堀籠博行
相続者と第三者
12J112012 堀籠 博行
[キーワード]
[遺留分 負担付遺贈 reverse mortgage 遺産分割 共有 合有 遡及効 宣言主義 移転主義 相続放棄]
1, 初めに
誰もがいつかは必ず、相続の問題に直面することになる。 遺産は、時として、遺産をめぐる家の争いや相続における第三者による介入により遺産が第三者の所有物になるなどの問題に発展してしまう。 そこで、相続法は人の死亡に伴う財産承継に関する基本法として、とても重要な役目を果たすことになり相続紛争が生じた際は、相続法では、民法第八八二〜一〇四四条の定めた、「総則」「相続」「遺言」「遺留分」の四つを柱とした規定を基準に紛争処理に当たる。相続の開始から相続の終了までの工程として被相続人の死亡→相続放棄の期限→遺産分割協議の開始→遺産分割協議の終了→遺産分割終了と流れていく。 では、上記のキーワードと説明をわかりやすく補助できるように図を用いて相続法について考えていきたい。
2, 相続と遺贈
通常相続分は、民法第九〇〇条「同順位の相続人が数人あるときは、その相続分は、次の各号の定めるところによる。 一 子及び配偶者が相続人であるときは、子の相続分及び配偶者の相続分は、各二分の一とする 。二 配偶者及び直系尊属が相続人であるときは、配偶者の相続分は、三分の二とし、直系尊属の相続分は、三分の一とする。 三 配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは、配偶者の相続分は、四分の三とし、兄弟姉妹の相続分は、四分の一とする。 四 子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の二分の一とする」で決まっている。 ただし被相続人の死亡後に遺言があった場合には、遺言による遺贈を優先させられる。 遺贈は、民法第九六四条「遺言者は、包括又は特定の名義で、その財産の全部又は一部を処分することができる。 ただし、遺留分に関する規定に違反することはできない。」の本文に明文されている通り民法第九六四条によって認められているが遺留分の規定に違反する場合は、例外である。
遺贈の種類として、負担付遺贈と負担付死因贈与がある。 負担付遺贈は、遺贈者が受遺者(親族又は、第三者)に対して、財産をあげる見返りに、受遺者に一定の義務を負担してもらう遺贈のことである。これに対して負担付死因贈与は、死ぬまで受遺者に一定の義務を負担してもらう遺贈のことである。 ここで例外な法的制度でreverse mortgageというものがある。reverse mortgageとは、高齢者が居住する住宅や土地などの不動産を担保として一括または年金の形で定期的に融資を受け取り、受けた融資は、利用者の死亡、転居、相続などによって契約が終了した時に担保不動産を処分することで元利一括で返済する制度である。この制度のメリットは、土地・不動産、金融資産などは持っていても老人であるための漠然とした将来不安や病気、不測の事態に対する怯えのため蓄えを崩せず、現金収入も少ない高齢者が、持家など自分が保有している不動産を担保にして、年金のような形で毎月の生活資金の融資を受ける制度で、住み慣れた自宅を手放さずに住みながら、老後の生活資金を受け取れる点である。さらに融資は本人が死亡した時点で担保となっていた自宅を売却して清算するシステムになっているため生前に自宅を手放すような抵抗感も感じなくてすむというものである。 しかしリスクが存在し一つ目に契約の満期を超えて長生きする。 二つ目に返済時に担保物件の売却価値が借入残高を下回るというものだ。
例えば満期または契約者死亡で現金返済ができず担保物件が競売されても回収金額が借入残高に満たない場合は、不足分の返済義務は保証人又は契約者の相続人が承継してしまうという面も存在するが少子高齢化社会における革新的な制度でもある。
3, 遺産分割における効力
財産が複数の主体によって支配・利用されている状態を共同所有といい総有、共有、合有の三類型に分類されその形態によって各自の持分と各自の持分の分割請求が異なる。総有では、例入会権の財産、各自の持分の認められず各自の持分の分割請求権も認められない。 共有では、例金銭、各自の持分が認められ各自の持分の分割請求権も認められる。 合有では、例組合の財産、各自の持分が認められ各自の持分の分割請求権認められないというものだ。 総有、共有、合有をわかりやすくまとめると下記の表である。
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例 |
各自の持分 |
各自の持分の分割請求 |
共有 |
金銭 |
認められる |
認められる |
合有 |
組合の財産 |
認められる |
認められない |
総有 |
入会権の財産 |
認められない |
認められない |
次にと移転主義を宣言主義見ていきたい。 民法九〇九条遺産分割の効力について2つの説があり解釈の仕方でわかれる。 一つ目は、相続開始で共同相続人間に遺産共有の状態が生じるということを正面から認めて、共同相続人がそれぞれの共有持分を譲渡することであるとする考え方がある。これこそ移転主義である。 移転主義は、民法二五六条一項「各共有者は、いつでも共有物の分割を請求することができる。ただし、五年を超えない期間内は分割をしない旨の契約をすることを妨げない。」は、遡及効を定める規定がないから、遡及効はないと解されている。 二つ目は、民法九〇九条「遺産の分割は、相続開始の時にさかのぼってその効力を生ずる。ただし、第三者の権利を害することはできない。」の本文に相続開始の時にさかのぼってその効力を生ずる。と明文で遺産分割の遡及効を規定していることから、取消しと同様に遺産分割には遡及効があり、この遡及効から第三者を保護するために但し書きがあると考えられるこのような考え方を、宣言主義である。 判例において宣言主義が共有、移転主義が合有とされている。ここで例題を挙げよう
父Aの死亡後遺産分割協議により家は、兄Bの物になった。 しかし家は、弟Cが債権者Dから借金回収のために家が保存登記されていた。 では、この場合家は、誰の物になるのか。について考えたい。 遺産分割協議前にDが登記をした場合は、遺産分割協議前なので家は、兄Bの物になっていないので家は弟Cにも権利がある時期まで戻る。移転主義の場合、遺産分割協議の段階で相続人が各自の財産をお互いに移転できるために結果として家の半分は、Bの物になるがもう片方は、Dの物になってしまう。 宣言主義の場合、被相続人の死亡時にさかのぼって相続人の財産になったと宣言できるので結果として家の権利は、全てBの物になる。 遺産分割協議後にDが登記をした場合は、民法第一七七条「不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法 (平成16年法律第123号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない」による公示の原則による対抗問題として処理されるため常にDの勝利となる。 Cが相続放棄の場合では、常にAの勝利となるその理由として民法九〇九条「遺産の分割は、相続開始の時にさかのぼってその効力を生ずる。ただし、第三者の権利を害することはできない。」と民法九三九条「相続の放棄をした者は、その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなす」の違いからであり物件変動ではなくなるからである。 下記の表は、上記の例題をまとめたものである。
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移転主義 |
宣言主義 |
遺産分割協議前のD |
家の半分がBに もう片方がDの物に |
Bが勝利 |
遺産分割協議後のD |
D(対抗問題)が勝利 |
D(対抗問題)が勝利 |
Cが相続放棄 |
Bが勝利 |
Bが勝利 |
4,外国における主義と登記
上記の図のように遺産分割における遺産分割協議後の家の権利の争いは、登記が早かった者が勝つ。 外国でこの例題を扱うとなるとその結果は、法源の重要視と主義によって異なる。 元の法源から文書の形で制定した成文法を最も重要とする考え方の成文法主義(ドイツ・フランス)と判例を最も重要とする考え方の判例法主義(アメリカ)にわかれる。成文法主義からドイツとフランスは、ドイツは、形式主義フランスは意思形式とわかれる。日本は、民法一七六条「物権の設定及び移転は、当事者の意思表示のみによって、その効力を生ずる。」によってフランス法の意思主義である。 では、ドイツ、フランス、アメリカの物件変動と登記そして二重譲渡がどうなるかについては、論じたい。ドイツ法では物件変動の考えにおいて形式主義であり登記が移転しなければ所有権が移転しない。 登記の意味は、効力要件であり二重譲渡の勝負において登記が移転しないと売買が成立しないので二重譲渡がない。 次にフランス法では、物件変動の考えにおいて意思主義であり意思の合致のみで所有権が移転する。登記の意味は、対抗要件で二重譲渡の勝負においては、常に早く登記した者が勝利する。 最後にアメリカ法では、物件変動の考えがフランスと同じく意思主義で登記がなくDeed制度(Trust Deed)によって証書が土地の権利である。 二重譲渡の勝負においては、常に善意者が勝利するというものである。
