猪股俊介
『 少子化と法 』
Chapter.0 〜 現行法と少子化問題の関連性に対する私的見解 〜
時代の変化とともに「結婚」というものに対する考え方は変わってきているものの、婚姻とそれに伴う事柄への法的見解はおよそ理にかなっている。よって、法が少子化問題に与える直接的影響は少ないと思われる。
Chapter.1 〜 婚姻のあり方・離婚 〜
社会現象としての婚姻は、もちろん民法ができる以前から存在しており、名称としては婚姻よりも「結婚」という表現を用いることが多い。また、婚姻そのものをどう捉えるかということも様々であり、離婚を含めて各国の文化・宗教等の要素が色濃く反映されている。一見すると結婚式や披露宴といった慣習の儀式が多く絡んでいるため、婚姻と法律の関係性と言われてもピンとこないことも多いが、それは我が国が法律婚主義を採用しているところの影響が大きい。婚姻という契約プロセスを経て生じた効力(権利義務関係)や財産の扱いについて、法律の中で事細かに規定が置かれているのだ。では、婚姻とは「婚姻届」という書類を通じてする法律婚主義が全てなのだろうか。それは外国の婚姻のあり方に目を向ければ一目瞭然であり、この問に対する答えは「否」である。外国での婚姻において重要なのは先に挙げた「結婚式」という慣習儀式であり、法的な手続きではない。まして、アメリカを例に挙げるならば、アメリカは出生地主義なので戸籍制度もない。このような婚姻のあり方を法律婚主義に対して事実婚主義という。また、先に述べた通り日本では法律婚主義が採用されているのだが、事実婚的なあり方が存在しないのかというとそうでもない。基本的に法的には認められてこそいないものの、数としてはそれなりにあり、事実婚ではなく内縁と呼ばれている。
次に離婚についてである。日本での婚姻の解消原因としてあげられるのが「夫婦の一方の死亡」・「夫婦の一方が失踪宣言を受けた場合 (31条→法律上の死亡)」・「離婚」の3つである。とはいえ、実際上で見れば事実婚(内縁は事実婚”状態”であって事実婚そのものではない)であっても、婚姻の状態が崩れることを離婚と定義するならば解消原因もほぼ同様であろう。離婚に対する考え方は、文化の影響というのもあるが日本と欧米では全くと言っていいほど違い、婚姻に対する考え方の大きな違いでもあるので、その歴史は是非取り上げておきたい。まず始めに、欧米では古来(古代ローマ時代)離婚が認められていた。しかし、その後のキリスト教の影響により、ヨーロッパでは離婚を認めないという伝統が長く続くことになる。「神が結び合わせたものを、人が離してはいけない(マタイ福音書19章より)」という思想である。つまり婚姻とは人と神との間に交わされた契約という認識なのである。この後、英国国教会の離婚法を含め1970年代前後から離婚に対する考え方がやや変わり、裁判離婚ではあるが認める方針をとるようになる。しかし、元々が認めずにやってきたということもあり、西欧には未だ離婚に対する制限的な発想が残っているという点には注意したい。それに対し、日本の離婚法の特色は、古来離婚に対する宗教的な拘束がなかったというところにある。婚姻の契約に対する考え方も人と人の間に交わされたものという認識であり、比較的取り消すという行為に抵抗があるということもなかったのである。よって、西欧に比べ離婚制度の導入もかなり早く、その形式も協議離婚が中心という簡易なものであった。歴史的な例としては、大宝律令(701年)の七去や東慶寺の千姫にまつわる話(江戸時代)、三行半の離縁状などが有名である。
Chapter.2 〜内縁・事実婚
〜
チャプター1をふまえて 「では、夫婦とはなにか?」 という問いを投げかけられると、それは 「好き合った者同士が、互いに寄り添って暮らす様」
以外にほかならない。だが、内縁の実情が多いにもかかわらず、日本は法律婚の形式を頑として崩さない。あり方を変える必要性はないのだろうか。私はこの問の答えとして 「変える必要性はない」
と考えており、その理由は以下のとおりである。
まず一つ目に 「婚姻に対する考え方の変化とその対応」 についてである。ここでいう婚姻に対する考え方とは、愛情の形の多様化に伴う
「同性婚」 について主に取り扱う。海外では既に認められているケースも多い同性婚だが、これを認めないということは果たして個人に認められる権利に反するのか。現に2014年6月に青森県の女性カップルが青森市役所に婚姻届を提出したところ、同市は憲法を根拠に受理しなかったという例があった。私はこの事例に対し当然のことだとの見解を示すが、なにも私が同性愛者に対して厳しく当たっているかということではない。この事例に登場する憲法とは、おそらく第24条第1項の 「両性の合意」 というところである。民法上で 「親族」 というように親がいれば子もおり、それについて規定しているのが親族・相続法だ。なにも、結婚した者同士の間には子がいなければならないという規定はないが、もし子に関する規定を除いて見てみると、ほぼ当事者間の問題として事実婚関係でも処理できる事柄のほうが多い。つまりは、敢えて法的に認めるということで得られるメリットというのがない (ひどく言えば「自己満足」でしかない)。誰も(特定の団体等は除く)彼らの愛情を妨げる者はいないし、ともに住んだり性行為に及ぶことを批難しようとは思わない。同性愛者の結婚式が法的に禁止されているわけでもない。これは愛の形の変容への国民理解の問題であり、わざわざ法が関与する問題ではないのである。まして、法とは何かという問題にまで遡ると、マイノリティよりはマジョリティを優先して作られているものだというのは当たり前である。また、法である以上意味を持たせなければならない。そう考えると、マイノリティへ向けた特別法の作成には特段の事情が必要なのである。よって、無理に外国に合わせる必要もなければ、遅れているという考え方すらどこかおかしいように私は感じる。ところで、この件の考え方を使うと
「夫婦別姓」 の問題も簡単に考えることができる。無論こちらの問題では同性婚のみならず異性婚も絡んでくるのだが、子を成さない場合にのみ限り認めればよいのだ。「子を成さない場合にのみ限る」
としたのは、言わずもがな社会的な混乱を避ける必要性からである。(これは後に述べる子に関する章でも関係する)
二つ目に、法律婚の関係では内縁の財産分与が認められることはないのだが、法律婚という形を取らない以上は財産分与も比較的自由であるという裏道があるのではないだろうか。相続等においても遺言がその代わりの役割をすることで機能させることができるだろう。事実婚的なあり方も上で述べた通り、夫婦の形の変容への国民理解の問題なのである。だだし、この項で述べた事実婚・内縁の関係とは不誠実でないことを前提とするべきだ。既に結婚している者が他の者と内縁関係を結ぶなどもっての外であり、そのような場合に保護されるべきは実婚の家族である。基本実婚の方が、財産的面では内縁よりも有利な部分は多い。しかし、法によって婚姻ということに意味を持たせている以上、どんなに生活を支えていた度合いが内縁の家族の方が上の場合でさえ、貫くべき正義はそこに存在するものだと私は思う(それほど神経質にならなければならないものなのである)。よって、そのような場合は内縁家族と実婚家族との間で、財産に関する協議を持って決めるのが妥当であろう。また、内助の功がある内縁者を置き去りに他者と結婚しようとした相手方がいた場合(つまりは両者結婚以前)は、内縁の妻に優先を置く特例があるべきである。
最後に少子化問題との向きあいである。同性愛が大多数を占めるという事態を現状から想像するというのはなかなかに難しい。しかし、子供ができないカップルの増加というのは少子化問題へと直結しないのだろうか。私の中ではその結論として、両性愛者(バイ)でもない限りは単に独身であり、子供が生まれる可能性というのはほぼないので、同性婚を認めるか否かは直接的な関係ではないという考えに至った。とはいえ、同性愛者は養子をとれというのもおかしな話であり、そこで事実上国内の子供の数が増えたということにはならない。だが、最近は科学技術・医療技術の発展により、もしかすると同性愛者間の実子もありえるのではないかという話題も耳にする。それについては後の章の中で触れていきたいと思う。
Chapter.3 〜 子 〜
子のあり方というのは現在実に多様である。実子のみにあらず認知による子、養子による子などがいる。その中で、実は血縁ではないが実子となりうる場合があるので先に取り上げておきたい。嫡出推定の例である。条文(772条)より「1.妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」・「2.婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する」とある。この規程によると、2項を適用した際に結婚相手の子かも分からない子が生まれる可能性もあるのだ。この件については最近最高裁にて争われた例があり、授業内でも取り扱われたので取り上げてみる。
妻Bは夫Aとの婚姻期間中に元彼氏Cとの間に子Dを作り出産。その二年後にBはAと離婚してCと結婚し、BがDを代理してAD間に親子関係の不存在確認を求めたという事例である。この時Dの血縁関係はDNA鑑定により明白だったのだが、それでも私は血縁説ではなく最高裁同様の外形説を支持する。その理由は以下のとおりだ。本訴えが認められた場合、親子関係の不明確さが社会的に与える混乱というのも然ることながら、なにより子の地位が血縁説をとった場合不明確になる可能性が大きい。今回の場合、妻Bは元彼氏Cとの間の子を産んだ後、Cと再婚するに至ったから事は安定して終わった。しかし、再婚の相手が無関係のEだった場合を仮定したらどうだろうか。更にはEの後にもF・G・Iと更に別の男性が続いた場合はどうだろうか。そう、結局真の血縁であるCとの再婚が果たされない以上、子供の地位並びに真の父親が確定しない浮遊状態が続くことになるのである。そういう時、今回のように外形説を適用したならば、そのような曖昧な状態を確実に避けることができる。よって私は外形説を支持するのだ。
だが、私は自らが支持する説に少しの疑問を投げかけなければならない。離婚に伴い養育費・扶養請求権・生活保持義務等が関わってしまった場合の問題である。離婚後に妻が子供の親権をとった場合、夫の側は子のために養育費を払わなくてはならないし、扶養請求を受けたならば生活保持義務から対応しなくてはならない (しかし、事情変更の原則により、やむを得ない事情が絡んだならば養育費の支払額を減らせる可能性はある)。今回の場合、もしAが父親であると認められた場合、Aに扶養義務は生じるのだろうか。これに関しては、法律の変更ないしは適切に処置した判例が欲しいところだと私が思う点である。妻が再婚したところで、その子が自分の子である以上は養育費を支払う義務は生じてくる。しかし、今回の件にこれを適用しては、まさに赤の他人の子のために養育費を支払い続けるAの気持ちを考えると、現行法のあり方に疑問を投げかけざるをえないのである。私個人としては本件について、子や親の地位のたらい回しは認めてはならないが、養育の義務だけは再婚先に投げてもいいのではないかと考える。そうすると、本来血縁者にたどり着くまでは誰もが皆平等に養育の義務を負うことになり (とは言っても、本件のような事例が連なるケースというのも極めて稀だとは思われるが)、養育費問題の中で生まれた謎の不平等感を解消できる気がするからだ。なんにせよ、具体的解決案があるに越したことはないので早々に作るべきであろう。
Chapter.4 〜 出産・生命の誕生と死 〜
二章末にて述べたように、世界の科学技術・医療技術の進歩とその速度には目を見張るものがある。そんな中、先の章にて子と嫡出推定について取り扱ったが、出産のあり方というのも時代とともに大きく変わってきている。その中のいくつかを例に挙げてみよう。代理母・借り腹というと代理出産の典型である。文字通り誰かの精子と誰かの卵子から成る受精卵を、本人たちに変わって別の人が赤ちゃんを産むまで育てるというものであり、アメリカなどでは既にビジネス化している。私自身、この代理出産に対する考え方は将来性から見ると肯定的であるが、やはり出産に伴う母体のリスク等もあるので、男性の身としては両手をあげての無責任な賛成はできない。将来性というのは、アメリカで同性愛カップルの子が生まれたという例を受けてのものと、生物学研究と科学の発展の可能性を考慮してのものである。前者の同性愛カップルの実子というのは、男性の同性愛カップルに卵子を提供した女性との間に産まれた子は、確かに同性愛カップルの実子たりうるという例である。これは言わばAIHやAIDといった人工授精・体外受精と代理母の組み合わせのようなものである。しかし、この例では完全な男性同士の間の子ではない。そこで後者の今後の科学の発展の可能性の話である。IPS細胞というものが発見されてからしばらく経つが、IPS細胞とは 「細胞の初期化」
を意味する以上、男性から女性の細胞が(逆も然り)作り出されるということは現状ありえない。しかし、地球上の生物には雌雄の役割を一個体でこなすものや、ライフサイクル上で性転換の起こる生物というものが多数発見されている。そういった生物の研究が進む中で、もしかしたら男性(女性)の細胞から逆の性別の細胞が作り出せるようになるという将来的可能性を提示したい。夢物語かもしれないが、もしこれが実現したならば、産まれてきた子供は紛れもなく同性愛カップルの本当の意味での実子と呼べる日が来るかもしれないのだ。とはいえ、まずは代理母制度が国内で可能になることが先決である (ベビーM事件・高田延彦事件の両方とも、外国絡みの判例であるから)。
こういった生命の誕生に関する技術とは反対に、生命の死を促してしまう技術も存在する。その例の一つが人工妊娠中絶である。国内におけるその件数は年30万件とも言われ、この人数が正常な出生であったならば少子化問題を解決するほどのものだという。とはいえ、この中の大多数が養育能力の無さから人工妊娠中絶を選んでいるのだと思うと、出生に関して考えるよりも先に、人としての責任能力の無さが追求すべき問題なのかもしれないと私は思う。
Chapter.5 〜 少子化と法、少子化と社会(まとめ) 〜
ここまで述べてきたように、子供の権利の保証において法はできるだけのことをやってきているように私は感じている。もちろん、すべてをカバーしきれているかと問われると決してそうではないのだが、現行法と少子化の間の関連性は薄いのではないだろうかと思う。こういった結論に行き着いた以上
「では、なにが代わりに少子化と密接に関わっているのか」 という疑問が浮かんでくる。その答えとして、私は 「現代社会のありかた」 に問題があるのではないかと考える。同時に、「日本は本当に少子化なのか」
という問も投げかけたい。まずは前者より話すと、科学技術はこの戦後70年の間に過去例を見ない速さで発展してきた。そして、その例を見ない速さで便利になっていった世の中は、国民の生き方や仕事に対する考え方に大きな影響を与えてきたように思う。一昔前までは
「男子、厨房に入るべからず」 などという言葉があったように、男性と女性の間にはそれぞれの役割があった。家父長制が良いかと問われれば、現在女性の人権が幅広く認められている中では良い物ではないのだろう。しかし、自分のできないことを相手に託すという信頼関係を築けていたという点では、昔の方が結婚の必要性や人間関係の観点から学べるものが非常に多い。家制度や男女の役割のあり方の変化と、一人でなにもかもができるほど便利になったことのデメリットが出ている時代、それが今なのではないだろうか。同時にコンピューターの発展や携帯電話など、家にいながらも仕事に打ち込める便利グッズが仕事一辺倒な日本人を作り出しているような気もしている。次に、日本は本当に少子化なのかという問題である。日本の人口
の転換期として人工増の大きな波は過去3度あったが、江戸時代からの第3波が今の日本の人口を構成する元になっている。しかし、人口は増え続けることのみが良い事かと考えると、私はそうではないのではないかと思うのだ。何が言いたいのかというと、日本という器のキャパシティを超えていた部分がなくなり、ただ正常に戻るだけなのではないかということである。当然企業等から見れば人手が多いに越したことはない。だが実情を見ればどうだろうか。できる限りのコストカットと称してなされる社員削減と一人あたりの給料の低さ、働きたくても働けない人が溢れている実情、人数が多いからこそ掛かりすぎる社会福祉料、仕舞いには最低賃金が生活保護を下回る県が出てくるという始末である。このよ
うな現状や他国(中国・インド等)を見ても、まだ人口が必要だというのだろうか。グローバル化という聞こえのいい言葉に釣られ、海外から移民を受け入れてまで維持する必要のある人口だろうか(移民に関しては敢えてここでは触れず)。私はそこに 「NO」 の文字を突きつけたい。賃金に関しては企業が応じるべき分野であるが、今は多少人口が減ったところで大きな影響がないように思う。なにより、日本人を多く雇い、相応の給料を払って初めて安定した家庭が多く生まれるのである。そして、家庭が安定して初めて子供を作ろうという気持ちも湧いてくるものなのだろう。そうしている内に、もしかしたら第4の人口増の波が来るのかもしれない。全ては流れなのである。現在の若者は物事を低コストに抑える傾向があるというが、個々に生活が安定しているという気持ちが生まれない以上、結婚に踏み切るのも難しいだろう。そういった点から現在の
「少子化問題」 に疑問を呈し、本レポートの締めとする。
以上
< 目次 >
0.現行法と少子化問題の関連性に対する私的見解
1.婚姻のあり方・離婚
2.内縁・事実婚
3.子
4.出産・生命の誕生と死
5.少子化と法、少子化と社会(まとめ)
<参考・引用に用いた書籍、又はサイト >
東京大学出版会 内田
貴 著 「民法W」
授業ノート
六法全書
元妻が再婚しても養育費の支払いは必要?
http://allabout.co.jp/gm/gc/63070/
DNA鑑定で血縁なし、戸籍上の父子取り消せず 最高裁判決 日本経済新聞
http://mw.nikkei.com/tb/#!/article/DGXNASDG17H0M_X10C14A7000000/
「代理母」で実子をもうける同性愛カップル、米で急増中
http://www.afpbb.com/articles/-/2387881?pid=
AIHとAIDの違い
http://jyusei.diet-shityau.com/tigai.html
人工授精と体外受精はどう違うのでしょうか?
http://www.ladys-home.ne.jp/faqsite/ans-files/FAQ-K/FAQ-K5.html
家父長制 wiki
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%88%B6%E9%95%B7%E5%88%B6
「代理母」と「借り腹」とは?
