しい。6日の集会での大統領の発言に、その基準を適用すると、かなりきわどい判断になる。支持者に向かって『議事堂へ歩こう』、『自分も一緒に行進する』と言っているので、すさまじく切迫した事態なのは明確だ。(ホワイトハウス近くの)エリプス公園からペンシルヴェニア通りを歩こうとする前に、もっと賢明な助言が有効になる猶予はない。トランプ氏は支持者に『戦い』『力を示さなくてはならない』と言った。その一方で議員たちに『平和的に』『愛国的に』お願いするのだとも言った。自分を守るために予防線を張ったのだ。最終的には陪審判断なると思う。訴追内容を棄却される権利が、彼にあるのか、確信がもてない。政府首脳には免罪の余地が大きくあるという意見もあるが、それが実際にどうなるかはわからない。暴力を働く準備も心構えもある者たちが目の前の群衆の中にいることは、トランプ氏も明らかに承知していたし、暴力を制止しようとはまったくしなかった。
暴力を止めさせるため何もしなかっただけでなく、暴力が起きるべきだと強力に示唆していた。」(サム・キャブラル
『トランプ氏の発言が暴力を扇動したのか? 米議会襲撃』(BBC NEWS JAPAN、2021年1月14日))
暴力による問題の解決が民主主義の下でまかり通ってしまって良いのだろうか。本件は4人の死者が出たが、武装したトランプ氏の支持者が押し寄せ警察が発砲したものもあった。警察官の対応が非難されているそうだが私は武装して襲撃した段階ですでに暴力による侵攻が開始されたと見ている。
中国でも国会に相当する全国人民代表大会(全人代)常務委員会により2020年6月30日に全会一致で香港国家安全維持法が可決されたがこれも香港で反政府的な動きを取り締まるもので施行から半年で30人が逮捕されている。制定に際して中国は香港との1国2制度の根幹を揺るがすようなこの法案を半ば強行的な形で制定したため懸念の声が上がっている。暴動を暴力で抑圧するような形になってしまっている。
刑法総論で言えば結果無価値が客観的に判断し、悪い結果(=法益侵害)を罰するのに対し、行為無価値は倫理違反を罰するもので主観の割合が大きい、香港国家安全維持法やタイ王室不敬罪などは後者に該当する。行為無価値をとると、国の法解釈で倫理違反とされて刑罰を科されることもある。世界ではこれらの法に対して人権保障の観点からの批判が上がっている。
2、刑法各論
⑴名誉毀損
原則として名誉毀損は本当のことであったとしても罰せられる。公共の利害、真実性証明があれば例外として不可罰になるのに加えて名誉毀損の真実性の錯誤の事例は判例では本当と思っていたことに過失がなければ無罪となっている。チャタレー夫人事件、夕刊和歌山時事事件などがこれに該当する。
⑵共同正犯
共犯間の認識の不一致が、同一構成要件内にある場合、故意は阻却されない。例えば甲・乙がAを殺そうとして共謀し、乙がBを殺害した場合当然のことながら甲・乙にBの殺人罪が成立する。これが共犯と錯誤の関係性である。
⑶主観的超過要素と構成要件的故意
主観的超過要素とは犯罪の客観的要素方はみ出している主観的要素のことで、各種偽造罪における行使の目的がその典型である。主観的違法要素(目的、傾向、表現)と主観的責任要素(窃盗、不法領得の意思)からなる。窃盗には不法領得の意思が、詐欺には財物を交付させる意思が判例では必要となっている。
3、正義とは何か
給付付き税額控除と応益負担と格差原理
富の分配における正義にはパレート的正義(応益負担)とロールズ的正義(応能負担)が存在する。パレート的正義とは社会の資源全てを利用し効率的な社会を築くことを目標としている。しかしながらこれは強者がたくさんの資源を得ることが明白である。公平の観点からは問題があり、格差が拡大する。一方でロールズ的正義とは自由>平等を目指すもので弱者に資源を回すことを優先している。この考え方は格差原理に基づいて格差を補う働きをするもので現行の累進課税制度や給付付き税額控除が該当する。こちらもデメリットとして規制や課税によって資源が使いきれないという効率の観点での問題がある。効率か公平かどちらに一つである。
格差を拡大させないという点では失業者を出さないという考えもある。経営不振や事業縮小など、使用者側の事情による解雇では次の整理解雇の4要件が揃っている必要がある。
@ 人員整理の必要性
A 解雇回避努力義務の履行
B 被解雇者選定の合理性
C 解雇手続きの妥当性
である。しかしながら今後のAI(Artificial
Intelligence)の発達次第では効率化による整理解雇が行われる日が近いかもしれない。