下記の表は、上記をまとめたものである。
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物件変動の考え |
登記の意味 |
二重譲渡の勝負 |
ドイツ法 (成文法主義) |
形式主義 |
効力要件 |
なし(登記が移転しなければ売買が完成しないため) |
フランス法 (成文法主義) |
意思主義 |
対抗要件 |
(悪意であっても) 登記の早い者が勝利 |
アメリカ法 (判例法主義) |
意思主義 |
なし (Deed制度による証書) |
善意者が勝利 |
5,私見
私としては、日本法における二重譲渡の問題が残念に思う。 ドイツでは、二重譲渡の問題が起こらないという登記制度。 アメリカにおいては、二重譲渡で善意者が勝つという単純に悪意を許さない法とどちらも魅力的に感じる。それに対し日本の現状は、登記が早い者が勝ちその登記に悪意があっても勝つという法制度である。日本の法は、教授が言ったようにガラパゴス携帯のようである。 多種多様の法というものももちろん悪いとは、断言できないがアメリカのような善意者の勝利やドイツのような種類のない徹底的な法を日本の法制度も見習っても良いのでは、ないかと考える。
参考文献
【相続法とは?/法定相続人とは?編】3分で学ぶ!相続の常識
<http://members2.jcom.home.ne.jp/souzoku-hp/page014.html>(2014/1/17アクセス)
高齢化社会の起爆剤 リバース・モーゲージ制度
<http://nsk-network.co.jp/031013.htm>(2014/1/17アクセス)
試験研究室
<http://nsks.web.fc2.com/>(2014/15〜20アクセス)
乙幡祐喜
相続法レポート試験
「相続と第三者」
<目次>
1.結論
2.相続の意義
3.相続のあるべき姿と税
4.相続にまつわる問題
5.相続以外の選択肢
6.おわりに
◎脚注・参考文献
1.結論
相続において第三者は積極的な介入をすべきではないと考える。第三者の介入は一定程度にとどめるべきである。
2.相続の意義
相続というものは、親が子供に残す最後の「援助の形」、又は「子を思う気持ち」だと私は考えている。親が、生前の努力によって獲得、保持してきた財産を、一般的に自らの子供、言い換えれば子孫のために、残すのである。これは、人間という名の動物として生きる者であれば、大抵、子孫繁栄のために何らかの財産を子孫に残したがるであろう。しかし、必ずしも、相続は受益者にとって有益な財産だけだとは限らないのも現実である。相続人が相続放棄をせずに、相続をするのであれば、借金などの負の財産も承継しなくてはならない。また、相続というのは、人間が行う行為であるから様々な事情により、複雑な相続が行われることも大いに考えられる。
3.相続のあるべき姿と税
前述の通り相続は、親の死後に残された子孫の元に残る「援助・気持ち」という形の財産である。具体的には、金銭又は、不動産や動産などの財産を承継することだ。しかし、相続がなされるときに、無制限に全てが相続されるようでは、社会的に考えて、いささか不都合なことも起こりうる。日本は資本主義社会であるし、現代社会は高度な情報社会であるから、多少の貧富の差が生じることは仕方のないことである。だからと言って、相続の際に、何の障壁もなく相続されるようでは、この貧富の差は広がり続けるばかりである。財産を持った者は、その子も、子孫も財産を持ち続ける。対して、財産の少ない者は、その子も、子孫も同様に少ないままという負の連鎖が生じる。これでは、子供たちが不平等になってしまう。財産を稼ぎ出した本人は努力した訳であるから報われるのは当然であるが、子供にまでそれが、過大に影響するようでは、出生の時点で人生が決まってしまうようなものである。これでは、才能のある人間、又は優秀な人間、努力をした人間が、頑張っても報われない社会になってしまうため、経済成長の観点からしても、好ましくない。できる限り平等な人生のスタートを切れるようにするためにも、子供の代への相続に障壁が設けられるのは妥当だと言えよう。一般的に考えられる障壁というのは、相続税である。しかしながら、相続の際に、あまりにも多くの相続税を徴収してしまうようであれば、努力をして財産規模を拡大しようという人や、人々の活気が少なくなることが考えられる。これにより、経済活動が減退してしまうこともあるだろうし、結果として経済成長の妨げになってしまう。適度な範囲での相続税徴収は重要な事である。それは、多くの富を有する人の資産が、税という形で多くの人々や、社会全体に還元されるからだ。来年からは、相続税法改正の影響により、相続税納税者の増加が見込まれている。これにより、税収入は増えるだろうが、人々の許容範囲を逸脱した徴収になってしまえば、自分の子供に、少しでも多くの財産を残そうと言った親の愛情も叶えられなくなる。そのため、相続への人々の許容範囲を超えた税の介入は、あまり好ましいものではなかろう。
4.相続にまつわる問題
相続において、まず考えられるのは、相続人が複数存在することである。主に親の子が2人以上の場合などである。相続が開始された時、被相続人が遺言を事前に作成しており、財産の配分方法が指定されていれば良いのだが、そういった指定などがないことも十分に考えられる。こういった場合は、相続人の話し合いによって配分の比重や方法が決まり、遺産分割がなされることになる。そして、各々の相続人が単純承認などの承認、又は相続放棄の意思表示をすることにより、相続の手続きが進んでいくことになる。
相続で発生する効力関係については、民法909条にある通り、分割が開始された場合、その時をもって遡及効が生じる事になる。複数の相続人がいる場合において、相続が開始された場合は、遺産は相続手続きが完了するまでの間、共同所有の状態にあると言え、相続人同士で合有しているのである。こういった考え方は、移転主義の考え方である。近年では、この説が有力説となっており、通説でもある。近年では、用いられることが少なくなっているが、宣言主義という考え方もある。こちらは、相続人の分割取得分が第三者に移転した場合などでの実務判断において、民法909条但し書きとの整合性という点で、いささか不都合が生じる結果になることがあるため、用いられることはあまりなくなった経緯がある。
被相続人による分割方法指定などを記した遺言がない場合には、この分割割合を巡って不服に思う相続人同士による紛争が生じる事もある。これは、回避すべきである。相続人というのは大抵兄弟、又は姉妹間であり、親である被相続人の死後もこれらの血縁関係が途切れることはない。近親者同士であるならば、将来もお互いに継続的に助け合って生活を送ってゆくことが好ましいと私は考える。また、不動産などの財産を複数の相続人同士で複数の名義で登記を行って、共有という形で相続することも選択肢のひとつとして考えられる。この方法をとった場合、将来的に考えると互いの相続者間で、利用方法や管理方法の考え方などの違いを原因として、法廷紛争が発生する可能性も否定できないと言えるため、私としては、避けた方が賢明だと思う。仮に、平穏に管理ができていたとしても、次の代へと相続される時に、混乱を招く恐れがあるとも指摘できる。
他に考えられる相続のケースは、子供たち以外への相続の可能性である。生前、相続人が、ある人物の面倒を見ていた場合や、ある人物をかわいがっていた場合などに、これが起こりうる。法定相続人以外への相続は、主に被相続人が残した遺言にそういった趣旨の記載がある場合に行われることになる。法定相続人から見れば、単なる第三者が相続に関係してくることになるわけだ。人間の生活・生涯は一人ひとり異なるので、一律に、これが良くないとは言えないが、その内容によっては、法定相続人にとって不満に感じる場合もあるであろう。例えば、極端であるが、好ましくないであろう例としては、男性の被相続人が生前、妻とは別に親しくしていた女性などがいた場合である。そして、男性が残した遺言にその女性に対して自身所有の財産の多くを相続させる旨の記載があった場合などが考えられる。こういった場合には、相続人である配偶者や子供は、その第三者である人物に親が残した財産が渡ることは、当然避けたいと考えるであろう。本来、財産の処分は、被相続人に裁量の自由があるため、こういった配分方法でも正当ではあるのだ。財産の配分に関しては、遺留分の定めがあることから、相続人は一定額の遺産確保はできるとしても、やはり不快に感じる事もあるだろう。こういった事例のように、残された人間のためにならないような相続は、避けるべきだと私は考える。
勿論、第三者への財産の配分が全て好ましくないと考えているわけではない。生前、被相続人が、障害のある人物の面倒を見ていたとか、何らかの事由で面倒を見ていた人間を、自分の死後も継続的に保護、援助されるようにしたいという観点から、自分の子供などに、負担付遺贈という形で財産を渡し、被相続人が面倒を見ていた人間が、今後も生活に困らないように配慮をするという形の財産処分であれば、第三者に対する財産の一部配分もおかしなことだとは思わない。
5.相続以外の選択肢
近年の核家族化や、家庭の事情により、身寄りのない老後や、家族と疎遠な状況での老後生活を送らざるを得ない場合も、現代社会においては考えられる。こういった場合においては、第三者の介入が大いに期待される。自治体や銀行などが扱うreverse