http://plaza.rakuten.co.jp/konchan333/diary/200907050002/
青森の女性カップルが婚姻届、市は憲法根拠に不受理
http://girlschannel.net/topics/149010/
改憲か、解釈改憲か、それとも護憲か…「同性婚と憲法」がついに現実課題に。大屋雄裕氏の論考を再度紹介(with木村草太)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/touch/20140607/p2
Liu Qian
科目: 親族法(水・四限)
氏名: LIU QIAN
学籍番号:11j103020
所属: 法学部 法律学科4年
今年で親族法の授業を受講しており、親族・相続の知識はいろいろ学びをしました。先生の授業で特別な講義だと思います。昨年度、先生の社会保障法を履修していた、その授業のレポート書くときに、自分自身から社会について新たな認識がありました。本当にありがとうございました。
今回の親族法のレポートは社会保障法と比べると内容がもっと難しいので、特に自分の意見を考えるのが大変時間がかかりました。でも、その中で、自分が親族法の知識について詳しく検討するので、知識以外のものまでも与えていたと感じました。
はじめに
私の観点は事実婚主義を賛成する。なぜかというと、これから自分の考えを検討していく。
日本は少子化の問題が将来を左右する深刻な社会問題である。その原因を考えると、いわば同棲と離婚、内縁による同棲率・離婚率・婚外子率と出生率との関係が低出生率と関連していたような要素であると考えている。すなわち、離婚率の高い国とか女性の雇用率が高い、同棲の多い国とか、あるいは、婚外子率の高い国というのが、一番出生率が低いと言われていたが、しかし、今になると、むしろその逆になっている。とはいえ、一番低い出生率、人口動態学者が最低出生率国と定義された国々と超少子化の進んでいる国々と比べてまさしく伝統的な家族という観念が強い国々であること判明した。すなわち、離婚率はそれほど高くない国であるし、結婚という制度がまだ重視されているような国であるし、また、子どもたちは通常、結婚という制度の中で生まれている。そして、ということで、それで は、家族を重視する、家族中心の国や福祉の国々がこういうことなのか。すなわち、世代間の連帯が強いような国において出生率が低い。そして、こういった国々において、まだ結婚というのは比較的安定した制度である。なのに、出生率が一番低いのはなぜか。そして、逆にそれほど家族を重視していないかもしれない国々、すなわち、世代間の役割とか義務がそれほど強くない、あるいは、結婚がそれほど安定していないような国において出生率がより高いのでしょうか。
1.少子化の現状と要因分析
少子化問題は長期的に見れば減少傾向が続けている。また現在のデータより、一人の女性が一生の間に生む平均子ども数は急激に低下している。このように、合計特殊出生率は現在の人口を将来においても維持するのに必要な水準より大きく下回っており、この傾向が続けば、日本国の人口は減少に転じていくこととなる。
また、年齢別未婚率を見ると、昭和50年から平成7年に見れば、女性の25歳から29歳までの未婚率は2.3倍に上昇している。男性の30歳から34歳までの未婚率は6倍に上昇している。生涯未婚率に見ると、常にも上昇しているようである。そして、夫婦の平均初婚年齢を見ると、昭和50年には夫25.9歳妻23歳であったのが、平成7年には夫28.5歳、妻26.4歳と晩婚化が進行している。なお、婚外出生割合については、それは未婚化の進行が少子化に直接結びつく構造となっていると言える。このような未婚化・晩婚化の背景には、社会諸問題を起きられる、たとえば、子育ての負担感および子育てと仕事との両立の困難さ、あるいは個人の結婚観、価値観の変化と親への依存期間 の長期化など挙げられる。
また、日本の家族研究では「家族の多様性]をめぐる議論が活発化し、多様になりつつ家族関係による分析の対象とする、今は、「婚姻届を出さない事実上の夫婦関係」を持つ「事実婚」の家庭が増加している。事実婚は、同棲や内縁とは異なる概念として、1980年代後半から多用されるようになった。法律婚主義と事実婚主義が二者択一的に婚姻成立の方式と考えられることは、日本社会の特殊性を示すものである。事実婚という表現は確かに婚姻の本質からいって矛盾であると考えているが、婚姻の本質(法律婚主義)の簡単言えばいわばテープル関係、ベッド関係と婚姻届三つのことに分けられている。それで、民法上に見て見ると、民法750条による、夫婦は婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する夫婦別姓を削除する事ができる。婚姻の効力による夫婦別姓(民法750条)、同居協力(民法752条)、成年擬制(民法753条)、夫婦取消権(民法754条)と相続権(民法890条、900条)に加えて法定する。
しかし、同棲や内縁は、法律婚ができないやむを得ない事情を想像させる言葉であり、事実婚は自らの主義主張にしたがって意図的に届けを出さない人々の関係や生活を表す言葉である。つまり、事実婚は法律婚にかわる一つの生き方として選択されているのだけである。したがって、婚姻は言うまでもなく単なる事実ではない。それは社会制度であり、制度としての婚姻は社会価値判断によって基礎づけられている。その意味においては、事実婚主義という言葉がすでに排斥されなければならないわけである。
2.離婚
現在、事実婚の枠組が英米法系、ラテン法系、ゲルマロ法系まだ日本法系に存在であることが判明した。その中で、日本法について事実婚の制度はまた含まれていない状態であり。しかし、欧米の法系にはキリスト教文化圏を中心として、神と人との契約と信仰しているから、法律より神様との契約は信頼されている。それで、離婚のこと許されないという離婚不可な状態であり、現在でも裁判所の関与しないまま、その結果は、事実婚制度の発展を進行する、今までの出生率も高い。日本法社会で見れば、人と人との間に契約を法律に信頼している、その契約関係による法律で公平、公正を求めている。そして、離婚に対しては裁判所が一切関与しないのであるが、離婚は可能になり、法律で協議離婚方法に解 決するのは9割である。したがって、事実婚の制度まだ未発達のため、出生率は低い。その中に、離婚による民法763条によって夫婦はその協議で離婚をすることができる。離婚とは三つの要件が必要であり、一つ目は協議上の離婚による復氏など(民法767条)二つ目は離婚後の子の監護権費用に関する事項の親権定めなど、三つ目は財産分与のことである。協議上の離婚をした者一方は、相手方に対して財産の分与を請求することができる。財産分与とは、夫婦が婚姻中に有していた実質上共同の財産を分配し、且つ、離婚後における一方の当事者の生計を図ることを目的とする制度のことである。
3.親子
近代における親子関係は、親が未成熟な子を親が保育・監護することを中心に成立する。それを法的に保障するための制度が親子法である。単なる医学的な又は生物学的なつながりという意味の親子も関係だけでは解決できない法的な問題が生じてくるのである。民法は子を嫡出子と非嫡出子に分けているが、婚姻関係にない者の間に生まれた子は父との関係では認知によってはじめて法的な父子関係が発生し、非嫡出子になる。認知されるまでは法的には何の親子関係もないのである。
民法772条により嫡出推定を受ける子につき夫がその嫡出であることを否認するためには、専ら嫡出否認の訴えによるべきものとし、嫡出推定というのは(民法772条1項)妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定される。さらに、婚姻の成立の日から200日を経過した後または婚姻の解消もしくは取り消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定される。(民法772条2項)。この二段の推定によって、妻の産んだ子は嫡出性を付与され、夫の嫡出子とされる。
嫡出推定制度は、夫婦が同居し、正常な婚姻生活を営んでおり、妻の貞節は期待しうるところに成立するものである。したがって、かかる前提の成立しない場合にはすなわち嫡出性否認が問題となり、推定の及ぶ範囲が問題となる。
なお、内縁関係が先行する場合には、婚姻成立後200日以内に生まれた子であっても当然に嫡出子になるとしている。これによれば、婚姻届出前に内縁が先行していて内縁の妻が懐胎し、婚姻届出後出生したことが要件となっている。しかし、戸籍吏は、実質審査権をもたないので、内縁が先行していたかどうかは判定しえない。そこで、戸籍実務の取扱いでは、内縁が先行しているかどうかにかかわらず、婚姻届出生後200日以内に出生した子ども、すべて嫡出子として出生届けを受け付けることべきだと考える。
今の日本現状は、少子化による日本人の数は著しく減ってきている。そうした現状で不妊症に悩む人の数は多くて、晩婚化の影響と合わせて少子化に加速している。不妊症に悩む夫婦は、人工授精や体外受精などにより生殖技術子どもを持つようになってきたが、しかし、この方法の場合、代理母とうまれてくる子どもの間に血縁関係ができてしまい、代理出産にはこのように様々な方法があり、方法によってはうまれてくる子どもの血縁関係がとても複雑になってしまうので、少子化が進む日本が、一方的に子ども欲しくてもなかなか授からない夫婦もたくさんいる。しかし、代理母など生殖医療の発達によって、父とは誰か、母とは誰かという根源的な疑問が生じているが、また、情勢の体を出産の道具にしている、といった点について道具というのは疑問がある。日本では、法的な検討がされないままに現実が進行している、しかし、望まない妊娠をしない、好きなときに好きな性を持つ子どもを好きなだけ産むーー生殖のコントロールは、人類の夢だったかもしれない。その夢は今や医療技術の飛躍的な発展によって実現されたが、その一方で、論 理的・社会的・法的に多くの問題を引き起こしている。日本では、法的な対応がまったくされないままに、生殖技術と個人の欲望が先行しているが、このままでよいはずではない。特に人工生殖と人工妊娠中絶の2つに分けて、子どもによる現在な社会問題になる。
親子になることは、一定の法的効果を生む。それが親権である。例えば親権者が子の名義で借金し、子の不動産に抵当権を設定する行為は、借入金を親権者の債務の弁済に使用する目的であっても、子が主債務者であれば、子が自身の借金のために自身の所有物を担保に出す行為は、親が得するわけではないので、客観的には利益は相反しないから有効である。逆に、親権者が自身の借入金債務のために、子を代理して不動産に抵当権を設定する行為は、子の養育費のために借入をする場合であっても、親の借入のために子の所有物が担保に出されるのであるから、利益相反行為となってしまう。このように、形式的に見るだけでは取引の安全は守れても、子の利益を本当に保護できているとはいえない。私は実質説を賛成する。親権者の目的や動機までも考慮して利益相反か否かを全面判断するべきだと考える。
4.扶養
扶養とは、自分の資産・労力で生活することのできない者に経済的な援助を与える制度である。生活困窮者は生活困難による自分が経済的援助、扶養請求権を使用することができる。憲法第24条、民法第752条のように家族が援助を行う私的扶養と、憲法第25条、生活保護法等による国が援助を行う公的扶養がある。
公的扶養には、補足性の原則と呼ばれる原則があり、これは生活保護法第4条2項に定められており、親族扶養が公的扶養より優先することを規定している。扶養の内容には配偶者や未熟子の間に存在する生活保持義務と、成熟子や親、兄弟、三親などの間に存在する生活扶助義務がある。民法第877条2項により三親など内の親族においては特段の事情の事情があるときは家庭裁判所が扶養の義務を負わせることができるとしている。
5.まとめ
このように、日本の少子化問題が複雑化した現代社会において法律まだ不備なところ、一日にも早く法を改正するように期待している。
婚姻については、このように、近代の日本において「法律婚主義」は必ず下保守派の主張ではなかった。こうした法律婚主義と事実婚主義をめぐる言説の変容はなぜ生じたのだろうか。このような歴史的に検討から明らかになる、民主主義をめぐる現代の課題にも研究していくべきだと考える。
親子関係については、代理出産と人工妊娠中絶などの生殖技術新たな親族関係になるが、しかし、論理的・社会的。法的に多く問題引き起こす恐れがあるので、少子化問題となっている中で子どもが欲しくてもできない夫婦は多くある。そうした夫婦に安心する子どもを育てることができる法制度は不可欠だと考える。
引用文献
(注)内田貴「民法IV 補訂版 親族・相続」東京大学出版会、2004.3/p56、p230
(注) 伊藤真「親族・相続 補正2版」 p62 p65
http://syousika.seesaa.net/article/28032212.
http://www.sozokusoudan.jp/article/14735353
Liu JiaHe
親族法 課題テーマ「少子化と法」
11J103029 法学部法律学科4年3組 LIU JIAHE
1、結論
現在日本の少子化を改善するためには、法的差別を撤廃することに賛成する。
2、その理由と対策
@法律婚主義を事実婚主義へ転換すべきだと考える。
現在日本は法律婚主義を取っている現状において、嫡出子と非嫡出子によって、養育費や財産分与などの差別はかなり存在するので、法的な手段で改善することにより、日本の少子化という現象を軽くなれると考える。
法律婚主義とは、婚姻は一定の法律上の手続きによって初めて成立を認める立法上の考え方ということだ。まず、日本民法の定義を見よう。日本民法の第七百三十九条によると、「1、婚姻は、戸籍法(昭和二十二年法律第二百二十四号)の定めところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。2、前項の届出は、当事者双方及び成年の証人二人以上が署名した書面で、又はこれらの者から口頭で、しなければならない。」と書いてある。現在日本の婚姻の実質的要件として、当事者の婚姻意思の合致及び婚姻障害事由の不存在が必要とされる。通説、婚姻意思とは、「婚姻届出を出す意思を有するとともに社会通念に従って夫婦と認められる生活共同体を創設しようとする意思をいうとしている。」婚姻意思が存在しない場合の婚姻は無効である。しかし、婚姻意思を有する時点に、婚姻はまだ成立していなくて、日本はまた形式的要件として戸籍法に基づく届出が必要とされる。それは日本法とアメリカ法の重要な区別である。日本が取っている法律婚主義に対して、現在アメリカは事実婚主義を取っている。人々も内縁(婚姻に準ずる関係)という単語もよく用いられている。事実婚主義とは、一緒に同居している当事者双方の婚姻意思の合致さえあれば、婚姻関係が認められて、婚姻届出は必要ではないということだ。すなわち、婚姻意思があるとともに、社会通念上夫婦とみられる関係があるとは事実婚の成立要件である。その区別が存在している根本的な原因は、日本とアメリカが持っている価値観の違いにある。欧米は絶対的な価値を持っている自然法主義であり、神教終末思想が表されており、神との契約により、離婚はすごく難しいので、事実婚が求められている。それに対して、アジアは相対的な価値を持っている法定婚主義であり、多神教循環という思想が表されており、人との契約により、離婚が容易なので、法律婚でもよい。違う主義によって、カップルの地位も違うになる。
具体的にいえば、養育費や財産分与などの分野が違う。一つの例を取り上げる。たとえば、最初、夫Bと妻Cが結婚した、子供Eがいる。その後、夫Bと妻Cが離婚して、新たな妻Aと結婚して、子供Dがいる。その場合において、子供Eと子供Dとも夫Bに対する扶養請求権があるが、夫Bは子供Eと子供Dに対する養育費が違うになる。夫Bは子供Eに対する義務は生活扶助義務であり、あるいは弱い義務である。もし夫Bはお金の余裕がない場合には、渡さなくてもよいということだ。しかし、夫Bは子供Dに対する義務は生活保持義務であり、あるいは強い義務である。夫Bがお金の余裕がない場合だとしても、渡さなければならないということだ。また、財産分与についても、嫡出子と非嫡出子の区別がある。現在日本の嫡出子の嫡出推定は民法第七百七十二条により定められている。民法第七百七十二条によると、「1 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。2 婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。」と書いたある。しかし、夫は、子が嫡出であることを否認する権利が残っている。一つ例を挙げると、妻Bは夫Aとの婚姻期間中にCと結婚した。妻Bと新たな夫Cは子供Dがいる。もしBはDはと代理して、AD間に親子関係不存在確認を求めたという場合には、Bの訴えを認められるか。まず、民法第七百七十四条を見よう。「第七百七十四条の場合において、夫は子が嫡出であることを否認することができる。」と書いたある。民法第七百七十四条によると、Bの請求は認められないということになる。原告適格は夫のみにある。その嫡出子と非嫡出子によって、財産分与においても異なる。日本民法の規定では、非嫡出子の相続分は嫡出子の半分しかないとする。
現在日本の少子化問題が深刻になりつつある。人口動態は、多産多死から多産少死、少産少死へと変化してゆき、一人の女性が一生の間に生む子供の数は1.3さえに下回った。日本では、主要先進国でも類をみたい早さで少子化が進んでおり、人口の減少と超高齢社会へのシフトが始まっている。2013 年20-64歳人口と65歳以上人口の人口比は2.3人:1人であるが、2050年までこの数字は1.2人:1人になると見込まれている。したがって、日本の少子化を改善するためには、現在日本が取っている法律婚主義を事実婚主義へ転換すべきだと考える。この転換によって、嫡出子と非嫡出子の養育費や財産分与などの差別はなくなるので、女性が子供を生む意欲を高くなれる。婚外子の活用により、現在厳しい少子化の現状を軽くなると期待できる。
A人工妊娠中絶を認めべきではないと考える。
日本の人工妊娠中絶数には、年間30万件という数字からみると、外国に比べると、容易すぎる。したがって、少子化を改善するためには、人工妊娠中絶を認めべきではないと思っている。
この違いの根本的な原因は宗教理念の違いという点にあると考える。例えば、アメリカで主流であるキリスト教は中絶を殺人と見なすことによって、未形成の胎児でも生きた存在として認めるべきだと思われているので、現在アメリカの大分の州は人工妊娠中絶を認められていない。それに対して、日本は儒教の影響の下で、人工妊娠中絶に対する態度は寛容な立場をとり、必要なときに人工妊娠中絶を認めてもいいと思われている。人工妊娠中絶を認めてもいいという思想が存在するこそ、少子化が一層に厳しくなると考える。
したがって、現在厳しい現状を軽くするためには、人工妊娠中絶を認めべきではないと思っている。
B代理出産を認めるべきだと考える。
現在日本では、代理出産を認めるべきだと思う。もし法的な環境整備ができれとすれば、夫婦は安心して子供を育てることができることにより、少子化という現象の改善と期待できる。
代理出産とは、ある女性が別の女性に子供を引き渡す目的で出産することである。有名な案例はアメリカの代理母が子の引き渡しを拒否する事件であるベビーM事件だ。1985年にA夫人には多発性硬化症の持病があり、出産に危険が伴うことから、Bさんと代理母契約に結んだ。一年後、1986年にBさんは体外受精によって妊娠した。その後、ベビー Mと呼ばれる女児を出産した。Bさんは女児の引き渡しを拒んだ。A 夫妻は女児の引き渡しを求める裁判を起こす。では、裁判所はこの請求を認めるべきか。1987年、裁判所はその代理母契約の有効性を認め、親権はA夫妻にあり、Bさんには親権も養育権も認められないということになった。私も、裁判所の判決に賛成する。代理母Bさんはその代理母契約の存在を認識した以上子供を生むから、契約交渉の段階で、相手方に契約の成立に対する強い信頼感を与え、その結果相手方に損害を与えた場合には、契約準備段階における信義誠実原則(信義則)上の注意義務違反になるので、代理母Bの請求を認めべきではないと考える。