Artificial
intelligenceとBasic income
ベーシックインカムとは国民が生活を送る上で最小限度の金銭を配布する政策のことで、年齢や職業の有無にかかわらず全ての人が同額を受け取ることができるため、その平等性が支持されている。なぜ今ベーシックインカムが注目されているかというとAIが社会で活躍するようになると大量の失業者が出て富の一極集中が起こるのではないかと言われているからである。AIが発展すると経営者だけが得をする未来がきてしまうかもしれない。
4、債券の可能性
最悪失業したとしても、生活を維持するために投資の必要性は今以上に高くなると推測される。
Derivativeと割引現在価値
個別銘柄の金利は低い方が価値は高い。ジャンク債という高い金利にしないと債権を買ってくれる人がいない銘柄もあり、リスク等を考慮した上でその債券の現在価値を計る必要がある。これを割引現在価値という。未来に対して現在の価値を算出する割引現在価値に対し、原資産の価格を基準に価値が決まる金融商品をDerivativeという。
自然利子率と政策金利
自然利子率とは、緩和的でも引き締め的でもない利子率のことだ。自然利子率が下がれば金融緩和の効果は薄れる。政策金利とは景気や物価の安定といった金融政策上の目的で、中央銀行が操作・誘導目標とする金利のことである。日本では日本銀行が以前は公定歩合を政策金利としていたが、1994年の金利自由化により、無担保コール翌日物の金利を政策金利に採用した。
まとめ
冒頭でも述べたように私は平等が正義ではないと考えている。必死に努力した人と怠けている人が同じ富の分配を受けるのはおかしいからだ。もし現状に不満があるなら上に行く努力をする必要がある。特に我々若者世代は少数化傾向にあり、今後マンパワーが必要とされる。自己研鑽を怠ってしまった人間はおそらく生き残れない。しかしながらどんなに努力してもうまくいかないこともあるだろう。そんな時こそ日本の充実した社会保障制度に頼るべきだと思う。日本では昨年新型コロナ禍での一律給付があったが、現在も2回目の給付を求める声が上がっている。本当に生活に困窮しているのなら生活保護を申請するべきである。
香港国家安全維持法について調べ、法学的視点から触れることができてよかった。
出典
中江ゼミ黒板
BBC NEWS JAPAN
山口佑都
情報社会における正義
18J107018 山口 佑都
結論:相反する考えは共存できず、共存させるならば弱者救済はないがしろになる。
1、SNSによる世界の変遷
昨年11月に行われた米国大統領選が世界の波紋を呼んだのは記憶に新しい。新型コロナウイルスの影響により、投票方法の変更などもあったが、何よりも印象的だったのは2020年当時現職であったDonald John
Trump候補の一連の活動であろう。現在大統領に就任したJoseph Robinette Biden候補よりも一際目立っていたのは言うまでもない。というのも、新型コロナウイルスの感染下において選挙活動は制限されていたものの、SNSはこのような状況下において非常に有利であったからだ。現職中においても波紋を呼んだ投稿は数えきれないほどあったが、TwitterといったSNSにおける選挙についての投稿だけでも議会が占拠されてしまうほどであった。政治分野におけるSNSといった情報社会のツール使用は、アメリカだけに言えるものではない。もちろん、日本においても例外ではないが、香港でのそれは世界にも影響があった。それとは、「雨傘革命」である。香港においてTwitterでの呼びかけによって集まった香港市民が、中国政府への政治介入に反対したデモを「雨傘革命」と呼ぶ。これにより中国政府、限って言えば中国共産党は香港国家安全維持法(中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法)を作成・施工した。今ではSNSでの小さな呼びかけが大きなデモ、革命につながっていくほどの大きな影響力を持つ情報社会へとなっている。この法律においても、中国共産党らしいといえばそうなのだが、共産主義国家の“嫌なトコロ”であると思う。
2、名誉棄損の真実性の錯誤
前項で挙げたSNSにおいて、問題として取り上げられることに「SNS上による名誉棄損」がある。特に、名誉棄損については、現行法上において、名誉棄損の真実性の錯誤という問題がある。これについて検討しようと思う。