mortgageという制度を有効活用することによって、老後の資金面の不安を解消することが可能だ。これからの社会では、国の財政状況から考えて、老齢年金などの社会保障制度のみを頼りにして老後の生活を全て賄うことは、難しくなることが予想される。現行制度が続いてくのであれば、この状況が改善されるとは言い難いのが現実である。そこで、この自治体・金融機関などが提供するreverse
mortgage制度を利用することが、老後の生活を送る上で、ひとつの選択肢として大きな役割を果たすのではなかろうか。特に首都圏や、都市圏など地価が上昇傾向にある地域に建物や土地などの不動産を保有していれば、諸条件はあるものの、身寄りのない老後でも、多くの資金を確保することができ、尚且つ、生存中は返済の必要がなく(注意:内容はそれぞれ異なる。)、自分が生きている間の生活資金確保や、介護サービス受給の資金確保など、生活水準の向上を図ることができ、快適な生活を送ることが可能である。(※1参照)
しかし、利用にはメリットだけではなく、勿論、デメリットや、リスクも伴う。そのリスクについて「SUUMO
ジャーナル 日刊」(※2参照)というインターネット記事で紹介されていたため、その記事内の関連する内容の部分から引用し考察する。以下がその引用文である。
リバースモーゲージがかかえる3大リスク
リバースモーゲージには、3大リスクといわれるものがある。いずれも担保割れを引き起こす要因となっている。
●担保割れの3大リスク
(1)不動産価格の下落リスク
不動産価格が予想より下落してしまうことで、契約終了前に担保割れが生じるリスク
(2)金利上昇リスク
借入期間中に金利が予想より上昇してしまうことで、利息を含めた借入残高が増えて担保割れが生じるリスク
(3)長生きリスク
利用者が予想より長生きすることで、存命中に担保割れが生じてしまうリスク
このほかに、相続時に担保物件の売却について相続人から異議のないように、リバースモーゲージの利用には、相続人の同意が必要となるといった注意点もある。
また、担保となる持ち家は一戸建てを対象としていることがほとんど(東京スター銀行では地域限定でマンションも対象にしている)で、土地の評価額の50%〜70%までが融資限度額となっているケースが多い点も押さえておきたい。
このように、自宅などを担保として借入を行うことから、やや投資に似たリスクの側面も持ち合わせている。そのため、利用する場合は、自らの今後の予定や、将来像などを基に総合的に考えて判断し、失敗しないように制度を活用することが重要である。さらに、独り身ではない場合は、引用文後半で指摘されているように、相続人への配慮も忘れてはならない点である。
しかしながら、こういったデメリットはあるにしても、この制度の有用性は高いと感じる。上述の通り、現行の社会保障政策は火の車状態であることから、この制度を積極的に展開・利用又は、新たな社会保障政策を策定し、簡単ではなかろうが、これと連動させることによって国の社会保障に関する大きな出費の軽減につながるのではないかと私は考える。
6.おわりに
感情論的内容なってしまうが、相続が行われる時というのは、大抵の場合が、親との死別など、精神的、肉体的に余裕のない状況だと考えられる。このような状況の時に、他の相続人、又は、相続される財産を目的に介在してくる第三者などとのトラブルは避けるべきである。相続手続きにおけるトラブルは、長期化することも考えられ、仮に決着がついたとしても、人間関係に亀裂が生じるなどして、不幸な結果を迎えることになってしまうかもしれない。そのため、それらのことを避けるためにも、相続手続き自体は円滑に進めて完了させるべきであり、手続き完了前に第三者が介在するようなことはあってはならないと私は考える。このようなことから、私は、相続において第三者は積極的な介入をすべきでないと考える。
◎脚注・参考文献
※1:文章作成の際に参考として使用した資料
三井住友信託銀行Webページ 「リバースモーゲージ」 を参考文書として使用
http://www.smtb.jp/personal/loan/reverse/mortgage.html(2014年1月21日閲覧)
※2:引用に使用した資料
SUUMO
ジャーナル 日刊
Webページ
「みずほ銀行が取り扱いを始めるという『リバースモーゲージローン』とは?」内の「リバースモーゲージがかかえる3大リスク」 より引用
http://suumo.jp/journal/2013/05/29/44845/(2014年1月21日閲覧)
以上
里脇愛香
私は相続と第三者の関係について、相続人に自立して生活できない人やまだ成人になっていない人がいる場合を除き、被相続人の意思と第三者を尊重すべきと考えます。
⑴遺留分制度は改正すべきではないか。
非相続人が自分が死ぬ前に遺産の行方を自分で決めるのが遺言を始めとする生前贈与や遺贈といった制度の趣旨だ。しかし、非相続人の意思はどれだけ強いものであろうとも現段階の日本民法では親族(兄弟姉妹を除く相続人又は直系尊属)の遺留分というものを認めている。つまり、どんなに自分の子供や配偶者と仲が悪いから遺産を相続させたくないと考えていても自分の生きている間に資産を使い尽くさなければ子供や配偶者に遺産が相続されてしまう。生前に非相続人の意思を示すものとしてせっかく遺言などが認められているのにそれを阻むような制度になっている側面があるんではないだろうか。確かに、遺留分が認められるようになった背景には、残された相続人の生活の保障や、潜在的持ち分の清算を確保といった重要な機能がある。これは時代の流れとともに変わってきた制度で、戦前では戸主による家の財産の処分を制限して散財を防ぐことで家督相続人に家の財政的基盤を保障するものであったのが、戦後では均分相続の原則を採用し生前贈与や遺贈によって特定の人物に財産が集中することを制限する機能を持つようになった。これと同じように現代でも考えを変えていくべきではないだろうか。
まず、今では高齢化が進み日本人の平均寿命は女性で86.41、男性で79.94となっている。そして晩婚化が進み、女性が第一子を出産する年齢が30歳を越え、生涯未婚率も男性が20.14女性が10.61と未婚率も上昇している。このような社会では、配偶者や子は非相続人が亡くなるまでに自分で生活していくだけの力を持っている場合が多く、遺留分で保護する必要性も低い。また、大きな問題として日本での格差の拡大も上げられる。教育や健康、生きていく上で経済的な問題とは離れられないだろう。お金持ちの子はお金持ちになりやすく、貧乏人の子は貧乏人になるという硬直した状況は社会にとっても良い影響を及ぼすとは言えない。今までお金をかけられてきたことで良い教育を受け、良い職に就いた者が親が死んだ後に遺産を継いでもっとお金を持つという仕組みはできるだけ排していくべきだ。まだ、成人していない子や配偶者が生活を維持する術がない場合以外の遺留分は認められないようにし、遺産を継ぐ場合も一定以上に達する資産だったときは弱者支援への資金のために税金として回収できるような仕組みに変えるべきだ。
⑵登記の徹底と登記前の確認を行うべき
非相続人に遺言を書かれた時でも遺言が存在しない時てあっても遺産があれば相続人間での話し合いは避けられない。話し合いによってスムーズに争いが生じることがないのならばそれが一番良いだろう。しかし、人間同士の付き合いや金銭的な話は争いが生じることがある。争いを誰もが納得する形で解決するのは難しいが、平等に近づけるために判例や民法により基準が設けられていることがある。国によって判例や法は違っているのでどれが正しいのかはその国の価値観によって変わってくる。今回は日本での遺産分割においての第三者について考えていく。まず、最初に898条の「相続人が数人あるときは、相続財産は、その共有に属する」との規定について考えていく。この条文の共有がどのような性質なのかによってその後の考えが大きく左右される。学説でも共有説と合有説に分かれ議論がされてきた。共有説は、遺産の共有を249条以下の共有に近いものと考え、遺産の共有持分の処分を積極的に認める立場である。フランス民法でこのような考え方を採用しており、個人主義的な立法をしていることから、日本においても同様に解釈されている説だ。合有説とは、ドイツ民法で共有相続人に対し遺産全体の持分の処分を認めない「合有」という立場を採ることで遺産中の個々の財産の共有持分部分が処分され散逸することを防ぐ手法が採られていることを見習うべきとする立場だ。遺産の一体性・団体性が守られるので676条で組合財産が持分処分を制限されているのと同じようにすべきと考えられている。判例は、共有説を主張しており、日本では遺産共有持分の処分は別々に可能だということになる。