もう一つ有名な例は高田延彦事件である。妻は子宮頸癌が発見されたので、「(夫である)高田の優秀な遺伝子を残したい」との理由でアメリカに行った。高田延彦の精子と体外受精を行い、胚を代理母シンディの胎内に移植したところ、2つの胚が着床に至った。代理母シンディの出産により、双子の男児を得る。夫妻は東京都品川区役所に双子の出生届を提出した。しかし、結果としては、双子の出生届は不受理ということになった。法務省は「日本では産んだ女性が母親だ。向井さんを母とは認められない」と指摘して、子供の国籍は認め、養子に入れることを勧めた。しかし、高田夫妻は出生届の不受理決定を不服とし、東京家裁に申し立ていた。東京家裁もまた申し立てを却下した。2007年3月23日に最高裁は、「立法による速やかな対応が強く望まれる」としながらも、東京都品川区の出生届の受理を命じた東京高裁決定を破棄し、受理は認められないとする決定をした。これにより、向井夫妻側の敗訴が確定した。私は、この事案はすごくおかしいと思う。実母として認められないということは絶対に納得できないと思うからだ。日本の法律は社会の変化に対する非常に遅れている。日本の法的な環境を早急に整備しなければならない。
C夫婦別姓を導入すべきだと考える。
選択的夫婦別姓制度を導入することによって、少子化に歯止めをかけることができると考える。
日本の少子化となる原因の一つは女性の自己実現という要求が高くなるからだ。現在日本の女性は高学歴化になるという傾向がある。一方で、キャリアウーマンもますます増えている。しかし、現在日本は夫婦別姓がまだ認められていなくて、男女平等はまだ遥かな存在であるので、少子化という現象をより厳しくなる。日本民法の第七百五十条は、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と書いたある。日本は儒教圏の影響の下で、家夫長的な社会構造が現在でも根強く残っており、夫婦同姓は女性を保護できるが、結果的には、女性の労働を正当に評価せず、いつまでも同一労働同一賃金の原則を実現させないということになってしまう。したがって、現在日本は夫婦別姓を認めてもいいではないかと考える。
3 まとめ
日本は経済や衛生水準の向上に伴い、厳しい人口転換が発生した。人口動態は、多産多死から多産少死、少産少死へと変化していった。この厳しい状況を改善するためには、法的な環境を整備しなければならない。事実婚を法的な制度で保護することにより、養育費や財産分与などの法的な差別を小さくしており、婚外子を活用できる。それに、人工妊娠中絶の禁止を法的に明文化することにより、日本の子供の人数を増えると期待できる。そして、代理出産を法的に認めることにより、夫婦は安心して子供を育てることができて、少子化という現象の改善も期待できる。最後に、選択的夫婦別姓制度を導入することによって、少子化に歯止めをかけることもできる。
以上の対策を実施できれとすれば、少子化をより早く改善できると思っている。
参考文献、引用文献
http://ja.wikipedia.org/wiki/結婚
http://ja.wikipedia.org/wiki/事実婚
http://www.houterasu.or.jp/service/fuufu_danjo_trouble/dousei/faq1.html 内縁とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/代理母出産
http://ja.wikipedia.org/wiki/ベビーM事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/向井亜紀
http://ja.wikipedia.org/wiki/人工妊娠中絶
松本彩香作成 http://amazonia.bakufu.org/2012matsumoto.htm
社会保障のイノベーション 中江章浩 信山社 2012年
堀籠博行
少子化と法
12J112012 堀籠 博行
私は、日本が少子化を脱するために国が法による制限や改正に対して積極的に介入を行わなければ少子化を脱することは、日本において第三次ベビーブームが起こらない限り苦難の道を辿ると考える。
1,宗教圏による婚姻の違い
日本では、民法739条による法律婚主義であり婚姻届を出すことから婚姻の効力が始まる。そして結婚をすると隣国である中国・韓国の夫婦別姓とは違い夫婦同姓となる。 これに対して事実婚主義は、婚姻とみられる事実関係(内縁)があれば法律上の婚姻として認める法制で主にキリスト教圏での婚姻法制でありウーマンリブによる近代の女性の社会進出によって出生率が下がっている法律婚に比べると女性の出生率が高く現在の社会において効果的な婚姻と言える。 しかしこの事実婚主義の内縁を日本では、婚姻として扱われず認められていない。 この婚姻方法の違いは、宗教の違いに基づくものであり日本では、中国からの儒教・インドからの仏教からの影響を受けた多神教によって輪廻転生などの思想から人と人との契約であるから離婚を容易とした。 対してキリスト教圏では、一神教による終末思想・DOOMという最後の審判の日による世界の終わりを信じそのことに配慮していることから離婚は、難しい。 私としては日本が多神教の理由として日本人が他国の長所だけを取り入れて国を大きくしていったことからと考える{中国の科挙・インドのカースト制度(当初は実行しなかったものの士農工商として試験的に登場)など}。 そして司馬遼太郎曰く「海に囲まれた日本は文明の終着駅であるということを古来より日本人は知っていて、あとはそれらを研鑽するしか術がないことを理解していた」ことから現在の日本が生まれたのだと考える。 上記のことから私は、現在の日本の法律婚制度が悪いとは、言い切れないが現在の日本が少子化になっていることから現在に日本の婚姻制度が壊されてしまうが日本のベビーブーム後に人口を維持することができなかったために現在の少子高齢化問題が発生してしまい現在も深刻な問題と残ってしまっている。 そのため日本がこの先奇跡的な第三次ベビーブームを起こすか事実婚主義に切り替えて安定的な人口増加しかないが第三次ベビーブームを起こせたとしても維持できずに何年後かに再び少子高齢化問題を引き起こすだけかもしれない。 ならば私は、日本が同じ轍を踏むことをせずに事実婚主義に切り替えるべきだと考える。
宗教圏による婚姻の違いをまとめた図
日本 |
中国 |
インド |
アメリカ |
キリスト教圏 |
|
夫婦 |
同姓 |
別性 |
選択制 |
同姓 |
同姓 |
離婚 |
協議(簡単) |
協議(簡単) |
裁判 |
合意(難しい) |
合意(難しい) |
主義 |
法律婚 |
法律婚 |
特殊(宗教ごとに異なる) |
事実婚 |
事実婚 |
内縁の保護 |
△ |
× |
? |
○ |
○ |
宗教 |
多神教 |
多神教 |
多神教 |
一神教 |
一神教 |
考え |
人の合意 |
人の合意? |
特殊 |
神との契約 |
神との契約 |
婚姻年齢 |
男18女16 |
男22女20 |
特殊(幼児婚) |
男女 |
男女ともに18 |
2,離婚後の子と親の保護
日本では、離婚方法は、協議離婚・裁判離婚・調停離婚とあるが今回は、民法763条の協議離婚を使いたい。 法律婚の日本は、離婚する場合は、民法763条により協議しなければならない。その離婚理由が不当な場合(浮気又は、一方的な理由)であれば裁判もできる。 さらに夫婦間に子供がいる生別の場合協議又は、裁判において子の親権者を決め民法第881条により扶養請求権によって民法768条の財産分与で、夫婦で協力して作り上げてきた財産をそれぞれの個人財産に分け離婚した妻との子への義務として民法第766条一項により養育費を一定の場合を除いて親は、子が成人するまで払わなければならないという生活保持義務を負う。日本では、異例を除いてほとんどの子の親権は、生物学的観点から母親にわたる(母親が子を一方的に子を連れて実家に帰った場合においても)。 そして養育費が支払われて本来生活が安定するのだが実態としては、支払っているのは、2割だけと少ない。 養育費を払わない理由として払えるはずがないやもう会いたくないからというものである。 本来守られるはずの養育費が支払われないことによって母子家庭の貧困化が進みその離婚後の社会実情があることから結婚に対して男女共に結婚に対して否定的になるのも納得がいく。 そして親が死別の場合には、子に遺産の相続が行われる。 対して内縁による婚姻を認めている事実婚は、生別の場合裁判において財産分与・扶養義務を決め不当な場合(浮気又は、一方的な理由)であれば裁判もできる。ただし裁判において親権を決めなければならず母親が子を一方的に子を連れて実家に帰った場合誘拐扱いとなる(アメリカのインターポールにおいて日本人が離婚の際に裁判をせずに子供を一方的に連れ帰った事例で国際指名手配されている日本人も存在している)ことから法律婚と事実婚の違いは、内縁の保護と裁判においてのみ絶対的な子の親権の確定である。 死別した場合には、日本においては、相続であるが事実婚においては、何もない。 このことから私は、事実婚主義は家族主義の日本人に対して民族主義的に厳しいものであるがそこは、事実婚主義の短所をうまく改善し日本人向けの事実婚を作り上げるか本来の事実婚を尊重して日本に取り入れるかに別れると考える
離婚後の子と親の保護の婚姻における内縁の社会権利の保護をまとめた図
税 |
社会保障 |
相続 |
財産分与 |
|
法律婚 |
○ |
○ |
△ |
○ |
事実婚 |
× |
△ |
× |
× |
離婚後の子と親の保護の婚姻後の権利をまとめた図
清算 |
扶養 |
損害賠償 |
||
法律婚 |
生別 |
財産分与 |
財産分与 養育費 |
慰謝料 |
死別 |
相続 |
相続 |
||
事実婚 |
生別 |
○ |
○ |
○ |
死別 |
なし |
なし |
3,少子化と改善されない中絶
現代の日本の政府は、少子化を何とかしなければならないといっているが本来生まれてくる日本人の子が一年で約19万(2012年調べ)が人工妊娠中絶されているのが現状である。 日本社会において堕胎は、認められており少子化の日本において本来生まれてきていれば、近年の出生率低下を防げていただろう。 そして中絶の理由として援助交際や性の乱れなどで日本の性教育に対しての教育の甘さから堕胎が横行している。 この調査結果に対して政府や国民は、堕胎に対して何もせず暗黙の了解の様な扱いである。 対してキリスト教圏では、聖書の教えによって堕胎は、厳禁とされているが異例としてアメリカは、裁判において中絶は権利ではなく単なる自由であるとして認めている。 ただしアメリカでは、性教育について完全に教えていることと医療費が高いことから中絶数は、少子化の脅威とはなってない。 私としては、政府が堕胎を認めるがアメリカに習い堕胎だけ医療費が高くすれれば少子化の進行に対して効果がでると考える。 しかし堕胎数が減ったとしても肝心な子供の出生率が上がらないことを念頭におきたい。 次に日本では、政府が少子化に対処しなければならないというが代理出産を認めていない。 代理出産は、子供が欲しい不妊夫婦にとって希望的であるが日本国内では、禁止されているために海外でしか許されなかった。 そこで問題となったのが高岡信彦事件である。 高岡信彦事件では、不妊であった高岡夫妻がアメリカで妻の卵子と夫の精子で体外受精に成功し代理母に双子を産んでもらい日本に帰り区役所に双子の出生届した。 しかし最終的に区役所は、双子の出生届を受理せずそれを夫婦は、納得いかず裁判を起こし最高裁まで争われたが高岡夫婦側が敗訴となり結果として双子は、夫婦の養子として処理された。日本人の血族主義を重点に置いた判決であるがやはり日本は、慣習を守りすぎているために本来守るための人権や利益を手放してしまっているようにみえる。私としては少子化を脱するために日本は、代理出産を認め出産の幅を広げる法改革が必要である。
少子化と改善されない中絶をまとめた図
|
日本 |
アメリカ |
儒教圏 |
キリスト教圏 |
人口妊娠中絶 |
許可 |
権利ではなく自由として許可 |
許可 |
禁止 |
代理出産 |
禁止 |
許可 |
|
4,近年の日本の家族観変化の影響
近年日本の家族観の変化が裁判に影響を与え始めている。 では、家族観の変化がどのように影響を与えているかについて二つの判例を見ていきたい。 一つ目は、民法900条4号が憲法14条に違反しているかについてである。 平成25年9月4日の最高裁において民法900条4号違憲判決によって内縁の妻との子(非嫡出子)の法定相続分が嫡出子と同じになった。 これまで裁判所は、民法900条4号を嫡出子の立場を尊重しつつ嫡出でない子の保護を図ったもので、民法が法律婚主義を採用している以上はこのような立法理由には合理的根拠があり、著しく不合理であるとは言えないとしてきたが今回の裁判において家族形態の多様化やこれに伴う国民の意識の変化を理由に違憲とした。 この判決によってこれまでの法定相続分において非嫡出子は嫡出子の二分の一しか相続されないという一文がなくなり非嫡出子の差別とも言うべき民法900条4号の一部が改正された。 次は、DNA鑑定で血縁関係がない場合に父子関係を取り消すことができるか争われた事例だ。 DNA鑑定で血縁関係が否定された場合でも法律上の父子関係で最高裁は、父子関係を取り消すことはできないとする判決がでた。 民法772条一項の嫡出推定の規定は、DNA鑑定の結果より優先されるとの初の判断を示した。 これは最高裁が親子関係を後の鑑定で取り消せるようになると子への不利益が大きいと判断したからである。 この判決は、民族国家で血統主義の日本では、大きな判決であり、これによりDNA関係がない親子であったとしても相互の扶養義務や相続の権利などが認められることになった。 私としては、今回の上記のような判決が国民の意識の中から出てきたことがこれからの社会を担う子ども達の保護を優先しているように思える。 やはり社会利益となりうる子の保護は、徹底するべきであり可能性を潰すのではなく十分なチャンスを与えるべきであると考える。
近年の日本の家族観変化の影響における判決をまとめた図
子の保護 |
判決理由 |
|
民法900条4号判決前 |
× |
法律婚主義の保護 |
民法900条4号判決後 |
○ |
家族形態の多様化やこれに伴う国民の意識の変化 |
DNA血縁判決前 |
× |
血縁関係を重視 |
DNA血縁判決後 |
○ |
子への保護 |
参照文献
表4−20 人工妊娠中絶数および不妊手術数:1949〜2012年
高田信彦事件
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070323165157.pdf
民法900条4号但書違憲判決
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20130904154932.pdf
試験研究室
木塚瑛理
少子化と法
私は、日本の法律は、より家庭に介入すべきであると考える。
その根拠は、日本の現状と歴史的背景、思想、海外等との比較から考えていきたい。
(1) 法律婚主義
最近の日本の中絶と出生率の割合をみてみると、中絶の割合は高く、出生率は低い。このことから、最近では少子高齢化に伴い、日本でも事実婚を認めようという声があがっている。現在の日本は、社会的には事実上の夫婦とみられる関係があっても、民法739条を根拠に、法律上の手続きである市町村長への届け出をしなければ有効な婚姻と認めないとする法律婚主義をとっている。その理由は、婚姻の法的効果が民法752条を根拠に、夫婦の同居・協力・扶助義務の他に、財産上の効果や第三者の利害も関わるときに、婚姻が成立しているかどうかを明確に判断できなければ、いざ財産を処分しようというときに、当事者はおろか第三者にまで不都合が生じてしまうからだ。この主義と対にあるのが、事実婚主義である。これは、社会の慣習上“婚姻”と認められる事実関係があれば、直ちに法律上の婚姻と認める立法主義のことで、わが民法は婚姻の成立に民法739条・戸籍法79条により戸籍上の届出を要求するため、婚姻意思を持って共同生活を営み、社会的には夫婦と認められていても、届出の手続きをしていないため、法律的には夫婦と認められていないため、法律的には正式の夫婦とは認められない男女の結合関係のことをいわゆる内縁というが、この関係が生じた場合に、この事実婚主義を採用すれば、この問題が生じないが、抱える問題も多く、婚姻の成立した時期が必ずしも明確でない場合が生じたり、“近親婚”などの法定の基準に適合しない婚姻の成立する機会が多くなるのが好ましくないとされるためだ。最高裁昭和33年4月11日第二小法廷判決でもその性質を示している。
また、嫡出推定という問題もある。これは、民法772条に推定規定を置いており、婚姻中に妻が懐胎した場合に、その子供は夫の子で、嫡出子であることの証明のためにおかれた規定だ。子供の地位の安全を確保するために、法律婚を絶対とするか、国の構成要素のひとつである国民の出生率のことを考え、事実婚を認める法を設定すべきか。
では、日本ではまだ歓迎されていないこの事実婚の関係は海外と比較するとどうであろうか。
2010年の結婚・同棲・未婚の国際比較の言葉を借りると、『日本と韓国は同棲が少なく、米国、フランス、スウェーデンで同棲率が高い。米国よりフランス、スウェーデンで同棲率が高い。これは各国の婚外子比率の高さと整合的である。結婚と同棲を合わせた有配偶率では、日本と欧米とでは大きな違いはない。未婚・未同棲率(結婚・同棲をしたことがない者の比率)は、韓国がやや多いが、日本と欧米ではそれほどの違いはない。結婚、同棲、未婚・未同棲のいずれでもない者は離婚した者が多くを占めるが、米国で特に多い。こうした状況は各国の離婚率や母子家庭の比率と整合的である。』 なぜ、海外と比較して日本は違うのか。その理由は欧米・ヨーロッパとの信仰している宗教との違いにあると考える。
(2)日本と海外の宗教観の相違
日本においては、結婚とは、人と人との契約であるが、キリスト教圏の国々では、結婚とは即ち、神と人との契約であるとされている。各国の離婚率をみてみると、2013年のマイナビウーマンの記事によると、世界の離婚率ランキング(粗離婚率ベース)1位 ロシア 2位 ベラルーシ3位 ラトビア4位 米国5位 リトアニア6位 モルドバ7位 キューバ、ベルギー8位 ウクライ9位 チェコ10位 デンマーク、ヨルダンとなっている。キリスト教圏の国々では、図録結婚・同棲・未婚の国際比較の記事によると、『婚姻・離婚制度は一般に宗教との結びつきが強く、キリスト教圏で国では簡単には認められない傾向があります。例えばイギリス、フランス、イタリア、オランダ等、ヨーロッパ諸国のほとんどでは、協議離婚の制度はありません。つまり、『裁判所の手続を通さなければ、離婚ができない』のです。』このように、キリスト教圏の国々は、例としてアメリカでは、日本は協議離婚が中心なのに対し、裁判離婚が原則で、離婚の際は必ず裁判所が夫婦間の間に入る。ここで、日本人なら“なぜ、宗教の教義が法律に関係するのか”と考えるかもしれない。それは、元来、キリスト教が離婚を禁止しているためだ。ここからは、先ほどの離婚について例にあげたアメリカをみながら考えていきたい。アメリカの建国の理由は一言でいえば、自分たちの自由に宗教を信仰したかったからだ。日本人からみたアメリカは常に世界をリードする先進国の見本であろう。だから宗教なんて前時代的なものはアメリカの思想に関係ないと。日本人は、戦前は政治と宗教が結びついていたから戦争が起こったという認識、反省が強く一種の宗教アレルギーがある。キリスト教は一神教で、神とその他のすべての存在は「創造主」と「被造物」という関係であるため、神というのは絶対的存在だが、日本を含む儒教圏の国々は多神教で、土地によって祀る神も違えば信仰の方法もさまざまで、宗教心はあるもののいまいち、特定の宗教を信仰するという傾向はあまりみられない。日本では一応、刑法212条以下で人工妊娠中絶は禁止されているがほとんど効果はない。藤本龍児著「アメリカの公共宗教―多元社会における精神性」によれば、アメリカでは1973年の判決まで、中絶は『一部を除いてほとんどの州が中絶を禁止していた。』とある。日本人の中絶に対する価値観は一概には断言できないが、離婚と同様に国際的に見れば軽いように感じられる。では出生率に中絶が関わっているのなら、中絶もすれば、子供も産むはずの女性にもなんらかの要因があるのだろうか。
(3)女性の社会進出、法体制と子供の地位の問題提起