刑法230条1項は、「公然と事実を適示し、人の名誉を棄損した者」は「その事実の有無にかかわらず」処罰する旨を規定し、生きている人の名誉を害する事実を公然と適示した以上は、その事実が虚偽であっても真実であっても、犯罪が成立するものとして、名誉を厚く保護する立場を採っている。他方で、憲法21条の表現の自由及び知る権利の保障ということから、正当な言論の保障と個人の名誉の保護との調和を図るために、刑法230条の2が昭和22年に新設され、その第1項で、「行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない」と規定された。この規定が新設されたことで、たとえ生きている人の名誉を害する事実を公然と適示したとしても、それが公共の利害に関する事実であり、専ら公益を図る目的で適示がなされ、その事実が真実であるということが訴訟の場で証明されれば、罰せられないということになったのである。
ところが、ここで一つの問題が生じる。それは、刑法230条の2の適用を受けるためには、真実であることが証明されなければならないということである。それゆえ、専ら公益を図る目的で公共の利害に関する事実を適示した場合に、実際は行為者が適示した事実は真実ではないのに、行為者がその事実を真実だと誤信して事実を適示したときに、これを刑法上どのように取り扱うべきかという問題があげられる。さらには、本当は真実であったが、訴訟の場において真実を証明できなかったという場合においても検討しなければならない。
この真実性の錯誤の問題について、判例は当初、刑法230条の2の規定が処罰条件阻却事由を規定したものであるとの前提に立って、行為者が適示する事実を真実であると思っていても、その事実が真実であるということが証明されない限り、行為者は刑事責任を免れないという立場をとっていた。しかし、その後、いわゆる夕刊和歌山時事事件で、最高裁大法廷判決は、行為者が、行為の時に、確実な資料や根拠に基づいてその事実が真実であると思っていた場合には、あとでその事実が真実であるという証明ができなかったとしても、行為者には、犯罪の故意がなく、行為者は処罰されない、とする立場を打ち出した。この判例によって示された結論は、裁判時に被告人が事実の真実性の証明に失敗したとしても、行為時に確実な資料・根拠に基づいていた場合には処罰せず、行為時に相当な資料・根拠もなく軽率に真実であると信じていただけの場合には処罰するというものである。
この判例の考え方には賛成である。他の学説と比較しても、現実的なケースに当てはめて合法か非合法化の線引きが崩れることがない。
3、共犯と錯誤
正犯者の実行行為と、他の共同正犯者ないし、教唆者、幇助者が認識していた犯罪事実が一致しないことを、共犯の錯誤という。共犯者の認識した主観と、客観的に存在する事実のズレの問題であり、共犯者に故意を問えるかの問題である。ここでの鍵となるのは、主観的超過要素と構成要件的故意である。共同正犯における錯誤は、「具体的事実の錯誤」と「抽象的事実の錯誤」に分けられる。「具体的事実の錯誤」の場合では、共謀時の対象と、実際に犯罪が実行された対象が、同一構成要件内で異なるような場合である。共謀のみに加担した者が、実際に実行された犯罪を「共同して…実行した」と評価でき、かつ、共謀のみに加担した者に「罪を犯す意思」が認められるかが、問題となる。この点、「共同して犯罪を実行」したと言いうるには、構成要件レベルまで抽象化された主観の共有で足り(部分的犯罪共同説)、また、構成要件レベルまで抽象化した事実の認識で規範の問題に直面したといえ、故意責任を問える(法定的符号説)。したがって、具体的事実の共同正犯の錯誤には、共同正犯が成立する。「抽象的事実の錯誤」の場合では、法定的符号説から、構成要件が重なり合う軽い限度で、故意が認められる。したがって、後はどの範囲で共同正犯が成立するかの問題になるが、共謀の成立に罪名の一致までは必要でなく、共有した主観のうち、重なり合う軽い罪の限度で、「共同して…実行した」ものと評しうるものと解する。
4、格差社会と弱者救済の相反
「たくさん儲かっている人」と「所得が少なく困っている人」。どちらに手を差し伸べるべきか、そうするために政治・政策において何をしなければいけないのだろうか。