次に遺産の効力について考える。民法909条は、「遺産の分割は、相続開始の時にさかのぼって効力を生ずる。ただし、第三者の権利を害することはできない」と規定している。この条文の解釈の仕方は二通りある。ひとつが宣言主義という考え方だ。この立場の考え方は、遡及効が認められるのだから、相続開始時から遺産の分割協議に応じた財産の帰属があったのであり、遺産の分割協議はこれを宣言したにすぎないというものだ。もうひとつの考え方が移転主義というものだ。この考え方では、遺産の分割協議を、共同相続人がそれぞれの共有持分を譲渡するものだと考える。このどちらを採用するかで結果は大きく変わるが判例では、移転主義的な考え方が採られている。第三者が登場した場合、どちらの考え方を採っているかで遺産の行方は変わる。またどちらの考え方をとっても遺産の分割協議の前か後かによって結果が大きく変わってくる。例に遺産の分割協議でAに不動産の権利がいくことになったとする。共同相続人のBが遺産の分割前に債権者Cに不動産を渡してしまい、Cが登記を持っているとCが登記を移したのが遺産の協議分割の前か後かでAとCどちらに所有権があるのかが違ってくる。判例の移転主義を前提に考えると遺産の分割協議前であれば不動産はAとBの共同持分となり、Aの持分は本来権利者保護と当事者問題の考えからそのままAのものになる。Bの持分はAとCの対抗問題として考えられ、登記を持つCのものになる。登記の移転が遺産の分割協議後であると不動産はAのものと協議で決定していたが登記はCが持っているということになり、対抗問題でCに所有権がいく。ほかに、Bが相続放棄をしていれば、物権変動性はないのでそのままAのものとなる。このように、登記の移転の時期やBが相続を放棄しているかどうかで所有権が大きく変わってしまう。これはおかしいのではないだろうか。本来権利者保護と債権者の権利保護どちらを選ぶかは難しい問題であり、このような事件が起きてしまったら対処に多大な負担がどちらにも生じる。この際、不動産を持つ場合登記が絶対であるという意識改革を全国民に行い、登記を忘れることはなくし、第三者も相続による債権回収の際は共同相続人全員に本当に不動産はこの人が相続しているのか確認して回った方が問題が生じるよりも楽なのではないだろうか。
⑶弱者老後の金銭的問題解決の手段
高齢化の進展とともにお金は稼ぐことができないが家や土地などの資産はあるという高齢者が増えてきている。高齢者が働くための社会制度もまだまだ整っているとはいえないし、健康なお年寄りは収入のために働けても不健康なお年寄りは働くことができない。年金と自分の貯蓄だけでは心もとないと考える高齢者がお金を得る手段を考えることが高齢社会には必要になってくるだろう。うまくいけば介護費や医療費が削減できて国庫を圧迫しないですむ方法も見つかるかもしれない。まず、高齢者が簡単にお金を得ることができるのではないかと考えられる方法が負担付遺贈だ。家族間で自分が死んだら家を与えるから毎月の仕送りを頼むと息子や娘に言っている高齢者もいるかもしれない。家族間であれば子に金銭的余裕がある場合簡単に成立するだろう。しかし、自分の家庭を持った子であれば親にまわす金銭的な余裕はないかもしれない。また、介護費や医療費が思った以上にかかり子が思った以上に負担がかかってしまうかもしれない。簡単に成立してしまうからこそなにか急激に事情が変化した際トラブルが発生する可能性もある。実際に家庭裁判所での相続関連相談件数は年々増加しており、遺産分割調停件数も増えている。
そこでreverse
mortgageという方法がある。これは、自宅を担保にいれ、生前は自宅に住みながら信託銀行や自治体から年金のように金銭の支給を受けられるが、死後に契約した信託銀行や自治体に自宅を渡すというものである。この形式であれば委託者は自宅に住み続けることができる上に金銭も受け取ることができる。例に挙げると、三井住友信託銀行では65歳から79歳という年齢の間に毎年一回定額の融資を行うとしている。80歳から83歳の間での契約であれば一括で一定金額を受け取れるが、この年齢での基準さは、委託者が長生きすることにより無制限に融資が増えてしまうと自宅の担保だけでは利益が望めないという背景がある。このように資産を眠らせることなく活用し、生前に金銭を受給できるような仕組みは委託者と受託者どちらにもメリットを発生させることができる。しかし難点があり、自宅を担保にする形なのでその自宅が価値があるかで融資を受けられるかが変わってくる。自宅がある土地が首都圏に近ければ価値があがるが、地方では利益が望めそうにもないと契約を断られる可能性がある。先ほど例に挙げた三井住友信託銀行では、土地付一戸建ての東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県・愛知県・大阪府・京都府・兵庫県というふうに限定されている。お互いに利益を得ることが目的なのでこのように経済的価値が低い地域に住むものは自治体などが参入しない限り導入が難しいだろう。
自宅が担保にできないものでも同じような仕組みでなにか融資を受けられるものがないのだろうか。そこで思いつくのが自分の肉体を担保にすることだ。自分の臓器を担保にし、死期が迫った時に臓器を他者に移植させるような仕組みであれば臓器に問題がない人ならだれでも融資を受けられるようになる。しかし、これは弱者が自分の肉体を失いながら金銭を受け取ることになり、倫理的観点から批難を受けるかもしれない。また、金銭が発生することにより犯罪なども増えていくかもしれない。一番良いのは自分が納得できる範囲で担保にできるものがあり、それを担保にして融資を受けれる仕組みができていることだ。まだ、日本ではreverse
mortgageという考え方が浸透してはいない。超高齢社会でもうまくいくような仕組みづくりを早急に作らなければならない。
参考文献
「民法Y 親族・相続」 前田陽一・本山敦・浦野由紀子 有斐閣 2010/10/20
「家族法 民法で学ぶ」 窪田充見 有斐閣 2011/05/30
「高齢社会における信託と遺産継承」 新井誠 日本評論社 2006/09/15
http://www.smtb.jp/personal/loan/reverse/mortgage.html 三井住友信託銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%83%E3%82%B8 wikipwdia リバースモーゲッジ
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2502J_V20C13A7000000/ 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2403U_V20C13A6EB1000/ 日本経済新聞
猪股俊介
『相続と第三者』
Chapter.0 〜 現相続制度に対する見解 〜
判例等を見ていると、納得のいく点も多々あるが、その説明に疑問を持つものも少なくはない。このレポートは、その各制度・結論の内容に触れるとともに、そういったものの答えが正しいかどうかを私個人として考察したものである。
Chapter.1 〜 相続とは何か 〜
一般的に相続とは、人が亡くなった時に、その人(被相続人)の財産的な地位を、その人の子や妻など一定の身分関係にある人(相続人)が受け継ぐ一連の流れのことを言う。この時、被相続人から相続人に受け継がれる財産のことを「相続財産」や「遺産」と呼んだりするが、これには土地や建物といった不動産、宝石等の一般的な動産のようなプラスのものだけではなく、借金や損害賠償債務といったマイナスのものも含んでいる。また、一言に相続といっても、被相続人の所有物だったものすべてが相続される訳ではなく、一身専属権や祭祀財産、生命保険等の契約や法律に基づいて支払われるものは含まないとしている。
Chapter.2 〜 遺留分のあり方について 〜
相続の種類の一つには遺留分なるものがあるが、私はこの現在の遺留分のあり方に異を唱える立場である。というのも、現制度をそのままに見ると、本来遺産が行くべき場所に行かないことがあるということ。敢えて遺留分より先の条文で婚姻に関して定めていることの意義が薄れる可能性が出てくるということ。そしてなにより、愛人などへの遺産の受け渡しも可能であり、法的な目線で見なくとも不誠実な点が見られることもあるということ。以上のように制度そのものに反対している訳ではなく、部分的にではあるが見直す必要性があるのではないかと感じているからである。
まず始めに、これを論ずるにあたり遺留分とは何かについて、そしてこの法律がとる趣旨について触れておく。本来、被相続人には自らの財産を自由に処分する権利がある。したがって、被相続人は全財産を生前贈与なり遺贈によって第三者に与えることもできるし、相続分の指定によって特定の相続人に全財産を相続させることもできるはずである。しかし、相続制度が遺族の生活保障および潜在的持分の清算という機能を有していることを考えると、被相続人の恣意的処分行為によって遺族の生活が脅かされ、また潜在的持分の清算に対する正当な期待が裏切られる恐れがある。そこで、被相続人の処分の自由と相続人の保護との調和のため、相続財産の一定割合を一定の範囲の相続人に留保するという制度が置かれた。これが遺留分制度である。その権利者は、民法1028条より兄弟姉妹を除く法定相続人(配偶者・子・直系尊属)となっており、胎児や代襲者も含まれる。ただし、遺留分は相続人に与えられる権利であるから、相続権がなければ遺留分も失われる。要するに、被相続人に自分の遺族よりも遺産をあげたいと思っている人がいた場合、それが実現してしまうと遺族が困ってしまうので、それを少し妨げるためにある法律ということである。