この項目では、現代特有の問題を列挙し、結論で自分の考えを述べていきたいと思う。戦後の復興と近年の不景気も相まって、現在は男性に負けず劣らずに仕事に打ち込む女性も増えた。これからも時代が進むにつれて女性の活躍の場は広がるだろう。
@ここで、仕事をするときに、結婚したあとにも仕事をするうえで都合が良いからと旧姓を使い続けることはどうかという夫婦別姓という問題がある。Wikipediaによると、『制度としての夫婦別姓に関する議論は1950年代からすでに存在しており、1976年には内閣府の世論調査にはじめて夫婦別姓についての設問が見られる。この当時は女性労働者の便宜の問題として捉えられており、必ずしも民法の改正を主眼としておらず旧姓の通称使用の普及にも軸足があった。』『その後論議が再燃したのは1990年代からである。民法を改正し婚姻時に夫婦が同姓か別姓かを選択する「選択的夫婦別姓制度」とする案が主流となり1990年代より国会に議員立法による民法改正案が提出されるようになった。1996年には法制審議会が選択的夫婦別氏制度を含む「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申した。また男女共同参画社会基本法の成立および男女共同参画局の設立によりその政策の中心的課題と位置づけられ、政策的にさまざまな推進策が展開されてきた。しかしこの民法改正案に関してはいまだに賛否両論があって論争が続いており、決着をみていない。』
A他にも、『不妊の夫婦が第三者の女性に子どもを産んでもらうこと』で、『夫婦の体外受精卵を第三者の子宮に注入する方法と,夫の精子を第三者の女性に人工授精させる方法がある』代理出産の問題もある。最高裁平成19年3月23日第二小法廷判決外国における代理出産によって出生した子の出生届について争われた判例によると、この件では認められたが、日本の現在の通説では、『実親子関係が公益及び子の福祉にかかわるものであり、一義的に明確な基準によって一律に決せられるべきであることにかんがみると、現行法上の解決としては、出生した子を懐胎し出産した女性をその子の母と解さざるを得ず、その子を懐胎、出産していない女性との間には、その女性が卵子を提供した場合であっても母子関係の成立を認めることはできない。』としており、日本産婦人科学会も事実上、認めてはいない。
B離婚した者の育児・生活と財産の法体制をみてみると、『我が国の2010 年における「シングル・マザー」の総数は、108 万2 千人となっており、100 万人を大きく超えている。』とあり、シングルマザーの割合もさることながら、子供と育児と生活に関する法律の受け入れ態勢が十分でないように思える。個別的に判断するとはいえ、離婚した者の一方が他方に対して財産を分与する財産分与の規定の曖昧さ、離婚により親の一方が子を引き取る場合にそれに要する費用をどちらがどれだけ負担するか、一般的には養育費と呼ばれる費用は『離婚しても親の子に対する扶養義務はなんら影響を受けないから、親は子が親と同程度の性気圧ができるように費用を負担する義務を負う』と民法766条1項を根拠に設定されているが、事実「養育費 割合」と検索してでてくるグラフから見える、ほとんど支払われていない実態。扶養をめぐる問題では扶養の内容について、生活保持義務という御器谷法律事務所のHP引用『夫婦間の協力・扶助義務(民法第752条)や、未成熟子を親が監護・教育(同第820条)するときの扶養義務であり、夫婦や親子に必要不可欠な扶養であり、自己と同等の生活を保障するものです。いわゆる「一椀の飯も分け合う」程度の強い扶養の形態』は離婚の際にも子供の生活にも大きくかかわってくる。
(4)扶養
『扶養とは自分の資産・労力で生活することのできない者に経済的な援助を与える制度』のこというが、「少子化と法を考える」にあたっては子供も大人も関係なく、重要な問題だ。子供云々の前にまず人が生きていかなければいけない、そしてこの扶養が法廷と関わる時は大抵の関係者は決して豊かな生活をしているとはいえない。なら、その生活に困窮している者には必ずしも扶養請求権を有しているといえるのかと考えると、この規定自体が非常に曖昧な存在で一概にどれだけの請求を誰にどの程度与えるべきであるかも、法律で基準を設け、生活の安定をはかるべきではないだろうか。
(5)結論
私は4個の項目に分けて、少子化と法に関わると考えられる問題を並べてきたが、結論は日本の国の構成要素である領土・国民・主権だがこのひとつである国民が少子化によって、国民が減少することは、即ち国力の減退であり、国の存亡にかかわる。法律とは、本来、人を制限するものではなく、人と人との愛仇の格差わ埋めるための、ツールであると考える。その法律が、国家を弱小化させる要因になっては、本末転倒ではないだろうか。 少子化を止めたくば、法律がより家庭に介入し、離婚によって経済的不安が招じる場合には、子供まで不利益を受けることは、国の将来的な不利益につながるおそれがあるため、より法で定めた相手方の生活が極端な困窮が招じない、収入の程度に合わせて金額を段階的に分け具体的な金額を示し、子の健やかな生活を保障し、中絶の禁止の規定を厳しく設定することで、いのちに対する安易な見方を見直し、出産も不妊治療の長期に及ぶ苦しみとコストをかんがみると、不妊の期間と病状によっては個別的に一部の代理出産を認め、いのちの差別をなくし、婚姻の立法主義の立場も全てにおいての事実婚を認めるのではなく折衷型を模索し、限定的に新しい夫婦の形を法で認めることで、古典の因習とらわれない、多様化する現代人のライフスタイルにあわせたよりよい家庭生活をめざすべきだ。
【出典】
法律学小辞典第4版補訂版
聖書が面白いほどわかる本 鹿嶋春平太著
アメリカの公共宗教ー多元社会における精神性 藤本龍児著
民法W[補訂版]親族・相続 内田貴著
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阪口ありさ
少子化と法
少子化に対応するには法律婚だけではなく事実婚等の婚姻の形を認容するべきだと考える。
a.日本の少子化の現状と問題点
現在日本では深刻な少子化問題を抱えている。しかしこの少子化はここ最近に始まったことではなく40年も前から始まっていたのだ。合計特殊出生率(女性が一生の間に産むとされる子どもの平均数)が2.07を確保することができれば、人口置換水準(人口を維持できる数値)を保っているとされている。この水準を継続的に下回っている減少が「少子化」である。日本は1973年の2.14を境に低下しはじめ、2005年には過去最低の1.26まで低下した。その後2012年には1.41まで回復したとされるが、これは国の少子化対策が奏功しているのではなく、1971年に生まれた第二次ベビーブーム世代の女性が、40歳前後になり様々な努力で子どもを産んでいる現象でしかない。今後母親人口は確実に減少する。出生率がこのままの水準で推移すれば2300年には日本の人口は約360万人に激減すると予想され、年金、介護などの社会保障が崩れ国家の保全もできない状況に陥る可能性が高いと予想されている。そこで日本の婚姻の形である法律婚主義によってどのような問題があるのか以下に推察する。
b.婚姻制度の形
日本における婚姻成立には実質的婚姻意思説と形式的婚姻意思説に大きく2つに分けることができる。実質的婚姻意思説として、婚姻意思の合致と婚姻障害事由の不存在が挙げられるが、婚姻意思は更に、実質説と形式説とに分けられる。実質説とは、「社会通念上夫婦と認められる関係を形成しようとする意思」だと考え、形式説とは、「婚姻の届出を行う意思があったのであれば、婚姻の成立要件として十分」と考える説である。私は、形式説を基準に判断をすることが、現代の日本に適していると考える。現在の日本では実質説がとられているがこの制度により国も家族制度も円滑に回っているとは思えない。そのために現在の状況を変えていくためには実質的な婚姻から形式的な婚姻に変えていくことが問題解決の大きな要になるだろう。次に形式的要件として、届出(民法第739条1項)がある。これには、事実婚主義と法律婚主義の2つの主義が対立している。日本は、法律婚主義を採用しており、婚姻関係が明確であるというメリットがあるが、民法第750条により夫婦同姓とされていることから、仕事をする上で不都合が生じるなどのデメリットがある。特に、法律婚によって改姓するのは、女性が一般的である。一方で、事実婚は、第1に、夫婦別姓が可能であり、第2に、戸籍の姓と通称を使い分ける必要がなく、第3に、氏名変更手続きの必要もなく、第4に、相手の親に婿や嫁という見方をされることもない、そして一番大きなメリットは第5に、「別れても戸籍に残らない」という事柄から事実婚を選ぶケースも増えてきている。 しかしながらデメリットとしては、第1に、周囲の理解を得られにくく、第2に、社会的信用を得にくい、第3に、税金の配偶者控除を受けられない、第4に、子どもが非嫡出子になってしまう。第5に、日本の法律が事実婚を認めていなく、対応していないため、財産分与でのトラブルも起きやすくなる。第6に、事実婚を認めることで同性婚もできるようになってしまう恐れもある。この第4の事実婚の男女の間に生まれた子どもが非嫡出子になってしまうのは子どもの法的地位の安定性を脅かすことになる。日本は完全なる法律婚主義の国であり婚姻届が重要であり、婚姻届のない婚姻は向こうであるため一緒に生活をしていても事実婚イコール内縁や同棲という形になってしまう。婚姻届を出している夫婦のような社会保障制度を受けることや子どもがいた場合の子どもの法的地位の安定を考えると、とても不安定なものになってしまうのが現状だ。日本では婚姻は人と人の契約であると考えるために離婚することは、人と神の契約と考える欧米(キリスト教文化圏)に比べて難しくなく、現在も年間70万件の婚姻数があるがそのうちの25万件が離婚しており、その中の90%が協議離婚(民法第763条)であり、残りの10%の内9%は調停離婚、残りの1%は裁判離婚となっている。欧米では離婚をすることが難しいために法律婚に準じた制度が確立されていると考える。事実婚主義である西欧、北欧、北米では法律婚をしていないカップルにも事実婚の枠組みを与えている。英米法系である米国ではCivil Union、ラテン法系であるフランスではPACS(民事連帯契約)、ゲルマン法系であるスウェーデンSamboという事実婚を認める制度があり婚姻に準じた効力(年金、慰謝料)が与えられている。このような事実婚制度の発展により欧米諸国の出生率は高くなった。日本もこのような事実婚を認め保護制度を確立すれば、内縁と呼ばれる関係の人々も生活の基盤が安定し、少子化対策にも繋がり出生率の増加に繋がるのではないかと考える。
c.親子関係
不妊症に悩む夫婦は、借り腹や代理母による代理出産やAIHやAIDによる人工授精、体外受精等の生殖補助医療の普及により不妊に悩む夫婦も子どもを持てるようになってきた一方で、誰と誰の間に親子関係が生じるのかという点で問題が生じるようになった。例えば、夫以外の精子を用いるAIDでは、民法第772条の嫡出推定により夫の嫡出子として推定されるが、遺伝子的には精子の提供者が子の父親であり、嫡出でない子であるからといって精子の提供者は子を認知できるのかという点が問題である。私は、夫婦は提供者に精子の提供を依頼して、精子の提供者は夫婦が自分達の子を欲しがっていることを理解した上で精子の提供をしているわけだから、両者の間には契約関係が成立しており、その上で認知の訴えをするというのは、夫から父親の立場を奪うものであり、契約に反する契約違反であるため、認知を認めるべきではないと考える。これは民法第1条2項の信義誠実の原則に反するものであるため、やはり認めるべきでない。 しかし、日本の法律は借り腹、代理母を認めておらず、こうした生殖補助医療を求め不妊夫婦の渡米が増えているためにアメリカでは代理母業界ができているのも現実である。代理出産をビジネスにすることには賛成できないが、本当に子どもを望んでいる夫婦にとって希望であることには違いないため、日本の法律のように一概に借り腹、代理母の禁止とは言えないだろう。しかしこのような代理出産をアメリカで行っても日本の法律が認めておらず、対応していないために生物学上は実の親子であるにもかかわらず、法律上は実の親子ではなく養子として迎えなければならないという問題が起きているのも現状である。有名な話としては、高田延彦と向井アキ夫妻もアメリカで借り腹(分娩のみ)を使い子どもを授かった。しかしながら、日本では母子関係は分娩という事実に基づくとされているために、日本の役所は出生届けを受理しなかった。そのため母子関係、父子関係は養子として処理されたがこの対応に私はとても疑問を持つ。分娩という事実や民法第772条の嫡出推定よりも生物学上の本当の親を法律で親と認めることが適切だと考える。それが子どもの法的安定、そして保護につながると考える。また、女性の体を出産の道具にしているという点については、代理母は強制的にやらされている訳ではなく、同意の上でやっていることであるから、道具というのは疑問がある。金銭の授受は人身売買に類似する行為ではないかという意見もあるが、何らかの圧力がかかっているわけではなく、代理母は自分の意思で母体の提供を行っていることから、違法性があるものだと私は思わない。約300日も他人の子どもを胎内に宿し、悪阻や倦怠感に耐えて何も見返りがないの であれば、善意だけで代理母になろうと思う女性は少ないことが予測でき、外国では代理母で生計を立てている者がいることから、女性への功労という形で金銭の授受をすることも認めるべきであるだろう。日本は少子化問題を抱えている一方で毎年とてもたくさんの人工妊娠中絶が行われている。もし、この人工妊娠中絶をせずにすべての子どもが生まれてきてると計算すれば日本の少子化問題はすぐに解決に向かうだろうと考える。
d.扶養
扶養とは、自分の資産・労力で生活することのできない者に経済的な援助を与える制度である。生活困窮者に対する経済的援助は、憲法第24条、民法第752条のように家族が援助を行う私的扶養と、憲法第25条、生活保護法等による国が援助を行う公的扶養がある。公的扶養には、補足性の原則と呼ばれる原則があり、これは生活保護法第4条2項に定められており、親族扶養が公的扶養より優先することを規定している。扶養義務の内容には配偶者や未成熟子の間に存在する生活保持義務と、成熟子や親、兄弟、三親等の間に存在する生活扶助義務がある。生活扶助義務は、自らの社会的身分に相応しい生活をしてなお余裕がある場合に扶養の義務を負うことになるが余裕があれば助けるというものはとてもあいまいな規定であるように感じる。余裕の度合いも感じ方の人それぞれ違うため、難しいように感じる。現在生活保護受給者は210万8096人(平成24年3月時点)で、生活保護制度が開始されて以来、初めて210万人を超え、今年度予算の生活保護費は約3兆7000億円にも上っている。近年この問題で話題になったのは芸人の次長課長の河本準一の母親が生活保護を受けていたとされる問題だ。河本本人は十分な収入を得ており、余裕もあったにも関わらず、母親は困窮し、生活保護を受けていた。この場合河本が母親を扶養することは適切なのだろうか。民法第877条1項(扶養義務者)直系血族及び兄弟姉妹は互いに扶養する義務があるとされているが、アメリカでは親子、兄弟、姉妹に扶養の義務はなく、その人個人が生活に困窮していればすべての制度を受けられる。現在日本では民法第887条2項家庭裁判所は特別な事項があるときは、前項に規定する場合の他、三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができるとされているにもかかわらず、生活保護を受ける人数が減らないのならば親族は関係なく、アメリカのようにその人個人の生活に基づき生活保護を適用すべきと考える。
e.離婚
婚姻の効力としては第1に夫婦同姓、第2に同居協力、第3に成年擬制と相続権、第4に夫婦取消権である。離婚の要件としては、第1に復氏、第2に子の監護と費用、第3財産分与である。離婚して子どもがいる場合、養育費を支払うべきであるが実際に支払っているのは2割である。その理由としては払えるはずがないと思ったやもう会いたくないなどがあるようだが、この扶養請求権を親の判断で放棄してしまうのは間違っていると考える。
f.問題の解決をするためには
事実婚については制度化し、法的保護を与えることで、新しい夫婦の在り方として周囲に認知され、将来の不安をなくすことができると考える。親子関係については、代理出産やAID等、新たな親子関係をきちんと明文化すべきである。少子化が問題となっている中で子どもが欲しくてもできない夫婦は数多くある。そうした夫婦でも安心して子どもを育てることができる法制度は必要不可欠であると考える。特別養子縁組という形ではなく、実子として育てることができるのであれば、挑戦する夫婦も増加し、少子化対策になることからも認めるべきだ。扶養については、アメリカのように親族、家族は関係なく、個人の生活だけを基準に生活保護の適用を考えるべきと考える。以上のことから、少子高齢社会と言われている今、新しい家族のあり方を認め、国として支援していくことが重要だと考える。
出典
Meiji.net
Wikipedia
内田貴『民法W 補訂版 親族・相続』東京大学出版会
田中梨菜
日本の少子化を改善するためには、現在ある法律を改善すること、新たな法律を作ることが必要であると思う。
1. 人工妊娠中絶について
日本では代理出産が認められていない。授業でもやったように高岡延彦事件では、Aが妊娠しないためアメリカでAの卵子、Bの精子を使い、Cが出産した。そして、出生届けを品川区に提出したが、受理されず、養子として受理されてしまった。日本にもたくさん、子どもが欲しくと思っていても、子どもができない夫婦がたくさんいると思う。代理出産には大きく分けて二つの方法がある。Aの卵子、Bの精子を使いCに出産してもらう借り腹といわれるものと、Bの精子を提供し、Cに出産してもらう代理母と呼ばれるものがある。
まず代理出産のデメリットについて考えてみる。反対派の意見としては、「女性の体を出産の道具にしてよいのか?」「妊娠出産の危険を他人に背負わせてよいのか?」「生まれてくる子どもが差別の対象になるのではないか」「親子関係が希薄かつ複雑になるのではないか」「人身売買に等しい」「金銭の授受にかかわらず、児童を取引の対象としてはならない」「総じて人の尊厳を危うくするものである」などがある。次にメリットを考えてみる。病気のため、子宮を摘出した人や、精子卵子に問題があり妊娠しない人、病気や体の関係でこどもを生むことができない人など、子どもが欲しいのにできない人たちに子どもができる。ということがある。また代理出産を引き受けた人の声として、「お腹の中にいる子どもは自分の子どもでないという認識がある。出産はきついと感じることもあるが、子どもが欲しいのに授かることのできない人の気持ちを考えれば平気である。」というものがある。代理出産を引き受ける側からみても、強制されているという気持ちでなく、困っている人の力になりたいという気持ちでやっているのだと感じました。私の意見としては、代理出産に賛成である。女性の体を出産の道具としていいのかという意見に対して、代理出産を行うことは、体を道具にしているわけではないと考えている。代理出産を行うときは、必ず双方の同意がある。しっかりとした同意のもとで行われている行為であり、ただ道具としているということではないと思う。また金銭取引があることから人身売買ではないのかという意見があるが、出産には悪阻や倦怠感などさまざまな症状がついてくる。また出産する時にも激しい痛みを伴う。そのことを考えると、人身売買というよりは出産に伴うさまざまな苦痛や不便に対する功労といったような形で金銭を与えるということになるのではないかと思う。もちろん代理出産を認めるためにはまだまださまざまな課題が残っている。例えば、生まれてきた子どもに障害のあった場合や病気があった場合などである。そういったケースになった場合でも依頼者が受け入れ、大切に育てていってくれれば良いがそういったことになることばかりではないだろう。代理出産を引き受けてくれた側をせめる人も少なからず出てくるかもしれない。そういった場合の対応が問題である。
ここ最近中絶がとても増えてきている。これも少子化の進む原因の一つである。一説として、中絶せずにそのまま生みその子どもを子どもが欲しい夫婦の養子とするというものがある。しかし、その場合では血縁関係はないため、少し子どもとの壁を感じてしまうことがあるのではないか。また育てられないから中絶するだけでなく、学生であるなどの理由により生むことも困難なひとが多いのではないかと思う。やはり、自分たちの精子や卵子を使用することのできる、代理出産の方がよい方法だと思います。代理出産を認めるだけでなく、養子という形ではなく正式な嫡出子と認めることも必要である。また同時に代理出産を認めることで少子化も改善される。
