情報化社会の哲学

 

人類史の革命と呼ばれる事件は、これまで二つあったと言われている。第一は農業革命、第二は産業革命である。「革命」という言葉の意味するところは社会の根本的な変革である。即ち社会の組み立て方、人々の考え方・人生観が大きく変わることを意味する。

農業革命により、それまで狩猟生活にあり、食物連鎖の中にあったホモサピエンスは食物連鎖の鎖を断ち切った。また、定住をすることにより、階級が生まれ、長期的な計画を立てるという考えが定着した。産業革命により、人類は家畜も含めた筋肉以外のエネルギー、即ち化石燃料をエネルギー源として使い、システム化された道具、即ち機械によって大量の生産を行うことができる様になった。これにより、大量生産、大量消費、大量廃棄の考え方が一般的になったのである。

この様な変革は地球上の全ての地域で一斉に起こる訳ではなく、進んだ地域、遅れた地域が必然的に生ずる。これにより、新旧の地域がぶつかり合った時に多くの出来事が起こるのである。

1840年に阿片戦争が起こった。この出来事の本質は、産業革命を成し遂げたイギリスが農業革命の段階にあった中国に対して与えたインパクトと捉えることができる。広く言えば、産業革命を成し遂げつつあるヨーロッパの国が農業革命の段階にあるアジアの封建諸国家に与えたインパクトということができよう。このインパクトを受けて、アジア各国で改革が始まる。

日本においても水野忠邦が老中になり、天保の改革を始めた。しかし、この改革は失敗する。なぜならば、改革のパラダイムが大御所の時代に戻れ、即ち徳川家康の時代に戻れといった古臭いのものであったからである。天保の改革を本当に成功させるためには徳川幕府という幕藩体制を作り変えなければならなかった筈である。しかし、幕府の老中という立場にある水野忠邦としては到底発想し得るものではなかった。しかし、日本が産業革命の大波をそのままの体制で乗り越えられる筈はなかった。間もなく(1853年)アメリカの海軍提督ペリーが四隻の黒船を率いて日本に来航し、日本の鎖国を破棄させ、開国させるのである。この黒船来航を直接の契機として、日本は真の改革のサイクルに入り、徳川幕府は崩壊し、1868年に明治維新という形で日本は新しい社会の仕組みを作り出していく。

阿片戦争が1840年であるから、明治維新まで約30年かかっている。歴史が新しい段階に入る、即ち社会の仕組みが本当に変わり、人々の考え方が本当に変わるまでにはOne Generation−一世代位のタイムスパンが必要であることを歴史が示している。

1600年、関ヶ原の戦いで徳川家康は勝利し、1603年に江戸幕府を開く。関ヶ原の戦いの時の徳川軍の旗指物−シンボルは「厭離穢土・欣求浄土」であった。これは戦乱に明け暮れた戦国時代を早く終わらせ、人々が安心して安定した暮らしをできる様にする世の中を作るといった意味であろう。徳川時代のキーワードは「安定」であった。そのため、徳川時代の300年は発展を極力抑えようとし、社会の固定化を目論んだのである。

これに対して、産業革命の波に対応して作られた明治体制は「富国強兵・殖産興業」をそのスローガンとした。産業を興し、国を富まし、兵を強くし、外国の侵略を防ぎ、更に海外に出て、日本が大きくなっていこうという考え方である。欧米というお手本に少しでも早く追い着くために、中央に全ての人と金と物を集め、官僚が国を社会を引っ張っていく形で近代化しようという意味がこのスローガンには込められている。そこで上意下達、お上の言うことを従順に聞き、その通り生産に勤しむ。なるべく大きな組織に入り、年功序列・終身雇用の下で全てを組織のために捧げていくことが幸福であるし、社会の発展に繋がるという考え方が生まれた。

1989年にベルリンの壁が崩壊した。その本質は情報革命を成し遂げた西側の先進諸国が産業革命の段階にある東側の社会主義国に対して与えたインパクトと捉えることができる。こう考えると、阿片戦争とベルリンの壁の崩壊はその歴史的意味が同じことになる。このベルリンの壁を一つの象徴的な出来事として、大競争時代が始まったと言われる。即ち、それまでの世界の競争はアメリカ・西ヨーロッパ・日本というせいぜい10億人の土俵での争いであった。ところが、それがここ数年で一挙に3倍、30億人の土俵になってしまったのである。ベルリンの壁の崩壊により、中国・ロシア・東欧の中で、その全部とは言わないまでも、中国の沿岸特区の人々、ロシア・東欧の社会の成熟した部分の人々が世界市場の土俵に入ってきた。また、ラテンアメリカは長らく年率1千パーセントを超えるインフレが猛威を振るっていたが、ここ数年、メキシコもブラジルもアルゼンチンもペルーもインフレが急速に収束し、世界経済の土俵に上れる様になった。アジアニーズ・アセアンはもとよりのこと、インドの様な南アジアの国も急速に経済発展を遂げてきた。このために、土俵が一挙に3倍になる大競争の時代が訪れたのである。その本質は情報革命とでも呼ぶべき、人類史上三番目の大きな変革であるとみることができる。

例えば、これまで日本の強みは熟練工がその技術によって、高い品質の製品を作ることにあった。数ミクロンの凹凸も平にできる板金を製作する技術は、この道何十年の日本の熟練工しかできなかった。これが日本の強い国際競争力の基であったのである。ところが、そのノウハウをデジタル化することにより、コンピューターを使えば、未熟練労働者でもそこそこの品質の製品を作ることができる様になった。土俵が一挙に3倍に拡大した様に見えるのはこれらの国がコンピューターを使える様になったことにあると思われる。情報革命は熟練技術を積み上げられたノウハウをデジタル化し、誰でも使える形にしてしまうのである。

この様な大きな変革の波を受けて、各国で改革が行われている。日本においても、橋本内閣が六つの構造改革に取り組み始めた。教育改革、社会保障改革、金融改革、経済構造改革、財政改革などである。しかし、阿片戦争の時代の歴史の流れを見ていると、本当に社会が変わるためにはOne Generation、約30年のタイムスパンが必要であることになる。そういう見方をすると、橋本内閣の六つの構造改革は天保の改革に近い道を歩む可能性がある。本当に社会を変えるためには、人々の意識が変わらなくてはいけない。現在の社会において、阿片戦争当時の日本の幕藩体制に当たるものが政官財の鉄のトライアングルと言われるものである。この政官財の三者が癒着しているのが多くの問題の原因であるが、本当の鉄のトライアングルは各人の心の中にあると思われる。

新しい時代において、人々の人生観は「自尊好縁・先楽後楽」というべきものになるのであろう。各々が自分自身を尊重し、自分のリスクで自分の決断で自分の人生を決めていく。人々の縁は職場という上から与えられたものではなく、自らの好みによって集まった人の縁である。そして、今を楽しく、今を生きるという考え方で先楽後楽である。これからの働き方は何時間働くという百姓働きではない。アイディア、ひらめき、センスが要求される。それは今を楽しむ、今を生きる人間によってしか生み出すことのできない高い付加価値の生産物である。この意味で、現在は過度期にあり、社会が本当に変わるためには人々の考え方を変える必要がある。情報化社会のキーワードは「自尊好縁・先楽後楽」であると思われる。