最初に述べた私が疑問に思う3つの遺留分のあり方において、全てに関わってくるのが被相続人の財産処分の自由についてである。確かに、一般的に考えれば自己の所有物をどう処分するのかにおいて、いちいち他者に確認をとらねばならないという状況の存在は極めて不自然であり、貨幣損傷等取締法のような所有物の扱いについて定めた法律に抵触することがない限りは、譲渡するも廃棄するも個人の自由であると私も考えている。しかしながら、相続に代表する金銭的価値の認められる不動産やお金そのものに対しては、特別の扱いを取るべきだと私は思うのだ。説明からも読み取れるように、これらは被相続人の一存で遺族以外の人に譲渡ないし相続されてしまうと遺族が困るものである。そのような状況に陥った際に、そこ から遺族を救うための法律が遺留分だと言うが、そもそもなぜそれだけ高価なものが遺族になりうる者の了承もなしに他者に渡りうるのだろうか。遺言によって初めて第三者の存在が発覚するというのもおかしな話である。始めに私自身の疑問点を書いた際に愛人に被相続人の遺産が渡る例を挙げたが、愛人でない人への譲渡であっても、これら相続財産になりうるものの扱いについては、予め遺族になる人に了承を公式且つ事前にとる制度を何かしら設けるべきである。いかに被相続人の所有物であっても、死後正当に保護されるべきは本来の遺族である以上、自由にその財産の一部すら他者に受け渡されるべきではない。たとえ、愛人であっても法的に守られるべき立場にない以上、そして婚姻制度が法律行為として優先し ている以上、知らなかった(知っていたならなお)愛人が悪いとして、受け取れないのが私は正しいと考える。では、もし愛人と被相続人の間に子供がいた場合はどうなるのだろうか。昨年の法改正により嫡出子と非嫡出子の相続遺産が同額であるべき(憲法14条による)とされたが、これには私も概ね同意である。子供がいたほうが財産をもらえるというのも何か変な話に聞こえるが、愛人にお金を渡せるか否かの選択権が本妻側にあることで、判例のように遺留分を含めて愛人側が本妻側よりも多くもらえるといった事態は避けられることから、遺族了承の制度は必要だと私は思う。
次に、部分的な当てはまりではあるが、遺産が行くべき者のところに行かないということの事例に、自分の子供ではあるが、相続させたくない子供がいた場合どうするのかというものがある。現在の法では遺言よりも遺留分が法的な強さを持つとしているが、私はこれこそ被相続人の所有物の自由処分を認めるべきものの例だと考えている。自分の子供であるにもかかわらず相続の対象に含めたくないとしている以上、被相続人側に余程の事情を認めるべきであり、子供だから無条件に遺留分を受け取る権利があるのだという側の権利は排除されるべきである。このように、遺留分に関してはなかなかに疑問となる点が多く残る結果となった。
Chapter.3 〜 負担付遺贈と第三者 〜
私は負担付遺贈に関し、現在のあり方に賛成の立ち位置を取っている。まず、負担付遺贈とはなにかについて触れると、遺贈者が受遺者に対して財産をあげる見返りに、受遺者に一定の義務を負担してもらう遺贈のことである。ここでいう「負担」とは、受遺者が負う法律上の義務であるので「条件」とは別のものだというのは大事な点である。法律行為の附款について触れることはやや本筋からずれるので話を戻すが、ここで受遺者が負う負担の限度は遺贈の目的の価値を超えない程度を限度として定められている(民法1002条)。また、受遺者は義務を負担するのが嫌であれば、遺贈を放棄することもできる(民法986条)。また、負担付遺贈を受けた者が義務を履行しないときは、相続人または遺言執行者は、相当の期間を定めて履行を催告できる。なお、それでも履行がないときは、遺言の取消しを家庭裁判所に請求できる(民法1027・1015条)。
判例に負担付遺贈の内容を履行してきた者と、被相続人が亡くなる直前に遺言で相続人を別の者に指定した場合、どちらの効力が強いだろうかというものがある。ここでの裁判所の結論は、負担を履行してきた者を勝たせており、その理由として、遺言はいつでも撤回することができるが負担付きの場合は限定され、負担を実行した者がいる以上、この負担付遺贈は確定だからだとしている。
私は実際に負担を負ってきた者が、被相続人が亡くなる直前に遺言で変えられた、負担を負わなかった者に負けるようなことがなかった結果をとても評価している。やはり、目的のために頑張ってきた者が不意に起こった出来事により馬鹿を見てはいけないと思うのである。強いてこの制度に付け加えて求めるものがあるとすれば、このようなことが起きた時に混乱することがないように、負担付遺贈の内容を届け出る制度を作ることだ。負担を履行していたか否かについて判断する材料としては、証明書などを作成したところで無意味だと思われるので、客観的に見た時に負担を履行していたことがはっきりとわかる事実があるならば、現在と同じ形をとってよいだろうと思われる。
Chapter.4 〜 遺産分割の効力 分割の遡及効と相続財産の見方 〜
これに関しては個人的に少し疑問点の残る見解が出たのだが、詳しくは言葉の内容に触れた後で見ていきたいと思う。特に遺言などもなく、通常通りに死後遺産分割がなされる場合開かれるのが遺産分割協議である。大抵の場合この協議は数ヶ月という長い時間をかけて行われる。さて、協議後に遺産の相続先が決まったとして、相続された遺産はいつから正式に相続人の所有物となる(遺産分割の効力が発揮される)のだろうか。これを考える上で、相続法には宣言主義と移転主義という2つの考え方がある。
宣言主義とは、被相続人の死亡前に遡り、相続人の財産になったと宣言するという遡及効がある見方。移転主義とは、遺産分割協議の段階で、相続人が各自の財産を移転し合うという見方である。要するに、両方とも実質的には遺産分割協議後から持っていることにはなるのだが、所有権が移るタイミングが被相続人の死直後(最初から相続人のものであったとする)なのが宣言主義、遺産分割協議後初めて所有権が移るのが移転主義である。ちなみに、遺産分割の効力については民法909条に記載されている(遺産の分割は、相続開始の時に遡ってその効力を生ずる。ただし、第三者の権利を害することはできない。)。また、この問題を考える時に、相続財産を共有的(宣言主義・より個人的)に見るのか、合有的(移転主義・より集団的)に見るのかで結果が変わってくることにも注意が必要である。そして日本の判例は、管理費用の負担、収益の取得、代襲財産等については共有関係が存続し、また相続した不動産を第三者に対抗(主張できる)するには、登記が必要である(最高裁判例)としており、ただし書きの存在から、分割の効力に関する民法の宣言主義は、実質上は(実態もそうであるように)移転主義といってよいことになる。
では、ひとつの判例を用いどう変わるのかを見てみよう。父親Aが亡くなり、Aの持つ遺産はAが持っていた家だけであった。これを相続するのが兄であるBと弟のCなのだが、CはDという人物に借金があり、債権者であるDが家の登記を勝手に自分のところに移してしまった。BとCの遺産分割協議の結果では家は全てBが相続するという結論に至っていたのだが、この場合BとDどちらが家を入手することができるだろうかという例である。「相続と登記」の問題を解決するときは、「取消と登記」・「時効と登記」の問題を解決するときと同様に、債権者が登記を移したのはある出来事(相続と登記の問題では遺産分割協議)の前なのか後なのかで結論が分かれてくる。前だった場合は当事者問題による本来権利者保護。後だった場合は対抗問題(民法177条)による登記の有無で判定する。結論から言うと、遺産分割協議後の場合は、宣言主義で見ても移転主義で見ても対抗問題での処理となり、債権者Dの勝ちである。しかし、遺産分割協議前の場合は宣言主義で見ると全てBのものになるが、移転主義で見ると、Bが当事者間の問題として取得できるのはBの法定相続分(家の半分)であり、もう半分は対抗問題として処理されDのもとにいく。先に述べたように、日本の判例は移転主義をとっているため後者の考え方だ。では、これは本当に正しい考え方なのだろうか。
私個人の見解としては、ほぼ同意、だが少し疑問な点があるという実に曖昧なものである。というのも、「取消と登記」・「時効と登記」で見てきた場合と同様に、第三者の意思が対象物を欲していることに違いはない。だが、今回の第三者が債権者であるから弟の法定相続分を受け取ることができたのだとしたら、取消や時効の場合と違い第三者が優遇されてはいないだろうかということを疑問に感じることがあるのだ。もちろん、元はといえば弟に借金があったこと自体が悪いのであり、債権者が債権をしっかり回収できるという現制度(民909条)は実に正しいと私は思う。しかし、取消や時効と同様に本来権利者の保護を重視することで、すべてが兄に渡るようにすることは絶対に出来ないのだろうか。もし出来たなら、結論は宣言主義の場合と同じにはなってしまうものの、法の示す方針が一貫して実に分かりやすいものになると思う。また、どんなに移転主義が宣言主義より合有的なものであれ、それは「より合有的」であるだけにとどまり、客観視すればほぼ共有であることに違いない。無論ただ分かりやすければ良いということではないのだが、遺産分割協議にて家の所有が全て兄のものになるという決定をしたのならば、いかに遺産分割協議前の登記移転がなされていたとしても相続放棄同様とみなせないのか。全面的な本来権利者保護をすることができると見ることのできる余地・可能性はないのか、という疑問のみを提示してこの話題の締めとしたいと思う。
Chapter.5 〜 相続放棄とは権利の全面的放棄 〜