2. 夫婦について
現在日本では、民法と戸籍によって婚姻の時の氏の決め方が定められている。
民法第750条『夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。』つまり夫となる人、または妻となる人のいずれか一方の氏を夫婦の氏とするということになる。日本は法律婚主義をとっている。日本が夫婦別姓を認めていない理由はそこに関係していると思う。現在日本では98%もの夫婦が夫の姓に変っている。一部の職業では婚姻前と後で氏が異なっていると業績の連続性が失われる。キャリアアップを目指す女性にとっては、婚姻しづらくなる。そのため晩婚化が進む。そのことが少子化に関係していると思う。しかしもちろん夫婦別姓を認めることによる問題も多くある。夫婦の姓が違うことにより子どもが不幸となるケースがある。夫婦別姓を認める、認めない、どちらもそれぞれメリットデメリットがありどちらの方がよいというのは、決め難い。
事実婚主義について考えてみる。事実婚主義は夫婦別姓が可能となる、別れても戸籍に残らないなどのメリットがある。デメリットとしては、周囲の理解を得るのが難しい、子どもが非嫡出子となるなどがある。事実婚を採用することにより、一妻多夫や一夫多妻なども増えるのではないか。内縁関係が多く生まれることになるだろう。私は、事実婚を採用することにより、出生率があがると思う。現に事実婚を認めている国では出生率が高くなっている。事実婚のデメリットである子どもが非嫡出子になってしまう点などを法律によって保護すれば、問題は少なくなる。周囲の理解を得るのが難しいという点も、事実婚が増え一般化すれば、問題なくなるだろう。しかし事実婚の採用により、一妻多夫や一夫多妻が増えるなどした場合、多くのトラブルが発生することになるだろう。また確かに出生率は上がるが、生まれてきた子どもたちにとっては、法律婚主義のようにしっかりと父と母がいることの方がよいだろう。一夫多妻のように、自分の父親でもあるが別の子の父親でもある、といった状況では、子どもがさみしい思いをしたり、不幸を感じたりすることになってしまうだろう。以上のことから、少子化は改善されるが子どもたちの立場からみると最善の方法ではないと私は思う。
3. 養育費・財産相続について
平成18年に行われた全国母子世帯等調査によれば、調査の時点で養育費を受け取っていると答えたものは全体の19.0%にすぎない。この数字は諸外国に比べて極めて低いレベルに位置づけられる。養育費が払われない理由として、貧困層の父親は「支払い能力の欠如」、非貧困層の父親は「新しい家族の生活優先」が理由となり、どの所得層の父親においても、養育費を支払わないという状況が生み出されているとの分析もある。また、子どもと離れた親の面会を嫌がる同居の親が養育費を拒否するケースもある。日本では一人親家庭の就業率は母子家庭8割、父子家庭が9割と諸外国に比較して高いことに反して、有業の一人親家庭の相対的貧困率がOECD加盟国中最も高くなっている。妻が全児の親権者となる割合は現在では8割を超えているため、実際に主に困窮しているのは母子家庭である。
余裕があれば助ける生活扶助義務と、一椀の飯を分けあうといわれる生活保持義務がある。両親が離婚した場合や、婚外子の場合には、親権との関係で養育費の問題が生じる。親権者でない親が負担するこの養育費の性質も生活保持義務とするのが最近の裁判の傾向となっている。以上のことを考え、養育費のことをもっと重要に考えるべきであると思った。また扶養請求権がある。扶養請求権は、自活能力のない人の一身専属権であり、これを処分することはできず(民法第881条)、つまり、その債権譲渡や担保、質入、放棄等はできず、差し押さえも禁止されています。この権利を有効に使うことも大切である。
現在は、嫡出推定された嫡出子と法律上の婚姻関係にない男女の間から生まれた子である非嫡出子のどちらにも同等に財産分与がされる。以前は嫡出子と非嫡出子とでは財産分与の際に差があった。しかし、その点が改善され、その差が無くなった。このことにより、例えば、離婚した片方が再婚し新たに子が生まれた場合にも、相続のことで問題が発生する可能性が低くなり、出生率も上がると私は思う。また財産分与の差が無くなったことにより、日本も事実婚主義を認める傾向を辿っているのではないかと感じた。
4. まとめ
海外の国についてみてみると、出生率が回復した国においては出生率の回復の一つの要因として、結婚しないまま子どもを産むことが社会的に認知されている点があげられることが多い。もちろん日本の婚外子の割合は他国に比べてずば抜けて低くなっている。そのことから考えるとやはり、日本の少子化が進む原因として法律婚主義をとっていることが理由となっていると思う。また、財産分与の嫡出子と非嫡出子の差が無くなったことにより、法律婚主義にこだわる理由が少なくなってきているように感じる。日本のように家族を大切にし、法律婚主義をとることはもちろんよいことであると私は思っている。しかし少子化を改善することや、キャリアアップを目指す女性のこと、昔と家族の在り方が変わってきていることなどを考えると、事実婚主義を認めるべきであると思う。
少子化を改善するためにまずは、民法第750条『夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する』を改正するべきだと思う。夫婦別姓を認めることにより、キャリアアップを目指す女性の結婚に対するハードルが低くなる。そのことにより出生率もあがることになると考える。
そして次に代理出産を認めること。そのために代理出産で生まれる子どもを養子としてではなく出生届がしっかり受理されるような法律を作る。代理出産を行った夫婦でも安心してほかの家族と変りのない生活を送れるような法制度を作ることが必要である。
以上のことから少子化を改善するためには法律を改正することが不可欠であると思う。
参考文献
http://www.geocities.jp/wan_ojim/index.htm
『「あきらめないという選択」』
http://syphon.bonyari.jp/
『ちょっとまった夫婦別姓』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%82%B2%E8%B2%BB
『ウィキペディア』
http://www.fillmore.jp/mostview/civil/%e8%a6%aa%e6%97%8f/
『独学お助け隊の行政書士講座』
浅野晴香
少子化は、晩婚化や未婚化などが原因として多く挙げられているが、私は現在定められている日本の民法が、少子化の原因として繋がっているのかもしれないと考えた。
(a)法律婚と事実婚
日本では、法律婚主義というスタイルをとっていて、法律婚とは法律上の手続きによって初めて成立を認める立法上の考え方である。法律婚との対比で、婚姻はしないけれども、婚姻と同様の生活実態があるものを内縁関係と呼んでいる。内縁関係は、準婚姻関係と評価され、婚姻により発生する民法上の権利義務の一部が類推適用される。類推適用される例として、夫婦の同居・協力扶助義務(民法第752条)、婚姻費用の分担(民法第760条)、日常家事債務の連帯責任(民法第761条)、夫婦財産の共有推定(民法第762条)、離婚の際の財産分与(民法第768条)、貞操義務(民法第770条)などがある。民法規定の類推適用が及ばないものとしては、夫婦同氏(民法第750条)、姻族関係の発生(民法第725・728条)、子の嫡出性(民法第772条)、配偶者の相続権(民法第890条)がある。内縁関係の内縁という言葉は、多少後ろめたい語感を有するために、社会的には、事実婚という言葉が盛んに使用されている。私は、法律婚とは対比の事実婚に賛同である。その理由として、事実婚の民法規定の類推適用が及ばないものにあげられている、夫婦同氏(民法第750条)に興味を抱いたからだ。近年では、女性が社会進出し、仕事をする上で姓が変わると不都合が生じるために、結婚前の姓のまま、夫婦別性を実践したいという女性がいるのだ。こういう事情から最近では、夫婦別性を認めている事実婚をとるカップルが増えてきている。夫婦別性に伴う女性の社会進出は、世間では、晩婚化や未婚化などのデメリットとしてとらえられているが、私はデメリットとしては思わない。女性が姓を変えずに、仕事がより円滑になり、充実感と輝きを持つことができるのならば、働く女性にとってプラスなことであり、子供を出産するための費用を同時に稼げることができると私は考えたからだ。
(b)親子
厚生労働省は、2014年の6月4日に、平成25年の人口動態統計月報年計を発表した。出生数は前年比7000人減の103万人で過去最少を記録したが、合計特殊出生率は前年より、0.02ポイント増の1.43となった。自然増減数は、23万9000人と過去最大の減少幅だった。出生数は102万9800人で、前年の103万7231人から7431人減少してしまった。平成23年から3年連続減少し、過去最少となった。出生数を母親の年齢(5歳階級)別にみると、15〜19歳と30歳〜49歳の各階級で上昇しているが、20歳〜29歳の各階級では低下している。もっとも合計特殊出生率が高いのは、30〜34歳だった。第1子出生時の母親の平均年齢は上昇傾向にあり、平成25年は30.4歳だった。私は、出生数の減少の原因として、望まない妊娠をしてしまった人が、人工妊娠中絶を選択肢として選んだ人が多くいることにあると考えた。人工妊娠中絶とは、何らかの理由で妊娠が継続できない場合に、手術によって妊娠を中絶する方法である。日本の法律では、妊娠22週0日を過ぎた場合、いかなる理由があっても中絶が許されないのである。人工妊娠中絶ができるリミットは、21週6日までで、中絶手術を行うためには、本人と相手(胎児の父親)のサインが入った同意書が必ず必要となる。日本では確実な方法で避妊をしている人がまだ少ないために、年間で約28万件の中絶手術が行われているのが実態なのである。年齢別に見ると、10代の中絶率は約67%、40代も同様に約66%と、非常に多くの人が中絶という方法を選んでいることが分かる。中絶手術を行ったからといって、将来妊娠しにくくなるわけではないが、手術の際に何らかのトラブルがあった場合には、それが原因で妊娠しにくくなることがあるのだ。例えば、術後に子宮内感染を起こして子宮の壁同士がくっついてしまう「アッシャーマン症候群」になった場合、着床が難しくなるので不妊症につながってしまうことがある。また、特にトラブルがなくても、中絶手術を何度も繰り返した場合、着床時にベッドになる子宮内膜が薄くなってしまい、着床障害の原因となってしまうのだ。私は、中絶手術をしなければいけないようなことになる前に、ピルや子宮内避妊器具で確実な避妊を行うことが大切だと改めて考えさせられた。やむを得ず中絶しなければいけなくなってしまった時は、同じ失敗を何度も繰り返すことのないように、避妊方法についてしっかりと考えたほうが自分の体のためでもあるし、何の罪もないお腹の中の赤ちゃんのためでもあると思った。こうした望まない妊娠をしてしまった人たちの傍らに、自分たちの子供が欲しいのに、できなくて苦しんでいるカップルもいるということを私たちは忘れてはいけないと思う。子供を授かるのが難しく苦しんでいるカップルのために、自分たちの子供を授かる最後の手段として、代理出産というものがある。代理出産とは、子宮がんで子宮を全摘した場合や、不妊治療が失敗に終わってしまった場合に活用される制度のことで、自分以外の女性のお腹を借りて、妊娠・出産をしてもらうわけである。日本の法律で代理出産は、分娩した女性が母親で、母子関係は分娩の事実によって確定するので、「遺伝上の母」は母親とみなされず、生まれてきた子供は、嫡出推定されないのである。代理出産には、嫡出推定の他にも問題点が多々ある。まず1つ目として、原則的に国内では代理出産が実施されていないのである。特別養子制度を使うことで、日本でも代理母出産をすることができるが、倫理上の観点から、医師会はこの方法を基本的には容認しておらず、アメリカなど、この方法が数多く実施されている国に行くしかないわけである。2つ目に、心理的な抵抗があり、自分の卵子を使うにせよ、第3者から提供してもらうにせよ、今までの価値観とは大きく異なる制度であることは事実なのである。そのため、代理母出産に抵抗がある人も多いのだ。夫婦が納得・希望している場合であっても、その周辺が強く反対するケースも珍しくはないのである。3つ目は、代理母が子供に情を持ってしまうことがあるということだ。アメリカでは、この問題が深刻化しており、自分の腹を痛めて産んだ赤ちゃんに、どうしても情が移ってしまうわけである。そして4つ目に、代理母の問題がある。黒人・貧困層など、お金に困っている人が代理母を引き受けているという現状もあり、これも道徳的な観点から、大きな問題となっている。最後に5つ目として、生まれてきた子供に対して情が持てるかどうかが問題となっているのだ。以上のように、代理出産には数多くの問題がある制度であり、この方法を希望する人が多いのも事実なのだ。代理出産に対する法律をもしこれから変えることができるのならば、どうしても子供が生まれないと心を痛めているカップルを救うことができるのかもしれないと私は考え、私がこれからできることとして、こうした代理出産の制度の難しさを周りの人たちに広めていくことだと思った。
(c)扶養
扶養とは、自分の資産や労力で、生活を維持できない人に対して援助を行う制度である。扶養には、親族間の私的扶養と政府の行う生活保護等の公的扶養がある。日本においては、親族間の私的扶養が何らかの具体的事情で困難な場合においてのみ、生活保護等の公的扶養が開始されるものとされている。これを、「私的扶養優先の原則」と言ったり、「親族扶養優先の原則」と言ったりすることがある。扶養義務者として、民法は、「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」(民法第877条1項)、「家庭裁判所は、特別の事情があるときは、・・・三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができる。」(同条2項)と規定している。また、民法は、「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。」(民法第752条)と規定しており、さらに、民法は、「親権を行う者は、子の監視及び教育をする権利を有し、義務を負う。」(民法第820条)と規定している。扶養義務については、一般的に生活保持義務と生活扶助義務の2種類がある。生活保持義務は、いわゆる「一椀の飯も分け合う」程度の強い扶養の形態と考えられている。夫婦間の協力・扶助義務(民法第752条)や、未成熟子を親が監護・教育(民法第820条)するときの扶養義務であり、夫婦や親子に必要不可欠な扶養であり、自己と同等の生活を保障するもので、この生活保持義務に基づいて、父母が負担する費用が、養育費と呼ばれるものである。そして養育費を請求する権利とは、法律的には子供の親に対する扶養請求権のことで、養育費の実体は扶養であり、養育費の請求は、親権者又は監護者となって子を養育することになった親が、子に代わって扶養請求権を行使しているのだ。生活扶助義務は、前途の夫婦間や未成熟子と親の扶養と異なり、一般の親族間の扶養、具体的には、老いた親の扶養や兄弟姉妹間の扶養の問題であり、自活能力がない親族を自分の生計を維持する限りで援助しようとするもののことである。あるお笑いタレントが、私的扶養義務者であるのにも関わらず、私的扶養の義務を果たさなかった事件が、ある時世間を騒がせた。私は、この事件で世間を騒がせたお笑いタレントは、私的扶養の義務が果たせる以上の収入はあったと思う。それなのに、私的扶養の義務を果たせなかったのは、許されない事実であり、親族内の繋がりが薄くなってしまっているこの世の中で、血の繋がった者同士が助け合うことが、どれだけ大切なことということを考えさせられた。
まとめ
これまで、法律婚・事実婚、親子、扶養の3つについて自分の意見を交えてまとめてきたが、この3つに共通していることは、複雑化した現代社会において、日本で定められている民法が少子化に対しカバーできていない状態にあり、今までの日本の家族という固定観念から、なかなか抜け出せず、現代の新しい家族のあり方を認めていないことにあると思う。これからの日本の少子化の改善策として、民法の改正や新しい家族のあり方を認めることで、少子化の波が収まるのではないかと私は思う。
参考文献等
http://www3.hp-ez.com/hp/naien/page8 内縁関係と権利義務
http://resemom.jp/article/2014/06/05/18816.html
出生数
http://allabout.co.jp/gm/gc/381623/
人工妊娠中絶の種類・方法・リスク
http://sterility-improvement.com/surrogacy.html
不妊治療
http://www.mikiya.gr.jp/Duty_support.html
扶養
http://www.fillmore.jp/mostview/2013/01/30/1376/
扶養と扶養義務
http://www.miraio.com/divorce/youiku/
養育費獲得支援サービス
木村 勝
少子化と法
自分の結論 少子化を防ぐために、法制度の整備を積極的に行うべきである。
1.はじめに
日本では、少子化が進んでいる。日本の人口は現時点では、1億2800万人であるが、出生率の低下により、二十一世紀の半ば過ぎには中位推計で約9000万人、低位推計では8400万人まで縮小すると見込まれている。このような少子化による人口減少と高齢化は、これからの日本の経済社会に多くの重大な問題を引き起こす可能性が高い。その中でも特に重大なのは、少子高齢化が進むことにより、社会保障給付費がふくれあがり、財政難がさらに深刻化するということである。この問題を根本的に解決するためには、少子化をくいとめ、出生率を上げるほかにはあまり有効な手段はないと私は考えている。そのために、法はどうあるべきかについて、家族法の内容を踏まえつつ、以下に検討
していくこととする。
2.日本の家族法と少子化
(1) 婚姻
日本の少子化の原因の一つに、未婚・非婚率の高さが挙げられるであろう。2000年のデータによると、日本では、30代前半の男性は43%が未婚だが、欧米諸国では、25%前後となっている。30代前半の女性の未婚率は日本では27%であり、欧米諸国では15%前後である。30代後半になると結婚している人は多少増えるが、それでも日本では未婚の男性が26パーセントもいる。それに対して、欧米諸国では15%となっている。このような未婚・非婚率の高さは、日本の婚姻制度と深くかかわっていると思われる。
(a)
婚姻の成立
日本は、国家法の要求する婚姻の方式をふむことによって婚姻が成立するという立場である法律婚主義を採用している。これに対して、慣習上認められた婚姻の儀式を挙げることによって法律上の婚姻の成立とする、あるいは、婚姻意思をもって婚姻共同生活を始めることにより、法律上の婚姻の成立とする立場を事実婚主義という。欧米諸国では、事実婚主義を採用する国が多い。日本が法律婚主義を採用するねらいとしては、方式をふむ過程において、婚姻成立の要件を満たしているかどうかを審査し、同時に婚姻を戸籍への記載によって公示することにある。これにより婚姻関係が明確になる、という意義がある。これに対して、事実婚主義は法的手続きを要しないため、婚姻の成立の際は、夫婦としての実態があればよく、また、夫婦別姓が可能である。
このように、日本と欧米諸国の婚姻の成立要件は大きく異なっているが、私は欧米諸国のような事実婚主義の考え方を日本も取り入れることを検討してもよいのではないかと考えている。たしかに、婚姻による法的効果の多くは何らかの意味で財産上の効果にかかわっており、そこには第三者の利害も絡む。したがって、婚姻が成立しているのかどうかを明確に判定するために法律婚主義を採用しているのは理解できる。しかし、現代においては、夫婦同氏の原則(民750条)の合理性にたいして疑問が投げかけられており、働く女性が事故の社会的地位を確立すべく、婚姻前からの従前の姓を用い続けることを法的に認めてほしいという声が高まっていること、また、このような法律婚の短所によって婚 姻届を提出しない内縁を選択する人々が存在すること、そして、事実婚主義を採用している欧米諸国のほうが日本よりも出生率が高いことを考慮すると、日本の家族法にも事実婚主義のような考え方を取り入れ、夫婦としての実体があれば可能な限り、法的保護の対象としてもよいであろうと私は考える。