日本国における税収は多くの種類がある。中でも消費税は小学生であっても課税されるある意味では特殊なものであろう。もちろん、所得・年齢など購入者の性質にかかわらず、課税対象品に一律で課税されるものである。これは応益負担の仕組みに基づくものである。この考えに反するような、別の日本国における税収として、ロールズの格差原理に基づく所得税の累進課税制度がある。この二つの考え方は相反している。民主主義国家である日本国において、戦後しばらくは米国GHQの支配下にあった経緯からしても、資本主義の考え方が根底にあるのは理解でき、民主主義の仕組みにおいて資本主義は相反しないが、そのなかに共産主義を持ち込むのはナンセンスである。消費税は所得にかかわらず同じ税率が適用されるため、消費性向が高い低所得者の税負担が相対的に重くなる「逆進性」がある。これの対策打として注目されるのが給付付き税額控除である。給付付き税額控除とは、税金から一定額を控除する減税で、課税額より控除額が大きいときにはその分を現金で給付する措置のことである。例えば、納税額が10万円の人に15万円の給付付き税額控除を実施する場合には、差額の5万円が現金支給される。低所得者や子育て世帯への支援策として既にカナダや英国で導入されている。これにより、低所得者の税負担に均衡を図る目的がある。
近年、弱者救済の手法として、Basic Incomeが注目されている。Basic Incomeとは、所得にかかわらず国民全員に(世帯でなく個人に)一律で現金を支給するというもの」である。聞こえはいいが、私はまったくもってこの“思想”には賛同できない。Basic Incomeを導入したあかつきには、年金や雇用保険・生活保護などの個別対策的な社会保障政策は、大幅縮小または全廃することが前提となるのである。また、一律支給である為、もちろん高所得者にも支給される。低所得者への弱者救済の手段として考えるならば、このシステムは大変非効率極まりない。梯子を持っている人に救助ロープを渡しても意味をなさないのは至極当然である。ましてや、社会保障制度を一元化するとは言っても、満足のいく保障とするならば財源は厳しいものになるだろう。「Artificial Intelligenceが普及するときには、人間の仕事はほとんどなくなっている」とよく言われたものだ。だが、箱を開けてみるとどうだ。Artificial Intelligenceを使い、効率的に仕事をすることはできるが、人間にとって代わられてしまうようなことは起きていないだろう。効率化ツールの側面はあっても、本質は変えられないのだ。楽をしようとも、Artificial Intelligenceを動かす人間が必要なのだから。Basic Incomeも同じことである。
5、整理解雇の4要件
整理解雇の4要件とは、人員整理の必要性・解雇回避努力義務の履行・被解雇者選定の合理性・手続の妥当性のことである。
新型コロナウイルスによる経営難から、今後近いうちに整理解雇をする企業は増えていくだろう。企業が生き残る術としては仕方のないことではあるが、現状のように国や行政による補助金の支給がなければ(とはいっても十分な金額ではないが)すぐにでも蔓延してしまうだろう。4要件をすべて満たしていれば、不当解雇であると争えない。4要件には、協議や納得(合意)を含むが。
6、経済の話
Derivative は取引の仕方によって「先物」「オプション」「スワップ」の3つに分けられる。長所でも短所でもあるのだが、性質としてDerivativeは決済時に損益が生じ、現金が増減する。そしてその割引現在価値がそのDerivativeの時価ということになる。つまり、時価というのは「その時点での価値」を意味するが、Derivativeにとっては将来の現金増減額の現在価値こそが時価なのである。
そして、金融の分野において外せないのが政策金利である。現在、日本においてはゼロ金利政策が実行されている。そしてゼロ金利の問題を考えるうえで特に重要な概念は「自然利子率」である。自然利子率とは、様々な価格が需給を反映して瞬時に調整されるという仮の世界で成立している実質の利子率のことである。この仮想経済では、各商品の需給が一致しているため、効率的な資源配分が実現している。したがって、自然利子率は望ましい資源配分を実現するための実質利子率の水準といえる。むろん現実の経済では価格は瞬時に調整されない。では現実経済で成立する実質利子率を自然利子率に一致させるにはどうすべきか。それには中央銀行が名目利子率を自然利子率の水準に誘導しさえすればよい。これにより物価上昇率がゼロで、同時に実質利子率が自然利子率に一致するという一挙両得の状態を実現できる。つまり、名目利子率をたえず自然利子率に一致させるように政策を運営することで物価安定と効率的な資源配分を実現できるのであり、その意味で自然利子率は金融政策の重要な羅針盤である。逆に見れば、金融政策が正しかったのかどうかを測ることもできる副作用もあるのである。