相続放棄に関し具体的な賛成や反対というものは基本的にはありえないと思われるので(誰かが相続をしないことで周りが困るということはない)、ここでは相続放棄とはなにかについて軽く触れて終了とする。相続放棄とは文字のごとく相続の権利を放棄することである。ここでの放棄とは一切の権利の放棄を指し、その効力は相続を放棄した人の子供にも及ぶ。また、これは自ら相続人をおりることなので、もしも「chapter4」の債権者を第三者にとった例において弟が相続放棄を行ったならば、そもそも相続財産における弟の法定相続分もなくなるので全て兄の取り分となる(つまり債権者に割り込める余地はない)。これに関し兄が勝つ理由としては、民法909条と民法939条の違いや、「解除」と「取消」の違いなどもあるが、なにより遺産分割と違い相続放棄には物権変動性がないことが挙げられる。
Chapter.6 〜 相続と日本社会 これからの展望・まとめ 〜
さて、ここまで様々な相続に関連する事項に触れてきたが、これら相続に関係する問題は今後の日本社会において多発するだろうと私は考えている。なぜならば、日本はこれから今よりもひどい高齢化社会へと突入するからだ。言い方はよろしくないが、高齢者が増える以上、いかに医療技術が進歩しようと亡くなる人の数はどんどん増える。亡くなる人が増えるということは、おそらく遺産相続に触れる機会も同時に増えるということだ。社会保障関連の事業やシステムが大幅な進展を見せる中、若干ながら相続に関わる部分で出来たシステムがある。” Reverse mortgage (以下「リバースモーゲッジ」) ”だ。
リバースモーゲッジとは自宅を担保にした年金制度の一種で、自宅を所有しているが現金収入が少ないという高齢者世帯が、住居を手放すことなく収入を確保するための手段である。自宅を担保にして銀行などの金融機関から借金をし、その借金を毎月の年金という形で受け取ることができる。年月と共に借入残高は増えていき、残高に対する利息も未払いのまま残高に加算される。契約満期または死亡時のどちらか早い時期に一括返済しなければならない。現金で返済できない場合は、金融機関は抵当権を行使して担保物件を競売にかけて返済に充当する。契約者が死亡した場合の返済義務は、契約者の相続人が承継する。しかし、日本では中古住宅市場は活発でないが故に根付いているシステム とは言い難い。
だが、このようにいくつかのデメリットも抱えているこのシステムも、高齢化社会に向けた法的システムを作り出すための一歩としては、とても大きなものだと私は考えている。ここまで触れてきた相続の事項に対する私の見解は、どれもケースバイケース(アメリカ法・判例法主義)的なものであり、日本のとる成文法主義とはやや異なるものである。だが、社会が成長し大きく動く中で生じてくる問題を、古い法一つを枝伸ばしすることにより支えることでいつまで続けられるのかと考えると、もうすぐそこまで終わりが来ているような気がしてならない。事実、ケースが増えているのにもかかわらず、既存の型に無理やり当てはめることで生まれた判例が、今回考えてきたものだけではないにせよ、妙な形をとることも十分にありうるのだ。現行法も毎年改正がなされているように完璧なものではない。よって、社会保障制度が見直されるのと同様に、相続法に関しても妙な部分が見直される機会がもうじき来るのではなかろうか。現に日本がアメリカ法的要素を取り入れつつあ るという噂も耳にするようになってきた。
このように、私は相続制度の柔軟な拡充を目指すべきだという立場から、相続制度の見直しにおいて相反する考え方の「子に財産を残したい親の気持ち」と「人生のスタートラインを揃えるべき社会的要請」の二点において、前者を強く受けるべきと考えている。確かに大きな遺産により人生の難易度が下がるということもあるだろう。しかし、日本という国は努力した者が報われる社会であり、中流階級の市民が大半を占めるため、後者を強く押す考え方はやはり間違いに思う。実際、義務教育制度や奨学金制度などを見れば分かるが、努力次第で己の力を伸ばす機会はいくらでもあるのである。以前見たことのある「大阪の橋下市長と私立高校に通う学生との談話」の中で、市長がほぼ同様のことを話して いたが、私はそれに賛成である。
若干「相続と第三者」の話題から「社会(保障)制度」の話題に話がそれかけたが、私が言いたいことは以上である。これからの日本社会の発展と、それに見合った法の発展があることを私は心より祈っている。
以上
< 目次 >
0.現相続制度に対する見解
1.相続とは何か
2.遺留分のあり方について
3.負担付遺贈と第三者
4.遺産分割の効力 〜 分割の遡及効と相続財産の見方 〜
5.相続放棄とは権利の全面的放棄
6.相続と日本社会 これからの展望・まとめ
< 参考・引用に用いた書籍、又はサイト >
東京大学出版会 内田
貴 著 「民法T」・「民法W」
授業ノート
六法全書
Wikipedia 項目 (遺留分・リバースモーゲッジ)
相続と遺言の手続き 〜 相続とは何か 〜
http://www.klaso.jp/souzokutohananika.htm
相続とは何か 神戸の行政書士 すがぬま法務事務所
http://www2.odn.ne.jp/~cjj30630/souzok.html
千日ブログ 〜 雑学とニュース 〜 「遺言より強い遺留分 遺産を相続させたくない子にも残さなくてはならないけど、どうすればいい?」
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-2381.html
遺言完全ガイド 負担付遺贈とは何ですか
http://www.ac-yuigon.jp/advice/advice05/answer39.html
相続税・贈与税・遺言の部屋 負担付遺贈とは?
http://123s.zei.ac/yuigon/hutanizou.html
遺産分割の効力・・・分割の遡及効について 宣言主義と移転主義
http://rikeishoshi.blog62.fc2.com/blog-entry-103.html
北海道大学 論説 遺産「共有」の法的構成 −共有論と合有論の対立をめぐって−
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/17064/1/11(2)_p28-72.pdf
不動産コラム 〜 リバースモーゲージの課題と展望 〜
http://nsk-network.co.jp/050220.htm
試験研究室
帝京大学法学部法律学科学生 松本彩香作成・相続法レポート試験『相続と登記』
http://amazonia.bakufu.org/2012-2matsumoto.htm
相続関連判例集
http://www2.odn.ne.jp/~cjj30630/hanreijitumu.html
益元佑輔
日本の相続の時の第三者の関わりは理不尽に感じるものが多いと自分は思う。特に自分が理不尽に感じるのが二つある。第一に遺留分についてだ。第二に遺産分割協議の時に現れる第三者についてだ。
遺留分の分け方について考えていきたい。最初に考え付く事例としてこのようなものがある。「夫Aには妻B、子供Cがいてさらに愛人Dがいるとする。AがDに遺産の4000万をすべて与えるという遺言を残す。」この場合遺留分によりDに二分の一の2000万、そしてB,Cに四分の一1000万ずつになる。遺留分は相続人が法律上取得することを保障されている相続財産の一定額のことをいい,被相続人が行う贈与・遺贈によっても侵害されえないものである。しかしこの時妻と子供と別居状態で夫の面倒を愛人Dが見ていたらどうなるだろう。この時の死に際のAの気持ちを汲み取ったり、その他の状況を加味したりしてもてもよいのではないかと思う。ただ数字を最初から決めていてはいけないと思う。逆にAがDにそそのかされて遺書を書いていたとしたらもっとBとCに遺産があってもよいと思う。
ではこのような場合はどうなのだろう。「夫Aには子供Bがいる。しかし子供Bとは親子仲が悪く疎遠な状況にある。Aは自分の死期を悟り第三者Cに負担保遺贈として死ぬまでの世話をしてもらう代わりに全財産を与えるという遺言を残してしてCはAの面倒を見てしっかりみてAは死んでいった」この時Bには遺留分減殺請求する権利があるわけだが、遺留分減殺請求では、まず遺贈から減殺し、不足があれば贈与を減殺する。また死因贈与と生前贈与があるが、判例によると、死因贈与は通常の生前贈与よりも遺贈に近い贈与であるとして、遺贈に次いで、先に減殺対象となる。しかし負担付遺贈ならばどうなるのだろうか。受遺者は遺贈の目的の価額を超えない限度内においてのみ、負担した義 務を履行する責任を負う。つまり、遺贈を受けた財産等の価額を超えてまで 負担を負う必要ない。また、遺贈の目的物の価額が遺留分減殺請求権 の行使などで減少した場合、その減少した分に応じて、義務を免れる。しかしこれはAが死んだ後に負担が発生するときである。生前の負担付遺贈でこのような事例がある。「Dは長男E老後の面倒を見てくれれば家を与えるという遺言を残し、EはDの面倒を見た。しかしDは死ぬ間際に二男Fに家を与えるという遺言を残して死んだ。この時家はE、Fどちらのものか」という問題だ。普通に考えれば遺言は後の物優先だが判例では負担付遺贈は遺言による贈与で遺言はいつでも撤回できるが負担付は限定される。Eが負担を遂行した以上このEへの遺贈は確定でEの勝ちとなっている。よってすでに遂行されていればよいのだろうか。CはすでにAの面倒を見ていて負担はもう遂行済みならば遺留分減殺請求もできないのだろうか。これは難しい問題であると思う。この場合遺留分減殺できるのであろうが自分としてはCは負担をしきっているので遺留分の減殺請求の割合を減らすべきなのではないかと思う。