(b) 婚姻の解消
婚姻の解消とは、完全に有効に成立した婚姻が、その後の事由によって消滅することをいう。婚姻解消の原因は、当事者の死亡または失踪宣告と離婚である。離婚には協議離婚(民763条)、調停離婚(家審17条、18条)・審判離婚(家審24条)、裁判離婚(民770条)があるが、裁判離婚は、協議離婚、調停離婚が成立せず、審判離婚がなされないときに、当事者に残された最後の手続きである。このように日本においては、裁判所が一切関与しない協議離婚が主流である。これに対して、キリスト教文化圏である欧米諸国においては、婚姻は神との契約であり、原則として離婚は認められていない。例外的に裁判所が関与する場合のみ、離婚を認めている。このような考え方は事実婚主義を発 展させ、出生率を高くする要因の一つになっている。私は、離婚に関しては、離婚の自由も認めるべきだと考えているため、比較的に手続きも容易な協議離婚に賛成の立場をとるが、欧米諸国のこのような事実婚制度の発展、出生率の高さを参考にするのは、いかに少子化を防ぐかという議論において有益であると考える。
離婚によって、婚姻の効力は、将来に向かって解消し、身分上および財産上における種々の効果を生じる。まず、離婚が成立すると同時に婚姻関係は終了する(民728条1項)。そして、離婚によって婚姻前の氏に復する(民767条1項)。また、夫婦財産契約、婚姻費用分担義務、日常家事に関する連帯責任は、将来に向かって消滅する。さらに、離婚した者の一方は相手方に対して財産の分与を請求できる(民768条1項、771条)。これを財産分与という。これは、夫婦が婚姻中に有していた実質上共同の財産を分配し、かつ、離婚後における一方の当事者の生計を図ることを目的としている。
(2) 親子
婚姻と並んで親族関係で問題となるのは、子供が生まれた場合の扱いである。婚姻関係にある男女間に懐胎、出生した子を嫡出子というが、内縁関係中に生まれた子は嫡出子ではなく、非嫡出子という。欧米、とりわけ北欧では非嫡出子の割合が増大している。これは、法律婚を選択しない男女(事実婚)の増加が背景にある。これに対して日本では、非嫡出子の割合は極めて低い。この背景には日本法特有の親子関係の安定を重視する考え方や、戸籍上の表記の区別があり、非嫡出子に対する差別意識を招きやすい点があるためと考えられる。
また、親子関係で問題となるのは嫡出推定(民772条)である。嫡出推定とは、妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子とする推定し、さらに、婚姻の成立の日から200日を経過した後または、婚姻の解消もしくは取り消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定される、というものである。この制度は、子の父が誰であるかを確定する困難を避けるためのものである。DNA鑑定で血縁関係が否定された場合に法律上の父子関係を取り消せるかが争われた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は平成26年7月17日、父子関係を取り消すことはできないとする判決を言い渡したが、私はこの判決は妥当ではないと考える。たしかに、子の法律上の地位の安定に嫡出推定は資する面もあろう。しかし、反対意見にもあるように生物学上の父との間で新たに法的な親子関係を確保できる状況にあるなら、戸籍上の父との関係を取り消すことを認めるべきであろうと私は考える。また、この制度は、女性の再婚禁止期間の問題とも関わってくる。嫡出推定の制度により、女性は前婚の解消又は取消の日から6箇月を経過した後でなければ、再婚をすることはできない。これも、この父が誰であるかを確定する困難を防ぐための制度であるが、私は女性の再婚禁止期間を設けることは妥当ではないと考えている。現代においては上述したようなDNA鑑定によって親子関係を把握することは可能であるし、またこのような制度は、女性の結婚する自由を不当に制限しているようにも思える。女性が自由に再婚することができれば、現行法の下よりも早く再婚することができ、間接的に出生率の上昇にも資するであろうと私は考える。
(3) 扶養
扶養とは、ある人の生活を維持するために、これと一定の親族的身分関係にある者からなされる経済的給付をいう。扶養を請求する扶養請求権は、一定の親族的身分と結合した一身専属権であり、処分することができない(民881条)。被扶養者本人の生存保障が目的だからである。したがって、譲渡、質入れ、相殺、相続の対象にはならず将来に向かって放棄することも許されない。扶養の種類には、本来家族として共同生活すべき者が負うべき義務である生活保持義務と、通常は生活の単位を異にしている親族が、一定の生活困窮の際に助け合う偶発的・一時的な義務である生活扶助義務がある。
扶養において、論点となる問題の一つに、養育費に関する父母の合意があった場合の事後的な扶養料の請求が認められるかどうかという問題がある。具体的な事実の概要は、ある夫婦が離婚に際して養育費を一定額月払いで払い、これ以外の請求を一切しないと約束して離婚が成立した後に、費用がかさむので、扶養料の増額を求めたものであるが、判例は扶養料の増額を認めた。私も判例の立場に賛成である。たしかに、一度決めた約束が覆されるのであれば、法的な安定性を害し、社会は混乱してしまうという懸念もある。しかし、扶養請求権には処分性がないこと、また、増額すべき事情の変更があることを考慮すれば、請求を認めてもよいように思われる。
現在の日本において養育費を払っているのは2割程度といわれている。理由としては@払えるはずがないと思っていることA相手方にもう会いたくないと思っていること、などが挙げられる。このことはさらに少子化に拍車をかけ、また、母子家庭の貧困化という問題にも関わってくる。このような問題を法的・政策的に検討していかなければならないのも今後の課題であろう。
3.まとめ 少子化問題の解決にむけて
これまで述べてきたように、日本の家族法は少子化の問題と深く関係している。それゆえに、少子化を防ぐには、日本の家族法を見直し、改正していくのみならず、さらに踏み込んだ立法政策を講じる必要があるのではないかと私は考える。具体的には、内縁のような事実婚の夫婦の場合でも、可能な限り身分上、財産上の効果に対して法的保護を与え、また、選択的夫婦別姓も認めるべきであると考える。女性の再婚禁止期間については、上述したように疑問が残る。そもそも女性にのみ再婚禁止期間を設けることは、憲法違反(憲14条1項、24条)であるという意見もある。そのため、嫡出推定の期間を推定の重複を避けられる限度において短縮する、もしくは削除すべきであろう。
また少子化を防ぐという意味では、ある女性が別の女性に子供を引き渡す目的で妊娠・出産することである代理出産を認めてもよいであろう。判例では、外国における代理出産によって出生した子の出生届を、分娩の事実が認められないことを理由に区役所が受理しなかったことを妥当であるとしたが、疑問であろう。代理母による出産でも親子関係を認める法整備を進めるべきだろうと私は考える。法整備によって、不妊に悩む夫婦を救済することにつながり、少子化にも歯止めがかかると思われる。
そして、少子化問題の陰には、人工妊娠中絶の問題もある。日本においては、中絶は堕胎罪(刑212条〜216条)によって刑法上の処罰の対象となる。しかし、母体保護法によって条件付きで容認されている。だが、実際には拡張解釈(特に経済的理由)がなされ、事実上中絶は放任に近い。こうした現状に歯止めをかけるべきだと私は考える。社会を産んで育てやすい環境に変えること、具体的には、経済的な理由で中絶するのであれば、国が積極的に経済的に支援する法律を制定し、中絶を余儀なくさせないようにする取り組みが必要であると考える。なおかつ、欧米のような胎児の生命を人間の生命として尊重するような教育を行うことも必要であろう。
以上のように、少子化を防ぎ、豊かな日本を作り上げていくために積極的に家族法の法整備のみならず、様々な立法政策を講じていかなければならないと私は考えている。
出典:民法W 補訂版 親族・相続 内田貴著 東京大学出版会
親族・相続[補正2版]伊藤真試験対策講座12 伊藤真著
家族法判例百選[第7版] 有斐閣
少子化克服への最終処方箋 島田晴雄 渥美由喜 ダイヤモンド社
中江先生の講義・板書
外川諒一
少子化という問題に対して、法制度の見直しとそれにあたっての婚姻についての考えの改めが必要だと考える。
(1)婚姻制度
日本の婚姻の考え方は、婚姻の成立を国家法の要求する婚姻の方式を踏むことによってみるとする立法主義である法律婚主義である。さらに民法739条より、戸籍法の定めるところにより届出をすることを要件としていることから届出婚主義とも呼ばれている。また異なる考え方として、社会の慣習上婚姻と認められる事実関係(事実婚)を直ちに法律上の婚姻と認める立法主義である事実婚主義や習俗上の儀式などによって社会的に承認されている婚姻を法律上も認めるという儀式婚主義、または宗教上の儀式によって成立を認めるという宗教婚主義などがある。
ここでは事実婚主義について考えていきたいと思う。前述した現在の日本の民法における届出婚主義のもとでは、社会的には夫婦とみられる実質関係があっても、法律上の届出を欠くため内縁関係にとどまる事例も多い。最近の法令や判例では、法律婚に準ずる同居・協力・扶助義務などの効果を認める傾向ではあるが、それでも一般的効果で否定されるものである。民法750条における夫婦の氏、いわゆる夫婦別姓の禁止や民法753条における成年擬制などである。否定される効果がある中では、婚姻における自由も制限されてしまうのではないかと考える。事実婚、ここで述べた内縁は必ずしも否定されるべきものではなく、少子化が問題となっている現代ではむしろ奨励すべきではないかとも考える。これは婚姻をするうえでの障害を排し、自由な婚姻をするべきという意味である。
憲法24条に、家族生活における個人の尊厳と両性の平等に関する条文には、「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」とある。この条文からも婚姻の自由に対しての法制度の見直しは必要だと考える。
(2)離婚
まず欧米諸国とアジア 諸国とでは離婚に対する考え方がまったく違っている。欧米諸国にとってそもそも婚姻とは神との契約であり、絶対的価値があるものである。よって離婚は困難なものであるということになる。このことからも、欧米諸国では事実婚主義が求められている。これに対して、アジア諸国にとって婚姻とは人との契約であり、相対的価値なものである。よって離婚は容易に出来るものとなる。このような考えなので法律婚でもよいとされている。
離婚の手段としては次の4つが挙げられる。まず離婚意思の合致によって成立する協議離婚、次に家庭裁判所における調停によって成立する調停離婚、調停が成立しない場合においても、相当と認めるときは、一切の事情を考慮して、職権で当事者双方の申立ての趣
旨に反しない程度で審判をすることができる審判離婚、最後に、協議離婚、調停離婚が成立せず、審判離婚がなされないときに、夫婦の一方の一定の原因に基づく離婚の請求に対して、裁判所が判決によって婚姻を解消させる裁判離婚である。日本では協議離婚が多く、このことからも離婚は難しくはないということが分かる。
また婚姻解消の効果として再婚の自由や子どもの監護者及び親権者の決定、離婚した男女の一方が他方に対して財産分与を請求できる権利などがある。
これらから見ると、やはり離婚にはあまり利点があるようには考えられない。特に子どもに関しては悪影響を与える可能性の方が高いと考える。
また欧米諸国と違い、日本には特定の神がいるというわけではない。なので神との契約というと行き過ぎた表現ではある。しかし離婚をするのが容易であり、国がそもそも離婚の自由を認めているというのは疑問に感じる。離婚というものを完全に否定するつもりはもちろんない。民法770条に規定されているような婚姻を継続しがたい重大な事由があるときも考えられる。それを踏まえても、離婚は慎重に考えるべきである。さらに言ってしまうと、婚姻をしてもすぐに離婚をすることを認めるものであれば、法律上では夫婦ではないが、事実上では夫婦であるとする事実婚主義の考えも認められるべきだと考える。
(3)
現代の少子化の問題からも分かるよ うに、日本の出生件数は減少している。そうした中で不妊で悩む人がいるというのも事実である。不妊症に悩んでいる人は生殖補助医療を行うが、日本の法律上では親子関係などといった問題がある。
例として、まずは夫の精子をほかの女性に人工授精する代理母、体外受精により夫の精子と妻の卵子を受精させ、受精卵を別の女性に移植し、出産してもらう借り腹といったいわゆる代理出産がある。そして亡くなった夫の冷凍保存精子を用いて出産するAIH、夫以外の精子を用いるAIDなどもある。これらの生殖補助医療を用いられ、出産された子どもの親権については、代理母については、父子関係のみを認め、母子関係は認めないとする見解、借り腹については、出生届を受理せず養子として処理をするという見解、AIHについては、夫の死後に冷凍保存精子を用いた出産は母子関係は認めても、父子関係は認めないという見解、AIDについては、民法772条の嫡出推定により夫の嫡出子と推定はされるが、遺伝子的には異なるということで問題となっているのが現状である。以上のように、日本の家族法は生殖医療に対して寛容とはいえない。これは、日本の法律の後衛的性格によるものである。さらに自民党の家族法改正案においては、借り腹、代理母の禁止を提言している。しかし、代理母や借り腹に関しては、夫婦間で決めたうえでさらに相手の出産をしてくれる女性の承諾がある以上、親子関係の問題も、倫理的な問題もなくなってくるのではないかと考える。血縁を重視するのであったとしても当事者の人達の合意がある以上、こちらを優先するべきだと考える。
また出産をするにあたって、国は今以上に妊婦に対する経済的・ 社会的な支援を行うべきだと考える。身体の問題、出産における経済面、ほかには生まれてくる子どもの生活費・養育費などの不安、子育ての不安など様々な理由で妊娠中絶を行う者がいる。身体の問題となると幅広くなってしまい、対処も人それぞれになってしまうが、出産における経済面の問題や子どもにかかる費用などの問題となれば、国も援助という形で対処することが出来ると考える。特に日本は近年では、中絶件数は減少傾向をたどってはいるが、それでも他の先進諸国と比較するとはるかに高いものである。これらの事実や現代の少子化の問題から見ても早急な対応が必要だと考える。日本では、母性保護のため、胎児が母体外において生命を保続することのできない時期に、人工的に胎児及びその附属物を母体外に排出する人工妊娠中絶が用いられている。もちろん一定の事由に該当する者であり、本人及び配偶者の同意を得なければならないという前提はあるが、それでも容易に中絶出来てしまうのではないかと考えられる。女性が受ける苦痛がどれだけのものかということは曖昧にしか伝わらないが、国は中絶に関する医療技術の発展と同時に妊婦に対する援助の制度の充実を図るべきであると考える。妊婦への負担を軽減するもの、子育てへの不安を軽減するもの、また望まない妊娠での中絶の減少、もちろん個々の意識が最も重要になってくることは前提になるが、それに伴い、親権を持つことを踏まえて様々な責任があることを知っていくことも重要と考える。
(4)扶養
まず扶 養とは、ある人の生活を維持するために、これと一定の親族的身分関係にある者からされる経済的給付のことあり、趣旨としては、自分の力だけでは生活を維持できない者に、一定の義務者に対する扶養請求権を認め、これを行使させることによって扶養を実現させようとする制度である。
扶養義務には2つの種類がある。本来家族として共同生活すべきものの義務であり、扶養することがその身分関係の本質的・不可欠的要素であり、自己の最低限の生活を割っても相手方に自分と同程度の生活をさせなければならないものである生活保持義務と通常は生活の単位を異にしている親族が、一方の生活困窮に際して助け合う偶発的・一時的義務であり、扶養は例外的現象であるから、要扶養者が最低限度の生活にも事欠く場合に、義務者が自分の身分相応の生活を犠牲にすることなく給与できる程度の扶養をすればよいとする生活扶助義務がある。前者の例としては、親がその未成熟の子を養う義務、夫婦が互いに扶養し合う義務などが挙げられ、後者の例としては、子の親に対する義務、成人した子に対する親の義務、兄妹姉妹相互間や祖父母と孫の間の義務などが挙げられる。さらに扶養当事者の範囲として、民法752条、877条より扶養義務を負うのは、配偶者のほか直系血族と兄弟姉妹であり、また民法877条2項には、特別の事情 があれば、家庭裁判所はこれ以外の3親等内の親族にも義務を負わせることが出来るとされている。
ここで扶養の順序について考慮されるべき諸基準を見てみると、生活保持義務は、原則として生活扶助義務に優先し、傍系よりは直系が、また、より親等の近い者が、また、半血の兄弟姉妹よりは全血の兄弟姉妹が、それぞれ扶養義務者としても扶養権利者としても優先する。また未成熟の子に対する父母の義務は、原則として同順位である。ただしこれらは一般的方針なので、絶対というわけではない。また、扶養についての事情変更については、民法880条、877条の扶養関係に関する協議・審判の変更・取り消し、特別事情の消滅などがある。他には、民法881条より扶養請求権は、一定の親族的身分と結合した一身専属権であり、処分することが出来ないとされている。よって譲渡や質入れ、相殺、債権者代位、相続などの対象にはならず、将来に向かって放棄することも許されないとされている。
これらをみて、生活保護に関しては、身内全体が生活困窮の状態であるという例外はあるとしても、あくまで親族内で解決すべきである問題であると考える。扶養に関しても、政策のみならず、親族間の問題としてとらえるべき内容だと考える。もちろん前述したような生活困窮している者に対しての生活保護は必要になってくると考える。
(5)まとめ
現代の日本における少子化対策において、日本の哲学の美が相反するものとなっている。日本の伝統、主に家族における秩序の維持が最大の目的であると考えられる。しかし、秩序を重んじるあまり法律によって婚姻における選択の幅が狭まってきていると考える。婚姻における自由の幅を広げること
、いわゆる事実婚主義などといった制度を認める子こと、また出生の異なる子どもにおける差別の撤廃といった生まれてくる子どもに対する処置、子育てへの国からの援助的制度の確率、子育てに対する不安の除去。これらは少子化、そして晩婚化が進んでいる現代の日本に必要になってくるのでなのではないかと考える。
以上
引用文献
金子宏、新堂幸司、平井宜雄編集「法律学小辞典」第4版補訂版 有斐閣
井上正仁、能見善久編集「ポケット六法 平成26年版」 有斐閣
齋藤未佳
私は“法は家庭に入らず”という古代ローマの格言に賛成する。
(1) 婚姻について事実婚主義を認めるべきだ。
日本民法は、戸籍上の届出を要件とする(民739条、戸籍法74条)から、法律婚主義、特に届出婚主義と呼ばれる。憲法24条2項の本文からも推定される説もある。
法律婚主義を採用することのメリットは、@全面的な包括的支配権としての私的所有権については、死亡における相続承継に際しては、それが誰に承継されるか明確にしておかなければならない。死後の財産の移転を迅速かつ確実に行うためにも、登録や届出によって公示された相続人に限定し、相続人の範囲を明確にすることができる。A法律上の婚姻について一定の届出や登録を要求しているのは、法律上の婚姻の時期を明確にするとともに、実質的要件に適合しない男女関係を阻止することができる。例として、婚姻年齢に達していること(民731条)、重婚でないこと(同732条)、再婚禁止期間を経過していること(同733条)、近親婚でないこと(同734条以下)、婚姻の意思があること(同742条)がある。届出や登録をしないカップルに相続権を認めてしまうと、法律上の婚姻を登録させ法律上優遇するという届出による婚姻統制を無意味なものにしてしまいかねない。B相続による法律関係の確実化・安定化は、被相続人と相続人だけでなく、相続債権者など第三者の法定地位にも影響を及ぼす。したがって、相続による財産の帰属や移転については、戸籍の記載という公示され公証された一定範囲の者にのみ相続権を認めて、形式的画一的に処理する必要があるため、婚姻関係が明確になるということは、利点である。
もちろんデメリットもあり、夫婦同姓(民750条)とされていることで、@あらゆる物の名義変更を要求され、氏名変更の手続きが煩わしい。例えば、運転免許所、パスポート、年金手帳、銀行の預金通帳、 会社の納税関係の書類など。A改姓により、婚姻前と婚姻後の人物の同一性の確認が困難になる。例えば、結婚前に仕事で業績を上げていても
名前が変わったため、ただの新人と同じように扱われかねない。Bもともとの氏名に愛着がある人にとっては、改姓しなければならないことは、アイデンティティの喪失につながる。
欧米では、事実婚主義を採用している国も多い。@夫婦別姓が可能で、キャリアのある男女には都合がよい。A戸籍の姓と通称を使い分ける必要がない。B対等な立場でいることができ、別れても戸籍には残らない。C事実婚でも法律婚と同じく、扶養も可能であり、遺族年金などの受取人にもなれる。というようなメリットがある。
もちろん、婚姻届を提出していないのでデメリットもある。@配偶者ではないから、配偶者控除などの税金の控除は使えない。Aパートナーが亡くなったときに自動的に相続人にもなることはできない。B子が非嫡出子になる。C周囲の理解を得られにくく、社会的信用を得にくい。ただし、デメリットには対応法もある。事実婚を選択する夫婦は共働きで自立している場合が多い。夫婦それぞれに収入があれば、そもそも配偶者控除の利用はないので気にする必要はない。相続については、生前に遺言を書くことで財産を相続させることができる。また、子どもが生まれた場合でも、最高裁にて非嫡出子の相続分が嫡出子の半分とする民法の規定は違憲との判決が出て、平成25年12月5日に民法が改正され、嫡出子も非嫡出子も相続分は同等になった。これにより、法律婚と事実婚の両方で子どもがいる場合の不利益も解消される。
そして、事実婚つまり内縁の効果は、婚姻届と直接に関連するものを除き、その他の婚姻の効果はほとんどすべて与えることができると解されている。内縁夫婦間には、互いに同居・協力・扶助・貞操の義務があり、内縁配偶者の地位は、第三者に対しても保護されなければならない。内縁において、夫が子供を認知していて、子供が未成年の場合には、親権者を夫婦のどちらにするか決めなければならない。夫が子供を認知していない場合には、自動的に妻が親権者になる。そして、親には親権の有無に関係なく、養育費の支払義務がある。夫が子供を認知していない場合には、強制的に養育費を支払わせることはできない。まず、認知させる事になる。
現在、フランスのPACS(民事連帯契約)やスウェーデンのSamboは事実婚認めており、実際に出生率は上昇している。日本も少子化進行に歯止めをかけるために、また、未婚率が上昇している今、時代に合った結婚制度を柔軟に取り入れるべきだ。子どものためには、安定した結婚生活があることは重要であると思うが、それは、婚姻関係がなくてもできることだと思う。自由に結婚のスタイルが選択でき、二人の自由な意思で家庭を築ける支援が必要だと思うから、事実婚や夫婦別姓を認めるべきだ。
(2) 離婚が自由に容易にできてしまう日本の制度を改善すべきだ。
離婚の際にも文化の違いがある。日本を含むアジア圏の国の多くは、法実証主義で、結婚は人と人との契約であって、日本の場合は婚姻届けが重要となる。離婚の形態として、協議離婚、調停離婚、審判離婚、裁判離婚があり、日本の離婚の9割は協議離婚(民763条)だ。したがって、離婚は容易にできる。
欧米では、自然法主義で、結婚は神との契約であり、離婚をするのは難しい。離婚の形態も、裁判離婚が多いことも離婚をしにくくしている。だからこそ、事実婚を認めているのだ。
傾向として、自然法主義をとっている国は、法実証主義をとっている国よりも出生率が高い。離婚が簡単にできてしまうと、おのずと出生率は下がるだろう。
また、離婚が子どもに与える影響もあり、養育費に関する問題が発生する。いつまで養育費を払うかについては「成人するまで」「大学を卒業するまで」「高校を卒業するまで」など、離婚の際にお互いに話し合って決めることになる。親の離婚について子供には何の責任もなく、子供の養育費を払うのは親の義務であり、時効も無く、この義務から逃れられることはできないということである。
さらに、財産分与についても考えなくてはいけない。財産分与は夫婦の共有財産であると考えられている。離婚時の財産分与で対象になるのはあくまで結婚後に共同で築いた財産のみであり、結婚前に持っていた個人の財産は含まれない。財産分与も請求できる期間には時効があり、2年である。
嫡出推定制度(民772条)というものがある。子の福祉のためには、法律上の父子関係を早期に確定し、子の身分関係を安定させることが重要だ。そこで民法は、女性の懐胎期間を考慮して、婚姻期間と出生時期の関係から子の父を推定した上で、そのような推定が及んでいる子については、父であることを否定する方法を限定し、この方法によって父子関係が否定されない限り、血縁関係があるか否かを問うことなく、法律上は父子関係にあるものとして扱うこととしている。この制度は大切で、嫡出推定制度がなければ、いつまでも父子関係を否定する主張をすることができることになり、子の福祉が害されたり、家庭の平和が崩壊したりするという事態が生じかねない。
婚姻期間中に妻が妊娠し、父親を戸籍上で判断するのか、生物学的な父子関係で判断するのかで議論になった時、裁判所は戸籍上の親の子であると判決を下した。私はこの判決に疑問を抱いた。遺伝子上の繋がりは確実なものだと思うのに、それほどまでに戸籍が大事なのかと思った。
(3) 代理出産を認めるべきだ。
不妊に悩む患者の数は多いが、医療の研究が進み、様々な生殖補助医療が存在する。代理出産、借り腹、AIH、AIDなど、海外ではこれらの生殖医療が法的に認められている。しかし、日本の法律では認められていない。
不妊に悩む日本人夫妻が、米国ネバダ州で夫妻の受精卵を米国人の女性の子宮に入れて、その女性によって出産をして貰い、子を得た。夫妻とその女性及び女性の夫(代理夫妻)の間には、生まれた子については夫妻が法律上の父母であり、代理夫妻は子に関する保護権や訪問権等いかなる法的権利又は責任も有しないことなどを内容とする有償の代理出産契約が結ばれていた。夫妻は帰国し品川区に出生届けを提出した。品川区は、夫妻による出産の事実が認められず、嫡出親子関係が認められないことを理由として、出生届を受理しない旨の処分をしたことを通知した。最高裁は高裁の命令を破棄し、夫妻の申し立てを棄却する決定を行った。
この判決に、私は反論する。法よりも大事なものが愛であると私は思う。やがて大きくなった子は、全てを知るだろう。それで良いと思うのだ。その結果、何も変わらないし愛情も当然変わらないものと思う。子がほしい、育てたいと強く思っている夫婦なのだから、認めてもいいと思った。
しかし、代理出産に反対の意見についても考えなくてはならない。@女性の体を道具にしている、A代理母がお腹の子に愛情を持ってしまって引き渡しを拒否するという可能性がある、B何らかの障害を持った子が生まれてきたときに受け取りを拒否するという可能性がある、C代理母に対しての対処問題、D代理出産に金銭が絡む場合は、流産・死産した場合はどれだけの支払いが必要か、E出産時に代理母が亡くなった場合の依頼者の責任、といった頭を悩ませる反対意見も多くある。これに関しては、倫理というのはその時代や地域の個人個人まで多様性があるということで、代理母を認めないということは、その多様性を認めないということになるのではないか。もちろん、代理母はビジネスになるだろう。でも、生命の危険を冒してまでそれをおこなわなければならないほど、貧困にあえぐ人々は山ほどいるからであり、それは生命倫理とは無関係だと思う。明日の生活に事欠く人は生命倫理というような崇高なことを考える余裕はないのだ。宗教的見地や遺伝的見地からも問題視する人も多いのは事実だが、一方で遺伝的つながりを求める不妊の夫婦のニーズがなくなることはないだろうと思う。よって、代理母の母体の安全が一定以上確保できることを前提としたうえで、しっかりとした法制度とするべきと考える。
(4) 日本における中絶のとらえ方について見直すべきだ。
日本国において人口妊娠中絶は、刑法の規定上の犯罪行為である。自分や他人の中絶を行った者は、刑法の第二十九章(堕胎の罪)にある、いずれかの条の罪を犯した者として訴追され、懲役刑に処せられる可能性がある。一方、母体保護法(1996年以前の法律名は優生保護法)は、「母体の健康を著しく害するおそれのある」場合等に、特別な医師(指定医師)が本人等の同意を得た上で「中絶を行うことができる」と定めており、この規定に則った中絶は後法上位・特別法優先の原則から罰されることは無い。厚生労働省の統計によると、年間の人工妊娠中絶数が平成23年度、初めて20万件台まで減少した。5年間で7万4000件超の減少。ただ、20歳未満では増加した。女子1000人中の中絶件数でも、5歳ごとの年齢別でほかの年齢層では一様に減ったのに対し、20歳未満は増えた。全体の中絶数は減ったとはいえ、中絶を禁止している他国からは、まだ日本は中絶天国と言われるだろう。経済的な理由からや、社会的に不利になるからなど深刻な理由があるのだと思うが、中絶するというのは、愛し合ってできた子を殺すことなのだ。しかも、彼らを殺したのは、生命を守ることを本業とする医師であり、彼らを守ってあげなければいけない彼らの母親なのだ。海外では、“中絶は恥である”という考え方がある。中絶は出生率低下の直接の原因だ。日本全体で中絶に対するとらえ方を変え、中絶天国とまで言われないようになるといいと思う。
(5)扶養の現状について考えるべきだ。
扶養とは、老幼、心身の障害、疾病、貧困、失業などの理由により自己の労働が困難でかつ資産が十分でないために独立して生計を営めない者(要扶助者)の生活を他者が援助すること(民877条)。そして、夫婦間及び親が未成年の子に対して負う生活保持義務がある。義務者は、相手方に対して自分の生活と同質・同程度の生活を確保しなければならない。それ以外の一定の親族間に認められる狭義の扶養義務に生活扶助義務がある。扶養者の生活に余裕がある場合に、その限度で困窮している要扶養者の扶助をする義務である。扶養の程度・内容は当事者の協議又は家庭裁判所の調停・審判によって定められる。
扶養請求権は一身専属的権利として処分が禁じられており譲渡・質入・放棄は許されない(民881条)。債権者代位権(同423条)を行使すること、受働債権として相殺することもできない。債権者は扶養請求権を差し押さえることはできず(民事執行法152条1項1号)、破産者の扶養請求権は破産財団に属さない(破産法34条3項2号)。扶養請求権は相続の対象にもならない(民896条但し書き)。また、絶対的定期請求権であるから消滅時効にかからない。なお、第三者によって扶養義務者の生命や身体に対する加害行為があり、それによって扶養権利者が扶養を受けられなくなったような場合には扶養相当分についても損害賠償請求が可能である。
しかし、不景気の影響で、日本での雇用問題は有効に機能せず、大量の失業者を生んでおり、その多くが生活保護費受給者であるが、これに国家は有効な歯止めを掛けることはできず、大量の失業者に生活保護を受給させて人間としての最低限の生活を強いている。一般の社会人が民法の定める扶養義務の範囲で、他の家族を同居・別居などで扶養をすることはお金の問題以外にも諸所の問題があり、容易に解決することはできない。また、調停などで強制的に家族扶助・同居等を認めさせても、家族は混乱する恐れがある。調停などの強制が嫌で、生活保護を諦めて、家族との同居を拒み、路上生活者となるものが 今以上に増えることも懸念される。すなわち、身内であるが容易には他人の生活を扶助することはできない。多額の財産を持った扶助責任者に、扶養を行うのは困難であると思う。
したがって、生活保護受給者の親族が受給者を扶養できない場合、 親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を付けるのは、時間・経費ばかりかかって無駄や新たな問題を生むような気がする。民法の扶養義務の規定も現状に合った規定に変更すべきとも思える。
少子化は制度が作り出した人口的現象であるという意見がある。少子化進行を止めるには法律改正が必須だと思う。
以上のことから、法は家庭にあまり介すべきではないと私は考えた。
参考文献
『よくわかる民法改正―選択的夫婦別姓&婚外子差別撤廃を求めて―』
(民法改正を考える会 株式会社朝陽会 2010年)
『結婚の法律学[第2版]』(棚村政行 有斐閣 2006年)
法務省ホームページ、厚生労働省ホームページ
法律学小辞典引用、Business Journal、Wikipedia
木下惠太
少子化と法
法律学部法律学科 木下恵太 13J109001
少子化解消のために保護をもっとすべきである。
1、日本の法律婚主義
日本における婚姻の成立要件は、実質的要件と形式的要件に分けられる。実質的要件として、婚姻意思の合致と婚姻障害事由の不存在が挙げられるが、婚姻意思は更に、実質説と形式説とに分けられる。実質説とは、「社会通念上夫婦と認められる関係を形成しようとする意思」(注1)だと考え、形式説とは、「婚姻の届出を行う意思があったのであれば、婚姻の成立要件として十分」(注2)と考える説である。私は、実質説を基準に、法的効果を考慮した上で判断をすることが、現代の日本に適していると考える。形式説では、子に嫡出子の地位を与えるという目的だけの為に、婚姻し直ちに離婚した場合でも婚姻は認められるが、例え子の為を思ってした行為であっても、民法第752条にある通り、夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならず、そのような実態がないにも関わらず、夫婦と することは妥当とは言えず、婚姻は無効であると考える。また、嫡出子と非嫡出子では相続分が異なることから、離婚した片方が再婚し新たに子が生まれた場合に、相続のことで問題が発生する可能性があり、そのような危険を排除する為にも、形式説は妥当ではないと考える。
しかし、実質説にも臨終婚のように相続権を与える目的で婚姻届を提出した場合に問題となる。実質説で解釈した場合、臨終婚は無効となるが、直ちに無効とする必要があるのか疑問であり、法的効果も合わせて考えることが妥当であると考える。この場合、婚姻は贈与
婚姻を用いただけであるから、嫡出子の場合のように他に問題が生じない為、 有効と認めるべきだと考える。
次に形式的要件として、届出(民法第739条1項)がある。これには、事実婚主義と法律婚主義の2つの主義が対立している。日本は、法律婚主義を採用しており、婚姻関係が明確であるというメリットがあるが、民法第750条により夫婦同姓とされていることから、仕事をする上で不都合が生じるなどのデメリットがある。特に、法律婚によって改姓するのは、ほとんどが女性であり、キャリアアップを目指す女性にとって不便で、このことが晩婚化の要因になっているとも言える。一方、事実婚は、@夫婦別姓が可能、A戸籍の姓と通称を使い分ける必要がない、B氏名変更手続きの煩わしさがない、C相手の親に婿や嫁という見方をされない、D対等な関係でいられる、E別れても戸籍に残らない、というメリットがあり、内縁という形で事実婚を選ぶケースも増えてきている。
しかしながら、@周囲の理解を得られにくい、A家族割引が利用できない、B社会的信用を得にくい、C税金の配偶者控除を受けられない、D子どもが非嫡出子になる、E生命保険の受取人に指定するのが難しい、といったデメリットもある。フランスのPACS(民事連帯契約)やスウェーデンのSamboは事実婚を認めており、出生率も高いことから、夫婦別姓や事実婚を認め、法的保護を与えることで、出生率を上昇させることができると私は考える。
2、摘出推定によって拍車のかかる少子化。
民法第772条の嫡出推定[(嫡出の推定)第七百七十二条 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。
2 婚姻の成立の日から二百日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。]により夫の嫡出子として推定されるが、遺伝子的には精子の提供者が子の父親であり、嫡出でない子であるからといって精子の提供者は子を認知できるのかという点である。私は、夫婦は提供者に精子の提供を依頼して、精子の提供者は夫婦が自分達の子を欲しがっていることを理解した上で精子の提供をしているわけだから、両者の間には契約関係があり、その上で認知の訴えをするというのは、夫から父親の立場を奪うものであり、契約違反であるから、認知を認めるべきではないと考える。また、認知を認めれば、AIDを利用してまで子どもを望んだ夫婦の期待を裏切るものであるから、これは民法第1条2項の信義誠実の原則に反するものであり、やはり認めるべきでない。
代理出産については、反対派から、母子関係は妊娠中から育まれる、女性の体を出産の道具にしている、といった意見があるが、依頼した夫婦と代理母が妊娠中にコミュニケーションを図ることで依頼した母と子の母子関係を育め、また、女性の体を出産の道具にしているという点については、代理母は強制的にやらされている訳ではなく、同意の上でやっていることであるから、道具というのは疑問がある。金銭の授受は人身売買に類似する行為ではないかという意見もあるが、何らかの圧力がかかっているわけではなく、代理母は自分の意思で母体の提供を行っていることから、違法性があるものだと私は思わない。300日も他人の子どもを胎内に宿し、悪阻や倦怠感に耐えて何も見返りがないの であれば、善意だけで代理母になろうと思う女性は少ないことが予測でき、外国では代理母で生計を立てている者がいることから、女性への功労という形で金銭の授受をすることも認めるべきである。また、日本では年間約30万件以上の人工妊娠中絶がある。これは日本の人工を30万人減らしているのと同じである。この事実を考慮すればなおさら代理出産を否定するのはおかしいと思う。
3、扶養と生活保持義務
扶養とは、自分の資産・労力で生活することのできない者に経済的な援助を与える制度である。扶養義務の内容には配偶者や未成熟子の間に存在する生活保持義務と、成熟子や親、兄弟、三親等の間に存在する生活扶助義務がある。生活扶助義務は、自らの社会的身分に相応しい生活をしてなお余力がある場合に扶養の義務を負うことになり、民法第877条2項により三親等内の親族においては特段の事情があるときは家庭裁判所が扶養の義務を負わせることができるとしている。また、扶養請求権は一身専属的権利として処分が禁じられており譲渡・質入・放棄は許されない(881条)。債権者代位権(423条)を行使すること、受働債権として相殺することもできない。債権者は扶養請求権を差し押さえることはできず(民事執行法152条1項1号)、破産者の扶養請求権は破産財団に属さない(破産法34条3項2号)。扶養請求権は相続の対象にもならない(896条ただし書き)。また、絶対的定期請求権であるから消滅時効にかからない。しかしながら、現在生活保護受給者は210万8096人(平成24年3月時点)で、生活保護制度が開始されて以来、初めて210万人を超え、今年度予算の生活保護費は約3兆7000億円にも上っている。こうした現状の中で、生活保持義務や生活扶助義務というように義務の内容や、家庭裁判所の審判の有無で親族間の扶養義務の程度をわける必要はなく、3親等内であれば審判がなくとも公的 扶助よりも優先的に扶養する義務があるとしても良いと私は考える。生活保護費は国の財源から充てられているわけで、その財源は国債と税金である。日本の債務残高は1000兆円を超えるというのに、特段の事情のない3親等より、国民の税金や国債で保護するのは疑問に感じる。直系ではないとはいえ親族であるから、全くの他人に頼るよりも先に身内で解決すべきである。ましてや、生活保護の不正受給者が増えている中で、安易に生活保護を受ける者が増えては、他にすべき政策に影響を与えてしまう。まずは、親族内で助け合い、身内のいない者やそれでも困窮する者に対し、生活保護を行うべきだと考える。
4、離婚すると子供を複数人育てるのはほぼ不可能?