次に遺産分割協議の時に現れる第三者との関わりについて考えていきたい。
事例としてこのようなものがあげられる。「父Aがいて子供が二人B、Cがいるとする。Cは第三者Dから借金をしていた。Aが死亡して遺産として家がB、Cに相続される。その家にDが借金回収のために登記をした。BとCの遺産分割協議により家はBのもとなることになった。この時家は誰のものになるのか。」という問題だ。この時重要になってくるのが第三者の現れるタイミングだが、Dが登記するのが遺産分割協議の前と後かで大きく変わってくる。判例では遺産分割協議前にDが登記をした場合もともとBが相続するはずだった法定相続分は当事者問題として処理されBのもの、Cが相続するはずだった法定相続分は対抗問題としてDのものとなる。遺産分割協議後にDが登記をした場合は対抗問題として処理されてDのものとなる。Dの登記が協議の後にされたものならばBが早く登記をしていなかったのが悪いということもできるが、協議前にDに登記され家の半分がDにもっていかれるのは理不尽なのではないだろうか。そもそも日本では移転主義をとっているがそこがおかしいのではないかと思う。そもそも民法909条で「遺産の分割は、相続の開始に時にさかのぼってその効力を生ずる。」とあることから遡及効があるにも関わらず「ただし、第三者の権利を害することはできない。」という但し書きによって実質上移転主義になっている。この但し書きが無ければ宣言主義をとっているといっても過言ではない。ならばなぜ実質上移転主義になってしまっているのだろうか。
遺産共有の性質を合有と解する立場においては、分割に遡及効(いわゆる宣言的効力)をみとめた規定は合有関係中に個々の共同相続人によってなされた個々の合有財産組成物の処分を無効とすることを意味することになる。この立場においては、もともと個々の相続財産上の持分の処分はありえないから、したがって、それによって第三者の既得権を害する可能性もないことになり、結局、909条但し書きの規定は無意味だということになる。しかし、解釈上、但し書きの規定を全く無視することはできないので、この但し書きは、民法に分割前の遺産処分を制限する規定がなくしかも相続財産を合有的に登記する方法もない立法的不備からくるところの相続財産を通常の共有財産と思って譲り受ける第三者保護−善意者保護の規定だというように解せられる。
これに対して、遺産共有の性質を通常の共有と解する共有説、「各共同相続人が個々の財産上に持分的共有権を有するとみる」の立場においては、遺産分割に遡及効をみとめることは、たとえば、相続財産の不動産、動産および債権について甲・乙・丙三人の共同相続人が共有者として権利を有してきた場合において、分割によって、甲が不動産、乙が動産、丙が債権と定まると、その結果、相続開始の時に遡って、甲が不動産、乙が動産、丙が債権をそれぞれ直接被相続人から相続したことになり、これらの財産について甲乙丙三人の共有状態は存在しなかったことになるのである。いいかえれば、分割の結果、ある財産については、はじめから権利を有していたけれども、他の財産についてはかつて 一度も権利を有したことがなかったということである。したがって、共有説においては、相続人の一人が、分割前に相続財産を処分したとすれば、分割の遡及効はその処分を無権利者の処分として無効とする結果になり、それを譲り受けた第三者の権利を害することになる。そこで、この弊害を防止するために、「第三者の権利を害するができない」という但し書きの規定が附加されたのだとし、共有説の立場からは、909条但し書きはきわめて当然の規定だということになる。
このことから日本では元々根っこの部分は移転主義で合有ではなく宣言主義で共有であるといえるだろう。確かに第三者保護というものは大切ではあるが、今回の問題では第三者保護よりは相続人を保護すべきであると思う。よって民法909条の但し書きは消してもよいと思う。しかしそんなこともできないことから相続放棄という手段もある。だが相続放棄ではCはもともと法定相続人でなかったことになってしまう。もし財産が家だけでなかった場合ほかの遺産も相続できなくなってしまうので、やはりこのような手段は使いたくはないだろう。
この二つ以外で相続と第三者との関係としてreverse mortgageがあると思う。これは自宅を担保にした年金制度の一種で、自宅を所有しているが現金収入が少ないという高齢者世帯が、住居を手放すことなく収入を確保するための手段である。自宅を担保にして銀行などの金融機関から借金をし、その借金を毎月の年金という形で受け取る。年月と共に借入残高が増えていき、残高に対する利息も未払いのまま残高に加算される。契約満期または死亡時のどちらか早い時期に一括返済しなければならない。現金で返済できない場合は、金融機関は抵当権を行使して担保物件を競売にかけて返済に充当する。契約者死亡の場合、返済義務は契約者の相続人が承継する。通常のモーゲッジ(=抵当・担保)ローンでは年月と共に借入残高が減っていくが、この制度では増えていくのでリバース(逆)モーゲッジと呼ばれる。しかしこの制度には問題点がたくさんある。まず契約者が死んだとき遺留分はどうなるのか。金融機関の側から見てのリスクが高すぎる。返済時に担保物件の売却価値が借入残高を下回る担保割れがおきることなどだ。この時、返済義務は契約者の相続人が承継することにはなっているが相続人が相続放棄をしたならば返済債務はなくなり金融機関は大きな痛手を負うことになる。このようなリスクがあることから普及も限定的になってしまい日本ではなかなか今後市場成長も期待されていない制度になっている。しかし自分としては今後この制度は役に立っていく素晴らしい制度ではないかと思っている。高齢化社会になっていくにつれて子供も減っていき、政府からまともに年金が支給されるかもわからない今の日本では魅力的な制度に感じる。確かに問題点を見ればリスクの高いモノではあるが、実用していくべきであると自分は思う。実際に企業だけでなく自治体が運営しているものもあり成功例もある。全部が全部こうすればいいというわけではないが実践例として社会福祉協議会でやって いるものがある。条件として「資産価値500万以上」「世帯全員65歳以上」「所有者は世帯主のみ。または世帯主と同居の親族(世帯主の妻)」「抵当権がついてないこと」「相続人の同意が取れること」などがあり審査に3ヶ月〜6ヶ月要するクリアした場合、資産価値の7割まで貸付されその中で毎月分割で支払われる。月額は世帯が生活できる金額を社会福祉協議会で割り出す。(年金もらっている場合は、年金額を差し引いた額)借り入れ総額が7割になった場合は生活保護に移行する。償還は、世帯員が死亡したとき。相続人が売却して貸付金を相殺。プラスがあれば相続人へ相続される。このようなことを参考にしていけばよいのではないだろうか。これからの日本にはとても必要となってくる制度なので今後とも注目していきたい。
参考文献
http://www.matsuoka.law.kyoto-u.ac.jp/Lecture2000/FamilyLaw/18Coownership.htm
(川島・民法(三)一六七頁参照)
http://www.keiyaku-dsjimsho.com/article/14949708.html
http://members2.jcom.home.ne.jp/souzoku-hp/page005.html
http://www1.ocn.ne.jp/~siesta/reversemortgage.html
石田裕樹
テーマ「相続と第三者」
(1)結論
遺産分割協議の前後によって結論を変えるのは正しいと考える。
(2)理由
・遺産分割の遡及効
遺産分割の効力は相続開始の時にさかのぼって生ずる(909本)。すなわち、各相続人は、遺産分割によって取得した財産を、相続開始の時に被相続人から直接承継したものとして取り扱われるのである。このような取扱いを宣言主義という。これに対して通常の共有物の分割には遡及効がなく、分割時から将来に向かって、共有者間で持分の移転が生じる。このような取扱いを移転主義という。また、移転主義は合有である、
・遡及効の制限
遺産分割における宣言主義的取扱いは現行法上必ずしも貫徹されておらず、次のような例外ないし制限が定められている。
1、遺産分割前の相続財産の処分と第三者保護規定
遺産分割は、第三者の権利を害することができない(909但)。遺産分割の遡及効を制限して取引の安全保護を図る趣旨である。ここにいう「第三者」は相続開始後、遺産分割前に、個々の相続財産に対する共同相続人の持分について、譲渡や担保権の設定を受けた者、あるいは差押えをした債権者などをいう。第三者として保護されるためには、相続財産であることについて善意か悪意かを問わないが、対抗要件(177、178、467等)を備えた者であることを要する(通説)。
2、遺産分割後の相続財産の処分
甲土地の所有者Aが死亡し、BCが共同相続したところ、Bが甲土地を単独相続する遺産分割協議が成立した。ところが、Bが登記を備える前に、Cが甲土地をDに譲渡してしまった(登記済み)。この場合、Dは甲土地の所有権を取得することができるか。