どんな夫婦でも離婚する可能性はあります。離婚した時問題になるのは財産分与です。財産分与というのは、夫婦が協力して築き上げてきた財産(「共有財産」といいます。)を離婚の際に分け合うことを言います。共有財産というのは、基本的には同居中に築き上げた財産が全て含まれます(共有財産である以上、現金預金はもちろん、不動産、自動車、株式、国債等、全ての財産が財産分与の対象となります。)。この財産分与は共有財産を基本的に半分ずつにわけます。例え有責配偶者だとしても財産分与には関係ないので有責配偶者の相手方は涙を流すことになります。それが元専業主婦やパートタイマーなどの低賃金労働者などの場合は親権をとったとしても子供を育てていくのは容易ではありません。これではなおさら怖くてなおさら子供など作れません。しかし、ここで親権者をたすけるのが養育費です。養育費とは、非親権親が親権親に対して支払う必要のある、子どもの養育のために必要な費用のことです。通常、1か月に1回の分割で支払うことが多いです。養育費の金額は、夫婦双方が話し合いをして、お互いが納得できる金額が決まればそれが養育費の金額になります。もしも、金額について合意ができないときは、家庭裁判所に養育費の調停の申立てができます。家庭裁判所は、夫婦双方の資力や資産状況、現在の生活状況、子供の人数や年齢などを考慮して、適正な養育費の金額を決めます。一度、養育費の金額を決めたものの、将来事情が変わって、養育費を増やすべき事情が発生することもあるでしょうし、その逆のこともあるでしょう。そのような場合、そのようになってから、養育費増額(減額)の調停の申立てができます。しかし、離婚の際に養育費の取決めをしたのにもかかわらず、様々な理由を付けて養育費を支払わない親が増えていることが問題になっています。個人で電話をかけて督促しても、先延ばしにするだけで全然振込をしてくれなかったり、自分で内容証明を作成して送っても効果なしだった、というケースも見られます。養育費の未払いを理由に強制執行の手続きを取る事によって、支払者の勤務先に対して、毎月の給料などの賃金を差し押さえる事が出来るようになります。 勤めている会社から支払い義務のある人の給料天引きで、毎月決まった金額が養育費として指定の口座に支払われるようになります。 ですから、不払いの事実があったという場合、給料差押さえのために養育費未払いの強制執行を申し立てることは非常に有意義であるといえます。 ただし、この申し立ての手続きは個人で行うことは難しいために、弁護士に相談して、弁護士に代理人になってもらうといったケースが一般的です。ですが、これにもメリットとデメリットがあります。まず、メリットですが例えば、離婚した元夫の職場が分かれば、差し押さえが可能という点です。 (ただし、公正証書や調停証書などの執行証書が作成済みということが前提になります。) 何度口約束をしても期日に振込んでくれなかったり、内容証明郵便を送っても無視して払ってくれない場合であっても、給与差し押さえをすることで、養育費が口座に入ってくるようになるのは大きなメリットと言えるでしょう。しかし、デメリットもあります。強制執行の手続きが行われて給料を差押えられたことにより、元夫が職場を退職したり、他の仕事へ転職をしてしまう可能性があります。会社に差し押さえがばれることで、職場にいるのが難しくなったり、単純に支払いから逃げる為に会社を辞めてしまう場合もあるようです。これでは養育費というものがなくても大して変わらない気がしてきます。だからそもそも財産分与の時点で有責配偶者に対して共有財産半分にするのではなく6対4など有責配偶者の取り分を少なくすれば離婚後の子育てへの不安が少しは減って少子化問題改善に少しはつながると考えます
出展
六法全書 25年度版
Wikipedia
M川法律事務所
中江章浩担当科目レポート
水島浩太郎
少子化と法
近年の少子化という問題は、子供をつくらない、つまり結婚をしない男女が増えているのではないか、と私は考えている。
・日本の結婚の風潮
現在の日本は、婚姻は一定の法律上の手続によって初めて成立を認める立法上の考え方の法律婚主義をとっている。対して、結婚届を出さないで、事実上の夫婦生活を営む結婚形態である、事実婚主義というのもある。これは、内縁という言葉が、事情があって結婚届を出せないという意味に受け取られやすいため、結婚届を出さないことを「積極的に」選んだことを前面に出すために作られた言葉である。夫婦別姓を貫きたいという理由が多いが、職場の人に結婚している事実を知られたくない、夫婦という私的な関係を公的なものに規制されたくないなどの理由も見られる。事実上夫婦と変りない生活を送っているが,一方が他方の姓を名乗って「入籍」するという現行法に従う形をとらず,婚姻届けを出さないでいる夫婦であるが、これは男と女の関係を対等で私的なものと捉えようとする傾向が強くなったということが分かる。そして子供が生まれる。現在の技術の進歩はめざましく、DNA鑑定というものがある。男は浮気をすると昔から言われてきたが、最近では、女の浮気も目立ってきている。結婚した夫婦の子供が、実は別の男の子供だということも、最近では珍しくない。そうなった場合、親子関係が崩れていくのが目に見えているが、その場合の養育費や、親権などはどうなるのだろうか。まず、嫡出推定制度がある。これは、婚姻中に妻が生んだ子を一定の要件のもとで嫡出子(夫の子)と推定し、子の福祉のために、法律上の父子関係を早期に確定し、子の身分関係を安定させる制度である。女性の懐胎期間を考慮して,婚姻期間と出生時期の関係から子の父を推定した上で,そのような推定が及んでいる子については,父であることを否定する方法を限定し,この方法によって父子関係が否定されない限り,血縁関係があるか否かを問うことなく,法律上は父子関係にあるものとして扱う。つまり,嫡出推定制度は,嫡出否認の訴えを提起できる1年間の期間経過後は誰も父子関係を否定できないものとすることによって,親子関係を早期に確定して子の福祉を図り,家庭の平和を尊重しようとしているのである。この制度によって、夫の子ではなかった場合、もし夫が父子関係を否定しようとしても、子の福祉が害されたり,家庭の平和が崩壊したりするという事態が発生してしまうため、嫡出避妊制度はなくせないのである。しかし、血縁関係のない子供が、自分の子供だと言われても、愛情や気持ちの伝え方は雑になってしまうだろうし、どのみち良い親子関係は築けないだろうと考える。少子化の現代にとって、子供が生まれるというだけでも重要である。人工妊娠中絶のように、生まれてもいない子供を殺すということも、少子化の原因かも知れない。日本国において中絶は、刑法の規定上の犯罪行為である。自分や他人の中絶を行った者は、刑法の第二十九章(堕胎の罪)にある、いずれかの条の罪を犯した者として訴追され、懲役刑に処せられる可能性がある。一方、母体保護法(1996年以前の法律名は優生保護法)は、「母体の健康を著しく害するおそれのある」場合等に、特別な医師(指定医師)が本人等の同意を得た上で「中絶を行うことができる」と定めており、この規定に則った中絶は後法上位・特別法優先の原則から罰されることは無い。後述するように、20世紀中盤以降の日本国においては、母体保護法が幅広く適用され、多数の中絶が公に行われてきた。また、法的にグレーな中絶も、公然の秘密として無数に行われているとされる。
・代理出産
また、不妊夫婦の場合、子供が欲しいとの思いが切実であることが少なくなく、代理出産をするケースも見られる。日本における現状として、代理出産については、生殖補助医療の進展を受けて日本産科婦人科学会が1983年10月に決定した会告により、自主規制が行われているため、日本国内では原則として実施されていない。しかし、代理出産そのものを規制する法制度は現在まで未整備となっている。この場合の法律関係はどうか。法律上、予定されていないため親子関係の確定方法が問題となる。最高裁判例によれば、「母子関係は分娩の事実により発生する」とし、代理母の子として扱われる。このため、代理母と子との間で相続上の問題が発生することが懸念されている。遺伝子上の親を実親として認めさせようという動きもあるが、生まれた子が依頼者・受託者双方と遺伝子上のつながりを持たないケースがあり、単純に遺伝子的なつながりのみで親子関係を確定することはできない。しかも、代理出産は家族関係を複雑にし、秩序が乱れるほか、複雑な家族関係の中で生まれるのは子の負担になる、という指摘がある。いずれにしても、代理の親子関係というのは、あまり良い未来が望めないものだという考えもある。また、法律婚主義の日本にとって、他人の子供を家族にするのはどうなのだろうか、という指摘もある。この場合、離婚したらどうなるのであろうか。お互いの財産分与についても話し合わなければならない。
・離婚後の財産分与
財産分与とは、離婚の財産的効果として、一方の者の請求により婚姻中に協力して蓄積した財産を清算するため分与すること。財産分与は当事者双方の一切の事情を考慮する。なので、婚姻以前から所有する財産、あるいは相続により取得した財産であっても、財産分与をする上で夫の所有する財産は、支払能力ということで影響を与えることも否定できない。離婚したあと、親権者となった方は、子供を育てなければならない。養育費の支払義務は,子どもが最低限の生活ができるための扶養義務ではなく,それ以上の内容を含む生活保持義務といわれている。生活保持義務とは,自分の生活を保持するのと同じ程度の生活を,扶養を受ける者にも保持させる義務のことである。つまり,養育費は非監護親が暮らしている水準と同様の生活水準を保てるように支払っていくべきものであるということである。そして,非監護親が「生活が苦しいから払えない」という理由で支払義務を免れるものではなく,生活水準を落としてでも払う必要があるお金である。このように,養育費は,非監護親が「余裕がある場合に支払えばよい」というものではない。離婚の際に,養育費について相手と取り決めをしておくのが一般的だが,離婚を急いでしまった場合など,養育費について取り決めをせずに離婚してしまうケースもあるだろう。そのような場合,相手方に対して,養育費の支払請求をすることができる。仮に,「養育費はいらない」といって養育費の請求権を放棄したとしても,後で事情の変更があった場合には請求できるケースもありうる。また,養育費の請求権は子どもの権利でもあるため,親が権利を放棄したとしても子ども自身が請求できる場合もある。このような権利は、子どもの扶養請求権である。子どもは扶養関係において、扶養を受ける権利のある者であり、扶養権利者である。なので、血縁関係のない父親でも、例え離婚したとしても、法律上父子関係に当たるのであれば、養育費などを払わなければならない。こうした問題もやはり子どもに負担がかかってしまうのではないか、と考えさせられる。
・少子化の対策
日本における急速な少子化の進展は、平均寿命の伸長による高齢者の増加とあいまって、人口構造にひずみを生じさせ、二十一世紀の国民生活に、深刻かつ多大な影響をもたらす。私たちは、紛れもなく、有史以来の未曾有の事態に直面している。しかしながら、高齢社会に対する対応にのみ目を奪われ、少子化という、社会の根幹を揺るがしかねない事態に対する国民の意識や社会の対応は、著しく遅れている。少子化は、社会における様々なシステムや人々の価値観と深くかかわっており、この事態を克服するためには、長期的な展望に立った不断の努力の積重ねが不可欠で、極めて長い時間を要する。急速な少子化という現実を前にして、私たちに残された時間は、極めて少ない。もとより、結婚や
出産は個人の決定に基づくものではあるが、こうした事態に直面して、家庭や子育てに夢を持ち、かつ、次代の社会を担う子どもを安心して生み、育てることができる環境を整備し、子どもがひとしく心身ともに健やかに育ち、子どもを生み、育てる者が真に誇りと喜びを感じることのできる社会を実現し、少子化の進展に歯止めをかけることが、今、我らに、強く求められている。生命を尊び、豊かで安心して暮らすことのできる社会の実現に向け、新たな一歩を踏み出すことは、我らに課せられている喫緊の課題である。少子化対策基本法は、少子化の主たる要因であった晩婚化・未婚化に加え、「夫婦の出生力そのものの低下」という新たな現象の把握と急速な少子化の進行を踏まえ、その流れを変える為に従
来の取組に加え、もう一段の対策を推進することが必要であり、国民や社会の意識変革を迫る目的で制定された、日本の法律である。やはり出生の問題が大きいのもあるが、法律婚主義のような、風潮からなかなか子どもを生めない、生んでも育てられないというような問題もある。世界を見てもわかるように、性について日本よりも開放的である。日本人の性的意識は、やはり世界と比べてみても、下のほうだろう。婚姻関係にある夫婦でも、なかなか子どもをつくらない夫婦があるのは、性について一歩踏みとどまっているからだろう。その風潮として、やはり日本は、結婚するのにもいろいろ前述にも述べたとおり、問題が多々発生してしまうからだろう。もっとグローバルに目を向けてみても良いのではないか、という指摘もある。そのためには、今の若い人に結婚や性について意識させるのが一番手っ取り早い手段であろう。しかし、人工妊娠中絶になってしまうようになったら、結局新しい命が消えてしまうので、そういった、未来を考える行動と性教育の大事さが、少子化の一番の対策なのではないだろうか。
参考文献
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H15/H15HO133.html
齋木智貴
私は現在の日本の婚姻制度には限界があり民法改正など今一度見直すべきだと考えます。
○日本の婚姻制度と現状
法学上、婚姻制度については人類の保族本能に基づき、これが習俗・宗教・法律といった社会規範によって規律されるものと説かれることが多い。近代法における婚姻の構成要素として、社会的要素、自然的要素、意思的要素の3つが挙げられる。
近年、女性の社会進出などによる結婚の晩婚化などによって婚姻の年齢が上がりそれに伴い初産の年齢も上がっていると考えられる。年齢による出産のリスクなどから少子化につながっているのと思う。これらのことについて私は日本の婚姻制度がかかわってくるのではないかと考える。
初めに婚姻の成立要件として婚姻の成立の形態に関する法制度としては次のように分類される。○事実婚主義(事実婚・無式婚)社会慣習上において婚姻と認められるような事実関係があれば法律上の婚姻と認める制度。○法律婚主義(法律婚・民事婚)婚姻の成立には法律上の所定の手続を要するとする制度(法律上の所定の手続が届出である場合を特に届出婚主義という)。日本法(民法)は、婚姻の成立に法律上の手続を要求する法律婚主義を採用している(739条)。日本は、法律婚主義を採用しており、婚姻関係が明確であるというメリットがあるが、民法第750条により夫婦同姓とされていることから、仕事をする上で不都合が生じるなどのデメリットがある。特に、法律婚によって改姓するのは、ほとんどが女性であり、キャリアアップを目指す女性にとって不便で、このことが晩婚化の要因になっているとも言える。一方、事実婚は、@夫婦別姓が可能、A戸籍の姓と通称を使い分ける必要がない、B氏名変更手続きの煩わしさがない、C相手の親に婿や嫁という見方をされない、D対等な関係でいられる、E別れても戸籍に残らない、というメリットがあり、事実婚を選ぶケースも増えてきている実質的要件として当事者の婚姻意思の合致及び婚姻障害事由の不存在が必要とされる。また、形式的要件として戸籍法に基づく届出が必要とされる。
そして婚姻意思は実質説と形式説とに分けられる。実質説とは、「社会通念上夫婦と認められる関係を形成しようとする意思」だと考え、形式説とは、「婚姻の届出を行う意思があったのであれば、婚姻の成立要件として十分」と考える説である。実質説のほうが私は今の日本の状況にあっていると思う。形式説では、子に嫡出子の地位を与えるという目的だけの為に、婚姻しすぐに離婚した場合でも婚姻は認められるが、例え子の為を思ってした行為であっても、民法第752条にある通り、夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならず、そのような実態がないにも関わらず、夫婦とすることは妥当とは言えず、婚姻は無効であると考えられる。また、嫡出子と非嫡出子での相続分の違いなどから、離婚した片方が再婚し新たに子が生まれた場合に、相続のことで問題が発生する可能性があり、そのような危険を排除する為にも、形式説は違うのではないかと思う。そして事実婚の人たちも少なくはないので事実婚を認めて法的保護などをさらにすれば出生率を上げることが出来ると考える。つまり、少子化を防ぐためには事実婚を認め近年の日本の状態に対応することが必要だと思う。別れるつまり離婚などする場合でも長期間に渡り別居を続けている夫婦であれば、夫婦という形をとっていても、実質的には夫婦であると言えず、婚姻を継続している意味がなく離婚を認めても良いと思うが、責任のない者から関係修復のアプローチを受けているのにも関わらず、無視し続けた場合には認めるべきではない。また、財産分与や慰謝料といった苛酷条項があることから、財産さえあれば簡単 に離婚ができるという考えになってはいけない。離婚は子どもの成長に悪影響を与える可能性があり、DVといった特段の事情がない限りはできるだけ回避すべきだからである。また、子どもがいなくとも、一度婚姻関係を結んだからには真摯な姿勢で向き合うべきだ。
○嫡出子と非嫡出子の違い
これまで婚姻制度について触れたが婚姻制度について考える中で嫡出子の問題について私は触れておきたいと思う。はじめに嫡出子とは婚姻関係にある男女間に生まれた子をいい、非嫡出子とは婚姻関係にない男女間に生まれた子をいいます。今まで法律上の差別として民法では、嫡出子と非嫡出子の法的地位には差別があり、非嫡出子の相続分は嫡出子の2分の1とされていました。しかし平成25年12月5日,民法の一部を改正する法律が成立し,嫡出でない子の相続分が嫡出子の相続分と同等になり法律上の差別はほとんどなくなりました。しかし法律上の差別ではありませんが、嫡出子は戸籍には「長男」「長女」という風に記載されますが、非嫡出子は単に「男」「女」と記載されるという表記上の区別があります。(法務省:民法の一部が改正されましたwww.moj.go.jp
>から引用)
嫡出子の問題について調べる中で近年は不妊症などにより子供が出来ず悩む夫婦が治療を受けて人工授精や体外受精等により子どもを持てるようになってきたが、誰と誰の間に親子関係が生じるのかという点で問題が生じるようになった。例えば、@夫以外の精子を用いるAIDでは、民法第772条で婚姻関係が解消された場合、実際に婚姻中に懐胎したか否かを立証することは容易とはいえないため、子の利益のために2項の推定規定が置かれている。嫡出性が推定された子については、嫡出否認の訴えによらない限り、父子関係を否定することはできない。もっとも、父の行方不明や事実上の別居状態にあったなどの事情がある場合は、形式上懐胎期間中に生まれた子であっても、推定は及ばないことになる(推定のおよばない嫡出子)。夫の生殖能力が無いことや、血液型の関係で夫の子ではありえない場合については見解が分かれている。内縁関係が先行したため婚姻成立から200日以内に生まれた子は、嫡出推定規定の恩恵にあずかれないが、出生と同時に嫡出子の身分を取得する(推定されない嫡出子)と解するのが判例である嫡出推定により夫の嫡出子として推定されるが、遺伝子的には精子の提供者が子の父親であり、嫡出でない子であるからといって精子の提供者は子を認知できるのかという点である。これは子供が出来ず悩み精子の提供を受けているのを提供者は理解している。それを理解したうえで認知を認めるのは父親の立場を奪うことにつながるので認めるべきではないと私は考える。次にA代理母による代理出産についてである。代理母の代理出産については、反対派から、母子関係は妊娠中から育まれる、女性の体を出産の道具にしている、といった意見があるが、依頼した夫婦と代理母が妊娠中にコミュニケーションを図ることで依頼した母と子の母子関係を育め、また、女性の体を出産の道具にしているという点については、代理母は強制的にやらされている訳ではなく、同意の上でやっていることであるから、道具というのは疑問がある。しかし日本では原則的には実施されていない。特別養子制度を使うことで、日本でも代理母出産をすることができます。しかし、倫理上の観点から、医師会はこの方法を基本的には容認していません。アメリカなど、この方法が数多く実施されている国に行くしかないわけです。このように海外などではすでに取り上げられているようなことも日本では倫理上の理由などから取り入れていない。上記の二つのように新しい治療法を取り入れていけば不妊治療を受ける人たちの妊娠の確率が上がると考えられる。これらの治療法を取り入れるためには国民の理解そして変わる時代に対応した新しい家族の形についても考えることが必要である。
○非嫡出子の減少とその理由
戦前、明治から大正まで日本には非嫡出子が多く出生率でも8〜9%と人数的には10万人ほどいたとも言われています。それが戦後になり数は1%代数でいえば1万人ほどとなりました。これには医学の進歩によって人工妊娠中絶が比較的容易に認められ容易に行える事や,避妊の知識の普及も大きな要因をなしているようです。近年では中絶件数が20〜30万件に及びます。理由は経済上の問題や未成年で望まない妊娠、避妊ができておらず正しい知識を持たずに男女お互いが妊娠のリスクを考えずに避妊をせず性行為を愛情表現のようにするなどして妊娠し中絶へと繋がっていると考えられる。毎年人工妊娠中絶によって生まれてくることができない子供たちがもしも生まれていれば少子化問題は改善されると思う。時代が変わりインターネットやメディアが発展するにつれ間違った情報を信じたりしてそこから妊娠→中絶へと繋がるのではないだろうか。そして中絶をしたということが女性を後々苦しめることになっていると思う。中絶はリスクが0なわけではないしこのような経験から婚姻が遅れたりしていく理由になっていくと考えられる。このことから少子化が進むと私は考える。
○離婚後の扶養と養育
夫婦の関係は離婚により終了しますが、親子の関係は両親が離婚しても終了することはありません。 したがって、離婚によって子どもと一緒に暮らさない親も子どもの養育費を負担しなければなりません。 子どもと一緒に暮らす親(監護親)を養育費請求の権利者、子どもと一緒に暮らさない親(非監護親)を養育費支払いの義務者といいます。基本的に扶養義務は、「生活保持義務」と「生活扶助義務」に大別されています。「生活保持義務」とは「自分の生活を保持するのと同程度の生活を被扶養者にも保持させる義務」、 「生活扶助義務」とは「自分の生活を犠牲にしない限度で、被扶養者の最低限の生活扶助を行う義務」とされています。 養育費や婚姻費用(別居している家族の生活費)の支払い義務は、「生活保持義務」であり、親族間の扶養義務は「生活扶助義務」であるとされています。 したがって、養育費とは、非監護親(義務者)に余裕があったら支払うというようなものではなく、 一杯の粥、一切れのパンも別れて暮らす子どもと分け合うというものです。
算定の目的は、生活保持義務にふさわしい養育費を算定することにあり、算定の出発点は、義務者、権利者双方の総収入の金額の認定であり、基本的枠組みは、 義務者と子どもとの同居を想定した上で費用を按分する方式です。
これらの話題には一人では生活できなくなった親族を親族みんなで助けてもらうような扶養請求権が関わっています。これにより離婚していても生活できるように生活保護を受けるのではなくて親族で支えるといったようなものです。
私は親族間での支えあいはとてもいいことだと思う。仮に妊娠中に破局や夫が病気でなくなったりした場合にシングルマザーとなれば親族がいなければ子供を産み育てることはできなくなるだろう。そういったことが増えれば少子化になるだけだ。それを親族同士で支えあっていくのです。親族内で支えあえばそれができない人に対して生活保護をすることができ、国の負担も減るだろう。
○改善策として
今までとは近年は大きく違うことが増えていると思う。複雑化した現代社会において民法の規定がカバーできていないからであり、早いうちに民法を改正すべきだと私は思う。
婚姻については晩婚化などの変わりつつある現状をみれば事実婚のほうがあっていると思うし事実婚を認めることで婚姻にかかる時間を減らせる。事実婚についての新しい法案を作り新しい夫婦の形としてみるべきだと思う。
次に親子関係だ。不妊治療を受ける人たちが代理出産など出来るように新しい決まりを作る必要があると思う。そしてそのような人たちが安心して子育てできるような新しい法制度が必要だ。
扶養については親族内で問題を解決できるようにもっと扶養の範囲を大きくすればいいと思う。親族内の関わりが減らないようにそしてより支えあえるようにすべきだと思う。
○出典
○12年8月1日提出分amazonia.bakufu.org/report120801.htmより引用
○嫡出 -
Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/嫡出より引用