遺産分割の効力は相続開始にさかのぼるから(909本)、相続開始時からBは単独所有者であったことになる。そこで、遺産分割により所有権を取得した者は、かかる所有権の取得を第三者に対抗するためには登記が必要なのかが問題となる。
まず、遺産分割前のBの持分部分については、Bは登記なくして所有権を主張しうるが、遺産分割前にCの持分であった部分についてはどうだろうか。たしかに、遺産分割は遡及効を有する(909本)から、Dは無権利者Cからの譲受人ということになり、Bは登記なくして対抗できるとも思える。しかし、遺産は相続開始によりいったん相続人の共有となり(898)、共有相続人間の協議を経て最終的なその権利の帰属が決定される(分割される)。これは、第三者に対する関係でみれば、相続人が相続よりいったん取得した権利につき分割時に新たな変更が生ずるのと実質上異ならない。よって、不動産に対する相続人の共有持分の遺産分割による得喪変更については177条の適用があり、遺産分割により相続分と異なる権利を取得した相続人は、その旨の登記を経なければ、分割後に当該不動産につき権利を取得した第三者に対し、取得した持分を対抗できないと解する。また相続放棄と異なり、最終的な権利関係が確定するから権利者に登記を要求しても酷ではない。したがって、本問のBは登記を備えていない以上、甲土地が遺産分割により自己の単独所有となったことをDに対抗できない。対抗問題として処理するという考えである。
3、相続放棄をしたときの財産の処分
まず、相続放棄とは、法定相続人となった場合に、被相続人の残した財産が、プラスの財産が多くても相続せず、マイナスの財産が多くても債務の負担をしないことで、相続放棄するとその法定相続人は初めから相続人でなかったことになる。被相続人(親)が莫大な借金を残して亡くなった場合に、その法定相続人(配偶者や子供など)にその借金を負担させてしまえば、残された家族の生活が成り立たなくなることもあるので、この相続放棄という手続き方法が存在するのである。もちろん被相続人(親)が残した債務が多くても、単純承認をする、または限定承認をして債務を返済していくことも可能である。相続放棄する場合は、必ず、「自己に相続が開始したことを知ったときから3ヶ月以内」に、家庭裁判所に申述しなければ効力はない。また、遺留分は相続開始前の放棄も可能となっている。
そして、Cが相続放棄をしたということにより、そもそもこのケースにおいては物権変動ではなくなるのである。ゆえに、Cの持分は何もなく、無権利者となる。それゆえ、Cから譲渡してもらったDも無権利者に該当し、登記をしたとしても、真の権利者Bには対抗することができないのである。Bは登記をしなくても甲土地の全部について、所有権を主張できる。
☆時効取得と登記について
時効取得と登記についても、時効完成前と完成後では結論が異なる。
《時効完成前の第三者》
事例1
Aが土地を所有している。時効期間が経過し、Bがこの土地を時効により取得した。
まず、このとき、BはAに対して当該土地の登記なくして、土地の所有権を主張できる。AとBは当事者の関係にあるからである。当事者間では、登記は不要であろう。では時効完成前に、AからCに売買により所有権が移転していたらどうだろうか。この場合、時効が完成した後に、BはCに対して登記なくして所有権を 主張できるだろうか。
結論から先に言うと、Bは登記なくしてCに対して所有権を主張できる。時効完成前には、Bとしては所有権を有していないから、登記を具備することは不可能である。「所有権登記」というものは、所有権を取得した結果、具備することができるものである。ゆえに、時効完成前は、所有権を取得していないBが登記を具備することは、できない。時効完成後に、Bは所有権を取得するので、Cに対して登記を移転することを請求できるのである。つまりBとCは、当事者の関係になるわけである。事例1のような場合には、C はAの立場を引き継ぐことになるわけだ。よって、Bは登記なくしてCに土地の所有権を主張できることになる。
《時効完成後の第三者》
事例2
Aが土地を所有している。時効期間が経過し、Bがこの土地を時効により取得した。Bの時効完成後に、CがAから売買により所有権を取得した。
この場合はどうだろうか。この場合も、Bは登記なくして、Cに所有権を主張できるのだろうか。
結論を言うと、この場合は、Bは登記を具備しなければ、Cに対して所有権を主張できない。なぜなら、時効の完成により、AからBへ所有権が移転する。そして、売買により、AからCへ所有権が移転する。つまり、「AからBへ」、「AからCへ」と、二重譲渡がなされたことになるわけです。この場合Bとしては、時効が完成した時点で、登記を具備できるチャンスがあるわけである。にもかかわらず、Bは登記を具備しなかったわけである。ゆええに、登記を具備していないことによって、保護されなかったとしても、仕方がないのである。よって、BとCとは対抗関係にたつので、対抗問題として処理し、登記を有する方の勝ちとなる。
現在の日本は、先進諸国の中でも急速な高齢化が進み、1000兆円規模に膨れ上がった国内の財政赤字という公的債務がもたらす世代間不公平の問題は、生産年齢層に負担を転嫁せざるを得ない高齢者の将来不安をいやでも増幅させる。将来世代の生産年齢に該当する人口は、これから急激に減少、特に高齢化が進むなか、年金や医療、福祉の給付負担の世代間不均衡が深刻になる。また高齢者の再就職は容易でない。反面、世代間の65歳以上の持ち家率88.9%を超えている。本格的な高齢化社会が到来するいま、老人であるための漠然とした将来不安などのため過剰貯蓄が消費へ流動化しないでいる。日本経済が低迷から抜け出すためには高齢者の消費を拡大する必要に迫られているといえる。UFJ総合研究所による試算では、リバースモーゲージの潜在的市場規模は、2000年時点で約178兆円となっており、同制度の整備、普及は日本型高齢化社会の到来を迎え、急務となっている。ストックはあるが、フローがない高齢者の問題を解決する方法として次にあげられるものがある。
「負担付遺贈」、「リバースモーゲージ」
・reverse mortgage(リバースモーゲージ)について
リバースモーゲージとは、高齢者が居住する住宅や土地などの不動産を担保として、一括または年金の形で定期的に融資を受け取り、受けた融資は、利用者の死亡、転居、相続などによって契約が終了した時に担保不動産を処分することで元利一括返済する制度である。住宅処分の形態で当該不動産を担保とする「担保型」と売買で所有権移転する「権利移転型」に分類される。米国型は、HECMなど「担保型」で、フランスはビアジエに代表される「権利移転型」となっており、日本は、米国型と同様に「担保型」になっている。この制度は、利用する高齢者にとってメリットが多い。自宅など不動産(ストック)は持っていても、現金収入(フロー)が少なく、老人であるための将来不安や病気、不測の事態に対する怯えのため蓄えを崩せない高齢者が、自分が保有している不動産を担保にして、年金のような形で毎月の生活資金を受け、住み慣れた自宅を手放さずに住みながら、老後の生活資金を受け取れる。さらに融資は本人が死亡した時点で担保となっていた自宅を売却して清算するため、生前に自宅を手放すような抵抗感も感じなくてすむ点である。
・負担付遺贈について
事例
登場人物は、太郎さん(B)と太郎さんの父(A)・弟(C)である。Bは、Aから「毎月の面倒をみてくれれば、自分の死後に家を与える。」という遺言を受けた。そしてBは、Aの生活費を負担していたが、Aは死ぬ直前「家はCに与える」という遺言を書いてしまった。この場合、家はBとC、どちらのものになるだろうか。これを結局裁判で争う事になってしまったのである。
裁判での「C」の主張
AがBにおこなった負担付遺贈は、その後にAが自分に書いた『遺贈』するという遺言書により取り消されたものとみなされる。だから、財産の一部は自分の物だ。
裁判での「B」の主張
AがBに書いた遺言の内容に従い、負担義務をきちんと履行したのであるから、全財産は自分の物である。つまり『遺贈』する財産はもうないので遺言書は無効!
裁判の結果
・結論
「B」の主張の勝ち。
・理由
『負担付遺贈』の負担を全部又はほとんど全部と言ってもいいくらい履行がされている場合には、『負担付遺贈』が取り消されても仕方ないと思えるほどの特段の事情がない限り遺言により取り消されたものとみなされる事はない。今回そのような特段の事情が見当たらない。
としたのである。
以上のことから、子に財産を残したいという親の気持ちを考慮すると、負担付遺贈で与えるのが一番の方法であると考える。負担を遂行させれば、ほぼ間違いなくその遺贈を確定させることができる。さらに自分は補助を受けながら残りの人生を生きられるという一石二鳥の方法である。今後はさらに知識を深め、リーガルマインドについて理解に努めたい。
(引用・参考文献)
アイビー行政書士事務所‐http://www.ivy-g.com/melmaga/melma20121114.html
時効完成と第三者‐http://mezamin.himegimi.jp/jikoukansei.html
C‐BOOK 民法X(親族・相続)第2版 東京リーガルマインド編著
最終閲覧日2014年1月21日